All Chapters of 夫の元カノが帰国!妊娠隠して離婚を決意した私: Chapter 671 - Chapter 680

699 Chapters

第671話

若子は蘭の後半の言葉には耳を貸さなかった。ただ一つ気になったのは、蘭が言った「自分は両親の実の娘ではない」という衝撃的な一言だった。 「やめて!」若子は男に向かって叫んだ。 男はその言葉を聞くと、振り上げた足を止め、そのまま足を下ろした。 だが、内心では少し苛立っていた。この立場では自分が「誘拐犯」で、若子は「人質」のはずなのに、なぜ彼女の命令を聞いてしまうのか?こんなことでは品格に傷がついてしまう、と不満を覚えた。 「まあいいさ、聞いてやるよ」男は肩をすくめた。「女相手に大人気なく振る舞うのもね、僕らしくないし」 お姉さんの言うことなら、素直に聞くさ。 それでも、どこか納得いかない様子で呟きながら、若子の指示に従った。 若子はすぐさま蘭に向かって問い詰めた。「あなた、私が両親の実の娘じゃないって?そんなこと、どうして信じられるの?あなたが焦って、でっち上げた嘘でしょ?証拠もないくせに」 蘭は震えた声で返した。「証拠なんていらないわ。事実なんだから!もし信じられないなら、私とDNA鑑定をすればいいじゃない。それで分かるわ。もしあんたが私の兄の娘なら、私たちは血縁がある。でも、そうでなければDNA鑑定ですぐ分かることよ!」 そのとき、蘭の目に何かの閃きが宿った。これが自分の命を長引かせる手段になるかもしれないと気づいたのだ。若子がDNA鑑定を望むなら、その間は生き延びられる可能性がある。 「いやはや、ずる賢いねえ」男が皮肉っぽく笑った。「時間を稼ぎたいだけだろ?」 蘭は男を見て、まるで幽霊を見たかのように怯えながら答えた。「若子が証拠を求めているから、それを提供しようとしてるだけよ!」 男は若子の方に向き直り、興味深げに尋ねた。「どうする?本当に彼女とDNA鑑定をするつもり?」 若子は迷いの中に沈んだ。確かに、DNA鑑定をすれば真実が分かるだろう。彼女も知りたい気持ちはあった。だが、同時に心のどこかで、ある程度の答えはもう出ているような気もしていた。 若子の両親はどちらも一重まぶた。それなのに、自分は二重まぶただった。 幼い頃、そのことを不思議に思い、両親に尋ねたことがある。 「お父さんとお母さんは一重なのに、どうして私は二重なの?」 そのとき両親は優しく答えた。「一重の親からも二重の子どもが生まれる
Read more

第672話

幼い頃から、両親は彼女を心から愛し、守ってくれた。どんな瞬間でも、彼女が彼らの実の娘ではないような兆候は一切なかった。 それなのに、両親が亡くなった何年も後に、蘭が突然告げたのだ―彼女は実の娘ではない、と。 その衝撃的な事実は、若子の心に深く突き刺さった。もし両親が本当の親でないのなら、彼女の実の両親は誰なのか?まだ生きているのだろうか? 若子は男に視線を向けて言った。「でも、私と蘭でDNA鑑定なんてできないでしょう。私たち、あなたに閉じ込められてるんだから」 「つまり、鑑定はしたいってこと?」男が問い返す。 若子は少し頷き、「ええ、そうよ」と答えた。 男は口元を歪めて笑った。「じゃあ僕が君たちを解放して、DNA鑑定をさせてやるべきってことかな?」 若子はため息をつき、うなだれた。その無力な様子を見て、男の目が怪しく輝いた。「もし君が僕に頼むなら、もしかしたら考えてもいいかもね」 若子は眉をひそめ、慎重に問いかけた。「あなたに頼めって言うの?本当に?」 「そうだよ。僕はね、人にお願いされるのが大好きなんだ。頼んでみなよ」男の声には子どもが欲しいものをねだるような期待感がにじんでいた。彼の黒いマスクの向こうに表情は見えなかったが、その声だけで彼の愉悦が伝わってきた。 だが、男のその期待に満ちた態度を見た瞬間、若子は逆に彼に頼む気を失った。この男は言葉に責任を持たない。たとえ頼んでも、何の意味もないだろう。 若子が黙り込むと、男は苛立ったように眉をひそめて言った。「頼んでみろよ。ほら、早く!」 「嫌よ。あなたには頼まないわ」 「頼まない?じゃあ、どうやって彼女とDNA鑑定をするつもり?」 「しない。それでいいわ」若子は冷静に答えた。「私の両親はもう亡くなったわ。彼らが私の実の親であるかどうかなんて関係ない。彼らは私を育ててくれた。それだけで十分、私の親よ」 「へえ、そういう考え方をするんだね?」男は静かに笑った。「それでも君は、自分の実の両親が誰なのか気にならない?」 若子は一瞬驚いたように顔を上げ、沈黙した。男はその反応を見て、さらに笑みを深めた。 「ほら、気になってきたんじゃないか。僕も気になってきたよ」男は振り返り、蘭に向かって尋ねた。「ねえ、君。彼女の実の両親について何か知ってる?」 蘭は喉
Read more

第673話

「......」 しばらく沈黙が続いた。 「ここでこんなに話し込んで、つい忘れてたよ。おっと、大事な用事があったんだった。君の旦那さんに住所を送らないとね。彼、もう待ちくたびれてるだろうね」 男はスマートフォンを取り出し、画面を操作し始めた。 若子は無力に目を閉じた。彼が彼女を解放する気などさらさらないことは分かりきっていた。どれだけ頼もうと無駄だった。 男はスマートフォンで何かを入力した後、ポケットにしまい込んだ。そして、突然蘭に近づき、彼女をしっかりと縛り上げると、そのまま持ち上げた。 「どこに連れて行くの!?」蘭は怯えた声を上げた。 「黙れ!」男は不機嫌そうに吐き捨てる。 蘭は本能的に暴れたが、男は苛立った様子で彼女の後頭部を力いっぱい殴りつけた。 「ドサッ」と鈍い音が響き、蘭はそのまま意識を失った。 男は彼女の片足を掴み、そのまま床を引きずるようにして部屋の外へ連れ出した。 若子には、彼が蘭をどこへ連れて行くのか見当もつかなかった。ただ、数分後には物音も聞こえなくなり、再び静寂が訪れた。 ...... 鋭いブレーキ音が、広大な廃墟のような場所に響き渡った。車のタイヤが地面をこすり、乾いた土ぼこりを巻き上げた。 車のドアが開き、修が車から飛び出した。目の前に広がっていたのは、草が生い茂る荒れ果てた工場跡だった。 その建物の中に若子がいると思うと、修の呼吸は一気に荒くなり、胸の鼓動が激しくなる。彼は中に駆け込もうとしたが、再び鋭いブレーキ音が背後で響いた。 修が振り返ると、真っ赤なスポーツカーが彼の車の横に停まった。ドアが開き、車から降りてきた人物を見た瞬間、修の表情が険しく変わった。 車から降りてきたのは、西也だった。 西也は大股で修の方に近づいてくると、不機嫌そうに口を開いた。「藤沢、なんでお前がここにいるんだ?」 修は冷たい表情を浮かべながら答えた。「俺がここにいる理由だと?それを言うなら、お前こそどうしてここにいるんだ?それに、誘拐犯から電話が来たらお互いに情報を共有するって約束だったよな?なのに、お前は何も知らせてこなかった。英雄気取りで一人で若子を助けるつもりだったのか?」 西也は拳を握り締め、低い声で言い返した。「お前だって何も教えなかったじゃないか。だから、ここにいる
Read more

第674話

「君、僕の話を訂正しようとしてるのか?」男の声が、不機嫌そうに響いた。「僕はね、人に訂正されるのが大嫌いなんだよ。なぜって?僕が言うことはいつだって正しいからさ」 西也は反論しようとしたが、それより早く修が振り返り、低い声で言った。「やめろ。若子はまだ奴の手の中にいる。少しは落ち着け」 「お前......!」西也は悔しさに歯を食いしばったが、内心で納得せざるを得なかった。ここで修と喧嘩すれば、修の言葉が正しいと証明するだけだ。それに気づいた彼は、ぐっと堪えて怒りを飲み込んだ。 仕方なく西也は視線を音響に向け、その上についているマイクに話しかけた。「若子はどこだ?」 「タブレットを開けてみなよ」 修はすぐさまタブレットを操作し、画面の再生ボタンを押した。画面に映し出されたのは、柱に縛られた若子の姿だった。彼女の周囲には血が飛び散り、地面に赤黒い跡が広がっている。 その映像を見た瞬間、二人の男の表情が一気に険しくなった。 西也は怒りを露わにしながら叫んだ。「このクソ野郎!彼女に何をしたんだ!」 「何って?」男の声は冷静そのもので、淡々としていた。「君たちが見た通りだよ。それ以上でも以下でもない」 その落ち着いた声と西也の怒声との対比は、ますます二人を苛立たせた。 西也は拳を握り締めながら、深呼吸をして必死に怒りを抑えた。そして、言葉を絞り出すように言った。「ゲームがしたいんだろ?お前の言う通りにしてやるから、俺が相手になる。だから、若子を解放しろ」 「いや、やっぱりゲームはいいかな」男は気まぐれな口調で言った。「ただ君たちが、君たちの大事な女性をこんなふうに見るのも悪くないなと思ってね。それだけで十分楽しめそうだ」 「この狂人め......!」修は歯ぎしりしながら呟いた。 「僕が狂人だってことを分かっているなら、驚く必要もないだろう?」男は面白がるように続けた。「それより、どうだい?少し座って僕とお喋りでもしようか」 西也は苛立ちながら問い詰めた。「何が目的だ?お前は一体何を求めてる?」 「お喋りだって言っただろう?」男は飄々と答えた。「だからさ、みんな仲良く冷静に、少し話をしようよ。僕がいい気分になれば、若子を解放してあげるかもしれないしね」 修は視線を鋭く向け、「じゃあ、何を話したいんだ?」と尋ねた。
Read more

第675話

若子の顎が男の大きな手に掴まれ、無理やり顔を上げさせられた。次の瞬間、男はスマートフォンを取り出し、それを若子の目の前に突きつけた。 「見えるかい?あの二人の男が君を助けに来たよ」 若子は画面の中に映る修と西也の姿を見て、一瞬怯えたように目を見開いた。「あなた、何をするつもりなの?」 「いい質問だね」男は楽しげに笑った。「僕が知りたいのは、あの二人のどちらが君にとって大事なのか、ってことさ」 「どっちも大事じゃないわ」若子は冷たく答えた。 「ほう、そうかい?」男はさらに口角を上げて笑った。「それなら、二人とも殺してしまおうかな。僕がここに仕掛けた罠を作動させれば、ボタン一つで二人の頭を打ち抜けるんだ」 「やめて!」若子は慌てて叫んだ。「私はもうあなたの手の中にいるでしょう?それ以上、何が必要なの?」 「ずいぶん取り乱してるじゃないか」男は揶揄するように言った。「君、さっき自分で言ったよね。『どっちも大事じゃない』って。重要じゃない人間を、どうしてそんなに気にするんだい?」 「お願いだから、何が目的なのか教えて。何がしたいの?」若子は声を震わせながら懇願した。 「言っただろう?」男はからかうような声で続けた。「僕が知りたいのは、君にとってどちらが大事か、ということ。片や君が深く愛した元夫、片や今の夫。君は今の夫を愛しているのかな?」 若子は目を閉じ、やるせなさそうに俯いた。「お願いだから、彼らを傷つけないで」 「本当に君は面倒な人だね」男は彼女の顎から手を離し、腰に手を当てながら大げさにため息をついた。「どちらが大事か一つも選べないなんて、君の決断力には問題があるね。 じゃあこうしよう」男はポケットから再びスマートフォンを取り出し、操作を始めた。「僕が代わりに選んであげるよ。二人とも死ぬ、ってね」 男はスマートフォンの画面を若子に向けて見せた。「ほら、ここにボタンが三つあるんだ。一番下のボタンを押せば、弾丸が二つ発射されるようになってる」 「やめて!」若子は震えながら叫んだ。「お願いだから、そんなことしないで!」 「でも君は選ぼうとしないじゃないか」男は肩をすくめて言った。 「どうやって選べっていうのよ!」若子は声を荒げた。 「簡単だよ。片方は元夫、もう片方は今の夫。そんなに難しいことかい?それとも、
Read more

第676話

「怪我をした方はどうなるの?」若子は震える声で尋ねた。 「怪我してる人間を、わざわざ殺す必要なんてないだろう?」男は軽い調子で言った。 再びスマートフォンを手に取った男は、若子に画面を向けて見せた。「ほら、左のボタンが藤沢修、右のボタンが遠藤西也、そして一番下のボタンは二人とも死ぬボタンだよ。さて、どれを押そうか。片方を怪我させるのか、それとも両方を殺すのか、君が決めな」 「お願い、選べないわ!」若子は泣きそうな声で懇願した。「二人とも怪我なんてしてほしくないし、死なせるなんて絶対嫌。だから、お願いだから、彼らを解放して。私がどんなゲームに付き合ってもいいから!」 「10秒だけやるよ」男の声に苛立ちが混ざり始めた。「それで選べなければ、二人とも死ぬ。それでいいね?」 男はカウントダウンを始めた。「10、9......」 若子は焦って尋ねた。「怪我をするって、どのくらいの怪我なの?」 「8、7、6......」 「答えて!答えてくれなきゃ選べないじゃない!」 「5、4......」 「お願い!やめて!」若子は涙声で叫んだ。 「3、2、1......」 「修!」若子は衝動的に叫んだ。「修を選ぶ!」 その言葉を聞いた男の口元に、意味深な笑みが浮かんだ。「藤沢を選ぶ、ね?つまり、遠藤が怪我をする方がいいってこと?」 そう言いながら、男は右のボタンに指を伸ばした。 「違う!違うの!」若子は震える唇をかみしめながら、涙を溜めた目で男を見つめた。「私が言いたかったのは、修が......怪我をするってこと」 若子の言葉が終わると同時に、男は無情にもスマートフォンのボタンを押した。 一方、修と西也は廃墟を隅々まで探していたが、若子の姿は見つからなかった。 「若子!どこにいるんだ!」西也は声を張り上げた。 「やめろ、無駄だ」修が冷静に言った。「ここにはいない。叫んでも意味がない」 「じゃあ、どうするって言うんだ!」西也は怒りに満ちた声で反論した。「役に立つことを言え!さもなくば黙っていろ!」 「はっ」修は冷たい笑みを浮かべた。「西也、覚えてるか?あの日、レストランで言ったことを。どうやら、あの時の俺の言葉が正しかったみたいだな。お前は若子に守られることでしか生きられない。だけど、お前自身は何の役にも立た
Read more

第677話

「そんなはずはない......嘘だ!」修はかすれた声で必死に言葉を絞り出した。「若子が俺を傷つけるなんて、そんなことあるわけない。彼女がそんなことするわけがない!」 「嘘だと思う?それなら君に見せてあげよう」 突然、壁に投影が映し出された。 「修を選ぶ!」 映像の中で若子が苦しげに言ったその姿が、はっきりと映し出された。 続いて、誘拐犯の声が響いた。「藤沢を選ぶ、ね?つまり、遠藤が怪我をする方がいいってこと?」 映像の中で男は右側のボタンに手を伸ばす。若子がすぐに反論する。 「違う、違うの!」彼女は震えながら涙を浮かべて続けた。「私が言いたかったのは、修が......怪我をするってこと」 映像がそこで終わり、投影が消えた。壁には何も残らず、ぼんやりとした影だけが残っていた。 修はその場に仰向けに倒れ込み、呆然と天井を見つめた。目は虚ろで、全身から力が抜けていく。まるで魂が抜け落ちたかのように、彼はもう動くことすらできなかった。 そんなはずはない。若子がこんなことをするなんて、絶対にありえない。これはきっと偽の映像だ。彼女が自分を傷つけることなんて、あるはずがない...... 「ははははは!」突然、西也が笑い出した。彼は修の前に立ち、嘲笑を浮かべながら言った。「藤沢、お前もこんな日が来るとはな!」 修は胸から流れる血を必死に押さえていた。だが、それでも震える手でポケットからスマートフォンを取り出し、助けを呼ぼうとした。 しかし、そのスマートフォンは次の瞬間、西也の靴に蹴り飛ばされ、さらに何度も踏みつけられた。 「西也、何をしているか分かっているのか?」修は苦しげに声を絞り出した。 「もちろん分かっているさ」西也は冷たい笑みを浮かべ、修の横にしゃがみ込んだ。「藤沢、今までずっと我慢してきたが、もう限界だ。ここでお前には死んでもらう。そうすれば、もう誰も俺と若子の間に割り込むことはできない」 「俺を殺せば、若子はお前を一生恨むだろう!」修は息を荒げながら必死に言った。「お前は本当にそれでいいのか?」 「ははは!」西也は声を上げて笑いながら続けた。「お前はまだ分かってないんだな。若子はお前を嫌っているんだよ。そうじゃなきゃ、どうして俺を選んだんだ?若子の心の中では、俺の方がずっと大事だってことだよ。お前は彼
Read more

第678話

西也は車を飛ばし、マスクの男が言っていた場所にたどり着いた。そこには確かに一軒の家があった。 車を降りると同時に、彼は家の中に駆け込み、柱に縛られた若子の姿を見つけた。彼女は震えながら涙を流していた。 若子は足音を聞き、反射的に顔を上げた。西也が彼女に向かって駆け寄る。 「若子!」彼は急いで彼女の頬を両手で包み込んだ。「やっと見つけた!怪我はないか?」 彼は彼女の前髪をそっとかき分け、額に擦り傷を見つけると、胸が締め付けられるような痛みと怒りが込み上げた。 しかし、若子の目はどこかぼんやりしていた。彼の背後を見つめると、すぐに尋ねた。「修は?修はどこにいるの?」 あのマスクの男に見せられた動画で、彼女は西也と修が一緒にここへ来たことを知っていたのだ。 若子が真っ先に修を心配する様子に、西也の心には不快感が押し寄せた。彼は無言で若子を縛っていたロープを解き始めた。 自由になった若子の体は疲労で力が抜け、足元が崩れるように倒れそうになる。 「危ない!」西也は彼女を慌てて支え、「若子、家に帰ろう。俺が守るから。もう二度と危険な目には遭わせない」 そう言いながら、彼女を横抱きにして立ち上がり、家を出ようとする。 しかし若子は問い詰めるように言った。「西也、修はどこにいるの?教えて!」 彼女はマスクの男に選ばされ、仕方なく一人を選ばざるを得なかった。その選択は彼女にとって苦痛でしかなかった。どちらも傷つけたくなかったのに...... 「修は無事だよ。もう帰った」西也は冷たい顔をして答えた。 自分だって命をかけて若子を救いに来たというのに、彼女が心配するのは修のことばかりだった。もしもあの矢が自分に向けられていたら、彼女はそれでも修のことを追い続けただろうか? 「本当に修は無事なの?」若子は疑いの目で問い詰めた。 「無事だよ」と、西也は短く答えた。「心配するな、俺が連れて帰る」 だが、若子は西也の視線がどこか泳いでいることに気づいた。彼女は彼の胸元を掴むと、必死な表情で言った。「西也、本当のことを言って!修はどうなったの?あの男に選ばされたとき、私はあなたを選んだ。だから修は傷ついているはずよ!どうして無事でいられるの?」 「修は無事だ。若子、もうこれ以上聞くな。とにかくここを出るんだ。この場所は危険だ」
Read more

第679話

「あなたはどこからここへ来たの?」若子は西也を見つめながら問い詰めた。「修と一緒に来たことは知ってる。彼は今どこにいるの?」 西也は眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな表情を浮かべた。だが、それは若子に対してではなく、彼女があまりにも修の安否を気にしていることに対する苛立ちだった。 「若子、ここは危険だ。まず家に帰ろう。話は家に戻ってからだ。それでいいだろう?」 彼は若子の手首をつかみ、促そうとした。 「嫌よ!」若子は力強く手を振り払い、反抗した。「もし今日、修に会えないなら、私はどこにも行かない!教えてくれないなら、自分で探しに行くわ!」 「なんであいつを探す必要があるんだ!」西也はついに堪え切れず、声を荒げた。「俺こそお前の夫だ!危険を顧みずお前を助けに来たのに、どうしてあいつのことばかり気にしている?ここがどれだけ危険か分かっているのか?俺たち二人ともいつ何があってもおかしくないんだぞ。お前はそれでもあいつのことばかり気にするのか?俺が危険にさらされるのは怖くないのか?」 「私はあなたを選んだわ!」若子は怒りを込めて叫んだ。「修かあなたか、どちらか一人を選ばなきゃいけなかった。私はあなたを選んだ。それなのに、修を少しでも気にかけることさえ許されないの?」 若子はそう言い放つと、目に涙を浮かべながら背を向けた。彼女の心には、西也への失望が深く刻まれていた。彼女はその場を立ち去ろうとした。 しかし、西也はすぐに若子の背後から彼女を抱きしめた。「やめてくれ!若子!」 「何をするの!放して!」若子は必死に抵抗しながら叫んだ。 それでも、西也は彼女を放さず、震える声で彼女の耳元に囁いた。「ごめん、若子......俺が間違ってた。俺が悪かった......」 彼の腕はわずかに震えていた。目を固く閉じた西也の全身は緊張で強張っていた。 「俺がこんなことを言ったのは、お前を心配するあまりだったんだ。お前が安全な場所に早く戻れるようにと焦って......それで、こんな酷いことを言ってしまったんだ......本当にごめん......」 西也の声には後悔と切実さが混ざり合っていた。その言葉に若子は動きを止め、わずかに体の力を抜いた。 若子は悲痛な表情を浮かべ、深く息を吸い込んで冷静になろうとした。そして、静かに言った。 「私はどう
Read more

第680話

地面には大量の血が広がり、周囲には息が詰まるような静けさが漂っていた。 若子はよろめきながらその血だまりの前までたどり着くと、膝から崩れるようにその場に倒れ込んだ。 「どこ......どこにいるの?」彼女は声を震わせながら叫んだ。「修はどこにいるの!?」 西也はその血だまりをじっと見つめ、眉をひそめた。彼の脳裏には、修が胸を貫かれ倒れ込んだ光景が浮かぶ。彼はその場に倒れたまま助けを呼ぶこともできなかったはずだ。それなのに、修がここにいないということは、誰かが彼を救出したのか? その考えに西也の胸には不安が広がった。もし修が生きていたら......それは西也にとって大きな問題になる。 若子は立ち上がり、震える体で西也の前まで歩み寄ると、彼の服を掴んで激しく問い詰めた。 「修はどこ?彼はどこにいるの!?」 「分からない」西也は冷静を装いながら答えた。「お前を助けに行ったとき、彼はまだここにいた」 若子はその言葉を聞いて愕然とし、再び血だまりを見つめた。そして、再び問いかけた。「つまり......修があんなに重傷を負っていたのに、あなたは彼をここに置き去りにしたってこと?助けもしないで?」 西也の心に一瞬の動揺が走った。「若子、俺を責めてるのか?俺はお前を助けるためにここに来たんだ。どうしてあいつのことまで面倒を見る余裕があったと思う?」 「違う!私じゃなくて、修を助けるべきだった!」若子は声を震わせながら訴えた。「彼は血を流して苦しんでたのよ!どうして助けなかったの?どうして!」 彼女は地面に崩れ落ちるように座り込み、血だまりに手を押し付けて泣き叫んだ。 その姿に西也は慌てて駆け寄り、彼女を抱き起こそうとする。 だが、若子は力いっぱい彼を振り払った。 「放して!あなたなんて見たくない!」 西也の拳が震える。堪えきれない怒りが爆発した。 「若子、いい加減にしろ!」 彼は強引に彼女を抱き上げた。 若子は必死にもがきながら叫ぶ。 「放して!嘘つき!修は大丈夫だって言ったじゃない!彼がどこにいるかも知らないくせに!」 彼女の手には血がべったりとつき、そのまま西也の顔や服に血痕を広げてしまった。 「放さない!」西也は彼女の手首をしっかりと掴み、声を震わせながら言い放った。「お前が誘拐されたと聞いて
Read more
PREV
1
...
656667686970
Scan code to read on App
DMCA.com Protection Status