「気に入ったか?」急に、後ろのスパイラル階段の方から、森川晋太郎の声が聞こえてきた。彼はゆっくりと階段を降りてきたが、ライトに照らされた黒いスーツが薄く金色を光っており、生まれつきの貴族の気質が威厳を漂っていた。入江ゆみは晋太郎をまっすぐに見つめ、思わず声を低くして言った。「お父さんはまるで、おとぎ話の中の黒馬の王子様みたい!!」隣ではっきりと聞こえた入江佑樹は、驚きながら彼女を見て言った。「黒、黒馬の王子様??」ゆみの目は光り、しっかりと頷いて言った。「うん!だってお父さんは黒いスーツを着てるんだもん!」佑樹は急に脳裏で一つの画面が浮かんだ。顔が晋太郎のもので、首以下が黒い馬の化け物……モンスターだ……!直視できない……!晋太郎は2人の前に来た。彼がまだ口を開いていないうちに田中晴が寄ってきて、恥ずかしがり屋の人妻のような甘えた声で言った。「ああ、疲れたわ、こんなに遠い道を私一人で運転させるなんて!」晋太郎は顔色が変わり、きつい目線で晴を睨みながら、「近づくな!」と命令した。晴は悔しそうに口をへの時に曲げ、文句を言った。「薄情だ!悪役!訴えてやる!」すると晋太郎は冷たい声で言った。「酒蔵にお前が好きなペトリュスを1本取って置いた」「マジで?!取って来る!」晴ははしゃぎながら走っていった。2人の子供達は絶句した……晋太郎は優しい声で子供達に、「君たちの母親の事件が解決されるまで、安心してここに泊まっていい」と言った。ゆみは唇を舐めて、興奮した声で晋太郎に向かって言った。「この酒蔵、まるでお城のようだわ!ゆみをここの主に……痛っ!」話の途中で、佑樹はゆみの額にげんこつを入れた。ゆみは額を抑えながら兄に不満をこぼした。「お兄ちゃんがいつもゆみをイジメる!!」晋太郎は微かに指を動かし、娘の額を揉もうとした。よくも娘に手を出したな!佑樹はからかった。「主人?使用人の間違いじゃない?」そう言って、佑樹は晋太郎に、「パソコンが1台欲しい」と要求した。「分かった」晋太郎は口元に笑みを浮かべ、「ゆみは?」と聞いた。ゆみは口をすぼめて暫く考えてから、「ゆみはきれいなワンピースが着たい!」と答えた。「10着で足りるか?」晋太郎は
「それはお母さんは気にしなくていい」入江佑樹は答えた。「でもお母さんは気をつけてね」入江紀美子は背を壁に預けながら言った。「分かってるわ、もし特に用がなければ、もう会社に行かないから」佑樹は暫く黙ってから、「お母さん、僕が言っているのは、あなたが帝都から離れる前のことだ」と言った。紀美子は驚いて、顔から微かに血の気が引くのを感じながら、「佑樹くん、何か知ってるの?」と聞いた。佑樹は唇を動かし、小さな両手でキーボードを暫く叩いてから、「お母さん、これを見て」と言った。紀美子はメッセージを受信した。彼女は佑樹が送ってきた動画を開いた。暫く見ていると、紀美子は急に目を見開いた。「佑樹くん、この動画はどこから手に入れたの?」「念江くんが僕に送ってくれたんだ。ネットユーザーの情報収集の能力は侮れないね。これを反撃の武器に使うといいよ」驚きながら紀美子は頷いた。「分かった、この動画を大事に取っておくわ。もしあの事がまだ暴かれていなければ、一番役に立つタイミングでこれを出すから」佑樹は笑って言った。「お母さん、今回は必ず乗り越えられると信じてるよ」息子に肯定され、紀美子は嬉しかった。「佑樹くん、ちゃんと晴おじさんの言うことを聞くのよ」佑樹はちょっと気まずく笑いながら、手で頭を掻いた。「実は、僕達は今森川晋太郎の所にいる……」紀美子は眉を寄せ、「記者に見られなかった?」と尋ねた。「うん」佑樹はカメラを動かして紀美子に周囲の環境を見せた。「ここのセキュリティはかなり厳しいし、外にも沢山のボディーガードがいる。今のところ誰にも見られていない。ここは市内から車で2時間もかかるところだからね」紀美子は一目でそこが何処かが分かった。この前晋太郎と一緒に酒を取りに行ったノアン ワイナリーだ。彼女はほっとした。「彼がついていれば、お母さんも安心できる。この事件を片付けたら、迎えにいくから」紀美子は言った。「ところで、ゆみちゃんは?」佑樹の顔が少し曇った。「ゆみは今、多分ワンピースの試着で忙しい」紀美子は苦笑いをした。佑樹は顔を引き締め、真面目な顔で口を開いた。「お母さん、必ず乗り切ろうね」紀美子は頷いた。「分かってるわ、安心して」ビ
携帯を置いて、入江紀美子は伸びをした。外のきれいな夜景を見て、彼女は思わず笑みを浮かべた。これから、ショーが始まる!2日後。Tycのキャンセルの勢いが段々と落ち着いてきた。一部の顧客はGの名声で商品を購入したので、キャンセルしなかった。顧客への弁償を終わらせた頃、社員達はほぼ全員疲れ果てていた。竹内佳奈が事務所に入って、キャンセルの統計を紀美子に渡した。「社長、やっと落ち着いてきました」「会社のキャッシュフローはどうなってる?」「あと2100万ほど残っています」紀美子は平静に頷き、「まだ予想範囲以内だ」と言った。「社長、本当に回答しなくていいのですか?」佳奈が心配して尋ねた。「記者達がまだ下にいます」「回答しなくていい」紀美子は椅子の背もたれに背を預け、「緊急時こそ、怠ってはいけない」と言った。佳奈は紀美子の話の意味が分からなかった。「社長、あともう一件あります」「何?」「MKもここ数日、これまでない数のキャンセルが発生していて、損失はうちの倍以上です」紀美子は沈黙した。今回の事件の起因は自分だった。知らないうちにまた森川晋太郎に借りができてしまったようだ。彼女は苦笑いをした。「分かった、下がっていいわ」佳奈は紀美子の事務所を出た。ドアが閉まってから、紀美子は携帯を出して渡辺翔太に電話をかけた。すぐ、翔太が電話を出た。そして、彼の焦った声が聞こえてきた。「紀美子?」「うん」「今どうなってる?」翔太は慌てて尋ねた。「君が忙しいだろうから、ずっと電話するか躊躇していたんだ」紀美子は笑みを浮かべながら言った。「私は大丈夫よ、心配しなくていい。ところで、お兄ちゃんの会社も影響を受けたの?」「多少な。でもそこまで大きくなくて、多分晋太郎が受けた影響の方が大きい、あと悟さんも」紀美子は驚いた。「悟さんが?」「彼は職務停止を受けたようだ」「そんな、たとえ私と親しかったとしても、停職なんて重すぎるわ!」と紀美子は眉を寄せながら言った。通りであの事件が起きて以来、塚原悟からの連絡が一切なかったわけだ。彼は自分に心配をかけたくなかったのだろうか?「病院の方にも、悟さんを取材しようとして沢山の記者達が集まってい
入江紀美子は言葉が詰った。弁償なんてできるものだろうか?今の彼女は、たとえMKの損失の一部だけを補おうとしても出来ないだろう。「今、その余裕はないわ」「彼に償うことを考えたことはあるのか?」塚原悟はさらに問い詰めた。「……」正直に言うと、そう考えたことはなかった。悟に言われなかったら、その点に気づくこともなかった。二人がお互いに知りすぎたからだろうか?紀美子は黙り込んだ。「こう比較してみると分かるよ。私と晋太郎の、君の心の中での地位」悟は軽く笑いながら言った。「ごめん」今の紀美子に残っているのは申し訳ない気持ちだけだった。「謝罪などいらないさ」悟は気楽な口調で言った。「言っただろ、私は自分がそうしたいからしているだけだと」「今回の事件が落ち着いたら、ご飯を奢るわ」「もうすぐ新年だ」「うん、今年は一緒に大晦日を過ごそう」紀美子は酷く落ち込んだ。「そうしよう」悟は笑って答えた。ノアン ワイナリーにて。晋太郎は子供達と、買ってきたばかりのレゴブロックで遊んでいた。頭脳で言えば、もちろん晋太郎の方が上だ。しかし、手の器用さは子供達に劣っていた。入江ゆみは、未だにまともに一パーツも組めていない晋太郎を見て呆れた。「もう無理しなくていいよ、そのスピード、お兄ちゃんと比べ物にならないわ」ゆみは嘆いた。娘にバカにされるなんて。晋太郎は言葉を失った。彼は持っていたブロックを置いて、「残りは俺がやっておく、お前達はそろそろ寝る時間だ」と言った。「手、切れてるよ」入江佑樹は手を止めて言った。「レゴブロックは軽いから、そんなに力を入れて組まなくても」「組むならしっかりと固めないと、だめだ」晋太郎は手の中のブロックを見つめて言った。たかが子供のおもちゃだと彼はおもっていたが、まさかここまで難しいとは思わなかった。佑樹は伸びをして、晋太郎の携帯画面が灯ったのに気づいた。「携帯が鳴ってるよ」佑樹は晋太郎に注意した。晋太郎が携帯見ると、顔色が曇った。森川貞則からの電話だった。彼は2人の子供に、「先にお風呂に入ってきて」と指示しながら携帯を取った。そして、晋太郎は休憩室を出た。「なんだ?」晋太郎は電話に出た。「
森川貞則の目じりは、怒りで痙攣した。森川次郎に副社長の職位を与えたが、MKに彼の言うことを聞く人は1人もいなかった。利益か愛息子の選択を迫られた貞則は、最終的に利益を選んだ。森川家は潰れてはならん!そのようなことは絶対に許さん!翌日の朝、Tyc社にて。竹内佳奈が慌てて事務所に駆け込み、まだ寝ていた入江紀美子に報告した。「社長、大変です!」呼び覚まされた紀美子は目を揉みながら、「どうしたの?」と尋ねた。「あの人達、社長に会えないからって会社のガラスドアに塗料をかけて……酷いことを…」紀美子は驚きながら聞いた。「何を書かれた?」佳奈は言い出せず、口をすぼめて黙った。「教えて」紀美子は腰を曲げて靴を履いた。「社、社長のことを、『誰とでも寝るビッチ』と」佳奈の声が段々と低くなっていった。しかし紀美子はそれをはっきりと聞き取った。紀美子は数秒沈黙してから立ち上がり、「無視していいよ」と告げた。「社長」佳奈は紀美子を見て言った。「これ以上黙っていたら、今度は何をされるか、分かりませんよ」「これくらいの騒ぎで取り乱れてどうするの?相手はうちが理性を失うのを待っているのよ」紀美子は落ち着いた様子で佳奈に言った。彼女の携帯が鳴り出した。杉浦佳世子からの電話だった。紀美子は佳奈に、一旦外に出て落ち着かせてくるようにと指示した。「かしこまりました、社長」佳奈が出ていってから、紀美子は佳世子の電話に出た。まだ口を開いていないうちに、佳世子の声が電話から聞こえてきた。「紀美子、ボディーガードがやつらに石を投げられて怪我したわ!」佳世子は泣きながら言った。「家の玄関も、汚物が混ざった水をかけられて、今家中が酷い匂いよ」紀美子は思わず拳を握りしめながら言った。「落ち着いて話を聞いて」「うん!聞くわ!」「長くてもあと5日間だけ持ち堪えて!この5日間の間、ボディーガードに彼らを調査させ、騒ぎを起こした人達のことを全部記録させて」「わ、分かったわ!名簿を作成するわ!」「ごめんね、ありがとう」「もうこんな時でも、親友として助けてあげるのは当たり前のことよ!」佳世子は涙を拭きながら言い放った。「地獄までもついていってあげるわ」「うん、共に戦
竹内佳奈は不満げにポッドを置いて反論した。「事実ではない!私は、社長がそのような人間ではないと信じている!」「君が信じるかどうかの問題ではない」男性社員は怒って反論した。「信じるから事実になるのか?君のような秘書は、俺達アフターサービス部の大変さが分からない!社長のせいで俺達も『悪徳商人の手先』とまで言われた!なのに俺達は、礼儀正しく答えなければならない。君には分かるわけがない!」佳奈は彼を見つめ、大きな声で指摘した。「それくらいの屈辱も耐えられないのか?社長が毎日どれほどの罵声を浴びているか分かるの?」「知ったこっちゃねえ!俺は耐えられん!」男性社員は適当に髪の毛を整理してから言った。「社長は絶対に何かを隠している、このままだと、会社が潰れるのも時間の問題だろう!」「気に入らないなら出てってよ!」佳奈は本気で怒った。「社長が可哀想だわ。ここ数日、毎日あんた達に良い食事を食わせているのに、本当に恩知らずだわ!」「誰が恩知らずだと?!」「あんたよ!この恩知らずが!」佳奈は怒りを抑えきれず、男性社員の顔に平手打ちをした。「クソ、よくも俺の顔を打ったな?!」男性社員は佳奈に打ち返そうとしたが、他の社員達が慌てて彼を止めた。通りすがりの入江紀美子と露間朔也は、会議室の騒ぎを聞いて、急いで向かった。朔也がドアを押し開くと、中は激しく騒いでいた。彼は社員達を見回し、「昼休みの時間に休まずに喧嘩してどうする?!」と怒鳴った。社員の1人が朔也を見て、慌てて先ほどの状況を説明した。朔也は聞けば聞くほど顔色が曇った。彼は紀美子に、「この人達をどうするか、あなたが決めて!」と言った。紀美子は頷き、会議室に入った。彼女はゆっくりと皆の顔を見回して口を開いた。「私は、皆さんの気持ちがよく分かっている。皆さんから見れば、私はただ逃げ回っているだけ。会社も潰れそうになっているのに。ここでいくら説明しても意味がないので、辞めたい人がいれば、止めはしないわ」「俺は辞める!」男性社員が社員証を地面に叩きつけながら言った。「未来が見えないような会社には、残っても意味がない!」「わ、私も辞めるわ……」「社長、申し訳ありません、私も……」「……」社員達が次々と辞めていくのを
露間朔也の表情は一瞬引き攣った。そして気まずそうに鼻先を揉み、「だってあなたが何も返事しないんだもん」と言った。入江紀美子は笑みを浮かべてジュースを置き、「朔也、服を3セット用意して」と指示した。朔也は少し驚いた。「スタイルは?」「カジュアルウェア2セット、正装1セットで。正装は赤にして、できるだけ鮮やかなものがいい。あとヘアメイク師を1人手配して」「何をするつもり?」紀美子は時間を見ながら答えた。「明日、渡辺グループの100年目セレモニーに出る」「正気か?!100年目セレモニーとかに出る場合じゃないだろ?!奴らに袋叩きにされたらどうする?!」朔也は紀美子を見つめながら問い詰めた。紀美子はただ朔也に笑顔を見せ、何も答えなかった。朔也は急に悟ったかのように、驚いた顔で言った。「あなた、まさか……」「そう」紀美子は朔也の話を中断して言った。「私達、そろそろどん底を抜け出すわよ!」……12月30日。渡辺グループの100年目セレモニー当日。殆どの上流階級の人々が、午後5時までに帝都において最も豪華なホテルに集まるように招待を受けた。ホテルの外、ボディーガード達が2列に並び、沢山の記者達が参加者の写真を撮っていた。しかし残念なことに、参加者は皆マスクを被っていた。ホテルの化粧室。ヘアメイク師は狛村静恵に精細な化粧をしていて、彼女が着ているイブニングドレスはその美しさを一層目立たせていた。渡辺野碩は、満面の笑で化粧室に入ってきた。静恵の美しい姿を見て、濁っていた両目は愛情に満ちた。「うちの静恵ちゃんが今日こんなに美しいとは」野碩の声が聞こえて、静恵は振り返った。「外祖父様、それは褒めすぎですわ」野碩は彼女の手を握り、「静恵ちゃんが美しいのに、褒めちゃいけないのか?」と言った。静恵は恥ずかし気に野碩の肩に寄り添い、「外祖父様、私を見つけ、更にこんなに素敵な生活をくれたことを感謝していますわ」と言った。野碩は気分が良くなり、静恵の手を握りながら言った。「静恵ちゃん、ワシは一番いい物を全部君にあげるから!」時を同じくして。Tyc社にて。紀美子はカジュアルウェアの姿でボディーガードに囲まれて会社を出た。外で待っていた記者達は、彼女が
車の中にて。「事前に大きめの帽子を用意していて良かった。でないと髪の毛までやられていたよ」露間朔也はティッシュで入江紀美子の顔を拭きながら言った。紀美子はティッシュを受け取った。「トレンドでトップになった?」「まだそんなことを気にする余裕があるのかよ?!」朔也は目を大きくして、言った。「そろそろ自分の心配をしたらどうだ?」紀美子は朔也の話を気にせず、携帯を出してトレンドの状況を確認した。自分の動画がトップに上がったのを見て、彼女は笑みを浮かべた。100年目セレモニー?そう順調に行わせるワケがないでしょ?携帯をしまい、紀美子は渡辺翔太にメッセージを送った。「モノは用意できたの?」「安心して、準備万全だ。あとは君が来るのを待つだけ」翔太がすぐに返信してきた。紀美子の目の奥の闇が深くなった。「お兄ちゃん、今回の件で、渡辺野碩がかなりのショックを受けるはずだわ」「彼にもそろそろ、自分がどれほど愚かなことをやらかしたかを分かってもらう時期さ」紀美子は唇をすぼめ、携帯を置いてから窓越しに外を眺めた。今回は必ず成功する!20分後。紀美子はホテルの隣にある、朔也が事前に買収しておいた洋服屋に着いた。僅か10数分後、彼女はイブニングドレスに着替え、化粧まで済ませた。彼女が化粧室から出てくると、朔也の表情は一瞬で引き攣った。元々紀美子は美しかったが、口紅を塗った今、一層凛として見えた。赤いイブニングドレスが、彼女の肌をもっと白く引き立たせた。「G!今後はずっと真っ赤な服にしたらどう?マジでオーラ―が強すぎる!まるで女王様のイメージだ!!」朔也が思わず称賛した。紀美子は朔也に、「マスクは?」と聞いた。朔也は持っていた黒色の半面マスクを手渡した。紀美子はマスクをつけ、朔也の腕を組んだ。「よし、行こう」朔也は頷き、自分もマスクを身につけ、紀美子と一緒に洋服屋を出た。彼女達はボディーガードに声をかけてから、ホテルへ向かった。翔太からもらった招待状があったので、2人は順調にホテルに入れた。マスクをつけていたので、記者達は紀美子のことが分からなかったようだ。しかし、紀美子達がホテルに入った途端、森川晋太郎もマスクをつけて車から降りてきた。その見慣
そう言うと、晴は携帯を取り出して隆一に電話をかけた。事情をはっきり説明すると、隆一は言った。「わかった。明日親父に聞いてみるよ。今は遅いから、もう寝てるだろう。でも、晴、お前のお父さん、本当に面白いな」隆一の言葉からは、「お前の父親、ほんとに最低だな」という気持ちが溢れんばかりだった。「彼がそんな態度なら、これから誰も助けてくれないだろうな」晴は言った。「まあ、君も考えすぎないで。早く寝なよ」電話を切ると、晴は携帯を置いた。彼はそっと、ソファで携帯をいじっている佳世子をちらりと見た。しばらく黙ってから言った。「佳世子、俺を泊めてくれる?」「ここにいたいならいればいいじゃない。私がいない時だって、よく来てたでしょ?」佳世子はゲームに夢中で、晴をちらりとも見なかった。それに対して晴は興奮した。急いで布団を取りに行こうとしたが、二歩歩いて何かに気づき、戻ってきた。「佳世子、俺を泊めてくれるってことは、俺とやり直してくれるってこと?」佳世子は晴が何を言ったのか全く聞いておらず、適当に答えた。「うんうん、そうそう、あなたの言う通りよ」晴は一瞬驚いたが、すぐに佳世子の顔に手を伸ばし、彼女の唇に強くキスをした。佳世子は目を見開き、体を硬直させた。晴は悪戯っぽく笑った。「今日から、俺たちの未来のために計画を立てるよ!」佳世子は我に返り、クッションを晴に投げつけた。「晴!あなた頭おかしいの?!」佳世子は叫んだ。「私には病気があるのよ!触らないで!」晴はクッションを抱きしめて言った。「俺は構わないよ。唾液で感染することはないし。たとえ感染したとしても、俺も喜んで受け入れる。俺たちはもう、苦楽を共にしなきゃいけない仲だろ?」佳世子は彼を睨みつけた。「いつ私がそんなこと言ったの?!」「さっきだよ!」「さっき?!」晴は力強く頷き、無邪気な目で彼女を見た。「俺がここに住むのはそういうことなのか聞いたら、君が『そうそう』って言ったじゃないか」佳世子は頭を抱えた。「あれはゲームをしてて、あなたが何を言ったか聞いてなかったの!」晴は眉を上げた。「それは俺の知ったことじゃない。君が承諾したんだから、もう取り消せないよ」「もういい加減にして!」佳世子
「あの女って??」晴の顔がこわばった。「藍子が俺たちを脅した時、誰が俺たちを助けてくれたのか、もう忘れたのか?!」「彼女がそんなことをしたからって、俺が会社全体をかけて手伝うと思うか?」「そんなこと?!」晴は父を見つめながら、次第に父が遠く感じられた。「あなたはどれだけ恩知らずなんだ?」「誰であろうと、俺が会社をかけることはない!」「最後にもう一度聞く。本当に見て見ぬふりをするつもりなのか?」晴は失望したように尋ねた。「ああ!俺は一切関わらない!」晴は唇に冷笑を浮かべた。「あなたを見誤っていたようだな……」そう言うと、晴は別荘を出て行った。30分後。晴は佳世子の家の前に現れた。彼はドアの外に黙って立ったまま、長い間ドアをノックする勇気が出なかった。彼は今、どんな顔をして佳世子に会えばいいのかわからなかった。自分の家が窮地に立たされた時、佳世子は迷わず海外から戻ってきてくれた。それどころか、自分の評判をかけてまで助けてくれたのだ。しかし、自分の父はどうだ?人を利用し終わったら、あっさりと冷たくあしらうような人間だ。晴は苦笑した。しかし、彼が去ろうとした時、突然ドアが開いた。佳世子はゴミ袋を持っており、ドアの前に立っている晴を見て驚いた。「あ、あなた……夜中に黙ってここに立ってどうしたの?!」晴はうつむいたまま、しゃがれた声で言った。「いや、別に。ゴミを捨てに行くなら、俺が行くよ。捨てたら帰るから」佳世子は何かおかしいと気づき、彼をじっと見た。晴の目が赤くなっているのを見て、彼女は少し驚いた。「晴、どうしたの?」「別に」晴は前に出て佳世子のゴミ袋を受け取った。「早く休んで。俺は行くから」「動かないで!」佳世子は彼を呼び止めた。「中に入って話をして!二度と言わせないで。私の性格はわかってるでしょ!」晴はしばらく躊躇したが、佳世子を怒らせたくないので、仕方なく中に入った。佳世子は晴にミネラルウォーターを渡し、そばに座って尋ねた。「要点を絞って話して」晴は申し訳なさそうに、今夜の出来事を佳世子に話した。佳世子は淡々と答えた。「普通だわ」晴は佳世子の冷静な態度に戸惑いを覚えた。以前なら、佳世子はきっと怒っ
「うん、ルアーがここに来たということは、肇は本当に裏切ってはいないってことね」佳世子は言った。紀美子は苦笑いを浮かべた。「彼がそんなことをしないことを願うわ」「今かなりの証拠が集まったはずだけど、次はどうするつもり?」佳世子は尋ねた。紀美子はソファに座り込んだ。「正直言って、次に何をすべきかわからないの。帝都で会社は順調に発展しているけど、実際には人脈があまりないの」佳世子は考えてから言った。「私が晴に会ってみる。彼ならきっと何か方法があるわ」夜。佳世子は晴をレストランで食事に誘った。彼女はルアーが持ってきた情報を晴に伝え、その後、悟の地下室の件も話した。晴は驚いた。「ルアーが寝返った?!彼は内通者だったのか?!」「うん、紀美子はすでにいくつか重要な証拠を握っているけど、問題は、彼女が警察に通報しても無駄だと思ってることなの」「確かに」晴は言った。「警察は彼と関係があるだろうし、彼より強い権力を持っていなければ、どうにもならない」佳世子は晴に水を注いだ。「だから今夜あなたを呼び出したの」晴は口に含んだ水を吹き出しそうになった。佳世子は呆れて彼にティッシュを渡し、嫌そうに見つめた。「手伝いたくないなら、はっきり言ってよ」「いやいや……ゴホゴホ……俺に会いたくて食事に誘ったのかと思ったんだよ」佳世子は彼の言葉に顔を赤らめた。「やめてよ!そんなに暇じゃないわ!」晴は興味深そうに彼女を見つめた。「そう?じゃあなんで顔が赤いの?」佳世子はカッとなって彼を睨みつけた。「手伝えるの?はっきり言ってよ!」「親父に聞いてみる。明日返事するよ」「わかった」佳世子は言った。「待ってるわ」佳世子を家まで送った後、晴は別荘に戻った。ドアを開けると、リビングでテレビを見ている父の姿が見えた。晴は鼻を触り、父のそばのソファに座った。「父さん」晴は尋ねた。「一つ聞いてもいい?」「回りくどいことするな。用事があるならはっきり言え」晴の父はテレビから目を離さずに答えた。「警察で権力のある人を知ってる?」それを聞くと、晴の父は眉をひそめて彼を見た。「また外で何かやらかしたのか??」「俺じゃない」晴は説明した。「晋太
家に戻ると、紀美子はすぐに佑樹の部屋に行った。彼女は佑樹に肇にメッセージを送らせ、会う時間を約束させた。しかし、何日待っても肇は現れなかった。一週間後。紀美子がオフィスに着くと、佳世子がドアの前に立ったまま中に入ろうとしていないのを見た。彼女は佳世子の前に歩み寄り、不思議そうに尋ねた。「何をしてるの?」紀美子が目の前に現れたのを見て、佳世子はすぐに姿勢を正した。「紀美子、中にあなたを待っている人がいるわ」紀美子は不思議そうにオフィスを見た。「誰?」佳世子は急いでドアを開けた。「入ってみればわかるわ」紀美子がオフィスに入ると、マスクをした男がソファに座っていた。音を聞くと男は振り返り、青い瞳が紀美子の目に映った。男は急いで立ち上がり、マスクを外して言った。「入江さん、私です」男の顔を見て、紀美子は驚いて言った。「ルアー副社長?」「入江さん、やっと会えました!佳世子さんを見かけなければ、あなたと会うことはできなかったでしょう」紀美子はルアーをソファに座らせ、水を注いだ。「あなた、A国にいるんじゃないの?どうしてここに?」「入江さん、私は肇さんから連絡を受けて帝都に来ました。会社のことについてお話しします。それと、証拠も持ってきました」そう言うと、ルアーはバッグから書類を取り出し、紀美子に手渡した。「この書類は、しっかり保管してください。これは私と肇さんが数ヶ月かけて、技術部の人に統計してもらった会社のファイアウォールが突破された回数です。それと、悟が私に会社の重要な書類を漏らすように頼んできた時の録音もあります」紀美子は驚いて彼を見た。「書類を漏らすってどういうこと?!」ルアーは申し訳なさそうに、A国で起こったすべてのことを話した。それを聞いて、紀美子と佳世子は青ざめた顔で彼を見つめた。ルアーは深く息を吸い込んでから続けた。「入江さん、私が自分の罪をあなたに打ち明けたのは、お願いがあるからです!」紀美子は椅子の肘掛けをきつく握りしめ、目を赤くして尋ねた。「ルアー、あなた、厚かましく私にににをお願いするつもりなの?あなたがいなければ、晋太郎はA国に行かなかった!死ぬこともなかった!」ルアーの目には憤りと悲しみが浮かんでいた。「森川社長に申
「私一人の努力の結果じゃないわ。朔也も……」朔也の名前を出した途端、紀美子の胸は重く苦しくなった。紀美子の表情を見て、龍介は話題を変えた。「前に悟の家に行くと言ってたけど、何か見つかった?」紀美子は地下室で見た状況を龍介に話した。龍介はしばらく考え込んでから言った。「君が警察に通報しないのは、悟が警察に知り合いがいて、事件がうやむやになるのを恐れているからだろう?」紀美子は頷いた。「そうよ。龍介君、この件には関わらないで。あなたはもう十分助けてくれたわ」龍介は笑った。「わかった。君の考えを尊重するよ」……一週間後。佳世子が朝早くに電話をかけてきた。紀美子は携帯を探し、眠そうな表情で電話に出た。「もしもし?」佳世子は電話の向こうで興奮して言った。「紀美子!調べたんだけど、肇のおばあちゃんは確かに監視されてるみたい」紀美子は一気に目が覚めた。「その人はまだ肇のおばあちゃんの家にいるの?」「いるわ」佳世子は言った。「でも、おばあちゃんの世話をしてるみたい」紀美子は眉をひそめた。「じゃあ、私たちは違法監視の証拠を手に入れられないわね」「肇が鍵なのよ!肇が認めてくれれば、この罪を悟に着せることもできるわ」「肇は私に打ち明けたくないみたい」紀美子は頭を抱えた。「どうやって彼に切り出せばいいのかわからないわ」佳世子は考えてから言った。「人を回してしばらく盗み撮りするのはどう?そのうち警察が調べてくれるんじゃない?あの人たちは肇のおばあちゃんと何の関係もないんだから」「悟が他の言い訳を考えていないと思う?単に支えるためにおばあちゃんの世話をする人を探したと言い張れるわ」「じゃあどうすればいいの?私たちがこっそり肇のおばあちゃんを連れ出すはどう?」紀美子はすぐに拒否した。「ダメよ。そうしたら悟は肇に目をつけるわ。佳世子、私はもう誰にも賭けられないの。それに肇は私たちを裏切ってないわ。彼はただ追い詰められてるだけなの」佳世子はイライラして舌打ちした。「紀美子、もう、どうしようもないなら直接警察に行こうよ!警察に悟の家を捜索させよう!骨が見つかれば、世論を煽れば、彼は完全に終わりよ」「佳世子、そんなに簡単じゃないわ」紀美子は言った。「
スタッフは彼らを二階のとある部屋の前に案内した。ドアが開くと、真っ赤なチャイナドレスを着て、ウェーブのかかった髪をした、妖艶な顔立ちの女性が机の前に座っていた。物音を聞いて、その女性は人を魅了するような表情で視線を上げた。紀美子と龍介を見ると、彼女は笑みを浮かばせながら立ち上がった。「吉田社長、入江社長」女性の声は、骨の髄まで染み込んでくるようだった。その妖艶さは、嫌味ではなく、むしろどこか親しみやすい感じがした。龍介も挨拶を返した。「美月さん、ご無沙汰しております」遠藤美月(えんどう みづき)は言った。「吉田社長がお忙しくなければ、私たちはもっと会う機会が多かったでしょうに」龍介は笑い、紀美子に向かって説明した。「紀美子、こちらは遠藤美月さん。都江宴の代理ディレクターだ。今回のビジネスイベントの登録審査を担当している」紀美子は美月を見て手を差し出した。「こんにちは、遠藤さん。お手数をおかけしますが、私の会社の資格を審査していただけますか?」美月は紀美子をゆっくりと見渡した。そして紀美子の手を握った。「入江社長、ご丁寧に。以前から入江社長のお名前は伺っておりましたが、今日はお会いできて光栄です。やはり若くして有能でいらっしゃいますね」紀美子は笑って言った。「お褒めいただきありがとうございます」そう言うと、紀美子は持参した資料を美月に手渡した。美月は手を伸ばして軽く押しのけた。「必要ありません。入江社長の会社は私がよく存じ上げております。直接登録させていただきます。雨子、入江社長にブラックカードを発行して」龍介の眉間に一抹の疑念が浮かんだ。都江宴に初めて来た人はプラチナカードを手に入れるだけでも大変なのに、紀美子はブラックカードを直接手に入れた?ブラックカードは都江宴で最も格上のカードだ。もしかして、都江宴の背後にいる人物が紀美子と知り合いなのか?しかし、龍介はすぐにその疑念を抑えた。しばらく座っていると、スタッフの雨子が戻ってきてブラックカードを紀美子に手渡した。「入江社長、こちらがあなたのブラックカードです。どうぞお受け取りください」紀美子はそれを受け取り、お礼を言った。「入江さん、10月のイベントにはこのブラックカードを持って都江宴にお越し
紀美子は笑って言った。「龍介君は立派な父親だね」龍介は話題を変えた。「お?だいぶ気分が良くなったようだね」紀美子は唇を噛みしめた。「前はちょっと私が敏感すぎたわ」龍介は言った。「それは君の問題じゃない。ストレスが大きく、耐え難かったからだよ。この話は置いておこう。実は今日、ある情報を手に入れたんだ。10月に帝都で大規模なビジネスイベントがあるらしい。君は参加したいか?」紀美子は一瞬戸惑った。「ビジネスイベント?そんなの聞いたことないわ」龍介は言った。「ああ、このイベントは特別なんだ。参加するには資格が必要で、予約も必要だ。なんたって、全国のビジネス界の大物たちが集まるからね」「主催者は?」「わからない」龍介は言った。「ただ、この人の実力は計り知れない。本人の情報は一切漏らさないらしい」紀美子は残念そうに言った。「Tycは、こんなイベントに参加するには足りないかもね」「調べたけど、ちょうど参加資格を満たしていたよ」龍介は言った。「参加すれば、かなり信頼できる人脈を作れるし、会社の発展にも良い影響があるはずだ」紀美子は頷いた。「わかったわ。どこで予約すればいい?何か持っていくものは?」龍介は言った。「都江宴だ。会社の資格証明書を持っていけばいい。ただ、あそこに入るのは簡単じゃない。明日空いてるか?」「空いてるわ」紀美子は答えた。「ちょうど土曜日で、特に用事はないから」「よし、じゃあ明日迎えに行くよ。連れて行ってあげる。早く休んで、明日また話そう」紀美子たちはそうして電話を切った。都江宴というホテルは知っていたが、帝都にこんなに長く住んでいても、一度も行ったことがなかった。聞くところによると、その場所は金の巣窟と呼ばれており、ある程度の財力や権力を持っている人でも簡単には入れないらしい。予約が取れたとしても、食事をするのには数ヶ月待たなければならない。都江宴で予約をするということは、イベントは都江宴で行われるのだろうか?しかし、貴重な機会だ。会社の発展のためにも、人脈を広げるのは悪くない。翌日。龍介は10時に藤河別荘に到着した。紗子としばらく話をしてから、紀美子を連れて都江宴に向かった。1時間後、二人は川沿いに位置する
「お父さんは私をかばってくれたけど、お母さんはお父さんと喧嘩して、結局私のせいで別れてしまった。お母さんが去る前に私に言ったの。私の性格が変わらないなら、将来誰も私を好きにならないって。私はお母さんに変わると約束したけど、お母さんは私を置いて行っちゃった」吉田紗子は声を詰まらせながら言った。「佑樹くん、私もゆみちゃんみたいに自由でいたい。でも、私の性格のせいでみんなが私を置いて行っちゃうんじゃないかって、本当に怖いんだよ……」佑樹は彼女をじっと見つめた。彼は紗子にそんな過去があったなんて思ってもみなかった……佑樹は唇をきつく結んだ。「お母さんが正しいとは限らないよ」紗子は顔の涙を拭った。「わからないけど、私がこうすればお母さんが戻ってくるんじゃないかって思うんだ……」「じゃあ、お母さんは戻ってきたの?」佑樹は反問した。紗子の涙が再び溢れ出た。「ううん……」佑樹は冷たく笑った。「お母さんはただ言い訳をして去っただけだよ。君の性格のせいじゃない!」紗子は呆然とした。この問題について、彼女は一度もそう考えたことがなかった。紀美子は紗子の小さな手を優しく握った。「紗子ちゃん、お母さんがなぜ去ったのかについては私たちには何も言えない。でも、紀美子おばさんは思うの。自分らしくいていいんだよ。必要な礼儀さえあれば、他のことは問題ないわ。あなたはまだ6歳なんだから。自由に生きなさい」「私もゆみちゃんみたいになっていいの?」紗子は嬉しそうに尋ねた。紀美子は笑って頷いた。「なぜダメなの?紗子ちゃんも人間だよ。小さな頭の中には自分の考えがあるんでしょ?」紗子は力強く頷いた。「……うん、私は佑樹くんとゆみちゃん、それに念江くんが羨ましいんだ」佑樹は彼女をちらりと見た。「じゃあ、今日から自分らしく戻ればいいじゃん。他人の顔色を伺う必要なんてないよ。覚えておいて」佑樹の口調が和らいだのを聞いて、紗子は涙ながらに笑った。「うん」子供たちの間の喧嘩を解決した後、紀美子は紗子を連れて階下で食事をした。ちょうど彼女に麺をよそってあげたところで、紀美子の携帯が鳴った。吉田龍介からの電話だとわかると、紀美子は紗子を見て、リビングに行って電話に出た。「もしもし、龍介さん?」「今
紀美子は直接紗子の部屋には行かず、まず二人の子供たちの部屋に向かった。ドアをノックし、子供たちの返事を聞いてから、中に入った。「佑樹くん、お母さんと少し話せる?」紀美子はパソコンの前に座っている佑樹に近づいて口を開いた。「お母さんは紗子のことについて話したいの?」佑樹は手を止め、母を見上げて尋ねた。「そうよ」佑樹は数秒間黙り、その後椅子から飛び降りてソファに座った。「佑樹くん、お母さんは他人の物を勝手に触るのが良くないことだってわかっている。あなたが怒るのも当然よ。でも、お母さんはあなたがそんなに意地悪な子じゃないと分かっているわ。何か他の問題があったの?」紀美子も彼の隣に座って尋ねた。「あったよ。でも、詳しくは説明しない。ただ、お母さん、一つはっきり言えるのは、僕は紗子が好きじゃないってこと」佑樹は率直に答えた。「理由は?」紀美子が尋ねた。「彼女はどこか嘘っぽい感じがするんだ」「紗子ちゃんが礼儀正しくてしっかりしているから?」佑樹は唇を噛んで何も言わなかった。「佑樹くん」「みんな性格が違うの。もしかしたら彼女にも言いにくい事情があるかもしれない。彼女にゆみちゃんのように素直になれって言っても、それは無理かもしれない。だって、生活環境が違うんだもの。龍介おじさんだって、謙虚で礼儀正しい人でしょ?」「わかってる。けど、どうしても彼女のあの態度が好きになれないんだ」「佑樹くん、偏見を捨てて、紗子ちゃんともう一度ちゃんと向き合ってみたら?本当に、紗子ちゃんは純粋で良い子なのよ」紀美子はため息をついた。「わかったよ、お母さん」佑樹はソファにうずくまり、小さな眉をひそめて答えた。「お母さんを適当にあしらわないで」紀美子は少し厳しい口調で言った。「お母さんはあんたたちが仲良くしてくれることを願っているの」「もしできなかったら?」佑樹はふてくされて言った。「お母さんは僕を責めるの?」紀美子は首を振った。「あなたにもあなたの考えがあるから、お母さんは無理強いしない。ただ、人や物事に対して、頑固になりすぎないでほしいの」「お母さん、僕は佑樹くんは本当は紗子ちゃんのことが嫌いじゃないと思う」紀美子と佑樹の会話を聞いていた念江は言った。紀美子は顔を上げた