「萌果ちゃん!」背後から、藍の声がしたと思ったら。「っ!」私は、後ろから藍に抱きしめられてしまった。「ちょっと、やだ……離して!」「嫌だ。離さない」ぎゅうっと抱きしめられた身体を左右に振って、離れようとするけど……藍の力が強くてビクともしない。私は藍に見られないようにと、この隙に慌てて目元の涙を手で拭った。「ねえ、萌果ちゃん。さっきのは、誤解なんだよ」「誤解って。藍、レイラちゃんと仲良くご飯食べてたじゃない」「うん、それは否定しない。だけど、あれは……遼たちが今度出演する、学園ドラマの練習なんだよ」「……え?」藍の口から飛び出した言葉に、私はポカンと口を開けてしまう。「ドラマの練習?」「うん。ほら」藍が私に渡してくれたのは、ドラマの台本。「さっきの銀髪のヤツ。俺の友人で俳優をやってる遼と、クラスメイトでモデルのレイラが出演する、動画配信サービスの2時間ドラマ。その練習に、付き合わされてたんだよ。レイラが演じる役の恋人が、名前も性格も俺にそっくりだからって」藍に言われて、台本をパラパラとめくると。*****学校の屋上。紗帆と蘭暉の隣で、友人の和真と彼女がお弁当を食べさせ合っている。それを見た紗帆が、蘭暉の口元にご飯を持っていく。紗帆「ほら。蘭くんも、口開けなよぉ」蘭暉「俺は、いい」紗帆「えー?そんなこと言わないでよ。あたし、蘭くんのためにお弁当一生懸命作ってきたんだからぁ」そして、紗帆が蘭暉の腕をそっと組む。*****「ほんとだ」先ほど、屋上で藍たちが話していたことと全く同じセリフが、台本に書かれていた。しかも『藍くん』じゃなく、役名は『蘭暉(らんき)』で『蘭くん』なんだ。『和真』っていうのも、銀髪さんの役名だったなんて。「そうだったんだ。ああ、良かった……」私は、安堵のため息をつく。「萌果ちゃん、もしかして泣いてたの?」「え?」「ここ、涙の痕がついてる」藍が、私の目尻にそっと親指を当てる。「だって……藍が最近、私のことを避けてたから」「え?俺が、萌果ちゃんのことを?」私は、コクリと頷く。「ここ数日、家で藍との会話も減って。藍は制服のネクタイも自分で結ぶようになって、私に甘えてこなくなったから。もしかして、藍に嫌われたのかな?って思って」「……何言ってるの?」頭の上にコツンと、優しいゲン
藍は教室の扉の鍵を閉めると、私を後ろから隙間なく抱きしめてくる。「あのさ、言っておくけど。俺が最近、萌果のことを避けてたのは……風邪気味だったからだよ」「え?」「もし萌果に移っちゃったらダメだと思って、必要以上に近づかないようにしてただけ」「そうだったの?!」まさか、風邪気味だったなんて。避けられていた理由を知って、私はホッと胸を撫で下ろす。「それで俺はここ数日、萌果にくっつくのを我慢してたのに。まさか、レイラとのことを疑われるなんて……」藍がいきなり、私の耳元を攻めてきた。「ひゃっ、ちょっと……!」藍の唇が耳たぶに触れて、かぷっと軽く噛んだ。「俺はずっと萌果一筋だって、今まで伝えてきたつもりだったのに」さらに藍は、ふーっと耳元に息を吹きかけてくる。「まさか萌果ちゃんに分かってもらえてなかったなんて、悲しいよ」「ごっ、ごめん藍……許して?」「そんな潤んだ目で可愛く、許して?って言ってもダメだよ」私はくるっと藍のほうを向かされ、藍の人差し指が私の唇をなぞる。「ほんとに、ごめ……っ!」口を開いたら、藍の指が半分中に入ってしまって。私はそのまま、口を閉じられなくなってしまう。ら、藍……?藍に至近距離で見つめられ、ドキドキする。「ねえ。俺が、好きな女の子は?」「え?」「俺が子どもの頃からずっと、片想いしている子はだれ?」私の口から指を抜いて、藍が尋ねる。藍が片想いしてる子……自分で言うのは、ちょっと恥ずかしいけど……。「ねえ、萌果ちゃん。答えて?」「ええっと、わ、私?」「ちゃんと、名前で言って」「梶間萌果……です」「うん、そうだよ。俺が好きなのは、萌果ちゃん。この先もずっと、君だけだよ……分かった?」私は、コクコクと首を縦に何度も振る。「分かったから、藍……そろそろ離れて?」「ダーメ。まだ萌果ちゃんに、俺の愛を全部伝えきれていないから」伝えきれていないって……。「藍、風邪はもういいの?」「うん。それはもう、すっかり治ったよ。だから、数日我慢した分、萌果ちゃんにたくさん触れたいんだ……良い?」「うん。いい……よ」私が返事すると藍は微笑み、彼の唇が私のおでこからまぶた、鼻先、頬と、順番に移動していく。「好きだよ、萌果ちゃん。大好き」何度も繰り返されるキスと「好き」の言葉に、ドキドキしすぎて頭がパンク
数日後の昼休み。今日は柚子ちゃんがお弁当を忘れたというので、私は柚子ちゃんと一緒に学食へと向かって歩いていた。「ごめんね、萌果ちゃん。付き合わせちゃって」「ううん。気にしないで」私はいつも通り、橙子さんの手作り弁当。だけど、転校してきてから学食は一度も行ったことがなかったから。どんなところか楽しみ。学校の廊下を歩いていると、1階の窓から中庭で藍と女の子が向かい合って立っているのが見えた。藍、もしかして告白でもされてるのかな?ていうかあの子、最近朝ドラに出てた女優さんだ。そんな子にまで声をかけられるなんて、藍はすごいな。なんとなく気になって、私はつい足を止めてしまう。「あの……私、久住くんのことが好きです」「悪いけど、俺は君のこと好きじゃない」藍に冷たく言われ、目を潤ませる女の子。「どうしても、私じゃダメですか?」「うん。どうしてもダメ。そもそも俺、事務所から恋愛は禁止されてるから」藍は、無表情で言い放つ。「うわあ。久住くん、あんな可愛い子を振るなんて。相変わらずだね」「う、うん」藍、告白断ったんだ。良かった……って、何を安心してるの私!あの子は藍に振られたんだから、ちっとも良くないのに。良かったって思うとか、いくら何でも失礼すぎる。「なになに?めっちゃ真剣な顔で、人の告白現場なんか見ちゃってー」「ひっ」後ろから突然だれかに腰に手を添えられ、背筋に冷たいものが走った。私に、こんなことをする人は……。「梶間さんって、意外と悪趣味なんだね?」振り返ってみると、背後に立っていたのは予想通り陣内くん。「ち、違……」「あんな食い入るように見るなんて。もしかして、梶間さんって……久住藍のことが好きなの?」陣内くんに尋ねられ、私の心臓が跳ねる。「や、やだなあ。私はただ、かっこいいなと思って久住くんを見てただけで……別に好きとかじゃないから」慌てて否定する。「そうなの?この前、彼氏はいないって言ってたけど。それじゃあ梶間さん、今は特に好きな人とかもいないんだ?」「う、うん。いないよ」好きな人がいないっていうのは、本当。何も、嘘をついてることはないのに。どうして、こんな後ろめたさを感じるんだろう。「好きな人がいないのなら、良かった。もしも梶間さんに、あーんなイケメンモデルが好きだなんて言われたら、俺に勝ち目なんてないもん
「……っ、お願い。陣内くん、はなしてっ!」 私は藍がこちらに来る前に自分の肩に置かれた陣内くんの手を取ると、その手を力ずくでどうにかおろした。 「何だよ。そんな、あからさまに嫌そうな顔しなくてもいいじゃんか〜」 「ご、ごめん。いきなりで、びっくりしちゃって……」 「ちょっとちょっと!陣内もいい加減、萌果ちゃんをからかうのはよしなさいよ!」 見かねたのか、柚子ちゃんが私たちの間に割って入ってくれた。 「別に俺は、梶間さんのことをからかってるつもりは……」 「嫌がってたでしょう!?萌果ちゃん、陣内のことは放っておいて、早く行こう」 「う、うん」 私は柚子ちゃんに手を引かれ、その場から歩き出す。 はぁ。柚子ちゃんのお陰で助かった……。 ** 「それでは、先週の小テストを返すから。名前を呼ばれたら、取りに来るように」 昼休み後。5限目の数学の授業では、先週実施された小テストの答案が返却された。 「うわ、39点……」 数学が苦手な私は、お世辞にも良いとは言えない点数だった。 「40点以下の人は放課後、補習をするからなー」 「えっ、補習!?」 わずかにあと1点足りなかったことが、悔やまれる。 「萌果ちゃん、頑張って!」 私の声が聞こえたのか、隣の席の柚子ちゃんが声をかけてくれる。 うう。柚子ちゃんに、私の点数が40点以下だとバレてしまった。 頬に熱が集まるのを感じながら、私は柚子ちゃんに頷くのだった。 ** そして放課後。帰りのホームルームが終わると、私は数学の先生に言われていた補習を受けるため、指定された教室に向かった。 ──コンコン。 「失礼します」 ノックをして教室に入ると、そこにはなんと数学の先生の他に藍もいた。 「えっと。あの、先生……どうして藍……久住くんがここに?」 「決まってるだろう。久住も梶間と同じ、補習だよ」 いや、それはもちろん分かっているのですが。 普段、普通科の生徒と芸能科の生徒が、こうして授業や補習が一緒になることはほぼないって柚子ちゃんから聞いていたから……ちょっとびっくり。 「まあ、今回は補習になった者が学年で君たち二人だけだったから。特別に一緒というわけだ」 「特別に……ですか」 「ああ。梶間も早く座りなさい
「ねぇ、萌果(もか)ちゃん。俺も男だってこと、ちゃんと分かってる?」「え?」開いたカーテンから、オレンジ色の光が射し込む部屋。唇が触れ合いそうな至近距離で、妖艶な笑みを浮かべているひとりの男子。私の幼なじみで、今をときめく超人気モデルの久住 藍(くすみ らん)。私は今、幼なじみの藍の部屋のベッド上で彼に抱きしめられている。「もしかして、俺に襲って欲しくてここに来たの?」「ひゃっ……」背中に回されていた手がそっと腰へ下りていき、思わず声が漏れる。「ふふ、可愛い声だね。もっと聞かせてよ」今、目の前にいるのは……一体だれ?藍は私にとっては、ずっと弟みたいな存在で。昔は泣き虫で、いつも私のあとをついてきて。決して、こんなことを言ったりする子じゃなかったのに……!ことの始まりは、今から1ヶ月ほど前に遡る。*高校1年生の3月上旬。「実はな、この春から東京への転勤が決まったんだ」夕食後。自宅のリビングで家族3人でお茶していると、お父さんが突然そんなことを口にした。「えっ、転勤!?」予想外の言葉に私は、手に持っていたクッキーをうっかり落としそうになる。転勤ってことは、学校を転校するってことかあ。せっかく仲良くなれたキコちゃんたちとも、離れ離れになっちゃう。「……」「どうした?萌果。嬉しくないのか?東京に戻れるんだぞ?」私が黙りこんでしまったからか、向かいに座るお父さんが心配そうな顔でこちらを見つめてくる。私たち家族は、元々東京に住んでいたのだけど。今から5年前。お父さんの働く会社が、新たに福岡に支店をオープンさせることになったため、お父さんが東京の本社から異動になりこの地にやって来た。生まれてから11年間ずっと東京で暮らしていた私は、慣れない九州の土地に最初は戸惑ったけれど。キコちゃんやミチちゃんという仲の良い友達もできて、5年間それなりに楽しくやっていた。だから、離れるとなるとやっぱり寂しい。「ねぇ、萌果。東京に帰ったら、久しぶりに藍くんにも会えるじゃない」お母さんの言う『藍くん』とは、東京にいた頃に家の近所に住んでいた幼なじみの男の子。「まあ、そうだけど……」私には、幼なじみの藍との再会を素直に喜べない理由がある。
私、梶間(かじま)萌果と久住藍は幼なじみで、生まれたときからずっと一緒にいた。私は4月生まれで、藍は3月生まれ。同じ学年だけど、その差は1年近くある。だから、私は藍のことはずっと弟のような存在に思っていた。藍は男の子だけど、甘えん坊で。その上、怖がりの泣き虫で。『萌果ちゃん、待ってよぉ』小学校の低学年くらいまでは、いつも私のあとをついてきていた。藍は、目が大きくくりっとしていて。子どもながらに整った綺麗な顔立ちをしていて、天使のように可愛かった。でも、髪の毛が長くて見た目が女の子みたいだった藍は、幼稚園時代よく女子からいじめられていて。私が藍を守ってあげたりもしていた。藍が道で転んで怪我をしたら、絆創膏を貼ってあげて。お昼寝をするときは、添い寝もしてあげた。そんな藍に、私は弟以上の感情を抱くことはなかった。だから……。『あのね、実は僕……萌果ちゃんのことが、ずっと好きだったんだ』『……ごめん』小学5年生の3月。私が福岡に引っ越す前の日。私は藍に告白されたけど、断ってしまった。『えっ、どうして?萌果ちゃん、僕のこと嫌いなの?』藍の大きな瞳には、涙が溜まっている。『嫌いじゃないよ。藍のことは好きだけど……藍は家族っていうか、弟みたいに思ってたから。藍のことを、そんなふうに見たことがなかったの。だから、ごめんね』『弟……』藍はショックを受けたような顔でポツリと言うと、ボロボロと涙を流しながらその場から走っていってしまった。ああ、やってしまった。藍のことを泣かせてしまったという罪悪感が、私を襲う。だけど、曖昧な答えで相手を期待させるのも良くないし。何より私は、明日にはこの地を離れる身。だから、藍には悪いけどきっとこれで良かったのだと、11歳の私は自分に言い聞かせた。翌日。私は家族で福岡に引っ越し、それから藍とは会うことも連絡をとったりすることもなかった。そして、私が福岡に引っ越してから数年後。中学2年生のとき、私は人伝に藍が芸能界デビューしたことを知った。
「ねぇ。萌果も一緒に見ない?」藍がファッション誌のモデルになったと知ってから、お母さんは嬉しそうに藍が載っている雑誌を毎月必ず買う。藍が専属モデルを務めるのは、高校生から大学生あたりをターゲットにした、人気メンズファッション誌だ。これまで数々の人気俳優を輩出し、芸能界の登竜門とも言われるような有名ファッション誌の表紙を、藍はデビューからわずか数ヶ月で単独で飾るようになった。それくらい、藍の人気はうなぎ上りだった。「ほら!今月の藍くんも、かっこいいわよ〜」お母さんは、にんまりとした笑顔で雑誌の表紙を私に向ける。表紙には、クールに微笑む藍の顔が。それを見た私は、素直にかっこいいと思った。藍は顔の全てのパーツが整っていて、中学生とは思えないくらいに大人びている。昔は、女の子と間違われちゃうくらいに可愛かったのに。会わない数年の間に藍も成長して、見た目がすっかり“男の子”になったんだな。そう思うと、なぜかほんの少しの寂しさを覚えた。九州に引っ越してから、藍と会うことはなかったけれど。お母さんが藍の載ってる雑誌は、毎月欠かさず買っていたから。私もこっそりと、それをいつもチェックしていた。離れたところで、幼なじみがモデルとして頑張っていると思うと嬉しかったし、私も藍に負けないように勉強を頑張ろうって思えた。*それからさらに数年が経ち、現在。高校2年生の春。お父さんの転勤が決まり、家族みんなで再び東京に戻ってくることになった。ただ、今回の転勤は急に決まったことだったから。引っ越しの準備とか、仕事の引き継ぎとか……まだ、しばらくかかりそうってことで、私だけ学校の都合で一足先に戻ってくることになった。お父さんたちは、最低でも1ヶ月はこっちに来られないみたい。昔住んでいた一軒家がそのままあるから、私はそこでしばらくひとり暮らしかなと思っていたら。高校生の娘のひとり暮らしは心配だと両親が口を揃えて言うため、その間私は近所の幼なじみの家で居候させてもらうことになった。そう。幼なじみでモデルをしている、藍の家で──。
引っ越し当日のお昼すぎ。新幹線で東京まで来て、そこから電車に揺られて数十分。私は、地元の最寄り駅に到着した。「うわあ、懐かしい~!」大きなスーツケースを引きながら歩いていると、幼い頃に藍とよく一緒に遊んだ近所の公園の前を通りかかった。大きな桜の木も、ブランコも滑り台も。何もかも、全てあの頃のまま。あの赤いブランコに、藍とよく乗ったなあ。あの鉄棒で、藍と一緒に逆上がりの練習をしたこともあった。ほんと懐かしすぎる。足を止めしばらく昔を懐かしんだあと、私は再び歩き始めた。公園を過ぎると、あと数分で久住家に着くため、私の胸のドキドキは最高潮に。お母さんは福岡へ引っ越したあとも、藍のお母さんと連絡を取り合っていたみたいだけど。私が会うのは引っ越して以来、実に5年ぶりだから。いきなり一人で向かうなんて、いくら何でも緊張するよ……。しかも私は小学生の頃、勇気を出して告白してくれた藍を振ったんだから、一体どんな顔をして会えばいいんだろう。ばくんばくんと、大きくなる胸の鼓動を感じながら歩いていると、あっという間に目的地に到着した。ツートンカラーの外壁と、片流れ屋根が印象的な外観のごく一般的な二階建て一軒家。お庭には、色とりどりの花がたくさん咲いている。──ピンポーン。私が緊張しながらインターフォンを押すと、中から明るい声が聞こえてきた。「もしかして、萌果ちゃん!?会わないうちに、随分と大人になってぇ」ドアが開いた先にいたのは、綺麗な女の人……藍のお母さんの橙子(とうこ)さんだった。私が小学生だった頃から見た目がほとんど変わらず、今も若々しくてキレイ。「待ってたのよ。さあ、入ってちょうだい」橙子さんは私の荷物を持つと、私の手を引いて玄関へと招き入れる。最後に来た5年前と変わらず、家の中は甘いフローラルの良い香りがする。この香りを嗅ぐと、藍の家に来たんだって改めて実感する。靴を脱いで通されたのは、広いリビング。観葉植物や、オシャレなインテリアが並んでいる。「荷物の段ボールはもう着いてるから、安心してね。先に、お部屋に運んでおいたから」「はっ、はい。あの、今日からお世話になります」私は、橙子さんにペコッと頭を下げた。「やだ、萌果ちゃん。久しぶりに会ったからって、そんなに畏まらないで?今日からしばらくは、ここが我が家だと思ってくつろいでね」「
「……っ、お願い。陣内くん、はなしてっ!」 私は藍がこちらに来る前に自分の肩に置かれた陣内くんの手を取ると、その手を力ずくでどうにかおろした。 「何だよ。そんな、あからさまに嫌そうな顔しなくてもいいじゃんか〜」 「ご、ごめん。いきなりで、びっくりしちゃって……」 「ちょっとちょっと!陣内もいい加減、萌果ちゃんをからかうのはよしなさいよ!」 見かねたのか、柚子ちゃんが私たちの間に割って入ってくれた。 「別に俺は、梶間さんのことをからかってるつもりは……」 「嫌がってたでしょう!?萌果ちゃん、陣内のことは放っておいて、早く行こう」 「う、うん」 私は柚子ちゃんに手を引かれ、その場から歩き出す。 はぁ。柚子ちゃんのお陰で助かった……。 ** 「それでは、先週の小テストを返すから。名前を呼ばれたら、取りに来るように」 昼休み後。5限目の数学の授業では、先週実施された小テストの答案が返却された。 「うわ、39点……」 数学が苦手な私は、お世辞にも良いとは言えない点数だった。 「40点以下の人は放課後、補習をするからなー」 「えっ、補習!?」 わずかにあと1点足りなかったことが、悔やまれる。 「萌果ちゃん、頑張って!」 私の声が聞こえたのか、隣の席の柚子ちゃんが声をかけてくれる。 うう。柚子ちゃんに、私の点数が40点以下だとバレてしまった。 頬に熱が集まるのを感じながら、私は柚子ちゃんに頷くのだった。 ** そして放課後。帰りのホームルームが終わると、私は数学の先生に言われていた補習を受けるため、指定された教室に向かった。 ──コンコン。 「失礼します」 ノックをして教室に入ると、そこにはなんと数学の先生の他に藍もいた。 「えっと。あの、先生……どうして藍……久住くんがここに?」 「決まってるだろう。久住も梶間と同じ、補習だよ」 いや、それはもちろん分かっているのですが。 普段、普通科の生徒と芸能科の生徒が、こうして授業や補習が一緒になることはほぼないって柚子ちゃんから聞いていたから……ちょっとびっくり。 「まあ、今回は補習になった者が学年で君たち二人だけだったから。特別に一緒というわけだ」 「特別に……ですか」 「ああ。梶間も早く座りなさい
数日後の昼休み。今日は柚子ちゃんがお弁当を忘れたというので、私は柚子ちゃんと一緒に学食へと向かって歩いていた。「ごめんね、萌果ちゃん。付き合わせちゃって」「ううん。気にしないで」私はいつも通り、橙子さんの手作り弁当。だけど、転校してきてから学食は一度も行ったことがなかったから。どんなところか楽しみ。学校の廊下を歩いていると、1階の窓から中庭で藍と女の子が向かい合って立っているのが見えた。藍、もしかして告白でもされてるのかな?ていうかあの子、最近朝ドラに出てた女優さんだ。そんな子にまで声をかけられるなんて、藍はすごいな。なんとなく気になって、私はつい足を止めてしまう。「あの……私、久住くんのことが好きです」「悪いけど、俺は君のこと好きじゃない」藍に冷たく言われ、目を潤ませる女の子。「どうしても、私じゃダメですか?」「うん。どうしてもダメ。そもそも俺、事務所から恋愛は禁止されてるから」藍は、無表情で言い放つ。「うわあ。久住くん、あんな可愛い子を振るなんて。相変わらずだね」「う、うん」藍、告白断ったんだ。良かった……って、何を安心してるの私!あの子は藍に振られたんだから、ちっとも良くないのに。良かったって思うとか、いくら何でも失礼すぎる。「なになに?めっちゃ真剣な顔で、人の告白現場なんか見ちゃってー」「ひっ」後ろから突然だれかに腰に手を添えられ、背筋に冷たいものが走った。私に、こんなことをする人は……。「梶間さんって、意外と悪趣味なんだね?」振り返ってみると、背後に立っていたのは予想通り陣内くん。「ち、違……」「あんな食い入るように見るなんて。もしかして、梶間さんって……久住藍のことが好きなの?」陣内くんに尋ねられ、私の心臓が跳ねる。「や、やだなあ。私はただ、かっこいいなと思って久住くんを見てただけで……別に好きとかじゃないから」慌てて否定する。「そうなの?この前、彼氏はいないって言ってたけど。それじゃあ梶間さん、今は特に好きな人とかもいないんだ?」「う、うん。いないよ」好きな人がいないっていうのは、本当。何も、嘘をついてることはないのに。どうして、こんな後ろめたさを感じるんだろう。「好きな人がいないのなら、良かった。もしも梶間さんに、あーんなイケメンモデルが好きだなんて言われたら、俺に勝ち目なんてないもん
藍は教室の扉の鍵を閉めると、私を後ろから隙間なく抱きしめてくる。「あのさ、言っておくけど。俺が最近、萌果のことを避けてたのは……風邪気味だったからだよ」「え?」「もし萌果に移っちゃったらダメだと思って、必要以上に近づかないようにしてただけ」「そうだったの?!」まさか、風邪気味だったなんて。避けられていた理由を知って、私はホッと胸を撫で下ろす。「それで俺はここ数日、萌果にくっつくのを我慢してたのに。まさか、レイラとのことを疑われるなんて……」藍がいきなり、私の耳元を攻めてきた。「ひゃっ、ちょっと……!」藍の唇が耳たぶに触れて、かぷっと軽く噛んだ。「俺はずっと萌果一筋だって、今まで伝えてきたつもりだったのに」さらに藍は、ふーっと耳元に息を吹きかけてくる。「まさか萌果ちゃんに分かってもらえてなかったなんて、悲しいよ」「ごっ、ごめん藍……許して?」「そんな潤んだ目で可愛く、許して?って言ってもダメだよ」私はくるっと藍のほうを向かされ、藍の人差し指が私の唇をなぞる。「ほんとに、ごめ……っ!」口を開いたら、藍の指が半分中に入ってしまって。私はそのまま、口を閉じられなくなってしまう。ら、藍……?藍に至近距離で見つめられ、ドキドキする。「ねえ。俺が、好きな女の子は?」「え?」「俺が子どもの頃からずっと、片想いしている子はだれ?」私の口から指を抜いて、藍が尋ねる。藍が片想いしてる子……自分で言うのは、ちょっと恥ずかしいけど……。「ねえ、萌果ちゃん。答えて?」「ええっと、わ、私?」「ちゃんと、名前で言って」「梶間萌果……です」「うん、そうだよ。俺が好きなのは、萌果ちゃん。この先もずっと、君だけだよ……分かった?」私は、コクコクと首を縦に何度も振る。「分かったから、藍……そろそろ離れて?」「ダーメ。まだ萌果ちゃんに、俺の愛を全部伝えきれていないから」伝えきれていないって……。「藍、風邪はもういいの?」「うん。それはもう、すっかり治ったよ。だから、数日我慢した分、萌果ちゃんにたくさん触れたいんだ……良い?」「うん。いい……よ」私が返事すると藍は微笑み、彼の唇が私のおでこからまぶた、鼻先、頬と、順番に移動していく。「好きだよ、萌果ちゃん。大好き」何度も繰り返されるキスと「好き」の言葉に、ドキドキしすぎて頭がパンク
「萌果ちゃん!」背後から、藍の声がしたと思ったら。「っ!」私は、後ろから藍に抱きしめられてしまった。「ちょっと、やだ……離して!」「嫌だ。離さない」ぎゅうっと抱きしめられた身体を左右に振って、離れようとするけど……藍の力が強くてビクともしない。私は藍に見られないようにと、この隙に慌てて目元の涙を手で拭った。「ねえ、萌果ちゃん。さっきのは、誤解なんだよ」「誤解って。藍、レイラちゃんと仲良くご飯食べてたじゃない」「うん、それは否定しない。だけど、あれは……遼たちが今度出演する、学園ドラマの練習なんだよ」「……え?」藍の口から飛び出した言葉に、私はポカンと口を開けてしまう。「ドラマの練習?」「うん。ほら」藍が私に渡してくれたのは、ドラマの台本。「さっきの銀髪のヤツ。俺の友人で俳優をやってる遼と、クラスメイトでモデルのレイラが出演する、動画配信サービスの2時間ドラマ。その練習に、付き合わされてたんだよ。レイラが演じる役の恋人が、名前も性格も俺にそっくりだからって」藍に言われて、台本をパラパラとめくると。*****学校の屋上。紗帆と蘭暉の隣で、友人の和真と彼女がお弁当を食べさせ合っている。それを見た紗帆が、蘭暉の口元にご飯を持っていく。紗帆「ほら。蘭くんも、口開けなよぉ」蘭暉「俺は、いい」紗帆「えー?そんなこと言わないでよ。あたし、蘭くんのためにお弁当一生懸命作ってきたんだからぁ」そして、紗帆が蘭暉の腕をそっと組む。*****「ほんとだ」先ほど、屋上で藍たちが話していたことと全く同じセリフが、台本に書かれていた。しかも『藍くん』じゃなく、役名は『蘭暉(らんき)』で『蘭くん』なんだ。『和真』っていうのも、銀髪さんの役名だったなんて。「そうだったんだ。ああ、良かった……」私は、安堵のため息をつく。「萌果ちゃん、もしかして泣いてたの?」「え?」「ここ、涙の痕がついてる」藍が、私の目尻にそっと親指を当てる。「だって……藍が最近、私のことを避けてたから」「え?俺が、萌果ちゃんのことを?」私は、コクリと頷く。「ここ数日、家で藍との会話も減って。藍は制服のネクタイも自分で結ぶようになって、私に甘えてこなくなったから。もしかして、藍に嫌われたのかな?って思って」「……何言ってるの?」頭の上にコツンと、優しいゲン
慌てて教室を出たのは良いけど。どこで食べようかな。いつもは、柚子ちゃんと一緒だったから。廊下を歩いていると、芸能科の教室の前にさしかかった。藍、いるかな?ふと頭に浮かんだのは、藍の顔。ちらっとA組の教室のほうに目をやるも、扉の前は相変わらず、芸能科の人たちを見物に来た生徒でいっぱいだった。まあ、良いか。藍には、家に帰ったら会えるし……いや、確かに会えるのは会えるけど。私は、歩いていた足を止める。藍が自分で制服のネクタイを結んできたあの朝以来、私はここ数日、なぜか藍に避けられているんだった。家で『おはよう』や『おやすみ』の声かけは、お互い変わらずしてるけど……それだけだ。朝、藍は制服のネクタイを結んでと、私に言ってこなくなったし。私に抱きついたり、甘えてくることもなくなったから。どうして急にそうなったのか、理由は分からないけど。もしかして無意識のうちに、藍に嫌われるようなことをしてしまったのかな?ふと廊下の窓に目をやると、外は雲ひとつない青空が広がっている。今日は天気もいいから、お昼は外で食べようかな。外で食べたほうが、気分も上がるだろうし。そう思った私は、転校してきてから一度も行ったことのなかった屋上に行ってみることにした。階段をのぼり、屋上へと続く扉を開けると……目の前にいきなり飛び込んできたのは、一組のカップル。──え?「はい、和真(かずま)くん。あーん」「あーん」扉を開けてすぐ先にあるベンチには、ポニーテールの女の子と銀髪の男の子が座っていて、仲良くお弁当を食べさせあっている。さらに、『和真くん』と呼ばれた銀髪さんの隣のベンチには、よく見知った顔……藍の姿があった。「ねえ、藍く〜ん」しかも藍の隣には、金色に近い茶髪の女の子が、ピタッと隙間なくくっついている。あれ?藍の隣にいる女の子、どこかで見たことがあるような……そうだ。あの子、人気モデルのレイラちゃんだ。レイラちゃんは、手足が長くてお人形さんみたいに可愛いと、女子高生の間で大人気のファッションモデル。最近は、テレビのバラエティ番組で見かけることも増えた。「ほら。藍くんも、口開けなよぉ」「俺は、いい」「えー?そんなこと言わないでよ。あたし、藍くんのためにお弁当、一生懸命作ってきたんだからぁ」レイラちゃんが、自分の細い腕を藍の腕にそっと絡めた。「……っ」そ
その日の夜。「ただいまー」20時を過ぎた頃。先にひとりで夕飯を済ませ、私がリビングでテレビを観ていると、藍が帰ってきた。「おかえり、藍。お仕事、お疲れさま」「ありがとう」「燈子さんはまだ帰ってないんだけど、先にご飯食べる?燈子さんが、カレーを作り置きしてくれていたから。もし食べるなら、温めるよ?」「あー……俺、まだ少しやることがあるから。夕飯はあとでいいよ」それだけ言うと、藍は二階の自分の部屋へと行ってしまった。あれ?いつもの藍なら『それじゃあ、お願いしようかなー?』とか、『ご飯よりも先に、萌果ちゃんを抱きしめさせて』とか言いそうなのに。珍しいこともあるもんだな。**翌朝。「おはよう、藍」私は食卓にやって来た藍に、声をかける。「おはよう、萌果ちゃん」こちらを見てニコッと微笑んでくれた藍にホッとするも、ある違和感が。「あれ、藍。そのネクタイ、自分で結んだの?」「ああ、うん」藍はいつも、制服のネクタイを首にぶら下げたまま、2階から1階に降りてくることがほとんどだから。藍が自分でネクタイを結ぶなんて、かなり稀だ。というよりも、ここで居候させてもらうようになってからは、私が毎朝藍のネクタイを結んであげていたから。こんなことは、初めてかも。藍ってば、一体どういう風の吹き回し?今は4月の終わりだけど、もしかして雪でも降るの?「萌果ちゃん、ネクタイ曲がってないかな?」「大丈夫。ちゃんとできてるよ」「そっか。良かった」藍は微笑むと食卓につき、朝食のフレンチトーストを食べ始める。藍が自分で自分のことをやってくれるのは、“お姉ちゃん”としては嬉しいはずなのに。なぜか少し、胸の辺りがモヤモヤした。**数日後。学校のお昼休み。今日は友達の柚子ちゃんが、風邪で欠席だ。「はぁ。今日は柚子ちゃんが休みだから、お昼ご飯は一人かあ」私が、自分の席でため息をついたとき。「かーじーまーさんっ!」陣内くんが、ニコニコと元気よく声をかけてきた。「梶間さん、今日はもしかしてぼっち飯?もし一人が寂しいなら、俺と一緒にお昼食べる?」空いている隣の柚子ちゃんの席に座り、こちらに顔を寄せてくる陣内くん。そんな彼から私は、慌てて体を後ろに反らせた。「いや、いい。陣内くんと食べるなら、ひとりで静かに食べたい」「えーっ。梶間さんったら、つれないなあ
もしかして、前に藍がお弁当を私のと間違って持って行ったときみたいに、先に連絡をくれてた?と思って自分のスマホを見てみるも、特にメッセージは来ていなかった。「うちのクラスに来たってことは、梶間さんに用だよね?おーい、梶間さーん!」「ひっ!?」三上さんに大声で名前を呼ばれて、私の肩がビクッと跳ねた。三上さんの声はよく通るからか、クラスメイトの何人かが、何事かと教室の扉付近をチラチラと見ている。お願いだから、三上さん。そんなに大きな声を出さないで。あそこにいる“佐藤くん”が、モデルの久住藍だって、もし誰かにバレたら……。「ねえ、萌果ちゃん。三上さんが呼んでるよ?」「あっ、うん」呼ばれたら、行かないわけにもいかないよね。「ごめん、柚子ちゃん。私、ちょっと行ってくるね」話している途中だった柚子ちゃんに断りを入れると、私は急いで藍の元へと向かった。「ありがとう、三上さん……佐藤くん、ちょっとこっちに来て」私は呼んでくれた三上さんにお礼を言うと、藍の腕を掴んで人気のない廊下の隅までグイグイ引っ張っていく。「萌果ちゃん!?」「もう。藍ったら、予告もなくいきなり私のクラスに来ないでよ」私はキョロキョロと辺りに人がいないことを確認し、藍の耳元に口を近づける。「藍は芸能人なんだから。もっと自覚を持って?」「ごめん。だけど、この前のお弁当のときとは違って、今日はちゃんと変装してきたよ?」「それは、そうだけど……」叱られた子どもみたいに、しゅんとした様子の藍を見ていると、これ以上は何も言えなくなってしまう。「それで藍、私に何か用?」「ああ、うん。これを、萌果ちゃんに渡そうと思って来たんだよ」藍が私に差し出したのは、家の鍵だった。「母さん、今日は親戚の家に出かけるから帰りが遅くなるらしくて。俺もこのあと雑誌の撮影があって、すぐには帰れないから。萌果ちゃんに合鍵を渡してって、母さんに頼まれてさ」そうだったんだ。今朝は藍よりも、私が先に家を出たから。「わざわざ、届けてくれてありがとう」私は、藍から合鍵を受け取る。「萌果ちゃん。その鍵、くれぐれも落としたり、なくさないでよね?」「なっ、なくさないよ!もう子どもじゃないんだから」「ふーん。どうだろうねえ」マスクをしていて、口元は見えないけど。藍が今、ニヤニヤしているであろうことは容易に分かる
そしてやって来た、夕飯の時間。「はあ。こんなことってあるのかよ……」食卓についた藍が、ガクッと肩を落とす。「藍ったら、なんて顔をしてるのよ。もっとシャキッとしなさい、シャキッと!」燈子さんが藍に、喝を入れる。「だって……」藍が、ひとり項垂れる。今日の夕飯はなんと、ポトフだった。カレーでもなく、肉じゃがでもなかった。「ふふ。この勝負は引き分けだね、藍」「くっそー。せっかく萌果から、キスしてもらえると思ってたのに」藍は、いただきますもそこそこに、スプーンを手にポトフを口へと運ぶ。「母さん、なんでカレーにしてくれなかったんだよ。じゃがいもに人参、玉ねぎといったら普通カレーだろ?」「あら。藍ったら、そんなにカレーが食べたかったの?だったら、明日カレーにしてあげるわ」「明日じゃダメなんだよ」ブツブツ言いながら、食べ進める藍。藍には悪いけど、この結果に私はホッと一安心。だって、いくら相手が幼なじみでも、自分からキスするのはやっぱり照れくさいから。「今日は、せっかく萌果ちゃんが作るのを手伝ってくれたっていうのに。文句があるなら、ポトフ無理に食べなくてもいいのよ?藍」「えっ、萌果が?食べます、喜んで食べます。今日はいつも以上にご飯が美味しいと思ったら、萌果ちゃんが……」藍の食べるスピードが、一気に加速した。「美味いよ、萌果ちゃん」「私は、ほんの少し手伝っただけだけどね」「それでも、萌果ちゃん天才!」「藍ったら、単純なんだから。藍は昔から本当に、萌果ちゃんのことが好きなのね」藍を見て少し呆れつつも、燈子さんが優しく微笑む。「うん、好きだよ」藍は、迷いもなくハッキリと言い切った。「俺は、小さい頃から今もずっと、萌果のことが好きだから」「っ……」私の頬が、ぶわっと熱くなっていく。藍ったら、燈子さんのいる前でそんなことを言われたら、反応に困っちゃうよ。「だから、今度は萌果ちゃんから俺にキスしたいって思ってもらえるように、俺も頑張るよ」なぜか、改めて宣言されてしまった私。藍は私にとって、大切な幼なじみで。異性としても、嫌いではないけれど。私が藍に自分からキスしたいと思える日なんて、やって来るのかな?**数日後。学校の休み時間。私は、いつものように柚子ちゃんと楽しくおしゃべりしていた。「あれ?あなた、もしかして佐藤くん?
私はとっさに藍の前に立ち、藍の姿を安井さんから隠した。「梶間さん?」「や、やだな〜、安井さんったら。あのイケメンモデルの久住藍が、学校帰りにこんなところにいる訳ないじゃない!」うう。我ながら、苦しい言い訳だけど。「この子は、佐藤くん。私の幼なじみなんだ。彼とは家が近所だから、たまたまそこで会って……それで、一緒に買い物に来たの」「……どうも。佐藤です」今まで黙っていた藍が、ペコッと頭を下げた。「まあ、梶間さんに言われてみれば、確かにそっか。あの藍くんが、学校帰りにスーパーに買い物なんて来ないよね」安井さんが、納得したように頷く。「そうそう。あの無愛想で、いかにも家事なんてやりません!って感じの久住藍くんが……痛あっ」「ど、どうしたの?梶間さん!?」「〜っ」私は隣にいる藍に、右手を思いきりつねられてしまった。「すいません。俺たち、まだ買い物の途中なので。ほら萌果ちゃん、行くよ」藍はいつもよりもワントーン低い声で言うと、私の手を取って早足で歩き出した。「ちょっと、藍……!」私は、三上さんたちの姿が完全に見えなくなってから藍に声をかける。「いきなり手をつねるなんて、ひどいよ!」「それは、ほんとごめん」人気のないところで立ち止まると、藍がさっきつねった私の右手を、そっとさすってくる。「でも、俺も悪かったけど……萌果ちゃんだって悪いんだからね?」「え?」「俺のことを、佐藤くんって呼んだり。あの子たちの前で、俺の悪口なんて言うから」「あ、あれは、藍だってバレないようにするために仕方なく……」「それでも、萌果ちゃんに無愛想だとか悪いように言われたら、やっぱり悲しいよ」「ご、ごめん」藍のことを悪く言うつもりは、全くなかったんだけど。私も必死だったとはいえ、『あの無愛想で、いかにも家事なんてやりません!って感じの久住藍くん』って言ったのは、さすがにまずかったな。「ごめんね?藍」「謝っても、許してあげない」今日の藍、なんだか機嫌が悪いな。「どうしたら、許してくれるの?」私が尋ねると、藍の目が一瞬光ったような気がした。「んー、そうだな……萌果ちゃんが、俺にキスしてくれたら許す」「えっ!?」キスって!藍ったら、今度は何を言い出すの!?「萌果ちゃんがウチに引っ越してきた日に、俺が頬にグーパンチされたときも、結局キスしてく