All Chapters of 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう: Chapter 661 - Chapter 670

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第0661話

綿はリンゴを持つ手を一瞬止め、静かに尋ねた。「恵那もバタフライを知ってるの?」 「バタフライを知らない人なんている?まさか、あなた知らないわけないよね?」 恵那は綿を上から下までじっくりと見回し、その目にはどこか嘲笑めいた表情が浮かんでいた。 バタフライほど有名な人物を知らないなんてあり得ない、という顔だった。 ああ、でも確かに、綿はあまりジュエリーを買わないタイプだ。そう考えると不思議でもないかもしれない。 綿は薄く笑って答えた。「知ってるよ、バタフライを知らないわけないじゃない。あんなに有名なんだから」 「あら、姉妹の前でそんな見栄を張らなくてもいいでしょ?知らないなら知らないって素直に言えばいいのに」 恵那はそう言いながら椅子に座ると、さらに続けた。「バタフライについて、ちょっと教えてあげようか?」 綿は興味を示さず、静かに首を振った。「いい」 それでも恵那は熱心に語り続けた。「綿、バタフライを知れば、ソウシジュエリーがいかにレベルが低いか分かるはずよ。ジュエリー界では、私が認めるのはバタフライただ一人!」 恵那は腕を組み、真剣な表情で言った。 「もしバタフライがデザインしたオートクチュールのジュエリーを借りて、レッドカーペットを歩けるなら、それこそ本物の誇りだわ!」 彼女の目は輝いており、心の中で密かに期待が膨らんでいるのが見て取れた。 年末が近づくにつれ、レッドカーペットを歩く機会が増える。バタフライの復帰作が発表されたことで、彼女の名前は再び話題の中心に躍り出ている。 そのため、バタフライのデザインを借りるチャンスがあるかもしれない、と恵那は密かに期待していた。 綿は静かに彼女の話を聞きながら、なんとなく気まずさを感じていた。確かにバタフライは素晴らしいが、ソウシジュエリーの最新作も決して悪くはなかったからだ。 「じゃあ、ソウシジュエリーには行かないの?」綿が尋ねた。 恵那は首を横に振った。「行かない。でも、マネージャーの話では、今回は結構レベルが高い展覧会らしいよ。招待状がないと入れないし、一般公開もしてないんだって」 恵那はため息混じりに続けた。「招待状をもらえるのは、ソウシジュエリーが特に注目している人だけらしい。話題性があるとか、協
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第0662話

恵那は鼻歌を歌いながら言った。「私は姉ちゃんほど物分かりが良くないからね」 綿は肩をすくめ、気にした様子もなく言い返した。「分かってるならそれでいい」 恵那は大げさに目をひんむいて、心の中で綿を見下した。 聞いた話だと、あのバタフライって女性デザイナーなんだって。しかも若くして有名になったんでしょ?もし姉ちゃんがその人だったらよかったのに。そうすれば、チームの人たちに頭を下げてバタフライのオートクチュールを借りる必要もなかったのに。「バタフライに妹がいたら、きっと幸せだろうな。私もそんな人の妹だったらよかったのに」恵那はため息をつきながら言った。 綿は恵那を横目で見て舌打ちした。 「じゃあバタフライに頼んで、妹にしてもらえばいいんじゃない?恵那、私が姉で、それはあなたが前世で善行を積んだおかげよ」 恵那は微笑みながら言い返した。「綿、そんなに自分を持ち上げなくていいわよ。私みたいなスターの妹がいるなんて、前世の善行はあなたの方でしょ」 「私にスターの妹なんて必要ないわよ。私の親友はトップスターの玲奈だもの。あなたなんか足元にも及ばないわね」 綿は目を丸めながら、玲奈の名前を出して一撃を加えた。 この言葉はさすがに恵那を黙らせるのに十分だった。 恵那は鼻を鳴らし、腕を組んでそっぽを向いた。 千惠子はため息をついて言った。「本当に、あんたたち二人は仲が悪いわけでもないのに、いつもこんなふうに言い合ってばかりで、何のためにそんなことをするの?」 「そうよね、本当に何のために?」恵那はすかさず千惠子に同意し、追い打ちをかけた。 綿はうんざりした顔で言い返した。「恵那、黙りなさいよ」 「おばあちゃん、ほら、私はもう折れてるのに、姉ちゃんがまだこんなに怒ってるんだよ」 恵那は千惠子の腕を掴んで、いかにも不満そうな声で言った。 綿はそのやり取りを無視して、スマホに届いた雅彦からのメッセージを確認した。 雅彦【ボス、誰かがあなたの回帰作を買いたいって連絡してきたよ」 メッセージにはさらにスクリーンショットが添付されていた。そこには提示された金額が書かれていた――200億円。 綿は驚いて目を見開いた。こんなに大盤振る舞いするなんて…… 雅彦【ボス、この価格、いい
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第0663話

綿は恵那の「あなた、まだ芝居するの?」という言葉を聞いて、心の中が一気に焦りでいっぱいになった。 恵那は「スピーカー」みたいな存在だ。もし彼女に自分がバタフライだと知られたら、それは全世界に知られるのと同じことになるだろう。 実際、自分がバタフライだということは、家族にすら話していなかった。それがこんな形でバレるなんて、絶対にダメだ。何とかごまかさなければ。 綿は「いつか正体がバレるかも」と覚悟していたが、まさかこんなに早く、それもこんな状況で危機が訪れるとは思ってもみなかった。 「まだ言い逃れする気?」恵那は綿を指差して強い口調で言った。 もちろん、綿は言い逃れするしかない。ここで認めるわけにはいかない。彼女は控えめのままでいたいのだから。 「違うの、恵那。ただ雅彦とちょっとゴシップの話をしてただけ。私は――」 綿が弁解しようとする途中で、恵那が尖った声で遮った。「絶対にバタフライの作品に興味津々なくせに、よくもまあそんなに平気な顔で装えるね!」 綿は一瞬言葉を失い、唖然とした。 恵那はさらに追い打ちをかけるように続けた。「普段はバタフライの作品なんて大したことないとか言って、ソウシジュエリーのデザインを褒めたりしてるくせに、本当はバタフライの作品が大好きで、こっそり調べてるんでしょ?」 綿は何も言えなくなり、黙ってしまった。 「200億円の話を聞いて、正直気が狂いそうだったんじゃない?」恵那は笑いながら言った。 綿は肩の力を抜き、心の中で安堵のため息をついた。 ――やれやれ、正体がバレたわけじゃないのね。 「そう、そうよ。びっくりしたわ。どうして一つの作品に200億円なんて値段が付くのかしらね!」綿は乾いた笑いを浮かべながら額に手を当てた。 本当に緊張で死にそうだった。 「ねえ、姉ちゃん、なんだかすごく慌ててない?」恵那は綿の様子を観察しながら、不思議そうに尋ねた。 ただバタフライの作品を調べていたことがバレただけで、どうしてそんなに慌てるのか。彼女にはそれが理解できなかった。 「慌ててないわよ」綿は微笑みを浮かべて言った。「ただ、バタフライが200億円の値を付けたことに驚いてるだけ」 「それでも、バタフライなんだから当然でしょ?200億円なんてむし
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第0664話

恵那は、綿の様子にまだどこか引っかかるものを感じていた。 チャットの履歴すら見せてくれないなんて、何か隠しているのではないか? 最近、ネット上ではバタフライの正体について噂が絶えなかった。ある情報では、バタフライは若い女性であると言われている。さらに、昨晩はハッカーがバタフライの所在地を突き止めようとしたという話もあった。その結果、所在地が雲城ではないかという噂が広まっている。 恵那は綿をじっと見つめながら、まるでシャーロックホームズのような顔つきで言った。 「もしかして……」 「何?」綿は冷静を装いながら答えた。 恵那は冗談っぽく言った。「あなた、まさかバタフライだったりする?」 「そうよ、私がバタフライよ」綿はためらいもなく話を合わせた。 恵那は一瞬ぽかんとした表情を浮かべた。 もし綿が言い訳したり、誤魔化そうとしていたら、もっと疑いを深めたかもしれない。しかし、こんなにあっさり「自分がバタフライだ」と認めるなんて、それは逆に嘘だと確信させるものだった。 「姉ちゃん、さすがに私も妹として少し見損なうわ」 恵那は冗談を続けながら言った。 「恋愛ボケをやめただけでも褒めてあげたいのに、あなたがバタフライだなんて、そんな幻想するくらいなら、千惠子おばあちゃんがバタフライだった方が現実的でしょ?」 そう言いながら、話題を千惠子に振った。 綿は呆れたように薄く笑い、心の中で「ありがとう、少しスッキリしたわ」と自嘲した。 確かに以前は恋愛に夢中で周りが見えなくなることもあった。でも、人はいつか目を覚ますものだ。それにしても、今さらそんな話を引っ張り出されるなんて、少し腹立たしい。 「恵那、その口の利き方、いつか誰かに本気で怒られるわよ」 綿は隣の椅子から外套を取り上げながら言った。 「私はもう行くわ」 「まあ、外ではこんな話し方しないから大丈夫よ」恵那は笑顔で返した。綿が行こうとしているのを見て、彼女を見送る準備をした。 「そうね。どうせ私にだけ全ての悪い感情をぶつけてるんでしょう?」綿は皮肉を込めて言いながら立ち上がった。「いいから、ここに残っておばあちゃんの面倒を見なさい。私は一人で帰るから」 「分かった、じゃあ送らないわ」恵那はあっさりと歩み
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第0665話

綿はこういうしつこい買い手が一番嫌いだった。一度「売らない」と言ったのに、何度も問い合わせてくるなんて。 彼女は迷うことなく電話を切った。この行動で、雅彦も綿の意思を完全に理解したことだろう。 そのまま車を運転して研究所に戻ると、入口で警備員に呼び止められた。 「桜井さん」 「どうしたの?」 彼女が近づくと、警備員は中から花束を抱えて持ってきた。「桜井さん、ある男性がこちらに花をお届けしました。お受け取りください」 綿は少し無言になった。 それは大きなピンクのバラの花束だった。 冬の冷たい空気と雪が溶けきらない景色の中で、そのバラはより一層鮮やかで、凛とした雰囲気を漂わせていた。美しい花束だった。 綿は近づく前から、バラの香りがふわりと漂ってくるのを感じた。 もしこの花があの人からでなければ、彼女は間違いなく受け取って花瓶に飾っていただろう。 「いやー、この花、とても綺麗ですね」警備員も思わず感嘆の声を漏らした。 綿は花束を受け取り、礼を言った後、迷うことなく近くのゴミ箱に投げ入れた。そして、すぐに輝明にメッセージを送った。 【もう花を送らないで。好きじゃない】 綿の一連の動作はあまりにも素早く、流れるようだった。それを目撃した警備員は目を丸くし、驚きで立ち尽くした。 座ろうとしていたのに、そのままドアの取っ手を掴んで動けなくなった。 あんなに大きなピンクのバラを、見向きもしないで捨てるなんて……送った人、どれだけ嫌われてるんだ? 綿は何も言わずに研究室に向かった。 彼女がオフィスに入ると、輝明からすぐに返信が届いた。 【?】 彼女は眉をひそめた。なんの【?】だ? 【どんな花?俺じゃないけど】 綿はそのメッセージを見て、わずかに戸惑いながら返信した。 【ピンクのバラ。もう捨てたわ】 【本当に俺じゃない】 彼女はしばらくスマホを見つめた後、返事をしないまま仕事に戻った。しかし、データをいくつか確認しているうちに、妙な違和感を覚えた。 「そういえば……昨日か一昨日、輝明の花を捨てたばかりじゃない?彼は短期間で何度も花を贈るようなしつこい人間ではないはずだ。たとえ今の輝明であっても、他人にメンツを潰されてなおも
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第0666話

綿は炎からのメッセージを見つめていた。彼が直接目の前にいるわけではないのに、その真摯でまっすぐな気持ちが画面越しに伝わってくるようだった。 「冬の初雪にピンクのバラ。君が幸せでいてくれるように」 そんなロマンチックな言葉と行動に、心が少し震えた。 「この子は本当に素晴らしい。けれど、自分と彼が出会ったタイミングが良くなかった。 よく考えれば、自分の周りにいる男性たちはどれも輝明よりずっと良い人ばかりだ。 それなのに、どうして当時あんなに輝明に執着してしまったのだろう?なぜあれほど彼以外は目に入らなかったのか……」 綿は炎に返信した。【花をありがとう。近いうちにお礼に食事をご馳走するわ】 【いやいや、そんなこと言うなら近いうちじゃなくて、今夜どう?午後の仕事が終われば俺は空いてるよ】 綿は思わず笑ってしまった。 この子は本当に行動力のあるタイプだな、と彼女は心の中で思った。こちらが少しでも機会を与えると、すぐにそれを掴み取る。ためらうことなく、自信を持って進んでいく。 【いいわ】 彼女はあっさりと了承した。 捨ててしまった花のことを思うと、炎の気持ちも一緒に無下にしてしまったようで気が咎めた。だからこそ、食事くらいはご馳走したいと思ったのだ。 しかし、彼にもう一つ伝えたいことがあった。 【次からは花を買わなくていいわ。花が好きじゃないの】 炎からすぐに返信が返ってきた。 【え?女の子が花を嫌いなんて珍しいな。女の子は花とロマンで育つものだと思うけど】 綿は思わず口元を緩ませた。 彼は本当に女の子を喜ばせるのが得意だ。 その時、再びスマホに新しいメッセージが届いた。送り主は輝明だった。 【花を贈った人は分かった?】 綿は簡潔に返信した。【分かったわ】 【商崎さん?】 綿は少し笑いながら返信を打った。【そんなに気になるなら、自分で商崎さんに聞いたら?】 【綿、彼は君に似合わない】 輝明からの言葉に、綿は眉をひそめた。 彼女は自分と炎が合わないことは分かっている。でも、それを輝明に指摘される筋合いはない。 そういう態度で遠回しに文句を言う輝明よりも、実際に行動する炎の方が、よほど彼女には心地よかった。 …
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第0667話

炎は綿を不思議そうに見つめた。「どうして謝るの?」と。 彼はただ「花」と言っただけだ。それに対する「ごめんなさい」は唐突すぎて、何を言えばいいのか分からなくなってしまった。 綿は少し困った表情で、ようやく口を開いた。「……その花、最初は高杉が送ってきたものだと思ったの。それで……一目見ただけで……」 彼女は手のひらを擦り合わせ、鼻に手を当てて、気まずそうに視線を逸らした。その様子は、この話題についてとても居心地の悪さを感じていることを物語っていた。 「それで?」炎は続きを促すように問いかけた。「ただ、彼が送ったと思っただけ?」 綿は唇を軽く噛んだ後、炎の目をまっすぐに見つめて正直に答えた。「だから捨てたの」 炎は沈黙した。 彼はもっと酷い結果を想像していた――例えば、綿が輝明に感謝の言葉を伝えたとか。でも、まさか捨てられていたとは思わなかった。それはそれで意外だった。 「輝明からのものだと思ったから捨てたの?」炎は慎重に問い直した。もし彼が綿を怒らせてしまった結果ならどうしよう、と少し不安に思ったのだ。 綿は真剣な顔で頷いた。「そうよ。ただそれだけの理由」 炎は2秒ほど黙った後、小さく「ああ」と返事をした。そして、意を決してさらに聞いた。 「でも、もし最初から俺が送ったって分かってたら?」 その言葉を口にした時、彼の目には微かな緊張が浮かんでいた。 「もちろん捨てないわ」綿は両手を広げて答えた。 その瞬間、炎はほっと安堵の表情を浮かべた。緊張も疲れも一気に消え去ったようだった。 彼が最も恐れていたのは、「誰が送ったものであっても捨てる」と言われることだった。それを考えただけで悲しくなってしまうからだ。 「週末、ソウシジュエリーの展示会には行くの?」綿がふと思い出したように尋ねた。 炎は肩をすくめながら答えた。「いや、創始者とは知り合いじゃないし、特に関わりもないから行かないよ。それに週末はちょうど出張が入ってるんだ」 「出張?どこか遠くへ?」綿は少し意外そうに聞いた。 「うん。一週間くらいかかる予定。でも早く戻れるかもしれないけどね」 綿は軽く頷いた。 炎がふと彼女を見て尋ねた。「行きたいの?展示会は招待状がないと入れないらしいけど。もし必要
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第0668話

「もちろん。君がこんな場所に来るのを嫌がらないっていう前提だけどね」炎は冗談っぽく言いながら、綿を見つめた。 綿はすぐに首を振った。嫌がるわけないでしょ?こんな場所、すごくいいじゃない。 大学時代、友達とよくこんな火鍋の店に来ていたことを思い出した。 外の冷え込みと、店内の暖かい雰囲気が対照的で、客たちの笑い声が聞こえてくる。みんなのんびりと楽しんでいる様子が伝わってきて、どこか心が安らぐ。 綿は豆乳を一口飲んで辛さを和らげた。そしてその瞬間、一日の疲れがすっかり消えた気がした。 こういう場所には何とも言えない魅力がある。 でも、これが炎だから楽しめるのだろう。もし相手が輝明だったら……いや、そもそも彼がこんな場所に来ること自体あり得ない。 彼なら首を硬くしてこう言うだろう。 「そんなジャンクフード、どこが美味しいんだ?」 綿は視線を炎に戻した。 恋愛において、愛しているかどうかが本当にそんなに重要なのだろうか?もしかしたら、「相性がいい」ことの方が大事なのでは? でも、愛が前提となるからこそ、お互いが相手のために変わり、相性が良くなっていくのではないか? 彼女はふと目を伏せ、心の中でため息をついた。 どうやって炎に伝えればいいのだろう。 私に時間を使わないでって。 炎はとてもいい人だ。だからこそ、傷つけたくない。希望を与えてから失望させるのは、彼女自身が経験したことでもあり、二度と誰にもそんな思いをさせたくないのだ。 「これ、あんまり美味しくない?」炎が菜箸で火鍋から具材を取り、彼女のお皿に入れながら尋ねた。 綿はすぐに首を振った。「そんなことない」 炎は微笑みながら、特に何も言わなかった。 彼女が食べ続ける様子を見つめていたが、ふと彼女の気持ちが沈んでいるのに気付いた。 そして、何を言おうとしているのかすぐに察した。 「また俺に断ろうとしてるでしょ?好きになるなって」 炎は気楽そうに話しながら、箸を動かしていた。 綿は彼の目を見た。 彼女には分かっていた。お互い賢い人間なのだから、言葉にしなくても心の内は分かる。 「あなたはどう思ってるの?」彼女が逆に問い返した。 炎はさらりと答えた。 「できる限り
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第0669話

火鍋を楽しんでいる店内で、突然外からざわめきが聞こえてきた。 「え、本当に彼なの?」 「まさか!あんな人がこんな場所に来るなんてあり得ないでしょ?あの人が食べてるのはいつも高級料理だよ。ここみたいな庶民的な店なんて……」 綿はコップを持ち上げ、水を一口飲みながら視線を入り口に向けた。 周りの客たちも一斉に首を伸ばして入り口を覗き込んでいた。次に入ってくるのは一体誰なのか、皆が気になって仕方がない様子だった。 綿が視線を戻そうとしたその瞬間、興奮した声が聞こえてきた。 「うわ、本当に高杉輝明だ!」 綿は驚き、目を上げた。そして目に入ったのは、店のドアをくぐる輝明の姿。そのすぐ隣にはキリナも一緒だった。 炎も彼らを見た瞬間、驚きを隠せない様子だった。 輝明とキリナ? これは仕事の話でもするために来たのか?火鍋の店は輝明のスタイルではない。むしろキリナの趣味なのだろうか? キリナは輝明と笑いながら話しており、店員の案内で2階席へと向かって行った。 綿は平静な表情でその様子を見届け、二人が視界から消えると、何事もなかったかのように飲み物を口に運んだ。 「もしかして黒崎キリナが輝明を展覧会に招待したいんじゃないか?それで彼をここに誘ったとか」炎は興味深そうに推測を口にした。 綿は炎に一瞥をくれたが、特に何も言わなかった。 輝明とキリナが何をしているのか、それほど気にならなかった。むしろ驚いたのは、輝明がキリナに付き合ってこんな場所に来たことだ。 炎は綿が何も言わないのを見て、小声で尋ねた。 「綿、大丈夫?」 綿は眉を上げ、炎を見返した。え?何が?もちらん大丈夫だよ。 「大丈夫って」彼女は笑って答えた。 炎は半信半疑のように目を細めた。「本当に?」 「炎、勝手に私の心を読まないで」綿は呆れたようにため息をついた。 彼女は感情を隠すタイプではない。もし本当に気分が悪かったら、顔にすぐ出るはずだ。今、彼女の表情は平静そのもので、特に何の感情もない。 炎は肩をすくめ、少しがっかりしたような表情を見せた。 綿は彼をからかうように言った。「もしかして、高杉が他の女性と食事してるのを見て、私が嫉妬するのを期待してたの?」 「期待し
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第0670話

森下が少し意外そうに立ち止まり、ドアを押さえたまま綿を見た。わずかに固まった後、軽くうなずき、そのまま手にしていたギフトボックスを持って急いで2階へと上がっていった。 綿はすぐに視線を戻したが、内心では少し不安がよぎった。 森下が輝明に自分がここにいることを知らせるのではないか? もしそうなれば、輝明が下に降りてきて自分に挨拶をしに来るかもしれない。それは避けたかった。しかし彼がキリナと一緒に来ている以上、キリナを一人にして降りてくる可能性は低い。そう思うと少し安心した。 「今週末、予定ある?」突然、炎が声をかけた。「近くのスキー場がオープンするんだけど、一緒に行かない?」 綿は顔を上げ、「スキー?」と少し意外そうに返した。「いいわね」 彼女はスキーが好きだったが、玲奈は忙しいし、雅彦は滑れない。結局一人で行く気にもなれず、しばらく足が遠のいていた。誰かと一緒なら行きたいと思える。 「じゃあ、土曜日に?」炎が確認するように言った。 綿は首を振った。「土曜日は予定があるの。日曜日にしよう」 土曜日はソウシジュエリーのイベントに出席する予定だった。あのジェイドジュエリーを見に行きたいと思っている。 「了解、日曜日にしよう」炎は素直に頷いた。 綿は彼の従順さに軽く笑いながら言った。「あなたって本当に素直ね」 「女の子を口説くなら素直でなきゃ。口説くのくせに反抗的だったり、格好つけたりする奴なんて、病気だと思わない?」 彼の言葉に綿は笑い、「確かに」と答えた。 その笑顔を見ると、炎は相手の好きな男のタイプは分かるそうだ。その時、ウェイターが一皿のデザートを持ってやって来た。「こんばんは。こちら、あるお客様から追加されたデザートです」 綿は驚きつつ礼を言い、デザートをじっと見つめた。 炎はそのデザートを見ながら「誰から?」と聞こうとしたが、綿の沈黙を見てすぐに察した。 輝明だ。 直接挨拶に来ることは避けても、こうして存在感を示さずにはいられないのだ。 綿はデザートを軽く押しのけ、手を付けることなくそのままにした。 しばらくすると、また別のウェイターがデザートを持って現れた。 「お客様、先ほどのお客様から、さらに追加のデザートです」 今度もまた
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