All Chapters of 高杉社長、今の奥様はあなたには釣り合わないでしょう: Chapter 711 - Chapter 720

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第0711話

綿は洗面台の鏡に映る自分の顔を見つめながら、深いため息をついた。先ほど輝明がキリナに投資すると言ったことを思い出し、どこか滑稽に思えてきた。彼がバタフライに投資しない理由は、「バタフライにはたくさんの投資家がついているから、自分は必要ない」というものだった。典型的な「自己満足で投資しない理由」だ。彼女には何も欠けていないから、彼が出る幕ではない――そんな発想なのだろうか。でも彼は分かっていない。彼女が一番欲しいのが、もしかして彼の投資だったら?綿は目を伏せ、ぼんやりと思考にふけっていた。そのとき、入口に人影が現れた。鏡越しにその人物を確認すると、綿は小さく舌打ちした。「高杉さん、ここは女性用のトイレですよ」「だから?」彼は壁にもたれ、腕を組みながら答えた。その態度はまるで「問題があるなら言ってみろ」とでも言いたげだった。周囲に他の人がいないことを確信しているからこその行動だった。不用意にここへ来たわけではない。綿は彼に返事をせず、口紅を手に取り唇に軽く塗った。その何気ない仕草に、輝明は目を奪われた。彼女の微かに開いた唇を見つめ、思わず自分の唇を舐めた。「綿」彼は低い声で彼女の名前を呼んだ。綿は鏡越しに彼を見つめる。「嫉妬してるのか?」彼の声には、どこか真剣さが感じられた。綿は一瞬呆然とし、それから笑い出した。「高杉さん、飲んでますか?」どれだけ飲んだのだろう。おつまみはきゅうりとピーナッツ? それとも何か他のもの? まだ酔いつぶれていないのに、こんな夢物語のような話を始めるなんて。彼が今言っていること、尋ねていること、それ自体がまるで冗談のようだ。嫉妬してるかどうかなんて、どこをどう見てそう思ったんだ?どっちの頭がおかしくなったのか?「もし酔っているなら、森下さんに連絡して迎えに来てもらったらどうですか?」綿は少し優しい声で言った。「どこが酔ってるって?俺は至って冷静だし、むしろ君の気持ちを正確に判断できるくらいだ」彼の声は静かで、疲れが見え隠れしているが、それでも堂々としていた。その整った顔立ちは、どんなに疲れていても鋭い輝きを失わない。「じゃあ言ってみてください。私の気持ちはどんな感じです?」綿は笑いをこらえながら尋ねた。輝明は眉を上げ、淡々と言い放った。「嫉妬してる」「
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第0712話

自分に贈る?もうわけがわからない。「高杉さん、私はあまり好きじゃないので、無駄なお金を使わないでくださいね」綿は穏やかに微笑みながら、きっぱりと断った。輝明は少し首を傾げ、不思議そうに聞いた。「女はみんな好きだと思ってたけど、君は違うのか?」「普通の女の子じゃありませんから」綿は笑みを浮かべたが、内心では「あなたに届かない雲の上の人だから」と言いたい気持ちをぐっと堪えた。「じゃあ、別のプレゼントを贈るっていうのはどう?」輝明が提案する。綿は困惑した。「暇?なんでそんなにプレゼントばかり私に贈ろうとするの?」以前は、昔はプレゼントひとつねだるのも、まるで天に願うくらい難しかったんだから。それが今では、この安売り感はどういうことだろう。輝明は自信たっぷりに答えた。「今度のプレゼントは、君がきっと気に入るものだよ。今日は持っていないから、夜に会おう」「忙しいの」綿はそっけなく言い放った。輝明のプレゼントなんか、好きじゃないし、会いたくもないし。「ブラックアイの最上階で待ってる。君が来なければ、俺はそこを動かない」輝明はきっぱりと言った。綿は眉をひそめた。彼は本気だった。彼が「動かない」と言えば、本当に動かないのだ。「勝手にどうぞ」綿は手を振りながら彼のそばを通り抜けた。「だから、さっきはやっぱり嫉妬してたんだろう?」輝明は彼女の後を追いながら言った。綿が来るかどうか、彼は気にしていない。どうせ、彼女が来なければ、彼は動かない。綿が彼を気にかけているなら、きっと来るだろう。もし来なければ、彼もそれを理解できる。「自意識過剰ね。ついてこないで。さもなければ警察を呼ぶわよ!」綿は振り返り、彼を指差して言った。その表情には嫌悪感がにじんでいた。だが、輝明は気にする様子もなく、笑みを浮かべたまま彼女についていく。「最近、高杉グループの状況が好転したようね?」綿は少し皮肉っぽく尋ねた。「心配しないで。高杉グループは大丈夫だよ」彼は微笑みながら言った。「約束した株式も、ちゃんと君に渡すつもりだ」綿は一瞬呆れたような顔をして、何も言わずに彼を振り切ろうとした。幸運にも、洗面所を出たところでキリナが輝明を呼び止めた。綿はこれほどキリナに感謝したことはなかった。この瞬間、彼女は本気で感謝していた。
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第0713話

「バタフライの復帰作は簡単に手に入らないわ。仮に私がバタフライを紹介しても、彼女はあなたに売らないでしょうね」キリナの言葉には、暗に「諦めなさい」と言わんばかりの響きがあった。だが、輝明はその言葉に納得しなかった。「彼女が復帰作を発表したということは、買い手を探している証拠だろう。もし俺が適切な価格を提示すれば、どうして売らない理由がある?」その冷ややかな視線がキリナに向けられたとき、彼の言葉はまさに核心を突いていた。キリナの胸中にわずかな苛立ちが広がった。自分も同じデザイナーで、ここは自分の展示会場だ。それなのに彼が話しているのは、バタフライの話題ばかり。気分が良いはずがない。彼女はふと遠くの綿に目をやり、再び輝明の顔に目を戻した。彼の視線は、ずっと綿を追い続けている。キリナは苦笑した。好きになってはいけない人を好きになってしまうと、こんな感じなのかもしれない。彼女は追いかける途中か、一歩遅れて到着するかのどちらかだ。大学時代、彼女が輝明に惹かれたころ、彼はすでに綿と高校時代からの知り合いだった。彼が結婚したとき、「これで彼は一生綿のものだ」と思った。だが、彼が嬌を愛しているという噂を聞いて動揺した。そして、ようやく離婚だと聞いて、再び彼が綿を愛していると知り、またしても自分の出番はなかったのだと悟った。彼女が「追いかけている」と思っていたのは錯覚で、実際には彼の世界に自分は一度も登場したことがない。ただ一人で走り回り、遅れを取り戻そうとしているだけだった。「遅れを取った」というより、そもそも彼の人生の軌道に自分は存在しなかったのだ――彼女が感じているすべての感動や情熱は、結局、自分自身に向けられたものに過ぎない。彼の世界には彼女の存在など一度もなかった。いや、彼自身、自分がどれほど彼を好きだったのかさえ気づいていないかもしれない。今では結婚すべき年齢にもなったのに、心はまだどうにもならない男に縛られている。キリナはうつむき、自分の愚かさに思わず苦笑した。そのとき、近くで響いた女の子の声が、彼女の考えを中断させた。「これは私が先に気に入ったんだから、ルールを守ってよ!」キリナも綿もその声に反応して視線を向けた。声の主は恵那だった。恵那はジュエリーの展示ケースの前に立ち、険しい表情を浮かべていた。「
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第0714話

「お姉ちゃん、私これ欲しいの」恵那は綿の腕に抱きつき、少し甘えるような声を出した。今日の綿は高貴で華やかな装いで、本物の「桜井家のお嬢様」といった雰囲気を醸し出している。一方、恵那はどこか「リトルプリンセス」のような雰囲気を持っており、二人が並ぶと違いは明らかだった。それでも共通点があるとすれば、それは二人とも目を奪われるほどの美しさを持っていることだ。特にその明るく輝く瞳は、一度見たら忘れられない。「お姉ちゃんが買ってあげる。でも、このセットじゃなくて、別のにしない?」綿は恵那に優しく言った。恵那は瞬きをしながら綿を見つめた。二人の間には、まるで突然「仲の良い姉妹」を演じるかのような空気が漂った。お互い少しぎこちなさを感じてはいたが、せっかく始めた以上、最後まで演じ切るしかなかった。「どうせ、私に勝てないからでしょ」陽菜が冷笑しながら口を挟んできた。綿は微笑み、「たかがジュエリー一つで、あなたに勝てないなんてことがある?」と言い返した。「そんなに欲しいなら、譲るわ」「冗談はやめて。最初にこのジュエリーを見つけたのは私よ。何が譲るだって?」陽菜は一歩前に出てきて強気に言った。確かに陽菜も美しいが、その美しさには棘があり、幼さが見え隠れしている。つい最近まで学生だったことが分かるような雰囲気だ。「買うか買わないか、はっきりしてちょうだい」綿は面倒くさそうに言った。「お姉ちゃん……」恵那は少し迷いの表情を浮かべた。陽菜は目を細め、計算している様子だった。会場で一番注目を集めているジュエリーは二つしかない。一つは「バタフライ」の回帰作「雪の涙」。もう一つは、ソウシジュエリーの目玉展示であるキリナの「ジェイドラブ」。「ジェイドラブ」はすでに輝明が購入済みで、「雪の涙」は手に入らないとされている。ソウシジュエリーのこのセットは、いま目立つには最適のアイテムだった。「これ、本当にいらないの?」恵那が躊躇ってる、陽菜も考えている。「このセットはダメよ」綿ははっきりとそう言った。その声には遠慮がなかった。たとえそれがキリナのデザインだとしても、彼女は全く気にしなかった。「恵那には合わない」「ふん」陽菜は鼻で笑った。「確かに、彼女には合わないわね。でも『雪の涙』なら似合うかもね。ただ、買えればの話だけど」陽菜
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第0715話

この一言で、その場にいた全員の視線が一斉に綿に注がれた。輝明も人混みをかき分けて前に出てきた。その眉間には深い皺が寄り、彼女の言葉を聞いたばかりのようだった。――「じゃあ、もし私が『雪の涙』を持っているとしたら?」キリナも驚愕の表情を浮かべて綿を見つめた。そんなはずがない。「雪の涙」はまだ設計図の段階で、バタフライが売却したとは聞いていないのだから。そのとき、陽菜が突然小さな声で笑い始めた。笑い声は次第に大きくなり、傲慢さを含んでいった。「お姉ちゃん!」恵那は綿の腕を引っ張った。「そんなこと言っちゃダメだよ!「口は災いの元よ!」彼女は小声で綿に注意した。綿は肩をすくめたが、特に慌てる様子は見せなかった。陽菜は綿を指さしながら声を上げた。「嘘をつくのもいい加減にしてよ!もし『雪の涙』が売れていたなら、デザイン掲示板が発表してるはずよ!でも、バタフライは何も発表してないじゃない!」綿は首を傾げ、「まだ契約の手続きを進めている段階だからよ。でも、バタフライはすでに私に売ると決めているの」と穏やかに答えた。その言葉には、自信が満ちていた。「あり得ない!」陽菜は断言した。周囲の人たちもざわつき始め、何人かは露骨に疑いの目を向けていた。「桜井さん、それはちょっと無理がありますよ」「そうそう、もし持ってないなら、無理に自分を大きく見せなくてもいいじゃない」「私たちみたいな人間は、バタフライみたいな高いレベルの人物とは縁がないんだよな。まあ、ソウシジュエリーも悪くないけどな」誰かが大笑いしながら、綿を皮肉りつつ、ソウシジュエリーを持ち上げた。恵那が話を引っ張るにつれて、誰も綿が「雪之涙」を持っているなんて信じなくなった。その場の言葉はますます厳しくなり、ついにはこんなことまで言われた。「若いのにそんなに虚勢張ってどうするの?桜井家の人たちはそんなタイプじゃないのにね」ついには、「年若い娘が見栄を張るのは良くない」という声まで上がった。綿の表情はだんだんと冷たくなり、沈黙が場を支配し始めた。しかし、恵那がふと何かを思い出したように、綿を見上げ、小さな声で尋ねた。「お姉ちゃん……まさか、本当に200億で買ったの?」その言葉を聞いた輝明の目には、かすかな動揺が浮かんだ。――200億。その価格は
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第0716話

声が次第に高まる中、輝明は視線を上げた。そこには、20代前半と思われる若い男が立っていた。どこの家の坊ちゃんかは分からないが、残念なことに、この若さで「食べなければならない」運命が待っているらしい。輝明は唇を引き結び、ゆっくりと人混みを抜けて中央に進み出た。彼の登場に、周囲は自然と静まり返った。人々は、彼が元妻である綿を助けに来たのだと思い込んだ。「これでうやむやに収まるな」と予測していたが、事態は予想外の方向に進んだ。輝明は落ち着いた声で、明確に断言した。「バタフライの復帰作は、確かに200億だ。彼女は嘘をついていない」その言葉を聞き、さっき「食べる」と言い放った男の顔が一気に青ざめた。「あり得ない!」男は声を上げた。輝明は挑発的な笑みを浮かべ、腕を組んで彼を見下ろした。「俺が嘘をつくとでも?」男は一瞬で言葉を失った。まさか「信じない」と答える勇気はない。だが、これが単に輝明が綿を庇っているだけなら?綿も驚いていた。彼がわざわざこの場に首を突っ込んでくるとは思ってもみなかった。無視してそのまま通り過ぎればよかったのに。輝明はポケットからスマホを取り出し、ゆっくりと操作を始めた。その何気ない動作一つ一つが、圧倒的な存在感を放っている。画面を皆に見せると、そこには森下とのチャットが表示されていた。輝明【バタフライの復帰作、価格は?】森下【200億です、高杉社長】その下には、輝明の「……」だけが続いていた。この一連の省略記号は、輝明がその価格を聞いたときの驚きを如実に表していた。綿はその画面を覗き見し、思わずくすりと笑った。200億って控えめすぎたんじゃない?輝明だって分かってたなら、400億くらい吹っかければよかった。陽菜は完全に固まった。200億という話が本当だったとは……「200億……」さっきの男も呆然とし、その場の空気は一気に変わった。綿はため息をつきながら、静かな声で言った。「だから言ったでしょう?本当に『雪の涙』を持っているって」その声には、全くの迷いもなかった。さらに彼女は続けた。「それだけじゃないわ。私はもっと詳しい情報も知っている」「詳しい情報?」周囲の人々は再び騒ぎ始めた。つい先ほどまで詐欺師扱いされていた綿が、この瞬間には女神のように神聖な存在に見えてきた。
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第0717話

「バタフライと知り合いなの?」陽菜は信じられないという顔で聞いた。綿は口元に薄く笑みを浮かべ、「言ったでしょ、バタフライ、親しいのよ」と軽く答えた。その態度には余裕さえ感じられた。「ただ知り合いってだけじゃなくてね、私たち、小さい頃から一緒に育ったの」綿は耳に手をやり、無駄に仕草を加えながら言った。その様子は、まさに「わざと」だった。陽菜はその一言に、完全に気圧されてしまった。先ほどまでの強気な態度は影を潜め、声のトーンさえ下がっていた。一緒に育った?輝明と恵那の顔にも、一瞬困惑の色が浮かんだ。綿がバタフライと一緒に育ったなんて、一体どういうことなのか?これまでそんな話を聞いたことがなかった。特に輝明は、長年綿と深く関わってきたにも関わらず、彼女がバタフライと知り合いだとは全く知らなかった。恵那も口角を引きつらせながら、心の中でつぶやいた。お姉ちゃんがバタフライと知り合いなのに、私はそのバタフライをべた褒めしてたなんて!綿が一言も否定しなかったことで、彼女は一層の恥ずかしさを感じていた。「お姉ちゃん、ほんとに控えめだね」恵那は、半ば感嘆の声を漏らした。綿は陽菜を見つめ、冷静に言った。「人生って、少し控えめに生きたほうがいいのよ。あまりに派手だったり、傲慢だと、きっと人生が教えてくれるから」この言葉に込められた意味は明白だった。綿自身がそれを学んできたのだ。かつて、彼女は純粋に輝明の心を掴めると思い込んでいた。その結果、彼女が得たのは傷だらけの心だった。人生は、彼女にしっかりと教えを与えたのだ。「だから、恵那。このジュエリー、やめない?」綿は展示ケースの中の1億2000万のジュエリーを指差し、真剣に尋ねた。恵那はごくりと唾を飲み込んだ。姉が「雪の涙」を譲ってくれるというのに、1億2000万のジュエリーなんて、もはや比較にならなかった。「分かった、お姉ちゃん」恵那は頷き、柔らかな笑みを浮かべた。その笑顔は、眩しいほど明るかった。綿はそのまま陽菜をちらりと見て、淡々とした口調で一言。「どうぞ、譲るわ」陽菜は何も言えなかった。この短い時間は、彼女にとって永遠のように感じられるほど長く、そして苦しかった。そのとき、徹が一方から歩いてきた。彼は先ほど陽菜のためにジュエリーを予約し、ついでに電話を
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第0718話

輝明はまだ腑に落ちない様子だった。綿がどうしてバタフライと知り合いなのか、どうしてそんなことを一切漏らさなかったのか。一方、恵那は会場を出ていく綿の後ろ姿を見送りながら、南方信の声に我に返った。「君の姉、すごい人なんだね」恵那は顔を上げて軽く「うん」と答えたが、その表情には複雑な色が混じっていた。「私も驚いてる。正直、前は……」「前は?」南方信が促す。「ただの恋愛ボケで綺麗なだけの人だと思ってた」恵那はぼそっと呟いた。まさか、こんなにも深く隠れた一面があるとは。「君とお姉さんは仲が良いみたいだね」南方信が続けて尋ねた。恵那は半ば呆れたように笑い、「どこを見てそう思ったの?」と聞き返した。南方信は少し考え込み、真剣な顔で答えた。「さっき、すごく君を守ってたよね」確かに、「雪の涙」のような200億円のジュエリーを「贈る」と簡単に言い切る姿を見れば、それがどれだけ妹を大切に思っているかが分かるだろう。恵那は何も言えなくなった。彼女には姉が自分を愛しているかどうか分からなかった。ただ分かるのは、自分には桜井家の血が流れていないという事実だ。それでも、桜井家の人々は皆、彼女を優しく受け入れてくれていた。一方で、陽菜はまるで空気の抜けた風船のようになり、力なく立ち尽くしていた。綿がバタフライと知り合いだと分かり、それが致命的な敗北感をもたらしたのだ。周りにいた人々も微妙な空気に包まれていたが、一人がぽつりとつぶやいた。「あれ、トイレで食べるって言ってなかった?」その一言に、場の緊張が緩み、笑い声が広がった。雰囲気が少し和らいだものの、多くの人はそれぞれに考え事をしているようだった。綿が展示会場を出ると、目の前には黒いパガーニが停まっていた。ナンバープレートは「888888」。わざわざ中を覗かなくても、これが輝明の車であることは一目で分かる。「高杉さん」綿は車のそばに立ちながら声をかけた。車のドアが自動で開いた。「何か御用ですか?」彼女はあっさりと尋ねた。輝明がここにいる理由は明らかだった。彼女を待っているのだ。しかし、綿には遠回しに話すつもりはなかった。「乗って」輝明は短く言った。「研究所でやることがまだあるわ」綿はきっぱりと断った。輝明は少し黙り込んだが、再び口を開いて言った。「いいか
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第0719話

綿は研究所に戻ると、すぐに柏花草の抽出作業に没頭した。柏花草の抽出は非常に時間がかかり、特に誰かが常に目を離さず監視する必要があった。綿は装置に表示されるデータを見つめ、次第に複雑な表情を浮かべた。柏花草は確実に重要なエッセンスを提供してくれるだろう。しかし、綿が密かに期待しているのは、それ以上の「予想外の成果」だった。もしそれがSH2Nの研究に役立つものなら、これ以上嬉しいことはない。彼女は軽くため息をつき、眉間を揉んだ。そのとき、スマホ電話が突然鳴り響いた。綿は顔を上げ、充電中のスマホを手に取る。通知を見ると、研究所のグループチャットからのメッセージが数百件溜まっていた。その中で自分がメンションされた部分だけが通知されていた。さらに、グループチャットだけでなく、自分がまたしてもツイッターのトレンドに入っていることに気づいた。話題は他でもない、今日の展示会で「バタフライを知っている」と発言した件だった。綿は無言でスマホを眺めた。――やっぱりバタフライの名前はすごいな。一言「知り合いだ」と言っただけでトレンド入りするんだから。トレンドの内容は非常に誇張されていた。【桜井綿がバタフライを知っていると言ったけど、本当? 知らなければ、バタフライなんて存在しないAIだと思ってた!】綿は苦笑を浮かべた。AI?人情味溢れるAIのデザイナーなんて、見たことある?彼女が呆れながらコメント欄を覗いていると、同じような疑問を投げかけるユーザーがいた。ユーザーA「そんなにデザインうまいAIなんてあるの?」すると、別のユーザーが即座に返信していた。ユーザーB「彼女がAIなら、裏で人が操ってるだけでしょ。それならデザインに人情味があるのも納得できる」この返信はたちまち注目を集め、多くの「いいね」を獲得していた。綿は「一理ある」と思いつつも、バタフライがAIでないことは明確だ。そこで、彼女は自分の公式アカウントでコメントを残した。綿「バタフライはAIではありません」このコメントは瞬く間に注目を集め、「桜井綿が自らバタフライを弁護!」という話題がさらに広がった。そのころ、雅彦から直接メッセージが飛んできた。雅彦【ほっとけばいいのに、何でわざわざ絡むの?】綿【問題ないわよ】雅彦【いやいや、
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第0720話

綿は小さく口をすぼめた。――陽菜のこの言い方、ほんとに嫌味たっぷりだわ。彼女はグループチャットをスクロールして最下部まで進めると、やはり多くのメッセージが「本当かどうか」を確かめる質問で埋め尽くされていた。――だって、話題の中心が目の前にいるんだから、気になるのも当然よね。綿は淡々と一言だけ送信した。綿【うん、知ってるよ】その瞬間、チャットは爆発したかのように盛り上がった。――綿が本当にバタフライと知り合いだったなんて!旭【ネットではバタフライがAIだって言ってたけど、それ本当?】綿【違うよ。女性で、若くて……】少し考え込んでから、彼女はさらに一言付け加えた。綿【とても綺麗な人】この最後の言葉には、綿自身の少しばかりの自己満足が込められていた。――だって、自分のことを褒めるのは罪じゃないわよね?できるなら、もっとたくさん褒めてあげたいくらい。満足した綿はスマホを閉じ、グループチャットの返信を打ち切った。だがその瞬間、ふとあることを思い出した。――ブラックアイ……そして輝明。彼女は深いため息をつき、窓の外を見つめた。外は薄暗い曇り空。どうやらまた雪が降りそうだ。――今年の雲城は本当に雪や雨が多いな……以前なら、こんな天気の日には窓の外を眺めてのんびり過ごすのが好きだった。だが今はそんな気分になれない。心に引っかかるものがあると、何をしていても気持ちが晴れないものだ。彼女はもう一度装置のデータに目を戻した。しばらくじっと見つめていると、側にいた助手が声をかけてきた。「院長、夜食を買ってきましょうか?」「うん、お願い」彼女は思わず答えたが、すぐに首を振った。「いや、やっぱりいらない」お腹が空いているわけではなかった。ただ頭が疲れすぎて、反射的に返事をしてしまったのだ。助手は綿の顔を見つめ、不思議そうに笑った。「院長、悩み事ですか?」綿は驚いた。自分の表情から何かを読み取られたのだろうか?そんなに顔に出てるの?思わず自分の頬を軽く叩いてみた。「やめてくださいよ、院長。今日、フルメイクしてるんですよ。崩れちゃいます」助手が笑いながら止めに入った。綿は手を引っ込め、小さく「あ」と声を漏らした。助手は堪えきれずに笑い出した。「院長、意外です。今日、可愛い一面を発
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