-②変化、そして異様-
春休みが過ぎて守たちは2年生になった。
圭「今年も同じクラスといいね。」
守「嗚呼・・・、そうだな。」 圭「私、やっぱり出席番号1番かな」 守「そりゃそうだろう、名字が赤城だもんな。」そんな何気ない会話を交わしながらゆっくりと学校へと歩を進めた。
学校につく前に浜谷商店の跡地に向かった。お店はすっかり無くなってしまい、そこには途轍もなく大きな豪邸が建っていた。豪華そうな彫刻の表札の名前は「貝塚(かいづか)」。
守は「ふーん」と思いながら学校へと足を向ける。そんな守を圭が血相を変えて呼んだ。圭「大変!早く来て!」
守たちは校門へと走った。
圭「学校名見て!!」
守たちは目を疑った。場所を間違えたのかとも思った。
『私立 貝塚学園高校』
すっかり変わってしまっている。しかし校門に立っているのは確かに守たちの1年の時の担任だった湯村(ゆむら)先生だった。
湯村「おはよう、どうした、早く入りなさい。遅刻するぞ。それとも転校でもするのか?」
湯村先生は冗談が好きだった、ただ決して面白かった訳では無かったが。しかし先生は生徒からの人気はあった。守も圭も先生が好きだった。湯村「ほら、早く体育館に行きなさい。全校集会の後クラスが発表されるからな、楽しみにしとけよ。」
言われるがままに体育館へと入る。何故かステージには玉座のような椅子が3つ置かれていた。守は友人の空口琢磨(からぐち たくま)を見つけ声を掛けた。
守「おはよう、どうなってんだよこれ。」
琢磨「よう、守か。俺も何も知らなくてよ。それに何故かこんなジャージを渡されたんだが。」そう言えば体育館に入る直前に名前を確認された後、守も圭も灰色のジャージの入ったビニール袋を渡された事を思い出した。周りを見回すと何人かはそれに着替えている。胸元には番号が書かれていた。まるで刑務所だ。よく見たら壁に「袋に入った服に生徒は全員着替えること」とあった。ちらほらと着替えを済ませた生徒が増えてきている。
時間が経過し先生の始業式開始の号令があったので全員集まった。ただクラスが分からないので皆まばらに散っている。
湯村「そのままでもいいから聞いてくれ。皆気付いていると思うが今日から本校は『私立 貝塚学園高校』となった。新しく理事長に就任された貝塚社長の挨拶がある。よく聞くように。理事長先生、お願いいたします。」
理事長「ありがとう。皆さん、おはようございます。この学校を買い取り今日から理事長に就任致しました貝塚財閥の貝塚義弘(かいづか よしひろ)です。どうぞよろしく。 えー、これから私が理事長を務めるにあたり、経費削減を兼ねた改善等を施し、この学校のレベルを最大限に引き上げようと思います。それにあたり、色々と廃止していこうと思います。 まずはじめに「修学旅行等のイベント」です。皆さんにはこれから毎日徹底的に勉学に励んで頂くために高校時代という時間を最大限に使いたいので廃止することにしました。勿論、これは経費の削減を兼ねてます。 次は「年4回の長期休み」です。この間に思い出作りをしようと勉学がおろそかになる生徒が毎年多数存在しています。これのお陰でどれだけ平均学力が下がったか。なので廃止させて頂きます。 続けて「昼休み」です。これも時間の最大活用もありますが、実は脳の回転は満腹時より空腹時の方が良いとされていまして、そのことを活かすために学校敷地内を「飲食禁止」とします。なので、食堂や購買でのパンの販売、自動販売機を全て廃止します。勿論持ち込みも禁止です。校内全域に監視カメラやセンサーを設置していますので隠しても無駄ですよ。 そしてこういった「式典」も全て廃止します、時間が勿体ないですから。体育館に全員が集まるのは今日が最後だと思ってください。その上で授業時間を1コマ60分にするとお伝えしておきます。各時間における休み時間を5分としますので移動等に使ってください。 それと大学入試共通1次試験に必要な「6教科8科目」以外の授業も廃止していきます。徹底的に大学入試対策を行っていくためです。 最後に「部活動」も廃止します。これは近日問題になっている教員の先生方の残業問題対策のためです。時間外労働を徹底的に削減して先生方に安心してお仕事して頂く為です。それにクラブハウスの維持費もかかるし。 さて、浮いた経費を少し使って有名進学塾の講師の先生方をお呼びし、朝の7:00の早朝補習と夜の9:00までの放課後補習を実施していきます。 では・・・、今日はこれで解散としますが、この後始まるのはホームルームではなく補習ですのでくれぐれもご出席いただきますよう。 これからは宿題も増加すると思われますのでご容赦下さい。 さてと今から1時間後にクラブハウスを取り壊しますのでそれまでに私物を各々の部室から避難させておいて下さい。解散!」その後「クラスを発表します!!」の一言で横断幕が貼りだされた。生徒の名前の横にはジャージの胸元の番号が書かれている。
圭「守、今年も同じクラスみたいだね、ただ・・・。」
守「ん?どうした?」明らかに圭の様子がおかしい。
圭「出席番号1番じゃないみたいなんだ。」
ふと横断幕に目をやると2年1組の所に守達の名前があり、名前順では1番上のはずの圭の名前の上に「貝塚結愛(かいづか ゆうあ)」の文字がある、それに自分たちのように「番号」がない。不自然すぎる。
そんな中、急いで私物を取りに行く沢山の生徒たち。
これから守たちは、いや、この学校はどうなっていくのだろうか。不安を胸に教室に向かった。
-③騒動・困惑- 「最後の」全校集会が終わり運動部の部員たちを中心にもうすぐなくなる部活動に所属する生徒たちが慌ただしく動き出した。何名かが気付いたようなのだがクラブハウスの前に大きな鉄球を吊るしたクレーンが2台、静かに刻々と近づく「1時間後」を待っていた。生徒①「早くしろー、大変だ!!早くしないと俺たちの物がなくなっちまうぞ!!」 生徒②「折角親父に買ってもらったバットをなくしてたまるか!!」 生徒③「ウチもラケットずっと置いてるのに!!」 生徒④「サイン入りのゴルフクラブを失ってたまるか!!」 生徒⑤「あたしあれが無いと・・・、あの枕が無いと寝れないの!!!」 生徒①~④「枕置いてんのかよ、家でどうしてんだよ!!」 余裕が少しあるのか何故かボケとツッコミが交錯している。一方その頃・・・。 部活に所属していなかった守、圭、そして琢磨は新しいクラスとなった2年1組の教室へと走った。琢磨「何はともあれ同じクラスになれてよかったな。」 少し笑みを浮かべて走る3人。琢磨は至っては何故かこの状況を楽しんでいる様に見える。階段をのぼり廊下を左に曲がって一番奥が2年1組の教室だ。教室に着くとすぐに異変に気付いた。「2年1組(結愛)」 3人が見た看板には個人名の「結愛」に文字が。守「どこかで見たことがあるな。」 圭「この名前・・・、確か出席番号1番の名前・・・。」 琢磨「この名前だっ・・・。」 女子「私(わたくし)の名前がいかがなされましたの?」 突然琢磨の声をかき消した声の正体は守たちが着ているジャージとはかけ離れた衣装を身に纏った女生徒だった。今にもふんぞり返りそうである。結愛「早くおどきになって、高貴な私をお通しにならないおつもり??」 圭「何よあん・・・。」 湯村「結愛お嬢様、大変申し訳御座いません。すぐに立ち退きますのでこの者らの無礼をどうかお許しくださいませ。」 守「先生何言ってんだよ!!こいつも俺たちと同じ生徒だろ!!」 湯村「こっちの台詞だ!!お前らこちらのお方をどなたと心得る!!我らの理事長であの年商1京円を誇る大企業貝塚財閥の貝塚義弘様のご息女、結愛お嬢様だぞ!!早くどけ!!」 結愛「先生大袈裟ですわ、私そこまで大した権限は持ち合わせておりませんのよ。では皆様ご免あそばせ。」 そう言うと教室のなかで一際
-④残酷な破壊と手紙- 守や結愛たちが教室で最初の補習の準備をしていると、クラブハウスや校内の部室から私物をさせてきた「元」部員達が続々と帰ってきた。荷物が多い生徒や少ない生徒、中には高価な宝飾品を持っていたものもいた。結愛が宝飾品に反応していたので多分本物だろう、どこのブランドの物かは想像もできないがかなりの高級品そうだ。必要なのかどうかは正直分からないものが正直な気持ちでこれらを先生たちが見たらどういう反応をするのだろうか、特に湯村先生が。 「以前」湯村先生には毎日決まって同じ食堂に食事を取りに行く習慣があった。自由な校風だったため、昼食を校外に食べに行っても大丈夫だった。守や琢磨もその食堂でちょこちょこ食事を行っていたので先生の事をよく見かけた。湯村先生本人は毎回同じメニュー「小ご飯とみそ汁」のセットをしみじみと噛みしめながら食べていた。小さめのお茶碗1杯のご飯と優しいお出汁の味が嬉しい温かなみそ汁。具材は豆腐と若布(わかめ)。そして店主自家製のお新香が付いて180円という価格。毎日そのセットを食べていた、ただ本人たちの給料日にはたまの贅沢にとポテトサラダや白身魚のフライといったおかずを一品食べる様にしていたらしい、本当にとてもうれしそうな表情をしながら。ただ、左手の薬指に指輪をしているので結婚はしているらしい、奥さんは忙しい人なのだろうか。もしくは高校生のおこづかい程度の価格で食事が提供されるこのお店で食事をしなければならない位厳しくされているのだろうか。しかし、詮索はよしておこう、いくら何でも本人が可哀そうだ。 さて、そんな湯村先生が先程の宝飾品を見ると自分が教師であることを忘れる位の気持ちになってしまうのは明白。守たちも呆然と立ち尽くしていた。いよいよ義弘が言っていた「1時間後」が来ようとしている。 まだ守たちは結愛を完全に信用している訳ではなかった。性格から見て結愛や海斗は義弘に反発している様だがやはり2人は貝塚財閥側の人間、いつ義弘側についてもおかしくはない。守「お・・・、お嬢様?」 結愛「ああ、結愛でいいよ。」 守「じゃあ・・・、結愛?一つ聞きたいんだけど。」 結愛「何だよ。」 守「俺たちはどうやって結愛の事を信用すればいいんだ?仮にも貝塚財閥の人間だよな、出来れば信用できるように誠意なものを見せて欲しいんだが。」 結愛「そうだ
-⑤疑問- 補習で静まり返った校舎、先日の火災(というより義弘の黒服たちによる計画的犯行)で全焼した校舎は跡形もなくなっていた。養護教諭の乃木(のぎ)が当然とも言える質問を投げかけた。乃木「理事長先生、少しよろしいでしょうか?」 義弘「どうした。」 乃木「育ち盛りとも言える生徒達に対して一切の飲食を禁ずるのは如何なものかと思うのですが。」 義弘「君は私の考えに、いや、私に反逆するのかね。」 乃木「いや、そんなつもりは。申し訳御座いません。」 義弘「構わないよ、そう思うのも無理はない。いや、養護教諭として当然の事だ。だったら人間がどうして空腹になるのかをご存じかね。」 乃木「食べて・・・、動くからです・・・。」 義弘「いいだろう、ではどこが動くからだ?」 乃木「全身ですか?」 義弘「いや、胃袋だ。人間が食物を食し、食道を通り胃袋に入った後、消化しようと動く。その時にカロリーを消費する、逆に言えば食さなければカロリーを消費しない。」 乃木「しかし女子は1日225・・・。」 義弘「女子は1日2250㎉、そして男子は2750㎉必要だ、しかしそう言った摂取を毎日のように続けるとどうなると思うかね。」 乃木「健康な・・・。」 義弘「健康?何をとぼけたことを言っているんだ君は。摂取を続けると起こりうるのは老化だ。」 乃木「でも昼休みをなくしてまで生徒が努力して夢を追うための栄養を奪うなんて・・・。昼休みをなくす必要は無かったはずでは?」 義弘「努力?夢?何を馬鹿な事を言っているんだ。大切なのはそんなものではない、数値と結果だ。そしてその数値たる結果を何が生み出すと思う、力だ。それも経済力と権力だ。世の中を動かしているのは何よりも金と運気だということを君も知っているだろう、乃木建設のお嬢さん・・・、それでもまだ努力や夢などと馬鹿な事をほざくかね、確か君の所は我が財閥の子会社だ、それに君が前回の赴任先で何をやらかしたのか、私が知らないとでもいうのかね、私が口止めしていなければ今頃・・・。」 乃木「では昼休みのけ・・・、いや申し訳御座いません。」 義弘「そのことも兼ねていずれは諸々を話すことになるであろうが、今は言えない。私が最強になり望みを全て叶えるために。」 乃木はずっと震えていた。かなりの圧力をかけられている様だ。どちらかと言うと「
-⑥考査と摸試- 時が流れ数か月、今の「貝塚」になって初めての中間考査となった。以前に比べ範囲が広く感じる上に授業時間が長くなったので当然のように制限時間が長かった。ただ範囲が広くなった分頭を悩ませる生徒が多数存在したがこの考査を突破しなければ進級が危なくなる。 ただ以前理事長の義弘が夏休みなどの長期休みを廃止してしまったので、危ぶまれるものが一つ、良いようで、いや悪いようで減ってしまっていた。今回の摸試は2日かけて6教科8科目の学力を競う、自信満々のものもいればそうでないものもちらほらといた。因みに生徒番号は胸元の番号で結愛と海斗は記入不要となっている。ただそこはやはり学校の先生が考えて作った考査、工夫を凝らした問題がいっぱいだ。 琢磨は2日目の最終科目・現代文の「傍線部(※)の人物像を絵で描きなさい。(色塗り不要)」の問題をじっくりと丁寧に描いて満足感いっぱいで居眠りを決め込んでいた。「(色塗り要)」だったら何人か色ペンを出そうと焦った生徒もいたろうに。若しくは授業中に「色は塗る必要がありますか?」と質問した生徒でもいたのだろうか。中学時代の美術の授業ではあるまいて、そんなに彩り必要とは思えない。もしかして先生が気を利かせて最後の最後にジョークでもかましたのだろうか。まぁ、気にしても仕方ないかという雰囲気と共に中間考査は終わりを告げた。終了のチャイムが鳴り響く。試験官は飛井。飛井「そこまで!後ろから回答用紙のみを回収するように。」 守「終わったー、とりあえず一安心だな。」 飛井「おい宝田、何を言っているんだ。」 次の言葉に全員耳を疑った。飛井「今から講師の方々による摸試だぞ、早く準備せんか!」 全員「何て?!」 結愛「親、お・・・、お父様はその様な事は仰っていませんでしたわよ!」 結愛は一応大人の前でのお嬢様モードでいようとしたが気が動転していたのかごちゃついている。この事は義弘が誰にも言わず秘密裏に行っていた様だ。飛井と入れ替わって乃木が入ってきた。問題用紙がかなりの分厚さとなり運ぶのが大変そうだ、教卓に音を立てて置いてから一呼吸ついて試験の開始を告げた。乃木「着席してください、今から数学の問題用紙を配りますがまだ開けないで下さい。」 守「どんだけの問題を詰め込んだらああなるんだよ。」 圭「かなり手の込んだ問題かもしれないね。そ
-⑦銃弾- 講師陣による摸試の2日目、摸試が始まるまでは全く関係ない(?)学校の授業が進んでいた。摸試が始まるまでの授業に身が入らずこっそり試験の準備を行う生徒がちらほらといた。いてもたっても居られないとはこういうことを言うのだろうか。守も教科書に補習に使っている問題集を隠しながらその場を過ごしていた。そこそこの緊張感と共に試験の時間を迎え、前日に行った中間考査の科目の試験問題が生徒に配られた。今回は試験監督が来る前に全教室の生徒が窓を全開にしていた、暑い日が続くので換気しないと試験なんてできやしない。しかし、試験監督として古文講師の茂手木(もてぎ)がやってくるとすぐに閉めるように指示をした。橘が昨日の様に吠える。橘「暑すぎて試験どころじゃねぇよ、開けさせてくれよ。」 茂手木「駄目だ、今すぐに全部閉めなさい。涼しいのは私たちだけでいいんだ。」 そう言うと懐から携帯用の扇風機を取り出し涼を確保し始めた。結愛がお嬢様モードで問いかける。結愛「私(わたくし)たちもですの?」 茂手木「お嬢様、申し訳御座いません。お父様のご意向です。」 結愛は静かに座ると橘に手を合わせてぼそっと「悪い(わりい)」と言った。茂手木が咳ばらいをして試験開始を告げた。頭を抱えだす生徒が多数いた。明らかに問題集に載ってない上に補習で習っていない問題ばかりで悩みながら試験問題を解いていった。 試験が終わり通常通りだと下校となる時間になった。生徒たちはほっとしながら鞄を抱え教室を出ようとしていた、すると試験監督をしていた湯村が静止した。湯村「何をしているんだ、今から昨日の試験を返していくぞ、全員席に就け。」 全員が渋々席に着くと試験の解答や正しい答え、そして試験結果に順位が書かれた書かれたプリントが各生徒に配られた。昨日の今日でここまで結果が出てくるとは流石貝塚財閥といったところか。どうやら各試験が200点満点で構成されており点数によってA~Dまでで評価が付けられた、これはまだ序章で湯村からまさかの説明があった。湯村「実はこの試験なのだがアルファベットで表示されている評価によって次のクラス編成を行っていく事になっているんだ、生徒の実力に合わせてクラスが構成されていき、これからの授業内容も少しづつ変わってくるだろうから頑張ることだな。」 全部が初耳で全員困惑した。しかも今は夜遅く
-⑧常識とは- 銃弾による殺人事件が発生した当日も通常通り授業が行われ何もなかったかのような静寂に包まれていた。しかし、生徒は全員不信感を抱いている。圭「不自然じゃない??殺人事件まで起こりだしているのにPTAや教育委員会、下手したら報道陣まで動き出してもおかしくない状況で世間が全く動いてないなんてさ。」 守「携帯のニュースはどうなっているんだろう。」 皆おもむろに懐から携帯電話を取り出したが、全員のものに異変が起きていた。授業が始まる前までは普通に使えたのに全員の携帯が圏外の状態になっていた。その時1年4組の方向から伊津見の大声が響いた。伊津見「皆、大変だ!!出入口のドアが全く開かねえし、鍵が壊されて動かねえ!! 琢磨「嘘だろ!!」 橘「それどころじゃねぇよ、外見てみろって!!」 全員「なんだありゃ?!」 校庭全体が高い塀で囲まれていて学校ではなく刑務所の状態になってしまっている。生徒全員が絶望感を感じているとき校内放送が流れた、義弘だ。義弘「えー、皆さん、おはようございます。今日から皆さんのクラスは校内講師陣による摸試の結果で選考していきます。説明が遅れましたが、最下位のDクラスである4組は急遽たる学力の向上が必要とされる生徒の集まりですので早朝の補習に遅刻しますと先程の様に銃弾による制裁が加えられますので4組の生徒は学力を上げて他のクラスに這い上がって、逆に他のクラスは4組に落ちず今の状態を維持できるように勉強に励んで下さい。またより一層勉強に集中して頂くために皆さんの携帯電話は特殊な妨害電波にて一斉に圏外とさせて頂きました。また外部からの遮断を強めるべく校舎の出入口を完全に閉め切り、校庭全体を高い壁で囲わせて頂きました。先生方は特殊な鍵を渡していますので出入り自由となりますが、生徒の皆さんは出入りが出来なくなります。これからは大学に合格して卒業するまでこの校舎で寝泊まりして勉強に励んで頂きます。くれぐれもその覚悟の上でお願い申し上げます。」 琢磨「合格するまで一生この中かよ・・・、俺たちは受刑者じゃねぇんだぞ、この服装もそうだけどよ。」 守「結愛、お前はどうなんだ?鍵とか携帯電話はどうなってる??」 結愛「皆と一緒だ、携帯は圏外だし鍵も持ってねぇ、いよいよ親父の顔をまともに見えなくなってきたな・・・。」 橘「さすがにこのままだとま
-⑨隠密作戦- 守たちはまず必要となる情報を得るために隠密作戦を開始した、第一として先生達が使用する出入口を知らなければならない。その作戦を実行するのに3組の伊達光明(だて みつあき)が名乗り出た。光明「守、琢磨、久しぶりだな。今回の作戦俺に任せてくれ。」 守「久しぶり、でも良いのかよ、責任転嫁してるみたいで悪いよ。」 琢磨「一人に押し付けるのはな・・・。」 光明「大丈夫だって、俺を誰だと思ってんだよ・・・。」 守「確かに信用はしてるぜ。」 圭「ねぇ、伊達君ってもしかして・・・。」 琢磨「忍者の末裔か?って聞きたいんだろ、残念でした。光明はな小型の隠しカメラ作りとハッキングが得意なんだ。」(※ハッキングは犯罪です、駄目、ゼッタイ!!) 光明「ノートパソコンとカメラを隠し持っといて正解だったよ、役に立つ時がくるたぁな。」 守「とりあえずそれをどうするんだ?」 光明「各所各所に仕掛ける、それと校内の使用可能なカメラの映像がこのパソコンに映るようにする。」 結愛「あ・・・、確か・・・。」 光明「どうした??」 結愛「監視カメラは俺が先にいじって同じ映像がずっと映るように改造しちゃってよ・・・。」 光明「大丈夫だ、何とかしてみるよ。後何人か協力をお願いしたいんだが。」 琢磨「どうした。」 光明「俺の指先にあるこの超小型カメラを壁の境目とかに張り付けて欲しいんだ。」 守「分かった、俺たちに任せてくれ。」 光明「一応、パソコンからカメラを映像を見ながら指示を出す、念の為にこの無線機を身に着けて欲しい。」 守たちは光明からカメラと無線機を受け取ると1階にある出入口の各所に散らばった、小型すぎて分かりづらいので大切にケースに入っている。結愛「ただ嫌な予感がする、これを掛けてくれ。」 結愛はどうやって持ち込んだのか懐や自分のロッカーから赤外線スコープを取り出した。守、圭、琢磨、橘、海斗、そして結愛がそれを掛け真っ暗な深夜の1階へと向かった。 階段を降りて真っ暗な1階に到着し、全員赤外線スコープを掛けた。どうやら結愛の嫌な予感は当たったらしい、赤外線がそこら中をうごめいていた。守はノートの切れ端を丸めそれをわざと赤外線にぶつけた。「ガチャン」 出入口の手前辺りにぽっかりと落とし穴が開いた。守「セーフ・・・。」 守は一息つき落とし穴
-⑩理事長室- パスワード解析装置のおかげで理事長室への侵入は容易であった。勿論、深夜の侵入である。結愛は装置を懐に入れて部屋に入って行った。義弘の理事長室は他の学校と同じくお洒落なお部屋が広がっていた。結愛と海斗は持ち込んだ赤外線スコープを掛け調査を始めた。本棚からデスクなど怪しそうな物が立ち並ぶ。指紋を付ける訳には行かないので手袋を付けての創作となった。中央のテーブルの裏などを隈なく調べていった。 海斗がデスク裏で引き出しを少し動かすと怪しげな赤っぽいボタンを発見した。恐る恐るボタンを押す。赤外線センサーが解除された後に物音がした。「ガコッ・・・!」 すると中央のテーブルが少し引っ込み2つに割れ、下に続く階段がお目見えした。2人はゆっくりと降りていく。しかし数段降りた後海斗が床のトリモチに気付いた。海斗「結愛、逃げるぞ!!」 2つに割れていたテーブルが段々と閉まろうとしていた所をギリギリで脱出した。結愛「取り敢えず、赤外線センサーの解除スイッチを見つけただけでもマシだな、少しずつ調べていくしかないようだな。」 その時、外がバタバタと騒ぎ出した。黒服だ。一斉に校舎内に散らばり理事長室に侵入した人間を探そうとしていた。両手にはピストルを持ち、銃撃する準備は万端だ。理事長室にはその内2人が残っている。 2人は一旦退陣する事にした。黒服が窓の外を見た瞬間に椅子やテーブルの陰に隠れながら理事長室の出口を目指す。思ったより簡単に二人は脱出に成功した。海斗「あいつら、馬鹿だな。」 結愛「どんくせぇ。」 二人は教室に走って行った。 一方、光明は各フロアの出入口のカメラからの映像をやや早送り気味でチェックしていった。でないと何個も何個も出入口があるこの学校の映像を全て見えない、ただ一人では不可能なので守と圭を誘うことにした。長時間見続けなければならなくなるが一瞬も見逃せない。守「でも何で俺達なんだよ、光明。」 光明「すぐ隣にいたから。」 守「某有名アルピニストか・・・、まあいいか。」 光明「座布団没収。」 守「やめんか、ケツが痛くなるだろうが。」 光明の笑えない冗談のお陰で少し場が和んだので守と圭は光明に感謝したその場に結愛と海斗がやって来た。結愛「ちょっといいか?」 守「ん?」 海斗「実は理事長室に隠しスイッチを見つけたんだ、ただ
-120 神の加護- 珠洲田は顔見せを終えるとすぐに渚の車を見回し始めた。ただ初めて見るにしてはやけに詳しそうに軍手をした両手で所々をいじりながら、そして何処か懐かしそうに見ている。珠洲田「このエボⅢって確か・・・。ここが・・・、うん。やっぱりか。」光「この車をご存知なんですか?」珠洲田「いや実はね、あっちの世界にいた時なんですが三菱の修理工場やチューンアップパーツの店で働いてた事がありましてね。その時色々いじったエボⅢに似ているんですよ。」 光が珠洲田の様子をしばらくの間見ていたら、お茶を飲みに行き戻って来た渚が思い出したかのように話しかけた。渚「あれ?もしかして、あんたスーさんかい?三菱にいていつもこのエボⅢのチューニングを頼んでいた、ほらあたしだよ。渚。」珠洲田「な・・・ぎ・・・、あんたなっちょか。やっぱり見覚えのあるエボⅢだと思ったんだよ。」渚「いや、全然変わらないね、スーさん。あんただったら何でも頼める気がするよ。」 どうやら2人は小学生時代からの幼馴染らしく、ずっと登下校は一緒だったという。高校はお互い別々だったのだが、渚がエボⅢを購入し「赤鬼」として散々乗り回した結果、ガソリンタンクに小さくだが穴が開いたりトランスミッションとギアボックスが故障した事をきっかけに修理工場で再会して今に至ったという。因みに渚は珠洲田の初恋の人だったそうだ、エボⅢに乗る姿に惚れていたらしい。珠洲田「事故で亡くなったって聞いたよ、でも元気そうで何よりだ。」渚「実は事故る寸前にこの世界のダンラルタっていう王国の峠にこの車ごと転生してきたらしいのさ、峠から峠だったもんだから最初は全然気づかなかったんだけどいつの間にかね。後からクォーツって神様に向こうの世界での事を聞いてやっと実感が湧いたって訳。どうやらその神様がこっちの言語を脳に入れ込んで、そのついでにこの車も運んできてくれたらしいのさ。」珠洲田「あらまぁ・・・、それにしても元気そうで何よりだ。よし、懐かしの車をこっちの物として作り替えるか。久々だな、こいつのキーを回すのは。」 珠洲田は昔懐かしい幼馴染の愛車のエンジンを起動して、自らの店に持っていこうとするとすぐに異変に気付いた。あの頃とは音が全く違って聞こえて来るらしい。珠洲田「あれ・・・?何か音が違うな・・・。」渚「実はね・・・、さっき言った
-119 渚の新居- その場の雰囲気と場の流れに身を任せ、光は先程答えを聞けなかった質問を渚に再度ぶつけた。まさかこんな奇跡が起こるとは、きっともう一生ないだろう。光「ねぇ、母さん。さっきは上手くスルーされたけどやっぱりウチに住まない?」渚「良いのかい?あんたの家、エボⅢ置けんの?」 流石に愛車をずっと『アイテムボックス』の中に入れておくのはもうウンザリだそうなのだ。学生の頃からずっと憧れていてやっとの思いで買った自慢の愛車、やっぱり太陽の下で眺めていたい。その上別に無制限なので気にしてはいないがかなり容量を使う、そして正直に言うと『アイテムボックス』内で物を探すのに少し邪魔となっている。光「エボⅢの駐車場位余裕で用意するから。それに毎晩銭湯に行ってたらそりゃお金かかるよ、ウチにも露天風呂作っているから背中位流させて。」渚「そうかい・・・?じゃあ、お世話になろうかね。」林田「そうと決まれば皆で引っ越しの手伝いしますよ。」 渚は少し申し訳なさそうな表情をしていた、理由は本人の部屋に入るとすぐに発覚した。光が『瞬間移動』を渚に『付与』すると、渚は使い慣れていたかのようにすぐにその場にいた全員を連れて行った。渚「い・・・、いらっしゃい・・・。」 以前言っていた通り部屋は風呂なし、6畳1ルーム。トイレと洗面台と簡易的なキッチンが設置されていたその部屋には、テレビと小さなテーブルに何故かウォーターベッド置かれている、ベッドはピンク色で真ん中に大きく「我愛你(I Love You)」と書かれている見た側が確実に恥ずかしくなる物で光は正直家に持ち込みたくなかったが渚のお気に入りなので許すことにした。渚「だから手伝って貰う程じゃないって言ったの。」 頭を掻きながら渚は顔を赤らめ恥ずかしそうにしていた、そして林田とナルリスに聞こえない位の小声で少し笑いながら何かを耳打ちした。 それを聞いた瞬間に光は先程の渚以上に顔を赤らめ3つ隣の部屋に響く位の大声で叫んだ。光「お母さん!!これ、持ち込み禁止!!!!」林田「渚さん・・・、娘さんによっぽどな事を言ったんですね。」ナルリス「敢えて聞かないでおきます。」 光は涙を流しながら答えた。光「絶対聞かないで下さい・・・。」 さて、光一行は気を取り直して挨拶を兼ねて大家の所に許可を得に行った。引っ越す事が出来る
-118 違和感と事情- 今思えば的な話なのだが、光や渚は転生してからあまり年を取った実感が湧いていない事に気づいた。何となくだが自分達だけ時間が止まっている様な、今会ったばかりの林田警部も久々に会うのに何の変化も感じない。林田「私もこの世界に転生してからしばらくして知ったのですが、どうやら転生者は年を取らなくなっているみたいです。本来なら今頃私も白髪の爺さんですから。」 言われてみれば確かに林田は光とこの世界で初めて出会った時と変わらず黒髪の立派な50代の紳士の姿をずっとキープしている。渚「確かにそうだね、今頃私ゃ腰の曲がった婆さんになっていてもおかしくないもんね。」林田「渚さん・・・、それは言い過ぎでしょ。」渚「ジョークジョーク。」 渚のお陰でその場が和んだ所で光は気になっていた事が2つあったので渚に聞いてみることにした、1つは個人的な事だがもう1つは重要な事できっと林田も気になっているはずだからだ。光「そういえば母さん、普段使っていた眼鏡どうしたの?」渚「ああ、言ってなかったかい?あれ伊達メガネだったんだよ、自分が「赤鬼」だってバレたくなかったからね。この世界では隠す必要がなくなったからずっとこのままでいるのさ。」 そう、久々に会った母親は「赤鬼」としてエボⅢに乗っていた時と変わらない姿でずっといるのだ。会社員と走り屋の2つの顔の両立は意外に難しかったらしい。 そしてもう1つ、林田も気になっていたであろう質問をぶつけた。光「ねぇ・・・、父さんはこの世界に来ているの?」渚「残念だけどこっちの世界に来てから見かけてないねぇ、私も八百屋の仕事が休みの時に探してはいるんだがね。」林田「渚さん・・・、ご主人はやはり阿久津さんだったのでしょうか。」渚「うん、確かにこの子の父親は当時走り屋のリーダーをしていた阿久津だよ。でも事情があってこの子にはずっと「吉村」って名乗らせていたんだ。」光「母さん・・・、どうして私は「赤江」でも「阿久津」でもなく「吉村」なの?」 渚は頬に手を当てながら近くのベンチに座ろうと提案した後、重い口を開いた。渚「知っていたと思うけど私のお母さん、つまりあんたのおばあちゃんの旧姓が「吉村」だったんだよ。実は当時「阿久津」も「赤江」も代々広域暴力団の家系で世間では余り良いイメージでは無かったんだ、あたしも父さんも実家
-117 不自然な事象- ナルリスは渚がアイテムボックスから出した愛車・エボⅢを見て驚きを隠せずにいた。この世界では大抵の者が珠洲田製の軽自動車に乗っていて、乗用車を持っているのは都市圏に住む金持ちや貴族が殆どだ。ナルリス「光・・・、貴族様だったの?」 こう聞きたくなるのも無理は無い、しかし光はごく普通の一般市民だ。ただ神様の力により全財産の金額がとんでもなくなっているが。その事が冒険者ギルドで発覚してから光は決して言わないでおこうと誓っていた、ただ普段地下倉庫にしまっているカフェラッテを含めて愛車が2台ある時点で怪しまれても仕方ない。 一先ず話題を変えようと渚に質問をぶつけた。光「母さんは今どこに住んでいるの?」 かなり久々に、しかもこの異世界で亡くなったはずの母親との再会は本当に感動的で願わくば一緒に住めないかと思っていた。渚「今ね・・・、ネフェテルサ王国って所の団地かなぁ。」ナルリス「団地に住んでる方がお持ちのお車には思えないのですが。」渚「やっぱりそういう理由なのかな。何処も止める所がなくてね、いつも『アイテムボックス』に入れてんのよ。つい最近の事だけど今住んでる所に引っ越す時に大家さんに言って駐車場を確保してもらおうとしたら何故か入居自体を拒否されかけちゃったけど、そういう訳だったのね。」 違う、そういう訳では無い。後で分かった事なのだが大家にとったら皆軽しか乗らないのでその分の駐車場しか用意出来てなかった為に渚のエボⅢが大きすぎて困惑してしまったのだ、きっと駐車しようとしたら白線からかなりはみ出てしまう。別に入居を拒否した訳では無いらしく、ただの言い間違いだった。光「団地なんてあったっけ?」ナルリス「確か・・・、お風呂山の手前だった様な。」渚「そうそう、だから今みたいな風呂なしアパートでも問題なし。」 光は決して聞き逃さなかった、自分の母親が風呂なしアパートに住んでるって?自分は神様に貰った財産で一軒家を購入、それに対して親は風呂なしアパート暮らし・・・。何となく気になる事を聞いてみた。光「母さん・・・、家賃いくらの所なの?」渚「月3万8千円だったかな、八百屋の給料って安くてね。あんたはどこで働いている訳?」光「パン屋さん・・・、かな。」 真実を伝えその場を治めた。実はこの世界では冒険者ギルドに登録しているかどうかで
-116 桜とそよ風が連れてきた故人- 光はビール片手に幼少の思い出に浸っていた、桜は若くして亡くなってしまった母・渚との数少ない思い出の花だ。 今いる遊歩道と同様に家のすぐ近くに桜の花が綺麗に見えるスポットのあった場所に住んでいた頃の光の小さな手を引いてゆっくりと歩く渚の姿は美しく優しい印象で光の目に焼き付いていた、とても巷で「赤鬼」と呼ばれていた走り屋に思えない。 桜の花を眺める度に光は母の穏やかだった顔や温かかった手を思い出して涙を流した。ナルリス「優しい・・・、お母さんだったんだな。」光「うん、桜を見る度いつも思うの。一度でも良いから母に会って一緒にお酒を呑めたらなって。何かね、桜の花の1つ1つが母の温かみを思い出させてくれてこの時だけ何となく子供の頃の気持ちに戻れる気がするんだ。」 ナルリスは知らぬ間に光が右手に持つ酒が缶ビールから紙コップに入った日本酒に変わっている事に気づいた。表情が先程以上に赤くなっている事も、そして涙もろくなっている事も納得がいく。光「多分母は今の私の姿を見ても私に気付く事は無いだろうけど会えたら声を掛けたい、産んでくれてありがとうって感謝の言葉を言いながら日本酒を注ぎたいな。」 その時、ふんわりとした風により散った桜の花びらが1枚光の日本酒の表面に乗った。風に身を任せゆらゆらと揺れながら浮かんでいる。光「会えたらな・・・、会いたいな・・・。後で仏壇にこの日本酒をお供えしよう。」 いつの間に、そしてどこから仕入れたのか分からないが左手に一升瓶を持っている。酔ったせいか幻聴らしき女性の声がし始めた。女性「光、大きくなったね。」光「えっ・・・?」 光は涙ながらに声の方に振り向いた、しかしこちらを向く女性の姿は全くない。その代わりに桜の花びらがそよ風に乗り頬をかすめた。 ナルリスが目を丸くして光の方を見ている。ナルリス「何かあった?」光「いや・・・、何でも無い。ごめん。」 どうやら今の声はナルリスに聞こえてなかったらしい、やはり今の声はただの幻聴だったのだろうか。女性「光・・・、こっち。注いでくれる?」 振り向くと光に紙コップを差し出す女性が1人、どうやらほろ酔いらしく表情が赤くなっている。光「気のせいかな・・・、悪酔いしたかも。隣にお母さんに似た人がいるんだけど。」 光の隣でナルリスがガタガタ
-115 陽気に誘われて- 過ごしやすいぽかぽかと暖かな陽気、いい意味で眠気を誘うこの気候が光は大好きだった。日本で言うと3月~4月のこの優しさの溢れる気候、桜の花びらが開き沢山の人々を優しく迎える花見の時期。四季を全く実感しないネフェテルサでもこの気候に出逢えて嬉しく思っていた。 光は日本にいた頃からこの時期必ず行っていた事があった、唐揚げの油で口を光らせながら思い出に浸るためにスマホのフォトアプリを起動して写真を出しナルリスに見せることにした。ナルリス「こんな花道を歩きながら美味しくビールが呑みたいって?」 日本にいた頃、光の自宅から歩いて5分もしない距離に遊歩道沿いに咲き誇る桜がとても綺麗な公園があった。光は毎年の開花予測と休日をチェックして時には有休を取得してでもその公園に出かけ、ビール片手に歩きながら桜を愛でていた。 幾度表情を変える桜の花や木々の姿を残そうと毎年必ず写真を撮り、フォトアプリに残している。その膨大と言える量の桜の写真をナルリスに見せていた。光「この世界で出来る場所無いかな?」 キラキラと目を輝かせる光の期待に応えようとナルリスは思いつく限りのスポットを雑誌を見せながら提示した、どれも日本での写真に劣る事の無い綺麗さを誇っている。どうやらこの国でもきれいな桜が楽しめる様だ。 テレビのニュースなどでネフェテルサでの開花予測を調べてみると1番早くて2日後、光のパン屋の仕事も丁度休みで嬉しさの余り飛び上がっている。その表情を見てナルリスは安心した、当日は雑誌にも載っていた近所の遊歩道を歩く事にしてその日は眠る事にした。 翌日、その日は1日パン屋の仕事があったので表情に出ない様に必死になっていたが明らかに思考が駄々洩れになってしまっていたらしく、キェルダに何かしらを汲み取られていた。キェルダ「あんた・・・、ニヤついてるけど何かあった?」光「いやぁー、別にー。いつも通りですよ。」 明日が楽しみすぎて仕事中ずっと顔が赤い、しかし仕事はしっかりしているから文句は言えないので店長のラリーは開店中の間そっとしておく事にした。そして売れ残りのパンを回収し、閉店準備をし始めた時に聞いてみる事に。ラリー「どうした光ちゃん、明日の休みにナルリスとデートでもするのかい?」光「デートだなんて店長ったらもぉー!!」 嬉しさの余り店長の肩を軽く
-114 恋人の幸せ-店主「唐揚げ・・・、ですか?」 光の口から放たれた言葉が意外過ぎて開いた口が塞がらない主人は同行していたナルリスの方を向いた。ナルリス「すみません・・・、本人はどうしても唐揚げを肴にビールが呑みたかったらしくそこの空になりかけたガラスケースを見て愕然としているみたいでして。」店主「そうですか・・・、それは大変申し訳ございません。今すぐ作りますのでお待ち頂けますか?」 店主が急ぎ足で店の奥の調理場へ行くと、奥から油で沢山の肉を揚げる音がし始めた。音の大きさからかなりの量だと見受けできる。光の感情を汲み取った店主が小皿と箸、そして缶ビールを持って奥から出てきた。店主「先程のお詫びと言っては何ですがこちらをお召し上がり頂きながらもう少々お待ち頂けますでしょうか、こちらの缶ビールは私からの先日のお礼です。」 缶ビールを受け取ると小皿に乗った熱々の唐揚げを一口齧り勢いよく流し込んだ、少し落ち着きを見せたらしく涙ながらに唐揚げを楽しんでいる。勢いよく口に流れ込む肉汁が光の舌を喜ばせた。店主「お待たせいたしました!!」 その声の後、ガラスケースに大量の唐揚げが流れ込み始めた。その光景を見た瞬間、光が立ちあがる。光「それ、全部下さい!!」店主「吉村様・・・、今何と?」光「だからそれ・・・、全部下さい!!」 店主は手を止め、持っていた出来立ての唐揚げを全て紙袋に入れ始めた。ただ横でナルリスがずっと焦っている。ナルリス「おいおい・・・、足らなかったら俺が揚げるって。」光「ここのを全部買った上で帰ってからナルリスに追加を揚げて欲しいの!!」 どうやら久方ぶりに光の「大食い」が発揮されようとしていた。家の冷蔵庫には缶ビールが大量にある、それを大好きなナルリスと存分に呑みたいと思っている光の感情を汲んだヴァンパイアは店にあった鶏もも肉を大量に買い込んだ。そして漬けダレの材料も併せて購入し、何とか恋人を納得させた。店主「ははは・・・、また凄い量ですけど大丈夫ですか?」ナルリス「本人・・・、大食いですから。」 一先ず会計へと移る、店主のレジを打つ指がずっと震えていた。店主「お待たせいたしました、合計86万4677円でございます。」 店主は驚きを隠せない、何故なら唐揚げ含め鶏肉だけでこんな金額になったのは人生で初めてだったからだ。
-113 唐揚げへの欲望- 光は唐揚げセットを完食して店を出る事にした、グラスに入ったお冷を飲み干し会計へと移った。代金を支払い自動ドアを抜け街へと出る、新鮮な外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ光に夫婦が声をかけた。2人「ありがとうございます、またお越しくださいませ。」 別に用事がある訳では無いのだが家路を急ぎ家の敷地へと入ると、家に入らず裏庭に行き地下へと降りて大型冷蔵庫までダッシュした。勢いそのままに冷蔵庫を開けると缶ビールに手を伸ばし一気に煽った、先程の唐揚げの味を思い出すだけでビールが進んでいく。まるでダクトの下で白飯だけを食うホームレスの様だった事に気づくと、一応光本人しか入る事がない地下だったのだが思わず周囲に人がいないかを確認してしまった。 その後、余韻に浸りながら一言呟く。光「唐揚げ・・・、食べたい。美味しくビール・・・、呑みたい・・・。」 目の前の冷蔵庫には缶ビールはたっぷりあるのだが、唐揚げの材料は全く入っていない。深呼吸して冷静さを取り戻し、家の中の冷蔵庫を確認する。昨日の残りのカレールーが入ったタッパーは目の前に映ったが、こちらの冷蔵庫にも唐揚げに出来る様な肉類は全く入っていない。光「少しの我慢・・・、少しだけだから。」 家から『瞬間移動』して先日お世話になったお肉屋さんへと向かい、店に入ろうとしたがまさかの行列に捕まってしまった。 店先に「本日全商品3割引き」ののぼりが出ている。どうやら月に1回だけ開催される特売日らしく、これはチャンスだと皆がこぞってやって来ていた。 その行列の中に見覚えのある男性の人影を見かけた、料理上手の人影。ただ唐揚げとビールの事で頭がいっぱいになっていたせいか、誰か思い出せない。男性「光?こんな所で何やってんの?というか何かぼぉー・・・っとしてない?」光「ビール・・・、ビール・・・、今すぐビールが吞みたい・・・。」 すると店内から良い匂いがし始めた、光の鼻を刺激する匂い。今何よりも欲しい物の匂い、目を閉じると光にとって神々しくあるその姿が浮かぶ。光「唐揚げ・・・。」 匂いにつられ涎が出てきたので恥ずかしくなり顔を赤らめた男性は慌ててポケットティッシュを取り出した、それを見て行列に並ぶ皆がくすくすと笑っている。男性「とにかく光、目を覚ませ!!俺の事分かるか?!」光「男の人の声・・・、
-112 唐揚げと嫁の威力- マスター拘りのゆったりとした雰囲気にぴったりのBGMに耳を傾けながら冷めない内にと思いつつゆっくりとコーヒーを楽しむ光、今日はいつもと違った気分にもなり始めていた。 またいつもの様に光の表情を読み取った奥さんがメニューを手渡し、空になりかけていたグラスに水を追加する。冷え冷えの水で口をリセットしながら熟考した光が口を開いた瞬間マスターが一言。マスター「唐揚げですか?」光「な・・・、何で分かったんですか?」 怖くなってくる程ではないがマスターはいつも光が言おうとしている事が分かってしまうのでいつも驚かされる、試しに他のお客さんでもいつもこうなのかと奥さんに聞いてみた。奥さん「いや、光さんだけですね。」 自分では気づいてないだけで実は表情から気持ちが駄々洩れしているのではないかと光は少し顔を赤らめた。 そして恥ずかしがりながら注文をする。光「唐揚げ・・・、お願いします。」 光のこの言葉を待っていたかのように注文した瞬間奥の調理場から油で唐揚げを揚げる音が聞こえてきた、よく見てみると白飯とサラダがもう既にセットされている。 私が他の物を注文したらどうするつもりだったのだろうと疑問に思いつつ、良い香りにつられ空腹になって来た光は内心ワクワクしながら唐揚げを待った。 数分後、カラッと揚がった唐揚げが乗ったセットが光のもとに運ばれた。奥さん「お待たせしました、唐揚げです。」 その後耳打ちで笑顔の奥さんにおまけしておきましたからと言われた光の表情は少しニヤついていた。 幼少の頃から野菜から食べる様にと母・渚に教育されて来たので最初の1口としてサラダに箸を延ばした。酸味のあるドレッシングとサクサクのクルトンが食欲を湧かせ、シャキシャキのレタスが一層美味く感じた。 そして意気込みながらメインの唐揚げに移る、息で冷ます事無く敢えて熱々のまま口に入れると溢れる肉汁が光を感動させた。 勿論白米がどんどん進んでいく、さっぱりと楽しめる様にどうやらポン酢ベースのソースがかかっているらしく、それが光にとって何よりも嬉しかった。 ビールがあったら絶対頼んでいるわと思わせるその味の虜になっていたので、いつの間にか白飯が無くなっていた。 唐揚げ1個でご飯1杯を平らげたのは人生で初めてだったので少し焦りの表情を見せつつも、恐る恐る聞い