「俺が彼女を軽く扱うような男に見えるか?」 秋年は少し暗い表情を浮かべながら続けた。「彼女が誰だと思う?あの森川玲奈だぞ。俺に手に負える相手じゃないだろ」 「それが分かっているならいい」 輝明はグラスを置き、コートを手に取った。 秋年は苦笑いを浮かべ、「高杉、俺、今回初めて気付いたよ。俺にもどうにもならない相手がいるって」 輝明の歩みが一瞬止まり、彼は目線を落としたままエレベーターに向かって歩き出した。 「高杉、俺、彼女を本気でアプローチしてみようかな」 秋年は輝明の隣に並びながらそう言った。 「好きならいけ」 輝明は淡々と答えた。 秋年は舌打ちをし、彼をじっと見つめた。「お前、まるで悟りを開いたお坊さんみたいだな。欲がまったくない感じ」 輝明は視線を上げた。欲がないだと?欲があるさ。ただ、その欲はもうどう足掻いても手に入らないのだ。 秋年は静かに笑い、言葉を継いだ。「でも、後悔してるんだろ?当時、もっと桜井と話しておけばよかったって」 その視線はエレベーターの表示に向けられた。 「お前は思い返さないか?高校の頃、彼女のためにタバコをやめたり、友達に合わせたり、辛いものを食べたり。そして、彼女の近くにいるためだけに医学部の近くの大学を選んだり」 秋年は軽く笑いながら輝明を見た。「彼女、知ってるのか?お前が元々海外に行く予定だったこと」 輝明の唇が僅かに引き締まった。 封じ込めていた記憶が突然掘り起こされ、彼は不意を突かれたように立ち尽くした。 彼女は知らない。 彼がかつて海外留学を諦めた理由も、タバコをやめた理由も、辛いものを食べるようになった理由も、彼女は全て後から知ったのだ。 「もう関係ないことだ」 彼は静かにそう言った。 秋年は少し黙った後、口を開いた。「だからこそ、恋愛ではお互いを信じ合うことが大事なんだよな。お互い話すべきことを話して、ちゃんと伝えることがもっと重要だ」 エレベーターが到着し、扉が開いた。 輝明は真っ先にエレベーターに乗り込んだ。 一人は中に立ち、もう一人は外に立ったまま。 まるで二つの平行線のようだった。一人は愛について明確な考えを持ち、もう一人は自分の進むべき道さえ見失っていた。
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