弥生は何も言わなかった。由奈は彼女が長く黙っているのに気づき、ため息をついた。「君が彼女にフィルターをかけて見ているのは分かっているよ。確かに彼女は一度君を助けてくれた。でも、彼女には常に動機があったのかもしれない。彼女の恩は返さなきゃならないけど、それは別の機会でやればいい。だけど、昔助けてくれたからといって、今は君を害さないとはどういうこと?」「うん、わかってる」弥生は頷いた。由奈は彼女の沈んだ様子を感じ取り、「ねえ、今夜うちに来る?一緒に話しながら過ごそう。私、明日は休みを取ることもできるから」と提案した。「大丈夫よ」弥生は首を軽く振りながら、「おばあさんが家で待ってるから、帰らないといけないの」と答えた。今日の出来事は、彼女に一層の現実を突きつけた。綾人の言葉を聞いて、少しの希望を抱いていたが、それさえも完全に砕け散ってしまった。自分が悪いだと、弥生は自嘲気味に思った。ありえない希望に期待するなんて、愚かだったのだ。「分かった、じゃあ早く帰ってね。外の風が冷たいよ。私は聞いてるだけで耳が痛くなるくらい寒いんだから」その気遣いに、弥生は思わず微笑んで「わかったわ、すぐ帰る」と返事をした。彼女の声が落ち着きを取り戻したことに気づき、由奈は安心した。「家に着いたら連絡してね」「うん」電話を切った後も、弥生はすぐに立ち上がることはせず、冷たい風の中でしばらく座っていた。昨日の天気予報で冷え込みに注意するようにと言われていたが、夜に外出したときにはまだその寒さを感じなかった。しかし今、冷たい空気が肌に刺さるのを実感していた。その時、不意に誰かが彼女の隣に座り、温かいコートが肩にかけられた。タバコの香りが風に漂ってくる。弥生は目を開けて隣を見た。「大丈夫?」弘次の穏やかな声が耳に届き、彼が手を伸ばして弥生の顔の傷を触れようとしたとき、彼女は反射的に身を引いてその手を避けた。彼の指先は空中で止まり、弥生の動きに一瞬戸惑いを見せた。その傷は、瀬玲が髪を掴んだ際に爪でできたものだった。髪が乱れていたため、今まで隠れていたが、風で髪を耳にかけたことで傷が露わになった。風の冷たさで顔が痛んでいたので、彼女はその傷の存在に気づいていなかった。「大丈夫」弥生が答えると、弘次は手を引き、「どうして先
最終更新日 : 2024-10-21 続きを読む