All Chapters of 拝啓、あしながおじさん。 ~令和日本のジュディ・アボットより~: Chapter 31 - Chapter 40

260 Chapters

ナツ恋。 page2

「はいはい、分かった! 悪かったよ! でもあたし、アンタの髪いじるの楽しいんだ。だから、時々はアレンジさせてよね。だって、珠莉はイヤっしょ? あたしみたいな素人に髪いじられんの」 珠莉も少し茶色がかってはいるけれど、愛美に負けないくらいキレイなロングヘアーなのだ。さやかとしては、愛美と同じくらいいじり甲斐(がい)がありそうなのだけれど……。「ええ。私は行きつけのヘアサロンの美容師さんにしか、ヘアケアはお任せしませんの。私の髪はデリケートなのよ。素人が触ろうものなら、すぐに傷んでしまうわ」「……あっそ。だろうと思った」 当初は珠莉といがみ合っていたさやかも、もう二ヶ月もルームメイトをしていたらすっかり彼女の扱いに慣れたようだ。多少のイヤミや高飛車な態度くらいはスルーできるようになったらしい。「そういえば、もうじき夏休みですけど。お二人はご予定決まってらっしゃるの?」 珠莉がやたら得意げな顔で、二人に訊いてきた。これはもう、自慢話をする気満々だと、愛美にもさすがに分かる。「そういうアンタはとっくに決まってそうだね? 珠莉」「ええ。私はヴェネツィーアに行くんですのよー。ああ、今から楽しみだわー♪」「……ふーん。よかったね」 イタリアの都市ヴェネチアをイヤミったらしくイタリア語風に発音し、歌うように答えた珠莉を、さやかは鼻であしらった。「コレだからセレブは」とかなんとかブツブツ言っている。「さやかちゃんは?」「ああ、ウチは長瀞(ながとろ)でキャンプ。お父さんがキャンプ場の会員でね、毎年行ってんだ。あとは実家でまったり、かな」「へえ、キャンプか。いいなあ……」 愛美も実は、施設にいた頃に一度だけ、施設のイベントでキャンプをしたことがあるのだ。みんなで力を合わせて火をおこしたり、ゴハンを炊いたり、カレーを作ったり。すごく楽しかったことを覚えている。「愛美は? まだおじさまに相談してないの?」「うん……。もうそろそろ相談してみようかなーとは思ってるけど」 実は、つい数日前に〝あしながおじさん〟に手紙を出したばかり。その時には、夏休みをどうするか相談するのを忘れていた。(おじさまもお忙しいだろうし、あんまりしょっちゅう手紙出されても困っちゃうよね……)「最悪、寮に居残るのもアリかなーとも思ってたり」「ダメダメ! せっかくの夏休みなんだよ!?
last updateLast Updated : 2025-02-14
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ナツ恋。 page3

「――あ、ゴメン! 電話かかってきてるみたいだから、わたしは部屋に戻るね! じゃあまた後で、ゴハンの時にねっ」「あー、うん……」(電話? 誰からだろう?) 愛美は首を傾げた。〝あしながおじさん〟からこのスマホを持たされてもう二ヶ月になるけれど、電話をかけてくるような相手に心当たりがない。 大急ぎで自分の部屋に戻り、おそるおそるディスプレイを確かめると――。(コレ……、山梨の番号だ。もしかして……) そこに表示されているのは、〇(ゼロ)五(ゴ)で始まる電話番号。山梨の番号で、愛美に思い当たるのは一件しかない。「……もしもし? 相川ですけど」『愛美ちゃん? 私、〈わかば園〉の聡美です。分かる?』 通話ボタンをタップして応答すると、聞こえてきたのは懐かしい、穏やかな年配女性の声。「園長先生!? お久しぶりです! でも、どうしてこの番号ご存じなんですか?」『田中さんがね、あなたにスマホをプレゼントしたっておっしゃってたから、一度かけてみようかしらと思ってね。……あら、〝あしながおじさん〟だったかしら?』 フフフッ、と茶目っ気たっぷりに笑う園長に、愛美はバツが悪くなった。「ゴメンなさい、園長先生! わたし、勝手にあの人にあだ名つけちゃったんです。まさか園長先生までご存じだったなんて……」『あらあら、謝ることなんてないのよ。あの方ね、「面白いニックネームをつけてもらったんですよ」って嬉しそうにおっしゃってたんだから。「僕より愛美ちゃんの方がネーミングセンスいいですね」って』「そうなんですか……」 怒られる、と身構えていた愛美は、逆に褒められて嬉しいやら照れ臭いやら。(でもおじさま、怒ってないんだ。よかった) 思えば、彼女が一方的につけたニックネーム。返事がもらえないから、相手の反応すら分からなかった。怒らせていたらどうしようかと、内心ヒヤヒヤしていたのだけれど。『どう? 学校は楽しい?』「はい。すごく楽しいです。お友達もできましたし、寮生活も初めての経験が多くてワクワクしっぱなしで。――みんなは元気ですか?」 まだ〈わかば園〉を巣立って二ヶ月ほどしか経っていないのに、愛美は兄弟同然に育ってきた他の子供たちのその後が気になっていた。『ええ、みんな元気にしてますよ。あなたがいなくなって、最初のころは淋(さみ)しがる子もいたけど、今はもう
last updateLast Updated : 2025-02-14
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ナツ恋。 page4

『そうなの? だったら愛美ちゃん、ここに帰ってこない?』「……えっ?」『夏休みの間の里帰りってことで、ね? 前みたいに小さい子たちの面倒見たり、施設のお仕事を手伝ってくれたらいいわ。大した金額じゃないけど、アルバイト代は出すから』「……そんな」 愛美は困ってしまった。せっかくの厚意なので、甘えたい気持ちはある。 けれど、あの施設の経営が苦しいことは、愛美がよく知っている。バイト代を出す余裕なんてないはずなのに……。そんな口実がないと帰れない場所なんだと思うと、何だかやるせなかった。「園長先生、ホントはそんな余裕ないんですよね? だったら、見栄はらないで下さい。わたしはもう、そこに帰る資格なんてないんです。せっかくのご厚意ですけど、ゴメンなさい」『…………そうよね。私の方こそ、あなたの気持ちも考えないで差し出がましいことしてゴメンなさいね。夏休みの過ごし方については、田中さんにご相談してお任せした方がいいわね。おせっかいを許してね』 少し言い方がキツすぎたかな、と愛美は反省したけれど。逆に園長に謝られ、心がチクリと痛んだ。「そんな、おせっかいだなんて! 電話下さって嬉しかったです。ありがとうございました。それじゃ、失礼します」 電話を切った愛美は、ベッドにバタンとひっくり返った。園長の厚意を断った今、夏休みの予定を相談する相手はもう一人しかいない。「こういう時こそ、あしながおじさんに相談しよう!」 愛美は着替えを済ませると、急いで机に向かった。****『拝啓、あしながおじさん。 お元気ですか? わたしは今日も元気です。 実は先ほど、〈わかば園〉の聡美園長からお電話を頂きました。『夏休みの予定が決まってないなら、アルバイトとして施設に帰ってこない?』って。 わたしはあの施設の経営状態をよく知ってます。それなのに、バイト代につられてのこのこ帰るなんてできません。 あの施設がキライだったわけじゃないですけど、そんな口実で帰るしかないなんて哀しいです。 他にいい過ごし方があれば、園長先生も安心されるんじゃないかな、と思うんですけど。おじさま、わたしはどうしたらいいでしょうか? お返事、お待ちしてます。            六月七日        愛美』**** ――その四日後。午前中の授業を終えて寮に戻ってきた愛美が郵便受けを覗
last updateLast Updated : 2025-02-14
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ナツ恋。 page5

****『拝啓、あしながおじさん。 おじさまはとてもいい人ですね! 信州(しんしゅう)の高原へのお誘い、本当に嬉しかったです。ありがとうございます! 〈わかば園〉にアルバイトとして帰るのは、わたしには切なすぎました。卒業した後まで、あそこに迷惑をかけたくありませんでしたから。 レポート用紙にシャーペン書きでゴメンなさい。実は今、英語の授業中なんです。いつ先生に当てられるか分からないので、近況はパス。 ――』****「――では、相川さん」「はっ、ハイっ!」 英語担当の女性教師に指名された愛美は、レポート用紙に一言書き記してから慌てて姿勢を正した。****『あっ、今当てられました!』****「この一文の助動詞〈should(シュッド)〉は、どう訳すのが適切か分かりますか?」「えっと……、『~(なになに)すべきである』……でしょうか」 ちゃんと授業は耳に入っていたので、答えることはできたけれど。「正解です。でも、授業はちゃんと集中して聞きましょうね」「……はい。すみません」 集中して聞いていなかったことを注意され、愛美は顔から火を噴(ふ)いた。****『先生の質問にはちゃんと答えられましたけど、注意されちゃいました。 では、これで失礼します。              愛美』**** ――五限目と六限目の間の休憩時間に、愛美はレポート用紙に書いたお礼状を封筒に入れておいた。「――で? あの手紙、一体なんて書いてあったのよ?」 六限目までの授業が全て終わり、寮に帰る途中でさやかが愛美に訊いた。もちろん珠莉も一緒である。「あのね、おじさまの知り合いが信州の高原で農園とかやってるんだって。だから、夏休みはそこで過ごしたらどうか、って。もう根回しは済んでるらしいよ」「へえ、そうなんだ。よかったね、やっと行くとこができて」「うん!」「信州っていうと……、長(なが)野(の)か新潟(にいがた)あたりかしら?」「うん、長野らしいけど。……珠莉ちゃん、もしかしてその場所に心当たりあるの?」 突然口をはさんできた珠莉に、愛美は何か引っかかった。 彼女はずっと、愛美には興味がないと思っていたけれど。愛美が純也と関わってから、急に愛美にご執(しゅう)心(しん)らしい。「……いいえ、何でもないわ」 けれど、何か言いかけた珠莉はす
last updateLast Updated : 2025-02-14
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ナツ恋。 page6

    * * * * ――そして、七月の半ば。「さぁて、期末テストも無事終わったことだし。夏休みに向けての荷作り始めようかな」「そうだねー。今回はあたしも珠莉も成績まずまずだったし」 ちなみに、愛美は今回も十位以内。珠莉が五十位以内、さやかも七十位以内には入った。「はー、私もこれでやっとお父さまとお母さまに顔向けができますわ」 ホッとしたように珠莉が呟けば。「それ言ったら、あたしもだよ。中間の時ボロボロだったからさあ、お母さんに電話で泣かれちゃって大変だったよー」 珠莉よりも順位が下だったさやかも、うんうん、と同調した。「今回も成績悪かったら、夏休みも補習ばっかりで楽しめなかったもんねー」 愛美がしみじみと言う。……まあ、彼女にそんな心配はなかっただろうけれど。 初めての恋を知ってから、愛美は時々妄想がジャマをして勉強に集中できなくなっていた。それでもこの好成績だったのは奇跡的である。「――にしたって、アンタの部屋も荷物増えたねえ……。特に本が」 さやかが愛美の部屋の本棚を見て、感心した。 ちなみに、さやかと珠莉の部屋の本棚の蔵書は二人分を合わせても、この本棚の三分の二か四分の三くらいだろう。 愛美の部屋にある作りつけの本棚には教科書や参考書のほか、小説の単行本や文庫本・雑誌類がビッシリ入っている。 まだ入学して三ヶ月でのこの増えようからして、彼女がかなりの読書家だということが窺(うかが)える。「えへへっ。古本屋さんでコツコツ買い集めたの。新書もあるけどね」「ほぇー……。大したモンだわこりゃ。っていうか、『あしながおじさん』率高くない?」 さやかが目ざとく指摘する。 本棚にはもちろん、他の本もたくさん並んでいるのだけれど。『あしながおじさん』のタイトルだけで十数冊もあるのだ。これはこの本棚の蔵書の中でもっとも多い。「うん。小さい頃からこの本好きなんだよねー。よく見て、さやかちゃん。翻訳してる人、全部違うでしょ? 一冊一冊、文体が違うの。読み比べするのも面白いんだ」 愛美はその中でも一番のお気に入りを一冊手に取った。「コレね、施設にいた頃からずっと読んでたの。もう表紙とかボロボロなんだけど。で、コレを読みながら、わたしの境遇をこの本のジュディと重ねてたんだよね」 でも、と愛美は続ける。「現代の日本に生きてるわたし
last updateLast Updated : 2025-02-14
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ナツ恋。 page7

「――あとね、洋服とか靴とかも増えたの。先々月のお小遣いで買いまくっちゃって。……で、金欠に」 愛美はえへへ、と笑った。 横浜といえば「オシャレの街(まち)」である。可愛い洋服や靴、バッグなどのショップも多い。 山梨時代にはこんなにオシャレなショップに入ったことがなかった彼女は、すっかりテンションが上がってしまって思わず爆(ばく)買(が)いしてしまったのだ。 そして、こういう服や靴はたいてい値(ね)が張る。本を買い漁(あさ)った分の金額も合わせると、三万円以上があっという間に消えてしまったのだ。「アンタ、買いすぎだよ。服とか買うなら、もっと安く買えるお店あるんだし。ファストブランドとかさ」「へえ……、そうなの? じゃあ、次からそうしてみる」 ――話し込んでいると、荷作りがちっとも進まない。「ねえねえ愛美。荷物、一ヶ月分でしょ? スーツケース一個で入るの?」「う~ん、どうだろ? 一応、スポーツバッグもあるけど」 入学して三ヶ月でここまで増えてしまった洋服類と本を前に、愛美は唸(うな)った。 もちろん、全部持っていくわけではないけれど。一ヶ月分となると、荷物も相当な量になるはずだ。本はお気に入りの分だけ持っていくとして、服はどれだけ詰めたらいいのか愛美には目安が分からない。「じゃあさ、スーツケースとスポーツバッグに入らない分は箱に入れよう。あたしと珠莉とでいらない段ボール箱もらってくるから。――珠莉、晴美さんのとこ行くよ」「ええ!? どうして私まで――」「あたし一人じゃムリに決まってんでしょ!? アンタもちょっとは手伝いなよ!」 手伝わされることが不満そうな珠莉を、さやかがピシャリと一喝(いっかつ)した。「…………分かりましたわよ。手伝えばいいんでしょう、手伝えばっ」 プライドの高いお嬢さまも、さやかにかかれば形無しである。渋々だけれど、彼女についていった。 ――数分後。さやかが二つ、珠莉が一つ段ボール箱を抱えて愛美の部屋に戻ってきた。「愛美、お待たせ! これだけあったら足りるでしょ」「まったく、感謝してほしいものですわ。この私に、こんな手伝いをさせたんですから」(珠莉ちゃんってば! 〝手伝い〟ったって、段ボール箱一コ運んできただけじゃん) 珠莉の態度は恩着せがましく、愛美もさすがにカチンとはきたけれど。ここは素直に感謝すべ
last updateLast Updated : 2025-02-14
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ナツ恋。 page8

****『拝啓、あしながおじさん。 お元気ですか? わたしは今日も元気です。 一学期の期末テスト、無事に終わりました。わたしは今回も学年で十位以内に入ることができましたよ。喜んでくれるといいな。 もうすぐ楽しみな夏休み。しかも、高原の農園で過ごす一ヶ月間! すごくワクワクしてます。 畑や田んぼは山梨の施設にいた頃、毎日のように見てきましたけど。実際に農場で生活するのは初めてです。すごく楽しそう! この夏はのびのび過ごして構わないんですよね? 誰に遠慮することなく?おじさまだって、わざわざわたしの生活態度を千藤(せんどう)さんご夫妻に監督させたりしないでしょう? だって、わたしはもう高校生なんだから! では、おじさま。これから荷作りがあるので、これで失礼します。 夏休み、思いっきり楽しんで、いろいろ学んできますね。 かしこ           七月十七日   夏休み前でワクワクしている愛美』**** ――その後、無事に荷作りも完了し。それから四日後。「じゃあねー、愛美! また二学期に! 夏休み、楽しんでおいでよ!」 寮に居残る生徒以外はみんな、それぞれの行き先へと向かって校門を出ていく。 さやかは学校の最寄り駅までは愛美と一緒だったけれど、駅からは行き先が違うのでそこで別れた。――ちなみに、珠莉は今ごろ、とっくに成(なり)田(た)空港に着いているだろう。実家所有の黒塗りリムジンが迎えに来ていたから。「うん! ありがと! さやかちゃんもいい夏休み送ってね!」「サンキュ! 夏の間にメールかメッセージ送るよ」「うん、楽しみにしてる! じゃあ、バイバ~イ!」 ――さやかは埼玉方面に向かうホームへ。愛美はここから地下鉄で新横浜まで出る。そこから東京まで出て、そして――。「東(とう)京(きょう)駅からは、北陸(ほくりく)新幹線か。おじさま、新幹線の切符まで送ってくれてる」 新幹線に乗るまでの交通費はお小遣いで何とかなるけれど、新幹線の切符代はさすがに高い。高校生が自腹を切るのはかなり痛い。(自分が行くように勧めたんだから、新幹線の切符くらいは自分で負担してあげようって思ったのかな? おじさまって律(りち)儀(ぎ)な人) 愛美は切符を見つめながら、フフフッと笑った。 ――「東京駅は乗り換えのためだけ」という、他の人が見ればもったいな
last updateLast Updated : 2025-02-14
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ナツ恋。 page9

「……あの、千藤さんですか? わたし、今日から夏の間お世話になる相川愛美ですけど」「ああ、君が! 千藤です。田中さんから話は伺(うかが)ってますよ。さ、後ろに乗って! 母さん、荷物を乗せるの手伝ってくれ!」 千藤さんが助手席に乗っている女性に声をかけた。夫婦ともに、六十代後半だと思われる。「はいはい。ちょっと待ってね」 千藤夫人――名前は〝多恵(たえ)さん〟というらしい――に手伝ってもらい、愛美はスーツケースと段ボール箱三つ分の荷物をライトバンのトランクに積み込み、自分はスポーツバッグだけを抱えて後部座席に乗り込んだ。「――さっきはありがとうございました。改めて、相川愛美です。今日から一ヶ月間よろしくお願いします」「愛美ちゃんね? こちらこそよろしく。あなたには一ヶ月間、農園のこととか色々覚えてもらうから。お手伝いお願いね」「はいっ! 頑張ります!」 多恵さんの言葉に、愛美は元気よく返事をした。 これは社交辞令なんかではなく、彼女は本当に張り切っているのだ。誰だって、初めてのことを覚える時はワクワクドキドキする。 さすがに横浜に住んで三ヶ月半も経つので、都会での暮らしやスマホの使い方には慣れてきたけれど。農園での生活や農作業は初めての経験なので、どんなことをするのか楽しみなのである。「いやぁ、『横浜のお嬢さま学校に通ってる女子高生を一ヶ月預かってほしい』って田中さんに頼まれた時は、どんなに気取ったお嬢さんが来るのかと思ったけど。愛美ちゃんは全然気取ってないからホッとしたよ」「そうなんですか? わたし、全然お嬢さまなんかじゃないですもん。育ったのは山梨の養護施設ですよ」「養護施設? ――じゃあ、ご両親は……」 多恵さんが表情を曇らせたので、愛美は努めて明るく答えた。「わたしが幼い頃に、事故で亡くなったって聞かされてますけど。でも、それを悲観したことなんかないですから。ちゃんと人並みに育ててもらって、義務教育を卒業できたから」 それに、両親が亡くなる前に自分に精いっぱいの愛情を注いでくれていたことも分かっているから。「それに、今じゃいい高校に入学させてもらえたし、いいお友達にも恵まれましたし。わたしは幸せ者です」 それもこれも、全て〝あしながおじさん〟のおかげだ。愛美は彼に、どの瞬間も感謝の念を抱いている。(あと、この夏、ステキな
last updateLast Updated : 2025-02-14
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ナツ恋。 page10

「ここは元々、〈辺唐院グループ〉の持ち物で、純也坊(ぼ)っちゃんの別荘だったのよ」「えっ、純也さんの!?」 多恵さんの口から思いがけない名前が飛び出し、愛美は目を丸くした。「ええ、そうだけど。愛美ちゃん、純也坊っちゃんのことご存じなの?」「はい。五月に一度、学校を訪ねて来られたことがあって。わたしがその時、姪の珠莉ちゃんに代わって校内を案内して差し上げたんです」 愛美は純也と知り合った経緯を多恵に話した。――ただし、実はその時から彼に恋をしている、という事実は伏せて。「そうだったの。――私は昔、あの家で家政婦をやっててね。そのご縁で、私が家政婦を引退した時に坊っちゃんが私にこの家と土地を寄(き)贈(ぞう)して下さって。それでウチの人とここで農園を始めたのよ」(ここがまさか、純也さんの持ち物だったなんて。……あれ? じゃあ、おじさまはどうやってここのこと知ったんだろう?) 愛美は首を傾げる。〝あしながおじさん〟――つまり田中太郎氏と純也は知り合いということだろうか? もしくは、秘書の久留島栄吉氏と。(……あれ? ちょっと待って。確か『あしながおじさん』では――) あの小説では、〝あしながおじさん〟=(イコール)ジュリアの叔父ジャーヴィスだったはず。でも、まさか純也が〝あしながおじさん〟だなんて! あまりにもありきたりな展開だ。「あり得ない」と、愛美の頭の中でもう一人の愛美が言っているような気がする。(……まあいいや。おじさまに直接手紙で確かめよう)「――愛美ちゃん、荷物を部屋まで運ぼう。車から降ろすから、手伝っておくれ」 考えごとをしていると、千藤さんが愛美を呼んだ。「はいっ!」 愛美の荷物なのだから、千藤さんに手伝ってもらうのはいいとしても、愛美が彼を手伝うのはお門(かど)違いだ。「ヨイショっと。――先に荷物だけ送っといてもらってもよかったんだけどね」「ありがとうございます。すみません。なんか、先に荷物だけ届いてもご迷惑かな、と思ったんで。……っていうか、そもそも思いつかなくて」 本が詰め込まれた重い箱を持ち上げた千藤さんを手伝いながら、愛美は「その手があったか」と目からウロコだった。「いやぁ、迷惑なんてとんでもない。本人が後から来るんだったら同じことだよ。……や、ありがとうね」 多恵さんにも手伝ってもらい、三人でどうにか全
last updateLast Updated : 2025-02-14
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ナツ恋。 page11

「――天野さんって、いつからここで働いてらっしゃるんですか?」「んー、もう三年になるかな。親父さんもおかみさんもいい人でさ、居心地いいんだよな。ちなみにオレ、下の名前は〝恵介(けいすけ)ってんだ」 ちなみに、年齢は二十三歳だという。「ここが、愛美ちゃんの部屋だ。眺めは最高だし、ここは何て言っても星空がキレイなんだ」「へえ……。わ、ホントだ! すごくいい眺め」 窓から見渡せる限り山・山・山。とにかく自然が多い。それに、冷房もついていないのに涼しい。 山梨の山間部で育った愛美には、確かに居心地がよさそうな環境である。「もうちょっと中心部まで行けば観光地で、店もいっぱいあるし。冬はスキー客で賑(にぎ)わうんだけど、夏場はホタルを見に来る人くらいかな」「ホタル? 近くで見られるんですか? ロマンチック……」「うん。オレも夏になったら、よく彼女と見に行くんだ」「彼女……いらっしゃるんですか?」 愛美がギョッとしたのに気づいた天野さんは、ちょっと気まずそうにプイっと横を向いた。「あー……、うん。ここで一緒に働いてる、平川(ひらかわ)佳(か)織(おり)っていうコ。――まあいいじゃん、その話は。荷物置いとくから、適当に片付けて。じゃ、オレはまだ畑での仕事残ってっから」「あ、はい。ありがとうございました」 ぶっきらぼうに言い置いて、愛美の部屋を出ていく天野さん。(もしかして、照れてる……?) 愛美は彼の態度の理由をそう推測した。見かけによらず、シャイな青年なのかもしれない。「――さて、と。荷物片づける前に」 愛美はスポーツバッグから、レターパッドとペンケースを取り出し、部屋の窓際にあるアンティークの机に向かった。「あしながおじさんに、『無事に着きました』って報告しよう。あと、さっきのことも確かめないとね」 レターパッドの表紙をめくり、そのページにペンを走らせる。
last updateLast Updated : 2025-02-14
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