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今だけは、本気で愛してやる 1

Penulis: 水守恵蓮
last update Terakhir Diperbarui: 2025-03-31 16:57:06

思いがけず、強引に感情を乱された。

俺は荒れ狂う不快感を鎮めようと、普段ほとんど使わないバスタブに湯を張り、ゆったりと身体を浸した。

三十分ほどかけて入浴を終え、タオルで髪を拭いながらラウンジに戻り、途端に身震いする。

ペイウィンドウが、開いたままだ。せっかく風呂で温まった身体が、窓から吹き込む風に冷やされる。

大股で窓辺に寄って窓を閉めると、無意識に安堵の溜め息が漏れた。

タオルを肩にかけ、湿った髪をガシガシと掻き回す。

まっすぐソファに歩いていって、勢いよくドスッと腰を下ろした。

ソファに突いた手が、いつもの習慣で置きっ放しにしていたスマホに触れた。そこに目を落とすと、電話の着信通知が何件か表示されていた。

発信人の名前は『Olivia』。二週間ほど前から接触していた、イギリス国税局幹部の秘書官だ。

電話の相手を確認した途端、今夜、夕食の約束があったことを思い出した。

すっぽかしてしまった。相当ご立腹だろう。サファイアの瞳をギラギラさせて、波打つブルネットの髪を逆立てる姿が、容易に想像できる。

俺はとっさにコールバックしようとして、すぐに思い留まった。

最後の着信は二時間前。今さら遅い。

無言でかぶりを振って、スマホを持った手をだらんとソファに落とした。

仕方ない。明日の夜にでも、埋め合わせしておくか。

電話ではなくメールを起動させて、短い文章を入力して、送信した。

『Sending』表示の途中でソファに深く背を預け、喉を仰け反らせて天井を仰ぐ。

――とんでもないことになった。

二年ほど前の五月、たった一晩関係を持っただけの女が、俺の子供を産んでいたとは。その上、日本からはるばる押しかけて来て、責任結婚を迫られるとは。

「勘弁しろよ……」

忌々しさが募ってソファから背を起こし、足に両肘をのせて身を屈める。

普段は無人の客室から、ほんの微かに物音がした。聴覚がくすぐられ、そちらに視線を流す。

――沢尻長閑。

ロンドンで事故に巻き込まれた彼女は、邦人保護という任務で警察の事情聴取に立ち会った俺に、男を捜していると言った。

彼女の捜索方法は呆れるほど要領が悪く、当然ながらなんの手がかりも掴めないそうだ。

なにか、のっぴきならぬ事情があるのだろう。彼女は、俺に力を貸してほしいと頼んできた。

俺は本能的に、関わったら面倒な女だと感じた。

捜しているのは、せいぜい逃げられた恋人といったところだろう。

ネット経由で接触してきた不良グループに、その男に関する情報の代価に身体を要求され、『払い損』と啖呵を切るのを聞いた瞬間、自分の直感の鋭さを誇りに思ったくらいだ。

――普通じゃない。相当ヤバい女だ。

自分を捨てた男を捜し出すためなら、街のごろつきに回されてもいいと言うのか?

それほどの執念で追い求められる男……たとえどんなクズだとしても、同じ男として同情する。

個人的には、彼女がどんな目に遭おうと、その無鉄砲さ故の自業自得だと思った。

しかし、ここはロンドンだ。邦人の身になにかあれば、俺は外交官として対処せねばならない。

ただでさえ、彼女は一度事故に巻き込まれている。その上まだなにか事件が起きようものなら、俺の初期対応を問題視されかねない――。

とにかく、さっさと日本に帰ってもらいたい。

そのためには、彼女に手を貸す素振りを見せる……それが一番手っ取り早い。

苛立ちに任せて『バカか、お前はっ……!!』と怒鳴りはしたが、俺は全神経を総動員して、昂った気を沈めた。

病院で看護師から話を聞き、彼女を捜し回ったせいでセットが乱れ、額に下りた前髪を鬱陶しく掻き上げ――。

『できる限り手を尽くしてやるから、無茶はやめろ』

不特定多数の人間が目にするネットでの情報収集は危険だと諭し、一切やめると約束させた。

彼女はよほど追い詰められていたのか、しきりに俺に感謝した。

ほんの少し良心が疼きはしたものの、俺はなにも調べることなく、その翌々日、『お前の捜し人は亡くなった可能性が高い』と告げた。嘘に信憑性を持たせようと、外交官の特権や公的機関の名を出し、淀みなく説明したせいか、彼女は想像以上にあっさりと信じた。

そして、密かに拍子抜けした俺に、

『私にできることならなんでもしますから、お礼をさせてください』

気を取り直した様子で、そう申し出てきた。

『礼? お前、不良グループに払う金もなかったろ。その身体しかないんじゃないか?』

俺は呆れ果てて、鼻で笑った。

一刻も早く、この不愉快な縁を断ちたい。それがその時の、紛れもない本心だった。

彼女は、一瞬きょとんとして、すぐに顔を強張らせた。

それでいい。憤慨するのが、普通なのだ。

俺は返事を待たずに、背を向けようとした。

ところが。

『わかりました』

硬い声色に、無意識に足が止まった。

『私、明日日本に帰るので、お礼は今晩でいいですか』

外国人の血が混じっているのは、見た目でわかる。

彼女は、日本人離れした白い肌をいっそう青白くして、はっきりと言った。

その様子は、鬼気迫るという言い方が正しいほどで……。

――相当ヤバい女だと、直感したことを失念していた。

そんな自分を激しく後悔しながらも、まっすぐ向けられる決意のこもったヘーゼルの瞳に、俺は不覚にもゾクッと身震いした。

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    私は、塔也さんの寝室に、お姫様抱っこで運ばれた。彼の大きなダブルベッドの真ん中に組み敷かれ、何度も何度も角度を変えてキスをする間に、服を全部脱がされていた。「っ……」目元を情欲でけぶらせた彼が、遠慮なく視線を注ぐから、激しい羞恥で身を捩る。「こら、隠すな」胸を隠した腕に、塔也さんが手をかけて解こうとする。「嫌。恥ずかしい……」「この期に及んで、なにを言う」「だって。塔也さん……貧相って言った」私が、じっとりと詰るような目を上げると、まったく悪びれることなく、ふんと鼻を鳴らした。「事実だろ」「ひっ、酷っ……!」「あの時も今も肉付き足りないし、煮干しみてえ」「にっ……!?」あまりに酷い喩えように涙目で絶句する私に、ふっと目尻を下げて笑う。口にするのはデリカシーのない最低な言葉なのに、反則なくらい優しい微笑み。ズルすぎるギャップに、私の胸がドキッと弾む。塔也さんは私に覆い被さり、唇を奪った。「んっ、ふ」今までで一番の、執着めいたキス。呼吸を乱し、胸を上下させる私に、塔也さんがベッドについた腕を支えに上体を持ち上げ、ねっとりとした視線を絡ませる。「なのに……俺はこの身体に狂わされたんだよな……あの日」「え……? あ、んっ!」なにか耳慣れない言葉を向けられ、虚を衝かれた隙に、胸を覆っていた両腕を観音扉みたいに開かれた。躊躇なく顔を埋められ、彼のサラサラの前髪や吐息が肌を掠めて、ビクンと身体が撓る。敏感な胸の先を、チロチロと動かす舌先に容赦なく攻め立てられ、いやがおうでも腰が跳ねた。「あ、あ……」二年近く前、他でもない彼自身から植えつけられた、生まれて初めての官能の痺れ。今もなお変わらず、ゾクゾクと背筋を昇る。「とう、塔也、さ……」堪らず、彼の頭を掻き抱いた。「好き。塔也さんが、好き……」喉に引っかからせながら、掠れる声で必死に想いを紡ぐ。荒い呼吸で途切れ途切れになってしまい、聞き取りづらかったかもしれないけど……。「っ、く……」塔也さんはブルッと頭を振って、小さな声を漏らした。そして、指で、舌で、私に施す愛撫を強めていく。「俺も……好きだ、長閑。愛してる」耳元に湿った声で囁かれ、体幹から湧き上がるゾクゾクとした痺れに戦慄いた瞬間。「あっ……!」ズシッと存在感のある質量のなにかに、容赦なく身体の中心を貫かれ――ビクンビクンと痙攣して、目の前に星が飛んだ。「大丈夫か? 落ち着け

  • あなたの子です。結婚してください   私の旦那様になって 5

    午後十時。私は慧斗を寝かしつけた後、お風呂に入った。髪をタオルドライしながら出てくると、塔也さんがラウンジのソファに座っているのを見つけた。条件反射で、胸がドキンと跳ねる。夕方フラットに帰ってきてから、私は慧斗と二人で客室に閉じこもっていた。いろんなことがありすぎて、少し落ち着いて自分自身を見つめ直したかったけど、夜になっても頭がふわふわしている。でも――私は思い切って、ソファに歩いていった。私が声をかけなくても、気配で気付いた彼が顔を上げる。「お前も、飲むか?」「え……」なにを問われたかと答えを探して、ローテーブルに目が向いた。いつかと同じように、ウィスキーボトルとグラスが置かれていた。塔也さんは自分のグラスを軽く揺らして、私の返事を待っている。「……はい」私は一度頷いて、彼の隣に腰を下ろした。「待ってろ」塔也さんは私と入れ違いで立ち上がり、キッチンに入っていった。氷を入れたグラスを一つ手に、戻ってくる。ドスッと勢いよく私の隣に座り、持ってきたグラスに琥珀色の液体を注いだ。「ん」と、私に差し出してくれる。「……ありがとうございます」私は両手で受け取って、グラスに口をつけた。一口、ゴクンと飲んで……。「ごほっ」喉が焼けるように熱くて思わず噎せ返った私に、塔也さんがブッと吹き出す。「お前、ウィスキー飲んだことないのか? 水みたいに飲むな。原液だぞ、これ」面白そうに肩を揺らす彼の隣で、私は何度か咳き込み――。「はああっ」一度大きく息を吐いて落ち着いてから、膝の上で両手で支えるように持ったグラスに目を落とした。「あの……ありがとうございました」ボソッとお礼を言った私に、塔也さんは無言で横目を流してくる。「あの人に会いたがったのは母だから。亡くなってるなら、どこの誰かも知らなくていいって思ってたけど……会えて、よかったです」あの人が……父が私をずっと欲しかった子だと言ってくれたことを思い出し、胸が締めつけられる。それと同時に、塔也さんの言葉も導かれてくる。『俺はお前を産んだ母親に感謝してるよ!!』――。「っ……」胸がきゅんと疼いて、鼓動を猛烈に昂らせるのに慌てて、勢いよく下を向く。塔也さんは、私があたふたするのを気にする様子はなく、短い相槌で返してきた。「悪かったな。二年前……亡くなった可能性が高いなんて嘘ついて」私がそっと視線を戻すと、グラスを持って口元に運んだ。一口含

  • あなたの子です。結婚してください   私の旦那様になって 4

    愕然として言葉を失う男性と私に、塔也さんは一人冷静に、この事態について説明し始めた。先ほども言っていた通り、JONAS OCEAN TRADINGは、二十七年前に二つの会社が合併して生まれた会社だ。その内の一社、貿易会社は男性の父親が社長を務めていた。当時、業績が低迷していて、この合併により倒産を免れたそうだ。貿易会社を救済する形の合併は、男性の政略結婚が条件だったと言う。塔也さんは、「政略結婚の事情については、私が知るところではありませんが」と前置いた上で、男性の日本への出入国記録を調べたと語った。男性は二十八年前に貿易会社の日本支社で働くために入国し、その一年後に出国、イギリスに帰国していた。「在英日本国大使館に申請されたビザはビジネス目的、期間は五年という記録が残っていました。ところが、たった一年で帰国……なにかよほどの事情があったと考えます。僭越ながら私の想像で言わせていただくと、その政略結婚が理由では?」ちらりと視線を向けて問われ、それまで凍りついたように固まっていた男性が目を伏せた。「……ええ、その通りです。私は、父の会社を救うために、五年間の日本勤務予定を短縮して、帰国しました」たどたどしく、言い回しを考えるように答える。「ですがあなたには、日本で結婚を約束した女性がいた」「…………」男性が、口を噤んだ。さっき塔也さんが、『お前の母親が最期まで会いたがっていた人』と言ったから。私と慧斗の正体を気にしてか、目線は揺れ、定まらない。塔也さんは両足に腕をのせて、身体を前に傾け――。「あなたの子供を身籠っていた女性を残し、帰国した。……そうですよね?」含めるように問われた男性が、わずかな逡巡の後、私の方にまっすぐ顔を向けた。俯いていた私も、視線を感じて身体を強張らせる。この人が、塔也さんの質問を肯定したら……。そこから芋づる式に引き摺り出される真実を予想して、私の心臓が早鐘のように打ち鳴る。男性の方も、激しく戸惑っている。だけど。「君は……エミの子なのか……?」半信半疑といった感じで口にしたのは、確かに私の母の名前だった。私は、意志とは関係なくカタカタと身体が震えるのを、慧斗をギュッと抱きしめて堪えようとした。「まー……?」慧斗も、穏やかとは言えない空気の中、不安そうに私を見上げている。私は返事をしていないのに、男性は沈黙を答えと受け取ったようだ。額に手を遣

  • あなたの子です。結婚してください   私の旦那様になって 3

    迎えた火曜日。私はどこに行くのか、なにをするのかも知らされないまま、退院したばかりの慧斗を抱いて、塔也さんの車の後部座席に座っている。「あの……本当に、どこに」車窓から見える街並みが、だんだんとオフィス街に変わっていくから、怯んで訊ねた。フラットを出る前、服装は普段着でいいと言われたし、なにより慧斗が一緒だ。普段着に子連れで来るには、一番そぐわない場所な気がするから、落ち着かない。塔也さんはまっすぐ前を向き、悠々とハンドルを操作しながら、「シティ」バックミラー越しに視線を投げ、答えてくれた。「シティ?」「お前、知らない? ロンドンで言う、日本の東京丸の内」私は日本の東京丸の内に行ったことはないけど、ビッグ都市東京でも有数のオフィス街だということは知っている。もちろん、二年前にも訪れた。「そこに、JONAS OCEAN TRADINGの本社ビルがある」目線をフロントガラスに戻して続けるのを聞いて、私の手がピクッと動いた。「……JONAS OCEAN TRADING?」彼の言葉を反芻すると、よくわからない警戒心がよぎる。一瞬、身体が強張ったのが伝わったのか、慧斗が膝の上から顔を上げた。「まーん、むむ」「あ、ごめんね。慧斗」よいしょと、こちらを向かせて抱え直して、ポンポンと背中を叩いてやる。「塔也さん。その会社に行くんですか? どうして慧斗も……」「見えてきた。あれ」改めて質問を重ねる私を、塔也さんはそんな言葉で阻んだ。ハンドルから離した右手で、前方に聳える巨大なオフィスビルを指さす。その仕草につられて、私は少しだけ身を乗り出した。「JONAS OCEAN TRADINGは、二十七年前に二つの会社が合併して生まれた、イギリス  最大の海運会社だ。……計算は合う」塔也さんは、私の気配を気にすることなく、淡々と説明してくれる。「計算……?」斜め後ろから彼の横顔に問いかけたけど、きゅっと唇を結んでしまい、それ以上は答えてくれなかった。それからほどなくして、JONAS OCEAN TRADINGの本社ビルに到着した。塔也さんはビルの駐車場に車を停めると、慧斗を抱えた私の背を押すようにしてビル内に進み、グランドエントランスの総合受付に立った。赤毛のふんわりロングウェーブヘアの受付嬢に、外交官の身分証を示す。「Take the lift on the right to the t

  • あなたの子です。結婚してください   私の旦那様になって 2

    その夜、塔也さんは午後八時に帰ってきた。私はちょうど、一人で夕食を終えた後だった。洗い物の手を止め、布巾で手を拭いてラウンジに戻る。「お帰りなさい」塔也さんは、ソファにスーツの上着を放り、ネクタイを緩めながら「ん」と応じた。いつもと変わらない様子の彼を前に、私は緊張を強めた。一夜明けて冷静になってみると、とんでもなく情けない最低なことを口走ってしまったと痛感していた。いろんな感情が飽和状態で、いっぱいいっぱいになっていたとは言え、私にとって一生ものの悔恨、贖罪。あれを聞いて、塔也さんがどう思ったか――知るのが怖いからこそ、もう一度ちゃんと謝らなければ。「あの、塔……」「どうだった?」「っ、え?」口を開いた途端質問を挟まれ、出鼻を挫かれてしまった。言葉に詰まった私を、塔也さんがちらりと見遣る。「子供」今朝は『慧斗』って呼んでくれたのに、また戻っちゃった……。私の錯覚だったのかとか、ただの気まぐれだったのかと、がっかりする。「あ、はい。……慧斗、元気でした」それでも私は、気を取り直して報告した。今朝、休日出勤する彼が、大使館に行くついでに、私を病院まで送ってくれた。小さなベッドが並ぶ病室に入ると、昨夜はあんなにぐったりしていた慧斗が、ぱっちり目を開けていた。私を見ると甘えて、『まー』と手を伸ばす、いつもと同じ反応。小さな手の温かさも変わらず、心の底からホッとしたことを思い出して、鼻の奥の方がツンとする。「そ」自分で聞いておいて、塔也さんの反応は薄い。「ドクターの話では、週明け火曜日には退院できるそうです。それで」私は思い切って一歩踏み出し、報告を続けた。「退院してすぐなので、慧斗の誕生日のお祝いは、また日を改めてってことに……」塔也さんじゃなく、自分自身が残念な提案に俯いた私を、「火曜……。……かな」彼は顎を撫でながら遮った。思案顔をして低めた声で、なにを言ったか聞き取れない。しかも、慧斗の誕生日は軽くスルーされた。でも真剣な表情だから、憤慨して食ってかかることも憚られる。私は、彼からわずかに視線を外し――。「あの、塔也さ……」無意味に服の裾を両手で引っ張り下げながら、昨夜のことを改めて謝ろうと、遠慮がちに呼びかけた。なのに。「午前中に、退院可能か?」塔也さんが私を斜めの角度から見上げ、話題を続ける。おかげで、またしても謝罪のタイミングを失った。「え? あ、大丈夫だと

  • あなたの子です。結婚してください   私の旦那様になって 1

    なにか、とても温かい音が聞こえる。とくんとくんとくん――。ゆったりと規則正しい、肌にも馴染む強いリズム。包み込まれるみたいで、心地いい。ああ、これは心音だ。この世に生を受ける前から、ずっとどこかで耳にしていた、優しくて穏やかで懐かしい――命の音。「ん……」全身を包む温もりをさらに求めて、モゾッと身体を動かした。頬に当たるなにかに、『もっともっと』というように自ら擦りつけた、その時。「……起きたか?」額の先から、低い声がした。「ん……え?」問われたことに素直に頷いた次の瞬間、寝起きで声をかけられるという状況が、あり得ないことに気付いた。一気に思考回路が働き始め、バチッと勢いよく目を開けて……。「おはよ」欠伸混じりのくぐもった挨拶に返す余裕もなく、私は身体をビキッと硬直させた。「? なんだよ、長閑」「なっ……なんで? なんでなんで!?」私は絶叫しながら上体を起こし、勢いよく飛び退いた。そして、「あ」という声を聞きながら、ドスンとベッドから落ちる。「痛っ!!」「バカか……なにやってんだよ」ベッドの下で尻もちをつき、顔をしかめる私に、塔也さんが呆れ顔で身を乗り出す。「!」バチッと目が合う前に、私はとっさに胸元を抱きしめた。それから、恐る恐る自分の身体を見下ろすと、頭上から「はあ」と溜め息が落ちてくる。「ヤってねえよ。少しは信じろ」チッと舌打ち混じりの言葉の通り、私はちゃんと服を着ていた。無意識にホッとしたものの――。「だ、だったら、なんで」顔を火照らせて言い返すと、塔也さんは忌々し気に顔を歪めて、寝乱れた髪をザッと掻き上げた。「昨夜、お前があのまま寝たから」「あのまま?」「抱きしめてる間に寝落ちとか。お前、慧斗よりよっぽど赤ん坊なんじゃないか?」「え? ……っ!!」意地悪な言葉に導かれ、昨夜の記憶が鮮明に蘇ってきた。火が噴く勢いでカアッと熱くなる頬を両手で押さえて、弾かれたように彼に背を向ける。「す、すみません。でも、だからって、どうして塔也さんのベッドに……」羞恥のあまり、まだブツブツと言い募る私に、塔也さんが深い溜め息をつく。「……別にいいだろ。面倒臭いから俺のベッドに運んだだけで、本当になにもしてないんだから」ムッと唇を曲げて、ベッドを軋ませて床に降り立つ。いきなり目の前に聳え立った彼に怯み、私はお尻を浮かせて後ろに逃げた。塔也さんは、私に肩越しの視線を落とし……。

  • あなたの子です。結婚してください   肩の荷下ろせよ 3

    フラットに帰り着いた時、時計の針は午後九時を回っていた。タクシーでの帰路の途中、水島から電話の着信があったので、俺はスマホを操作しながらワーキングルームに向かった。「……そうか。サンキュ。悪かったな、ほっぽって行って」報告を聞いて申し訳程度に謝ると、『ほんとですよ!』と憤慨された。耳にキンキンする声に、思わずスマホを耳から遠ざけた。『そ、それにっ! 子供が急病って。いったいどういう言い訳なんですか』「そのままだけど」『だから、子供って。どこの誰の子供……』「俺の」短く返すと、『は?』と惚けた声が聞こえる。俺はガシガシと頭を掻き……。「月曜、大使館で説明するよ。じゃ、悪かったな。気をつけて帰れよ」俺は、水島がまだなにか言ってくる途中でブチッと電話を切り、一度肩を動かして息を吐いた。電話を終えてラウンジに向かう。ドア口から、呆けたようにソファに座っている長閑の背中を見つけた。「…………」俺は無言でネクタイを解きながら、彼女の隣にドスッと腰を下ろした。その振動のせいか、長閑が我に返って顔を上げる。「あの、ごめ……」「何度も謝らなくていい」ほとんど反射的に言いかけた謝罪を、俺は途中で制した。長閑は俺の横顔をジッと見つめて、恐縮したように首を縮める。そして。「私……ママ失格です」聞いたことがないくらい弱々しい声を耳にして、俺は彼女を横目で見遣った。「せっかくの誕生日に、慧斗に辛い思いさせて……」グスッと鼻を鳴らす様を、視界の端に映す。「……子供にはよく見られる病気だと言われただろ。なにもお前が悪いわけじゃ」俺がかける言葉を探して口にする途中で、長閑は目を伏せてかぶりを振った。「私が、無責任なんです」やけに強く断言する彼女を、俺は怪訝な思いで見つめた。「母と同じ事情でママになっても。パパがいなくても、私は慧斗を可哀想になんかしない。塔也さんには偉そうに言ったけど……ほんとは、私」長閑は泣きそうに顔を歪めて、一度言葉を切り……。「生まれてしばらくの間……泣き出すと耳を塞いで逃げて、泣き疲れるのを待った。おっぱいもあげられないくらい、慧斗を受け入れられなくて」「え……?」「慧斗が機嫌のいい時だけ近寄る……。育児放棄とかネグレストとか……虐待スレスレの状態だったんです」ズッと洟を啜って、自分を落ち着かせようとしてか、ハッと浅い息を吐く。「ママになる自信、完全に失くしてました。やっぱ

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