「怪我をした方はどうなるの?」若子は震える声で尋ねた。 「怪我してる人間を、わざわざ殺す必要なんてないだろう?」男は軽い調子で言った。 再びスマートフォンを手に取った男は、若子に画面を向けて見せた。「ほら、左のボタンが藤沢修、右のボタンが遠藤西也、そして一番下のボタンは二人とも死ぬボタンだよ。さて、どれを押そうか。片方を怪我させるのか、それとも両方を殺すのか、君が決めな」 「お願い、選べないわ!」若子は泣きそうな声で懇願した。「二人とも怪我なんてしてほしくないし、死なせるなんて絶対嫌。だから、お願いだから、彼らを解放して。私がどんなゲームに付き合ってもいいから!」 「10秒だけやるよ」男の声に苛立ちが混ざり始めた。「それで選べなければ、二人とも死ぬ。それでいいね?」 男はカウントダウンを始めた。「10、9......」 若子は焦って尋ねた。「怪我をするって、どのくらいの怪我なの?」 「8、7、6......」 「答えて!答えてくれなきゃ選べないじゃない!」 「5、4......」 「お願い!やめて!」若子は涙声で叫んだ。 「3、2、1......」 「修!」若子は衝動的に叫んだ。「修を選ぶ!」 その言葉を聞いた男の口元に、意味深な笑みが浮かんだ。「藤沢を選ぶ、ね?つまり、遠藤が怪我をする方がいいってこと?」 そう言いながら、男は右のボタンに指を伸ばした。 「違う!違うの!」若子は震える唇をかみしめながら、涙を溜めた目で男を見つめた。「私が言いたかったのは、修が......怪我をするってこと」 若子の言葉が終わると同時に、男は無情にもスマートフォンのボタンを押した。 一方、修と西也は廃墟を隅々まで探していたが、若子の姿は見つからなかった。 「若子!どこにいるんだ!」西也は声を張り上げた。 「やめろ、無駄だ」修が冷静に言った。「ここにはいない。叫んでも意味がない」 「じゃあ、どうするって言うんだ!」西也は怒りに満ちた声で反論した。「役に立つことを言え!さもなくば黙っていろ!」 「はっ」修は冷たい笑みを浮かべた。「西也、覚えてるか?あの日、レストランで言ったことを。どうやら、あの時の俺の言葉が正しかったみたいだな。お前は若子に守られることでしか生きられない。だけど、お前自身は何の役にも立た
「そんなはずはない......嘘だ!」修はかすれた声で必死に言葉を絞り出した。「若子が俺を傷つけるなんて、そんなことあるわけない。彼女がそんなことするわけがない!」 「嘘だと思う?それなら君に見せてあげよう」 突然、壁に投影が映し出された。 「修を選ぶ!」 映像の中で若子が苦しげに言ったその姿が、はっきりと映し出された。 続いて、誘拐犯の声が響いた。「藤沢を選ぶ、ね?つまり、遠藤が怪我をする方がいいってこと?」 映像の中で男は右側のボタンに手を伸ばす。若子がすぐに反論する。 「違う、違うの!」彼女は震えながら涙を浮かべて続けた。「私が言いたかったのは、修が......怪我をするってこと」 映像がそこで終わり、投影が消えた。壁には何も残らず、ぼんやりとした影だけが残っていた。 修はその場に仰向けに倒れ込み、呆然と天井を見つめた。目は虚ろで、全身から力が抜けていく。まるで魂が抜け落ちたかのように、彼はもう動くことすらできなかった。 そんなはずはない。若子がこんなことをするなんて、絶対にありえない。これはきっと偽の映像だ。彼女が自分を傷つけることなんて、あるはずがない...... 「ははははは!」突然、西也が笑い出した。彼は修の前に立ち、嘲笑を浮かべながら言った。「藤沢、お前もこんな日が来るとはな!」 修は胸から流れる血を必死に押さえていた。だが、それでも震える手でポケットからスマートフォンを取り出し、助けを呼ぼうとした。 しかし、そのスマートフォンは次の瞬間、西也の靴に蹴り飛ばされ、さらに何度も踏みつけられた。 「西也、何をしているか分かっているのか?」修は苦しげに声を絞り出した。 「もちろん分かっているさ」西也は冷たい笑みを浮かべ、修の横にしゃがみ込んだ。「藤沢、今までずっと我慢してきたが、もう限界だ。ここでお前には死んでもらう。そうすれば、もう誰も俺と若子の間に割り込むことはできない」 「俺を殺せば、若子はお前を一生恨むだろう!」修は息を荒げながら必死に言った。「お前は本当にそれでいいのか?」 「ははは!」西也は声を上げて笑いながら続けた。「お前はまだ分かってないんだな。若子はお前を嫌っているんだよ。そうじゃなきゃ、どうして俺を選んだんだ?若子の心の中では、俺の方がずっと大事だってことだよ。お前は彼
西也は車を飛ばし、マスクの男が言っていた場所にたどり着いた。そこには確かに一軒の家があった。 車を降りると同時に、彼は家の中に駆け込み、柱に縛られた若子の姿を見つけた。彼女は震えながら涙を流していた。 若子は足音を聞き、反射的に顔を上げた。西也が彼女に向かって駆け寄る。 「若子!」彼は急いで彼女の頬を両手で包み込んだ。「やっと見つけた!怪我はないか?」 彼は彼女の前髪をそっとかき分け、額に擦り傷を見つけると、胸が締め付けられるような痛みと怒りが込み上げた。 しかし、若子の目はどこかぼんやりしていた。彼の背後を見つめると、すぐに尋ねた。「修は?修はどこにいるの?」 あのマスクの男に見せられた動画で、彼女は西也と修が一緒にここへ来たことを知っていたのだ。 若子が真っ先に修を心配する様子に、西也の心には不快感が押し寄せた。彼は無言で若子を縛っていたロープを解き始めた。 自由になった若子の体は疲労で力が抜け、足元が崩れるように倒れそうになる。 「危ない!」西也は彼女を慌てて支え、「若子、家に帰ろう。俺が守るから。もう二度と危険な目には遭わせない」 そう言いながら、彼女を横抱きにして立ち上がり、家を出ようとする。 しかし若子は問い詰めるように言った。「西也、修はどこにいるの?教えて!」 彼女はマスクの男に選ばされ、仕方なく一人を選ばざるを得なかった。その選択は彼女にとって苦痛でしかなかった。どちらも傷つけたくなかったのに...... 「修は無事だよ。もう帰った」西也は冷たい顔をして答えた。 自分だって命をかけて若子を救いに来たというのに、彼女が心配するのは修のことばかりだった。もしもあの矢が自分に向けられていたら、彼女はそれでも修のことを追い続けただろうか? 「本当に修は無事なの?」若子は疑いの目で問い詰めた。 「無事だよ」と、西也は短く答えた。「心配するな、俺が連れて帰る」 だが、若子は西也の視線がどこか泳いでいることに気づいた。彼女は彼の胸元を掴むと、必死な表情で言った。「西也、本当のことを言って!修はどうなったの?あの男に選ばされたとき、私はあなたを選んだ。だから修は傷ついているはずよ!どうして無事でいられるの?」 「修は無事だ。若子、もうこれ以上聞くな。とにかくここを出るんだ。この場所は危険だ」
「あなたはどこからここへ来たの?」若子は西也を見つめながら問い詰めた。「修と一緒に来たことは知ってる。彼は今どこにいるの?」 西也は眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな表情を浮かべた。だが、それは若子に対してではなく、彼女があまりにも修の安否を気にしていることに対する苛立ちだった。 「若子、ここは危険だ。まず家に帰ろう。話は家に戻ってからだ。それでいいだろう?」 彼は若子の手首をつかみ、促そうとした。 「嫌よ!」若子は力強く手を振り払い、反抗した。「もし今日、修に会えないなら、私はどこにも行かない!教えてくれないなら、自分で探しに行くわ!」 「なんであいつを探す必要があるんだ!」西也はついに堪え切れず、声を荒げた。「俺こそお前の夫だ!危険を顧みずお前を助けに来たのに、どうしてあいつのことばかり気にしている?ここがどれだけ危険か分かっているのか?俺たち二人ともいつ何があってもおかしくないんだぞ。お前はそれでもあいつのことばかり気にするのか?俺が危険にさらされるのは怖くないのか?」 「私はあなたを選んだわ!」若子は怒りを込めて叫んだ。「修かあなたか、どちらか一人を選ばなきゃいけなかった。私はあなたを選んだ。それなのに、修を少しでも気にかけることさえ許されないの?」 若子はそう言い放つと、目に涙を浮かべながら背を向けた。彼女の心には、西也への失望が深く刻まれていた。彼女はその場を立ち去ろうとした。 しかし、西也はすぐに若子の背後から彼女を抱きしめた。「やめてくれ!若子!」 「何をするの!放して!」若子は必死に抵抗しながら叫んだ。 それでも、西也は彼女を放さず、震える声で彼女の耳元に囁いた。「ごめん、若子......俺が間違ってた。俺が悪かった......」 彼の腕はわずかに震えていた。目を固く閉じた西也の全身は緊張で強張っていた。 「俺がこんなことを言ったのは、お前を心配するあまりだったんだ。お前が安全な場所に早く戻れるようにと焦って......それで、こんな酷いことを言ってしまったんだ......本当にごめん......」 西也の声には後悔と切実さが混ざり合っていた。その言葉に若子は動きを止め、わずかに体の力を抜いた。 若子は悲痛な表情を浮かべ、深く息を吸い込んで冷静になろうとした。そして、静かに言った。 「私はどう
地面には大量の血が広がり、周囲には息が詰まるような静けさが漂っていた。 若子はよろめきながらその血だまりの前までたどり着くと、膝から崩れるようにその場に倒れ込んだ。 「どこ......どこにいるの?」彼女は声を震わせながら叫んだ。「修はどこにいるの!?」 西也はその血だまりをじっと見つめ、眉をひそめた。彼の脳裏には、修が胸を貫かれ倒れ込んだ光景が浮かぶ。彼はその場に倒れたまま助けを呼ぶこともできなかったはずだ。それなのに、修がここにいないということは、誰かが彼を救出したのか? その考えに西也の胸には不安が広がった。もし修が生きていたら......それは西也にとって大きな問題になる。 若子は立ち上がり、震える体で西也の前まで歩み寄ると、彼の服を掴んで激しく問い詰めた。 「修はどこ?彼はどこにいるの!?」 「分からない」西也は冷静を装いながら答えた。「お前を助けに行ったとき、彼はまだここにいた」 若子はその言葉を聞いて愕然とし、再び血だまりを見つめた。そして、再び問いかけた。「つまり......修があんなに重傷を負っていたのに、あなたは彼をここに置き去りにしたってこと?助けもしないで?」 西也の心に一瞬の動揺が走った。「若子、俺を責めてるのか?俺はお前を助けるためにここに来たんだ。どうしてあいつのことまで面倒を見る余裕があったと思う?」 「違う!私じゃなくて、修を助けるべきだった!」若子は声を震わせながら訴えた。「彼は血を流して苦しんでたのよ!どうして助けなかったの?どうして!」 彼女は地面に崩れ落ちるように座り込み、血だまりに手を押し付けて泣き叫んだ。 その姿に西也は慌てて駆け寄り、彼女を抱き起こそうとする。 だが、若子は力いっぱい彼を振り払った。 「放して!あなたなんて見たくない!」 西也の拳が震える。堪えきれない怒りが爆発した。 「若子、いい加減にしろ!」 彼は強引に彼女を抱き上げた。 若子は必死にもがきながら叫ぶ。 「放して!嘘つき!修は大丈夫だって言ったじゃない!彼がどこにいるかも知らないくせに!」 彼女の手には血がべったりとつき、そのまま西也の顔や服に血痕を広げてしまった。 「放さない!」西也は彼女の手首をしっかりと掴み、声を震わせながら言い放った。「お前が誘拐されたと聞いて
若子は魂が抜けたような状態で、西也に連れられて家に戻った。 帰宅するなり、若子はすぐに電話を手に取り、修に電話をかけようとした。 彼の番号は、数字の一つ一つまで、彼女の頭に深く刻まれている。 西也は、若子が修の番号を手慣れた様子で押すのを見て、目に一瞬の不快感を浮かべた。 しかし、彼は若子が修に連絡できないことを知っていた。 案の定、若子は電話を耳に当てたまま、長い間待っても繋がらない。もう一度かけ直しても、やはり通じない。 修の携帯は、ずっと繋がらない状態だった。 「若子」西也は前に進み出て、「お前が彼のことを心配しているのはわかる。でも、今は自分の体を大事にしなきゃ。お前は妊娠しているんだ。医者を呼んで診てもらおう。お前と子供のことが一番大事なんだ、いいか?」 「子供......」若子は下を向き、自分のお腹をそっと撫でながら、涙を止められずにこぼした。「子供......これは私と修の子供なの。彼に妊娠したことを伝えなきゃ。伝えたい......」 西也は彼女の背後に立ち、その目には冷たい光が宿っていた。 彼はそっと若子の手を握り、「若子......」と声をかけた。 突然、若子は自分の手を引き抜き、お腹を抱えるようにして、彼の触れ合いを避けるかのように身を引いた。 西也は一瞬驚き、手の中の空虚さに、心も同じように空っぽになった。 若子は魂が抜けたように、頭の中は修のことでいっぱいで、耳元にはあの仮面の男の声が響き、選択を迫るカウントダウンが聞こえるかのようだった。 激しい痛みが胸に押し寄せ、彼女は心臓を押さえ、もう立っていられず、そのまま後ろに倒れ込んだ。 「若子!」西也は後ろから彼女を受け止め、しっかりと抱きしめた。「若子、どうしたんだ?」 「修......修......」若子は彼の名前を呼び続け、次第に視界が暗くなり、意識を失った。 ...... 一時間後。 リビングでは、成之がソファに座り、すでに何本もの煙草を吸っていた。 彼はずっと焦燥感に駆られ、待ち続けていた。 やがて足音が聞こえ、振り向くと、西也がこちらに歩いてくるのが見えた。 「おじさん」西也は彼の近くのソファに腰を下ろした。 「若子の具合は?」成之はその目に深い心配を隠しつつ、わずかながらも関心を示した。
成之は西也の話を聞き終え、眉間のしわをさらに深めた。 「つまり、肝心な時に若子はお前を選んだってわけだな」 「はい、そうです」 若子が自分を選んだ―その事実に最初は喜びを感じたはずだった。だが今、西也の顔には苛立ちが色濃く浮かんでいた。 その様子を見た成之は問いかける。 「若子がお前を選んだってことは、心の中でお前の方が藤沢より大事だってことだろう。それなのに、何をそんなに不満そうにしてるんだ?」 その瞬間、パチンと音を立てて、西也は茶杯を力強く茶卓に置いた。 「若子が泣いて藤沢を探したがっているんです。どうして喜べるんですか?彼女が俺を選んでくれたのは事実です。でも、こんな様子を見せられるくらいなら、いっそ俺が傷ついた方が良かったと思います。そうすれば、彼女は少なくとも俺のことを心配してくれたかもしれないのに......今の彼女の頭の中には藤沢のことしかないんです」 成之は眉をひそめた。 「子どもじみたことを言うなよ。お前の安全が最優先だった。それがどれだけ重要なことかわかってるのか?お前が傷ついてたら、下手すれば死んでたかもしれないだろ」 その言葉に、西也は不満げに反論した。 「どうして俺が傷ついたら死ぬことになるんですか?藤沢だったら矢を受けても死なないけど、俺だったら必ず死ぬっておじさんは思ってるんですか?」 「そんなことを言いたいんじゃない。お前は自分の命を少しも大事に思わないのか?若子が今、藤沢のことを心配しているのは当然のことだ。もし逆にお前があの場で傷ついていたら、若子だって同じようにお前を心配していただろう。あの状況で、彼女がそんな選択をしたのは、心の中でどれだけ苦しんでいたか考えてみろ。お前は若子が自分を選んだことを感謝すべきだ。たとえ彼女が藤沢のことを気にしていたとしても、それを理解してやるのが筋じゃないのか」 「もし相手が誰であっても、俺は理解できたかもしれません」西也は苛立ちを隠せずに言った。「でも、相手が藤沢なら絶対に無理です。俺は若子があいつをそこまで気にかけるのに、もう耐えられません。あいつの何がいいんですか?ずっと彼女を傷つけ続けてきたくせに、今さら誠実なふりをして彼女を取り戻そうとするなんて。 どうして、俺はこんなに努力して若子のために尽くしてきたのに、こんなにも......
「修!修!どこにいるの!」 若子は真っ暗な場所に立っていた。四方は何も見えず、闇に覆われていた。 彼女は必死で前へと走り続けた。けれど、どれだけ走っても終わりが見えない。 「修、どこなの!」 突然、目の前が白く光り輝き、その中に修の姿が現れた。 その姿を見た瞬間、若子の表情は焦りから喜びへと変わった。 「修!」 彼女は全力で修に向かって駆け出した。しかし、走れば走るほど、修との距離はどんどん離れていく。いくら手を伸ばしても、彼には届かない。 「修、どうしたの?動かないで、お願いだから!私を行かせて......頼む!」 若子は懸命に走り続けた。だが、走れば走るほど修の姿は遠ざかり、やがて彼の姿は消えた。再び、世界は真っ暗になった。 「修、どこにいるの?どこへ行ったの?返事してよ!修!」 「若子」 突然、背後から声がした。その声に若子は驚き、振り返った。そこには、十数メートルほど離れた場所に立つ修の姿があった。 「修!」 若子は再び駆け出そうとしたが、修が大声で制した。 「来るな!」 若子は慌てて足を止め、その場に立ち尽くす。怯えたように彼を見つめた。 「修......会いたかった......修、大丈夫なの?平気なの?」 修は笑った。ただ、その笑みは冷たく、皮肉めいていた。 「お前にまだ俺を気にかける余裕があったとはな」 「違うの、修!聞いて、私の話を!」 「何を言いたいんだ?お前が遠藤を選んで俺を捨てた理由か?」 「捨てたんじゃない!私はあなたを捨てたりなんかしてない!」 若子は泣きながら叫んだ。 「あの時、本当に選びようがなかったの!もしできるなら、私は自分を選びたかった。お願い、修、信じて!」 「何を頼むつもりなんだ?」修は冷たく問いかける。 「それは......」若子は言葉に詰まった。何を頼めばいいのか、自分でもわからなくなった。ただ、何かを言おうとするも、舌がもつれてうまく言葉にできない。 修は鼻で笑った。「お前は自分が何を頼みたいのかすらわかっていないのに、それでも俺に頼もうとするのか?笑わせるな。若子、俺はお前に失望した」 「違うの、修!」若子は叫びながら修に向かって走り出そうとしたが、その瞬間、修の姿はまたしても消えた。 「修!」彼女は慌て
しばらく沈黙が続いたあと、光莉はようやく口を開いた。 「修......どうなっても、もうここまで来てしまったのよ。あんたなら、どうすれば自分にとって一番いいのか分かってるはず。山田さんは、とても素敵な子よ。もし彼女と一緒になれたら、それは決して悪いことじゃないわ。おばあさんもきっと喜ぶわよ。彼女は、若子の代わりになれる。だから、若子のことはもう手放しなさい。もう、執着するのはやめて」 「黙れ!!」 修が突然怒鳴った。 「『俺のため』って言い訳しながら、若子を諦めろなんて......そういうの、もう聞き飽きたんだよ!」 その叫びは、激情に満ちていた。 「本当に俺の母親なのかよ?最近のお前、まるで遠藤の母親みたいだな。毎回そいつの味方みたいなことばっか言いやがって......『西也』って呼び方も、やけに親しげだな。お前、あいつに何を吹き込まれた?」 修は、最初から母親が味方になることなんて期待していなかった。 でも―せめて中立ではあってほしかった。 だが今は、まるで若子じゃなく、何の関係もない西也の味方をしているようにしか見えなかった。 なぜ母親がそうするのか、どれだけ考えても分からなかった。 その叫びに、光莉の心臓が小さく震えた。 「......修、ごめんなさい。そんなつもりじゃないの。私はあんたの母親よ。もちろん、あんたのことが一番大切に決まってる。全部......あんたのためを思って―」 「もう黙れ!!」 修の声は怒りに震えていた。 「『俺のため』とか言わないでくれ......お願いだから、もう関わらないでくれ。俺に関わらないでくれよ!」 そのまま、修は電話を切った。 ガシャン― 次の瞬間、彼はそのスマホを壁に叩きつけた。 画面は一瞬で粉々に砕け散った。 横にいた外国人スタッフは、ぴしっと背筋を伸ばし、無言のまま固まっていた。 病室には、まるで世界が止まったような静寂が訪れた。 やがて、外国人が英語で口を開いた。 「何を話していたかは分からないが、ちゃんと休んだほうがいいよ」 その時、彼のポケットの中で着信音が鳴る。 スマホを取り出して通話に出る。 「......はい。分かった」 通話を終えると、修の方へと向き直る。 「藤沢さん、松本さんの車が見つかった
「それで......あんたと山田さんは、うまくやっているの?」 光莉の問いかけには、どこか探るような調子が混ざっていた。 「......」 修は黙ったまま、答えなかった。 少しして、光莉がもう一度静かに尋ねた。 「修?どうかしたの?」 「......母さんは、俺が侑子とうまくやってほしいって、思ってるんだろ?本音を聞かせてくれ」 数秒の沈黙のあと、光莉は正直に口を開いた。 「ええ。私は、彼女があんたに合ってると思ってるの。若子との関係が終わったのなら、新しい恋に踏み出してもいいじゃない」 新しい恋―その言葉に、修はかすかに笑った。 それは皮肉と哀しみが入り混じった笑みだった。 「母さんさ、俺が雅子と付き合ってたとき、そんなふうに勧めたことあった?一度でも応援してくれた?」 「山田さんは桜井さんとは違うわ。それに......あの頃は、まだ若子との関係に望みがあると思っていたの。でも今は違う。若子はもう西也と結婚したのよ。あんたには......もう彼女を選ぶ理由がないわ」 ―また、西也か。 その名前を聞くだけで、修の心は抉られるように痛んだ。 「なあ、ひとつだけ聞かせてくれ」 修の声は低く、抑えていた怒りがにじんでいた。 「......母さんは、若子が妊娠してたこと、知ってたんじゃないか?」 その瞬間、光莉の心臓が跳ね上がった。 「修......それ......知ってしまったのね?若子に会ったの?」 修の手が、ぎゅっとシーツを握りしめる。 その手の甲には、浮き上がった血管が脈打っていた。 「やっぱり......知ってたんだな。どうして俺に黙ってた?なぜ、何も教えてくれなかったんだ!」 「ごめんなさい......修。私だって伝えたかった。でもあの時、若子が......もう言う必要ないって。彼女がそう言ったの」 ついに、その瞬間が来た。 修は真実を知った。若子が自分の子を産んでいたという、残酷な事実を。 光莉の心は重く沈んだ。 修が今どれほど苦しんでいるか、想像に難くない。 母として、彼女の胸には後悔があった。 だが、ここまで来たら、もう「運命」としか言いようがなかった。 「......そうか、言う必要がなかったんだな」 「若子はあいつの子どもを妊娠し
「暁―忘れるなよ。『藤沢修』、その名前を覚えておけ。あいつは、おまえの仇だ」 ...... 夜が降りた。 病院は静まり返り、あたり一面が闇に包まれていた。 窓の外には星が点々と浮かび、真珠のように建物の屋根を彩っていた。 やわらかな月光が屋上からゆっくりと差し込み、建物の輪郭を静かに浮かび上がらせる。 白い病室。 修は、真っ白なシーツに身を包まれてベッドに横たわっていた。 消毒液の匂いが、空気を支配している。 ベッドの脇には点滴が吊るされ、透明な液体が少しずつ彼の身体へと流れ込んでいた。 穏やかな灯りが、彼の青ざめた顔に落ちる。 その表情には、深い疲労と痛みがにじんでいた。 修は、目を開いた。 視線をさまよわせ、室内を確認する。 ゆっくりと身を起こし、点滴に目をやると、まだ半分ほど残っていた。 そのとき―病室のドアが開いた。 ひとりの外国人の男が入ってくる。 「藤沢さん、目が覚めたか」 「......見つかったか?」 修の声には焦りがにじんでいた。 男は首を振った。 「いや、まだだ。他の場所も順番に探してる」 修の瞳から、いつもの鋭さは失われ、暗く沈んでいた。 眉間には深い皺が刻まれ、重たい悔恨が彼の表情を支配していた。 彼は視線を落とし、口元に力なく笑みを浮かべる。 ―なぜあのとき、追いかけなかったのか。 若子を、あんなふうにひとりで行かせるべきじゃなかった。 夜の道を、彼女ひとりで運転させるなんて、自分はなんて馬鹿なんだろう。 どんな理由があろうと、あのとき引き止めて、一緒に行くべきだった。 侑子が怪我をしたからって、あそこで立ち止まるべきじゃなかったんだ。 すぐに追いかければ、若子に何か起きることもなかったかもしれない。 彼は、若子を恨んでいた。 あの瞬間、彼女が選んだのは自分ではなく、西也だったから。 でも今― 彼が選んだのは、侑子だった。そして、その選択が若子を傷つけた。 あのとき、彼にとっては難しい決断ではなかった。 もしすぐに若子を追いかけていれば、侑子に危険は及ばなかったはずなのに。 修は、自分が彼女を追わなかったことを、心の底から憎んだ。 その瞳には、痛みの波が渦を巻いていた。 まるで深い夜の湖
西也の心は―まるでとろけるようだった。 「暁、今の......パパに笑ったのか?もう一回、笑ってくれるか?」 声が震えていた。 嬉しくて、感動して、涙が出そうだった。 暁が笑ったのは、これが初めてだった。 しかも、それが自分に向けられた笑顔。 初めて、「父親としての喜び」を、はっきりと実感した瞬間だった。 これまでどれだけこの子を大切にしてきたとしても― 心のどこかで、わずかに隔たりがあったのは事実だった。 この子は、自分の子ではない。 修の血を引いている子だ。 若子への愛ゆえに、この子にも愛情を注いできた。 そうすれば、彼女にもっと愛されると思っていた。 けれど、今― 暁のその笑顔を見た瞬間、彼は心から思った。 ―愛してる。 たとえ血の繋がりがなくても。 たとえこの子が修の子でも。 そんなことは、どうでもよくなった。 ただ、この子が笑ってくれれば―それだけで十分だった。 暁は再び笑った。 その澄みきった瞳が、きらきらと輝いていた。 笑顔はまるで小さな花が咲くようで、甘く香って心を満たしてくれる。 その笑い声は鈴のように澄んでいて、胸の奥まで響いた。 その無垢な笑顔は、生きることの美しさと希望を映し出していて、誰もが幸福に満たされるような魔法を持っていた。 「暁......俺の可愛い息子」 西也はそっと指先を伸ばし、彼のほっぺたを撫でる。 まるで壊れてしまいそうなほど繊細な肌に、細心の注意を払いながら。 「おまえは本当にいい子だ。パパの気持ち、ちゃんとわかってくれるんだよな...... ママは、わかってくれなかった......あんなに尽くしたのに」 暁は小さな腕をぱたぱたと動かし、雪のように白い手が宙を舞う。 まるで幸せのリズムを刻むように。 「......パパの顔、触りたいのか?」 西也は優しく微笑んで、顔を近づけた。 暁の小さな手が、ふわりと西也の頬に触れる。 その目には喜びと好奇心に満ちていて、純粋な視線でじっと彼を見つめていた。 まるで、この広い世界を初めて覗き込んでいるかのように。 恐れも、警戒もなく、ただまっすぐな瞳で西也を見つめる。 その瞳は、一点の曇りもない。あるのはただ、「知りたい」という気持ちだけ
もしかすると―驚かせてしまったのかもしれない。 暁は、さらに激しく泣き始めた。 口を大きく開けて、嗚咽のように大声で泣いている。 「泣かないでくれよ、な?暁、パパが抱っこしてるじゃないか。 いつもはママが抱っこすると泣くくせに、パパが抱いたら泣き止んでたじゃないか。これまでずっとパパが面倒見てたんだぞ?そんなに悪かったか?なんで泣くんだよ...... ......まさか、藤沢のこと考えてるのか?」 その瞬間、西也の目が、獣のように鋭くなった。 「教えてくれ、そうなのか?あいつのことを想ってるのか?奴が......おまえの本当の父親だから? 違う......違うんだ、暁。俺が、おまえの父親だ。ずっと、ずっとおまえとママのそばにいたのは、この俺なんだ。あいつは、おまえの存在すら知らなかったくせに......女たちと好き勝手してたんだ。 暁、おまえが大きくなったら、絶対に俺だけを父親だと思うよな? 藤沢なんて、父親の資格ないんだ......そんなやつが、おまえの父親であってたまるか。 父親は俺だ!俺しかいないんだ! 暁、目を開けて、よく見ろ......この俺が、おまえの父親なんだよ! 泣くなよ......な?頼むから、泣かないで」 けれど、どれだけあやしても―暁の涙は止まらなかった。 「やめろって言ってんだろ!!」 西也はついに怒鳴りつけた。 「これ以上泣いたら......おまえを、生き埋めにしてやるからな!」 狂気をはらんだ眼差しで睨みつけた。 その瞬間― 暁の泣き声が、ぴたりと止まった。 黒く潤んだ瞳が、大きく見開かれたまま、まるで魂が抜けたように無表情になる。 動かない。 光が消えたようなその瞳を見て、西也ははっとした。 「......暁、どうした?パパだよ、わかる?」 西也はその小さな頬に手を添え、そっと撫でた。 「ごめんな、怖がらせたよな。パパ、怒ってたんじゃないんだ。ちょっと......ほんの少し、気が立ってただけなんだ」 西也は涙混じりに頬へ口づける。 「ごめん、本当にごめん。パパ、もう怒らないから。だから、お願いだから......怒らせるようなこと、しないでくれよな?」 子どもは、もう泣いていなかった。 ぐずりもせず、ただ黙っていた。
ちょうどその時、部下の一人が慌ただしく駆け込んできた。 部屋の中は荒れ放題で、床にはガラスの破片が散らばっていた。 部下はその破片を慎重に避けながら、西也の前に立つ。 「遠藤様、藤沢さんが......砂漠へ向かったそうです」 西也はすぐに彼の腕を掴んだ。 「見つかったのか?」 部下はかぶりを振る。 「いえ......まだ、見つかっていません」 西也もまた、若子の行方を追っていた。 だが、手がかりはどこにもなかった。 携帯も繋がらず、完全に行方不明。 だからこそ、彼は修の動きを追うよう命じていた。 修がどんな手を使って探しているのかを、すべて把握するために。 ―最初は、修には若子が一度無事を知らせてきたことを、あえて知らせなかった。 若子が無事でいて、ただ一人になりたくて姿を消しただけなら、修が彼女を追い回すほど、かえって嫌われると思ったから。 そしてそのタイミングで自分が現れれば―若子を連れて帰ることができる。 もし本当に何か起きていたなら、その時は修も一緒に捜索する戦力として使えばいい。 どちらに転んでも、自分にとって損はない。 ......だが、西也は心の底から、前者であることを願っていた。 若子が無事で、ただ一人で静かにしたかっただけ。 なのに修が無神経に探し回って、彼女を怒らせてくれれば、むしろ好都合― そんなふうに思っていた。 だけど、今の状況を見る限り― 若子は本当に、危険な目に遭っているのかもしれない。 怒り、憎しみ、不安、焦燥。 いろんな感情が西也の胸でぐちゃぐちゃに絡まり合い、今にも暴れ出しそうだった。 まるで心の中に一頭の獣が棲みついて、荒れ狂っているようだった。 その時だった。 遠くから、かすかな赤ん坊の泣き声が聞こえてきた。 「......泣いてる?」 西也は床のガラスを踏みつけながら、外へ駆け出した。 庭の角を曲がると、ひとりの使用人が赤ちゃんを抱いてあやしていた。 「よしよし、泣かないで......お願いだから、もう泣かないで......」 「何してる!」 怒鳴り声が響いた。 使用人はビクッとして顔を上げる。 「え、遠藤様......」 その声に、子どもはさらに激しく泣き出した。 西也はそ
修は、うつろな意識の中で空に手を伸ばした。 人差し指が―あの幻の彼女と、触れ合った気がした。 見上げる蒼穹をじっと見つめながら、その瞳は疲れ果てながらもどこまでも優しかった。 その眼差しには、果てしない想いと探し求める心が込められていた。 「......若子」 ぽたり、と彼の手が地面に落ちた。 目を閉じ、そのまま意識を失う。 「藤沢さん!藤沢さん!」 慌てた数人がすぐに駆け寄り、倒れた修を抱き上げ、車へと運んでいった。 ― 午後。 別荘は明るい陽光に包まれていた。 空は宝石のように澄んだ蒼で、白い雲が羽のようにゆっくりと舞っている。 周囲の緑豊かな木々と色とりどりの花が織りなす風景は、美しく香り高い。 だが、別荘の内部はまったく別の世界だった。 鋭くぶつかる音、物が叩きつけられる音が絶えず響き渡り、その空間に暴力的な不安が充満していた。 まるで、外の穏やかさとは真逆の―混沌と怒りの世界。 部屋の中では子どもがわんわん泣いていた。 慌てた使用人たちは、泣き声がリビングに届かぬよう、遠くの部屋へ連れて行くしかなかった。 彼らはこんな西也を見たことがなかった。 若子がいた頃の彼は、いつも穏やかで優しく、誰にでも微笑みを向けていた。 だが、今の彼は違う。 まるで怒りに支配された獣。 顔にはまだ傷跡が残り、その表情は荒れ果てていた。 目には凶暴な炎が宿り、眉間には険しい皺が刻まれ、唇はきつく結ばれている。 その怒気は空気を震わせるほど濃く、雷鳴のような苛立ちが周囲を飲み込んでいた。 その端正な顔立ちは、今や憤怒に歪み、まるで嵐に削られた岩のようだった。 「クソッ、藤沢......!絶対に許さない......!」 手にしたグラスの中で、赤いワインが揺れていた。 それはまるで、血のように―復讐と怒りに燃える色だった。 西也はワインを一口飲む。 その酸味が舌に広がる。 目の奥には危険な光が灯り、まるで狩りの前の獣― 残忍で、冷酷。 アルコールが怒りに火を注ぎ、彼はますます抑えがきかなくなる。 まるで檻に閉じ込められた猛獣のように、暴れ出す寸前だった。 イライラとした手つきで、シャツのボタンをいくつか外す。 露わになった胸は呼吸に合わせて
突然、乾いた空気を切り裂くように、誰かの叫び声が響いた。 「砂の下に、人がいるぞ!」 その言葉を聞いた瞬間、修は狂ったように駆け出した。 途中、何度も転びながらも、必死に立ち上がる。 まるで全身をすり減らしながら、呼吸も忘れて走った。 そして、ようやく指差された場所へたどり着いた。 ―衣服の一部が、砂の下から覗いていた。 修の心臓が、まるで見えない手でぎゅっと握り潰されるように締めつけられる。 その目は恐怖と茫然に染まり、絶望と痛みが怒涛のように押し寄せ、魂を押し流していく。 彼は崩れるように両膝を地面に突き立て、震える手で砂に手をついた。 そして― そのまま、発狂したように手で砂を掻き始めた。 焦燥と恐怖が胸を支配し、心が張り裂けそうになる。 ひと掻き、またひと掻きと砂を除けるたび、時間が無限に引き延ばされていくような錯覚に陥る。 ―その一粒一粒が、心を千切り裂く刃だった。 「藤沢さん、やめてください!」 数人の男が駆け寄り、彼を止めようとする。 けれど、修の手はすでに血まみれだった。 指先は裂け、爪は剥がれ、手は真っ赤に染まっていた。 「離せ、離せって言ってるだろ!」 修は、もう何も見えていなかった。 体力も尽き果てていたはずなのに、どこからか底知れぬ力が湧き上がって、二人の男を振りほどき、再び地面に這いつくばった。 膝をつき、砂に指を滑らせながら、ただひたすらに希望を探していた。 「藤沢さん、俺たちが掘るよ。道具もあるし、少しだけ下がってください」 「ダメだ!」 修は怒声を張り上げる。 「お前らじゃダメだ!傷つけちまうだろ!どけ、全部俺がやる!」 もはや、常軌を逸していた。 目は血走り、今にも血の涙がこぼれそうだった。 誰も何も言えなかった。 埋められた人間が無事なわけがない。 仮に掘り起こしたとして、それは「生きている」とは呼べないものだ。 だからこそ、「傷つけるかどうか」なんて、もはや意味のないことだった。 そんな冷静な意見を、誰も口にできなかった。 狂気に満ちた修の姿を見て、何人かは無言で手袋をはめ、自ら手で掘り始めた。 しばらくして、砂の下から、ようやく一つの人影が姿を現す。 それは、腐敗が進んだ遺体だった。
修は、アメリカ現地の組織に協力を仰いでいた。 ここで若子を探すには、どうしても彼らの力が必要だった。 現地に詳しく、豊富なリソースや地下のコネクションを持ち、広範な情報網を使って様々な情報を集めることができる。 SKグループもアメリカで大規模なビジネスを展開しており、各地の勢力と取引があった。 その関係を通じて、ニューヨーク中の監視映像を調べあげた。 たしかに若子が運転していた車は確認できた。だが― その車がどこに向かったのか、最終的な目的地までは追えなかった。 ニューヨークのカメラ網は完全じゃない。 商業エリア、政府機関、重要施設や交通の要所などにはカメラが設置されているが、住宅街や人口の少ない郊外では設置率が極端に低く、場合によっては全くない場所もある。 映像を頼りに可能性のある経路を一つずつ洗い出し、あらゆる手を尽くしていた。 確実に言えることは―若子は失踪した、という事実だった。 電話も繋がらない。 彼女が乗っていた車も消えていた。 異国の地で、ひとりの女性が忽然と姿を消す。 それがどれほど恐ろしいことか。 どんな目に遭っているか、想像すらしたくない。 修は、眠ることもなく、ただひたすらに若子を探し続けていた。 アメリカには、人の気配がまったくない土地が無数にある。 広大な砂漠も。 誰かに殺され、砂漠に埋められれば―きっと、誰にも見つけられない。 ......そんなこと、あってたまるか。 若子がいなくなったら、自分も生きていけない。 今、彼らは人の気配がほとんどない砂漠地帯の一角で捜索を行っていた。 若子の走行ルートから推測すれば、彼女がこのあたりに来ている可能性は高い。 ただし、それも確実ではない。 ここはあくまで「候補のひとつ」にすぎない。 だが、それでも―ひとつずつ、確かめていくしかなかった。 捜索隊は特殊な機器を使い、砂漠の地表を調べていた。 地中に何か不審なものが埋まっていないか、細かく確認していく。 修は、その広大な砂漠の中をさまよっていた。 まるで魂の抜けた亡霊のように、苦しげな眼差しをさまよわせながら― やせ細った体は風化した岩のように荒れ、乾燥しきった肌は枯れ葉のようにひび割れていた。 唇には血がにじみ、よろよろと