All Chapters of 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう: Chapter 771 - Chapter 780

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第0771話

会社の人々は次々と振り返り、休憩室のドア前に集まってきた。 誰もが見たのは、陸川家のお嬢様が床に座り込み、顔にコーヒーをかけられた姿だった。 コーヒーが頬を伝い落ちる中、嬌は何もせず、ただ泣いているだけだった。反抗する気力すらないようだった。 一方、彼女にコーヒーをかけた女性は、カップをテーブルに置き、ドアの外を見上げた。 外の人々はお互いに顔を見合わせたが、誰も何も言わず、急いでその場を離れ、普段の仕事に戻るふりをした。 「何も見なかったことにしよう」 誰もがそう思ったのは、嬌が会社で敵を作りすぎていたからだ。入社して間もないのに、彼女はすでに多くの人を不快にさせていた。 横柄で無礼、他人の気持ちを考えない。それが彼女の悪癖だった。 彼女を嫌う人々にとって、彼女の屈辱的な姿を見るのはは痛快だった。 嬌が会社から追い出されれば、そのポジションはあの女が引き継げるのだから。 誰もが見て見ぬふりをするのは、そのためだった。 女性は休憩室を出るとき、偶然、会社の社長が易を伴って入ってくるのを目にした。 易はシャツの襟を乱しながら、険しい表情で声を上げた。 「妹はどこだ?」 その冷たい声に、周囲の人々は縮み上がり、さっと距離を取った。 先ほど嬌にコーヒーを浴びせた女性は、口元に薄笑いを浮かべると、そのまま振り返ることなくトイレへ向かった。 手を洗いながら心の中で嘲笑する。 コーヒーをかけた?ちょっと手元が滑っただけ。 易が休憩室で嬌を見つけたとき、彼の胸は痛みに締め付けられるようだった。 血の繋がりがなくても、彼女は二十年以上もの間、彼が守り続けてきた妹だ。彼にとって、嬌は実の妹同然だった。 彼女は家族に甘やかされ、いつも高飛車な態度をとっていた。それが今、こんなに惨めな姿をしている。易は突然来たのではなく、恒育に命じられて嬌を連れ帰ったのだ。 嬌に関する世論はもはや制御不能で、陸川家も巻き込まれてしまった。株式市場が開くと、株価は大暴落した! 彼女を連れ帰って対策を考えなければ、取り返しのつかない事態になる。 嬌の腕が誰かに引っ張り上げられた。 顔を上げると、そこには易がいた。 彼の目には疲労がにじみ、いつもきちんと整っている
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第0772話

輝明はスーツの襟を整え、森下がその後に続く。二人の表情はひどく厳しいものだった。 会社の中は人の行き交う音でざわついていたが、この光景に気付いた社員たちは歩みを緩め、興味深そうに見守っていた。 どうしたのか?こんなちっぽけな会社に、易だけでなく、高杉グループの社長まで来たなんて。「どういうこと?」 先に声を上げたのは易だった。 風は冷たく、会社のエントランスには張り詰めた空気が漂っている。 輝明は易が抱える嬌に目を向け、淡々と口を開いた。 「妹に聞いてみるんだな、彼女が何をしたのか」 「うちの妹は確かに世間知らずだ」 易は冷ややかな目を輝明に向けながら続けた。 「だが、どんなことをしたにせよ、俺が責任を取る。お前の条件を聞こう」 その言葉には、彼の必死な思いが滲み出ていた。 「俺に条件を出させるのか?」 輝明は薄く笑い、目には軽蔑の色を浮かべた。 「お前に俺の条件を満たせる力があるのか?」 「何でもいい、何でもあげる。ただし、陸川家をこれ以上追い詰めるのはやめてくれ!」 易の声には必死さが込められていた。 陸川家はもう耐えきれない。両親も年を取り、もしこのまま全てを失うことになれば、まさに命を奪われるようなものだ。 一度頂点を極めた者が、その後のどん底に甘んじられるはずがない。 輝明は冷ややかに笑いながら言った。 「今の俺に欲しいものなんかない。今日ここに来たのも、別に深い意味はない」 彼の声は冷たく無感情で、聞く者を震え上がらせるほどだった。 「ただ、陸川さんにちょっとした贈り物を渡しに来ただけだ」 「贈り物?ここに?」 易は冷笑した。 恐怖心を抱きつつも、今陸川家を守れるのは彼しかいないのだ。 易は情に厚い人で、ここまでずっと陸川家を支えてきた。 彼が早くから家庭を背負ったのに対し、陸川家の次男は若い頃に国外へ逃れ、年に一度も連絡をよこさないような人間だった。 今、家が崩壊しそうな時にも、一切の連絡がない。 「そうだ」 輝明は唇を抿り、遠くを見つめながら静かに言った。 「ほら、もう来た」 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、2台のパトカーが到着した。 「どういう
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第0773話

「お兄ちゃん、信じて!あたしは何もしていない。あれは河野が勝手にやったこと。あたしとは関係ない!」 嬌は泣きながら訴えた。彼女の顔は涙で濡れ、まるで雨に打たれた花のようだった。 もちろん彼女は知っていた。河野が輝明の祖母に危害を加えようとしていたことを。しかし、彼女自身が命じたわけではない。 「お兄ちゃん、本当に信じて。全部、河野が勝手にやったことなの!」 彼女の薄い唇が震える。だが、易の心の中には別の声が響いていた。 ――だが河野は、お前の操り人形じゃないか。 この事実をどう説明すればいいのか?どうすれば輝明を納得させられるのか? 「お兄ちゃん、お願い、放して!」 嬌は声を張り上げながら逃げようとした。 彼女は逮捕なんてされてはいけない。もし警察に連れて行かれたら、それこそ人生が終わる。 彼女は河野を憎んでいた!どうしてこんな危険を冒す必要があったのか!そして彼女は輝明も憎んでいた。涙に濡れた目で輝明を見つめながら、愛した相手を思うあまり、自分がこんな姿になるとは思いもよらなかった。彼女はとっくに気づくべきだったのだ――かつて綿に危害を加えた結果、綿が辿った運命が、いつか自分に返ってくると。愚かだったのは自分だったのだ!「協力しなさい、嬌ちゃん」 易は低く言った。その目には深い疲れが滲み出ている。 彼がここで彼女を放してしまえば、嬌はますます危険な目に遭う。 「違う!お兄ちゃん、あたしはやってない!」 彼女の声はさらに高まり、周囲の人々が足を止めてその光景を見守る。 陸川家のこの騒ぎは、誰にとっても興味深い話題だった。 一方、易はこの注目を浴びる状況に苦々しげな表情を浮かべた。 易自身も目立つ存在ではあったが、常に他の三大家族、すなわち輝明、秋年、炎の影響下で影が薄く見えていた。 今、この場で彼の名がこれほどまでに注目されるのは、決して誇らしいことではなかった。 「問題がないなら、調査されるのを怖がる必要もないだろう?」 輝明は腕を組み、一方の手にタバコを持ちながら冷たく言い放った。 彼の唇から吐き出される煙が嬌の視界をさらに曇らせた。 彼女は、彼を本当の意味で理解したことがない。 「そんなに追い詰める必
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第0774話

「でも、輝明、あなたを愛したことを一度も後悔したことはない」 嬌の言葉は、かすかに耳に届いた。 輝明は低い声で笑った。 「だが、お前と出会ったことをどれほど後悔しているか、わかるか?」 その一言は、嬌の心に残っていた最後の希望を打ち砕いた。 彼は後悔した。つまり、二人の間のすべての記憶が、彼にとってどうでもいいのだ。「これはあなたの復讐?もしそうなら、成功したよ」 嬌は苦笑しながら問いかけた。 「陸川さん、お前に復讐するほどの価値はない。ただ、これが正当な手続きに過ぎない」 輝明は手にしていたタバコを乱暴に消した。 彼の仕草には荒々しさがあり、表情には冷淡さが漂っていた。 森下がすかさず手を差し出し、彼の持つ吸い殻を受け取った。 森下はそれを嬌の目の前でゴミ箱に捨てた。 それは吸い殻だけではなく、嬌への最後の別れのように見えた。 タバコが消え、この一件も決着がついた。 輝明は軽く手を振りながら、冷たく言った。 「陸川さん、あなたは逮捕されました」 隊長が前に出て、彼女を連行するために動いた。 嬌の両腕は警官たちに掴まれ、その場から引きずられるように連れて行かれる。 易は声も出ず、ただ呆然と立ち尽くしていた。 彼にはもう、この「妹」を守る術が残されていなかった。 嬌は、一度は手にした優れた条件を、自ら無駄にしてしまったのだ。 彼女が何をしようとも、陸川家はそれを覆い隠してきた。 だが、陸川家自体を泥沼に引きずり込むとなれば、それを庇う理由はどこにもない。 「お兄ちゃん、助けて!」 嬌の目は易に向けられ、必死に助けを求める表情をしていた。 だが、易は目を背け、何も言わなかった。 しばらくすると、彼はその場を後にした。 「お兄ちゃん!」 嬌の声が震えた。お兄ちゃんは自分を捨てるつもりなの? 彼女の目の前で易は車に乗り込むと、振り返ることもなくその場を去った。 嬌の心は完全に氷のように冷え切った。 彼女が警察車両に押し込まれたとき、輝明が彼女を見つめる冷ややかな目が視界に入った。 その目はあまりにも鋭く、彼女の心を切り裂くようだった。なんて残酷な人だ。自分のすべてを奪うなんて。
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第0775話

研究所の作業室で、綿は壁に寄りかかりながらデータを処理する機器を眺めていた。 手元のスマホにはニュースのライブ配信が映っている。 ツイッターのコメント欄よりも、ライブ配信のチャット欄は賑やかだった。 【いやでも、高杉輝明って本当にイケメンだよね】 【この男、360度どこから見ても完璧だわ。こんな高画質のカメラでこれとか、どういうこと?】 【この顔、圧倒的すぎる。もし芸能界に入ったら即トップスター確定。でも、彼には黒歴史があるから無理か(笑)】 綿は目を細め、うんざりしてコメント欄を非表示にした。 スマホ画面には、輝明が記者たちに囲まれながら車に乗り込む姿が映し出されている。 記者が解説を始めようとした瞬間に、綿はニュースを閉じた。 すぐにツイッターには、ニュース画面のスクリーンショットが投稿されていた。 【ニュース見てたらちょうどこんな瞬間をキャプチャしたんだけど、高杉輝明がタバコを消して、吸い殻を助手に渡してるの。この雰囲気、圧巻すぎて言葉が出ない!】 この投稿はあっという間に拡散し、コメント欄も賑わっていた。 コメントは三派に分かれる。 一つ目は顔面派――ひたすら輝明の顔を絶賛する人々。 二つ目は中立派――特に意見を述べない無難な人々。 三つ目は批判派――「こんなクズ男を見てキャーキャー言うなんてどうかしてる」と文句を言う人々。 綿は呆れたようにスマホの画面を消した。 水を一口飲み、カップを手に休憩室を出ようとしたとき、陽菜と偶然出会った。 陽菜の目には、冷たい光が浮かんでいた。 綿は気に留めず、淡々とした態度を崩さない。 「バタフライを知ってるって言ってたけど、その人の作品はいつ見られるの?」 陽菜は問い詰めるような口調で言った。 綿はコップに口をつけながら、落ち着いた声で答えた。 「焦ってるの?」 「焦ってなんかない。ただ、誰かさんが大口を叩いてるだけじゃないか確かめたいだけ」 陽菜の声にはとげとげしさがにじんでいた。 綿は静かに笑い、軽く肩をすくめた。 陽菜を避けて歩き出そうとすると、彼女が再び声をかけた。 「ニュース見たでしょ?嬌が連行されたわ」 綿の目がわずか細くなった。 な
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第0776話

徹はうなずき、静かに言った。 「今後の消耗はどんどん増える一方だ。だから、実力のある人が加わるなら、それに越したことはない」 「その人とは誰ですか?」 綿が問いかけた。 「夜になればわかる」 徹は笑顔を見せ、続けた。 「そのためにわざわざ君を探しに来たんだ」 彼の言葉には暗に「断らないでほしい」という意味が込められていた。 綿は沈黙した。 彼女の中には漠然とした不安が広がっていた。 「それって、輝明ですか?」 綿が探るように言うと、徹は驚いた顔を見せた。 彼女がこれほど敏感だとは思わなかったのだ。 「もし彼なら、でも――」 彼が言葉を続ける前に、綿がそれを遮った。 「山田さん、もし輝明があなたにいくら投資しているのか教えてください。私がその倍を出します」 彼女の声には冷たさがあり、その表情には一切の妥協が見られなかった。 彼女はその男を研究所に関与させたくなかった。 「桜井さん、感情的にならないでくれ!輝明が投資してくれるのは、我々にとって重要な機会なんだ」 徹は真剣な顔で説得するように言った。 だが、綿は静かに首を振った。 「山田さん、もう一度よく考えてください」 「考えた上での結論だよ。だからこそ、夜に来てほしいんだ」 彼の声には固い決意が滲んでいた。 綿は言葉に詰まった。 徹の眉間には一瞬皺が寄った。 綿の胸中には苛立ちが広がっていく。 彼女は強く逆らいたい気持ちを抑えきれない。 しかし、彼女には理解していることがあった。 研究所では、彼女が院長であり投資家であるとはいえ、その立場は徹の好意に依存しているということだ。 彼女の出資額は徹のそれに及ばず、この研究所の創設者も徹だった。 彼女はあくまで「共同経営者」でしかない。 彼女が意見を言う資格はあるが、それを受け入れるかどうかは徹次第だった。 さらに、彼女が自ら身を引くこともできる。 だが、「SH2Nの研究を完成させること」は、彼女の祖母の夢だった。 彼女が去ることは、その夢を裏切ることに等しかった。 徹も、自分が競争から外れることを恐れていないのかもしれない。結局のところ、綿が一人去ったとこ
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第0777話

徹は陽菜を連れて研究所を出ていった。 綿は椅子に腰を下ろし、しばらく考え込んでいた。 この研究所のトップは結局、徹だった。 この事実を前に、彼女の心にはどうしようもない苛立ちが湧き上がっていた。 もしここに祖母がいたら、徹は祖母をこんなふうに困らせたりはしなかっただろう。 むしろ祖母の方が、研究所のために自ら進んで譲歩していたに違いない。 綿は首を振り、心を落ち着けようとする。 「早くこの研究を完成させて、この場を離れたい」 その思いが胸中でますます強くなる。 「すべてが片付いたら、山奥に隠居して暮らそう」 ふとそんな未来を想像した。 もし父の会社が自分を必要とするなら、会社を継ぐのも悪くない。 「でも、父が必要としないなら?」 そんな時は、かつての夢を追いかけ、国外で留学し、ジュエリーデザインを学ぼう。 彼女はふと溜息をつく。考えれば考えるほど、怒りが心の中で燃え上がっていくのを感じる。 苛立ちを抑えられない彼女は、スマホを取り出し、ブロックリストを開く。 そこには輝明の番号が登録されていた。 彼女は一瞬躊躇したものの、彼をリストから外し、電話をかけた。 ……出ない。 呼び出し音だけが続く。 もう一度かけても応答がなく、綿は眉をひそめた。 三度目をかけるのは嫌になり、スマホを机の上に放り投げたその時―― スマホが振動した。 画面に映し出された名前は「高杉輝明」。 彼女の表情は一瞬で冷たくなった。 「わざと?」彼女はそう思わずにはいられなかった。 彼女が諦めると、わざわざかけ直してくるとは…… 綿は電話に出るが、音声をスピーカーに切り替え、机に置いたまま黙り込む。 しかし、電話の向こう側からも何の声も聞こえてこない。 ……何も言わない? 両者の間に張り詰めた沈黙が続く。そして、彼女は苛立ちを募らせながら電話を切った。 何様のつもりなのよ! 彼女の声が室内に響く。 一方、輝明のオフィス。電話を切られた彼は、静かに森下を睨みつけた。 森下は冷や汗をかき、困った表情を浮かべた。 実は綿からの電話に輝明は驚いていた。まさか彼女が自分をブロックリストから外して電話し
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第0778話

綿が疲れたように電話越しで文句を言うのをやめると、電話の向こう側から穏やかな声が聞こえた。 「もう言い終わった?」 彼女は歯を食いしばりながら答える。 「終わった!」 「水でも飲めよ」 その言葉に、綿は皮肉な笑みを浮かべた。 「あなたって本当に!」 彼女が言い終わらないうちに、輝明は静かに彼女の言葉を遮った。 「投資したいと望んだのは俺じゃない。山田徹がこの話を持ち上げてきたんだ」 その言葉に綿は詰まった。 「山田さんが言うには、研究所の後期の費用負担がますます大きくなるそうだ。俺が参加すれば研究がスムーズに進む、とね。もし君が俺の参加を望まないなら、参加しない」 彼の声は誠実で、まるで彼女のためにすべてを引き下がる覚悟を持っているかのようだった。 「君たちの役に立てると思っていただけだ。申し訳ない……」 そのトーンに、綿の心は微妙に揺れた。 「本当に、あなたが自ら望んで参加したわけじゃないの?」 「違う」 輝明は即座に答えた。 綿は眉をひそめ、さらに問い詰めた。 「じゃあ、山田さんは私たちの関係を知っていながら、あえてあなたを引き込んだの?」 輝明は苦笑しながら否定した。 「彼に悪意はないよ。それに、君が研究所にいるから俺を選んだわけでもない。ただ単に、俺が適任者だっただけだ」 綿はそれ以上言葉を発することなく、電話を切ろうとした瞬間、再び彼の冷静な声が響いた。 「今、彼が求めているのは俺の資金だ」 彼の言葉に、綿は立ち止まった。 だから山田さんはあの食事会に出席するよう頼んだのね。 すべてが一瞬で理解できた。 彼女を通じて、輝明の投資を取り付けたいのだ。 その時、彼の声がさらに柔らかく聞こえてきた。 「俺は約束したことは守る。手放すと言ったからには、君を自由にする」 彼の声は低く、どこか本心を隠したような響きがあった。 綿はそれ以上答えず、電話を切った。 彼が本当に言葉通りに行動するのかどうか、それはまだわからない。 彼女はスマホを机に叩きつけるように置き、深く息を吐いた。 さっきまでの苛立ちは消え、少し気持ちが楽になった。 彼が無理に参加しようとしたわけじ
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第0779話

夜、クラウドダイニング。 綿は白いワンピースに濃い色のコートを羽織り、手には世界限定のバッグを持って店内に入った。その瞬間、注目の的となった。彼女の全身から感じられる上品さと優雅さが周囲の注目を集めたのだ。 知人を見つければ微笑み、店員に案内される際は「ありがとうございます」と静かに声をかける。その所作一つ一つが自然に人々の好感を引き寄せた。 最近、嬌が警察に連行されて以降、人々は改めて綿という人物を見直しているようだった。 遠くからでも輝明と徹が話しているのが見えた。彼らは何か楽しそうな話をしているようで、徹は朗らかに笑っていた。 綿は口元を引き締め、表情を整えた後、きっぱりとした足取りで彼らの元へ向かった。 「来たね」 徹が彼女を見つけて声をかけると、輝明も振り返った。その視線の先には、コートを脱ぎ、店員に渡す綿の姿があった。 彼女は袖を軽くまくって、ゆっくりと徹のそばに腰掛けた。 その首元にはバタフライのモチーフのネックレスが輝いており、白い肌を際立たせていた。爪にはネイルが施されていなかったが、全体の美しさにまったく影響を与えない。 髪はざっくりとまとめられ、クリップで留められているだけだったが、それでも整然としていた。 彼女は視線を上げ、輝明に向けて控えめな微笑みを浮かべた。 「高杉さん、こんばんは。研究所の院長をしております桜井綿と申します。自己紹介は不要ですよね?」 その声には微かな距離感が漂っていた。 輝明は黙り込んだ。彼女とは十分に知り合いだ。確かに自己紹介の必要などない。 一方、徹は二人を交互に見ながら、ようやく綿が彼に強い拒絶感を抱いている理由を理解した。この二人が顔を合わせると、場の空気がどうにも重い。 「まあ、友人として軽く食事をしながら、研究所のプロジェクトや進捗について少し話せればいいんじゃないかな」 徹は場を和らげようと口を挟んだ。 「ああ、そうですね。でも、高杉さん、理解できるでしょうか?このパートも省いてしまって構いませんよね?」 綿の言葉に、輝明は微笑みを浮かべた。 徹は心の中で冷や汗をかいた。いくら場を繕おうとしても、綿のこの態度では話にならない。投資家にこんな扱いをするなど、とても許されるものではない。
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第0780話

徹はその場を和らげるように笑みを浮かべた。 「たしかに。世間では高杉さんの資産についていろいろ噂がありますが、一番詳しいのは桜井さんじゃないですか?」 綿の表情は一瞬で冷たくなった。 「それはがっかりさせるでしょうね」 彼女は淡々とした声で言葉を続けた。 「私は高杉さんがどれだけの資産を持っているかなんて知りませんし、知る機会もありませんでした。結婚していた3年間、一円たりとも彼の金を使ったことはありません。それどころか、笑顔すら向けられたことがありませんでした」 この一言は、冷水を浴びせかけたようにその場の空気を一気に冷やした。 徹は慎重に輝明の顔色をうかがった。食事の場に彼も同席しているのだから、綿の発言はあまりにも無遠慮だった。だが、不思議なことに、輝明は何も言わず、ただ静かに彼女の言葉を聞いていた。 しばらくして、彼が口を開く。 「もう一度、桜井さんと結婚してみたらどう?」 言葉を言い切る前に、綿がすかさず声を上げる。 「何のために?一度死んでみて懲りずに、また二度目の死を試したいの?あなた、そんなに簡単に騙されるようには見えないけど?」 輝明はしばし沈黙した。 彼女の反応があまりに鋭かったので、彼は話題を切り替えることにした。 「投資の話に戻りましょう」 だが、綿は冷たい口調で言い返す。 「投資ね?それならまず2000億を出して誠意を見せてよ」 彼女は腕を組み、苛立ちを隠そうともしない。 徹は内心冷や汗をかいていた。もし二人が本格的に言い争い始めたらどうすればいいのか。輝明が我慢しきれず、研究所を潰すような行動に出たらどうなるのか。 この二人の関係はそうだと知ったのなら、輝明を助けるんじゃなかった。彼がそんな懸念を抱いている間に、輝明は口元に笑みを浮かべ、静かに言った。 「2000億では足りないでしょう。では、6000億を投資しましょうか。それで誠意は十分と言えるでしょうか?」 彼はスーツのポケットから小切手を取り出し、さらりとテーブルに置いた。 綿は言葉を失った。 徹がその場を取り繕うように笑いながら言った。「二人とも、そのへんでやめにしましょう。まずは食事を楽しみましょう」 綿は目の前の小切手を手に取って確
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