All Chapters of はじめまして、期間限定のお飾り妻です: Chapter 71 - Chapter 80

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71話 深まる誤解

翌日の朝食後――「イレーネ様、お出掛けにはこちらのドレスがよろしいかと思います」本日の専属メイドがウキウキしながらイレーネにドレスをあてがう。そのドレスは落ち着いた色合いのブラウンのデイ・ドレスだった。勿論、このドレスもイレーネが自らマダム・ヴィクトリアの店で購入したドレスであある。「あら、あなたもこのドレスが気に入ったの? ブラウンだったからどうかと思ったけれど……私たち、気があいそうね」ニコニコと笑みを浮かべるイレーネ。「ほ、本当ですか? イレーネ様!」メイド……リズは、美しく逞しいイレーネに密かに憧れていた。その相手から気が合いそうと言われ、喜んだのは言うまでもない。「ええ。年も見たところ私と変わりなさそうだし……名前を教えて頂けるかしら?」「はい、私の名前はリズと申します。私がこのドレスを選んだのには理由があります。何故ならこのドレスはルシアン様の髪色と同じ色だからです。初デートとなれば、やはりこのドレスしかありません!」きっぱりと言い切るリズ。「え……? デート?」デートと言う言葉に首を傾げるイレーネ。「はい、そうです。だって、初めてでは無いですか。お二人だけで外出なんて」(私とルシアン様は単に現当主様に会う為の準備を整える為に買い物に出掛けるのだけど……?)しかし、目の前でキラキラと目を輝かせているリズを前に本当のことを言う必要も無いだろうとイレーネは判断した。「そうね、確かに初めてのデートだもの。気合をいれないといけないわね。それではルシアン様をお待たせするわけにはいかないので、準備をするわ」「お手伝いさせて下さい!」こうして、イレーネはリズの手を借りながら外出準備を始めた――****「ルシアン様」ルシアンのネクタイをしめながら、リカルドが声をかけた。「何だ?」「本日の外出の目的はイレーネさんのドレスを買いに行くのですよね?」「そうだ、何故今更そんなことを尋ねる?」「いえ、少し確認したいことがありますので」「何だ? 確認したいこととは」鏡の前でネクタイを確認しながら返事をするルシアン。「ドレスを購入された後はどうされるおつもりですか?」「どうするって……そのまま、真っすぐ帰宅するつもりだが?」「何ですって? そのまま帰られるおつもりだったのですか? デートだと言うのにですか? 他に何処にもよ
last updateLast Updated : 2025-03-02
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72話 これは手当だから

「行ってらっしゃいませ、ルシアン様。イレーネ様」馬車の前に立つ2人にリカルドが笑顔で声をかける。彼の背後には20人近い使用人達も見送りに出ていた。「あ、ああ。行ってくる」物々しい見送りに戸惑いながらルシアンは返事をした。次に、隣に立つイレーネに視線を移す。「では、行こうか? イレーネ」「はい。ルシアン様」イレーネは笑顔で返事をすると、2人は馬車に乗り込んだ。「リカルド、外出している間留守を頼むぞ」ルシアンは窓から顔をのぞかせると、リカルドに声をかけた。「はい。お任せ下さい、ルシアン様」リカルドはニコリと笑みを浮かべ、次にルシアンに近づくと小声で囁く。「どうぞお仕事の方はお気になさらずに、ごゆっくりしてきて下さい。くれぐれも早くお帰りいただかなくて結構ですからね?」「あ、ああ……分かった。で、では行ってくる」まるで、早く帰ってきては許さないと言わんばかりのリカルド。その口調にたじろぎながらもルシアンは頷くのだった……。**「ルシアン様、ところで本日は何処へ行かれるのですか?」馬車が走り始めるとすぐにイレーネが声をかけてきた。「そうだな……とりあえず、町に出てブティックを数件周って服を購入しよう。祖父は身なりに煩い方だ。場をわきまえた服装でいなければネチネチと嫌味を言ってくるかもしれないからな。余分に買い揃えておけば間違いないだろう」少々大袈裟な言い方をするルシアン。(本当は、そこまで口煩い祖父では無いのだがな……イレーネにドレスを買わせるには大袈裟に言った方が良いだろう。そうでなければ彼女のことだ。きっと遠慮するに違いないからな)すると、案の定イレーネはルシアンの言葉を真に受けた。「この間10着以上もドレスを購入したばかりです。なので新たに購入するのは何だか勿体ない気も致しますが……当主様が服装に細かい方でしたら致し方ないかもしれませんね。何しろ私の役割はルシアン様が次の当主となれるようにお飾り妻を演じきることなのですから」「あ、ああ……ま、まぁそういうことになるな」きっぱりと「お飾り妻」と言い切るイレーネに苦笑しながらもルシアンは頷く。「よし、それではまず最初は前回君が訪れた『マダム・ヴィクトリア』の店に行くことにしよう」「はい、ルシアン様」――4時間後ガラガラと走る馬車の中で、イレーネとルシアンは会話していた
last updateLast Updated : 2025-03-03
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73話 買い物の後で

「そういえば買い物に気を取られていてお昼のことを忘れていたな。もう14時を回っている」ルシアンは腕時計を見た。「まぁ、14時を過ぎていたのですね? 買い物が楽しくて、すっかり時間を忘れていましたわ」「そうか? そんなに楽しかったのか?」イレーネの言葉にまんざらでもなさそうにルシアンが頷く。「はい、『コルト』に住んでいた頃は洋品店の窓から店内を覗くだけでしたから。実際に買い物をすることなど滅多にありませんでしたので」「あ、ああ……何だ。そっちのほうか……」落胆した声でボソリとつぶやくルシアン。「え? 今何かおっしゃいましたか?」「いや、何でもない。それでは少し遅くなってしまったが、何処かで食事でもしていかないか? この通りには様々な店が立ち並んでいるからな」「はい、そうですね」そこで2人は馬車から降りると、通りを歩いてみることにした――**「ルシアン様、このお店はいかがですか? なかなかの盛況ぶりですよ?」イレーネが駅前の噴水広場の正面にある店の前で足を止めた。「……あ。この店は……」ルシアンは店をじっと見つめる。「どうかしましたか? このお店のこと御存知なのですか?」「ああ……知っている。ここは開業してまだ5年目程の料理屋なのだが、元王宮料理人が開いた店で貴族達の間で人気の店なんだ」「まぁ。そんなに有名なお店だったのですか」「そうだ。……以前は俺も良くこの店に通っていたのだが……」そこでルシアンは言葉を切る。「どうかされましたか? ルシアン様」「い、いや。何でもない」首を振るルシアン。(そうだ、あれからもう4年も経過しているんだ。……多分大丈夫だろう)ルシアンは頭の中を整理すると、再びイレーネに声をかけた。「それでは……この店にしてみるか?」「はい、そうしましょう」笑顔で答えるイレーネ。そこで店の中へ入ると、すぐに笑顔のウェイターが現れて2人を窓際のボックス席へ案内をした。「イレーネ、どれでも遠慮せずに好きな料理を頼むといい」メニューをじっと見つめているイレーネにルシアンは声をかけた。「ありがとうございます。まあ……どれも美味しそう」(随分楽しそうだな……)楽しそうにメニューを選んでいるイレーネを見ていると、ルシアンはまるでこれが本当のデートのように思えてきた。「う〜ん……これだけ沢山のお料理
last updateLast Updated : 2025-03-03
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74話 鈍い女

――17時「ええっ!? そ、そんなことがあったのですか!?」書斎にリカルドの声が響き渡る。「ああ……そうなんだ。全くいやになってしまう……あのウェイターのせいで最悪だ……。まさかイレーネの前でベアトリーチェの名前を口にするとは思わなかった」すっかり疲れ切った様子のルシアンが書斎机に向かって頭を抱えてため息をつく。「そ、それでイレーネさんの様子はどうでしたか?」リカルドが話の続きを促す。「……別に」「は? 別にとは?」「全く気にした様子は無かった」「そうなのですか!?」「ああ、それどころか微塵も興味が無い様子だった。このお店はお昼を過ぎているのに盛況ですねとか、祖父の話とか……世間話ばかりだった」「なるほど、それなら良かったではありませんか」笑顔になるリカルド。だが、やはりルシアンは良い気分では無い。(ベアトリーチェのことを気にしないのは助かったが……それはそれで面白くない。イレーネは俺個人に全く興味が無いということなのか?)そんなことを考えながらルシアンは面白くなさそうに自分の考えを口にした。「……だが、もうあの店には当分行かない。接待でも利用するのはやめよう。……気まずくて仕方がないからな」「はい、了解いたしました」「あと、厨房に伝えてくれ。昼食を食べた時間が遅かったので、イレーネの今夜の食事はいらないと」「そうなのですか?」ルシアンがその言葉に目を見開く。「ああ。イレーネ本人がそう話していたのだ。……彼女は随分少食だな。あんなに痩せているのだから、もっと食事をするべきなのに……」ため息をつくルシアンを見てリカルドは思った。(ルシアン様はイレーネさんのことが随分気がかりのようだ)と――****――21時イレーネが部屋で洋裁をしていると、不意に扉のノック音が響き渡った。「はい、どちらさまですか?」扉を開けると、ワゴンを押したリカルドが立っていた。「まぁ、リカルド様ではありませんか」「イレーネさん、お夜食を運んでまいりました。よろしければいかがですか?」「お夜食ですか?」「はい、ルシアン様が念のため用意するように仰ったのです」ワゴンの上にはティーセットにサンドイッチが乗っている。「そうですね。では折角なのでいただきます」「では失礼いたします」ルシアンはワゴンを押しながら部屋に入ると、テーブル
last updateLast Updated : 2025-03-04
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75話 頼もしい相手

 あれから数日が経過し……週末を迎えた。「それでは皆、俺とイレーネは数日の間留守をする。屋敷のことは任せたぞ。何かあればリカルドに話を通しておくように」ルシアンは馬車の前まで見送りに集まった使用人たちを見渡した。「ルシアン様、イレーネ様。留守の間はどうぞ私にお任せ下さい」リカルドが恭しく頭を下げる。「うむ、頼んだぞ」すると次にメイド長が進み出てきた。「イレーネ様、本当にメイドを連れて行かなくて良いのですか?」「えぇと……それは……」イレーネが口を開きかけた時。「あぁ、メイドは連れて行かない。『ヴァルト』にはメイドも沢山いるからな。2人だけで行く」ルシアンはできるだけ、使用人を連れて行きたくはなかった。何故なら車内で色々と打ち合わせをしておきたかったからだ。使用人たちが一緒では、込み入った話もすることが出来ない。しかし……。ルシアンの言葉を他の使用人たちはリカルドを除いて、別の意味で捉えていた。『ルシアン様はイレーネ様と2人きりで誰にも邪魔されずに外出したいに違いない』「よし、汽車の時間もあることだし……そろそろ行こうか? イレーネ」「はい、ルシアン様」笑みを浮かべて返事をするイレーネ。こうして2人は大勢の使用人たちに見送られながら屋敷を後にした――****「イレーネ。もう一度状況を確認しておこう」馬車に乗ると、神妙な顔つきでルシアンはイレーネに話を始めた。「はい、ルシアン様」「まず、俺とイレーネの出会いだが……」「はい。祖父を病で亡くし、天涯孤独になった私は仕事を求めて大都市『デリア』にやってきました」「そこで道に迷って困り果てていた君に俺が声をかけた」ルシアンが後に続く。「それが出会いのきっかけとなりました」「そう。その後2人は意気投合し……やがて互いに惹かれ合って、婚約する話に至った……これでいくからな」「はい、分かりました。大丈夫です、お任せ下さい。概ね、話の内容は間違えてはおりませんから。立派にルシアン様の婚約者を演じてみせますね。御安心下さい」「ああ、そうだ。よろしく頼むぞ。祖父に気に入られたら、君に臨時ボーナスを支払おう」すると、その言葉にイレーネの目が輝く。「本当ですか!? それではますます気合を入れて頑張りますね? よろしくお願いいたします」何とも頼もしい返事をするイレーネ。「ま
last updateLast Updated : 2025-03-05
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76話 浮かれる? 2人

「まぁ……私、寝台列車なんて乗るの生まれて初めてですわ。こんなに素敵な内装の車両があるのですね。まるで一流ホテルみたいですね」ルシアンと一緒に一等車両に乗り込んだイレーネは物珍しそうにキョロキョロと見渡す。「そうか? そんなに珍しいか?」(まるで子供のようだな)目を輝かせながら、嬉しそうにカーテンに触れているイレーネをルシアンは微笑みながら見つめ……慌てて首を振った。(馬鹿な! 一体俺まで何を浮かれた気持ちになっているんだ? これから祖父とイレーネを引き合わせるという大仕事が待ち受けているというのに……! どうも彼女といると調子が狂ってしまう)「……様、ルシアン様!」「あ、ああ? 何だ?」考え事をしていたルシアンはイレーネに呼ばれて我に返った。「確か寝台列車というものは2段ベッドになっているのですよね? それではどちらが上で寝ますか? 私はどちらでも構いませんよ?」その言葉にルシアンは目を見開く。「君は一体何を言ってるんだ? いいか? 確かに俺たちは婚約者同士だが、それはあくまで名目上。同じブースで一晩過ごすはずがないだろう? 通路を挟んだ隣にもう一つ寝台スペースを借りている。俺はそこで寝るからイレーネはこの場所を使うといい」イレーネのトランクケースを棚の上に全てあげるとルシアンは隣のスペースに移動しようとし……。「お待ち下さい、ルシアン様」不意にイレーネに背広の裾を掴まれた。「な、何だ? 一体」女性に背広の裾を掴まれたことが無かったルシアンは戸惑いながら振り返る。「就寝時間までは、まだずっと先ではありませんか。よろしければ、ルシアン様もこちらの場所で過ごしませんか? 折角の2人旅なのですから楽しみましょうよ」(楽しむ……? 楽しむって一体どう意味だ!?)その言葉に何故かルシアンはドキリとするも、頷く。「ま、まぁ……別に俺はそれでも構わないが……」「本当ですか? ではどうぞ向かい側にお座り下さい」「分かった」(本当は持参してきた仕事をしようと思っていたが……まぁ、彼女の前でも出来るだろう)言われるまま、素直に向かい側に座るルシアン。「それではルシアン様。早速ですが……始めませんか?」「は? 始める? い、一体何を始めるんだ?」扉が閉められた密室の空間。イレーネの意味深な言葉に緊張が走る。「決まっているではあり
last updateLast Updated : 2025-03-06
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77話 胸に秘めていたこと

――19時半 イレーネとルシアンは2人で食堂車両で食事をとっていた。「こちらの料理も、本当に美味しいですね。このお肉、とてもジューシーだと思いませんか?」イレーネはすっかり上機嫌で食事を口にしている。一方のルシアンは……。「それにしても……君があんなにカードゲームが強いとは思わなかった」ため息混じりにワインを口にする。「そうでしょうか? でも私が勝てたのは敢えて言えば……」「敢えて言えば? 何だ?」話の続きを促すルシアン。「それはルシアン様が分かりやすい方だからですわ」「ええ!? わ、分かりやすい? この俺が!?」「はい、そうです。ルシアン様は良いカードが回ってくると顔に出てしまうからです」「そ、そうか? 今まで何度も仲間内でカードゲームをしたことはあったが……そんな風に指摘されたことは一度も無かったぞ? 現にこんなに負けてしまったことは無かったし……」(もし、これでお金を賭けていれば今頃どうなっていたかと思うとゾッとする)ルシアンは身震いしながら考えた。「ええ、確かに傍目からは気付かない小さな変化ですが……気づいていませんでしたか? ルシアン様はツキが回ってくると、口角がほんの数ミリ上がるのです」「え? こ、口角が!?」慌てて口元を隠すルシアン。「プッ」その様子にイレーネが小さく笑う。「い、今……笑ったな?」「あ……申し訳ございません。今のルシアン様の様子が、その……可愛らしかったものですから……」可笑しくてたまらないかのように肩を震わせるイレーネ。「ええ!? お、俺が可愛らしいだって!?」(俺は成人男性だぞ!? それなのに可愛らしいだとは……!)けれど目の前で笑っているイレーネを見ていると、不思議なことに怒りが湧く気持ちにもならない。むしろ、穏やかな気持ちになってくる。そして、美味しそうに食事をしているイレーネを見つめるのだった――****――22時「それではお休みなさいませ、ルシアン様」隣のブースに映るルシアンにイレーネが声をかけた。「ああ、おやすみ。『ヴァルト』には、明日10時到着予定だ。7時になったら朝食をとりに食堂車両へ行こう」「はい、分かりました。それではまた明日お会いしましょう」ルシアンの言葉に、笑みを浮かべるイレーネ。「ああ。おやすみ」そしてルシアンは通路を挟んだ隣のブースに移
last updateLast Updated : 2025-03-07
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78話 昨夜のことは

――翌朝「今朝も素晴らしく良い天気ですね」食堂車両で朝食をとりながら、笑顔でイレーネがルシアンに話しかける。「……ああ、そうだな」眠気を殺しながらルシアンがコーヒーを口にし……チラリとイレーネを見る。(昨夜のアレは俺の見間違いだったのか? イレーネはいつもと全く変わった様子は見られないしな……)「ルシアン様? どうかされましたか? 私の顔に何かついています?」キョトンとした顔で首を少しだけ傾けるイレーネ。「い、いや。何でも無い……フワ……」危うく欠伸が出そうになり、必死で耐えるルシアン。「何だか眠そうですね? もしかして寝不足ですか?」「大丈夫だ、気にしないでくれ」けれど、ルシアンが一睡も出来なかったのは事実だった。「あ、分かりました!」イレーネが少しだけ身を乗り出す。「わ、分かった? 何がだ?」(まさか、昨夜のことを言い出すつもりじゃないだろうな……? いや、いくら何でもそれはないだろう。誰だって人に知られたくないことの一つや2つ持ち合わせているものなのだから)イレーネがじっと見つめる。「ルシアン様。さては……」「さ、さては……?」ゴクリと息を呑むルシアン。「寝台列車の旅が嬉しくて眠れなかったのではありませか?」「は?」思いもしない言葉をかけられ、間の抜けた声を出す。「ええ、その気持良く分かります。かくいう私も昨夜は興奮して中々眠ることが出来ませんでした。羊の数を1352匹まで数えたところまでは記憶しているのですけど、そこから先は眠ってしまったようなのです。いつもなら500匹以内には眠りについていたのですけど」ペラペラと笑顔で話すイレーネを見ていると、ルシアンは自分が思い悩んでいたことが馬鹿馬鹿しく思えてきた。(一体何なんだ? 昨夜俺は見慣れないイレーネの泣き顔を見たせいで一睡も出来なかったというのに……だが、敢えて彼女は気丈に振る舞っているだけなのかもしれない。うん、きっとそうに違いない)そんなことを考えていた時。「そう言えばルシアン様。昨夜私……お祖父様が亡くなったときの夢を見てしまったのです」「え!?」驚きでルシアンの肩が跳ねる。「久しぶりでしたわ……お祖父様が亡くなったときの夢を見てしまうなんて。恥ずかしいことに、夢の中で子供のように泣いてしまいましたわ。どうしてあんな夢を見てしまったのかしら
last updateLast Updated : 2025-03-08
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79話 これは何だ?

――午前10時イレーネとルシアンは『ヴァルト』の駅に降り立った。「まぁ……何て気持ちの良い場所なのでしょう。森や山があんなに近くに見えるなんて。私が住んでいた『コルト』よりもずっと、自然豊かで素晴らしいわ」嬉しそうに周囲を見渡すイレーネ。「ここは避暑地として貴族たちから人気の場所だからな。その為、別荘地帯としても有名なんだ」イレーネの荷物を持ったルシアンが背後から声をかける。「ルシアン様、本当に私の荷物なのに持っていただいてよろしかったのですか?」申し訳無さそうにイレーネが尋ねる。「当然だ。俺が一緒にいるのに、君に荷物を持たせるわけにはいかないだろう? 大体俺の荷物など殆ど無いし」腕時計を見ながら返事をするルシアン。「そう言えば、何故ルシアン様の荷物は無いのですか?」「祖父の別荘には俺の服は全て揃っているからだ」「なるほど、流石はルシアン様ですわね」イレーネは妙な所で感心する。「突然の来訪だから迎えの馬車は無いんだ。あそこに辻馬車乗り場がある。行こう」ルシアンが指さした先には、数台の客待ちの辻馬車が止まっている。「はい、ルシアン様」2人は辻馬車乗り場へ向かった――****ガラガラと走り続ける馬車の中で、イレーネは上機嫌だった。「こんなに美しい森の中を走る馬車なんて、素敵ですね。空気もとても美味しく感じます」森の木々の隙間からは太陽の光が幾筋も差し込み、幻想的な美しさだった。「ああ……そうだな」浮かれるイレーネに対し、ルシアンの表情は暗い。何故なら、もうすぐ頑固な祖父との対面が待ち受けているからだ。(祖父は気難しい人物だ……果たして、こんなに脳天気なイレーネを受け入れてくれるだろうか? 何しろ前例があるからな。だが、今にして思えば反対されて良かったのかもしれない……)ルシアンは苦い過去を思い出し、ため息をついた。すると……。「どうぞ、ルシアン様」突然、イレーネが小さなガラスポットを差し出してきた。中には透明な丸い粒がいくつも入っている。「……これは何だ?」「ハッカのキャンディーです」「え?」顔を上げてイレーネをよく見ると、口の中で何かコロコロ転がしている。「先程から元気がありませんが、馬車に酔われたのではありませんか? 私はこのように舗装された道も辻馬車も慣れておりますが、ルシアン様はそうではありません
last updateLast Updated : 2025-03-09
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80話 浮かれるイレーネ、不機嫌なルシアン

ガラガラと走り続ける馬車の中。昨夜一睡も出来なかったルシアンはウトウトとまどろんでいた。その時……。「ルシアン様! 見て下さい! すごいですよ!」馬車から外を眺めていたイレーネが突然大きな声をあげた。「な、何だ? どうかしたのか?」イレーネの声に一気に目が覚めた。「ほら、御覧ください。お城ですよ! お城!」イレーネが指さした先には森に覆われるようそびえ建つ城だった。「あれが祖父が住んでいるマイスター家の別荘だ。そろそろ到着しそうだな」「ええ!? あの城に現当主様が住んでいらっしゃるのですか!?」イレーネが驚きの声を上げる。「そうだが? それほど驚くことか?」「驚くことですよ! まさかお城に住んでいらっしゃるなんて、思いもしませんでしたから。私、一度でいいからお城に上がってみたかったのです。それがまさかこんな形で夢が叶うなんて……連れてきて下さってありがとうございます」イレーネは深々とお辞儀をした。「いや、礼を言うのはこちらの方だ。わざわざ祖父に会うためにこんな遠方までついてきてくれたのだからな。しかし……それほどまでに城に上がってみたかったのか?」「ええ、女性なら誰でも一度は夢を見るのでは無いでしょうか? 絵本の世界のようにお城で素敵な王子様に出会う……そんな夢を」うっとりした目つきで城を眺めるイレーネ。一方、ルシアンは何故か面白い気がしない。(何だ? そんなに王子というものに憧れているのか?)「そうか、だが残念だったな。生憎あの城に住んでいるのは年老いた老人だ。50年遅過ぎる」つい、意地の悪い言葉を口にしてしまう。「ルシアン様……?」しかしイレーネがじっと自分を見つめている姿を見た途端、後悔の念が押し寄せてくる。「す、すまない! 俺はただ……現実の話を……だな…」「プッ!」突然イレーネが口元を押さえて吹き出す。「イレーネ?」「フフフ……ルシアン様って真面目な方だと思っておりましたが、冗談も言えるのですね」「え? 冗談?」「確かに、お城に住んでいる方が全て王子様だとは限りませんよね? ですがルシアン様のお祖父様なら、きっと素敵な方に違いありません。お会いするのがとても楽しみですわ」素敵な方と言われ、悪い気がしないルシアン。「そうかな? だが今の話を祖父が聞けば喜びそうだな」そんな会話を続けているうちに、
last updateLast Updated : 2025-03-10
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