「違うんだ、萌々。落ち着け、聞け」
「いや。ちょっと、無理です……‼」私に近づいた皇羽さん。おずおずと伸ばされた手が、真っすぐ私に向かって伸びて来る。だけど私は、その手を勢いよく叩き落した。
パシッ
「私、この世の中に一つだけ嫌いな物があります」
「嫌いな物?」コクンと頷く私を、皇羽さんは黙って見た。テレビの中では、キラキラした笑顔を浮かべて歌って踊っているレオ……もとい皇羽さんがいる。その姿を見て、熱狂するファン――私もそうであったら、どんなに良かっただろう。
「皇羽さん、ごめんなさい。私、 Ign:s が大嫌いなんです……!」
「……」皇羽さんは無言だった。十秒ほど目を瞑って「考える人」のポーズをとる。だけど、遅れて私の言葉を理解したらしい。閉じていたまぶたを、ゆっくりと持ち上げた。
「Ign:sが嫌い?マジで?」
今までで一番、間の抜けた声。信じられない、という目で私を見る皇羽さんに、容赦なく私は頷いた。
「ムリです、ごめんなさい。家を出ます!」
「はぁ?ちょっと待てよ、話が!」 「ありません、さようなら!」ソファを越えて、その先の玄関へダッシュする。後ろからバタバタと足音が聞こえて、おまけに「待て!!」って怒鳴り声まで聞こえる!ここはホラーハウスなの?怖すぎるよ!
だけど「ここにずっといるよりはマシ!」と、玄関に並ぶ靴から私の物を探す。だけど目を皿のようにして見ても、全く見当たらない。どこに行ったの?私の靴!
すると後ろから「奥の手を取っておいて良かった」と声がした。振り向くと、皇羽さんが私の靴を掴んでいた。
「コソコソ逃げられないように、最初から隠しといたんだ」
「ひ、卑怯ですよ!」
「ふん、何とでも言え。こうでもしないとお前、絶対に逃げていくだろ」逃げていくだろ、と言った時の皇羽さんの顔。少しだけ悲しそうに見えたのは、気のせいなのかな?
「それに、まだ話は終わってない。部屋に戻れ。聞きたいことがたーっぷりあるんだ。例えばIgn:s が嫌いとか」
「ひ……っ」悲しそうに見えたなんて、絶対に気のせいだ!だって皇羽さん、怒りすぎて般若の顔をしているもん!笑っているのに超怖いよ!
その時、キッチンの方から「チン」と音がした。同時に美味しそうな香りが漂う。すると気が緩んでしまったのか、私のお腹が元気よく鳴った。
グ~
「……萌々が靴を探してる間に食いモン用意した。冷凍だけど美味いぞ。もう夕方だし、腹減ってるだろ」
「え! もう夕方なんですか……⁉」
「お前、爆睡してたからな。朝から食べてなきゃ腹も減るだろ。それに……ぷッ。さっきの腹の音……っ」「わ、笑わないでください……!」すぐにでも出て行きたいけど、空腹には勝てない。悔しいけど部屋に戻り、皇羽さんが運んでくれる料理を順番に食べ始めた。
◇
「単刀直入に言う。今日からここが萌々の家だ」
「へ?」「ここは俺の家。俺は一人暮らしだ」
「ん⁉」鍵はこれだ――
一枚のカード(鍵)をいきなり渡されて「はい、わかりました」って頷ける人って、一体どれくらいいるの?
「いやいやいや、だから無理ですって! 私の話、聞いてました⁉」
「お前こそ俺の話を聞いてたのかよ。お前の家は焼けた。住む場所も両親も、おまけに金もない。そこに俺が通りかかった。幸いにも俺の家には空き部屋がある。金もなんとかなる。じゃあ、萌々はここに住むしかないだろ」 「ッ!」確かに……。ホームレスになった私からしたら、これ以上に美味しい話はない。でも、だからこそ怪しい。
「このお家、かなり広いですよね?過去に〝マンションは階が高いほど家賃も高い〟と聞いたことがあります。でもこの部屋の窓からは、地平線まで見えそうな景色が見えます。ここは一体、何階ですか」
「賃貸マンションだ。ここは62階」62!?た、高すぎでは!?
「高校一年生の皇羽さんが、どうしてマンションに一人暮らしが出来るんですか?答えは簡単ですよね。それは皇羽さんがアイドルだからです」
「……ちがう」 「……」いや、絶対に違わない。
「私を騙せると思ってるんですか?さっきのテレビを一緒に見ましたよね?Ign:s のレオは、絶対に皇羽さんでしょ⁉見間違うわけがありません!あんなそっくりさんを目の前にしても、まだ”俺はレオじゃない”と言い張るなんて!」
まくしたてて話す私を、皇羽さんがジッと見る。そして「分かんねぇか」と、情けなく笑った。
「さっきのテレビを録画してる。再生してやるよ」
「結構です!」私の静止も聞かず、皇羽さんは再生ボタンを押す。行方不明だったリモコンは、無事に見つかったらしい。だけど五秒もしない内に、Ign:s が歌っているシーンが画面に映った。「わー!消してください!」と目を瞑る私の手を、皇羽さんがギュッと握る。
「よく見ろ、右上」
「……え?」皇羽さんの言葉通りに目を動かすと、画面の右端に小さく何かが書かれている。目を凝らしてよく見ると、それは「生放送」の文字だった。
さっきの番組が生放送?「え、あれ……?」混乱する私に、皇羽さんは伏し目がちにため息をつく。「この番組は、いつも生放送なんだよ。もしも俺がレオなら、今ここに俺はいられないだろ?」 「確かにそうですが、でも!」うり二つだよ⁉皇羽さんの髪色を変えたら、まんまレオじゃん!猫っ毛な黒髪の皇羽さんと、マッシュ型なアッシュ系金髪のレオさん。髪を除けば、ピッタリすぎるほど二人が綺麗に重なる。「まさかドッペルゲンガー?」 「……言うと思った」皇羽さんは呆れ半分で「よく間違われる」と、テレビの画面を消しながら答えた。「そっくり過ぎるから、よく道端で声を掛けられるんだよ。あまりの似具合に”人違いです”ってのも通じねぇから、外では帽子かぶってんだ」 「まるでアイドルですね……」 「うるさい」にわかには信じられないけど、だけどテレビ局を疑うことも出来ず。皇羽さんとレオは別人なのだと、考えざるを得ない。「じゃあ、皇羽さんは Ign:s じゃないんですね?」 「そう」「アイドルでも無いんですね?」 「そーそー」ホッ――と安堵の息をつく私。そして「現金な奴」と思われるのを承知で、皇羽さんに向かって頭を下げた。「正直、今の私が頼れるのは皇羽さんしかいません。私を置いてくれたら家事をするので、一緒に住まわせてください」 「……」 「お願いします……っ」ソファから降りて頭を下げると、皇羽さんもソファから降りたのか「ギシッ」と音がする。次の瞬間、何かがふわりと私を温かく包み込む。まあ何かって、分かっているんだけど。でも分かりたくなかった。だって私を包んでくれるこの温かさに、不覚にも安心してしまったから。「萌々」 「はい……」皇羽さんに抱きしめられて安心する私がいるなんて、知りたくなかった。だって皇羽さんは私のファーストキスを奪った人。口は悪いし強引なところがある、とんでもない男の人。それなのに……「今日から離さないから、覚悟しとけよ」 「ッ!」こんな事をサラリと言ってしまう皇羽さんの事を、詳しく知りたくなっている私がいる。この人はどういう人でどんな生活をしているのか、興味が湧いている。あぁもしかして私は、とんでもない場所に来てしまったかもしれない。――抱きしめられたまま、どれくらい時間が経っただろう。気づけば私は皇羽さんの背中に手を乗せ、体を抱
「答えろよ萌々。キス初めてだったのか?」「……言いませんっ」食べ終わったお皿を洗おうと、キッチンへ向かう。勢い余って、たくさんの食器を一気に持ってしまった。あぁ私、すごく動揺している。初めてのキスだったって絶対にバレないようにしないと――そう気を引き締めた時だった。グイッと私の肩を皇羽さんが掴む。「危ないですよ皇羽さん、食器が」落ちちゃう――と最後まで言えなかった。だって皇羽さんにまた唇を奪われてしまったから。いや正確には、奪われそうになったから。だけど皇羽さんは私の顔に限りなく近寄ったかと思いきや、キスする一歩手前で止まった。私は「ひゃ」と声を上げ、思わず目を瞑る。皇羽さんの重たいため息が、私の震えるまつ毛にぶつかった。「はぁ~萌々さ、もうちょっと警戒しろよ」「さ、最大限にしています……っ」「嘘つけ。迫られて目を閉じているようじゃ隙だらけだぞ。本当に奪われたくなかったら、俺の頬を叩いてでも阻止しろ。絶対に気を許すな」「〝本当に奪う〟?」意味が分からなくて首を傾げる。すると皇羽さんは気まずそうに私から視線を外し「未遂だ」とむくれた。「朝、チャラ男の前でしたキスは未遂だ。キスのフリをしたんだよ」「え!でも柔らかい感触がありましたよ?」「それは俺の指」「えぇ、もう〜。そうだったんですね」私が持っていた大量のお皿は、いつの間にか皇羽さんの手へ移動していた。いつの間に持ってくれたんだろう。でもこれ幸いにと、ヘナヘナとその場に座り込む。私のファーストキスが無事だと分かって気が抜けちゃった。でも良かった。本当のキスじゃなくて良かった。だってファーストキスは大切にしたいから。女の子にとってファーストキスはやっぱり特別だもん。「は〜良かったぁ……」安堵の息をつくと、上から「気に食わないな」と皇羽さん。見上げると、皇羽さんの眉根にシワが寄っている。どうやら不機嫌らしい。「そんなに俺とのキスが嫌なのか?」「そりゃそうですよ。会って間もない人とキスなんて絶対に嫌です。それに〝ファーストキスは好きな人としたい〟って女の子なら思いますもん」「つまり萌々は、俺の事が好きじゃないと」「どうしたら今日会ったばかりの皇羽さんを好きになれるんですか?」「〝今日会ったばかり〟か。フン、俺も知らないな」「はぁ?」もうヤダ。この人は一体なんだろう?何に対して
◇そんな絶望から一夜明けた、次の日。パチッ「ん⁉」目を開けた瞬間、私の顔が真っ青に染まる。だってイケメンが、ベッタリと私にくっついて寝ていたから。あぁ神様。私、何か悪い事をしましたか?「なんで……」男性の猫毛の髪が、顔にかかっている。だけど目を瞑っていても分かる、切れ長の瞳。見間違うはずない、昨日から一緒に住み始めた皇羽さんだ。「なんで皇羽さんが私の隣で寝ているの……!」「ヘンタイ!」という叫び声と共に、皇羽さんを覆っていた布団を跳ね上げる。「んぁ?」と情けない声を出した皇羽さんに、リビングに集合するよう声を掛けた。その五分後。眠い目をこすりながら、皇羽さんがリビングへやって来る。「萌々、起きるの早いな……おはよう……」「お、おはようございます」昨日とは違った皇羽さんの雰囲気に戸惑う。昨日はハリネズミみたいなトゲトゲしさがあったけど、今はカピバラみたいなのんびりさだ。しかも柔らかい笑みを浮かべながら「おはよう」なんて言うものだから、少しだけ胸がときめいてしまった。あぁやっぱりイケメンってズルい。だけど顔を洗って一杯の水を飲んだ皇羽さん。だんだんと脳が覚醒してきたのか、昨日のハリネズミの雰囲気を取り戻す。一緒に寝ていたことに怒る私の方が「さも悪い」と言わんばかりに、大きなため息を吐いた。「いつまで怒ってんだよ萌々。つーかお前に怒る権利なんてないからな」 「そこは権利ください。私だって人間です。というか、なんで皇羽さんが同じベッドに寝てるんですか?犯罪ですよ!」 「自分のベッドで寝て何が悪いんだよ。俺の家は何もかも一人分しか置いてないんだ。ベッドだって一つに決まっているだろ」そんなことも分からないのか――という副音声つきで私を見下ろす皇羽さん。起きたてのカピバラの雰囲気が早くも恋しい。言われていることは最もなのだけど、だからと言ってこのままというわけにはいかない。なぜなら私の身の危険がつきまとっているからだ。皇羽さんと一緒のベッドなんて、命がいくらあっても足りない。「それなら私がソファで寝ます。皇羽さんと一緒だと落ち着きませんし」 「なにが〝落ち着かない〟だ。さっきまで爆睡だった奴が言えたことかよ」 「うっ……」あぁ言えばこう言う!と静かに怒ると、おもむろに皇羽さんが自分の部屋へ入る。そして一分もしない内に着替え終わって出て
「え、ちょっと。何ですか皇羽さん」私の静止を振り切り、熱くなった手を私の肩に置く。そしてあろうことか、そのまま思い切り下へ力を込めた。ズルッ今にもずり落ちそうだったシャツは、皇羽さんの手で簡単に肩から外れる。すぐさま私のそれが露わになり、空気に当たってスース―し始めた。「きゃ!皇羽さん見ないでください!」 「……はぁ」私の悲鳴を聞いて、なぜか皇羽さんはため息をつく。丸見えの私の肩に自分の頭を乗せ、熱い呼吸を繰り返した。いやいや何に浸っているかは知りませんが、今すぐ私から離れてください。下着の紐が丸見えで恥ずかしいから今すぐ直させて!そう心の中で懇願する。だけど、「たまんねぇな……」 「ひゃっ」皇羽さんの吐息がくすぐったい。笑いそうになるのをこらえながら、上目遣いで皇羽さんを見た。「皇羽さん、それやめて?」 「……」 「もう。退けてくれないなら逃げるまでです」膝を折って座り込む。その隙に、肩から落ちたシャツを元の高さに戻した。皇羽さんに「なんで肩を隠すんだよ」ってグチグチ言われそう。だけど皇羽さんの口から出てきたのは、意外な言葉だった。「萌々は〝自分が可愛い〟って事をもっと自覚しろ」 「はい?」「必死で〝俺の俺〟を抑える俺の身にもなれよな」 「よく分からないですが、今こんな所で肩をむき出しにされた私の身にもなってほしいです……」こんなケモノみたいな人と衣食住を共にしている私の身がとても心配だ。もしもの時は股を蹴ってでも逃げよう――静かに決意表明すると、空から大きな何かが降って来る。バサッ「わ⁉」 「着替えろ」再び白いシャツが飛んできて、私の頭に引っかかる。今着ているシャツよりも、少し小さそうだ。「いま萌々が着ているのは、俺でさえ大きいサイズだからな。本当に貸そうと思っていたシャツは、そっち」 「なんでわざわざ大きいサイズを着させたんですか?」「そんなの」と皇羽さんはスッと目を細めて嘲笑する。「俺が見たかったからに決まってんだろ」 「……」そうですか――とはならなかった、その後。また口喧嘩を始めた私たちは各々の身支度に取り掛かる。そして必要な物を買い足しに、皇羽さんと初めてのお買い物に出発した。◇「お支払いはいかがされますか?」 「カードで」 「……」皇羽さんを「お金がない者同士、私と仲間かもしれない」
「ナンパはどうしたんですか?」 「あんなの構ってたらキリないだろ。流して終わりだっての」 「キリないくらいナンパされたんですね……」さすがイケメンは言うことが違う。感心していると、私よりも先に皇羽さんが店の中へ入っていく。そして近くにいた店員さんを呼び止めた。「ここって男性の入店は可能ですか?」 「ひ、イケメン!本来ならお断りしているのですが、特別に許可できます!」なんでよ!顔を赤くした店員さんに物申したい。こんな危険生物を許可したらダメ!絶対に!だけど私の願いもむなしく、私と皇羽さんは二人一緒に試着室の前へ案内される。店員さんが「いま話題の下着は」と説明し始めると、話も聞かず皇羽さんは立ち去った。え、まさか遠慮してくれたの?さすがの皇羽さんも、下着を選ぶ時くらいは気を遣ってくれたんだ!良かった~と安堵の息が漏れる。だけど一秒後、私は大後悔することになる。「はい、萌々」 「え?」皇羽さんは、別の店員さんと一緒に三つの下着(上下セット)を持って来た。そして当たり前のように「ん」と私に渡してくる。「着けてみろ。ぜったい萌々に似合う」 「は?」いやいやいや。なんで皇羽さんに下着を選ばれなきゃいけないの!だけど店員さん同士は顔を見合わせて「ごゆっくり」とニヤニヤしながら姿を消した。えぇ!店員さんは気を遣わなくていいんだよ!姿を消さなくちゃいけないのは皇羽さんの方!店員さんは今すぐ戻ってきてください!お願いします!だけど私の願いも虚しく、私たちだけ残されたこの場に閑古鳥が鳴く。さっき皇羽さんに「気を遣ってくれたんだ」と思った私がバカだった……。しばらく抵抗していたけど、ずっと下着屋さんにいるのも申し訳ない。だから諦めて試着することにした。もちろん皇羽さんを試着室の外へ追い出して。だけど往生際悪く「あ」と皇羽さんがカーテンの隙間から手を伸ばし、私の服を引っ張る。「着け方がわからないなら俺がつけてやろうか?」「!」また、この人は!からかわれたのが悔しくて「結構です」と試着室のカーテンを閉める。カーテンの向こうでは、クツクツと笑う皇羽さんの声が響いていた。「もう……。喋りすぎて喉が渇いちゃったよ」だけど正直な話、皇羽さんが下着を選んでくれて助かった。いつも私はテキトーに下着を選んじゃうし、そもそもこれほどきちんとしたお店で買った事がない
皇羽さんの衝撃的な爆弾発言に、レジのスタッフさんも近くにいたお客さんも動きを止めた。皆が皆、両目をハートにして皇羽さんを見つめている。「あんなにイイ男に抱かれるなら本望よ」と血迷った声さえ聞こえる。「さ、先に外へ出ます!」恥ずかしさに耐えられず、クルリと向きを変える。その際に皇羽さんとスタッフさんの会話が聞こえた気がしたけど、聞かなかったことにしてダッシュで外へ飛び出した。その時の会話が、どんなものだったかというと……「愛されてますねぇ彼女さん」「でしょ?可愛いアイツ見られるのは俺の特権だからね」「はぁ~いい男ですねぇ。でも、あなたどこかで」「おっと、じゃあね」私を追いかけるため、ショッピングバッグを持ってお店を後にする皇羽さん。スタッフのお姉さんは名残惜しそうに「ありがとうございました」とお辞儀をした。一方。先にお店を出た私は、お店から遠い場所に設置された無人のベンチに座っていた。皇羽さんと一緒に行動すると疲れるから、ちょっと休憩。「人前であんな恥ずかしい事を言うなんて。皇羽さんどうかしてるよ……」本人がいないのをいいことに悪口を言いまくる。といっても今まで皇羽さんからされてきた事を思えば、少々の悪口を言ってもきっとバチは当たらない。「だいたい下着屋さんに入るのもダメだし勝手に選ぶのもダメだよ。全部私の好みだったけどさ」「へぇ好みならいいじゃん。何に怒ってんだよ」「わ⁉」振り向くと、ベンチの後ろに皇羽さんが立っていた。かけ直したサングラスから漂う、どこぞのVIPオーラ。加えて体格も顔もいいから困りものだ。本当にアイドルじゃないの?むしろアイドルじゃないとおかしいよ。……いや、皇羽さんが本当にアイドルだったら困るけどさ。「萌々?もーも?」皇羽さんは後ろから、不満そうに私の顔を覗き込む。……むぅ。下着屋から離れた場所にいた私をすぐに見つけるなんて。皇羽さんには、私を見つけるセンサーでもついているのかな?彼の急な登場に、ビックリして言葉が出ない。「なにビックリしているんだよ。まさか俺から逃げられると思ったのか?甘いな萌々」「逃げられるとは思っていないです。それよりも何よりも、下着屋さんでの皇羽さんの言動が恥ずかしかったんです!」必死に訴えるも皇羽さんは興味なさげに「ふーん」と言うだけで、自分が悪いと思っていないみたい。「もう」と
私の指が食べられた瞬間。皇羽さんの舌の感触にビックリして、思わず「あ」と声を上げてしまう。その声が上ずってしまい、妙になまめかしくなった。いやらしい声を皇羽さんに聞かれるのが恥ずかしくて慌てて口を押さえる。今の声、皇羽さんに聞かれた?聞かれなかった?どっち……!?不安を覚えながら、皇羽さんへ顔を向ける。すると彼は無表情で私を見つめていた。もっとニヤニヤしているかと思ったのに意外だ。少し見直しちゃった。そう思った直後「はぁ~」と皇羽さんがため息を吐く。サングラス越しに黒い瞳がギラついて見えるのは、気のせいだろうか。「お前って奴は本当に。マジでどうなってんだよ」 「〝 どう〟とは?私は別にどうもなっていないですよ?」「いや、なってる。現に、場所を選ばず俺を〝その気〟にさせてるだろ」 「勝手になってるだけじゃないですか……」そうか。さっき皇羽さんが無表情だったのは、頭から「その気」を追い払っていたんだ。せっかく皇羽さんを見直したのに、まさか〝 私の声で興奮した頭〟を冷やしていたなんて。「大体あれだけナンパされている人が、たかだか女子高生の色っぽい声を聞いただけで反応するなんて」呆れながら言うと、皇羽さんは頭を横へ振りながら「違う」と否定した。「女子高生の声なんて聞いても何も思わない。俺は、萌々の声だからこそ…………」「私の声だからこそ?」「……思い出させるな」大きな手で顔を覆った皇羽さんを、恐る恐る覗き見る。するといつもの強気な雰囲気ではない、耳を赤くした皇羽さんが視界に写った。眉間にシワを寄せている……いや、あれは困った顔かな?皇羽さんの意外な一面に、思わずプッと吹き出しちゃう。「ともかく、あんな声を聞いただけで顔を赤くするなんて。皇羽さんって意外にウブなんですね」 「おい萌々。今日の夜は覚えていろよ?」下着のショップバッグを左右へ動かしながら、真顔に戻った皇羽さんが脅してくる。もちろん私は高速で「すみません」と謝った。◇その後。私たちは朝食を食べるために、ゆったりした曲が流れるイタリアンのお店に入った。「それで?なんで萌々は Ign:s が嫌いなんだよ」 「えぇ……」今それ言う?運ばれてきたパスタに手をつけようとした瞬間、そんな話題を振るなんてあんまりだ。私はギュッと口をへの字に曲げる。「今する話じゃありません」 「じ
「正確にはIgn:s のデビュー曲が嫌いなんです」 「デビュー曲?」「『Wish&』です」 「嫌いな割にはよく知ってるな」「友達が Ign:s を大好きなだけです」 「ふーん」大盛りパスタを注文した私とは反対に、皇羽さんはコーヒーだけ頼んだ。運ばれてくると、サングラスを外して長い足をキレイに組む。カップを持ち上げている姿はどこぞのモデルで、まるで撮影中みたいだ。「一つ聞きたいんだが」サングラスをとっているから、皇羽さんとバッチリ視線がぶつかる。私を探るように、漆黒の瞳がこちらへ向いた。「デビュー曲が嫌いな理由は?歌い方かダンスか、それとも歌詞が嫌いなのか?」 「歌詞が嫌いです」 「……マジ?」今まで一番驚いた顔で、皇羽さんは私を見た。なにやら衝撃を受けたらしく固まってしまう。試しに顔の前で「おーい」と手を振っても、何の反応もない。気にせずパスタを何口か食べていると、やっと皇羽さんは正気に戻ったらしい。まるで息を止めていたように「はぁ~」と長いため息を吐いた後、何を言うでもなく窓の外へ顔を向けた。それきり黙ってしまったから、私は気にせず続きを話す。「歌詞に出てくる女の子が、私とよく似ているんです。お金がなくて苦労している所とか」皇羽さんはチラリと瞳だけ寄こす。顔は窓へ向いたままだけど話は気になるらしく、「それで」といつもより低い声で続きを促した。「私と似ている女の子……なんですけど、その女の子は王子様みたいな人と出会って人生大逆転。今までの苦労がウソみたいに、誰よりも幸せになっちゃうんです」 「つまり〝自分と同じ境遇でありながら最後には幸せになる奴が許せない〟って事か」少し攻撃的な言葉に、思わずムッとする。皇羽さんって「ここぞ」という時にイジワルだ。私が隠したい本音を、わざわざ引っ張り出してくるんだもん。「……誰もそこまで言っていませんよ」への字になった自分の口へパスタを運ぶ。あれ?おかしいな。さっきまで美味しかったのに、今じゃ全く味がしないや。まるで素パスタを食べているみたい。「もう。皇羽さんのせいですよ。嫌な話をしたせいで気分が下がっちゃいました」 「……」一方的に怒る私を見ても、皇羽さんはいつになく静かだった。さすがに家での口ケンカを外で再現する気はないらしい。周りのお客さんの迷惑にならないよう、急いで私も口を閉じ
きっと重かっただろうな。それでも顔色一つ変えずに、私がお店を気にしたら「入るか」といろいろ寄ってくれたんだよね。遠くにあるお店が気になった時も、すかさず「行くぞ萌々」って。私のどんな仕草も見逃さない皇羽さん。裏を返せば、それだけ私のことをたくさん見ているのかな?気にしているってこと?それは居候の身としては有難い。だけど「過保護すぎない?」とも思ったり。いや絶対に過保護だ。だって……「このショップバッグの数が物語っているよね。明らかに買い過ぎだよ」いち、に、さん……すごい。十を超えている。というか二十までいきそうだ。でも考えてみれば妥当だ。だって回ったショップのほとんどで買い物をしたのだから。遠慮する私に、皇羽さんがどんどん買う物を運んで来たんだ。「萌々はこっちが似合う」とか「これ必要だろ」って。あれこれ口を出されすぎて、まるで皇羽さんの買い物に行ったみたいだったよ。やっぱり皇羽さんは過保護だ。「でも全部のお金を出してもらっちゃった……アルバイトして絶対に返さないと!」意気込んだけど足が疲れたから、少しだけソファへダイブする。三キロくらい体重が減ったかも?って思うほど、すごい運動量だった。「ふー」と息を吐きながら目をつむる。すると頭の中に、一日一緒にいた皇羽さんの顔が浮かんだ。過保護の皇羽さん。だからといって侮れない皇羽さん。パスタのお店で私がトイレへ行く時、あの質問をされた時はビックリした。――一年前、この辺りで何か買った?――例えば〝ドキドキするもの〟みたいなあれは一体どういう意味だったんだろう。「心当たりがない」と完璧に言えないから返答に困った。だから「知りません」とあいまいに返したけど、あれで良かったかな。でも「だよな」とアッサリ引き下がった皇羽さんを見るに、深く考えずに質問したことだったかな?「皇羽さんが優しいのは分かったけど、それでも〝まだまだよく分からない人〟なんだよね」どういう理由があって私を部屋へ置くのか。どうしてここまで尽くしてくれるのか。何か考えがあるのか、それとも全くないのか。「むしろヘンタイな考えしか頭になかったりして」チラリと下着屋さんのショップバッグを見る。今日の夜から着るわけだけど、まさか「見せろ」とは言わないよね?あぁ、まさか自分の身を二十四時間ずっと気にする日が来るとは……。皇羽さんって基本はいい人なんだ
その後。いつもの雰囲気に戻った私たちはパスタを食べ終え、あいも変わらず口喧嘩しながら家へ帰った。口喧嘩の内容はというと……。「どうして皇羽さんはヘンタイ発言しか出来ないんですか!」 「逆に、どうしてその発想に至らないのか不思議だな」事の発端はこうだ。ショッピングから帰宅後、皇羽さんに用事があったけど姿がなかったため彼の部屋をノックした。でも返事がないから「寝ているのかな?」と思い、静かにドアを開けようとしたのだ。だけど私の背後から、ニュッと骨ばった手が伸びる。『待て。そこはダメだ』 『わ!』どうやら自室ではなく寝室にいたらしい皇羽さんが、まるで狩りをする獣のごとく光の速さで駆け寄った。そして頑なに自室への入室を拒否したのだ。そんなことをされたら〝部屋の中に何があるのか〟気になって仕方がない。だから「部屋に入ってみたい」とド直球に〝お願い〟してみた。だけど皇羽さんは「ダメだ」の一点張り。それでも引き下がらない私に、皇羽さんはとある約束を(半ば強制的に)とりつけた。『俺との生活で約束してほしいことは一つだけ。絶対に俺の部屋に入らない事、いいな?』 『もし破ったら?』『俺の目の前で、今日買った下着を順番につけてもらう』 『ヘンタイ!!』そうして冒頭の口喧嘩へ繋がる、というわけだ。でも侮れないのが、皇羽さんは「やると言ったらやる男」だということ。もし私が皇羽さんの部屋に入ったら、確実に生着替えをさせられる。だから絶対に入らない!でも、どうして入ったらダメなんだろう。ここまでして私から自室を遠ざけるなんて、中に〝とびきりヤバい物〟があるに違いない。それって何だろう。気になる。腕を組んでうなる私。そんな私を見た皇羽さんはとびきり大きなため息を吐きながら、買い込んだショップバッグを床へ置く。次におもむろにシャツを脱ぎ始め、たくましい腕に引っ掛けた。「ギャ!いきなり何ですか!」「汗かいたんだよ。風呂に行ってくる」「まだ夕方ですよ?」「いい。それより早くスッキリしたいんだ」すれ違いざま、皇羽さんが持つシャツから香水の匂いがする。皇羽さんも香水をつけるらしく、玄関にいくつか瓶が置いてあった。今日ショッピングに行く前、興味本位で嗅いだらいい匂いだったからよく覚えている。「だけど、さっき匂ったのは違う香りだよね?」きっとショッピング中、ナンパされ
「よく作詞家の名前を覚えていましたね?皇羽さんは Ign:s のファンなんですか?」 「そんなわけないだろ。むしろレオと間違われて嫌気がさしてるっての」「じゃあどうしてmomosukeのことを知っていたんですか?」 「……たまたまテレビで見て知っただけだ。珍しい名前だしな」珍しいと言われたらそれまでだけど、本当にそれだけ?質問したかったけど、外を見る皇羽さんの横顔が強張っているから聞きにくい。……意図が読めない表情をするのはやめてほしいな。「もしかして何か隠している?」って疑っちゃうよ。ただでさえ Ign:s のレオと瓜二つなんだから、怪しい言動は控えてよね。「あの、皇羽さん」気にしないようすればするほど気になるから、やっばり「何か隠しています?」って聞こうとした。だけど視線を下げた時、皇羽さんと一緒に回った数々のショップバッグが目に入る。久しぶりの買い物はとても面白くて、楽しかった。下着屋さんではひと悶着あったけど、それでも今日は本当に楽しかったんだ。火事で何もかもを失いぽっかり空いた心を皇羽さんと一緒に埋めていく、そんな日だった。今日は心がずっと温かい。「なんだよ萌々」「……いえ、何でもありません」今日が楽しかったから、深く質問するのはやめよう。水をさすことはしたくないし、〝きっと皇羽さんは何も隠していない〟って今なら信じられるから。私は残りのパスタを、一気にフォークに巻き付ける。そしてにっこりと笑って見せた。「パスタがとても美味しいです。皇羽さんも一口どうですか?」 「食わせてくれんの?」パカッと口を開けた皇羽さんが、笑いながら私を見る。今更だけど、家にいる時とは違う雰囲気が(悔しいほど)カッコイイ。いや家にいる時もカッコイイけど、ビシッと私服を着こなしている分〝さらに〟だ。頭上にぶらさがる照明も、いい塩梅に彼を照らしている。「〝あーん〟なんてしませんよ?恥ずかしいじゃないですか」「恥ずかしい?萌々がしてくれるなら大歓迎だけどな」そんな調子のいいことを言う、一般人とは程遠いイケメンの皇羽さん。私を見る眼差しが優しい。というか妙にソワソワして色めき立って見えるのは気のせい?「なぁ萌々」 「ん?」「夜の下着、さっき買った中のどれにする?想像すると楽しみで何にも手につかねー」 「……」それが原因で、お昼時だというのにコ
「〝今度は俺が幸せにしてやる〟って……何を言ってるんですか皇羽さん。お金がたまって住むところが決まれば、すぐマンションから出て行きます。いつまでも皇羽さんに頼るつもりはありませんよ」混乱した頭の風通しを良くするよう一息つく。落ち着きを取り戻した後、また話を続けた。「第一さっきの言葉、まるでプロポーズみたいでしたよ?もし私が生涯路頭に迷ったら、墓場まで一緒に行ってくれるんですか?絶対にしないですよね?さっき無意識に発言しましたよね?あ~あ、これだからモテる男の人は困ります」……うそ、全然落ち着いてない。その証拠に、自分でもビックリするくらいペラペラと喋ってしまう。口が勝手に動いてしまう。皇羽さんの「俺がお前を幸せにしてやる」発言が、頭の中をグルグルと回る。思いもしない言葉を聞いたせいで混乱が八割、トキメキが二割。このまま皇羽さんと一緒にいたらどうなるんだろうって、ありもしない未来を一瞬だけ想像しちゃった。だけど私はただの居候で、期間限定の同居人だ。それなのにロマンティックなセリフを聞いただけで流されるなんて……危ない危ない。きっと皇羽さんは「俺がお前を幸せにしてやる」=「俺の家にいる間はのんびり過ごせ」って言いたかったんだよね?きっとそうだ。自分の納得いく答えが出てスッキリする。すると食欲が増し、再びパスタをフォークに巻き付けた。その間、皇羽さんはじっと私を見つめる。頼んだコーヒーは冷めたらしく、湯気が消えていた。「皇羽さん?」 「……まぁ萌々なら〝自力で幸せを掴む〟って言うよな」ポツリと一言こぼすと、皇羽さんは今までの真剣な表情から一変。脱力した様子で、コーヒーを喉へ流し込む。「じゃあ俺からアドバイス。自分には何もないって思っている奴の方が意外と色んなモンを持っている。世の中そんなもんだ」 「つまり、どういうことですか?」 「萌々はスゴイってこと」いやいや分からないよ。もしかして励ましてくれている?小首をかしげていると、皇羽さんが「てかさ」と眉間にシワを寄せる。どうやらさっきの話を深堀りする気はないらしい。私も私で改めてパスタの美味しさに気付けたので、黙って皇羽さんの話を聞く。「 Ign:s を嫌うのはお門違いだぞ。作詞家の名前を見たのか?」 「見ていません。 Ign:s が書いているんですよね?」 「ちがう。大体の楽曲は提供される
「正確にはIgn:s のデビュー曲が嫌いなんです」 「デビュー曲?」「『Wish&』です」 「嫌いな割にはよく知ってるな」「友達が Ign:s を大好きなだけです」 「ふーん」大盛りパスタを注文した私とは反対に、皇羽さんはコーヒーだけ頼んだ。運ばれてくると、サングラスを外して長い足をキレイに組む。カップを持ち上げている姿はどこぞのモデルで、まるで撮影中みたいだ。「一つ聞きたいんだが」サングラスをとっているから、皇羽さんとバッチリ視線がぶつかる。私を探るように、漆黒の瞳がこちらへ向いた。「デビュー曲が嫌いな理由は?歌い方かダンスか、それとも歌詞が嫌いなのか?」 「歌詞が嫌いです」 「……マジ?」今まで一番驚いた顔で、皇羽さんは私を見た。なにやら衝撃を受けたらしく固まってしまう。試しに顔の前で「おーい」と手を振っても、何の反応もない。気にせずパスタを何口か食べていると、やっと皇羽さんは正気に戻ったらしい。まるで息を止めていたように「はぁ~」と長いため息を吐いた後、何を言うでもなく窓の外へ顔を向けた。それきり黙ってしまったから、私は気にせず続きを話す。「歌詞に出てくる女の子が、私とよく似ているんです。お金がなくて苦労している所とか」皇羽さんはチラリと瞳だけ寄こす。顔は窓へ向いたままだけど話は気になるらしく、「それで」といつもより低い声で続きを促した。「私と似ている女の子……なんですけど、その女の子は王子様みたいな人と出会って人生大逆転。今までの苦労がウソみたいに、誰よりも幸せになっちゃうんです」 「つまり〝自分と同じ境遇でありながら最後には幸せになる奴が許せない〟って事か」少し攻撃的な言葉に、思わずムッとする。皇羽さんって「ここぞ」という時にイジワルだ。私が隠したい本音を、わざわざ引っ張り出してくるんだもん。「……誰もそこまで言っていませんよ」への字になった自分の口へパスタを運ぶ。あれ?おかしいな。さっきまで美味しかったのに、今じゃ全く味がしないや。まるで素パスタを食べているみたい。「もう。皇羽さんのせいですよ。嫌な話をしたせいで気分が下がっちゃいました」 「……」一方的に怒る私を見ても、皇羽さんはいつになく静かだった。さすがに家での口ケンカを外で再現する気はないらしい。周りのお客さんの迷惑にならないよう、急いで私も口を閉じ
私の指が食べられた瞬間。皇羽さんの舌の感触にビックリして、思わず「あ」と声を上げてしまう。その声が上ずってしまい、妙になまめかしくなった。いやらしい声を皇羽さんに聞かれるのが恥ずかしくて慌てて口を押さえる。今の声、皇羽さんに聞かれた?聞かれなかった?どっち……!?不安を覚えながら、皇羽さんへ顔を向ける。すると彼は無表情で私を見つめていた。もっとニヤニヤしているかと思ったのに意外だ。少し見直しちゃった。そう思った直後「はぁ~」と皇羽さんがため息を吐く。サングラス越しに黒い瞳がギラついて見えるのは、気のせいだろうか。「お前って奴は本当に。マジでどうなってんだよ」 「〝 どう〟とは?私は別にどうもなっていないですよ?」「いや、なってる。現に、場所を選ばず俺を〝その気〟にさせてるだろ」 「勝手になってるだけじゃないですか……」そうか。さっき皇羽さんが無表情だったのは、頭から「その気」を追い払っていたんだ。せっかく皇羽さんを見直したのに、まさか〝 私の声で興奮した頭〟を冷やしていたなんて。「大体あれだけナンパされている人が、たかだか女子高生の色っぽい声を聞いただけで反応するなんて」呆れながら言うと、皇羽さんは頭を横へ振りながら「違う」と否定した。「女子高生の声なんて聞いても何も思わない。俺は、萌々の声だからこそ…………」「私の声だからこそ?」「……思い出させるな」大きな手で顔を覆った皇羽さんを、恐る恐る覗き見る。するといつもの強気な雰囲気ではない、耳を赤くした皇羽さんが視界に写った。眉間にシワを寄せている……いや、あれは困った顔かな?皇羽さんの意外な一面に、思わずプッと吹き出しちゃう。「ともかく、あんな声を聞いただけで顔を赤くするなんて。皇羽さんって意外にウブなんですね」 「おい萌々。今日の夜は覚えていろよ?」下着のショップバッグを左右へ動かしながら、真顔に戻った皇羽さんが脅してくる。もちろん私は高速で「すみません」と謝った。◇その後。私たちは朝食を食べるために、ゆったりした曲が流れるイタリアンのお店に入った。「それで?なんで萌々は Ign:s が嫌いなんだよ」 「えぇ……」今それ言う?運ばれてきたパスタに手をつけようとした瞬間、そんな話題を振るなんてあんまりだ。私はギュッと口をへの字に曲げる。「今する話じゃありません」 「じ
皇羽さんの衝撃的な爆弾発言に、レジのスタッフさんも近くにいたお客さんも動きを止めた。皆が皆、両目をハートにして皇羽さんを見つめている。「あんなにイイ男に抱かれるなら本望よ」と血迷った声さえ聞こえる。「さ、先に外へ出ます!」恥ずかしさに耐えられず、クルリと向きを変える。その際に皇羽さんとスタッフさんの会話が聞こえた気がしたけど、聞かなかったことにしてダッシュで外へ飛び出した。その時の会話が、どんなものだったかというと……「愛されてますねぇ彼女さん」「でしょ?可愛いアイツ見られるのは俺の特権だからね」「はぁ~いい男ですねぇ。でも、あなたどこかで」「おっと、じゃあね」私を追いかけるため、ショッピングバッグを持ってお店を後にする皇羽さん。スタッフのお姉さんは名残惜しそうに「ありがとうございました」とお辞儀をした。一方。先にお店を出た私は、お店から遠い場所に設置された無人のベンチに座っていた。皇羽さんと一緒に行動すると疲れるから、ちょっと休憩。「人前であんな恥ずかしい事を言うなんて。皇羽さんどうかしてるよ……」本人がいないのをいいことに悪口を言いまくる。といっても今まで皇羽さんからされてきた事を思えば、少々の悪口を言ってもきっとバチは当たらない。「だいたい下着屋さんに入るのもダメだし勝手に選ぶのもダメだよ。全部私の好みだったけどさ」「へぇ好みならいいじゃん。何に怒ってんだよ」「わ⁉」振り向くと、ベンチの後ろに皇羽さんが立っていた。かけ直したサングラスから漂う、どこぞのVIPオーラ。加えて体格も顔もいいから困りものだ。本当にアイドルじゃないの?むしろアイドルじゃないとおかしいよ。……いや、皇羽さんが本当にアイドルだったら困るけどさ。「萌々?もーも?」皇羽さんは後ろから、不満そうに私の顔を覗き込む。……むぅ。下着屋から離れた場所にいた私をすぐに見つけるなんて。皇羽さんには、私を見つけるセンサーでもついているのかな?彼の急な登場に、ビックリして言葉が出ない。「なにビックリしているんだよ。まさか俺から逃げられると思ったのか?甘いな萌々」「逃げられるとは思っていないです。それよりも何よりも、下着屋さんでの皇羽さんの言動が恥ずかしかったんです!」必死に訴えるも皇羽さんは興味なさげに「ふーん」と言うだけで、自分が悪いと思っていないみたい。「もう」と
「ナンパはどうしたんですか?」 「あんなの構ってたらキリないだろ。流して終わりだっての」 「キリないくらいナンパされたんですね……」さすがイケメンは言うことが違う。感心していると、私よりも先に皇羽さんが店の中へ入っていく。そして近くにいた店員さんを呼び止めた。「ここって男性の入店は可能ですか?」 「ひ、イケメン!本来ならお断りしているのですが、特別に許可できます!」なんでよ!顔を赤くした店員さんに物申したい。こんな危険生物を許可したらダメ!絶対に!だけど私の願いもむなしく、私と皇羽さんは二人一緒に試着室の前へ案内される。店員さんが「いま話題の下着は」と説明し始めると、話も聞かず皇羽さんは立ち去った。え、まさか遠慮してくれたの?さすがの皇羽さんも、下着を選ぶ時くらいは気を遣ってくれたんだ!良かった~と安堵の息が漏れる。だけど一秒後、私は大後悔することになる。「はい、萌々」 「え?」皇羽さんは、別の店員さんと一緒に三つの下着(上下セット)を持って来た。そして当たり前のように「ん」と私に渡してくる。「着けてみろ。ぜったい萌々に似合う」 「は?」いやいやいや。なんで皇羽さんに下着を選ばれなきゃいけないの!だけど店員さん同士は顔を見合わせて「ごゆっくり」とニヤニヤしながら姿を消した。えぇ!店員さんは気を遣わなくていいんだよ!姿を消さなくちゃいけないのは皇羽さんの方!店員さんは今すぐ戻ってきてください!お願いします!だけど私の願いも虚しく、私たちだけ残されたこの場に閑古鳥が鳴く。さっき皇羽さんに「気を遣ってくれたんだ」と思った私がバカだった……。しばらく抵抗していたけど、ずっと下着屋さんにいるのも申し訳ない。だから諦めて試着することにした。もちろん皇羽さんを試着室の外へ追い出して。だけど往生際悪く「あ」と皇羽さんがカーテンの隙間から手を伸ばし、私の服を引っ張る。「着け方がわからないなら俺がつけてやろうか?」「!」また、この人は!からかわれたのが悔しくて「結構です」と試着室のカーテンを閉める。カーテンの向こうでは、クツクツと笑う皇羽さんの声が響いていた。「もう……。喋りすぎて喉が渇いちゃったよ」だけど正直な話、皇羽さんが下着を選んでくれて助かった。いつも私はテキトーに下着を選んじゃうし、そもそもこれほどきちんとしたお店で買った事がない
「え、ちょっと。何ですか皇羽さん」私の静止を振り切り、熱くなった手を私の肩に置く。そしてあろうことか、そのまま思い切り下へ力を込めた。ズルッ今にもずり落ちそうだったシャツは、皇羽さんの手で簡単に肩から外れる。すぐさま私のそれが露わになり、空気に当たってスース―し始めた。「きゃ!皇羽さん見ないでください!」 「……はぁ」私の悲鳴を聞いて、なぜか皇羽さんはため息をつく。丸見えの私の肩に自分の頭を乗せ、熱い呼吸を繰り返した。いやいや何に浸っているかは知りませんが、今すぐ私から離れてください。下着の紐が丸見えで恥ずかしいから今すぐ直させて!そう心の中で懇願する。だけど、「たまんねぇな……」 「ひゃっ」皇羽さんの吐息がくすぐったい。笑いそうになるのをこらえながら、上目遣いで皇羽さんを見た。「皇羽さん、それやめて?」 「……」 「もう。退けてくれないなら逃げるまでです」膝を折って座り込む。その隙に、肩から落ちたシャツを元の高さに戻した。皇羽さんに「なんで肩を隠すんだよ」ってグチグチ言われそう。だけど皇羽さんの口から出てきたのは、意外な言葉だった。「萌々は〝自分が可愛い〟って事をもっと自覚しろ」 「はい?」「必死で〝俺の俺〟を抑える俺の身にもなれよな」 「よく分からないですが、今こんな所で肩をむき出しにされた私の身にもなってほしいです……」こんなケモノみたいな人と衣食住を共にしている私の身がとても心配だ。もしもの時は股を蹴ってでも逃げよう――静かに決意表明すると、空から大きな何かが降って来る。バサッ「わ⁉」 「着替えろ」再び白いシャツが飛んできて、私の頭に引っかかる。今着ているシャツよりも、少し小さそうだ。「いま萌々が着ているのは、俺でさえ大きいサイズだからな。本当に貸そうと思っていたシャツは、そっち」 「なんでわざわざ大きいサイズを着させたんですか?」「そんなの」と皇羽さんはスッと目を細めて嘲笑する。「俺が見たかったからに決まってんだろ」 「……」そうですか――とはならなかった、その後。また口喧嘩を始めた私たちは各々の身支度に取り掛かる。そして必要な物を買い足しに、皇羽さんと初めてのお買い物に出発した。◇「お支払いはいかがされますか?」 「カードで」 「……」皇羽さんを「お金がない者同士、私と仲間かもしれない」