彼女が写真でこんなに楽しそうに笑っているのを見て、彼は心が痛んだ。彼女が彼に対して笑うことが久しくなかったのだ。 たぶん、もう5年は経つだろう。 ウェディングドレスショップ。 とわこはすでにウェディングドレスを脱いでいた。 彼女は淡いピンク紫のロングドレスを選び、瞳の結婚式の日に着る予定だ。 「数年後に三十歳を超えたら、こんな色の服はもう着られないだろうね」彼女は冗談を言った。「今のうちに若作りして、こういう服をたくさん買っておこう」 瞳は「とわこ、あなたの顔で二十歳と言っても信じられるわよ。三十歳になったからって、一晩で老けるわけじゃないし。安心して少女のままでいればいいのよ!」と言った。 「あなたの口は本当に甘いわね。だから裕之はあなたにがっちり捕まっているのね」とわこは笑いながら言った。 「彼が私と一緒にいるのは、彼が得をしているのよ?」瞳はオーダーしたドレスを一つ一つ試着した後、満足げに言った。「あとは結婚式を待つだけね!そういえば、あなたの二人の子供、もうすぐ誕生日じゃない?どう過ごす予定なの?」 とわこは「家で過ごすわ」と答えた。 「え?!パーティーを開くつもりはないの?それとも家で小さなパーティーでも?」瞳はすでに二人のためにプレゼントを選び終わり、とわこからの連絡を待っていた。 とわこは首を振った。「考えたけど、やっぱり誕生日を祝わないことにしたの」 そう決めた理由は、奏に注意を引きたくなかったからだ。彼女は当初、蓮は養子で、レラは体外受精で生まれたと嘘をついていた。もし彼に二人の子供の誕生日が同じ日だと知られたら、きっと疑いを持つだろう。 「常盤奏を警戒しているのね?あの男、本当にしつこいわ!」瞳は眉をひそめた。「でも、このことを一生隠し通せるかな?心配しないで、裕之には絶対に話さないわ。でも、奏が疑いを持って調べるかもしれないことが心配だわ」 とわこは奏に関することを考えると、頭がひどく痛くなった。彼女は彼から距離を置きたかったが、そうすればするほど彼との関係はますます混乱していった。神様が意地悪をしているようだ。 「一日でも隠せるなら、隠し通すわ!二人の子供たちは彼を嫌っていて、全く認めたくないの」 「もし私が蓮とレラなら、彼が好きにはならな
瞳ととわこは、窓側の位置にあるテーブルを選んだ。ここからの眺めはよかった。「ママ!」 レラは蓮の手を握りしめながら、とわこの方に走っていった。 とわこは二人をソファに座らせ、優しく抱きしめた。「今日は幼稚園で楽しかった?」 レラは首を振りながら、「ママ、先生が来週指を刺すって言ってた……痛いのが怖い……」と言った。 蓮が説明した。「血糖値を測るんだよ」 とわこは理解し、すぐに慰めた。「心配しないで、ちょっとだけ痛いだけだから」 レラの目はテーブルの上のケーキに引き寄せられていた。 「ママ、今日は誰の誕生日?瞳おばさんの誕生日?」 瞳は笑いながら首を振った。「今日はあなたとお兄ちゃんの誕生日を前倒しで祝うんだよ!嬉しい?」と言って、二つの美しく包装されたプレゼントを二人に渡した。 「嬉しい!」レラは興奮してプレゼントを受け取り、小さな口は笑顔でいっぱいになった。「瞳おばさん、ありがとう!大好きだよ!」 「私もあなたが大好きよ!」瞳はレラの頭を優しく撫でた。 とわこは蓮にもプレゼントを渡すように合図した。 蓮はプレゼントを受け取り、少し赤くなった顔で「ありがとう」と言った。 「そんなに気を使わなくていいわ!さあ、プレゼントを開けてみて!もし気に入らなかったら、後で交換するから」瞳はプレゼントの包装を開けるように教えた。「リボンを引っ張れば、開けられるわよ」 すぐに、二人の子供たちはプレゼントを開けた。 レラのプレゼントは、レラをモデルにした精巧なフィギュアだった。とても細かく作られており、美しいデザインだった。 「わぁ、これすごく好き!これ、私じゃない?」レラはフィギュアを抱きしめ、優しくキスした。 蓮のプレゼントも同様だった。 そのクールなキャラクターを見て、蓮は特に好きとは言えないが、嫌いではない。その時、ウェイターが料理を運んできた。 料理がテーブルに並ぶと、とわこは二人の子供たちにバースデー帽子をかぶせた。 「今年の誕生日はシンプルにお祝いするけど、今後機会があれば、ママが誕生日パーティーを開いてあげるね」とわこは約束した。 「ママ、あなたが一緒にいてくれるだけで、パーティーをするかどうかは関係ないよ!」レラは大人びた口調で言った
奏が食卓に現れたとき、とわこはちょうどフォークでケーキを口に運んでいた。 杏のような瞳が彼に気づいた瞬間、彼女はプラスチックのフォークを噛み切りそうになった。 どうしたらこんな運の悪さで、たまに外で食事をしているのに、彼と偶然に出会ってしまうのだろう。 瞳が不機嫌そうに眉をひそめる。「常盤社長、こんな偶然ってあるの?今夜は食事会がある?」 彼女は冗談めかして、彼の後ろにいた人々に手を振った。 皆、失礼のないようにしながらも、どこか緊張した微笑みを浮かべた。 奏はテーブルの上のケーキに一瞥を送り、最後に視線を二人の子供に向けた。 「二人の誕生日か?」彼の声は低く力強く、疑問が込められていた。 彼は蓮の誕生日が四月十三日であることを覚えていたが、今日はその日ではない。 とわこの体内で血液が沸騰していくのを感じた。 彼女が子供たちの誕生日を祝わないようにしていたのは、彼に知られたくなかったからだ。 それなのに、こっそり子供たちの誕生日を祝っていたところに、彼に遭遇するとは! 彼は彼女の顔に浮かんだ驚愕、不安、動揺の色を見て、頭をフル回転させた。 蓮の誕生日は四月十三日ではなく、実は今日?それに、レラも今日が誕生日なのか? この二人の子供が同じ日に生まれたということ? まさか…… 「お前、どうしてそんなに暇なんだよ!今日は誰の誕生日かなんて、お前に関係あるか?それに、ケーキは誕生日にしか食べちゃいけないって誰が決めたんだ?」瞳はレラと蓮の頭からバースデーハットを外し、自分ととわこの頭にかぶせた。「今日は私ととわこが知り合って何年目かの記念日なの!だから、ちょっとお祝いしてるだけ、問題ある?」 とわこはその言葉を聞いて、顔の慌てた表情が一瞬で消えた。 奏は目を伏せ、彼女の頭に目をやり、からかうように言った。「とわこ、お前、結婚したいのか?」 彼女はこの質問に驚いて顔を上げ、彼の視線とぶつかった。 彼女が口を開こうとした瞬間、瞳が先に答えた。「奏、自分のことをちゃんと管理しろよ!とわこが結婚したいかどうかなんて、お前に何の関係があるんだ?たとえ彼女が結婚したいと思っても、お前と結婚したいわけじゃないんだから、そのつまらない期待を捨てな!」 瞳の言葉は、奏の心臓
シンプルかつ強引。 彼女に「今夜返済しろ」と約束させた。 彼女は眉をひそめながら返信する。「今夜は無理よ」 メッセージを送った後、彼からすぐに返信が来た。 彼の怒りの表情が、彼女には容易に想像できた。 ——「俺はお前に相談しているんじゃない、命令しているんだ!」 これが彼の返信だった。 彼が送ってきた一言一言や句読点まで見つめながら、彼女は冷静に対応した。「女には生理があるのを忘れた?」 「……」 とわこは「それでも約束する?」と聞いた。 常盤奏は「俺を挑発してるのか?」と返事した。 とわこはそれ以上返信できなかった。 彼を本気で挑発する勇気は、どこにもない。 …… レストランの2階で、奏は彼女からの返信が来ないのを見て、携帯を置いた。 彼がさっきまで携帯を使ってメッセージを打っていた間、皆は一言も発しなかった。 彼が携帯を置いた瞬間、やっと場の空気が和らいだ。 「常盤さん、さっき下で見かけた三千院さんって、三千院グループの社長じゃないですか?」 「そうだ。ネットで写真を調べればすぐに出てくるよ」隣の一人がネットで探し出した写真を皆に見せながら言った。「三千院すみれって知ってるか? 彼女はかつて三千院とわこの継母だったんだ。三千院太郎が亡くなった後、財産のことで彼女たちは仲違いした。今、三千院すみれは帰国して、ドローン事業に参入し、三千院とわこに対抗しようとしているんだ」 「みんなはどっちが有利だと思う?」 「難しいところだな。どちらもドローンを扱っているけど、ターゲットとしているユーザー層が違う。三千院とわこは中高級市場を狙っている。一方、三千院すみれは国内の中低層市場をターゲットにすると明言している。もし三千院すみれが成功すれば、間違いなく彼女の方が儲かるだろう」 「俺も三千院すみれに期待してるよ。海外での成功を見れば、彼女にはビジネスの才能があるのがわかる。常盤さんはどう思いますか?」 皆の視線が、一斉に常盤奏に向けられた。彼は携帯の電源ボタンを押し、画面が明るくなった。 とわこからの返信はなかった。 「君たち、まさか三千院すみれに投資してるんじゃないだろうな?」彼の鋭い目が一瞬光を放つが、声は非常に気だるげだった。
看護師は車のそばにやってきて、血液サンプルの入った瓶を夫人に手渡した。 「こんなに順調に?」夫人はその瓶を受け取り、驚きと喜びが入り混じった表情を見せた。 看護師はうなずいた。「彼の妹が痛がるのを怖がったので、彼が先に血を採って、妹の手本を示しました。兄妹の仲はとても良いですね」 常盤夫人は蓮にしか興味がなかった。 レラは常盤奏に全く似ていないし、しかもレラはとわこと他の男との子供だと聞いていた。 夫人は心の中で考えた。たとえ蓮が奏の息子だとしても、とわこを受け入れるつもりはない。 とわこが他の男との間に子供を持ったことがあるなら、彼女を受け入れると奏はどう見られるだろうか? 瓶をしっかりとしまい、夫人は車のドアを閉めた。 車はDNA鑑定センターへと向かった。 目的地に到着すると、夫人は奏と蓮の血液サンプルをスタッフに渡した。 「結果はいつ出ますか?」 スタッフは「通常、3営業日かかります。結果が出ましたら、すぐにご連絡いたします」と答えた。夫人は興奮を抑えながら、うなずいた。 三千院グループ。 月曜日の定例会議。 「三千院社長、三千院すみれの動きが激しいですね!」副社長が口を開いた。「彼女は一気に三つの会社を買収し、素早く統合と再編を始めました。もっと怖いのは、既に2000億円の投資を獲得したと聞いています。金持ちたちは彼女に絶大な信頼を寄せているようです」 「私の友人も彼女のところに転職しました。彼が言うには、三千院すみれの野心は非常に大きく、彼女の目標は国内のドローン業界でナンバーワンになることだそうです。彼女の計画は非常に明確で、まず低価格で国内市場を開拓し、市場を占有した後に高級製品を開発し、最終的には我々をドローン業界から締め出すつもりのようです」もう一人の幹部が心配そうに言った。 マイクは軽蔑した笑みを浮かべ、「じゃあ、やってみろってことだ!彼女が本当に俺たちを締め出せるかどうか、見物だな!」と挑発的に言った。 「三千院社長、どうお考えですか?何か対策を講じるべきでしょうか?」副社長はとわこに尋ねた。「我々の製品には自信がありますが、それでも油断せず、万が一に備えておくべきだと思います」 とわこはうなずいた。「まずは、彼らの次の動きを見極めま
オフィスのデスクの上には、豪華な招待状が置かれていた。 とわこはその招待状を開けて一目見た。 それはサミットからの招待状だった。 マイクがドアを開けて入ってくると、彼女が招待状を持っているのを見て説明した。「もし行きたくないなら……」 「行くわ」彼女はそう言って、バッグを開け、中から口紅を取り出し、メイクを直し始めた。 マイクは舌打ちしながら言った。「刺激を受けたのか? これ、新しい口紅? 色がすごく良いね! 以前は小さな女性だったのに、今では一気に女王様に変わったね。三千院すみれが一人じゃなく、十人いたとしても、君には敵わないだろう」 とわこはメイクを整え、口紅とパウダーをバッグに戻しながら、彼を見つめた。「一緒に行かない?」 「もちろん、君の運転手をやるよ」 サミットの会場には、各業界のエリートたちが集まっていた。 とわこが会場に到着すると、すぐに担当者にバックヤードに案内された。 「三千院さん、後でステージに上がってスピーチをお願いしたいと思います。時間は約20分ほどで、事前にスピーチ原稿を準備しておいてください」 とわこは頷いた。 しかし、マイクが見当たらない。 スピーチ原稿の準備は間に合わないので、その場で即興で対応するしかない。 彼女はバックヤードから出て、会場を見渡した。人々でごった返していた。 バッグからスマートフォンを取り出し、マイクに電話しようとしたその時、誰かが彼女の腕を掴み、体を横に引っ張った。 彼女は慌てて掴んでいる人を見た—— それは奏のボディガードではないか? 奏もサミットに来ているのだろうか? 彼女が口を開こうとしたその時、マイクと子遠が近くの隅で激しく言い争っているのが見えた。 子遠もいる。やはり奏が来ているのは間違いない。 「離して!」彼女は眉をひそめ、ボディガードに怒鳴った。「私には足があるから、自分で歩けるわ!」 ボディガードは彼女を放し、「余計なことはするな」と警告した。「彼はどこにいるの?」彼女の心臓は高鳴り、呼吸も少し荒くなった。 サミットが開始するまであと半時間だ。 彼が今彼女を呼び出すのは、わざとなのだろうか? ボディガードは彼女の質問に答えず、大股で先に歩いていく。
サミット会場で。マイクと子遠は約20分間の激しい言い争いの後、疲れ果てていた。 「お前は理不尽だ!」子遠は鼻の上のめがねを押し上げながら、付け加えた。 マイクは冷ややかな笑みを浮かべ、「毎回お前の上司の話になると、理性を失う。自分を反省しろ!お前の上司は親でもないのに、どうしてお前が彼を理解していると思うんだ?」と切り捨てた。 「反省すべきなのはお前だ!俺の上司が誰に投資しようが、関係ないだろう?たとえ彼がすみれに投資したとしても、それはすみれが価値があるからであって、彼女の人間性を評価しているわけじゃない!」と子遠は反論した。 「これからは俺を酒に誘うな!お前たちがすみれの味方なら、もう交流する必要はない!俺はとわこの味方だ!」マイクは彼との関係を断つことを宣言した。 子遠は顔を真っ赤にして、「交流しないならしないでいい!誰が君と関わりたいと思うんだ!」と怒鳴った。 二人は喧嘩を終え、それぞれの上司を探しに行った。 10分後。 マイクはとわこを見つけられず、子遠のところに行った。 「とわこが見つからない!君の上司はどこにいるんだ?」 子遠は肩をすくめて、「見つけられないよ。彼はどこに行くか言ってなかったし、我々はサミットに参加しているだけだ」と言った。 「とわこもサミットに参加しているんだ!しかも、これからスピーチもする予定だ!」マイクは焦りながら携帯を取り出し、とわこに電話をかけた。 彼女の携帯は電源が切れており、つながらなかった。 「お前の上司は観客として来ているわけじゃないだろ?」と子遠は冷笑し、「二人が見当たらないなら、きっと一緒にいるはずだ」と言った。 「もちろん、彼らが一緒にいるのはわかっているさ!きっと常盤奏というクズがとわこを連れ去ったに違いない!」 「もう少し言葉遣いを丁寧にしてくれないか?」子遠は彼を睨み、「焦らなくていい。うちの上司は時間を守るから、すぐに現れるはずだ」と言った。 マイクは深呼吸し、待つことに決めた。 その待機が、30分が過ぎる間に続いた! サミットはすでに20分ほど進んでいたが、奏ととわこの姿はまだ見えなかった。会場内で、マイクは子遠の襟をつかんで問い詰めたくなる衝動を抑えた。これが奏の時間観念なのかと。突
彼女は赤い唇をかみしめ、ドアへと大股で歩いて行った。「俺が三千院すみれに投資したかどうか、俺自身もわからない」彼女がドアに差し掛かると、彼の気だるげな声が響いた。「俺ははるかに400億円を渡したんだ」400億円?彼がはるかに400億円を渡したって?!彼女は思わず叫びそうになった。「200億円じゃなかったの?」彼は軽く笑った。「君はずっと俺と彼女のことを気にしていたんだな。確かに前は200億円を渡したよ。そして一昨日、さらに200円を追加した。彼女は結菜の手術を2回もやってくれたから、その都度200億円だ」とわこは両手をぎゅっと握りしめた。結菜の手術のために、はるかは奏から400億円の報酬を得たのだ!しかも、はるかはその400億円を全額、すみれに投資したなんて!なんて皮肉な話だろう!彼女がこれまでに見た中で、これほど馬鹿げた話はなかった!なぜなら、その2回の手術は彼女自身が行ったものだったのだ!つまり、彼女自身がすみれに400億円を渡したも同然だったのだ!ははは!彼女はすみれを殺したいほど憎んでいるのに、どうして彼女にお金を送ってしまうんだ!彼女の体がこわばり、わずかに震えているのを見て、奏は素早く服を着て、彼女に向かって大股で歩み寄った。彼女の隣に立つと、彼女の顔が紙のように青白く、瞳が空っぽになったことに気づいた。「とわこ、どうしたんだ?」彼は彼女の手首を掴んだ。彼女は深く息を吸い、彼の手を力いっぱい振り払った。「常盤奏、私は本当に馬鹿だわ!」彼女は涙をこらえながら、あごをわずかに上げて言った。「私は心を許すべきじゃなかった! あなたに、あなたの周りの人たちに、もう二度と甘くならない!」副社長が言っていたことは正しかった。常盤奏がはるかに渡したお金の一円一円が、彼女にとっては心に突き刺さる刃だった!だって、はるかとすみれはグルだったのだから!今、彼女の心はまるで刀でえぐられるような痛みだった!彼女は自分を裏切った、母をも裏切ったのだ!「とわこ、何を言っているんだ?!」奏は再び彼女の手首をしっかり掴み、眉をしかめた。「小林はるかに金を渡したことに怒っているのか? それとも渡しすぎだと思っているのか?」「彼女にいくら渡そうが、あなたの勝手よ!」彼女は叫び声を上げた。
「ママとパパの写真を見てたの。蓮も見たい?」とわこが聞いた。蓮はすぐさま顔をそむけ、車の窓の外を見つめた。「見たくない」「じゃあ、ママも見ない」とわこはスマホを置き、息子を見つめた。「蓮、今日は本当にありがとうね。ママが家族写真を撮ろうって言ったのはね、おばあちゃんが亡くなってから、ちゃんとした家族写真を撮ってなかったからなの。それに、もうひとつ理由があるの」蓮の視線が窓の外から戻った。彼は、母の言葉ならどんなことでも聞き入れる。「昨夜、パパから聞いたの。結菜が亡くなってから、彼は薬がないと眠れなくなったって。でも、今回の旅には薬を持ってこなかったから、昨日の夜、私が買いに行ったの。彼は完璧な人間じゃないし、私もそう。でもね、いろいろ考えた結果、これからの人生を彼と一緒に歩みたいって思ったの」とわこは、これから奏と共に生きていくと蓮に伝えたのだった。蓮はこの展開をすでに予想していた。奏がアメリカに来てから、ママは毎晩彼と一緒にいて、デートにも行くようになった。その間、蓮は妹の面倒を見るしかなかった。ママが奏に愛情を分けるのは嫌だった。でも、奏が来てからママが明らかに幸せそうなのも、また事実だった。「ママが幸せなら、それでいいよ」蓮は少し眉をひそめながらも、大人びた口調で言った。「僕も、弟も妹も、大きくなったらずっと一緒にいられるわけじゃないし」「ママはね、そんな先のことまでは考えてないよ。未来は何が起こるか分からないし、大事なのは今だから」とわこは蓮の手を握りしめた。とわこと奏のツーショット写真が、カメラマンのSNSアカウントに投稿され、あっという間に拡散された。彼らのビジュアルの良さもさることながら、二人の立場が特別だった。一人は日本の大富豪、もう一人はアメリカの女性実業家で、世界的に有名な神経内科医だ。二人の写真はすぐに日本にも伝わり、国内ではこのカップルの誕生に祝福の声が上がった。一般人の目から見れば、まさに「理想の夫婦」に他ならない。今、日本の検索エンジンで彼らの名前を入力すると、国境警備隊にドローンを寄贈したというニュースだった。その夜。とわこは突然、悪夢にうなされて目を覚ました。夢の中で、奏は何も言わずに姿を消し、ひとり日本へ帰ってしまったのだ。彼女は慌てて隣を探った。
「社長は恋愛脳ってわけじゃない。一途な男ってやつだ!」子遠は言った。「彼はとわこに対してただ金払いがいいだけじゃない。心の底から彼女一筋なんだ。とわこより綺麗な女性がいないわけじゃないけど、彼は一度たりとも他の女に目を向けたことがない」「それはね、とわこより美人な女は彼女ほど有能じゃないし、とわこより有能な女は彼女ほど若くて美しくないからだよ」マイクはとわこを褒めちぎる。「もし俺が女に興味があったら、間違いなくとわこを好きになってるね!」子遠は軽くマイクを蹴った。ちょっと褒めるとすぐに調子に乗る。「お前ほんと単純だな!とわこと奏、復縁するんだろ?二人が帰国したら、俺の居場所なんてなくなるな」マイクは残念そうな顔をしながらも、どこか嬉しそうだ。「そのときは俺、お前の家に転がり込むわ!」「本当に復縁するのか?」子遠は最近ずっと母の付き添いで病院にいたため、この話を知らなかった。「まあ、ほぼ確定だろうな。あと二日で仕事始めなのに、まだ帰国する気配がないし。きっとあっちで楽しみすぎて帰りたくないんじゃない?」マイクは冗談めかして言った。「社長だから、好きなだけ遊んでてもいいけど、とわこが帰ってこなかったら、君も普通に出勤するんだろ?」「まあな。お前もだろ?」「もう言うな、飲もう」子遠はため息をつき、酒をあおった。今年の正月は散々だったが、ようやく落ち着いてきた。なのに、休みはもうすぐ終わる。アメリカ。撮影が終わる頃には、すっかり夕方になっていた。カメラマンはサービスで、とわこと奏のツーショット写真を数枚撮ってプレゼントしてくれた。「後で写真を送りますね。お二人がずっと幸せでありますように!」「ありがとうございます。今日はお疲れさまでした」「いえいえ!お二人に撮影を任せてもらえて、光栄でした!」カメラマンは笑顔で見送る。「そうだ、お二人の写真を個人アカウントに載せてもいいですか?すごく素敵な写真が撮れたので!」とわこは迷わず答えた。「いいですよ。ただ、子どもたちの写真は載せないでくださいね」「もちろんです!家族写真はプライバシーですから」「うん、お願いします」スタジオを出た後、とわこは奏に尋ねた。「私、OKしちゃったけど、あなたは気にしない?」今、彼と一緒にいる以上、周囲に知られることは別に構わないと
とわこはすべてを見ていた。「蓮、こっちに来て」彼女が声をかけ、気まずい空気を断ち切った。蓮はすぐにとわこの元へ駆け寄った。「奏、あなたも来てよ」彼が少しぼんやりしていたため、彼女は改めて呼びかけた。彼らがスタジオに入ると、カメラマンが明るく迎え入れた。「三千院さん、こんなにお若いのに、もう三人もお子さんがいらっしゃるんですね!すごく素敵なご家庭ですね!」カメラマンは感心しながら続ける。「でも、結婚されたって話は聞いたことがなかったような?」とわこは少し気まずそうに微笑んだ。「私たちは今、夫婦ではないんです。でも、一緒に家族写真を撮ることに問題はないでしょう?」カメラマンは自分の不用意な発言に気づき、すぐに話題を変えた。「こちらにいくつかサンプルがあります。ご覧になりますか?もしくは、何か撮りたいテーマがあればおっしゃってください」とわこはサンプルを開き、レラと蓮に選ばせた。「ママ、どれも素敵だね」レラはサンプルを見比べながら迷っていた。「涼太おじさんが、私ならどんな風に撮っても可愛く写るって言ってたし、ママが選んで!」とわこは二つの異なるテーマを選び、メイクアップが始まった。日本。子遠の母の血圧が下がり、退院を希望した。子遠は彼女を自宅に迎え、数日間滞在させた後、実家へ戻すつもりだった。「子遠、この家、いつ買ったの?」母は部屋を見回し、以前の住まいより広々としていることに気づいた。「前に住んでた家よりずっと大きいわね。どうして私に何も言わなかったの?」家の中はシンプルだが、開放感があり、南北に風が通る設計で、採光も抜群だった。家具は少なく、やや閑散としているが、それがまた上品な雰囲気を醸し出していた。「僕の給料じゃ、この家は買えないよ」子遠は気まずそうに言った。「マイクが、僕の前の家は狭すぎるって言って、お金を出してくれたんだ」「はぁ?」母は顔を真っ赤にして眉をひそめた。「一軒の家に釣られたの? こんな家、大した価値ないでしょ」「お母さん、この家、20億以上するんだよ」子遠は水を注ぎながら淡々と言った。「家自体は普通だけど、立地がいいんだ。ここなら職場まで歩いて通えるし」子遠の母の頭の中で「20億以上」という言葉が響く。顔色が一気に変わった。「た、高すぎるわ!そんなにするの?!」ショ
30分後,奏は薬の効果で深い眠りに落ちた。彼が眠ったことで、とわこはかえって眠れなくなった。彼が来てからの出来事を一つひとつ思い返した。彼がそばにいるだけで、毎日が楽しく、眠りの質も良くなり、食欲も増した。彼も同じ気持ちだと思っていたのに、まさか不眠に苦しんでいたなんて。何とかしてあげたい。でも今できるのは、せいぜい薬を用意することくらい。これからの日々、もっと彼を大切にし、たくさんの愛を注ごう。一日では足りないなら、一ヶ月、一年......いつかきっと、彼の心に残る結菜への後悔を和らげてあげられるはず。翌朝、奏が目を覚ましたのは午前十時だった。彼が部屋から出てくると、とわこはすぐに彼を食堂へ連れていった。「ご飯を食べたら出かけるわよ。子どもたちも一緒にね」彼女はすでに今日の予定を決めていた。奏は窓の外を見た。「今日はあまり出かけるのに向かない天気じゃないか?」外は霧がかかり、視界が悪く、車の運転がしづらそうだった。「この辺りの冬に霧が出るのは珍しくないわ。ゆっくり運転すれば大丈夫よ」とわこは気にする様子もない。「何かイベントでもあるのか?」彼女がここまで乗り気なのだから、付き合わないわけにはいかない。「別に遊びに行くわけじゃないの。今日は家族写真を撮りに行くのよ」彼が断らないことを分かっている。「すでにカメラマンの手配も済ませておいたわ」奏は目を伏せ、少し考えてから尋ねた。「蓮も一緒か?」「もちろん!家族写真なんだから、誰一人欠けちゃだめでしょ?」彼が気にすることを分かっていたとわこは、続けて説明した。「蓮はあなたのことが苦手かもしれないけど、私やレラ、蒼のことは大好きなの。ちゃんと話せば、だいたいのことは聞いてくれるわ」彼女の言葉には、「息子は自分に甘い」という誇らしげな気持ちが滲んでいた。奏はそんな彼女を微笑ましく思うと同時に、自分の額の傷が気になった。「この傷、写真映えを悪くしないか?」「肌色の包帯で巻き直せばいいし、後でカメラマンに修正してもらえるわ。それに、私は今のあなたも十分カッコいいと思うけど?」彼女はさらりと褒めた。「もともと顔がいいんだから、坊主にしたってカッコよさは隠せないわよ」彼女の言葉に、奏は笑って、心の中まで温かくなった。たとえ空から刃が降ろうとも、今
彼の目は赤くなっていた。「それに睡眠薬も」「そんなにひどい不眠症なの?」彼女は乱れた髪を掻き上げながら言った。「昨夜はどうやって寝たの?一昨日は?まさか毎晩眠れないわけじゃないでしょうね?」話しながら、彼女は布団をめくり、ベッドから降りた。もし薬を飲まなければ眠れないのなら、彼女は薬を買いに行かなければならない。「昨晩からだ」彼は彼女を心配させたくないので、軽く言った。「おそらくこの二日間が幸せすぎて、結菜のことをよく思い出すんだ」「結菜が亡くなったことがあなたにとって大きな打撃なのはわかる。でも、奏、前に進まなきゃ。もし結菜がまだ生きていたら、きっとあなたがこんなに悲しむのを望まないはずよ」彼女はコートを羽織りながら言った。「普段飲んでいる薬、名前覚えてる?それとも私が買いに行こうか?」「一緒に行こう」彼はベッドから起き上がり、立ち上がった。「いいえ、あなたは横になってて」彼女は彼を再びベッドに押し戻した。「薬局はもう閉まってるから、病院に行かなきゃ。すぐに戻るわ」「とわこ、アメリカにはこんなに知り合いがいて、生活もこんなに便利なのに、どうしてこっちに住まなかったんだ?」彼は尋ねた。「こっちがどんなに便利でも、私の故郷ではないもの」彼女は冗談っぽく言った。「実は、国内にもたくさんの知り合いがいるの。ただ、彼らはあなたほどすごいわけじゃないから、あなたは彼らを知らないだけよ」「ボディガードを連れて行かせろ」「あなたは横になって休んでて、心配しないで」彼女はバッグを持ち、部屋を出て行った。彼女の背中を見送りながら、彼は心の中で静かにため息をついた。幸せな日々がもうすぐ終わりを迎えるから、夜も眠れずに苦しんでいた。その原因はわかっている。しかし、どうしても解決できなかった。彼はまだ、帰国するときにどう彼女に別れを告げるかを考えていなかった。目を開けたまま、天井をぼんやりと見つめ、白い光が彼の目を差し、目が痛くなった。突然、冷たい液体が耳元に落ちた。彼は手を上げて涙を拭い、目を閉じた。四十分後、とわこが薬を持って戻ってきた。彼女が帰ってきた時、千代が部屋から出てきて、こんなに遅くに何をしていたのかを尋ねた。彼は部屋の中で、彼女たちの会話をすべて聞いていた。しばらくして、彼女が薬と水を持ち、
一郎は息を呑んだ。彼は内心の苛立ちを必死に抑えながら、直美の襟をつかみ、大声で問い詰めた。「直美!何をデタラメ言ってるんだ?!奏がなんで君と結婚するんだよ?今はとわこと一緒だろ!結婚するなら、とわこに決まってる!」直美はくすっと笑った。「今、彼がとわこと一緒にいることは知ってるわ。だって、子どももいるし、当然よね。でも、私は気にしない。彼の心を手に入れられなくても、彼の体さえ手に入れれば、それで十分よ」一郎は鼻で笑い、彼女の襟を乱暴に放した。「顔が傷ついたショックで妄想に取り憑かれたんじゃないのか?奏が君と結婚する?そんな大事なこと、なんで僕が知らないんだ?」「だって、結婚するのはあなたじゃないもの。あなたが知らなくても普通でしょ?」直美は空になったコップをテーブルに置き、少し落ち着いた声で続けた。「一郎、私はあなたを友達だと思ってるから、この話をしてるのよ。あなたはもう私を友達と思っていないかもしれないけど、私にとってあなたは......」「黙れ!」一郎は彼女の言葉を遮った。「こんなことを俺に言って、どうしたいんだ?味方につけたいのか?それとも、また利用するつもりか?」直美は笑って首を振った。「利用なんてしないし、あなたを感動させようとも思ってないわ。顔を失ってから、私の周りにはほとんど友達がいなくなった。家族も私を見放して、三木家の恥だとまで言ってる。でも、あなたなら会えると思ったの。だって、あなたは私を馬鹿にしたり、傷つけたりしないでしょ?」「こんなに落ちぶれてるのを見ると、さすがに同情するよ。でも、奏と結婚する話を聞いた途端、その同情も吹き飛んだ!」「一郎、私は正気よ」直美は彼の顔をじっと見つめ、静かに言った。「今、奏はとわこと幸せに過ごしてるでしょ?だったら、少しの間、そのままにしてあげて。せめてあと数日」一郎は嘲笑した。「はっ、君が正気なら、僕が狂ってるか、もしくは奏が狂ってるってことだな!」「もし私の顔が以前のままだったら、あなたはそんなに怒らなかったでしょ?前は、『最高の男と結ばれるべきだ』って言ってくれたわよね?それに、『奏とはお似合いだ』とも」直美は苦笑した。「でも、私がこの顔になった途端、あなたはそう思わなくなった」「直美、それが理由だと思ってるのか?もしとわこの顔に傷がついたとしても、それでもとわこ
「一郎、母さん、病気で意識が混乱してるんだ。さっきの話、絶対に誰にも言わないでくれよ!」子遠は今にも崩れそうな表情だった。「もし社長に知られたら、クビになるかもしれない!」一郎は涙を流しながら笑った。「子遠、落ち着けよ。おばさん、全然まともじゃないか?マイクと付き合うのに反対してるのは、マイクが貧乏だからって理由だろ?だったら、マイクにもっと稼がせればいいだけの話だ」子遠は首を振った。「母さんはね、マイクは友達としてはアリだけど、恋人としては絶対ダメって言ってる。顔がまさに女たらしそのものだからだってさ。これ、母さんのセリフだよ」「ははははっ!さっきおばさんがボケたって言ってたけど、どう考えてもめちゃくちゃ冷静じゃねぇか。そんなに落ち込むなよ、とにかくまずはおばさんをしっかり看病しろ」「うん、一郎、今日時間ある?マイクの様子を見に行ってくれないか?二日間ほったらかしにしてたから、たぶん爆発寸前だと思うんだ」子遠は眉をひそめた。「僕は病院から抜けられないし、正直、どう話せばいいかもわからない」「心配すんな、行ってくるよ」一郎は病院を出ると、車を走らせて館山エリアの別荘へ向かった。予想通り、マイクは家で昼夜逆転の生活を送っていた。「アメリカに戻るつもりか?」一郎は持ってきた朝食をテーブルに置いた。「とわこが帰ってくるなって言うんだよ」マイクはソファに寝転がったまま、不満そうに言った。「俺がおばさんを怒らせて病気にしたってさ。だから、おばさんの具合が良くなるまで待てって」「なるほど。もうかなり良くなったぞ。そんなに落ち込むなよ。向こうの両親は君のことをよく知らないし、誤解してるんだ。そのうち分かってくれるさ。それに、とにかく稼げばいいだけの話だ」「俺だって元気出したいよ!でも子遠が無視するんだ、あのクソ野郎!」「親にめちゃくちゃ怒られてたからな。少しは察してやれよ」一郎はタバコに火をつけ、ふっと煙を吐いた。そして、軽い口調で話題を変えた。「そういえば、奏ととわこ、ヨリ戻したんだろ?とわこがInstagramに指輪の写真をアップしてたぞ」マイクは驚いて飛び起きた。「えっ、聞いてないぞ!?携帯も見てなかったし!」「2月14日はバレンタインだったからな。二人で一緒に過ごしてたみたいだ。指輪だけじゃなく、二人のツーショットまで載
彼女は指に輝くダイヤの指輪を見つめ、目が潤み、感情が込み上げてきた。彼の胸に飛び込み、ぎゅっと抱きしめた。「この指輪、いつ買ったの?毎日一緒にいるのに、どうして気づかなかったの?」彼は今日がバレンタインデーだと知らないのかと思っていた。朝から先ほど彼にバレンタインデーだと伝えるまで、彼はまったく気配を見せなかった。「この前ネックレスを買ったとき、ついでに指輪も見ておいたんだ」彼は説明した。「今日が何の日か分からないなんて、そんなことあるわけないだろ?」数日前からバレンタインデーのマーケティングが盛んになっていた。今朝スマホを開けば、関連ニュースが次々と飛び込んできた。「もし私がさっきバレンタインデーの話をしなかったら、いつ指輪をくれるつもりだったの?」彼女は腕をほどき、少し赤くなった目で彼の端正な顔を見つめた。彼は彼女を見つめ、かすれた声で言った。「君が我慢できずに言うだろうって分かってた。昼にカレンダーを見てた時から、ずっと待ってたよ」彼女は笑いながら、少しむくれた様子で言った。「もっと自分から言ってくれてもいいじゃない!なんで私に言わせるのよ!」「俺が自分でつけたんだから、それで十分じゃないか?」彼は彼女の手を包み込み、優しく握った。「とわこ、これからどうする?」とわこは通りを行き交う人々を眺め、幸せそうに笑った。「こうして街を歩くだけでいい」彼女は、このダイヤの指輪をはめ、バラの花を抱え、愛する男性と手を繋いで歩く姿を、すべての人に見せたかった。彼女は世界中に宣言したかった。今、私は世界中で一番幸せな女性だと。日本。子遠は母親をA市で最も設備の整った病院に移し、入院治療を受けさせた。一郎はその知らせを聞き、すぐに病院を訪れた。子遠の母は意識を取り戻していたが、まだ精神的には不安定だった。「一郎、息子はどうしてこんなことになったの?」子遠の母は涙を浮かべながら話し始めた。「彼の上司はこのことを知っているの?私が奏に話をつける!」子遠は隣で、母親に説明しようとしたが、母親は今のところ何を言っても聞き入れないだろうと悟った。彼は自分の感情が爆発し、言葉がきつくなれば、母親の病状が悪化してしまうのではと恐れた。一郎は子遠に目で合図し、黙っているように促した。子遠は背を向け、大き
「子どもも連れて行くのか?」奏は自然とそう尋ねた。とわこは彼の顔を見つめながら聞き返した。「あなたは連れて行きたいの?それとも連れて行きたくないの?」彼の本心が読めなかった。「連れて行きたい」子どもを抱っこするのは楽ではないが、一緒にいると幸せな気持ちになる。だから「子育ては大変だけど幸せだ」って言うんだな。「でも今日は二人で行きたいの。行きたい場所があるのよ」彼女はそう提案した。「どこへ?」奏はポケットに手を入れながら言った。「でもその前に、子供に聞かないと。もし嫌がったら置いていく。でも、ついて来たがるかもしれないだろ?」「私の大学よ。ちょっと待ってて、子供に話してくる」とわこはそう言って子ども部屋へ向かった。少しして、彼女は小走りで戻って来ると、奏の腕にそっと手を絡めた。「レラが『美味しいもの買ってきてね』って。それじゃ、行こう!」とわこは車を走らせ、自分が大学院時代を過ごした母校へ向かった。そこは世界的に有名な医学部だった。「ここに通ってた頃は、もう臨月だったんじゃないか?」奏は彼女と並んで、広々としたキャンパスの道を歩いた。時折、学生たちが自転車で通り過ぎていく。この時期、アメリカでは普段どおり授業が行われていた。「正確には、出産してから通い始めたの」とわこは彼の大きな手をぎゅっと握った。「私たちの間には、あまりにも多くの後悔があるの。もう二度と、あんな風になりたくない。あなたと喧嘩するたびに、どっちが悪いとか関係なく、心が引き裂かれるような思いをしてた」奏は喉が詰まったように感じ、かすれた声で答えた。「俺もだ」「若かった頃は、感情に振り回されてばかりで、何事も主観的にしか見られなかった」彼女は悔しそうに続けた。「ここで学んでいた時、あなたのことを思い出すたびに、憎しみの気持ちでいっぱいだった。でも今日は、そんな気持ちを全部手放したくて、あなたを連れてきたの。私たち、やり直せるよね?」奏の目が熱くなり、涙があふれそうになった。彼はとわこの手をぎゅっと握りしめ、その涙をこらえた。「奏、今日はバレンタインなの」前を歩く女の子が花束を抱えているのを見て、とわこは羨ましそうに言った。「だから、今日はあなたと二人きりで過ごしたいの」奏は喉を鳴らし、短く答えた。「じゃあ、花を買ってくる」「