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4・至れり尽くせり

作者: 泉南佳那
last update 最終更新日: 2025-04-08 09:09:57

「カモミールなんだけど、飲めます? 蜂蜜も入れたけど」

「うん、大丈夫。好きだよ。ありがとう」

その暖かくて、ほんのり甘い飲み物は身体だけでなく、心も温めてくれた。

わたしは両手で飲み終わったカップを抱えたまま、彼を見た。

「浅野くん、本当にありがとう。助かったよ」

「いや、俺が無理矢理誘ったんだから、そんなに気を使わないでくださいって」

「でも……」

「さ、話は明日。それ飲んだんなら、もう寝ましょう。来てください。寝室、案内しますから」

浅野くんは話を遮り、リビングを出て行こうとする。

わたしは慌てて彼の後を追った。

「ねえ、ほんとに、どうやってお礼すればいい? こんなに良くしてもらって」

すると彼は振りむき、前髪をかき上げながら、悩ましげな流し目でわたしを見つめてきた。

「じゃあ……キス、してくれます?」

「えっ?」

急変した彼の表情に驚いて、思わず凝視してしまった。

切れ長で明るい茶色の瞳。すっきり通った鼻筋。シャープな顎のライン。

みんなが騒ぐだけある。

麗しすぎる。

国民的イケメンタレントたちと比べてもまったく遜色ない。

驚きに対する身体の反応は後からやってきた。

ドキドキと心臓が高鳴る。顔が紅潮してきたのもわかる。

「わ、わたしのキスなんてお礼にならないでしょう?」

慌てるわたしに、浅野くんは耐えきれなくなったように笑い出した。

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