All Chapters of トップシークレット☆ ~お嬢さま会長は新米秘書に初恋をささげる~: Chapter 61 - Chapter 70

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「――会長、引き受けてよろしかったんですか?」「ん? 引き受けちゃマズかった?」 お客さま方がお帰りになった後の応接スペースで、少し冷めたお茶を飲んでいたわたしに貢か首を傾げて訊ねた。 ちなみにわたしは猫舌で、お茶もコーヒーも少し冷めたくらいが飲みやすいのだけれど、それはさておき。 彼はわたしに断ってほしかったのかもしれない。わたしからあんな条件を出したとはいえ、相手役の小(こ)坂(さか)リョウジさんという俳優さんはたとえ演技であってもリアルなキスシーンにこだわる人で、女性関係のスキャンダルも多い人だと聞いたから。アクシデントを装って、わたしの唇を奪われる可能性がないとは言い切れなかったのだ。「いえ、マズいわけではないんですが。相手役の方が……その……。ちなみに会長、キスのご経験は?」「…………ない。実はファーストキスもまだなの」「なのにお引き受けになったんですか!?」「大丈夫だよ、桐島さん。心配しすぎ! ホントにキスしなくても、カメラワークでしてるように見せられるらしいし。わたしがファーストキスを奪われてもいい人は一人しかいないから」「それって、好きな人ということですか?」「うん。わたし、好きな人がいるの」 わたしは「貴方だよ」という意味を込めて、彼の顔を見つめたけれど。彼がわたしのメッセージに気づいたかどうかは分からなかった。   * * * * ――その夜、わたしは里歩にLINEでそのことを報告した。〈わたし、今度Sコスメの新作ルージュのCMに出ることになったの! 俳優の小坂リョウジさんと共演するらしくて、キスシーンもあるって聞いたけど。それはカメラワークで何とかしてくれるって。〉〈それ、ホントに大丈夫なの? もしかしたら、小坂リョウジにファーストキス奪われるかもしれないじゃん! アンタはそれでいいの?〉〈それはイヤだけど……、でも大丈夫! 撮影の時は、桐島さんも一緒に来てくれるから!〉 里歩が心配する気持ちも分からなくもなかった。 わたしは百五十八センチの身長にサラサラのロングヘアー、長い睫(まつ)毛(げ)と目鼻立ちのハッキリした顔、そして恵まれたプロポーションというアイドル並みのルックスで、CM共演を口実にして小坂さんから口説かれてしまうのでは、と心配していたのだろう。 わたしと貢との恋をずっと見守ってくれてい
last updateLast Updated : 2025-02-21
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 ――CM撮影が行われたのは、二月初旬の日曜日だった。「会長、おはようございます。今日はよろしくお願いします」 その日の朝、スタジオに到着したわたしとマネージャー役の貢を出迎えてくれたのは、広報担当のあの女性だった。そして、彼女の隣には撮影を担当して下さるというカメラマンの男性も立っていた。「おはようございます。こちらこそ、 今日はよろしくお願いしますね。こういう撮影は初めてなので、色々教えて頂けると助かります」「本日の撮影にはセリフがありませんので、篠沢会長は自然に動いて頂くだけで大丈夫です。後からナレーションが入る形になります」「なるほど。分かりました」 ――スタジオの控室に通されたわたしは、プロの手によってヘアメイクを施された。メイクは口紅のCMなので、唇にはリップクリームだけが塗られた。 髪型を整えられた後、用意されていた衣装に着替えて準備は完了。廊下で待たせていた貢に声をかけた。「桐島さん、準備が整ったよ。……どう?」「可愛いですよ。会長は普段から可愛い方ですけど、今日は何というか、アイドルとかモデルさんみたいです」「ありがと」 財界ではちょっとした有名人になっただけのわたしでも、化ければ化けるものだ。プロのヘアメイク、恐るべし。「僕も今日はあなたの秘書ではなく、マネージャーのつもりなので。撮影も見学させて頂きます。途中で何かあれば、遠慮なく撮影にストップをかけますからね」 彼はキスシーンの撮影に不測の事態が起きるのではないかと心配していたらしい。相手役の小坂さんが信用ならないのか、それともわたしのことを信用していなかったのか、どちらだったんだろう? ――でも、そんな彼の心配をよそに、撮影は順調に終了した。 わたしも演技は初挑戦ながら、自然に立ち振る舞うことができ、カメラマンさんや監督さんにも満足して頂けたみたいだ。 問題のキスシーンも、わたしは小坂さんと実際にキスすることなく、寸止めでどうにか収まった。のだけれど……。「あーあ、残念だったなぁ。君みたいな可愛い子となら寸止めじゃなくて、実際にキスしてみたかったな。また次の機会があれば、よろしくね」 よりにもよって、小坂さんがわたしに色目を使ってきたのだ。これには温厚な貢も不快感を露わにしていた。「申し訳ありませんが、この方は芸能人ではなく一般人ですので。そういう不謹
last updateLast Updated : 2025-02-21
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   * * * * ――翌日の終礼後。わたしは教室で帰り支度をしながら、里歩と話していた。彼女も学年末テスト前ということで、部活はお休み。もうすぐ貢が迎えに来るので、「あたしも久々に桐島さんに挨拶して帰るよ」ということになった。「――絢乃、昨日は初めてのCM撮影おつかれ。無事に終わってよかったね」「うん。小坂さんに迫られた時はどうしようかと思ったけど、桐島さんが撃退してくれたからよかった」「『撃退』って、小坂リョウジは害虫かい。あの人気イケメン俳優がヒドい言われようだわ」「うん、ゴキブリ並み」 小坂リョウジさんのファンだという里歩があきれたように笑うと、わたしは辛辣に返した。 言っておくけれど、わたしの恋路をジャマする人は人気俳優だろうと将来有望な政治家だろうと容赦はしない。それがわたしのポリシーだ。「そこまで言うかね。でも、そうだよねぇ。小坂リョウジがファーストキスの相手っていうのはちょっといただけないか。だってアンタ、桐島さんの方がいいもんねぇ」「…………うん、それはそのとおりなんだけど。そんなに茶化さないでよ。わたし今、本気で悩んでるんだから。彼との距離がなかなか縮まらないこと」 貢がわたしの初恋の相手だということは、里歩もよく知っていた。 茗桜女子はお嬢さま学校ではあるものの、こと男女交際についてはオープンだ。他校との交流もあり、里歩みたいに彼氏がいるという子も珍しくなかった中で、わたしは男性に対して奥手だったせいもあるのか恋自体したことがなかったのだ。だからこそ、好きな人との距離の縮め方が分からなくて悩んでいた。「ふーん……。っていうか、アンタたちまだ付き合ってなかったの? もう知り合って四ヶ月っしょ? もうとっくにくっついてると思ってた」「だって、今はそれどころじゃないもん。仕事いっぱい抱えてるし、経営の勉強も学校の勉強もあるんだよ? とてもそんな心の余裕なんか」「まぁ、アンタはそうだろうね。人を好きになったのも初めてだし、どう行動していいか分かんないっていうのはあたしも理解できるよ。じゃあ、桐島さんの方は? 彼は一応恋愛経験ありそうだし、そこんところどうなわけ?」「えっ? ……う~ん、どうって言われても……。真面目な人だし、上司と部下っていう関係上、いつも一歩引いてる感じだからなぁ。彼がホントにわたしのこと好きなのかど
last updateLast Updated : 2025-02-21
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「……あ、それ確かめたいなら今の時期チャンスなんじゃない? ほら、もうすぐバレンタインデーだしさ」「バレンタインデーか……。そういえばそんな時期だね。忙しくて忘れかけてたけど」 昇降口へ向かって歩いている途中で、里歩がまたもやナイスな提案をしてくれた。恋する人にとって、バレンタインデーは絶対に外せないビッグイベントだ。 初等部から女子校に通っていて、これまで恋愛経験ゼロだったわたしは〝女子校バレンタイン〟しか知らずに育ってきた。具体的にいうと、同級生や後輩の女の子からチョコをもらったり、里歩と友チョコを交換したり。男性にチョコをあげたのは寺田さんと父くらいのものだ。 でも、この年は違っていた。生まれて初めての、好きな人=本命の相手がいるバレンタインデー。これはわたしにとってすごく特別な意味を持っていて、わたしの恋のこれからを左右する日といっても過言ではなかった。「でしょ? もう思い切って告っちゃえ! バレンタインデーに手作りチョコでも渡してさ、桐島さんにアンタの気持ち伝えて。そのついでに彼の気持ちも確かめたらいいんじゃない?」「そんな、『告っちゃえ』って簡単に言うけど」「んじゃ、告るのは別にいいとして、チョコだけでもあげたら? 桐島さんってスイーツ男子だし、絢乃の手作りチョコなら喜んで受け取ってくれると思うよ」「手作りねぇ……。やってる時間あるかなぁ」 里歩の言うとおり、彼は甘いものに目がないし、わたしからなら受け取らないはずがない。ただ、手作りというのは……。会長に就任してからというもの、色々と多忙になったためあまり時間が取れなくなっていたのだ。「そこはまぁ、来週はテスト期間だし。休みの日もあるし? あたしも部活休みだし準備とか手伝ってあげられるから」「うん……、じゃあ……考えてみようかな」「――『考えてみる』って何のお話ですか? 絢乃さん」「わぁっ、桐島さん! ビックリしたぁ」 いるはずのない人の声が急に聞こえてきて、わたしは思わず飛び上がった。でも、何のことはない。わたしたちはおしゃべりしている間に校門の前まで来ていたのだ。「お……っ、お疲れさま。早かったねー」「桐島さん、こんにちは。今日も絢乃がお世話になります」「こんにちは、里歩さん。今日はたまたま道路が空(す)いていたもので、早めに来られたんです。――ところで何のお話を
last updateLast Updated : 2025-02-21
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「ああ、『もうすぐバレンタインデーだね』って話してたんです。ね、絢乃?」「うん。……桐島さん、あの……。あ、そろそろ行かないとね。寒いし、ママが待ってるし」「そうですね。では里歩さん、我々はこれで」「はーい☆ 絢乃、また明日ねー♪ 仕事頑張って!」「うん、また明日」 里歩に手を振ると、彼女が「絢乃、ファイト!」と言っているのが口の動きだけで分かった。――「ファイト!」って何を? 彼とのこと?「――そういえば先ほど、里歩さんとバレンタインデーのことで話されていたんですよね」 オフィスへ向かうクルマの中で、貢が改めてわたしに訊ねてきた。「あー、うん。まぁ、そんなところかな」 厳密にいえばちょっと違ったのだけれど、正確に伝える勇気がわたしにはなかった。「で? それがどうかしたの?」「えーと……、絢乃さんは、チョコレートを差し上げる相手っていらっしゃるんですか? その……義理も含めて。確か小学校から女子校ですよね?」「ああ、そういうことね。去年まではパパにもあげてたかな。学校では里歩に友チョコでしょ。今年はあと寺田さんと、村上さんと山崎さんと広田さん、あと小川さんにも。桐島さんがお世話になってるからね」 名前を挙げたほとんどが、会社でお世話になっている人ばかりだ。当然そこには同じ女性である広田常務と小川さんも含まれていた。「はぁ、そんなに……」 彼はそこに自分の名前が入っていなかったので、「僕はもらえないのか」と落胆しているようだったけれど、それは彼の早(はや)合点(がてん)だった。「あと……ね、貴方にも。一応手作り……の予定」「……えっ? 本当ですか!?」 ガッカリしていた彼の表情が、その一言でパッと明るくなった。彼もわたしからのチョコを期待していたということは、やっぱり……。里歩の言っていたことは間違っていなかったのだろうか?「――あ、来週は学年末テストの期間で学校が早く終わるの。だから十一時半ごろに迎えに来てもらっていい? ランチは社員食堂で一緒に食べようよ」「はい、かしこまりました」 そう答えた彼の声も、心なしか弾んでいた。
last updateLast Updated : 2025-02-21
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「――美味しい~♡ このボリュームとクオリティが五百円で食べられるってなかなかないよね」 学年末テスト期間の翌週、わたしは貢と一緒に篠沢商事の社員食堂で昼食をとっていた。この日のメニューは、わたしはフェットチーネのカルボナーラ、貢はビーフシチュー定食。どちらも五百円、ワンコインだ。 ちなみに篠沢商事の社食は外部発注ではなく、グループ企業の〈篠沢フーズ〉が一手に引き受けているので、低価格でメニューも豊富なのが特徴である。これをまだ学生の身で味わえたのは会長特権かもしれない。「あ~、幸せ~~♪」「会長って何か召し上がっている時、すごく幸せそうな顔になりますよね。見ている僕の方まで幸せな気持ちになりますよ」 彼は目を細めながら、美味しいパスタに顔を綻ばせるわたしを眺めていた。「キライな食べ物とか、苦手な食べ物ってないんですか?」「んー、ワサビとカラシはダメだけど、あとは特にないかな」「そうなんですね……」 彼はまた目を細めた。 秘書室に異動してから、彼の精神状態は穏やかになっているようでわたしもホッとしていたけれど、まだ彼を苦しめていた根本原因が解決したわけではない。もしかしたらその時にもまだ進行形だったかもしれないのだ。 会長就任から一ヶ月。バタバタしていたわたしの周りも落ち着いてきた頃だし、そろそろ動き始めるにはいい時期じゃないだろうか。そう思った。「――ねえ桐島さん。ランチが済んだらわたし、ちょっと抜けるから。貴方は先に会長室に戻っててね。すぐに戻れると思うけど」「……はぁ、分かりましたけど。どちらへ行かれるんですか?」「人事部、山崎さんのところ。貴方が受けてたハラスメント問題について、そろそろ動いてみようと思って。『餅は餅屋』って言うでしょ?」 ハラスメント問題の調査にはきっと時間がかかる。まずは山崎さんに、総務課の現状を調べてもらおうと思った。「……えっ? いえ、ですが……。会長自ら動かれるようなことでは……」「こういう時こそ、トップが動かなくてどうするの? 大丈夫だから、ここはわたしにドーンと任せなさい。ね?」「…………はい」「あと、バレンタインチョコもちゃんと用意するから。お返しは考えなくていいから、その代わりに誕生日プレゼント、よろしくね」「はぁ。お誕生日はいつでしたっけ?」「四月三日だよ」「了解しました」 
last updateLast Updated : 2025-02-21
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「――じゃあわたし、人事部に顔を出してくるから」「はい。行ってらっしゃいませ」 わたしは人事部のある三十階でエレベーターを降り、貢が乗ったエレベーターはそのまま最上階へと上がっていった。 人事部はこのフロアーでエレベーターホールから見て奥の方、人事部長室はその一番奥、会長室のちょうど四フロアー下にある。「――上村(うえむら)さん、お疲れさま。山崎部長はいらっしゃいますか?」 執務室の前、秘書席に座っていた専務秘書の女性に声をかけると、彼女はわたしの顔を見て一瞬驚いた後、「ええ、いらっしゃいます。お呼びしましょうか?」とわたしに訊ねた。「ううん。わたしから押しかけてきたんだし、中に入らせてもらえればいいから。山崎さんにちょっと大事な話があって……」「そういうことでしたか。分かりました。どうぞお入り下さい。――お茶、お持ち致しましょうか?」「ああ、すぐに失礼するからお構いなく。ありがとう」 上村さんの許可を得たわたしは自ら部長室の木製ドアをノックした。ちなみに会長室のドアも木製だけれど、重みというか重厚感は人事部長室や他の執務室の方が少し軽いと思う。わたしは建築家でも設計士でもないのでよく分からないけれど。「――はい。誰だね?」 中から聞こえてきたダンディーな声の主は、「わたし、篠沢ですけど」と名乗ると慌ててドアを開けに出てきて「これは会長! 失礼致しました。どうぞ」とわたしを招き入れてくれた。「――どうされたんです、会長? わざわざ私を訪ねてこられるとは」 応接スペースの革張りソファーに腰を下ろすと、彼は会長自らの突撃訪問に首を傾げた。「何か用がおありなら、会長室へお呼び下されば私の方から参りましたのに」「今日はわたしから貴方にお願いがあって来たんです。頼みごとをするのに呼びつけるのは失礼でしょう?」 これはわたしの方針であり、亡き父の方針でもあった。たとえ上司と部下の関係であっても、頼みごとをする時には自分から出向くべし。「まぁ、確かにそのとおりですな。――で、私にお願いしたいこととは?」「山崎さんの方がよくご存じだと思うんですけど、総務課でハラスメントの問題が起きているそうですね。それについて、内密に詳しい調査をお願いしたくて。今も進行形なのか、とか大体どれくらいの人たちが被害に遭っているのか、とかそのあたりについて調べてほ
last updateLast Updated : 2025-02-21
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「実は……、わたしの秘書の桐島さんもその被害に遭ってたみたいなんです。彼は異動することでそれ以上の被害を回避できましたけど、問題自体が解決したわけじゃないですよね。なので、わたしはこの問題の全貌が分かったら世間に公表しようと思ってます」 不祥事は隠蔽(いんぺい)することなかれ。これもまた父の信条だった。たとえ一時的に会社のイメージが悪くなったとしても、すぐにプラスに転じるから、と。「わたしとしては、年度末までに決着をつけたくて。あまり時間がないのでできるだけ迅速に動いて頂けますか?」「…………分りました。さっそく動いてみましょう。会長のご期待に沿えるかどうかは分かりかねますが」「お願いします、山崎さん。――お時間取って頂いてありがとうございました」「いえいえ。また何かお役に立てることがありましたら、いつでも相談にいらして下さい」 わたしは「それじゃ、失礼します」と言って人事部長室を後にした。「――あ、会長。おかえりなさい」「ただいま。わたし最近、やっとここが自分の居場所なんだなぁって思えてきたよ」 PCで仕事をしながら笑顔で出迎えてくれた貢に、わたしも笑顔で応えた。「それはよかったです。――それで、専務は何と?」「うん、さっそく動いてみるって。年度末まであんまり時間ないからね。彼も忙しい人だし」 わたしが年度内にこだわっていた理由は、新年度から入社してくれる人たちを安心して迎え入れたかったから。誰が好きこのんで問題のある企業に入社したがるものか。「――さて、じゃあ今日の仕事にかかりますかね。桐島さん、これは明日の会議で使う資料?」 PCを起動させる前に、わたしはデスクの上に置かれた書類に目をとめた。「ええ、そうです。午前のうちにまとめておいたんですが……、何か問題ありました?」「う~ん、誤字脱字はないけど。わたしはこっちの表現にした方が伝わりやすいかなーって」 わたしのデスクまで不安そうにやってきた彼にそう言いながら、プリントアウトされた資料に赤ペンで修正を入れた。「ああ……、なるほど。確かにそうですね。ご指摘ありがとうございます。会長は書かれる字も丁寧でキレイですね」「え……、そうかな? ありがと。そんなストレートに褒められたらなんか照れちゃうよ」 彼は本当に優しくて実直で、そして褒め上手な人だ。なのに、どうして彼女ができ
last updateLast Updated : 2025-02-21
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 ――そして数日後のバレンタインデー当日。「会長、学年末テストは今日まででしたよね。お疲れさまでした。――で、その紙袋は何ですか?」 この日も午前十一時半ごろに学校まで迎えに来てくれた貢が、スクールバッグだけでなく大きめの紙袋を抱えて助手席に乗り込んだわたしに目を丸くした。「ああ、これ? 後輩の女の子たちからチョコいっぱいもらっちゃったの。もちろん里歩からのもあるよ。で、一人じゃとても食べきれないから会社の給湯室で保管しといてもらおうかなーと思って」「へぇー…………、そうなんですか。本当にあるんですね、女子校バレンタインって」 今の時代、バレンタインチョコは男性だけのものじゃないのだ。自分用にお高いチョコを買う女性もいる。わたしみたく、本命チョコを頑張って手作りする女性だっていないこともないけど。「まぁね。でも、こんなの里歩がもらった分とは比べものにならないから。『女の子にモテまくるってのも困りもんだねー』って、里歩笑ってた。あの子、彼氏もちゃんといるんだけどね」「う~ん、何となく分かるような、分からないような……」 女子校ではしばしば、カッコいい先輩が人気を集める傾向にある。某歌劇団みたいなものだ。わたしがたくさんチョコをもらえた理由は、多分世間的に有名人になったことだろうと思う。いわゆる〝有名税〟というやつだろうか。「でも安心して。もらうばっかりじゃなくて、わたしもちゃんとチョコ用意してあるからね」「えっ? もしかして僕の分は……」「それはナイショ♪ じゃあクルマ出して下さ~い」「はい!」 彼はいつもの五割増しで張り切ってアクセルペダルを踏んだ。 彼へのチョコは、ネットで検索したレシピを元に母や里歩にも手伝ってもらって作った。初心者向きの簡単なものではなく、プロのショコラティエが作るような手の込んだものだ。ラッピング用品まで自分で選ぶくらい気合の入った本命チョコだった。 でも、他の人にあげる分はそこまで手をかけていられないので(本当に申し訳ないと思っているのだけれど)、スーパーで買ってきた大袋の個包装チョコレートを小さなギフトパックに小分けしたものを用意していた。そうすることで、一応の差別化をはかったのだ。「――じゃあこれ、冷蔵庫で保管お願いします」 会長室に着くとすぐ、わたしはチョコがたんまり入った紙袋を貢に託した。ちなみに
last updateLast Updated : 2025-02-21
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「あと、これは桐島さん、貴方に」 わたしはスクールバッグに忍ばせていた、ポップなデザインの小さなギフトボックスを彼に差し出した。「約束どおり、頑張って作ってみたの。口に合うかどうか分かんないけど」「……えっ? ありがとうございます。お忙しいのにわざわざ本当に手作りして下さったんですか?」「うん、里歩とかママにも手伝ってもらったけどね。食べたら感想聞かせて?」「はい!」 彼は天にも昇るような様子で(他にどう表現していいか分からないけど、多分あっていると思う)、包みを自分のビジネスバッグにしまっていた。 彼の他に手作りチョコが当たったのは里歩と寺田さんだけ(彼には数個試食してもらっただけだ)なので、実はかなりレアなのだ。貢は気づいていなかっただろうけれど……。「では、僕はちょっと給湯室へ行って参ります」「あ、じゃあわたしもちょっと出てくる。村上さんたちにチョコ渡してくるから」 彼はわたしがスクールバッグから取り出した数袋のギフトパックに「あれ?」という顔をした。「他の人の分は手作りじゃなかったんですね。会長はそういうところ、こだわられる人だと思ったんですが」「まぁね。細かいことはいちいち気にしないの。じゃ、行ってきま~す♪」 わたしはとっさに笑ってごまかしたけれど、それには特別な理由があるんだと果たして彼が気づいていたかどうか――。 その後わたしは社長室、秘書室、人事部を回って日ごろお世話になっている四人にチョコを渡していった。 広田常務と小川さんは「私たち女性なのに、よろしいんですか?」と遠慮がちだったけれど、「糖分の補給はお仕事の効率アップのためにもいいから」と言って受け取ってもらった。わたしからの差し入れだと思ってくれたらそれでいい。「ただいま。――わっ、桐島さん! それどうしたの!?」 チョコを配り終えて会長室へ戻ると、デスクの上にこんもりと積まれたチョコレートの包みを前にして彼が困惑顔をしていた。「ああ、おかえりなさい。どうしたもこうしたも、これ全部僕が女性社員たちから頂いたチョコです。多分、義理ばかりだと思うんですが」「へー……。桐島さん、人気あるんだね」 義理ばかり、と聞いてもわたしは正直ショックを隠せなかった。もしこの日、真っ先にチョコを渡していなかったら、彼にチョコをあげる勇気がしおれてしまっていたかもしれない
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