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第430話

Author: 夏目八月
北條守は再び打撃を受けた。

彼は突然、支えを失ったかのようだった。

精気さえも失われ、自分がまるで行き場のない負け犬のように感じた。

これまで親房夕美を上品で教養があり、礼儀正しく、孝行で、下僕にも寛容で慈悲深いと思っていた。

彼女が西平大名家の出身で、以前は天方家に嫁いでいたことを考えると、天方家は武将の家系で、天方十一郎も武将たちから敬愛されている人物だった。

彼の未亡人なら、当然彼のように正々堂々として、勇敢で決断力があり、慈悲深いはずだと思っていた。

しかし今や、彼女は一言で人の手を折らせた。

糞尿をかけた者たちに腹を立てるのはわかる。だが捕まえて殴ってから放すだけでよかったはずだ。なぜ手足を折る必要があったのか?

慈悲深さからではなく、ただ民衆の怒りを避け、早くこの事態を収めたかっただけだ。今やあの人の手足を折ったことで、この問題はさらに大きくなりそうだった。

彼は琴音を見つめ、態度は依然として強硬だった。「夕美に聞いてみる。戻ってきたら、お前はまだ謝罪に行かなければならない」

琴音は悲しげに笑った。「夕美?あなたはもう長いこと私を琴音と呼んでくれない。ただ苗字を呼ぶだけ。北條守、私は本当に間違えたわ」

守は振り返り、しばらく黙っていた。「誰もが同じだ」

琴音の口から小さな嗚咽が漏れたが、すぐに飲み込んだ。彼女は自分を屈服させず、尊厳を保とうとした。

しかし、彼の昔の愛情で築き上げた心の壁は、すでに崩れ始めていた。上原さくらと影森玄武の結婚の知らせに対する守の反応から、その崩壊は始まっていた。

彼女がどうして親房夕美を気にするだろうか?

彼女は親房夕美を全く眼中に入れていなかった。北條守の心の中で、親房夕美が上原さくらに及ばないことをよく知っていたからだ。

失ったものこそが、最も素晴らしいものなのだ。

そして彼女の敵は永遠に上原さくらであり、親房夕美ではない。親房夕美にはその資格すらないのだ。

北條守は大股で出て行った。

親房夕美も、昨日足を折った男が訴えを起こしたことを知った。京都奉行所からすでに役人が屋敷に来ていたからだ。

執事が報告に来ると、彼女の心にも不安が広がった。

夕美は京都奉行所の役人に会わず、怖くなって部屋に隠れた。そして執事に対応するよう命じた。

ちょうどその時、北條守が来て、執事が同心と話して
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    忠義が全員の退出を命じると、屋敷中の者たちが慌ただしく外に出て、おびえた様子で次々と身分を名乗った。あの女は跪いた。緋色の衣装に菫色の立ち襟の羽織を重ね、その装いが愛らしい顔立ちをより一層艶やかに引き立てている。今朝、娘が連れ去られた時点で事の次第は察していた。いや、もしかするとそれ以前から、自分の運命を予感していたのかもしれない。大長公主の失脚に伴い、彼女たちの存在も明るみに出るのは避けられなかったのだから。「名は何という」忠義の目に薄い怒りが宿っていた。「椎名青妙でございます」かすれた声には、どこか人を惑わせるような魅力が潜んでいた。忠義は彼女を見据えて問いただした。「父上と最後に会ったのはいつだ」「昨日の午後です。一時間ほどお休みになられました」と椎名青妙が答えた。その言葉に忠義はほとんど打ちのめされ、信じがたい思いで彼女を見つめた。昨日だと?昨日の午後にまでここへ?父は式部を統べる身、午休みは大抵式部の役所で取るはずなのに......「いつも昼時に来ていたのか?」「はい」忠義は歯噛みしながら問いただした。「どれくらいの頻度で来ていた?」青妙は落ち着いた瞳で淡々と答えた。「二日に一度です」「嘘を言え!」忠義は怒鳴り声を上げた。青妙は顔を上げて彼を見つめた。「お信じいただけないのでしたら、こちらの者たちにお尋ねください。娘に会いに来られていたのです」忠義が一瞥すると、その場にいた全員が跪いた。先ほど自己申告した通り、侍女が八名、小姓が三名、乳母が二名、護衛が二名、御者が二名、庭師が一名、料理人が四名。これだけの人数が、彼女と娘一人の世話のためだけに......忠義が二人のばあやに目配せすると、彼女たちは椎名青妙を連れて奥へと消えていった。青妙は一切抵抗せず、従順な様子だった。忠義は邸内を巡った。花々や調度品は、どれも上質なものばかりだ。小さな卓ですら、精緻な彫刻が施されている。贅沢というほどではないが、確かに趣向を凝らした品々ばかりだった。裏庭には蔦と花で飾られた、美しく洗練された鞦韆が設えてあった。庭には子供の玩具が散らばり、物干し竿には幼い女の子の衣服が干してあった。衣服の大きさからして、子供は一歳ほどだろうか。主寝室を除いて屋敷中を巡ったが、見れば見るほど胸が沈んでいっ

  • 桜華、戦場に舞う   第793話

    次男は兄の顔を見つめたまま、しばし言葉を失っていた。斎藤式部卿は目を閉じ、頭の中で急速に思考を巡らせながら、整然と語り始めた。「住まいを与えた後、調査はしたものの、何も分からなかった。次第に彼女のことは頭から離れ、ただ見張りをつけておくだけになった。決して手は出していない。そこの下女や小者たちが証人となれる。私の不注意だった。公務に忙殺されて彼女のことを忘れかけていた。まさか東海林椎名の庶出の娘だったとは......」次男の表情が一瞬喜色を帯びたが、すぐにそれが兄の対外的な説明に過ぎないことに気付いた。これが真実ではないことは明らかだった。兄のことをよく知る次男には分かっていた。怪しい人物が近づいてきた場合、兄なら必ず屋敷の者に調査をさせる。そして調査結果の如何に関わらず、決してその者を留め置くようなことはしない。必ず追い払うか、距離を置くはずだ。決して近づけることなどありえない。「兄上......」次男は重い気持ちで、それでもなお信じがたい思いで尋ねた。「どうして......こんなことを」式部卿は唇を固く結び、目を閉じたまま、蒼白な顔をしていた。このような初歩的な過ちを犯したこと、そして彼女が東海林椎名の庶出の娘で、大長公主に送り込まれた者だったことを、到底受け入れることができなかった。「私には理解できません。なぜ兄上がこのようなことを......兄上と義姉様は長年連れ添われ、義姉様は賢淑の誉れ高く、早くから側室も整えて子孫の繁栄にも気を配られて......」「早くからか......」式部卿は眉間を揉みながらゆっくりと目を開けた。その瞳の奥に漂う孤独が、墨のように広がっていく。「一番若い側室の環子でさえ、今年はもう四十近い。他の三人も四十を過ぎている。だがあの子は......たった十九だ」この件は、さすがに屈辱的だった。口にするのも恥ずかしかったが、弟の追及に、言わざるを得なかった。「ここ数年、何をするにも力不足を感じていた。しかし、陛下が我が斎藤家を重用される中、困難から逃げるわけにもいかなかった。この件は......確かに一時の迷いだ。若かりし日の活力を取り戻したいと思い、彼女の素性を詳しく調べもせずに......」書斎の外で父と叔父の会話を聞いていた斎藤忠義の胸中は、言いようのない複雑な思いで満ちていた。しばらくし

  • 桜華、戦場に舞う   第792話

    忠義は溜息をつきながら説明した。「二位官の側室は四人までだからな。父上にはもう四人いる。これ以上は規定違反になる。まあ、朝廷の高官で超過してる連中は多いし、お咎めもないんだが......父上は文官の鑑だからな。自分の評判に傷をつけたくなかったんだろう」「なんて愚かなの!」斉藤皇后の顔は怒りに染まり、声は震えていた。「気に入った女なら、大侍女という名目で屋敷に入れればよかったじゃない。そうすれば何だってできたはず......これじゃ父上と母上の仲睦まじさも嘘みたいじゃない。父上の名誉も台無しよ」斉藤皇后は肘掛けに手をかけ、憎しみの色を滲ませた眼差しで言った。「北冥親王だって......なぜ人前であんなことを」忠義の心は乱れに乱れ、父上との対面をどうすればいいのか見当もつかなかった。それでも妹の言葉に、説明を加えずにはいられなかった。「昨夜、使いを立てて父上に待機を伝えたんだ。なのに父上は待たずに出てしまった。北冥親王は半時間も待たされて、さすがに癪に触ったんだろう。あの一言を残して立ち去った」苦々しい笑みを浮かべながら、忠義は続けた。「妹よ、私たちが傲慢すぎたんだ。上原さくらを眼中に置かず、彼女を立てることも拒んで、意図的に面目を潰そうとした。結局は自分の首を絞めることになった。自業自得というものだな」「それにしたって!」斉藤皇后は食い下がった。「人の秘密をあんな風に暴露していいわけないでしょう。なんで北冥親王が来るって言えば、父上が待機しなきゃいけないっていうの?」「皇后」忠義は表情を引き締めた。「この件で北冥親王や上原大将を恨むのはやめてくれ。今この時期に新たな確執を生めば、両家の関係は本当に取り返しがつかなくなる。北冥親王は民の信望が厚いし、上原大将は女性の模範として――」「何よ、女性の模範ですって?」斎藤皇后は、この言葉を聞くのが最も嫌だった。「女性の模範は、この国母たる私でしょう」心の底から不快感を露わにして言い放った。「お前は国母だ。天下の民の母として、それは疑う余地もない。一臣下と比べる必要なんてないだろう?妹よ、愚かな考えは捨てろ」と斎藤忠義は言った。殿内には吉備蘭子しかおらず、他に人影はない。兄として忠義は諭すように続けた。「よく覚えておけ。陛下は北冥親王家にも我が斎藤家にも、本当の信頼は置いていないんだ。お前は皇

  • 桜華、戦場に舞う   第791話

    斎藤皇后が口を開いた。「調査の経緯について、陛下にお話しできるのなら、私にもお話しいただけるでしょう。父があのような人物であるはずがありません」さくらは真っ直ぐに皇后を見つめた。「皇后様、実はご尊父様にお尋ねになられた方がよろしいかと存じます。謀反の件に関わることですので、結果についてはお話し申し上げられます。確かにご尊父様に関わることではありますが、捜査の過程についてお話しするのは適切ではないかと。これはあくまでも朝廷の政務でございますので」斎藤皇后は一瞬たじろいだ。確かに、自分が調査の過程を問うべきではなかった。後宮は政に関わってはならない。特に今や斎藤家は絶頂期にあり、自身も后の位にある。些細な過ちでさえ、大きく取り沙汰されかねないのだ。斎藤忠義は眉を寄せた。父に尋ねる?どうやって口にできるというのか。この件が真実なのか否か、確かな情報もないまま父に問いただしたところで、仮に父が否定したとしても、心に棘が残るだけではないか。「上原殿、皇后様にはお話しできないとしても、私にはお話しいただけないでしょうか。捜査に干渉するつもりはございません。ただ、我が斎藤家に関わることですから、情報の出所を知りたいと思うのは当然のことかと」さくらが少し考え込んだ様子を見せたその時、皇后は立ち上がった。「私は内殿に下がっております。お二人でお話しください」そう言うと、ちょうどお茶を運んできた吉備蘭子も一緒に連れて、内殿へと入っていった。さくらはお茶を一口すすり、喉を潤した。斎藤忠義の、切実さと恐れの入り混じった眼差しを見つめ返しながら、静かに語り出した。「大長公主家の庶出の娘たちがどの家に送られたかは、全て監視する者がおりました。早い時期に送り込まれた娘たちについては、実母が亡くなっていれば影響力を行使できないと影森茨子も承知していたため、関与を避けていたようです。それらについては別の方法で調査いたしました。しかし、ここ数年で送り込まれた者たちについては、彼女たちと接触していた担当者がまだ存在しております。その者の供述から、ご尊父様の妾となった女性がどのようにご尊父様に近づき、どのように引き取られ、どこに住まわせられ、側近が何人いるのか、全てが明らかになりました。管理人が白状し、私どもで事実確認をした上での結論でございます。ですが、やはり斎藤殿には直

  • 桜華、戦場に舞う   第790話

    さくらが御書院を出てわずか数歩のところで、皇后付きの吉備蘭子に呼び止められた。蘭子は笑みを浮かべて会釈し、「王妃様、お久しぶりでございます」と声をかけた。さくらも笑顔で返した。「蘭子様、何かご用でしょうか?」「特に急ぎの用件ではございません。皇后様が王妃様とはお久しぶりだとおっしゃって、春長殿でお茶をご一緒したいとのことです」さくらは喉が渇いて仕方がなかったが、皇后に呼ばれるのは良くないことだと察していた。断れるものだろうか。吉備蘭子の断る余地を与えない態度を見て、仕方ないと悟った。彼女は微笑んで「ご案内よろしくお願いします」と答えた。「王妃様、こちらへどうぞ」蘭子は笑顔で両手を前で組み、軽く腰を曲げてから歩き始めた。御書院から春長殿までは少し距離があったが、幸い今日は天気が良く、風もそれほど強くなかった。御書院での緊張感が少し和らいだ。緊張がほぐれ、少し肩の力が抜けた。斎藤皇后も友好的ではないが、陛下の威圧感や重圧に比べれば、はるかに対応しやすかった。春長殿に到着し、吉備蘭子に案内されて中に入った。殿内に入ると、錦の衣をまとった男性が座っていたが、彼女を見るや立ち上がって礼をした。上原さくらは彼を知っていた。斎藤皇后の兄、斎藤忠義だ。三位の枢密院学士で、陛下の即位直後に登用された心腹の大臣だった。さくらはまず礼を行い、「皇后様にご参内申し上げます」と言った。「お上がりなさい」斎藤皇后は端正な姿勢で上座に座り、冷静で距離を置いた声で言った。斎藤忠義は会釈して「上原殿」と呼びかけた。さくらも礼を返して「斎藤殿」と応じた。「お座りなさい」皇后が言った。さくらは礼を言い、左側の椅子に座った。忠義も彼女の向かいに腰を下ろした。席に着くや否や、忠義は急いで尋ねた。「上原殿、一つお聞きしたいことがございます。どうか偽りなくお答えいただきたい」さくらは喉の渇きを覚え、「皇后様、お茶を一杯いただいてもよろしいでしょうか」と申し出た。「茶を持ってまいれ」皇后はすぐさま命じた。茶を待つ間、さくらは尋ねた。「斎藤殿、何をお聞きになりたいのでしょうか」「本日、親王様がお越しになり......」斎藤忠義は言葉を詰まらせた。この話題を切り出すのが難しいようだったが、避けて通れない質問だった。心中の屈辱を

  • 桜華、戦場に舞う   第789話

    比較の結果、大長公主邸の甲冑は兵部のものよりも素材と作りが優れており、特に武将用の戦甲は極めて精巧であることが判明した。御書院での実験では、連続で何度斬りつけても破れず、むしろ刀の方に欠けが生じた。弩機の試験結果も出たが、こちらは兵部のものに及ばなかった。これにより、激怒していた清和天皇の表情が幾分和らいだ。少なくともひとつ証明されたのは、国公家の青露が嘘をついていなかったことだ。彼女は弩機と甲冑の設計図を持ち出してはいなかった。両者が異なっていたからだ。それでも、衛利定はおそらく罪に問われるだろう。兵器の設計図という極めて重要なものを外部に漏らしたのだから。幸いなことに、陛下は依然としてそれらの女性たちへの扱いを変えず、上原さくらが提案した一括管理にも賛同した。結局のところ、彼女たちは操られていただけで、実質的な被害も出していない。陛下にとっても仁徳の名を得る好機となるだろう。承恩伯爵家を大混乱に陥れた椎名青舞についても、清和天皇は熟慮していた。つまるところ、梁田孝浩の無能さも原因だった。多くの女性が名家に入っても大きな波乱は起こさなかったのに、唯一承恩伯爵家だけが大混乱に陥った。彼ら自身にも大きな責任があるのだ。さくらはようやく本当に安堵の息をついた。天皇は兵部大臣たちを退出させ、さくらだけを残して話を続けた。陛下の目に疲れの色はなく、謀反事件に対して尽きることのない精力を持っているようだった。「上原卿、朕が一つ尋ねる。偽りなく答えよ」さくらは答えた。「はっ!」天皇は威圧的な上位者の眼差しで彼女を見つめた。「影森茨子の背後にいる者、お前は誰だと思う?」さくらは背筋が凍る思いがした。この質問については、玄武が既に陛下に報告しているはずだ。陛下も調査しているに違いない。今この時点で改めて尋ねる意図は何なのか。「あるいはこう問おう。玄武が燕良親王について言及したが、お前もそう考えているのか?」さくらは躊躇なく頷いた。「はい、私もそのように考えております」「刑部と禁衛の現在の調査では、金森側妃が影森茨子に女子を送った件を除いて、燕良親王の関与を示す証拠は見つかっているのか?」清和天皇は深い海のような眼差しでさくらを見据えた。「朕は先代燕良親王妃の件で、燕良親王家とお前の間に深い溝ができたことを知って

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