若子は魂が抜けたような状態で、西也に連れられて家に戻った。 帰宅するなり、若子はすぐに電話を手に取り、修に電話をかけようとした。 彼の番号は、数字の一つ一つまで、彼女の頭に深く刻まれている。 西也は、若子が修の番号を手慣れた様子で押すのを見て、目に一瞬の不快感を浮かべた。 しかし、彼は若子が修に連絡できないことを知っていた。 案の定、若子は電話を耳に当てたまま、長い間待っても繋がらない。もう一度かけ直しても、やはり通じない。 修の携帯は、ずっと繋がらない状態だった。 「若子」西也は前に進み出て、「お前が彼のことを心配しているのはわかる。でも、今は自分の体を大事にしなきゃ。お前は妊娠しているんだ。医者を呼んで診てもらおう。お前と子供のことが一番大事なんだ、いいか?」 「子供......」若子は下を向き、自分のお腹をそっと撫でながら、涙を止められずにこぼした。「子供......これは私と修の子供なの。彼に妊娠したことを伝えなきゃ。伝えたい......」 西也は彼女の背後に立ち、その目には冷たい光が宿っていた。 彼はそっと若子の手を握り、「若子......」と声をかけた。 突然、若子は自分の手を引き抜き、お腹を抱えるようにして、彼の触れ合いを避けるかのように身を引いた。 西也は一瞬驚き、手の中の空虚さに、心も同じように空っぽになった。 若子は魂が抜けたように、頭の中は修のことでいっぱいで、耳元にはあの仮面の男の声が響き、選択を迫るカウントダウンが聞こえるかのようだった。 激しい痛みが胸に押し寄せ、彼女は心臓を押さえ、もう立っていられず、そのまま後ろに倒れ込んだ。 「若子!」西也は後ろから彼女を受け止め、しっかりと抱きしめた。「若子、どうしたんだ?」 「修......修......」若子は彼の名前を呼び続け、次第に視界が暗くなり、意識を失った。 ...... 一時間後。 リビングでは、成之がソファに座り、すでに何本もの煙草を吸っていた。 彼はずっと焦燥感に駆られ、待ち続けていた。 やがて足音が聞こえ、振り向くと、西也がこちらに歩いてくるのが見えた。 「おじさん」西也は彼の近くのソファに腰を下ろした。 「若子の具合は?」成之はその目に深い心配を隠しつつ、わずかながらも関心を示した。
成之は西也の話を聞き終え、眉間のしわをさらに深めた。 「つまり、肝心な時に若子はお前を選んだってわけだな」 「はい、そうです」 若子が自分を選んだ―その事実に最初は喜びを感じたはずだった。だが今、西也の顔には苛立ちが色濃く浮かんでいた。 その様子を見た成之は問いかける。 「若子がお前を選んだってことは、心の中でお前の方が藤沢より大事だってことだろう。それなのに、何をそんなに不満そうにしてるんだ?」 その瞬間、パチンと音を立てて、西也は茶杯を力強く茶卓に置いた。 「若子が泣いて藤沢を探したがっているんです。どうして喜べるんですか?彼女が俺を選んでくれたのは事実です。でも、こんな様子を見せられるくらいなら、いっそ俺が傷ついた方が良かったと思います。そうすれば、彼女は少なくとも俺のことを心配してくれたかもしれないのに......今の彼女の頭の中には藤沢のことしかないんです」 成之は眉をひそめた。 「子どもじみたことを言うなよ。お前の安全が最優先だった。それがどれだけ重要なことかわかってるのか?お前が傷ついてたら、下手すれば死んでたかもしれないだろ」 その言葉に、西也は不満げに反論した。 「どうして俺が傷ついたら死ぬことになるんですか?藤沢だったら矢を受けても死なないけど、俺だったら必ず死ぬっておじさんは思ってるんですか?」 「そんなことを言いたいんじゃない。お前は自分の命を少しも大事に思わないのか?若子が今、藤沢のことを心配しているのは当然のことだ。もし逆にお前があの場で傷ついていたら、若子だって同じようにお前を心配していただろう。あの状況で、彼女がそんな選択をしたのは、心の中でどれだけ苦しんでいたか考えてみろ。お前は若子が自分を選んだことを感謝すべきだ。たとえ彼女が藤沢のことを気にしていたとしても、それを理解してやるのが筋じゃないのか」 「もし相手が誰であっても、俺は理解できたかもしれません」西也は苛立ちを隠せずに言った。「でも、相手が藤沢なら絶対に無理です。俺は若子があいつをそこまで気にかけるのに、もう耐えられません。あいつの何がいいんですか?ずっと彼女を傷つけ続けてきたくせに、今さら誠実なふりをして彼女を取り戻そうとするなんて。 どうして、俺はこんなに努力して若子のために尽くしてきたのに、こんなにも......
「修!修!どこにいるの!」 若子は真っ暗な場所に立っていた。四方は何も見えず、闇に覆われていた。 彼女は必死で前へと走り続けた。けれど、どれだけ走っても終わりが見えない。 「修、どこなの!」 突然、目の前が白く光り輝き、その中に修の姿が現れた。 その姿を見た瞬間、若子の表情は焦りから喜びへと変わった。 「修!」 彼女は全力で修に向かって駆け出した。しかし、走れば走るほど、修との距離はどんどん離れていく。いくら手を伸ばしても、彼には届かない。 「修、どうしたの?動かないで、お願いだから!私を行かせて......頼む!」 若子は懸命に走り続けた。だが、走れば走るほど修の姿は遠ざかり、やがて彼の姿は消えた。再び、世界は真っ暗になった。 「修、どこにいるの?どこへ行ったの?返事してよ!修!」 「若子」 突然、背後から声がした。その声に若子は驚き、振り返った。そこには、十数メートルほど離れた場所に立つ修の姿があった。 「修!」 若子は再び駆け出そうとしたが、修が大声で制した。 「来るな!」 若子は慌てて足を止め、その場に立ち尽くす。怯えたように彼を見つめた。 「修......会いたかった......修、大丈夫なの?平気なの?」 修は笑った。ただ、その笑みは冷たく、皮肉めいていた。 「お前にまだ俺を気にかける余裕があったとはな」 「違うの、修!聞いて、私の話を!」 「何を言いたいんだ?お前が遠藤を選んで俺を捨てた理由か?」 「捨てたんじゃない!私はあなたを捨てたりなんかしてない!」 若子は泣きながら叫んだ。 「あの時、本当に選びようがなかったの!もしできるなら、私は自分を選びたかった。お願い、修、信じて!」 「何を頼むつもりなんだ?」修は冷たく問いかける。 「それは......」若子は言葉に詰まった。何を頼めばいいのか、自分でもわからなくなった。ただ、何かを言おうとするも、舌がもつれてうまく言葉にできない。 修は鼻で笑った。「お前は自分が何を頼みたいのかすらわかっていないのに、それでも俺に頼もうとするのか?笑わせるな。若子、俺はお前に失望した」 「違うの、修!」若子は叫びながら修に向かって走り出そうとしたが、その瞬間、修の姿はまたしても消えた。 「修!」彼女は慌て
「若子、起きた?気分はどう?」 若子が目を覚ました時、頭の中は真っ白だった。目に浮かぶ茫然とした表情は、今自分がどこにいるのかも把握していないようだった。 彼女はベッドのそばに座る人物を見たが、一瞬、その人が誰なのかわからないようだった。 「あなたは......?」 若子の言葉を聞いた花は少し不安を覚え、慌てて問いかけた。 「若子、私のことがわからないの?」 まさか兄と同じように記憶を失ってしまったのだろうか? すると、若子は突然ベッドから起き上がり、慌てて周囲を見回し始めた。まるで何かを探しているようだった。 「修はどこ?修はどこにいるの?」 若子の口から修の名前が出ると、花は眉をひそめた。 「彼はここにいないよ」 「じゃあどこにいるの?」若子は花の肩を強く掴み、「修はどこなの?私、探しに行かなきゃ!会いに行かなきゃ!」と必死で訴えた。 若子がベッドを飛び出そうとするのを、花はなんとか押し留めた。 「若子、落ち着いて!そんなことしちゃダメよ!」 「ダメじゃない!修を探しに行くの!」若子は花の手を振り払おうと必死にもがいた。「放して!放して!」 花は仕方なく声を張り上げた。 「若子、落ち着いて!お腹の中の赤ちゃんのことを忘れたの?」 その一言で、若子はピタリと動きを止めた。彼女の目には恐怖が浮かんでいた。 「修......修の体は血だらけなのに......どうすればいいの......どうしたら......」 若子は胸に手を当て、まるで自分の体が傷ついているように痛みを感じていた。 そんな彼女を見て、花は優しく声をかけた。 「若子、それは夢よ。全部夢なんだから」 「違う......違うの!あれは夢じゃない。修は本当に傷ついた......私のせいで傷ついたのよ!修の言う通り、私は彼を捨てたんだ......私が......!」 若子は声を詰まらせ、涙をこぼし続けた。 花はなんとか彼女をなだめようと続けた。 「まだ彼の消息がわかっていないでしょう?何もわからないってことは、彼が無事な証拠よ。生きているからこそ、何も知らせがないのよ」 「消息がわかっていない......?」その言葉に若子は反応し、再び興奮したように声を上げた。 「西也が私に約束したの!修を探すって!なの
電話がつながると、懐かしくも若子にとって胸が痛むような声が耳に届いた。 「もしもし、どなたですか?」 若子は必死に涙をこらえ、深く息を吸って、なんとか感情を整えた後に口を開いた。 「おばあさん、私です」 どれだけ平静を装おうとしても、その声にはかすかなかすれが残っていた。 「若子?」華はすぐに彼女の声だと気づいた。「どうしたんだい?もしかして体調でも悪いのかい?このところ全然連絡がないから心配していたんだよ。前に戻ってきた時に電話したけど繋がらなくてね。あの時、修から電話があったよ。彼があんたと一緒にいるって言ってた。あんたの携帯がちょうど壊れたって話だったけど、そういうことかい?」 若子は「ええ、そうです、おばあさん」と小さく答えた。「その後、修と連絡を取ったので一緒に過ごしていました。おばあさんに連絡するのを忘れてしまって、本当にごめんなさい」 「全く、この子はいつもそそっかしいんだからね。無事ならそれで安心だけど。でも、二人はどうなってるんだい?仲直りでもしたのかい?」 「おばあさん、仲直りとかそんなことじゃありません。修とはどうあっても家族ですから、会うのは普通のことです。それよりも、修は今どうしてますか?」 「あんたは知らないのかい?」華は不思議そうに聞き返した。 その反応に若子は胸がざわめくような不安を感じた。「おばあさん、私は知らないんです。昨日は修と連絡を取らず、自分のことで忙しかったので」 「修なら出張に行ったよ。急な仕事だったみたいで、挨拶もせずに出て行ったんだ」 「出張ですか?」若子は慌てて聞いた。「どこに出張したかご存知ですか?」 「それがね、詳しいことは聞いていないんだよ。私はもう年寄りだから、若い人がどこで何をしているのか、いちいち気にしないんだ」 「修が直接おばあさんに、国外出張だって言いましたか?」 「いや、曜が教えてくれたんだよ。昨日、彼がご飯を一緒に食べに来てくれてね。修が急いで国外に行ったって話してたよ」 「そうなんですね......」 そうなると、修は無事ということなのだろうか?彼が本当に国外へ行ったのなら、問題ないはず。 でも、若子の脳裏には疑問が浮かぶ。あの時、あの場所で、あれだけの血が流れていたのだ。修はひどいケガを負っていたはず。それなのに、そんな
若子は辛そうに「ええ」と短く返事をし、静かに言った。 「おばあさん、修が帰ってきたら、このことを伝えようと思っています。心配しないでください。私がちゃんと話し合いますから」 「あんたたち若いもんが自分たちで解決できるなら、それが一番よ。私はもうあんたたちの間に口を挟むのはやめるよ。どうせいつか私はいなくなるんだし、ずっと口を出すわけにはいかないさ。前に余計な口出しして、あんたにはずいぶん辛い思いをさせたね。もうそんなことはしないよ」 「おばあさん、そんなこと言わないでください。おばあさんはきっと長生きしますよ」 「長生きしてどうなるんだい?」華はため息をつきながら言った。「どんなに長生きしても、いつかは終わりが来るさ。私はもう、自分の曾孫が見られるだけで十分なんだよ」 華は、以前と比べて随分と柔らかくなったように見えた。修と若子が離婚して以来、彼女は以前ほど厳格ではなくなった。 砂を握りしめるように、力を入れれば入れるほど失っていく―そう悟ったのだろう。だから今は、若い者たちの選択を尊重し、そっと見守るようになったのだ。 「きっと見られます、おばあさん。赤ちゃんが生まれたら、真っ先に抱っこさせに行きますから」若子は涙をこらえきれず、声を震わせた。 「そうかい。それを聞いて安心したよ。体を大事にするんだよ。どこにいても、あんたは藤沢家の人間だ。ここはいつだってあんたの家だし、帰りたいと思った時にいつでも帰っておいで。不満がある時は私にでも、あんたの両親にでも言いなさい。誰にもあんたを傷つけさせないよ。いいね?」 「はい、おばあさん」若子はそう答えた後、小さな声で続けた。「ちょっと用事があるので、これで失礼します」 「そうかい。じゃあ、切るよ」 若子は電話を切ったが、涙を止められず、堪えきれずに泣き出してしまった。 もう少し電話を続けていたら、華にその涙声を聞かれてしまっていただろう。 「おばあさんに申し訳ない......」若子は肩を震わせながらつぶやいた。おばあさんがこれほど優しくしてくれるのに、彼女はその孫である修を見捨ててしまったのだから。 花はそっと若子の肩に手を置き、優しく声をかけた。 「もういい、泣かないで。泣きすぎると赤ちゃんによくないわよ」 しかし、若子の心には拭えない不安が広がっていた。修
花が車を運転して、若子を修と離婚する前に住んでいた別荘まで送った。 執事が若子の姿を見て、驚きの表情を浮かべた。 「若奥様、大丈夫ですか?ニュースを見て心配してたんですよ」 「私は大丈夫だよ。もう安全だから。それより、修は?戻ってきてる?」 「若旦那はまだ帰宅していません。この数日間、全然姿を見せてないんです」 「それじゃ、修から何か連絡はあった?」 「いえ、帰宅も連絡もありません。若奥様、若旦那がどこにいるかご存じですか?」 若子はその場で足元がふらついた。花がすぐに支えなければ、倒れ込んでいただろう。 修は生きてる。絶対に生きてるんだ......! 「もし修が帰ってきたらすぐに教えて。必ず」 執事は強く頷いた。「かしこまりました」 別荘を出た若子は、花に向かって言った。 「携帯を買わなきゃ。番号も復活させないと、連絡が取れない」 「わかった。行こう」 花は車を走らせ、若子を携帯ショップに連れて行った。若子はそこで新しい携帯を買い、同じ番号のSIMカードを再発行した。 その後、花は車を運転しながら、修が普段訪れる場所や会社、さらには修の友人である村上允のところへも向かった。 しかし、どこを探しても修の姿は見当たらない。それどころか、村上允に「修がどこにいるのか」と詰め寄られる始末だった。若子はようやく彼の追及を振り切り、その場を離れた。 次に、花は若子を光莉が働いている銀行へと連れて行った。だが光莉も不在で、修の両親にも会うことができなかった。 若子は修の両親に電話をかけたが、どれも応答がない。まるで意図的に彼女を避けているかのようだった。 修は本当に生きているの? 若子の心には強い不安が押し寄せていた。修の両親も、華も、修のことを隠しているようにしか思えなかった。 若子の青ざめた顔を見た花が、心配そうに言った。 「とりあえず家に戻ろう。藤沢の両親があんたに話さないのは、きっと彼がまだ生きてるからだと思うよ」 「生きてるなら、どうして私に会いに来ないの?どうしてどこにもいないの?」若子は声を上げて泣き崩れた。 花は彼女の肩を掴み、穏やかに話しかけた。 「あんたがお兄ちゃんを選んだから、藤沢は怒ってるんだと思うよ。今は拗ねてるだけ。少し時間が経てば、彼も落ち着くわ。そ
部屋の扉が押し開けられると、若子は床に跪いている人物を見て思わず息を呑んだ。 そこにいたのは、なんと蘭だった。 蘭は体中にロープで縛られ、ひどいケガを負っていた。しかし、まだ生きていた。 若子の姿を見ると、蘭は取り乱したように声を上げた。 「若子、お願い、助けて!私を助けて!」 使用人も驚いた様子で言った。 「若奥様、この人の体に紙が貼られていました」 使用人はその紙を若子に渡した。 若子が目を通すと、そこにはこう書かれていた。 「君へのプレゼント」 使用人が不安そうに尋ねた。「警察に通報しますか?」 「いいわ。あなたは自分の仕事に戻って」 警察に通報したところで意味はない。あの男は影も形もなく現れ、蘭をここに堂々と連れてきた。それも誰にも気づかれることなく― 花は慌てた様子で尋ねた。 「若子、これはいったいどういうことなの?」 若子は答えた。「彼女は私のおばさん。病院に連れて行く必要がある」 彼女には、この一連の出来事をはっきりさせる必要があった。 蘭の話が本当かどうか、自分が両親に養子として迎えられたのかどうか― もしそれが事実なら、自分の本当の親は誰なのか? 花は頷いて言った。「わかったわ。車で病院に連れて行く」 今の花にとって、若子を常にそばで支えることが最優先だった。彼女を一人にはしておけなかった。 若子と蘭は病院へ行き、DNA鑑定を行った。 鑑定結果が出るのは一週間後だという。 蘭のケガは非常に重く、しばらくは病院に滞在するしかなかった。若子は病室に警備員を配置し、蘭を見張らせた。 その後、花が若子に疑問をぶつけた。 「若子、どうして彼女とDNA鑑定をするの?何があったの?」 若子は真剣な表情で答えた。 「彼女は、私が両親の実子じゃないと言ったの。私は信じられないから、鑑定で確かめるの。もし本当に両親と血縁がないなら、私と彼女には血の繋がりがないことになるわ」 その言葉を聞いた花は驚き、胸の奥に緊張が走った。 彼女は若子の身の上を知っていたが、それをずっと隠していた。しかし、今の流れだと若子が自分の出生を調べ始め、いずれ遠藤家に行き着くのではないか―そんな不安がよぎった。 若子は、花の表情がどこかおかしいことに気づき、問いかけた。
若子の態度は非常に強硬で、冷徹にすら見えた。 「松本さん、そんなに急がなくても大丈夫です。もちろん、あなたが手術に同意することは可能です。すぐに手配します」 医者は落ち着いた声で答えた。 法律では若子の言う通りだったが、通常、病院側は医療トラブルを避けるために家族の同意を求めることが多い。それでも、若子の強い決意と「弁護士」という言葉に、病院としてもそれ以上拒むことはできなかった。 若子は婦人科のVIP病室に入院することになり、西也はずっと彼女のそばに付き添っていた。 彼は若子の肩に布団を掛け、優しく整えた。 「西也、もう帰って」若子は冷たい口調で言った。 その言葉に、西也は驚き、動揺を隠せなかった。 「どうしたんだ?」 若子は振り返り、冷たい視線で彼を見つめた。 「あなたは私に手術を受けさせたくないんでしょう?この子を望んでいないんでしょう?」 もし自分があの場で強く主張しなかったら、彼は手術に反対していただろう。そうすれば、自分の赤ちゃんは危険な状態のままだった。 「若子、そんなわけないだろう。この子は俺にとっても大切だ。俺がどうして無関心でいられる?」 「違うわ、この子はあなたの子じゃない」若子の声は冷たかった。「西也、あなたが私を大切にしてくれているのはわかってる。でも、この子は修の子なの。修が怪我をして、私は彼を心配している。それに、あなたがこんなに気にするのなら、どうやってあなたが修の子を実の子のように扱ってくれると信じられるの?」 かつてなら、若子はこんな言葉を口にすることはなかった。しかし今の彼女は心が限界を迎え、何もかも気にする余裕がなくなっていた。 西也はその言葉にショックを受け、信じられないというような目で彼女を見つめた。 「若子、俺を疑うのか?俺がこの子に何かするとでも思ってるのか?」 若子は視線をそらしながら答えた。 「わからないわ。あなたは手術に賛成しなかった。赤ちゃんにとって最善の手術なのに、あなたがそれを止めようとした理由がわからない」 「理由を知りたいのか?」西也の声は傷つき、怒りが滲んでいた。「俺が考えていたのは、お前のことだけだ。医者が手術にはリスクがあるって言ったとき、俺はお前が傷つくんじゃないかって怖かった。それで他の医者にも相談して、より良い方法が
「先生、彼女はどうなんですか?」西也は心配そうに医者に尋ねた。 医者は検査結果をじっくりと確認し、慎重に言葉を選びながら答えた。 「松本さん、あなたの子宮頸管が緩んでいて、胎児の重さに耐えられない状態です」 若子は慌てて聞いた。 「それって、深刻なんですか?赤ちゃんに影響がありますか?」 医者は真剣な表情で説明した。 「妊娠19週目というタイミングで、子宮頸管が緩むと、子宮口が開いてしまい、胎児の生命に大きなリスクをもたらします。このまま放置すれば流産の可能性が非常に高いです」 若子はその言葉を聞いて全身が凍りついたように感じた。心臓が飛び出しそうなほど動揺し、震える声で言った。 「どうすればいいんですか?赤ちゃんを助けるには?」 医者は落ち着いた声で若子を安心させようとした。 「そんなに心配しないでください。子宮頸管が緩んでいる場合、手術で改善できます」 「どんな手術ですか?」西也が質問した。 「子宮頸管縫縮術という手術です。子宮口を縫合して支えを強化することで、早産や流産を防ぎます」 「それが最善の方法なんですか?」 医者は頷いた。 「はい、現在の医学では最も安全で効果的な方法です」 「手術にはリスクはありますか?」西也はなおも確認した。 医者は慎重に答えた。 「どんな手術にもリスクは伴います。子宮頸管縫縮術の場合、手術後に子宮収縮が起こったり、感染症や破水などの合併症が発生する可能性があります。ただし、手術が成功すれば、胎児の生存率を大幅に向上させることができます。母子ともに安全を確保するための重要な手段です」 若子は深く息を吸い込み、意を決したように言った。 「手術をします。すぐに手配してください」 すると、西也が口を挟んだ。 「若子、どうして俺に相談しないんだ?俺はお前の夫だろう」 若子は少し怒ったような口調で答えた。 「こんなこと相談する必要があるの?赤ちゃんの命がかかってるのよ。手術しなかったら赤ちゃんが危険なのに、それでもやらないでいろって言うの?」 西也は慌てて弁解した。 「そんなことを言ってるんじゃない。俺はお前のことが心配なんだ。手術にはリスクがあるんだぞ。もしお前に何かあったらどうするんだ?」 医者は提案した。 「お二人でよく話し合
若子は心配そうに尋ねた。 「この検査、赤ちゃんに影響はありませんか?」 医者は優しく答えた。 「心配しないでください。この検査は非常に安全で、標準的なものです。お母さんと赤ちゃんに害を与えることはありません。できる限り不快感や痛みを減らすように配慮します」 若子はうつむき、そっとお腹を撫でた。その手はかすかに震えていた。 花は彼女の肩を抱き寄せ、そっと慰めるように言った。 「今の医学はすごく進んでいるから、大丈夫だよ。とりあえず検査を受けよう」 若子は小さく頷き、花に支えられながら診察室を後にした。 扉を開けると、廊下には西也が立っていた。彼の顔には焦りの色が濃く浮かんでいた。 「若子、大丈夫か?」 若子は眉をひそめ、不信感を抱いたような目で彼を見た。 「どうしてここにいるの?」 彼女はすぐに近づき、問いただした。 「もしかして修を見つけたの?彼がどこにいるのか教えて!」 しかし、西也の焦りに満ちた表情は次第に冷たさを帯び、低い声で答えた。 「まだ見つかっていない。お前のことが心配で、ここに来たんだ」 若子の心には、わずかに残っていた希望の光があった。しかし、西也の言葉を聞いて、その光は一瞬で消え失せた。 「本当に探してるの?」若子は疑いの目を向けた。 現夫が元夫を本気で探すなんて、到底あり得ない。 「ちゃんと人を派遣して探している」西也は言った。「俺を信じてくれ。ただ、お前のことが気がかりで、こうして来たんだ」 若子は顔を花の方へ向け、鋭い目で尋ねた。 「花、あなたが彼に教えたの?」 花は首を振った。「私じゃないよ。ずっと若子と一緒にいたし、携帯なんて触ってないでしょ?」 「花には関係ない」西也が口を挟んだ。「お前が俺を見たくないことはわかっていたから、花に任せてたんだ。でも、どうしても心配で......だからずっとこっそりお前の後をつけていたんだ。検査してる間も、ずっと病院にいた」 「若子、本当に心配なんだ。もう二度とお前を怒らせたりしないって約束する。藤沢のことが心配なのはわかってる。それでも、お願いだ。お前を支えさせてくれ。お腹の子だって父親の支えが必要だ」 若子の頬を涙が伝い落ちた。 「でも、この子は......修の子よ」 「関係ない」西也は若子の細
部屋の扉が押し開けられると、若子は床に跪いている人物を見て思わず息を呑んだ。 そこにいたのは、なんと蘭だった。 蘭は体中にロープで縛られ、ひどいケガを負っていた。しかし、まだ生きていた。 若子の姿を見ると、蘭は取り乱したように声を上げた。 「若子、お願い、助けて!私を助けて!」 使用人も驚いた様子で言った。 「若奥様、この人の体に紙が貼られていました」 使用人はその紙を若子に渡した。 若子が目を通すと、そこにはこう書かれていた。 「君へのプレゼント」 使用人が不安そうに尋ねた。「警察に通報しますか?」 「いいわ。あなたは自分の仕事に戻って」 警察に通報したところで意味はない。あの男は影も形もなく現れ、蘭をここに堂々と連れてきた。それも誰にも気づかれることなく― 花は慌てた様子で尋ねた。 「若子、これはいったいどういうことなの?」 若子は答えた。「彼女は私のおばさん。病院に連れて行く必要がある」 彼女には、この一連の出来事をはっきりさせる必要があった。 蘭の話が本当かどうか、自分が両親に養子として迎えられたのかどうか― もしそれが事実なら、自分の本当の親は誰なのか? 花は頷いて言った。「わかったわ。車で病院に連れて行く」 今の花にとって、若子を常にそばで支えることが最優先だった。彼女を一人にはしておけなかった。 若子と蘭は病院へ行き、DNA鑑定を行った。 鑑定結果が出るのは一週間後だという。 蘭のケガは非常に重く、しばらくは病院に滞在するしかなかった。若子は病室に警備員を配置し、蘭を見張らせた。 その後、花が若子に疑問をぶつけた。 「若子、どうして彼女とDNA鑑定をするの?何があったの?」 若子は真剣な表情で答えた。 「彼女は、私が両親の実子じゃないと言ったの。私は信じられないから、鑑定で確かめるの。もし本当に両親と血縁がないなら、私と彼女には血の繋がりがないことになるわ」 その言葉を聞いた花は驚き、胸の奥に緊張が走った。 彼女は若子の身の上を知っていたが、それをずっと隠していた。しかし、今の流れだと若子が自分の出生を調べ始め、いずれ遠藤家に行き着くのではないか―そんな不安がよぎった。 若子は、花の表情がどこかおかしいことに気づき、問いかけた。
花が車を運転して、若子を修と離婚する前に住んでいた別荘まで送った。 執事が若子の姿を見て、驚きの表情を浮かべた。 「若奥様、大丈夫ですか?ニュースを見て心配してたんですよ」 「私は大丈夫だよ。もう安全だから。それより、修は?戻ってきてる?」 「若旦那はまだ帰宅していません。この数日間、全然姿を見せてないんです」 「それじゃ、修から何か連絡はあった?」 「いえ、帰宅も連絡もありません。若奥様、若旦那がどこにいるかご存じですか?」 若子はその場で足元がふらついた。花がすぐに支えなければ、倒れ込んでいただろう。 修は生きてる。絶対に生きてるんだ......! 「もし修が帰ってきたらすぐに教えて。必ず」 執事は強く頷いた。「かしこまりました」 別荘を出た若子は、花に向かって言った。 「携帯を買わなきゃ。番号も復活させないと、連絡が取れない」 「わかった。行こう」 花は車を走らせ、若子を携帯ショップに連れて行った。若子はそこで新しい携帯を買い、同じ番号のSIMカードを再発行した。 その後、花は車を運転しながら、修が普段訪れる場所や会社、さらには修の友人である村上允のところへも向かった。 しかし、どこを探しても修の姿は見当たらない。それどころか、村上允に「修がどこにいるのか」と詰め寄られる始末だった。若子はようやく彼の追及を振り切り、その場を離れた。 次に、花は若子を光莉が働いている銀行へと連れて行った。だが光莉も不在で、修の両親にも会うことができなかった。 若子は修の両親に電話をかけたが、どれも応答がない。まるで意図的に彼女を避けているかのようだった。 修は本当に生きているの? 若子の心には強い不安が押し寄せていた。修の両親も、華も、修のことを隠しているようにしか思えなかった。 若子の青ざめた顔を見た花が、心配そうに言った。 「とりあえず家に戻ろう。藤沢の両親があんたに話さないのは、きっと彼がまだ生きてるからだと思うよ」 「生きてるなら、どうして私に会いに来ないの?どうしてどこにもいないの?」若子は声を上げて泣き崩れた。 花は彼女の肩を掴み、穏やかに話しかけた。 「あんたがお兄ちゃんを選んだから、藤沢は怒ってるんだと思うよ。今は拗ねてるだけ。少し時間が経てば、彼も落ち着くわ。そ
若子は辛そうに「ええ」と短く返事をし、静かに言った。 「おばあさん、修が帰ってきたら、このことを伝えようと思っています。心配しないでください。私がちゃんと話し合いますから」 「あんたたち若いもんが自分たちで解決できるなら、それが一番よ。私はもうあんたたちの間に口を挟むのはやめるよ。どうせいつか私はいなくなるんだし、ずっと口を出すわけにはいかないさ。前に余計な口出しして、あんたにはずいぶん辛い思いをさせたね。もうそんなことはしないよ」 「おばあさん、そんなこと言わないでください。おばあさんはきっと長生きしますよ」 「長生きしてどうなるんだい?」華はため息をつきながら言った。「どんなに長生きしても、いつかは終わりが来るさ。私はもう、自分の曾孫が見られるだけで十分なんだよ」 華は、以前と比べて随分と柔らかくなったように見えた。修と若子が離婚して以来、彼女は以前ほど厳格ではなくなった。 砂を握りしめるように、力を入れれば入れるほど失っていく―そう悟ったのだろう。だから今は、若い者たちの選択を尊重し、そっと見守るようになったのだ。 「きっと見られます、おばあさん。赤ちゃんが生まれたら、真っ先に抱っこさせに行きますから」若子は涙をこらえきれず、声を震わせた。 「そうかい。それを聞いて安心したよ。体を大事にするんだよ。どこにいても、あんたは藤沢家の人間だ。ここはいつだってあんたの家だし、帰りたいと思った時にいつでも帰っておいで。不満がある時は私にでも、あんたの両親にでも言いなさい。誰にもあんたを傷つけさせないよ。いいね?」 「はい、おばあさん」若子はそう答えた後、小さな声で続けた。「ちょっと用事があるので、これで失礼します」 「そうかい。じゃあ、切るよ」 若子は電話を切ったが、涙を止められず、堪えきれずに泣き出してしまった。 もう少し電話を続けていたら、華にその涙声を聞かれてしまっていただろう。 「おばあさんに申し訳ない......」若子は肩を震わせながらつぶやいた。おばあさんがこれほど優しくしてくれるのに、彼女はその孫である修を見捨ててしまったのだから。 花はそっと若子の肩に手を置き、優しく声をかけた。 「もういい、泣かないで。泣きすぎると赤ちゃんによくないわよ」 しかし、若子の心には拭えない不安が広がっていた。修
電話がつながると、懐かしくも若子にとって胸が痛むような声が耳に届いた。 「もしもし、どなたですか?」 若子は必死に涙をこらえ、深く息を吸って、なんとか感情を整えた後に口を開いた。 「おばあさん、私です」 どれだけ平静を装おうとしても、その声にはかすかなかすれが残っていた。 「若子?」華はすぐに彼女の声だと気づいた。「どうしたんだい?もしかして体調でも悪いのかい?このところ全然連絡がないから心配していたんだよ。前に戻ってきた時に電話したけど繋がらなくてね。あの時、修から電話があったよ。彼があんたと一緒にいるって言ってた。あんたの携帯がちょうど壊れたって話だったけど、そういうことかい?」 若子は「ええ、そうです、おばあさん」と小さく答えた。「その後、修と連絡を取ったので一緒に過ごしていました。おばあさんに連絡するのを忘れてしまって、本当にごめんなさい」 「全く、この子はいつもそそっかしいんだからね。無事ならそれで安心だけど。でも、二人はどうなってるんだい?仲直りでもしたのかい?」 「おばあさん、仲直りとかそんなことじゃありません。修とはどうあっても家族ですから、会うのは普通のことです。それよりも、修は今どうしてますか?」 「あんたは知らないのかい?」華は不思議そうに聞き返した。 その反応に若子は胸がざわめくような不安を感じた。「おばあさん、私は知らないんです。昨日は修と連絡を取らず、自分のことで忙しかったので」 「修なら出張に行ったよ。急な仕事だったみたいで、挨拶もせずに出て行ったんだ」 「出張ですか?」若子は慌てて聞いた。「どこに出張したかご存知ですか?」 「それがね、詳しいことは聞いていないんだよ。私はもう年寄りだから、若い人がどこで何をしているのか、いちいち気にしないんだ」 「修が直接おばあさんに、国外出張だって言いましたか?」 「いや、曜が教えてくれたんだよ。昨日、彼がご飯を一緒に食べに来てくれてね。修が急いで国外に行ったって話してたよ」 「そうなんですね......」 そうなると、修は無事ということなのだろうか?彼が本当に国外へ行ったのなら、問題ないはず。 でも、若子の脳裏には疑問が浮かぶ。あの時、あの場所で、あれだけの血が流れていたのだ。修はひどいケガを負っていたはず。それなのに、そんな
「若子、起きた?気分はどう?」 若子が目を覚ました時、頭の中は真っ白だった。目に浮かぶ茫然とした表情は、今自分がどこにいるのかも把握していないようだった。 彼女はベッドのそばに座る人物を見たが、一瞬、その人が誰なのかわからないようだった。 「あなたは......?」 若子の言葉を聞いた花は少し不安を覚え、慌てて問いかけた。 「若子、私のことがわからないの?」 まさか兄と同じように記憶を失ってしまったのだろうか? すると、若子は突然ベッドから起き上がり、慌てて周囲を見回し始めた。まるで何かを探しているようだった。 「修はどこ?修はどこにいるの?」 若子の口から修の名前が出ると、花は眉をひそめた。 「彼はここにいないよ」 「じゃあどこにいるの?」若子は花の肩を強く掴み、「修はどこなの?私、探しに行かなきゃ!会いに行かなきゃ!」と必死で訴えた。 若子がベッドを飛び出そうとするのを、花はなんとか押し留めた。 「若子、落ち着いて!そんなことしちゃダメよ!」 「ダメじゃない!修を探しに行くの!」若子は花の手を振り払おうと必死にもがいた。「放して!放して!」 花は仕方なく声を張り上げた。 「若子、落ち着いて!お腹の中の赤ちゃんのことを忘れたの?」 その一言で、若子はピタリと動きを止めた。彼女の目には恐怖が浮かんでいた。 「修......修の体は血だらけなのに......どうすればいいの......どうしたら......」 若子は胸に手を当て、まるで自分の体が傷ついているように痛みを感じていた。 そんな彼女を見て、花は優しく声をかけた。 「若子、それは夢よ。全部夢なんだから」 「違う......違うの!あれは夢じゃない。修は本当に傷ついた......私のせいで傷ついたのよ!修の言う通り、私は彼を捨てたんだ......私が......!」 若子は声を詰まらせ、涙をこぼし続けた。 花はなんとか彼女をなだめようと続けた。 「まだ彼の消息がわかっていないでしょう?何もわからないってことは、彼が無事な証拠よ。生きているからこそ、何も知らせがないのよ」 「消息がわかっていない......?」その言葉に若子は反応し、再び興奮したように声を上げた。 「西也が私に約束したの!修を探すって!なの
「修!修!どこにいるの!」 若子は真っ暗な場所に立っていた。四方は何も見えず、闇に覆われていた。 彼女は必死で前へと走り続けた。けれど、どれだけ走っても終わりが見えない。 「修、どこなの!」 突然、目の前が白く光り輝き、その中に修の姿が現れた。 その姿を見た瞬間、若子の表情は焦りから喜びへと変わった。 「修!」 彼女は全力で修に向かって駆け出した。しかし、走れば走るほど、修との距離はどんどん離れていく。いくら手を伸ばしても、彼には届かない。 「修、どうしたの?動かないで、お願いだから!私を行かせて......頼む!」 若子は懸命に走り続けた。だが、走れば走るほど修の姿は遠ざかり、やがて彼の姿は消えた。再び、世界は真っ暗になった。 「修、どこにいるの?どこへ行ったの?返事してよ!修!」 「若子」 突然、背後から声がした。その声に若子は驚き、振り返った。そこには、十数メートルほど離れた場所に立つ修の姿があった。 「修!」 若子は再び駆け出そうとしたが、修が大声で制した。 「来るな!」 若子は慌てて足を止め、その場に立ち尽くす。怯えたように彼を見つめた。 「修......会いたかった......修、大丈夫なの?平気なの?」 修は笑った。ただ、その笑みは冷たく、皮肉めいていた。 「お前にまだ俺を気にかける余裕があったとはな」 「違うの、修!聞いて、私の話を!」 「何を言いたいんだ?お前が遠藤を選んで俺を捨てた理由か?」 「捨てたんじゃない!私はあなたを捨てたりなんかしてない!」 若子は泣きながら叫んだ。 「あの時、本当に選びようがなかったの!もしできるなら、私は自分を選びたかった。お願い、修、信じて!」 「何を頼むつもりなんだ?」修は冷たく問いかける。 「それは......」若子は言葉に詰まった。何を頼めばいいのか、自分でもわからなくなった。ただ、何かを言おうとするも、舌がもつれてうまく言葉にできない。 修は鼻で笑った。「お前は自分が何を頼みたいのかすらわかっていないのに、それでも俺に頼もうとするのか?笑わせるな。若子、俺はお前に失望した」 「違うの、修!」若子は叫びながら修に向かって走り出そうとしたが、その瞬間、修の姿はまたしても消えた。 「修!」彼女は慌て