体育の授業は2クラス合同で行われるらしいのだけど、なんと私のクラスは藍のいる芸能クラスと一緒だった。「久住くーん」「藍くん、今日もかっこいいね」藍は今日も、沢山のファンの女の子たちに囲まれている。ムスッとしていて、相変わらず彼の愛想は良くないけれど。授業は男女別で行われるものの、同じ体育館に藍がいる。それだけで、なんだかとても嬉しかった。チャイムが鳴り、体育の授業が始まる。今日は、バスケットボールをするらしい。みんなで準備体操をしたあと、男子と女子がそれぞれ別のコートに分かれて練習開始。まずはドリブルやシュートの練習に取り組み、残りの時間で試合をすることになった。芸能科のA組と、私たち普通科のB組が対戦する。男子側のコートでは現在、藍のいるチームが試合をしている。そして今休憩中の私は柚子ちゃんと一緒に、体育館の端っこに体育座りをして、藍たちの試合を見ていた。ていうか、芸能科のクラスの人たちは俳優やアイドル、歌舞伎役者など、キラキラした人ばかりで、眩しさに思わず目を閉じてしまいそうになるよ。「キャーッ。藍くん、頑張ってー!」藍のファンの子だろうか。私と同様に、休憩中の女の子たちはみんな、芸能クラスの男子たちの試合に見入っている。かくいう私の視線も、無意識に藍へと一直線。「久住!」コートではチームメイトからボールを受け取った藍が、相手チームのディフェンスをかわしながら、ドリブルでゴールへと向かって駆けていく。──シュッ。藍が放ったボールは、美しい弧を描いてゴールへと吸い込まれていった。「きゃあああ」体育館は、大歓声に包まれる。藍、すごくかっこいい。藍って、バスケも上手なんだな。そのまま藍を見ていると、藍が偶然私のほうを向いた。「えっ」不意に藍と目が合い、ドキリとする。藍、もしかして私に気づいた?私のことを、しばらくじっと見つめる藍。私もそのまま彼から目を離せずにいると、少しして藍の口がパクパクと動いた。『か・わ・い・い』……っ、ええ!?ふわっと優しく微笑んだ藍が、両手を握り拳にして自分の耳元へと持っていく。えっ、あのポーズ……もしかして藍、私のツインテールに気づいてくれたの?それで『かわいい』って、褒めてくれたの?私は、ツインテールをぎゅっと握りしめる。どうしよう、嬉しい……。「キャーッ!今、藍くんが笑っ
夜。私は今、藍と燈子さんと一緒に夕食をとっている。ちなみに今日の献立は、サーモンとほうれん草のクリームシチューに、サフランライスとサラダだ。「それにしても、さっそく萌果ちゃんが、髪をふたつに結んでくれるとは思わなかったなあ」向かいに座る藍が、クリームシチューを口にしながらニコニコと話す。「それ、俺のためにしてくれたって思ってもいいんだよね?」今もまだツインテールのままの私を、藍がじっと見つめてくる。「べ、別に、藍のためじゃなくて。気分転換に、してみただけだから」素直になれず、うつむく私。「そっか。それでも俺は、嬉しかったよ。萌果ちゃん、昔と変わらずほんと可愛い」「……っ」藍の真っ直ぐな言葉に、身体が変に熱くなってくる。「また、髪ふたつに結んでくれる?」「き、気が向いたらね……ごちそうさまでしたっ!」ちょうど夕食を食べ終えた私は立ち上がり、自分の食器をシンクへと運ぶ。「あっ、燈子さん。今日の食器洗いは、私にやらせて下さい」同じく夕食を食べ終え、シンクの前に立った燈子さんに私は声をかける。「えっ。そんな気を遣ってくれなくて良いのよ?萌果ちゃんは、ゆっくりしてて」「いえ。いつもお世話になってるので。たまには、私にも手伝わせて欲しいんです」「まあ、なんていい子なの。藍にも、少しは萌果ちゃんを見習って欲しいものだわ」燈子さんが、食卓の椅子に腰かけたままスマホをいじっている藍を軽く睨みつける。「それじゃあ、せっかくだし……お願いしようかしら」「はい。燈子さんは先にお風呂にでも入って、ゆっくりしててください」私は燈子さんに、ニコッと微笑む。よーし。やるぞー!燈子さんが部屋から出ていくのを見届けると、私は腕まくりをして、スポンジを手に食器を洗い始める。今日は転校してから初めての体育があって、身体をいつもよりもたくさん動かしたからか、少し疲れたなあ。疲労感を覚えながら、しばらく洗い物をしていると。「ふわぁ」無意識に、大きなあくびがこぼれた。──ガシャン。「あっ」ぼんやりしていたせいか、うっかりグラスを落としてしまう。その衝撃で、シンクには粉々になったグラスが散らばった。「うわ、大変……どうしよう」とりあえず片づけなくちゃと、手を伸ばしたとき。「痛っ」グラスの破片で指を切ってしまい、血がにじむ。「萌果ちゃん!?」
「それより、大丈夫!?手、見せて」藍が、私の手をそっと掴んだ。「血が出てるね。少し、しみるかもしれないけど……」 藍は私の手を掴んだまま、流水で傷口を洗ってくれる。「……っ」 「やっぱりしみる?」「ちょっとだけ……でも、大丈夫」「グラスで切っちゃったの?」「うん。洗い物の途中で、うっかり落としちゃって」傷口を洗い終えると、藍は患部に触れないよう、ハンカチで水を拭き取ってくれた。「今、絆創膏持ってくるから待ってて」「でも、割れたグラスが……」「それは俺が片づけるから。萌果ちゃんは、触っちゃダメだよ」言われたとおり大人しく待っていると、藍が絆創膏を手に戻ってきた。「はい、指出して」「えっ……絆創膏くらい自分で巻けるよ?」「いいから」 なんでもない、ちょっとした切り傷なのに……藍は、すごく心配してくれて。優しく丁寧に、私の指に絆創膏を巻いてくれる。藍の真剣な表情に、胸がキュンとなった。小さい頃は、転んで怪我をした藍に絆創膏を貼ってあげていたのは私だったのに。いつの間にかそれが、逆転する日が来るなんて。「藍、ありがとう」「いいって」藍が割れたグラスを拾い、袋に入れていく。そういえばまだ、洗い物の途中だったな。グラスを片づけてくれる藍の傍ら、私が洗い物の続きをしようとすると。「あとは俺がやるから。萌果は休んでて」すかさず藍に、制されてしまった。「水に濡れたりしたら、傷がしみるでしょ?」「っ……」役に立つどころか、むしろ迷惑をかけてしまった。「ごめんね?」「ううん。萌果が謝る必要なんてないよ。洗い物は、できる人がやれば良いんだから」気にするな、と言うように、藍の手が私の頭にぽんとのせられた。「とりあえず、萌果ちゃんが大事にならなくて、ほんとに良かった」「そんな……藍ったら、私が少し怪我をしたくらいで大袈裟だよ」「そんなことない。自分の好きな子がちょっとでも怪我したら、居ても立ってもいられないよ」「藍……ありがとう」藍が私のことを、大切に思ってくれてるんだってことが伝わってきて。私の口からは、自然と感謝の言葉がこぼれた。**1週間後の朝。「あれ?」私が身支度を終えてダイニングへ行くと、いつもいるはずの藍の姿がそこにはなかった。「あの、橙子さん。藍は?」「あの子なら、今日は日直だからって、さっき
「えっ?」「あの子、細身のわりによく食べるじゃない? もちろん、萌果ちゃんのお弁当を食べても良いんだけど……」橙子さんは少食の私と食べ盛りの藍で、それぞれお弁当のご飯とおかずの量を変えてくれている。ウチの高校は私立だから、学食ももちろんあるけど……。藍が学食に行くとファンの子たちに囲まれて、ジロジロ見られながら食事することになるから。それが嫌で、学食は行かないって言ってたっけ。「萌果ちゃん、お願いしてもいい?」藍とは学科は違っても、同じ学校だし。何より私は、ここに居候させてもらっている身なんだから。橙子さんのお願いを、断るなんてできない。それに、橙子さんがせっかく早起きしてお弁当を作ってくれたんだもん。「分かりました。藍のお弁当は、私が持っていきます」「ありがとう。それじゃあよろしくね」私は笑顔の橙子さんから、藍のお弁当を受け取る。今をときめく人気モデルで、ただ歩くだけで注目の的になる藍にお弁当を渡すなんて、かなり難しいだろうけど。タイミングを見て、どうにか互いのお弁当を交換しなくちゃ。「あっ、そうそう。萌果ちゃん、今日は学校が終わったら、なるべく早く家に帰ってきてね」「分かりました」橙子さん、早く帰ってきてってどうしたんだろう?疑問に思いながら、私はトーストを口に運んだ。**「……はぁ。どうしたものか」今は、3限目の授業後の休み時間。私はタイミングが掴めず、まだ藍にお弁当を渡せていない。「どうしたの?萌果ちゃん。ため息なんかついて」私の席にやって来た柚子ちゃんが、心配そうな表情で私の顔を覗き込んでくる。「何か悩み事?」「な、何でもないよ」私は柚子ちゃんに、ニッコリと微笑んでみせる。藍と一緒に住んでることは、絶対に秘密だから。いくら相手が柚子ちゃんでも、こればっかりは言えないよ……。「柚子ちゃん、私ちょっとお手洗いに行ってくるね」授業が終わって休み時間になるたびに、私は藍のお弁当を手に、芸能科のクラスまで足を運ぶのだけど。「久住くーん」ああ、まただ。芸能科の教室の前は、いつ来ても沢山の女の子でごった返している。「藍くん、こっち向いてぇ」「……」教室の扉近くのファンの子に声をかけられるも、日直で黒板を消している藍はガン無視。学校で、藍と同居していることは秘密だし。こんなにも多くのファンの子たちがいる前で
キーンコーン……。お弁当を渡せないまま、ついに4限目が終わってしまった。ああ……同じ学校にいるのに、相手が芸能人っていうだけでこんなに苦労するなんて。「萌果ちゃん、お昼食べよ〜」いつものように隣の席の柚子ちゃんが、私の机に自分の机をくっつけてくる。やっぱり、もう一度藍のクラスまで行ってみようかな。「柚子ちゃん、私……」私が、席から立ち上がったとき。「キャーーッ!!」教室の扉のほうから突然、女の子の黄色い歓声が聞こえた。反射的に声がしたほうに目をやると、いつの間にか教室の扉の前には人だかりができていて。その人だかりのなかから、顔を覗かせたのは……。「うそ。あれって、久住くん?!」なんと、私のお弁当を掲げた藍だった。「どうして久住くんが、わたしたちのクラスに?」驚く柚子ちゃんの隣で、私もポカンと開いた口が塞がらない。もしかして藍、私が送ったメッセージを見て……!?急いで自分のスマホを確認すると。【ごめんね。昼休みに、萌果ちゃんのクラスまで行くよ!】いつの間にか、藍からメッセージが届いていた。藍ったら、来てくれるのは良いけど、自分が芸能人だってことを少しは自覚してよ!芸能科の藍が普通科の教室に来るのが珍しいのか、教室の前には人が集まって、ちょっとした騒ぎになっている。「ごめん、柚子ちゃん。お昼、先に食べてて!」私は柚子ちゃんに声をかけると、藍のお弁当を持って教室を飛び出した。私は教室の近くにいる藍の前を素通りし、走り続ける。さすがにあの場で、藍に人目も気にせず渡すなんてできないから。しばらく走り続けて到着したのは、人気の全くない非常階段。そこは薄暗くて、しんと静まり返っている。「ちょっと萌果ちゃん!いきなり走り出すなんて……!」しばらくして、藍が私のあとを追いかけてきた。「しーっ!」私は辺りに誰もいないのを確認して、藍に近づく。「はい、これ。藍のお弁当」「間違えちゃってごめん。今日は日直で、いつもよりも早起きだったから。まだ頭が起きてなかったみたい」私たちは、それぞれのお弁当を交換する。「それにしても藍、わざわざ教室の前まで来てくれなくて良かったのに。騒ぎになってたよ?」「ごめんね。俺、今日は早く家を出て、まだ一度も萌果ちゃんと顔を合わせてなかったから。少しでも、萌果ちゃんの顔が見たくて」私の胸が、
「梶間さん、転校してきて1週間になるけど、学校には慣れた?」「うん。少しずつだけど」まだ一度も話せていないクラスメイトもいるけど、柚子ちゃんが一緒にいてくれるおかげでほんと助かってる。「あのさ、俺らこれから何人かでカラオケに行くんだけど。良かったら、梶間さんも一緒に行かない?」「カラオケ……」そういえば、今朝家を出るとき橙子さんに、『なるべく早く帰ってきて』って言われたな。「えっと、私はちょっと……」「あたし、梶間さんと話してみたいって思ってたんだよね」断ろうとした私に、今度は三上(みかみ)さんが声をかけてきた。三上さんは美人で優しくて、いつもクラスの中心にいる女の子。まさかそんな子に、話してみたいと思われていたなんて……!「まだ話してないヤツもいるんだろ?円山さんも誘って、梶間さんのために1週間遅れの親睦会やろうよ」「っ」『梶間さんのため』なんて言われたら、断るのは悪いかな?クラスメイトにこうして声をかけてもらえると、正直やっぱり嬉しい。それに、この機会に私も三上さんたちと話してみたいし……少しくらいなら、参加しても良いかな?「それじゃあ、ちょっとだけ……」「よし。じゃあ、さっそく行こうぜ」こうして私は急遽、畑野くんたちとカラオケに行くことになった。︎︎︎︎︎︎**柚子ちゃんを含めたクラスの男女何人かで、駅前のカラオケにやって来た。「それじゃあ、俺から歌いまーす!」教室で私に最初に声をかけてくれた畑野くんが、一番に曲を入れて歌い始める。彼が歌うのは、カラオケの定番のアップテンポな曲。カラオケって久しぶりに来たけど、人が歌うのをただ聴いているだけでも楽しいよね。「よっしゃ!やったぞー!」歌が上手い畑野くんは見事、96点を叩き出したらしく、ガッツポーズしている。わあ。畑野くん、すごい……!「次は、わたしの番ね!」隣に座る柚子ちゃんが、マイクを手にする。柚子ちゃんが歌うのは、彼女が小学生の頃から好きな女性アーティストの曲。柚子ちゃん、今もまだあのアーティスト好きだったんだ。私が柚子ちゃんの歌声を聴きながら、オレンジジュースを啜っていると。「梶間さん、楽しんでる?」空いていた私の隣に、ひとりの男子が座った。無造作にセットされた、金色の髪。ヘーゼル色の目をした、二重のハーフ顔。ネクタイはゆるく結ばれており、ブレ
「もう。さっき、まだ話してる途中だったのに。なんで出て行ったのさ〜」陣内くんがこちらに近づいたので、反射的に彼から距離を取る。「そんな警戒しなくても、何も取って食ったりしないよーっ」だったら、私にいちいち近づかないで欲しい……!陣内くんの手がこちらに伸びてきたため、また何かされるのかと思っていたら。「はい、これ」陣内くんが私に差し出した大きな手のひらには、星の髪飾りが。「それ……」自分の頭の右側に手をやると、今朝つけてきたはずの髪飾りがなかった。「これ、梶間さんのでしょ?さっき部屋を出て行くときに、落ちたのが見えたから」もしかして陣内くん、髪飾りを拾って届けるために、私を追いかけてきてくれたの?「あ、ありがとう」「俺、母親がアメリカ人で、小学生まではアメリカに住んでたんだけど。そのせいか、ボディタッチが激しいとか、距離が近いってよく言われるんだよね」そうだったんだ。「だから、もし梶間さんに嫌な思いをさせちゃってたら、ごめんね?」「ううん」「でも、梶間さんのことを可愛いって思ってるのは本当だよ」陣内くんが、パチンと片目を閉じる。私のことを可愛いだなんて。陣内くんって、目が悪いんじゃ?!「そうだ。さっきの非礼のお詫びに、その髪飾りは俺がつけてあげるよ」「え?いや、私、自分でつけられるから」「いいのいいの。遠慮しないで」私が持っていた星の髪飾りを、陣内くんに取られてしまった。「さあさあ、梶間さん前向いて!」陣内くんに両肩を掴まれ、私は半ば強引にくるっと前を向かされた。そして、私の髪に陣内くんの手が触れ、すうっと指で髪の毛を梳かれる。「梶間さんの髪ってきれいだね~。めっちゃサラサラじゃん」ちょっ、触られるなんて嫌だ。ただ、髪飾りをつけるだけなのに。わざわざ髪の毛を、手櫛でとく必要ある!?陣内くん。さっきは落とし物を届けてくれて、少しは良いところもあるのかもって思ったのに。やっぱりこの人のことは、苦手かもしれない。私がこの場から逃げ出したいと思い、目をきつく閉じたそのとき……突然、腕をガシッと誰かに掴まれた。「はぁ……萌果ちゃん、探したよ。ここにいたんだ」私の左腕を掴み、私たちの間に入ってきたのは……藍だった。えっ、どうして藍がここに!?高校の制服姿の藍は、前髪が少し乱れていて。変装のつもりなのかメガネをかけ、
「ちょっと、藍……!」あれから私は、藍に腕を引かれたままカラオケ店を出て、家に帰ってきた。そのまま2階の藍の部屋まで連れて行かれ、私は二人掛けの黒のソファに座らされる。そこでようやく私は、藍に掴まれていた腕を解放された。「ねえ、さっきの何!?どうして藍があそこにいたの!?」「たまたま学校で萌果ちゃんの教室の前を通ったとき、カラオケに誘われてるのが聞こえて。なんとなく気になって、来てみたんだよ。そしたら、萌果がアイツに迫られてて。思わず声をかけたんだ」藍が、私の隣に腰をおろす。「だとしても、陣内くんの前であんなことをして……もし相手が藍だってバレたら、まずいんじゃない!?」「でも……萌果があいつに触られて、嫌な顔してるのに。ただ黙って見てるなんて、そんなの俺にはできないよ」伸びてきた指がすっと私の髪に触れ、ドキリとする。「萌果。俺に触れられるの……イヤ?」「い、嫌じゃない……」私は、首をフルフルと横に振る。「そっか。それなら良かった」藍は安心したように微笑むと、彼の長い指が私の髪を梳いていく。藍に髪を何度か梳かれた後、今度は髪の毛をひと束掬われ、藍の唇がそこに落ちた。「ら、藍?!」「アイツに触られたところ、消毒しないと」──チュッ。リップ音を立てながら、藍に繰り返し髪に口づけられる。陣内くんに触れられたときは、あんなに嫌だったのに。相手が藍だと、なぜか不思議と嫌じゃない。それは藍が幼なじみで、私にとっては弟みたいな存在だから?それとも……。「ねぇ、萌果ちゃん。そもそも今日は、学校が終わったら早く帰ってきてって、母さんに言われてたよね?それなのに、カラオケで男と遊んでたんだ?」「ち、違うの。あれは、私の親睦会をしようってクラスの子たちに誘われて、断れなくて……っ」髪に触れていた手がすぅっと背中を撫で、腕を滑り、唇に触れる。「そもそも、萌果が今日カラオケに行かなきゃ、陣内ってヤツに、ああいうことをされることもなかったんじゃないの?」「きゃ!」私はソファの座面に、ぽすんと押し倒されてしまう。「人に言われたことを守れない悪い子には、お仕置きしなくちゃね」お、お仕置きって……!藍の言葉に、ゴクリと唾を飲みこむ。お仕置きって、私一体なにをされるの!?
「……っ、お願い。陣内くん、はなしてっ!」 私は藍がこちらに来る前に自分の肩に置かれた陣内くんの手を取ると、その手を力ずくでどうにかおろした。 「何だよ。そんな、あからさまに嫌そうな顔しなくてもいいじゃんか〜」 「ご、ごめん。いきなりで、びっくりしちゃって……」 「ちょっとちょっと!陣内もいい加減、萌果ちゃんをからかうのはよしなさいよ!」 見かねたのか、柚子ちゃんが私たちの間に割って入ってくれた。 「別に俺は、梶間さんのことをからかってるつもりは……」 「嫌がってたでしょう!?萌果ちゃん、陣内のことは放っておいて、早く行こう」 「う、うん」 私は柚子ちゃんに手を引かれ、その場から歩き出す。 はぁ。柚子ちゃんのお陰で助かった……。 ** 「それでは、先週の小テストを返すから。名前を呼ばれたら、取りに来るように」 昼休み後。5限目の数学の授業では、先週実施された小テストの答案が返却された。 「うわ、39点……」 数学が苦手な私は、お世辞にも良いとは言えない点数だった。 「40点以下の人は放課後、補習をするからなー」 「えっ、補習!?」 わずかにあと1点足りなかったことが、悔やまれる。 「萌果ちゃん、頑張って!」 私の声が聞こえたのか、隣の席の柚子ちゃんが声をかけてくれる。 うう。柚子ちゃんに、私の点数が40点以下だとバレてしまった。 頬に熱が集まるのを感じながら、私は柚子ちゃんに頷くのだった。 ** そして放課後。帰りのホームルームが終わると、私は数学の先生に言われていた補習を受けるため、指定された教室に向かった。 ──コンコン。 「失礼します」 ノックをして教室に入ると、そこにはなんと数学の先生の他に藍もいた。 「えっと。あの、先生……どうして藍……久住くんがここに?」 「決まってるだろう。久住も梶間と同じ、補習だよ」 いや、それはもちろん分かっているのですが。 普段、普通科の生徒と芸能科の生徒が、こうして授業や補習が一緒になることはほぼないって柚子ちゃんから聞いていたから……ちょっとびっくり。 「まあ、今回は補習になった者が学年で君たち二人だけだったから。特別に一緒というわけだ」 「特別に……ですか」 「ああ。梶間も早く座りなさい
数日後の昼休み。今日は柚子ちゃんがお弁当を忘れたというので、私は柚子ちゃんと一緒に学食へと向かって歩いていた。「ごめんね、萌果ちゃん。付き合わせちゃって」「ううん。気にしないで」私はいつも通り、橙子さんの手作り弁当。だけど、転校してきてから学食は一度も行ったことがなかったから。どんなところか楽しみ。学校の廊下を歩いていると、1階の窓から中庭で藍と女の子が向かい合って立っているのが見えた。藍、もしかして告白でもされてるのかな?ていうかあの子、最近朝ドラに出てた女優さんだ。そんな子にまで声をかけられるなんて、藍はすごいな。なんとなく気になって、私はつい足を止めてしまう。「あの……私、久住くんのことが好きです」「悪いけど、俺は君のこと好きじゃない」藍に冷たく言われ、目を潤ませる女の子。「どうしても、私じゃダメですか?」「うん。どうしてもダメ。そもそも俺、事務所から恋愛は禁止されてるから」藍は、無表情で言い放つ。「うわあ。久住くん、あんな可愛い子を振るなんて。相変わらずだね」「う、うん」藍、告白断ったんだ。良かった……って、何を安心してるの私!あの子は藍に振られたんだから、ちっとも良くないのに。良かったって思うとか、いくら何でも失礼すぎる。「なになに?めっちゃ真剣な顔で、人の告白現場なんか見ちゃってー」「ひっ」後ろから突然だれかに腰に手を添えられ、背筋に冷たいものが走った。私に、こんなことをする人は……。「梶間さんって、意外と悪趣味なんだね?」振り返ってみると、背後に立っていたのは予想通り陣内くん。「ち、違……」「あんな食い入るように見るなんて。もしかして、梶間さんって……久住藍のことが好きなの?」陣内くんに尋ねられ、私の心臓が跳ねる。「や、やだなあ。私はただ、かっこいいなと思って久住くんを見てただけで……別に好きとかじゃないから」慌てて否定する。「そうなの?この前、彼氏はいないって言ってたけど。それじゃあ梶間さん、今は特に好きな人とかもいないんだ?」「う、うん。いないよ」好きな人がいないっていうのは、本当。何も、嘘をついてることはないのに。どうして、こんな後ろめたさを感じるんだろう。「好きな人がいないのなら、良かった。もしも梶間さんに、あーんなイケメンモデルが好きだなんて言われたら、俺に勝ち目なんてないもん
藍は教室の扉の鍵を閉めると、私を後ろから隙間なく抱きしめてくる。「あのさ、言っておくけど。俺が最近、萌果のことを避けてたのは……風邪気味だったからだよ」「え?」「もし萌果に移っちゃったらダメだと思って、必要以上に近づかないようにしてただけ」「そうだったの?!」まさか、風邪気味だったなんて。避けられていた理由を知って、私はホッと胸を撫で下ろす。「それで俺はここ数日、萌果にくっつくのを我慢してたのに。まさか、レイラとのことを疑われるなんて……」藍がいきなり、私の耳元を攻めてきた。「ひゃっ、ちょっと……!」藍の唇が耳たぶに触れて、かぷっと軽く噛んだ。「俺はずっと萌果一筋だって、今まで伝えてきたつもりだったのに」さらに藍は、ふーっと耳元に息を吹きかけてくる。「まさか萌果ちゃんに分かってもらえてなかったなんて、悲しいよ」「ごっ、ごめん藍……許して?」「そんな潤んだ目で可愛く、許して?って言ってもダメだよ」私はくるっと藍のほうを向かされ、藍の人差し指が私の唇をなぞる。「ほんとに、ごめ……っ!」口を開いたら、藍の指が半分中に入ってしまって。私はそのまま、口を閉じられなくなってしまう。ら、藍……?藍に至近距離で見つめられ、ドキドキする。「ねえ。俺が、好きな女の子は?」「え?」「俺が子どもの頃からずっと、片想いしている子はだれ?」私の口から指を抜いて、藍が尋ねる。藍が片想いしてる子……自分で言うのは、ちょっと恥ずかしいけど……。「ねえ、萌果ちゃん。答えて?」「ええっと、わ、私?」「ちゃんと、名前で言って」「梶間萌果……です」「うん、そうだよ。俺が好きなのは、萌果ちゃん。この先もずっと、君だけだよ……分かった?」私は、コクコクと首を縦に何度も振る。「分かったから、藍……そろそろ離れて?」「ダーメ。まだ萌果ちゃんに、俺の愛を全部伝えきれていないから」伝えきれていないって……。「藍、風邪はもういいの?」「うん。それはもう、すっかり治ったよ。だから、数日我慢した分、萌果ちゃんにたくさん触れたいんだ……良い?」「うん。いい……よ」私が返事すると藍は微笑み、彼の唇が私のおでこからまぶた、鼻先、頬と、順番に移動していく。「好きだよ、萌果ちゃん。大好き」何度も繰り返されるキスと「好き」の言葉に、ドキドキしすぎて頭がパンク
「萌果ちゃん!」背後から、藍の声がしたと思ったら。「っ!」私は、後ろから藍に抱きしめられてしまった。「ちょっと、やだ……離して!」「嫌だ。離さない」ぎゅうっと抱きしめられた身体を左右に振って、離れようとするけど……藍の力が強くてビクともしない。私は藍に見られないようにと、この隙に慌てて目元の涙を手で拭った。「ねえ、萌果ちゃん。さっきのは、誤解なんだよ」「誤解って。藍、レイラちゃんと仲良くご飯食べてたじゃない」「うん、それは否定しない。だけど、あれは……遼たちが今度出演する、学園ドラマの練習なんだよ」「……え?」藍の口から飛び出した言葉に、私はポカンと口を開けてしまう。「ドラマの練習?」「うん。ほら」藍が私に渡してくれたのは、ドラマの台本。「さっきの銀髪のヤツ。俺の友人で俳優をやってる遼と、クラスメイトでモデルのレイラが出演する、動画配信サービスの2時間ドラマ。その練習に、付き合わされてたんだよ。レイラが演じる役の恋人が、名前も性格も俺にそっくりだからって」藍に言われて、台本をパラパラとめくると。*****学校の屋上。紗帆と蘭暉の隣で、友人の和真と彼女がお弁当を食べさせ合っている。それを見た紗帆が、蘭暉の口元にご飯を持っていく。紗帆「ほら。蘭くんも、口開けなよぉ」蘭暉「俺は、いい」紗帆「えー?そんなこと言わないでよ。あたし、蘭くんのためにお弁当一生懸命作ってきたんだからぁ」そして、紗帆が蘭暉の腕をそっと組む。*****「ほんとだ」先ほど、屋上で藍たちが話していたことと全く同じセリフが、台本に書かれていた。しかも『藍くん』じゃなく、役名は『蘭暉(らんき)』で『蘭くん』なんだ。『和真』っていうのも、銀髪さんの役名だったなんて。「そうだったんだ。ああ、良かった……」私は、安堵のため息をつく。「萌果ちゃん、もしかして泣いてたの?」「え?」「ここ、涙の痕がついてる」藍が、私の目尻にそっと親指を当てる。「だって……藍が最近、私のことを避けてたから」「え?俺が、萌果ちゃんのことを?」私は、コクリと頷く。「ここ数日、家で藍との会話も減って。藍は制服のネクタイも自分で結ぶようになって、私に甘えてこなくなったから。もしかして、藍に嫌われたのかな?って思って」「……何言ってるの?」頭の上にコツンと、優しいゲン
慌てて教室を出たのは良いけど。どこで食べようかな。いつもは、柚子ちゃんと一緒だったから。廊下を歩いていると、芸能科の教室の前にさしかかった。藍、いるかな?ふと頭に浮かんだのは、藍の顔。ちらっとA組の教室のほうに目をやるも、扉の前は相変わらず、芸能科の人たちを見物に来た生徒でいっぱいだった。まあ、良いか。藍には、家に帰ったら会えるし……いや、確かに会えるのは会えるけど。私は、歩いていた足を止める。藍が自分で制服のネクタイを結んできたあの朝以来、私はここ数日、なぜか藍に避けられているんだった。家で『おはよう』や『おやすみ』の声かけは、お互い変わらずしてるけど……それだけだ。朝、藍は制服のネクタイを結んでと、私に言ってこなくなったし。私に抱きついたり、甘えてくることもなくなったから。どうして急にそうなったのか、理由は分からないけど。もしかして無意識のうちに、藍に嫌われるようなことをしてしまったのかな?ふと廊下の窓に目をやると、外は雲ひとつない青空が広がっている。今日は天気もいいから、お昼は外で食べようかな。外で食べたほうが、気分も上がるだろうし。そう思った私は、転校してきてから一度も行ったことのなかった屋上に行ってみることにした。階段をのぼり、屋上へと続く扉を開けると……目の前にいきなり飛び込んできたのは、一組のカップル。──え?「はい、和真(かずま)くん。あーん」「あーん」扉を開けてすぐ先にあるベンチには、ポニーテールの女の子と銀髪の男の子が座っていて、仲良くお弁当を食べさせあっている。さらに、『和真くん』と呼ばれた銀髪さんの隣のベンチには、よく見知った顔……藍の姿があった。「ねえ、藍く〜ん」しかも藍の隣には、金色に近い茶髪の女の子が、ピタッと隙間なくくっついている。あれ?藍の隣にいる女の子、どこかで見たことがあるような……そうだ。あの子、人気モデルのレイラちゃんだ。レイラちゃんは、手足が長くてお人形さんみたいに可愛いと、女子高生の間で大人気のファッションモデル。最近は、テレビのバラエティ番組で見かけることも増えた。「ほら。藍くんも、口開けなよぉ」「俺は、いい」「えー?そんなこと言わないでよ。あたし、藍くんのためにお弁当、一生懸命作ってきたんだからぁ」レイラちゃんが、自分の細い腕を藍の腕にそっと絡めた。「……っ」そ
その日の夜。「ただいまー」20時を過ぎた頃。先にひとりで夕飯を済ませ、私がリビングでテレビを観ていると、藍が帰ってきた。「おかえり、藍。お仕事、お疲れさま」「ありがとう」「燈子さんはまだ帰ってないんだけど、先にご飯食べる?燈子さんが、カレーを作り置きしてくれていたから。もし食べるなら、温めるよ?」「あー……俺、まだ少しやることがあるから。夕飯はあとでいいよ」それだけ言うと、藍は二階の自分の部屋へと行ってしまった。あれ?いつもの藍なら『それじゃあ、お願いしようかなー?』とか、『ご飯よりも先に、萌果ちゃんを抱きしめさせて』とか言いそうなのに。珍しいこともあるもんだな。**翌朝。「おはよう、藍」私は食卓にやって来た藍に、声をかける。「おはよう、萌果ちゃん」こちらを見てニコッと微笑んでくれた藍にホッとするも、ある違和感が。「あれ、藍。そのネクタイ、自分で結んだの?」「ああ、うん」藍はいつも、制服のネクタイを首にぶら下げたまま、2階から1階に降りてくることがほとんどだから。藍が自分でネクタイを結ぶなんて、かなり稀だ。というよりも、ここで居候させてもらうようになってからは、私が毎朝藍のネクタイを結んであげていたから。こんなことは、初めてかも。藍ってば、一体どういう風の吹き回し?今は4月の終わりだけど、もしかして雪でも降るの?「萌果ちゃん、ネクタイ曲がってないかな?」「大丈夫。ちゃんとできてるよ」「そっか。良かった」藍は微笑むと食卓につき、朝食のフレンチトーストを食べ始める。藍が自分で自分のことをやってくれるのは、“お姉ちゃん”としては嬉しいはずなのに。なぜか少し、胸の辺りがモヤモヤした。**数日後。学校のお昼休み。今日は友達の柚子ちゃんが、風邪で欠席だ。「はぁ。今日は柚子ちゃんが休みだから、お昼ご飯は一人かあ」私が、自分の席でため息をついたとき。「かーじーまーさんっ!」陣内くんが、ニコニコと元気よく声をかけてきた。「梶間さん、今日はもしかしてぼっち飯?もし一人が寂しいなら、俺と一緒にお昼食べる?」空いている隣の柚子ちゃんの席に座り、こちらに顔を寄せてくる陣内くん。そんな彼から私は、慌てて体を後ろに反らせた。「いや、いい。陣内くんと食べるなら、ひとりで静かに食べたい」「えーっ。梶間さんったら、つれないなあ
もしかして、前に藍がお弁当を私のと間違って持って行ったときみたいに、先に連絡をくれてた?と思って自分のスマホを見てみるも、特にメッセージは来ていなかった。「うちのクラスに来たってことは、梶間さんに用だよね?おーい、梶間さーん!」「ひっ!?」三上さんに大声で名前を呼ばれて、私の肩がビクッと跳ねた。三上さんの声はよく通るからか、クラスメイトの何人かが、何事かと教室の扉付近をチラチラと見ている。お願いだから、三上さん。そんなに大きな声を出さないで。あそこにいる“佐藤くん”が、モデルの久住藍だって、もし誰かにバレたら……。「ねえ、萌果ちゃん。三上さんが呼んでるよ?」「あっ、うん」呼ばれたら、行かないわけにもいかないよね。「ごめん、柚子ちゃん。私、ちょっと行ってくるね」話している途中だった柚子ちゃんに断りを入れると、私は急いで藍の元へと向かった。「ありがとう、三上さん……佐藤くん、ちょっとこっちに来て」私は呼んでくれた三上さんにお礼を言うと、藍の腕を掴んで人気のない廊下の隅までグイグイ引っ張っていく。「萌果ちゃん!?」「もう。藍ったら、予告もなくいきなり私のクラスに来ないでよ」私はキョロキョロと辺りに人がいないことを確認し、藍の耳元に口を近づける。「藍は芸能人なんだから。もっと自覚を持って?」「ごめん。だけど、この前のお弁当のときとは違って、今日はちゃんと変装してきたよ?」「それは、そうだけど……」叱られた子どもみたいに、しゅんとした様子の藍を見ていると、これ以上は何も言えなくなってしまう。「それで藍、私に何か用?」「ああ、うん。これを、萌果ちゃんに渡そうと思って来たんだよ」藍が私に差し出したのは、家の鍵だった。「母さん、今日は親戚の家に出かけるから帰りが遅くなるらしくて。俺もこのあと雑誌の撮影があって、すぐには帰れないから。萌果ちゃんに合鍵を渡してって、母さんに頼まれてさ」そうだったんだ。今朝は藍よりも、私が先に家を出たから。「わざわざ、届けてくれてありがとう」私は、藍から合鍵を受け取る。「萌果ちゃん。その鍵、くれぐれも落としたり、なくさないでよね?」「なっ、なくさないよ!もう子どもじゃないんだから」「ふーん。どうだろうねえ」マスクをしていて、口元は見えないけど。藍が今、ニヤニヤしているであろうことは容易に分かる
そしてやって来た、夕飯の時間。「はあ。こんなことってあるのかよ……」食卓についた藍が、ガクッと肩を落とす。「藍ったら、なんて顔をしてるのよ。もっとシャキッとしなさい、シャキッと!」燈子さんが藍に、喝を入れる。「だって……」藍が、ひとり項垂れる。今日の夕飯はなんと、ポトフだった。カレーでもなく、肉じゃがでもなかった。「ふふ。この勝負は引き分けだね、藍」「くっそー。せっかく萌果から、キスしてもらえると思ってたのに」藍は、いただきますもそこそこに、スプーンを手にポトフを口へと運ぶ。「母さん、なんでカレーにしてくれなかったんだよ。じゃがいもに人参、玉ねぎといったら普通カレーだろ?」「あら。藍ったら、そんなにカレーが食べたかったの?だったら、明日カレーにしてあげるわ」「明日じゃダメなんだよ」ブツブツ言いながら、食べ進める藍。藍には悪いけど、この結果に私はホッと一安心。だって、いくら相手が幼なじみでも、自分からキスするのはやっぱり照れくさいから。「今日は、せっかく萌果ちゃんが作るのを手伝ってくれたっていうのに。文句があるなら、ポトフ無理に食べなくてもいいのよ?藍」「えっ、萌果が?食べます、喜んで食べます。今日はいつも以上にご飯が美味しいと思ったら、萌果ちゃんが……」藍の食べるスピードが、一気に加速した。「美味いよ、萌果ちゃん」「私は、ほんの少し手伝っただけだけどね」「それでも、萌果ちゃん天才!」「藍ったら、単純なんだから。藍は昔から本当に、萌果ちゃんのことが好きなのね」藍を見て少し呆れつつも、燈子さんが優しく微笑む。「うん、好きだよ」藍は、迷いもなくハッキリと言い切った。「俺は、小さい頃から今もずっと、萌果のことが好きだから」「っ……」私の頬が、ぶわっと熱くなっていく。藍ったら、燈子さんのいる前でそんなことを言われたら、反応に困っちゃうよ。「だから、今度は萌果ちゃんから俺にキスしたいって思ってもらえるように、俺も頑張るよ」なぜか、改めて宣言されてしまった私。藍は私にとって、大切な幼なじみで。異性としても、嫌いではないけれど。私が藍に自分からキスしたいと思える日なんて、やって来るのかな?**数日後。学校の休み時間。私は、いつものように柚子ちゃんと楽しくおしゃべりしていた。「あれ?あなた、もしかして佐藤くん?
私はとっさに藍の前に立ち、藍の姿を安井さんから隠した。「梶間さん?」「や、やだな〜、安井さんったら。あのイケメンモデルの久住藍が、学校帰りにこんなところにいる訳ないじゃない!」うう。我ながら、苦しい言い訳だけど。「この子は、佐藤くん。私の幼なじみなんだ。彼とは家が近所だから、たまたまそこで会って……それで、一緒に買い物に来たの」「……どうも。佐藤です」今まで黙っていた藍が、ペコッと頭を下げた。「まあ、梶間さんに言われてみれば、確かにそっか。あの藍くんが、学校帰りにスーパーに買い物なんて来ないよね」安井さんが、納得したように頷く。「そうそう。あの無愛想で、いかにも家事なんてやりません!って感じの久住藍くんが……痛あっ」「ど、どうしたの?梶間さん!?」「〜っ」私は隣にいる藍に、右手を思いきりつねられてしまった。「すいません。俺たち、まだ買い物の途中なので。ほら萌果ちゃん、行くよ」藍はいつもよりもワントーン低い声で言うと、私の手を取って早足で歩き出した。「ちょっと、藍……!」私は、三上さんたちの姿が完全に見えなくなってから藍に声をかける。「いきなり手をつねるなんて、ひどいよ!」「それは、ほんとごめん」人気のないところで立ち止まると、藍がさっきつねった私の右手を、そっとさすってくる。「でも、俺も悪かったけど……萌果ちゃんだって悪いんだからね?」「え?」「俺のことを、佐藤くんって呼んだり。あの子たちの前で、俺の悪口なんて言うから」「あ、あれは、藍だってバレないようにするために仕方なく……」「それでも、萌果ちゃんに無愛想だとか悪いように言われたら、やっぱり悲しいよ」「ご、ごめん」藍のことを悪く言うつもりは、全くなかったんだけど。私も必死だったとはいえ、『あの無愛想で、いかにも家事なんてやりません!って感じの久住藍くん』って言ったのは、さすがにまずかったな。「ごめんね?藍」「謝っても、許してあげない」今日の藍、なんだか機嫌が悪いな。「どうしたら、許してくれるの?」私が尋ねると、藍の目が一瞬光ったような気がした。「んー、そうだな……萌果ちゃんが、俺にキスしてくれたら許す」「えっ!?」キスって!藍ったら、今度は何を言い出すの!?「萌果ちゃんがウチに引っ越してきた日に、俺が頬にグーパンチされたときも、結局キスしてく