「……ていうか、萌果ちゃんって補習になるくらいバカだったっけ?」ふたりきりになった途端、藍が話しかけてきた。開口一番に人のことをバカって!「す、数学は特別苦手で……って。いま補習になってるんだから、藍も一緒じゃない!」「俺は仕事で学校を早退して、テストを受けられなかったから。その代わりに、補習になっただけ。萌果と一緒にしないでよ」ムッ。まるで、バカな萌果と自分は違うって言われたみたいでカチンと来た。「萌果ちゃん、昔は俺によく勉強も教えてくれてたのになぁ」「そ、そんなことより!プリント、早く解こうよ」私はシャーペンを手に、藍より先に問題を解き始めたものの……。「……できた」「えっ、もう!?」私が応用問題を解くのに苦労しているうちに、藍はプリントを早々と終えてしまった。「す、すごいね」藍とは、今は同じ学校でも学科が違うから。再会してからは、一緒に授業を受けることがなくて知らなかったけど。藍ったら、会わない間に勉強もできるようになっていたなんて。普通の高校生と違って、藍はモデルの仕事もあるから。たぶん、見えないところで相当努力してるんだろうなって思った。よし。私も、負けていられない。それから気合いを入れ直して、シャーペンを走らせる私だけど。ダメだ。全然集中できない……。なぜならプリントに取り組む私を、藍が飽きもせずにじっと見てくるから。「ちょっと。藍ってば、見すぎ!おかげで集中できないよ。プリントが終わったら帰っていいって、先生が言ってたから。藍、早く家に帰ったら?」「……帰らないよ」「え、なんで??」「なんでって……そんなの、好きな子と少しでも長く一緒にいたいからに決まってるでしょ?」す、好きな子って!ここは学校なのに、藍ったら恥ずかしげもなくまたそんなことを言って……。「ほら、俺が教えてあげるから。さっさと続きやるよ」それから藍は、すごく丁寧に教えてくれた。教え方まで上手だなんて……。「あ、できたかも」藍に教えてもらったとおりにやったら、できなかった問題がすらすら解けた。「正解。やっぱり萌果ちゃんは、やればできる子だね」藍が、私の頭をぽんぽんと撫でてくる。「ありがとう。藍のおかげだよ」「萌果ちゃん、俺に感謝してる?」「もちろん」「だったら……お礼に何かちょうだい?」え!?「何かちょうだいって
「芸能人じゃなかったら……とか、そんなこと言わないで」藍の話を聞いていたら、なぜか無性に抱きしめたくなってしまった。︎︎︎︎︎︎「私は福岡に住んでた頃、藍がモデルとして頑張っているのを見て、自分も頑張ろうって思ってた。離れてても藍が活躍してると思うと嬉しかったし、雑誌の藍の笑顔を見てると元気をもらえた」月並みなことしか言えないけど、本当にそうだったから。「福岡の学校でも藍のファンの子は、沢山いたんだよ?友達で、“今日は藍くんの雑誌の発売日だから、学校頑張ろう”って言ってる子もいたし」こんなこと、藍には初めて話したけど。話しだしたら、言葉が次から次へと溢れて止まらない。「藍には多くのファンの子たちがいて、藍の存在がその子たちのことを笑顔にしてる。それって、すごいことだよ。きっと、誰にでもできることじゃない」「萌果ちゃん……」「私も中学生の頃からずっと、モデル・久住藍のファンのひとりだから。もちろん、幼なじみの藍のことも好きだけどね」「……ありがとう」藍が私の背中に腕をまわし、抱きしめ返してくれる。「最初は、モデルとして売れて、九州にいる萌果の目にも入ることがあったら良いなって思って始めた仕事だったけど……今は、この仕事が楽しいって思ってる自分もいるんだ」「うん」「最初のハグの話から、少しそれちゃったけど。俺、萌果にファンだって言ってもらえて嬉しかった。あと、俺のことを好きだって言ってくれたしね?」ニヤニヤ顔の藍に言われ、カッと頬が熱くなった。「あっ、あれは……あくまでも、幼なじみとしてって意味で……っ!」「いいよ。どんな意味でも、萌果に好いてもらえていたら、俺はそれで良い」藍が、こつんと額を当てる。「ありがとう、萌果ちゃん。おかげで元気出た。やっぱり俺の元気の源は、今も昔も変わらず萌果ちゃんだよ」おでこをつけたまま、藍がニコッと笑う。そして、彼に再び力強く抱きしめられた。「俺、これからもモデルの仕事頑張るよ。萌果や、俺のことを応援してくれているファンの子たちのためにも」「……うん。応援してる」ここが学校であることも忘れ、私も藍をめいっぱい抱きしめ返す。「ねぇ、萌果ちゃん。近いうちに、仕事で1日休みがもらえそうなんだけど……良かったら、ふたりでどこか出かけない?」「ふたりで?」「うん。俺、萌果ちゃんとデートがしたい」
数日後の朝。 「あっ!萌果ちゃん、おはよう」 「おはよう、柚子ちゃん」 登校すると、昇降口のところで柚子ちゃんとバッタリ会った。 「教室まで、一緒に行こ〜」 「うん」 柚子ちゃんと一緒に廊下を歩いていると、途中にある掲示板の前には人だかりができていた。 みんな集まって、どうしたんだろう? 何となく気になって、掲示板の近くまで行ってみると。 ……え? そこにあるものを見た瞬間、私の背筋が凍った。 う、うそでしょ……。 掲示板には、私が藍と抱きしめ合っている写真が数枚、無造作に貼られていたのだった。 だっ、誰がこんなことを!? 掲示板の写真の私はどれも後ろ姿ばかりだから、かろうじて顔は写っていないけど……藍の顔は、どれもハッキリと写ってしまっている。 「ちょっと、誰よこの女。久住くんに抱きついて」 「芸能科のモデルの子とかならまだしも、もし普通科の一般人だったら許せない!」 「ていうか、この子を見つけてとっ捕まえてやるわ!」 藍のファンの子なのだろうか。掲示板を見ている女の子たちの口から、恐ろしい言葉が飛びかっていて、私は震えあがる。 「あっ、萌果ちゃん!?」 「ごめん、柚子ちゃん。私、ちょっと急ぐから」 怖くなった私は、慌ててその場から走りだす。 まさか、この間の数学の補習のときに教室で藍を抱きしめていたところを、誰かに見られたうえに、盗撮されてたなんて。 どうしよう。あのとき私が、藍を抱きしめたせいで……! 「はぁ、はぁ……っ」 私は廊下の途中で立ち止まり、呼吸を整える。 そして、スクールバッグの内ポケットに入っていたヘアゴムを取り出し、慌てて髪をひとつに束ねた。 別に、悪いことをしたわけじゃないけど。 ファンの子たちのあんな言葉を聞いたら、急に怖くなってしまって。あの写真に写っているのが、自分だとバレたくないと思ってしまった。 「かーじまさん!」 教室に着き、私が自分の席に座っていると、いつものように陣内くんが話しかけてきた。 「おっはよーう」 「お、おはよう……」 陣内くん、今日も朝からテンション高いなぁ。 「……あれ?梶間さん、今日は何か元気なくない?」 「そ、そう?」 「それに、今日は髪ひとつに結んでるんだ?可愛い〜。でも、なんで?」 さっそく陣内くんに尋ねられ、ドキリとする。 「
「ねえ。ここに写ってる女の子って……梶間さんでしょ?」 確信したように尋ねる陣内くんに、私は戸惑ってしまう。 「ええっと……」 そもそも、掲示板に貼られていた写真と全く同じものを、どうして陣内くんが持ってるの!? 「ち、違うよ」 私は、どうにか平静を装って答える。 藍との関係は、学校では秘密だから。『はい、そうです』だなんて、さすがに言えない。 「久住くんと私は、知り合いじゃないし。人違いなんじゃ……?」 「またまた〜。嘘ついたってダメだよ。俺、見てたんだから」 見てた? 「ほら。これ、よく撮れてるでしょ?」 恐る恐る、私は陣内くんが見せてきたスマホを覗き込む。直後、心臓が凍りついた。 そこには、ハグをしながら見つめ合う私と藍の横顔が、はっきりと写っていたから。 う、うそ。信じたくはなかったけど、あの掲示板の写真の犯人は……陣内くんだったの?! 「ど、どうしてこんなことを……?」 陣内くんに尋ねる声が震える。 「どうしてって、ムカつくからだよ」 「え?」 「俺が梶間さんを抱き寄せたときは、あんなに嫌がったくせに。久住とは、こんな嬉しそうに抱き合って……っ!」 陣内くんがスマホを思いきり机に叩きつけ、肩がビクッと跳ねた。こ、怖いよ陣内くん……。 「親睦会のカラオケのとき、俺の前で梶間さんのことを連れ去ったのも、久住なんでしょう?女嫌いで有名な久住と、こんなに仲良くしちゃって。君たち、やっぱり付き合ってんの?」 「ち、違う。藍は、私の幼なじみで……」 陣内くんの顔が、こちらにグイッと近づく。 「なあ、梶間さん……この写真、学校のみんなに拡散されたら困るよな?」 どこから出してるんだって思うくらい、普段よりも低い声にゾクリとする。 「じ、陣内くん。もしかして私のこと、脅してる?」 「はははっ。脅しだなんて、そんな人聞きの悪いこと言わないでよ〜」 何がおかしいのか、陣内くんは思いきり手を叩いて大声で笑い出す。 そのせいで、教室にいる複数のクラスメイトが、一斉にこちらを振り向いてしまった。 「ちょっと。陣内くん、声が大きいっ!」 「俺は別に、この話がみんなに聞こえても問題ないけどー?」 ギリッと、奥歯を噛む。 「陣内くん……こんなことをして、一体何が目的なの?」 「やだなぁ。そんな怖い顔で、睨まないでよ。せっ
「はぁ、はぁ……っ」私は、無我夢中で廊下を走り続ける。悲しさと苛立ちが最高潮に達して、つい感情のままに叫んでしまったけど。もしかしたら私、とんでもないことをしちゃったかもしれない。この前の数学の補習のときに、藍はこれからもモデルの仕事を頑張りたいって話していたところなのに。もしも陣内くんに、あの写真を流出されたりしたら……藍のモデルとしての生活にも影響があるかもしれない。「ああ、どうしよう……」走ってやって来た屋上の隅っこで、私は一人うずくまる。補習のあのとき、教室には私と藍以外誰もいなかったとはいえ、学校だからもっと危機感を持つべきだった。今になって後悔したって、もう遅いけど。もし、陣内くんにあの写真をばら撒かれたら……芸能人の藍に迷惑をかけちゃう。私自身はどうなっても構わないけど、藍のことだけは守りたい。さっきは、つい勢い余って拒否してしまったけど。あの写真を拡散させないためには、陣内くんの言うことを聞いて、彼と付き合うしかないのかな?冷静になって、もう一度じっくりと考えてみる。だけど、頭の中に繰り返し浮かぶのは藍の顔。やっぱり、好きでもない陣内くんと付き合うなんてできない。そんなのは、絶対に嫌だ。私が付き合いたい人は……陣内くんじゃなくて、藍なんだから──。「……って、やだ。私ったら、今何を思った?!」屋上の隅でうずくまり、ずっと俯いていた顔をガバッと勢いよく上げる。そして、パチパチと瞬きを何度も繰り返す。藍と付き合いたい……だなんて。ああ……私ったら、いつからそんなことを思うようになっていたんだろう。藍は、昔から可愛い弟のような存在で。藍のことが大切で大好きなのは、ずっと家族愛みたいなものなんだって思っていたけど。知らず知らずのうちに、藍に家族や幼なじみ以上の感情を抱くようになっていたなんて……!「私……藍のことが好きなんだ」だから、藍がこの前屋上でレイラちゃんと一緒にいたのを見たときも、あんなにショックだったんだ。ああ……まさかこんな形で、自分の気持ちに気づくなんて。恋を自覚した瞬間、ぶわっと顔が急激に熱くなった。小学生の頃、一度振ってしまった藍のことを好きになってしまったなんて、自分でもびっくりだよ……。──バンッ!!私が自分の想いを自覚したそのとき、勢いよく屋上の扉が開き、飛び出すように誰かが
「萌果っ!!」えっ……。藍の声が聞こえて、私は目を見開く。まさか、ここに藍が来るわけが……そう思った次の瞬間──。「痛ててててっ!」「陣内、萌果に何してくれてんだよ!?」藍が、陣内くんの腕を捻り上げていた。「萌果のこと、泣かせて……ふざけんなよ!」「はっ、はなしてくれ!」藍は、無言で陣内くんを投げ飛ばす。そして、藍が鋭い目つきで陣内くんを睨みつけた。「やっぱり、あの掲示板に貼られた写真の犯人は、陣内……お前だったのかよ!?」「ああ、そうだよ。君たちがムカつくから、やったんだ」「はあ!?」素直に認めた陣内くんに、藍が殴りかかる勢いで向かっていく。「藍、やめて!」私の声が届いていないのか、藍は倒れたままの陣内くんの胸ぐらを掴んだ。血眼になって……こんなにも怒った藍を見たのは、生まれて初めてかもしれない。「なあ。どうせあの写真を餌に、萌果のことを脅しでもしてたんだろ?いいよ。あの写真、みんなにバラしたきゃバラせよ!」「だっ、ダメだよ、藍!そんなことをしたら、藍の仕事にもきっと影響が……!」私は、藍に向かって叫ぶ。「確かに、萌果の言うとおり。もしあの写真が流出したら、ファンの子たちは俺から離れていくかもしれない。萌果にだって、嫌な思いをさせてしまうかもしれない。だけど……」藍が、鋭い目つきで陣内くんを見据えながら続ける。「たとえそれで俺の人気が落ちたとしても、努力して這い上がってみせる。萌果のことだって、必ず守ってみせる。だって、俺は……頑張るって萌果に宣言したから。萌果もモデルの仕事も、どっちも絶対に諦めない……!」藍の言葉に目を瞬かせたあと、陣内くんはため息をつく。「……そうか。まさか久住に、そんなふうに言われるなんて……ああ、完全に俺の負けだよ」その言葉に、陣内くんの胸ぐらを掴んでいた藍がようやく手を離した。「俺、梶間さんをあんなふうに泣かせたい訳じゃなかったんだ。ちょっと困らせてやろうって思って……でも、それは間違ってたよな。梶間さんの涙を見て、目が覚めたよ」力なく笑う陣内くん。「これでも俺、梶間さんのことが本当に好きだったんだよ。俺、小学5年生のときにアメリカから梶間さんたちが通う小学校に転校してきて。クラスは違ったけど、初めて梶間さんを見たとき、すごく可愛い子だなって思って。一目惚れだったんだ」「えっ?
「反省してるのなら、盗撮した私たちの写真……消してくれる?スマホのゴミ箱にあるのも全部」 「ああ」 私が言うと、陣内くんは素直に私と藍の写真を全て消してくれた。 「梶間さんと久住は……小学生の頃からもずっと、仲が良かったもんな。俺なんかが、全く立ち入られないくらいに」 「そんなの当たり前だろ?俺と萌果は、幼なじみという特別な関係なんだから」 藍が、私を陣内くんから隠すように私の前に立つ。︎︎︎︎︎︎ 「梶間さんが引っ越して、久住が芸能人になってからも、まさか二人の関係は今も変わらず続いていたなんて……羨ましいな」 陣内くんの顔は笑っているけど、なんだか少し泣きそうにも見える。 「陣内、分かってると思うけど……萌果に、もう二度とこんなことするなよ?」 藍が、陣内くんに釘を刺す。 「もちろんしないよ。ふたりとも……秘密の関係頑張って?お幸せにね」 陣内くんは立ち上がると、ひらひらと私たちに手を振って、屋上から出ていった。︎︎︎︎︎︎ 「陣内のヤツ、本当に分かったのか?」 陣内くんが歩いて行ったほうを、藍が軽く睨む。 「たぶん、陣内くんはもう大丈夫だと思うよ」 陣内くんが『お幸せに』と言ったとき、今まで見たなかで一番優しい顔をしていたから。 それに藍が屋上に来る直前、陣内くんは涙を流す私を見て『ごめん』と先に一度謝ってくれていた。 私が陣内くんの想いに応えられなかったからといって、彼が私たちを盗撮して脅すという行動に出たのは、簡単に許せることではないけれど。 いつか陣内くんと、クラスメイトとして普通に接することができたら良いなって思う。 「陣内のことを、信じてあげられるなんて。ほんとすごいなぁ、萌果ちゃんは」 藍が両腕を広げて抱きしめてこようとしたので、私は慌てて藍から逃げた。 「えっ、萌果ちゃん?」 藍が、目を大きく見開く。 「ご、ごめん……ほら、あんなことがあったあとだから。外では、周りにもっと警戒しないと」 もちろん、それもあるけれど。逃げた一番の理由は、藍のことが好きだと自覚して、多少の照れくささもあったから。 「そうだよね。俺、軽率だったよね。ごめん」 しゅんとした様子の藍が私から少し距離をとって、コンクリートの上に腰をおろす。 「元はと言えば、こんなことになったのも俺のせいだし。数学の補習のとき、俺が萌果
「ねぇ、萌果(もか)ちゃん。俺も男だってこと、ちゃんと分かってる?」「え?」開いたカーテンから、オレンジ色の光が射し込む部屋。唇が触れ合いそうな至近距離で、妖艶な笑みを浮かべているひとりの男子。私の幼なじみで、今をときめく超人気モデルの久住 藍(くすみ らん)。私は今、幼なじみの藍の部屋のベッド上で彼に抱きしめられている。「もしかして、俺に襲って欲しくてここに来たの?」「ひゃっ……」背中に回されていた手がそっと腰へ下りていき、思わず声が漏れる。「ふふ、可愛い声だね。もっと聞かせてよ」今、目の前にいるのは……一体だれ?藍は私にとっては、ずっと弟みたいな存在で。昔は泣き虫で、いつも私のあとをついてきて。決して、こんなことを言ったりする子じゃなかったのに……!ことの始まりは、今から1ヶ月ほど前に遡る。*高校1年生の3月上旬。「実はな、この春から東京への転勤が決まったんだ」夕食後。自宅のリビングで家族3人でお茶していると、お父さんが突然そんなことを口にした。「えっ、転勤!?」予想外の言葉に私は、手に持っていたクッキーをうっかり落としそうになる。転勤ってことは、学校を転校するってことかあ。せっかく仲良くなれたキコちゃんたちとも、離れ離れになっちゃう。「……」「どうした?萌果。嬉しくないのか?東京に戻れるんだぞ?」私が黙りこんでしまったからか、向かいに座るお父さんが心配そうな顔でこちらを見つめてくる。私たち家族は、元々東京に住んでいたのだけど。今から5年前。お父さんの働く会社が、新たに福岡に支店をオープンさせることになったため、お父さんが東京の本社から異動になりこの地にやって来た。生まれてから11年間ずっと東京で暮らしていた私は、慣れない九州の土地に最初は戸惑ったけれど。キコちゃんやミチちゃんという仲の良い友達もできて、5年間それなりに楽しくやっていた。だから、離れるとなるとやっぱり寂しい。「ねぇ、萌果。東京に帰ったら、久しぶりに藍くんにも会えるじゃない」お母さんの言う『藍くん』とは、東京にいた頃に家の近所に住んでいた幼なじみの男の子。「まあ、そうだけど……」私には、幼なじみの藍との再会を素直に喜べない理由がある。
「反省してるのなら、盗撮した私たちの写真……消してくれる?スマホのゴミ箱にあるのも全部」 「ああ」 私が言うと、陣内くんは素直に私と藍の写真を全て消してくれた。 「梶間さんと久住は……小学生の頃からもずっと、仲が良かったもんな。俺なんかが、全く立ち入られないくらいに」 「そんなの当たり前だろ?俺と萌果は、幼なじみという特別な関係なんだから」 藍が、私を陣内くんから隠すように私の前に立つ。︎︎︎︎︎︎ 「梶間さんが引っ越して、久住が芸能人になってからも、まさか二人の関係は今も変わらず続いていたなんて……羨ましいな」 陣内くんの顔は笑っているけど、なんだか少し泣きそうにも見える。 「陣内、分かってると思うけど……萌果に、もう二度とこんなことするなよ?」 藍が、陣内くんに釘を刺す。 「もちろんしないよ。ふたりとも……秘密の関係頑張って?お幸せにね」 陣内くんは立ち上がると、ひらひらと私たちに手を振って、屋上から出ていった。︎︎︎︎︎︎ 「陣内のヤツ、本当に分かったのか?」 陣内くんが歩いて行ったほうを、藍が軽く睨む。 「たぶん、陣内くんはもう大丈夫だと思うよ」 陣内くんが『お幸せに』と言ったとき、今まで見たなかで一番優しい顔をしていたから。 それに藍が屋上に来る直前、陣内くんは涙を流す私を見て『ごめん』と先に一度謝ってくれていた。 私が陣内くんの想いに応えられなかったからといって、彼が私たちを盗撮して脅すという行動に出たのは、簡単に許せることではないけれど。 いつか陣内くんと、クラスメイトとして普通に接することができたら良いなって思う。 「陣内のことを、信じてあげられるなんて。ほんとすごいなぁ、萌果ちゃんは」 藍が両腕を広げて抱きしめてこようとしたので、私は慌てて藍から逃げた。 「えっ、萌果ちゃん?」 藍が、目を大きく見開く。 「ご、ごめん……ほら、あんなことがあったあとだから。外では、周りにもっと警戒しないと」 もちろん、それもあるけれど。逃げた一番の理由は、藍のことが好きだと自覚して、多少の照れくささもあったから。 「そうだよね。俺、軽率だったよね。ごめん」 しゅんとした様子の藍が私から少し距離をとって、コンクリートの上に腰をおろす。 「元はと言えば、こんなことになったのも俺のせいだし。数学の補習のとき、俺が萌果
「萌果っ!!」えっ……。藍の声が聞こえて、私は目を見開く。まさか、ここに藍が来るわけが……そう思った次の瞬間──。「痛ててててっ!」「陣内、萌果に何してくれてんだよ!?」藍が、陣内くんの腕を捻り上げていた。「萌果のこと、泣かせて……ふざけんなよ!」「はっ、はなしてくれ!」藍は、無言で陣内くんを投げ飛ばす。そして、藍が鋭い目つきで陣内くんを睨みつけた。「やっぱり、あの掲示板に貼られた写真の犯人は、陣内……お前だったのかよ!?」「ああ、そうだよ。君たちがムカつくから、やったんだ」「はあ!?」素直に認めた陣内くんに、藍が殴りかかる勢いで向かっていく。「藍、やめて!」私の声が届いていないのか、藍は倒れたままの陣内くんの胸ぐらを掴んだ。血眼になって……こんなにも怒った藍を見たのは、生まれて初めてかもしれない。「なあ。どうせあの写真を餌に、萌果のことを脅しでもしてたんだろ?いいよ。あの写真、みんなにバラしたきゃバラせよ!」「だっ、ダメだよ、藍!そんなことをしたら、藍の仕事にもきっと影響が……!」私は、藍に向かって叫ぶ。「確かに、萌果の言うとおり。もしあの写真が流出したら、ファンの子たちは俺から離れていくかもしれない。萌果にだって、嫌な思いをさせてしまうかもしれない。だけど……」藍が、鋭い目つきで陣内くんを見据えながら続ける。「たとえそれで俺の人気が落ちたとしても、努力して這い上がってみせる。萌果のことだって、必ず守ってみせる。だって、俺は……頑張るって萌果に宣言したから。萌果もモデルの仕事も、どっちも絶対に諦めない……!」藍の言葉に目を瞬かせたあと、陣内くんはため息をつく。「……そうか。まさか久住に、そんなふうに言われるなんて……ああ、完全に俺の負けだよ」その言葉に、陣内くんの胸ぐらを掴んでいた藍がようやく手を離した。「俺、梶間さんをあんなふうに泣かせたい訳じゃなかったんだ。ちょっと困らせてやろうって思って……でも、それは間違ってたよな。梶間さんの涙を見て、目が覚めたよ」力なく笑う陣内くん。「これでも俺、梶間さんのことが本当に好きだったんだよ。俺、小学5年生のときにアメリカから梶間さんたちが通う小学校に転校してきて。クラスは違ったけど、初めて梶間さんを見たとき、すごく可愛い子だなって思って。一目惚れだったんだ」「えっ?
「はぁ、はぁ……っ」私は、無我夢中で廊下を走り続ける。悲しさと苛立ちが最高潮に達して、つい感情のままに叫んでしまったけど。もしかしたら私、とんでもないことをしちゃったかもしれない。この前の数学の補習のときに、藍はこれからもモデルの仕事を頑張りたいって話していたところなのに。もしも陣内くんに、あの写真を流出されたりしたら……藍のモデルとしての生活にも影響があるかもしれない。「ああ、どうしよう……」走ってやって来た屋上の隅っこで、私は一人うずくまる。補習のあのとき、教室には私と藍以外誰もいなかったとはいえ、学校だからもっと危機感を持つべきだった。今になって後悔したって、もう遅いけど。もし、陣内くんにあの写真をばら撒かれたら……芸能人の藍に迷惑をかけちゃう。私自身はどうなっても構わないけど、藍のことだけは守りたい。さっきは、つい勢い余って拒否してしまったけど。あの写真を拡散させないためには、陣内くんの言うことを聞いて、彼と付き合うしかないのかな?冷静になって、もう一度じっくりと考えてみる。だけど、頭の中に繰り返し浮かぶのは藍の顔。やっぱり、好きでもない陣内くんと付き合うなんてできない。そんなのは、絶対に嫌だ。私が付き合いたい人は……陣内くんじゃなくて、藍なんだから──。「……って、やだ。私ったら、今何を思った?!」屋上の隅でうずくまり、ずっと俯いていた顔をガバッと勢いよく上げる。そして、パチパチと瞬きを何度も繰り返す。藍と付き合いたい……だなんて。ああ……私ったら、いつからそんなことを思うようになっていたんだろう。藍は、昔から可愛い弟のような存在で。藍のことが大切で大好きなのは、ずっと家族愛みたいなものなんだって思っていたけど。知らず知らずのうちに、藍に家族や幼なじみ以上の感情を抱くようになっていたなんて……!「私……藍のことが好きなんだ」だから、藍がこの前屋上でレイラちゃんと一緒にいたのを見たときも、あんなにショックだったんだ。ああ……まさかこんな形で、自分の気持ちに気づくなんて。恋を自覚した瞬間、ぶわっと顔が急激に熱くなった。小学生の頃、一度振ってしまった藍のことを好きになってしまったなんて、自分でもびっくりだよ……。──バンッ!!私が自分の想いを自覚したそのとき、勢いよく屋上の扉が開き、飛び出すように誰かが
「ねえ。ここに写ってる女の子って……梶間さんでしょ?」 確信したように尋ねる陣内くんに、私は戸惑ってしまう。 「ええっと……」 そもそも、掲示板に貼られていた写真と全く同じものを、どうして陣内くんが持ってるの!? 「ち、違うよ」 私は、どうにか平静を装って答える。 藍との関係は、学校では秘密だから。『はい、そうです』だなんて、さすがに言えない。 「久住くんと私は、知り合いじゃないし。人違いなんじゃ……?」 「またまた〜。嘘ついたってダメだよ。俺、見てたんだから」 見てた? 「ほら。これ、よく撮れてるでしょ?」 恐る恐る、私は陣内くんが見せてきたスマホを覗き込む。直後、心臓が凍りついた。 そこには、ハグをしながら見つめ合う私と藍の横顔が、はっきりと写っていたから。 う、うそ。信じたくはなかったけど、あの掲示板の写真の犯人は……陣内くんだったの?! 「ど、どうしてこんなことを……?」 陣内くんに尋ねる声が震える。 「どうしてって、ムカつくからだよ」 「え?」 「俺が梶間さんを抱き寄せたときは、あんなに嫌がったくせに。久住とは、こんな嬉しそうに抱き合って……っ!」 陣内くんがスマホを思いきり机に叩きつけ、肩がビクッと跳ねた。こ、怖いよ陣内くん……。 「親睦会のカラオケのとき、俺の前で梶間さんのことを連れ去ったのも、久住なんでしょう?女嫌いで有名な久住と、こんなに仲良くしちゃって。君たち、やっぱり付き合ってんの?」 「ち、違う。藍は、私の幼なじみで……」 陣内くんの顔が、こちらにグイッと近づく。 「なあ、梶間さん……この写真、学校のみんなに拡散されたら困るよな?」 どこから出してるんだって思うくらい、普段よりも低い声にゾクリとする。 「じ、陣内くん。もしかして私のこと、脅してる?」 「はははっ。脅しだなんて、そんな人聞きの悪いこと言わないでよ〜」 何がおかしいのか、陣内くんは思いきり手を叩いて大声で笑い出す。 そのせいで、教室にいる複数のクラスメイトが、一斉にこちらを振り向いてしまった。 「ちょっと。陣内くん、声が大きいっ!」 「俺は別に、この話がみんなに聞こえても問題ないけどー?」 ギリッと、奥歯を噛む。 「陣内くん……こんなことをして、一体何が目的なの?」 「やだなぁ。そんな怖い顔で、睨まないでよ。せっ
数日後の朝。 「あっ!萌果ちゃん、おはよう」 「おはよう、柚子ちゃん」 登校すると、昇降口のところで柚子ちゃんとバッタリ会った。 「教室まで、一緒に行こ〜」 「うん」 柚子ちゃんと一緒に廊下を歩いていると、途中にある掲示板の前には人だかりができていた。 みんな集まって、どうしたんだろう? 何となく気になって、掲示板の近くまで行ってみると。 ……え? そこにあるものを見た瞬間、私の背筋が凍った。 う、うそでしょ……。 掲示板には、私が藍と抱きしめ合っている写真が数枚、無造作に貼られていたのだった。 だっ、誰がこんなことを!? 掲示板の写真の私はどれも後ろ姿ばかりだから、かろうじて顔は写っていないけど……藍の顔は、どれもハッキリと写ってしまっている。 「ちょっと、誰よこの女。久住くんに抱きついて」 「芸能科のモデルの子とかならまだしも、もし普通科の一般人だったら許せない!」 「ていうか、この子を見つけてとっ捕まえてやるわ!」 藍のファンの子なのだろうか。掲示板を見ている女の子たちの口から、恐ろしい言葉が飛びかっていて、私は震えあがる。 「あっ、萌果ちゃん!?」 「ごめん、柚子ちゃん。私、ちょっと急ぐから」 怖くなった私は、慌ててその場から走りだす。 まさか、この間の数学の補習のときに教室で藍を抱きしめていたところを、誰かに見られたうえに、盗撮されてたなんて。 どうしよう。あのとき私が、藍を抱きしめたせいで……! 「はぁ、はぁ……っ」 私は廊下の途中で立ち止まり、呼吸を整える。 そして、スクールバッグの内ポケットに入っていたヘアゴムを取り出し、慌てて髪をひとつに束ねた。 別に、悪いことをしたわけじゃないけど。 ファンの子たちのあんな言葉を聞いたら、急に怖くなってしまって。あの写真に写っているのが、自分だとバレたくないと思ってしまった。 「かーじまさん!」 教室に着き、私が自分の席に座っていると、いつものように陣内くんが話しかけてきた。 「おっはよーう」 「お、おはよう……」 陣内くん、今日も朝からテンション高いなぁ。 「……あれ?梶間さん、今日は何か元気なくない?」 「そ、そう?」 「それに、今日は髪ひとつに結んでるんだ?可愛い〜。でも、なんで?」 さっそく陣内くんに尋ねられ、ドキリとする。 「
「芸能人じゃなかったら……とか、そんなこと言わないで」藍の話を聞いていたら、なぜか無性に抱きしめたくなってしまった。︎︎︎︎︎︎「私は福岡に住んでた頃、藍がモデルとして頑張っているのを見て、自分も頑張ろうって思ってた。離れてても藍が活躍してると思うと嬉しかったし、雑誌の藍の笑顔を見てると元気をもらえた」月並みなことしか言えないけど、本当にそうだったから。「福岡の学校でも藍のファンの子は、沢山いたんだよ?友達で、“今日は藍くんの雑誌の発売日だから、学校頑張ろう”って言ってる子もいたし」こんなこと、藍には初めて話したけど。話しだしたら、言葉が次から次へと溢れて止まらない。「藍には多くのファンの子たちがいて、藍の存在がその子たちのことを笑顔にしてる。それって、すごいことだよ。きっと、誰にでもできることじゃない」「萌果ちゃん……」「私も中学生の頃からずっと、モデル・久住藍のファンのひとりだから。もちろん、幼なじみの藍のことも好きだけどね」「……ありがとう」藍が私の背中に腕をまわし、抱きしめ返してくれる。「最初は、モデルとして売れて、九州にいる萌果の目にも入ることがあったら良いなって思って始めた仕事だったけど……今は、この仕事が楽しいって思ってる自分もいるんだ」「うん」「最初のハグの話から、少しそれちゃったけど。俺、萌果にファンだって言ってもらえて嬉しかった。あと、俺のことを好きだって言ってくれたしね?」ニヤニヤ顔の藍に言われ、カッと頬が熱くなった。「あっ、あれは……あくまでも、幼なじみとしてって意味で……っ!」「いいよ。どんな意味でも、萌果に好いてもらえていたら、俺はそれで良い」藍が、こつんと額を当てる。「ありがとう、萌果ちゃん。おかげで元気出た。やっぱり俺の元気の源は、今も昔も変わらず萌果ちゃんだよ」おでこをつけたまま、藍がニコッと笑う。そして、彼に再び力強く抱きしめられた。「俺、これからもモデルの仕事頑張るよ。萌果や、俺のことを応援してくれているファンの子たちのためにも」「……うん。応援してる」ここが学校であることも忘れ、私も藍をめいっぱい抱きしめ返す。「ねぇ、萌果ちゃん。近いうちに、仕事で1日休みがもらえそうなんだけど……良かったら、ふたりでどこか出かけない?」「ふたりで?」「うん。俺、萌果ちゃんとデートがしたい」
「……ていうか、萌果ちゃんって補習になるくらいバカだったっけ?」ふたりきりになった途端、藍が話しかけてきた。開口一番に人のことをバカって!「す、数学は特別苦手で……って。いま補習になってるんだから、藍も一緒じゃない!」「俺は仕事で学校を早退して、テストを受けられなかったから。その代わりに、補習になっただけ。萌果と一緒にしないでよ」ムッ。まるで、バカな萌果と自分は違うって言われたみたいでカチンと来た。「萌果ちゃん、昔は俺によく勉強も教えてくれてたのになぁ」「そ、そんなことより!プリント、早く解こうよ」私はシャーペンを手に、藍より先に問題を解き始めたものの……。「……できた」「えっ、もう!?」私が応用問題を解くのに苦労しているうちに、藍はプリントを早々と終えてしまった。「す、すごいね」藍とは、今は同じ学校でも学科が違うから。再会してからは、一緒に授業を受けることがなくて知らなかったけど。藍ったら、会わない間に勉強もできるようになっていたなんて。普通の高校生と違って、藍はモデルの仕事もあるから。たぶん、見えないところで相当努力してるんだろうなって思った。よし。私も、負けていられない。それから気合いを入れ直して、シャーペンを走らせる私だけど。ダメだ。全然集中できない……。なぜならプリントに取り組む私を、藍が飽きもせずにじっと見てくるから。「ちょっと。藍ってば、見すぎ!おかげで集中できないよ。プリントが終わったら帰っていいって、先生が言ってたから。藍、早く家に帰ったら?」「……帰らないよ」「え、なんで??」「なんでって……そんなの、好きな子と少しでも長く一緒にいたいからに決まってるでしょ?」す、好きな子って!ここは学校なのに、藍ったら恥ずかしげもなくまたそんなことを言って……。「ほら、俺が教えてあげるから。さっさと続きやるよ」それから藍は、すごく丁寧に教えてくれた。教え方まで上手だなんて……。「あ、できたかも」藍に教えてもらったとおりにやったら、できなかった問題がすらすら解けた。「正解。やっぱり萌果ちゃんは、やればできる子だね」藍が、私の頭をぽんぽんと撫でてくる。「ありがとう。藍のおかげだよ」「萌果ちゃん、俺に感謝してる?」「もちろん」「だったら……お礼に何かちょうだい?」え!?「何かちょうだいって
「……っ、お願い。陣内くん、はなしてっ!」 私は藍がこちらに来る前に自分の肩に置かれた陣内くんの手を取ると、その手を力ずくでどうにかおろした。 「何だよ。そんな、あからさまに嫌そうな顔しなくてもいいじゃんか〜」 「ご、ごめん。いきなりで、びっくりしちゃって……」 「ちょっとちょっと!陣内もいい加減、萌果ちゃんをからかうのはよしなさいよ!」 見かねたのか、柚子ちゃんが私たちの間に割って入ってくれた。 「別に俺は、梶間さんのことをからかってるつもりは……」 「嫌がってたでしょう!?萌果ちゃん、陣内のことは放っておいて、早く行こう」 「う、うん」 私は柚子ちゃんに手を引かれ、その場から歩き出す。 はぁ。柚子ちゃんのお陰で助かった……。 ** 「それでは、先週の小テストを返すから。名前を呼ばれたら、取りに来るように」 昼休み後。5限目の数学の授業では、先週実施された小テストの答案が返却された。 「うわ、39点……」 数学が苦手な私は、お世辞にも良いとは言えない点数だった。 「40点以下の人は放課後、補習をするからなー」 「えっ、補習!?」 わずかにあと1点足りなかったことが、悔やまれる。 「萌果ちゃん、頑張って!」 私の声が聞こえたのか、隣の席の柚子ちゃんが声をかけてくれる。 うう。柚子ちゃんに、私の点数が40点以下だとバレてしまった。 頬に熱が集まるのを感じながら、私は柚子ちゃんに頷くのだった。 ** そして放課後。帰りのホームルームが終わると、私は数学の先生に言われていた補習を受けるため、指定された教室に向かった。 ──コンコン。 「失礼します」 ノックをして教室に入ると、そこにはなんと数学の先生の他に藍もいた。 「えっと。あの、先生……どうして藍……久住くんがここに?」 「決まってるだろう。久住も梶間と同じ、補習だよ」 いや、それはもちろん分かっているのですが。 普段、普通科の生徒と芸能科の生徒が、こうして授業や補習が一緒になることはほぼないって柚子ちゃんから聞いていたから……ちょっとびっくり。 「まあ、今回は補習になった者が学年で君たち二人だけだったから。特別に一緒というわけだ」 「特別に……ですか」 「ああ。梶間も早く座りなさい
数日後の昼休み。今日は柚子ちゃんがお弁当を忘れたというので、私は柚子ちゃんと一緒に学食へと向かって歩いていた。「ごめんね、萌果ちゃん。付き合わせちゃって」「ううん。気にしないで」私はいつも通り、橙子さんの手作り弁当。だけど、転校してきてから学食は一度も行ったことがなかったから。どんなところか楽しみ。学校の廊下を歩いていると、1階の窓から中庭で藍と女の子が向かい合って立っているのが見えた。藍、もしかして告白でもされてるのかな?ていうかあの子、最近朝ドラに出てた女優さんだ。そんな子にまで声をかけられるなんて、藍はすごいな。なんとなく気になって、私はつい足を止めてしまう。「あの……私、久住くんのことが好きです」「悪いけど、俺は君のこと好きじゃない」藍に冷たく言われ、目を潤ませる女の子。「どうしても、私じゃダメですか?」「うん。どうしてもダメ。そもそも俺、事務所から恋愛は禁止されてるから」藍は、無表情で言い放つ。「うわあ。久住くん、あんな可愛い子を振るなんて。相変わらずだね」「う、うん」藍、告白断ったんだ。良かった……って、何を安心してるの私!あの子は藍に振られたんだから、ちっとも良くないのに。良かったって思うとか、いくら何でも失礼すぎる。「なになに?めっちゃ真剣な顔で、人の告白現場なんか見ちゃってー」「ひっ」後ろから突然だれかに腰に手を添えられ、背筋に冷たいものが走った。私に、こんなことをする人は……。「梶間さんって、意外と悪趣味なんだね?」振り返ってみると、背後に立っていたのは予想通り陣内くん。「ち、違……」「あんな食い入るように見るなんて。もしかして、梶間さんって……久住藍のことが好きなの?」陣内くんに尋ねられ、私の心臓が跳ねる。「や、やだなあ。私はただ、かっこいいなと思って久住くんを見てただけで……別に好きとかじゃないから」慌てて否定する。「そうなの?この前、彼氏はいないって言ってたけど。それじゃあ梶間さん、今は特に好きな人とかもいないんだ?」「う、うん。いないよ」好きな人がいないっていうのは、本当。何も、嘘をついてることはないのに。どうして、こんな後ろめたさを感じるんだろう。「好きな人がいないのなら、良かった。もしも梶間さんに、あーんなイケメンモデルが好きだなんて言われたら、俺に勝ち目なんてないもん