その夜、私はなかなか寝つけなかった。明日は事故以来一週間ぶりの出社だから、意識して少し早めにベッドに入ったのに、日付が変わっても眠りは訪れてくれない。緊張して気が昂っていたのかもしれない。夜中、意識を持続し続け、何度も寝返りを打ちながら、枕元に置いたスマホで時間を確認していた。五時五十分と示されるのを見て、私はむくっと身体を起こした。熟睡できなかったせいで、嫌な頭重感が残っている。私は緩慢に身体を動かし、ベッドから下りた。窓辺にかかったロールカーテンの隙間から挿す光は弱い。やや覚束ない足取りで仄暗い部屋を横切り、窓辺に立ってカーテンを巻き上げる。東の空が、やっと白みかけたところだった。窓から離れてクローゼットの前に立ち、部屋着に着替えて部屋を出た。視界いっぱいに広がるリビングに、人気はない。しんと静まり返っていて、空気もひんやりしていた。なんとなく、螺旋階段の方に顔を向ける。鏑木さん、いつも何時頃起きるんだろう――。鏑木ホールディングスの副社長として、何万という社員の模範になる、規則正しい生活をしていそうだけど、なにせ超多忙な人だ。帰宅時間は遅いだろうし、もしかしたら朝はわりとゆっくりで、まだ寝ているかもしれない。それで、朝食は?いつも、どうしてるんだろう?昨日は私も、ほとんど客間から出ずに過ごした。鏑木さんの方も、せっかくの休暇なのに、書斎で仕事をしていたらしい。結局一日中、顔を突き合わせてゆっくり話すこともなかったから、一晩明けても、私は彼の生活習慣をなに一つ知らない。と、その時。グウウウウ……。「!」お腹が低く唸る音を耳で拾って、反射的に両手で押さえた。そう言えば、昨日退院前に、病院で朝食を取ったのが最後だ。ここに来てからずっと、いろんな展開についていけず、頭の中は飽和状態。空腹を感じる余裕もなかったけど、丸一日なにも食べていない計算になる。さすがに、お腹が空いて当たり前……。私はリビングに立ったまま、ダイニングキッチンの方に顔を向けた。重厚でシックなダイニングテーブルの向こうに、広い調理台が機能的なアイランドキッチンが見える。最近、特にセレブ層の新婚カップルに、人気のスタイルだ。ファミリー物件と言えば、対面式のカウンターキッチンが主流だったけど、今はうちの会社でも、それを上回る受注数を誇る。この家のなにもかもが、男性の一人暮らしとしては立派すぎる。やっぱり
Last Updated : 2025-04-04 Read more