20分後、入江紀美子は彼らを連れて藤川別荘に帰った。彼らが車を降りて、入り口の前にいたボディーガードたちはその人たちに疑いの目線を送った。入江邦夫は初めてボディーガードを見たので、目を大きく開いて近づいていった。ボディーガード達の前まで来て、珍しそうに彼らの体を触りながら呟いた。「うほ、本物の人間だ!全く動かなかったからてっきり人形だと思ってた!お前ら、警備員か??」ボディーガードは嫌な顔を見せ、邦夫の襟を掴んで彼を引っ張り上げた。「ボディーガードを聞いたことはないのか?」「ボ、ボディーガード?!人を殴ったりするアレか?!」それを聞いた入江世津子はびっくりして、慌ててボディーガードに説明した。「うちの旦那は何も分からないから、お二人さん、どうか彼を驚かせないで」そう言って、歯を食いしばって力を入れて邦夫をバシッと叩いた。「余計なことをしないで、さっさと入るわよ!」ボディーガード達はまた嫌な顔を見せた。紀美子は口元にあざ笑いを浮かべながら、ドアを開けた。ドアを開けた瞬間、白いワンピースを着ていて、長い髪を滝のように垂らした白芷白芷が玄関に立っていた。紀美子の後ろにいた皆はその光景を見て、びっくりして体が震えた。まるで幽霊だった!紀美子は口を開こうとしたら、白芷はその後ろの人達を見て眉を寄せた。背の高い入江万両を見たとき、彼女は惨い目つきになった。紀美子が彼女の表情から反応を取る前に、白芷は万両に飛び掛かった。彼女は万両を押し倒し、彼の体に乗っかって思い切り彼の首を締めた。「死ね!!死ね!!クズ男は!!皆死ね!!」入江家の人びとは驚いて、恐怖で目を大きく開いて呆然とした。紀美子は眉を寄せながら、素早く前にでて彼女を止めようとした。「白芷さん!もうやめて!」紀美子の声を聞いて、入江家の人達はやっと我に返った。世津子「ちょっと、何をすんのよ!この女は誰よ!」入江億実「お兄ちゃん、お兄ちゃんの首を締めないで!!」白芷は手に力を入れ、惨い目つきで入江家の人達を睨み、尖った声で叫んだ。「黙れ!全員黙って!彼に死んでもらう!死ね!!」邦夫は驚きすぎてまともに喋ることすらできなかった。騒ぎを聞いた秋山先生は状況を確認してから抗不安剤を取ってきた。白芷に注射して
2階から降りてきたばかりでその光景を見た入江紀美子は、その場で立ち止まった。そのレゴの別荘は、佑樹とゆみ、そして念江達が無数の時間と精力を注いで漸くここまで立てた。最上部はまだ封じていなかったのに、このまま壊され、子供達が戻ってきたらきっと悲しむだろう。紀美子はイラついて目を閉じ、壁に背を当てて思考を整理した。下からのはしゃぐ声や叫び声、議論の声を聞きながら、彼女は何度も繰返して呼吸を整えようとした。彼女が乱雑な出来事を忘れ、再び目を開いた瞬間、目の中は清らかな光を発していた。彼女は階段を降り、その人たちの金に目がない表情を見て、冷たい声で「3階には部屋が二つあるけど、自分で選んで」と言った。入江家の人達はそれを聞いて、興味津々になった。「行こう、上の部屋を見てみよう!」入江世津子はそう言いながら体で階段を塞いでいた紀美子を押しのけ、皆を連れて上がっていった。この時、秋山先生は階段を降りてきた。彼女は上の騒ぎを聞きながら、紀美子の傍にきて、「入江さん、あの人達は……」と尋ねた。「我慢するしかないわ」紀美子は心が疲れて、秋山先生に、「まだ会社に仕事があるから、家は宜しく頼むわ」「あ……はい」秋山先生は無言にため息をついた。午後。紀美子は田中晴と服装工場に向った。工場についた後、紀美子はその面積の広さに驚いた。来る前は、MK社の服装工場の規模は絶対小さいものではないと、ある程度心の準備はしていた。しかし実際自分の目で見てみたら、その規模は大学二軒分の広さにも及ぶものだった!彼女は、半年で2000万円のレンタル料金は安すぎたとまで思った。工場に入り、紀美子は各現場の銘板を見た。それぞれの現場は製作プロセス別で分けられており、更に、MK社は自分の紡績現場もあった。晴はパトロール用の電動車を見つけて、紀美子を連れて工場全体を回ったが、相当疲れた。彼は運転しながら杉浦佳世子に撮った写真を送っていたからだ。大分経ってから佳世子は返信してきた。「漸くあの『高くしていない』の意味が分かった」晴は携帯をポケットに戻し、ぼんやりとしていた紀美子に、「どう?なかなかいい工場だろ?」と聞いた。紀美子は視線を戻して、笑って答えた。「良い取引だったわ、そして勉強にもなった」「えっ?」晴は
工場を回り終わった頃、子供達が下校する時間になった。入江紀美子は田中晴と分かれ、幼稚園に向かった。子供達を迎えて、紀美子は車の後ろの席に座り、彼らに打ち解けた。「佑樹、ゆみ、お母さんはあなたたちに言っておきたいことがある」入江ゆみは大きな目を瞬きながら、「なに?」と聞いた。紀美子「お母さんのお父さんの方の親戚が家に来てるけど、その人達はちょっと悪いことをしてて、うっかりあなた達が建てたレゴのお城を壊しちゃったのよ」「えええええ?!」ゆみは目を大きく開いて叫んだ。「何で私たちが頑張って建てたお城を壊したの?!」隣で話を聞いた入江佑樹も笑みを収め、眼差しが暗くなった。「生まれてから教養がない人もいるのよ、でも一つだけお母さんと約束してくれる?何があっても必ず自分をちゃんと守って、いい?」紀美子は子供達に注意した。佑樹「その人達はいつ帰るの?」紀美子「分からないわ」ゆみの目が潤んで、「お母さん、その人たちはお母さんをイジメてたの?」と聞いた。紀美子は娘を懐に抱き込み、「お母さんは頭がいいから、イジメられるわけがないでしょ?心配しないで。」とゆみを慰めた。ゆみは小さな手でしっかりと紀美子の服を掴み、泣きそうな声で、「その人たちが酷いことをしない限り、私とお兄ちゃんはお母さんを困らせたりしないから」「大丈夫だわ」紀美子は笑って、「さっき言ったでしょ、あなたたちがちゃんと自分を守れば、それでいいの。たとえ本当にその人たちにイジメられても、絶対に罵って言い返してはいけないよ」と言った。弱腰を見せればイジメられるだけ、自分を守る方法は沢山あって、彼女は子供達に小さい頃からイジメを甘んじて我慢するのを絶対許さない!佑樹は拳を握りしめ、その人たちは一体どんな素性をしているか、彼は見てみたかった!母親にそんな話まで言わせた奴、絶対許さない!家に着いて、紀美子はドアを開けると、入江億実が自分のハイヒールを履いて歩いていたのを見た。彼女のシルクのパジャマは入江世津子が着ており、顔には彼女のシートマスクをつけていた。ゆみはそれを見て、何も言わずに飛び掛かっていった。彼女は億実の前に止まり、幼い声で怒鳴った。「誰があなたはお母さんの靴を履いていいと言ったの?!」億実はゆみを見下ろして、「履きたいから履いたの
そう言って、入江紀美子は子供達の手を繋いで、2階に上がろうとした。汚いものに触れたら、洗わなきゃ。入江世津子は一歩先に紀美子の前を塞がって言った。「待って!自分の子供を教育しろってどういう意味?あなたの子供にイジメられるなんて、うちの子は何か悪いことでもしたの?!」紀美子は一瞬で目つきが冷たくなり、世津子を厳しく睨んで、一文字ずつ言葉を並べた。「もう一度言ってみなさい?」世津子は紀美子の目つきに押さえられ、「い、いくらでも言うわよ!あなたなんかに脅かされてたまるか!あなたんちのその……」「うるさい……」突然、白芷白芷の声が階段の方から聞こえてきた。世津子はぞっとして、大人しく口を閉じた。そして泣き散らかっていた娘を抱き上げ、彼女の口を手で塞いで慌てててトイレに隠れた。その反応は、まるで幽霊でも見たかのようだった。白芷は呆然と目を瞬き、首を傾げて目が赤くなったゆみを見た。彼女は眉を寄せ、慌てて入江ゆみの傍にきた。ゆみの顔にまだ唾が付いていたのを見て、白芷はブチ切れた。「誰にイジメられたの!」ゆみは小さな口を歪め、「白芷おばさん、あの女が私とお兄ちゃん、そしてお母さんをイジメたの」白芷は厳しい眼差しでトイレの方を目掛けた。トイレのドアの前に立ち、彼女は思い切りドアをノックして、「またうちの子供達をイジメたら、バラしてやるわよ!」リビングに座っていた人達は一斉に視線が白芷に集まった。白芷はその人たちの目線を感じたのか、振り向いてリビングにいた親子を毒々しく睨みつけた。2人はほぼ同時に体を縮め、ソファに隠れてひやひやとしていた。そして、白芷は紀美子の傍にきて、ゆみを抱き上げて階段を登っていった。紀美子はほっとして、やはり自分がいくら厳しいことを言っても、白芷の目つきには敵わなかった。夜。紀美子は子供達と白芷を連れて晩ご飯を食べに出かけようとしたら、世津子に引っ張られた。世津子は当たり前のように手を伸ばして、「金をくれ!」と要求した。「何の金?」と紀美子は聞き返した。「晩飯の金に決まってるでしょ!私たちはここに来たばかりだし、外でいいモンを食べさしてくれるわよね??あなたが記者達に家まで訪ねてこられたくなければ、先に200万を寄越しな!」紀美子は暫く世津子を見つめ
せっかくこんないい男に出会ったのに、彼女は簡単に手放すわけがなかった!狛村静恵は携帯を取り、「森川さん、いきなり誘ってごめんなさい、今後は気をつけることにします」と返信した。森川次郎「こちらこそごめんね、今度必ず行くから」静恵は彼が故意に自分を断っているのではないと感じて、少し意外だった。森川次郎……静恵は彼のことを考えながら、前買収した森川晋太郎の会社の技術員にメッセージを送った。「100万やるから、森川次郎が結婚してるかどうかを調べてもらいたい。彼はそっちのボスの兄だから、絶対に間違えるな!」技術員「分かりました、明日の午後までに返事します」チャット画面を閉じて、静恵はツイッターを開いた。トレンドトップのトピックに目を惹かれた。『Tycの女性社長の別荘に住むとはどんな体験かと言うと』彼女はトピックを開き、別荘の写真を一枚ずつチェックした。載っている入江紀美子が2人の子供と一緒に撮った写真を見ると、彼女は我慢できずに笑った。紀美子の親戚は流石に動きが速かった!彼女はただその人たちにエサを撒いただけなのに、こんな速いスピードで住み込んでくれたとは!恐らく紀美子は彼らに相当悩まされたのだろう。その記事はまだ発表して3時間しか立っていなかったが、書いたアカウントは既に4000人ものフォロワーが増えた!静恵は急に笑顔を収めた。紀美子は流石に知名度が高い!こんなに多くの人に注目されていたとは!だがいずれ、彼女は紀美子の名声を跡形無く潰してやると決めた!夜8時半。紀美子は子供達と家に戻った時、入江家の人達はまだ帰ってきていなかった。意外な安らぎで、子供達の顔色もほんの少しよくなっていた。紀美子は2人の子供を部屋に戻して寝かせた。入江ゆみは、「お母さん、あの人たちはもう帰ったのかな?」と聞いた。紀美子がまだ答えていないうちに、入江佑樹は口を開いた。「違う、その人達はただまだ遊びきれていないだけだ」ゆみは口を歪め、「お母さん、その人達はあの意地悪な子供をお兄ちゃんと私の幼稚園に送ったり、しないよね?」と聞いた。「縁起でもないことを言うなよ」佑樹はそれを考えるだけで嫌になった。あの女の子、会うたびに吐き気がした。もうし自分に昼にも夜にもあのような奴と会わなくてはなら
「もう、さっきまでずっとその話をしてたけど、私だってそんなにかかると思ってなかったんだもん!やっぱり都会の店はみんなぼったくりだわ!」「だから、私が言ったように、明日は彼達についていくのよ!いっぱい食べてやらないと損する、その金を節約して他の所に使ったらいいじゃない!」「どこにも使わないわよ、貯めておく!ここに住み込んだ以上、かかる金はすべて彼女に出してもらう!もう少し経ったら、彼女に家を買ってもらうから!」「ママ、それいいアイデア!今都会で流行ってるルーフバルコニーの家、私も住んでみたい!」「いいわ!買ってもらう!」その会話を聞いた白芷白芷は、怒りで拳を握り緊めた。マズい!紀美子ちゃんは狙われている!助けてあげなきゃ!1階にて。入江紀美子はお風呂上りに渡辺翔太に電話をかけた。電話が繋がり、翔太は、「紀美子、もう遅いのにまだ仕事してるのか?」と聞いた。紀美子は眉間を揉みながら、疲弊した声で答えた。「ううん、実はちょっと手伝ってもらいたいことがあって」翔太は持っていた資料を置いて、笑って聞いた。「言ってみて」紀美子は工場を回っていた時、田中晴に2人の子供の所在を聞かれたことを翔太に教えた。翔太は暫く沈黙してから、「それならなんとかする、死亡証明書は偽造できるから。ただ、晋太郎がそれを知ったらどう反応するかは、よく考える必要がある」「既にそう言ったから、やるしかないわ」紀美子「すくなくとも、そうすれば子供達を森川家に奪われなくて済む」翔太「君がそう決めたのなら、私もこれ以上多く言わない」「このことはできるだけ急いでやらなければならないわ。晴は晋太郎の一番の親友だから、絶対すぐに彼にこのことを教えたはず」「分かった。心配するな、すぐに手配する」紀美子は少しため息をついて、「お兄ちゃん、今回のことはあなたに不公平だけど、そうするしかないわ」「バカなことを言うな」翔太は笑って答えた。「はい、もう遅いし、寝よう」時を同じくして。屋上の露店バーにて。晴はグラスにワインを注ぎ、晋太郎に渡した。晋太郎はゆっくりと目を上げて、「今夜は女に付き合わなくていいのか」と聞いた。晴の手が一瞬止まり、「女なんかより友達の方がずっと大事だけど、たまには女を抱きたくなるってのも、よくあることじゃない?
「晋太郎、彼女はとても辛い思いをしている。子供のことで縛られる必要はない」晴が言った。 「じゃあ、教えてくれ。彼女がそんなに悲しいなら、どうして翔太とまた二人の子供を産んだんだ?」晋太郎は怒りを必死に抑え、その全身から発する威圧感はまるで冥界の主のようだった。「おそらく、自分を慰めるための方法だったのかもしれない」晴が推測した。 晋太郎はグラスを投げ飛ばし、「慰める?彼女の自分を慰める方法は男を探すことか!?」 晴は言った。「晋太郎、公平に言わせてもらうが、「静恵が紀美子の一人の子供を連れて行けたのなら、他の二人の子供にも手を下すことができるだろう。「女の嫉妬心は、俺たち男には想像もつかないものだ」晋太郎は目を細め、その目には怒気が充満していた。「この件は、俺が調査させる」晴はため息をついた。この件はそんなに簡単に調べられるものではないだろう。特に静恵という女、ただ者ではないと感じていた。彼女だけでなく、彼女の背後にある勢力も簡単なものではないと思った。言い換えれば、紀美子が当時の殺人犯ではないとしたら、静恵は当時のその場面でどんな役割を果たしたのか?無実の被害者か?彼はそれを信じなかった!絶対にそんなに簡単なことではなかった!……土曜日。この日、紀美子は子供たちを早く起こして朝食を食べさせることなく、自然に目が覚めるまで寝かせていた。やはり、子供たちにはできるだけ下の人たちに接触させない方がいい。10時半になって、ゆみと佑樹が紀美子の部屋のドアを開けた。二人の子供が目の前に現れると、紀美子は布団をめくり、ベッドから降りて言った。「起きたの?ママがご飯に連れて行ってあげようか?」ゆみは自分のぽっちゃりしたお腹をつまんで言った。「ママ、お腹が抗議してるよ」佑樹は優雅に微笑んで言った。「一食抜いただけでも、お腹の肉はまだそんなにあるのか」ゆみは佑樹を睨みつけ、「お兄ちゃん、嫌い!毎回嫌なことを言うんだから!」紀美子は笑いながらクローゼットから服を取り出し、「さあ、何を食べたいか考えてごらん?」ゆみは笑いながら言った。「フダリキッズレストラン、ママ、いい?」「いいわよ!」紀美子は言った。「ママが電話して席を予約するね」階段のところで、億実は彼らの会話を聞いていた。
もしもワゴン車でなかったら、こんなに多くの人が乗るのは難しかっただろう。 紀美子が何かを聞こうとしたその時、玄関からまた叫び声が聞こえてきた。 「待って!私も行きたい!」 白芷が慌てて飛び出してきて、秋山先生もその後を追いかけてきた。 彼女の声を聞いた瞬間、入江家の人々は一斉に身震いした。 「くそっ、この精神病者も来るのか?!」万両は恐怖に満ちた声で言った。 邦夫は震え上がった。「俺はもう行きたくない!車から降りたい!」 しかし、彼らの声がまだ響いているうちに、白芷はすでに素早く車に乗り込んできた。 入江家の数人は急いで縮こまり、まるで巣に集まるひよこのようだった。 この光景を見た紀美子は、冷笑を浮かべた。白芷が彼らにこんなに威圧的だとは思ってもみなかった。 白芷は入江家の人々を一瞥し、紀美子に目を向けて言った。「紀美子、私も行きたい!」 「いいよ」紀美子は即座に応じた。 佑樹とゆみもこっそりと笑っていた。 この家族はそんなに白芷が怖いのか? 道中、入江家の人々は誰も声を出さず、できるだけ白芷から離れようとしていた。 レストランに着くと、入江家の人々はまるで命からがら逃げるかのように車から飛び降りた。 レストランに入り、スタッフが彼らを大きな円卓へ案内した。 席に着くと、スタッフが笑顔で尋ねた。「入江さん、今回もお子様たちには子供用セットをお選びですか?」 「はい、松露ステーキもお願いします」と言った後、紀美子は白芷に目を向けた。「白芷さん、あなたは何を食べたいの?」 「私も子供用セット」白芷は素直に答えた。 スタッフはそれを記録し、次に入江家の人々に何が必要か尋ねた。 万両は手を振りかざして、「何を聞いてるんだ?メニューを見せないと分からないだろ?」 スタッフは笑って、手元のメニューを差し出した。 万両は彼を睨みつけ、「態度が悪いな!」と言って、メニューを開いた。 言い終わると、メニューを見た瞬間、彼は固まった。 全て英語だ! 世津子は万両の様子が変だと気づき、急かした。「何が載ってるの?まだ注文しないの?」 万両は声をひそめて言った。「母さん、急かさないで!読めないんだよ!」 「メニューの字が読めないなんて信じられない!」 世津子は「情けない」と
紀美子は体を無理やりに起こそうとした。悟は手を差し伸べたが、触れる前に紀美子に冷たく払いのけられた。「触らないで!」紀美子は憎悪に満ちた目で悟を睨んだ。悟は手を引っ込め、紀美子が自力で体を起こしてベッドにもたれかかるのをただ見守った。「何度も言ったはずでしょう?馬鹿でもわかるくらいに!」「ああ、わかっている」悟は目を伏せた。「わかってるなら、なぜ何度も私を連れ去ろうとするの?」紀美子の声は次第に激しくなっていった。「あんたほど意地の悪い人間は見たことないわ!」悟は唇を噛み、深く息を吸ってから顔を上げた。「紀美子、私と一緒に来てくれないか?」「行く?」紀美子は冷笑した。「どこへ?あんたの頑固さと身勝手さで、どれだけの無実な命が奪われたか知ってる?自首して、あの世で彼らに悔い改めるべきよ!あんたが生きていると思うと、呼吸すら苦しくなってくるの!」「彼らが無実だというが、私はどうなんだ?」悟の目には苦痛が溢れていた。「私には少しの情さえないのか?他人ならともかく、私の全てを知っている君まで……少しも分かってくれないのか?」悟の言葉に、紀美子は心の底から嫌悪を感じた。「情?」紀美子は冷ややかに嘲った。「野良犬の方が同情できるわ。ましてやついてこいなんて!もし無理やり連れ去ろうとするなら、警察に通報される覚悟でいてね!」悟は体が鉛のように重くなり、突然ひどく疲弊感を感じた。「じゃあ、私にどうしてほしいんだ?」悟は力なく尋ねた。「死んでほしい!」紀美子の声は冷たく、なんの感情も見えなかった。「天国に行けないような死に方を!」「そうすれば、君は私を許してくれるのか?」悟は苦笑した。「それで許せると思う?」「君が許してくれるなら、私は何でもする!」「そう?」紀美子は嘲るように笑った。「じゃあ、私の母と初江さん、それに朔也の命を返してよ。できたら許してあげる。どうなの?」「……つまり、君の許しは得られないのか」悟の表情は完全に暗くなった。「わかってるでしょう?悟、みっともない死に方をしたくなければ、今すぐ私を帰らせなさい!」「できない」悟の声は次第に弱くなっていった。「君だけは、死ぬまで手放す気になれない」「往生際が悪
悟は唇を強く結んだ。「ほら、私が提案したって無駄でしょ?あんたの結末はもう決まってるわ」「それでも、紀美子を諦めない」悟は立ち上がった。「三日あれば、全てを整えて彼女を連れていける。たとえ手下はいなくとも、金さえあれば何とかなる!」その最後の言葉に、佳世子の背筋が凍った。悟は、三日もあれば莫大な資金で逃亡経路を確保できる!「目を覚ましてよ!あんたに紀美子を連れ出せるはずがない!」佳世子は叫んだ。「道は二つだけだろ?」悟は、そう言い残すとドアを開けて出て行った。佳世子は急いでベッドから飛び降り悟を追いかけようとしたが、屈強な男に阻まれた。力づくでは無理だと悟ると、彼女は不貞腐れてベッドに戻った。一方、別の部屋では——悟はまだ眠っている紀美子の寝室に入った。ベッドの縁に座り、悟は彼女の整った顔に見入った。彼は手を伸ばし、そっと頬に触れて髪をかきあげた。「紀美子」悟は嗄れた声で呼びかけ、目に優しい眼差しを浮かべた。「五年前と何も変わっていないな。もしもっと早くこの気持ちに気づいていたら、全てが違っていただろうか?一歩踏み出していれば、今頃君は私のものになっていただろうか?」悟は声が震え出した。「負けを認めたくないが、これが現実だ。私は全てを失ってもいい。ただ……側にいてくれないか?」涙が紀美子の手の甲に落ちたのを見て、悟は慌てて拭いた。彼女には、まだ目覚めてほしくなかった。ただ静かに傍にいてくれればいい。冷たい言葉を浴びせなければいい。そう考えると胸がさらに締め付けられ、悟は涙を堪えれなかった。彼は手を引くと、シーツを強く握りしめた。その時突然、ドアがノックされた。悟は急いで涙を拭い、深く息を吸って顔を上げた。「入れ」「社長、我々のIDが特定されました!ここは時期に探知されます!」大河が慌てた様子でタブレットを持って入ってきた。「静かに」悟は唇に指を立て、紀美子の方を見た。「起こすな」大河は眠っている紀美子、そして悟の赤い目に気づいた。「社長、なぜこんな女のために危険を冒すのですか?馬鹿げています!」「お前も愛する女ができたら、きっとこの気持ちがわかるだろう」悟は静かに言った。大河には、今逃げなければ終わりだという
「馬鹿な真似はよしてよ!」佳世子は再び激怒した。「晋太郎が逃がしてくれると思う?寝言は寝てから言って」「不可能だと分かっているからこそ、君に頼んでいるんだ」悟は静かに答えた。「何で私が親友を裏切り、あんたのような悪者を助けなきゃいけないの?私の両親の命でもかけて脅すつもりなの?バカバカしい。あんたに手を貸す人なんて、もう誰もいないわ!」佳世子の言葉に、悟は無力感を感じた。「ああ、今の私には、もう紀美子しか残っていない」声を落として彼は言った。「そんな情に訴えても無駄よ。あんたは紀美子を撃ったのよ。忘れたの?彼女は、あんたの卑劣な手口のせいで飛び降り自殺しそうにもなったよね?」「嫌だ、死んでも絶対に協力しないわ!」「こうなることは分かっていた」悟は前かがみになり、肘を膝につけてうつむいた。「私は完全に敗北した。しかしまだ生きたいんだ」「生き延びてどうすんの?あんたのような悪魔は早く地獄に落ちてくれればいいのに」佳世子は罵った。「今の私が生きる唯一の希望は、紀美子の人生を見届けることだ」悟は言った。「何それ?」佳世子は問い詰めた。「好きな人を利用して、自分の人生の心残りを埋めようとしてるの?」悟は黙り込んだ。複雑な感情が佳世子の胸をよぎった。悟は確かに悪だが、その境遇は憐れでもあった。だが、そんな感情で人を傷つける権利などない!「もしあんたにまだ良心が残ってるなら、私と紀美子を帰しなさい。あんたはもう昔の力を完全に失ったのよ。それに、紀美子の子供たちがどれほど優秀かも知ってるでしょ?ここもいつか必ず晋太郎に見つかるし、その時のあんたの末路は言うまでもないわ」「一度始めたことはもう引き返せない」悟は目を上げて断言した。「死ぬか、紀美子を連れて行くかだ」「どうしてそんな極端な考え方しかできないの?」佳世子は眉をひそめた。「私に他に道があると思うか?」悟は自嘲的に笑った。「捕まれば獄死、見つかれば殺される。そうだろう?」それを聞いて、佳世子の胸は苦しくなった。昔仲が良かった頃のことを思えば思うほど、言葉は重くのしかかった。「悟、本当のことを教えて」佳世子は真剣な眼差しで悟を見つめた。「後悔しているかどうか聞きたいんだろう」
「念江がファイアウォールを突破したIDを特定してからでないと追跡できない」佑樹は小さな眉をひそめて説明した。「30分くれ。長くても30分で特定できる!」念江は言った。30分は長くないが、今は一分一秒が耐えがたいほど長く感じた。十数分経った頃、念江は極度の緊張で鼻血を出してしまった。周りの者は皆、念江の様子に胸を締め付けられた。だが念江は気に留めずに手で鼻血を拭うと、再びハッキングに集中した。「心配しないで。お医者さんに、回復期に時々鼻血が出るのは正常だと言われてるんだ。お母さんが見つかったら少し休めばいい」念江の説明を聞いて、皆はやや安心した。ちょうど29分経った時、念江はエンターキーを叩いた。「よし、IDを特定した。佑樹、後は任せた」「君は休んでおいて。残りは僕がやる」念江は青白い顔でうなずき、椅子にもたれかかった。晋太郎は彼の小さな体を抱き上げた。「父さん、大丈夫…」念江は疲れた目を開いた。「暫く休め。何かあればすぐ知らせる」晋太郎は息子をベッドに運びながら言った。「うん…」わずか数時間で、晴の顔には疲労の色が濃く出ていた。「何だか最近、自分が子供たちにすら及ばないのではないかと不安になるんだ」晋太郎が寝室から出てくると、晴は自嘲気味に笑った。「お前が役に立ったことなどあったか?」晋太郎は冷たく見下ろした。「まあ……そうだな」晴は言葉に詰まった。「唯一の長所は一途なことだな」晋太郎は軽く一言を付け加えた。「確かにその通りだ。俺の心には佳世子しかいない」晴は頭をかいた。一方、別の場所では——悟は、意識を失っている紀美子を以前滞在していた民宿に連れ込んだ。そこのボディガードは既に全員が撤収しており、最も安全な場所だった。佳世子は紀美子とは別の部屋に閉じ込められていた。悟は紀美子の布団を整えてから、佳世子の部屋に向かった。佳世子のベッドの横に座ると、悟は彼女の手を掴み、特定のツボを強く押した。すると、佳世子はパッと目を開いて、そして反射的に手を引っ込めた。見慣れない景色を見て彼女は慌てて起き上がり、ようやく隣に人が座っていることに気付いた。悟と目が合うと、佳世子は眉をひそめた。「悟!やはりあんただったのね!」
その時、晋太郎もボディガードからの連絡を受け取った。隅々まで探したが、結局紀美子と佳世子の姿は見つからなかった。警察もすぐに到着し、ホテル全体を捜索し始めた。それでも、二人が見つかることはなかった。その報告を聞いた晋太郎は、怒りで窓ガラスに拳を叩きつけた!ガラスの割れる大きな音に、佑樹と念江は体を震わせた。二人はそのまま、手から血を流しながら震える父を驚いた表情で見つめた。父に何を言っても無駄だということも分かっていたため、ただ歯を食いしばった。「悟の仕業だ」晋太郎は険しい表情で窓際に立った。ここまで完璧に痕跡を消せるのは、奴しかいない!今、彼を悩ませているのは、悟が紀美子たちをどこに隠したかということだ。奴の勢力はもう完全に潰したはずだが、今最も恐れているのは、奴が紀美子を連れて完全に姿を消すことだった。そうなると、大海原で針を探すようなもので、手がかりすらつかめないだろう。晴が事情聴取を終え警察署から戻ってきても、子供たちはまだパソコンを操作していた。晴はソファに崩れ落ち、頭を抱えてうなだれた。「くそっ!!!絶対に悟だ!!あいつに違いない!!晋太郎、何とかして二人を助けてくれ!悟は紀美子を傷つけないかもしれないが、佳世子は殺されるかもしれない!」晴は晋太郎に助けを求めた。「分かってる!既にあの辺りに配置していたボディガードを引き上げさせた。これからは山と町内を徹底的に調べさせる!美月も動き出している!」晋太郎は歯を食いしばりながら言った。「お父さん、相手の車のナンバーは分かる?正確な情報があれば、もっと早く調べられる!」突然、佑樹が振り返って言った。晋太郎は直ちに美月に電話をかけた。通話が繋がると、美月が話す前に佑樹が切り出した。「美月さん、悟たちの車のナンバーって分かる?」「分かるわ」美月は答えた。「9000だけど、あっちの技術者が、通った場所の監視カメラの録画データを全て消してるわ」佑樹は念江を見た。「念江、ダメなら先生に頼ろう!できるだけ早く母さんと佳世子さんを見つけないと」「わかった、今電話する!」念江は言った。隆久はすぐ電話に出た。念江が状況を説明しようとした時、電話の向こう側からマウスボタンのクリック音が聞こえてきた。
晴の言葉には耳を貸さず、晋太郎はドアを勢いよく開け、再び佳世子の携帯に電話をかけた。晴が後を追うと、廊下のどこかから佳世子の着信音が聞こえてきた。晋太郎の張り詰めた雰囲気に飲み込まれていた晴だったが、この音を聞いた途端、緊張が一気に和らいだ。彼は晋太郎の腕を軽く小突きながら、冗談めかして言った。「ほら!着信音が聞こえるじゃないか!二人はここにいるに決まってる!まったく、悪戯に引っかかるところだったぜ!見つけたらこっぴどく叱ってやるからな!」しかし、晋太郎の表情は微動だにしなかった。むしろ、その冷たさが次第に険しさへと変わりつつあった。彼は着信音の方向を追い、エレベーターの前で静かに地面に落ちている携帯を見つけた。派手な黄色いケース、それは、佳世子がずっと使っていたものだった。晋太郎が大股でエレベーター前に進むと、まだ状況を把握していない晴もついてきた。着信音が近づくにつれ、晋太郎が身をかがめて携帯を拾い上げると、晴は雷に打たれたように固まった。「佳世子の……携帯!?」晴は慌ててそれを掴んだ。「なぜここに!?」晋太郎は危険な光を宿した目を細めた。「お前はフロントに行け、紀美子と佳世子を見た者がいないか確認しろ。俺は子供たちの元へ行く」晴は事態の深刻さを悟り、すぐにエレベーターのボタンを押して下に向かった。ロビー階に着くと、晴は真っ先にフロントに駆け込み、カウンターに立つ二人のスタッフに尋ねた。「さっき、ポニテールと黒髪カールの女二人が来なかった?二人とも一六八センチくらいで……20分以内のことだよ!それとも誰かが彼女達を連れ出しているの見なかったか!?」スタッフは顔を見合わせた。「お客様、落ち着いてください。何が起こったので……」「時間がないんだ!!」晴は叫んだ。「監視カメラを確認しろ!人が消えたんだ!何が起こったかわかるだろ!?」スタッフは急いで監視カメラの映像を調べ始めた。だが、画面が真っ黒になっているのを見た瞬間、スタッフは硬直し、ゆっくりと立ち上がった。「……監視カメラが、全部ブラックアウトしています……」「クソッ!」晴は怒りに任せてカウンターを拳で叩きつけた。「今すぐ早く通報しろ!」「お客様!」もう一人の男性スタッフが割って入った。
紀美子は思わず額に手を当てた。佳世子のこの仕草は、もうメールを送ったと認めるようなものだった……「送ってようが送ってまいが、今日は二人とも我々について来てもらう」二人は恐怖で目を見開いた。「あんたたち何者!?」紀美子は素早く佳世子を背後に引き寄せた。「ここは監視カメラがあるわ。賢いなら手出しはよしなさい!」「監視カメラって、これかい?」細身の男が不意に携帯を掲げた。その画面には、ちょうどエレベーター内にいる四人の姿が映し出されていた。すぐに、画面が一瞬フラッシュして、監視映像は真っ暗になった。佳世子の足は震えが止まらなかった。「お二人さん、誘拐なんて考えないで!お金ならいくらでも出すわ!倍でも!3倍でもいいから!」「金はいらん」細身の男が言った。「ただ命令に従っているだけだ」「命令……」紀美子の脳裏にある人物が浮かび、慌てた表情が徐々に冷静さを取り戻した。「悟なのね?」細身の男は薄笑いを浮かべた。「誰かは、入江さんが眠った後でゆっくり考えてくださいな」ちょうどその時、エレベーターが「チーン」と音を立てて到着した。ドアが開くやいなや、紀美子は佳世子の手首を強く握り、外へ飛び出そうとした。しかし、がっしりとした男は一瞬で腕を伸ばし、紀美子の襟首を掴んだ。紀美子は必死でもがき、廊下に向かって叫んだ。「晋太郎!助けてっ!んっ……」佳世子もすでに細身の男に掴まれ、口を塞がれて全く声を出せなかった。顔にかけられたハンカチが、二人の意識を徐々に曖昧にし、身体も次第に力を失っていった。その頃、客室の中で。晴が晋太郎の部屋のソファーにだらしなく寝転がり、あくびをしながらぼやいていた。「佳世子たち、まだ戻ってこないのかよ……女ってどうしてこんなに元気なんだ……」晋太郎は腕時計をちらりと見て、顔を引き締めた。「もう一度電話してみろ」「お前がかけろよ……」「俺がお前の妻に電話するのが妥当だと思うか?」晋太郎が眉をひそめた。晴は慌てて起き上がった。「俺はかけないぞ!佳世子が買い物中に電話すると、帰ってきてから延々説教されるんだ。特に紀美子と一緒の時は!」晋太郎が不満げに睨みつけた。「俺がどれだけメール送ったかわかってるのか?」「だから
紀美子は驚いた表情で彼女を見つめて尋ねた。「何を見たの?そんなに驚いて?」佳世子は携帯を紀美子に向けた。「森川社長、あなたが見つからないから私にメッセージを大量に送ってきていたわ。20通以上も送ってきて、私から返信が来ないから、最後に電話してきたのよ」紀美子は画面をじっと見つめ、やがて「ぷっ」と笑いだした。「我慢できなくなって電話してきたってこと?」佳世子は眉を跳ね上げた。「あら、二人仲良くやってるみたいね」「ええ!」紀美子は率直に認めた。「彼、記憶を取り戻したの」「彼が言ったの!?」佳世子は驚きの声を上げた。「いつのことよ?」紀美子は微笑みながら首を振った。「言わなかったけど、きっと気付かずに口を滑らせたのよ。昨日のことだったわ」「まさか……」佳世子は手で口を覆いながら驚いた。「もしかして私たちの昨日の会話を聞かれて、男の本性に火がついたとか?」紀美子は耳元がほんのりピンクになった。「多分……そうかもね……」「よかったわ、紀美子!」佳世子は本当に嬉しそうに言った。「でも彼は自分からはまだ言ってないから、あなたも黙ってて。どれだけ我慢できるか見てみましょう!」「わかってる」紀美子はふと、晋太郎が時々本当に子供っぽいと感じた。1時間後。紀美子と佳世子が再び山頂に到着すると、車が停まる前にまたもや紀美子のまぶたが痙攣し始めた。彼女はドアを開ける手を止め、左目を押さえた。佳世子が身を乗り出した。「どうしたの?どこか具合悪いの?」紀美子は指でまぶたを押さえながら言った。「大丈夫、またまぶたがピクピクしてるだけ」「左目……」佳世子は考え込み、舌打ちした。「それ、縁起が悪いわ!」紀美子は呆れたように彼女を見て言った。「佳世子、そんなこと言わないで、余計に怖くなるから」「きっと寝不足なのよ。早く部屋に上がって寝ましょう」「ええ」二人は車を降り、ロビーへ向かって歩き出した。車内から紀美子と佳世子の姿を目撃していた悟の視線は、紀美子の後ろ姿に釘付けになっていた。あの優しげな眼差しは、今や紀美子に対してだけに注がれていた。大河が振り向いて尋ねた。「悟様、あちらです。どういたしましょうか?」「周辺の地形は確認済
車はくねくねとした山道を下っていた。佳世子は真っ暗な周囲を見回しながら言った。「紀美子、この山道街灯ひとつないわよ。怖くない?」紀美子は軽く笑った。「大丈夫よ。ボディーガードも同乗してるんだから、何か出てくるわけないでしょ?」佳世子は自分の腕をさすった。「こういう環境苦手なの。空気は確かに美味しいけど、わざわざこんな高い所まで来て休暇を過ごそうなんて思わないわ」紀美子はカバンから子供たちのために準備していたプリンを取り出し、佳世子に手渡した。「このホテル、評判が結構いいし、有名人もたくさん来る場所だよ。嫌だと思ってるのは多分あなただけ。甘いものでも食べて気分を落ち着けて。生理のせいで気分が悪いんじゃない?」佳世子がそれを受け取り、包装を開けて食べようとした瞬間、目の前に白いヘッドライトが飛び込んできた。次の瞬間、対向車が彼らの車の横を疾走し過ぎ去っていった。佳世子はその車を見送りながら呟いた。「こんな夜中の三時とかに、誰が山に上がるのよ……」紀美子は何気なく言った。「日の出を見に来たんでしょう。ここは撮影スポットとしても有名だし」「私なら睡眠時間削ってまで日の出なんて見ないわ。仕事でクタクタなのに」紀美子が笑いかけたその時、まぶたがぴくっと痙攣した。胸の奥を一瞬、不安がかすめた。儚く消え去ったが、それでもどこか気味の悪さを感じずにはいられなかった。紀美子は他のことを考えることなく、運転手に向かって言った。「少しスピードを落として、カーブが多いし、道も暗いから、安全第一で」「わかりました」速度が緩むと、紀美子はようやく少し落ち着いた。20分後、紀美子と佳世子は山のふもとに到着した。佳世子と一緒に生理用ナプキンを買い終わった後、紀美子は急いで山に戻るつもりはなかった。町の携帯電話店が開店するのを待って、そこで携帯を買ってから戻るつもりだった。そして、せっかくの機会なので、地元の朝食を試してみることにした。朝の6時半。紀美子と佳世子は小さな町をひと回りして、ようやく気に入った朝食店を見つけ、腰を下ろした。食事を終え、紀美子は店主に尋ねた。「すみません、この辺りに早く開く携帯電話店ってありますか?」「携帯を買うのか?」店主はお好み焼きを焼きながら言