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第 0011 話

騒がしく賑わっている屋台には、人間味が溢れていた。

瀬川秋辞はヘアクリップで巻き髪を簡単にまとめて、頭を下げる時に、垂れ下がった髪の毛が、横顔の一部を覆ってしまった。その白い肌がいっそう美しく見えてきた。

彼女はメニューを指差して、首を傾げて隣の男性に何か言ったようだった。

男が頷いたら、瀬川秋辞は微笑んで手を振りながら、ウェイターを呼んだ。

「君と別れて、奥さんは一人でもけっこう楽しそうだね!」上野忱晔は眉をあげて言った。

薄野荊州は何も言わずに背を向けて個室を出ていった…

屋台でビールを一気に飲み干した黒崎白は「本当に秋音さんですか?そのぶっ壊れた元青の花瓶さえも完璧に修復できた、あの秋音さん?」とまだ納得していないようだった。

「…」瀬川秋辞は無言のままだった。

もう彼に何度も同じ質問をされてきたから、これからどう答えたらいいのか彼女はもうわからなくなった。

石田先生は黒崎白の足を思い切って蹴った。「お酒はほどほどに!秋音さん、気にしないでね」

「はい」瀬川秋辞は返事をした。

「お待たせしました。にんにく味のアゲマキガイでございます。やけどに気をつけてください!」

料理がテーブルに置かれたら、瀬川秋辞は箸を持って食べようとする時、携帯が鳴ってきた。

箸を置いて、彼女はバッグから携帯電話を取り出した。

応答ボタンをスライドしようと思ったら、「薄野荊州」という名前に気づいた。

瀬川秋辞の指がそのまま止まって、電話に出なかった。その後、携帯をマナーモードにしてテーブルに置いといた。

携帯の振動音がすぐ無くなった。

意外じゃない。あの人はもともとせっかちな人だから。彼からかけてきた電話なら、素早く出ない限り、すぐに切られてしまった。だから、もう慣れてしまった。

しかし、今回は違った。電話が切れてから間もなく、新着メッセージの通知が出てきた。

彼女は何気なくメッセージを確認したら、なんと薄野荊州からのメッセージだと驚いてしまった。ただ、中には「来い」と簡単に書いてあった。

瀬川秋辞は眉をひそめて、周囲を見回しはじめた。向こうは五つ星ホテルで、彼女の目線がその入り口にある黒いベントレーに止まった。

薄野荊州の車は特注品だから、一目で分かった。

それを無視して食事を続けた瀬川秋辞は、明らかに上の空になってきた。

恥ずかしいせいで、あまり食べる気がないかなと黒崎白は思い込んで、取り箸で彼女の皿にエビを入れてあげた。「少しリラックスして、京友のみんなは優しいから、これからきっと仲良くなるよ。普段何かで休みを取りたい場合でも、石田先生に言ったら、ほとんど断らないよ」

この仕事は昇進どころか、長くやり続けられる人も多くないようだ。毎日ボロボロで活気のない物ばかりを一生懸命見ているから、結婚相手を探す時間も無くなってしまう。

そんなつらさと寂しさに耐えきれる若者がほとんどいない。だから、石田先生は要求が厳しくない。一切は人材確保のためだね。

瀬川秋辞は笑いながら言った。「ありがとう」

エビを食べるとき、薄野荊州からの新たなメッセージが届いた――。

「じゃ俺が行く?」

画面越しに伝わってきた男の強い怒りと不満。

薄野荊州の性格をよく知っているから、黒崎白からもらったエビを数秒で食べ終えて、箸を置いたら、瀬川秋辞は申し訳なさそうに話した。「石田先生、本当にすみません。急に用事ができて行かなきゃ。車はもう呼んで来ましたから…」

「大丈夫、大丈夫、こっちも帰るつもりだ。歳をとったからね」石田先生は優しく答えた。

瀬川秋辞は他の人に「お先に失礼します」と言って、バッグを手に取ってからベントレーの方向へ足早に歩いていった。

ベントレーのドアを開けて、瀬川秋辞が乗り込んでから、促すように言った。「早くここから離れよう」

「人に知られたくないのか?」彼は手を伸ばして女性の顎をつかんで、薄野荊州の気持ちがますます悪くなって、怒りも徐々に我慢できなくなるようだった。

顎が少し痛くなったが、薄野荊州と対峙するときに、瀬川秋辞はどうしても屈服したくなかった。

これまで三年間の結婚生活では、毎日屈服してきたのに、彼はちっとも同情してくれなかった。

「もうすぐ離婚するから、誤解されたくないの。元旦那とまだ切れてないなんて…」

男は墨のような目で、瀬川秋辞のピンクの唇を見つめた。手を伸ばして指先で唇を押しながら聞いた。「エビ、おいしかった?」

彼の表情から、瀬川秋辞はその言葉に隠されたものが見えてきた。

ああ、男のさもしい根性よ。

たとえ欲しくない女だとしても、他人に触れられるのが嫌だ。

しかし、彼女はコントロールされる人じゃない。

「もちろん美味しかった…」瀬川秋辞は眉をあげて返事した。

話し終わらないうちに、薄野荊州は自分の唇で瀬川秋辞の言葉を途中で遮った。

かすかなワインの香りとタバコの匂いが混じって、彼と同じように強烈で、拒否できないキスだった。

結婚してから、ほとんど彼とキスをしたことがない。偶にキスしても、いつでも止められる状態であった。

しかし今回は…

考えが浮かんだ束の間、男の手はすでに服の裾から侵入した。彼女の腰に合って、さらに奥へ進もうとした。

このまま彼の行動を止めなければ、薄野荊州が車で彼女を抱いてしまうかもしれない。

そう考えて、彼女は目を閉じながら思い切って次の行動をとった——

「アッ!」。

男は深呼吸して彼女を離したが、二人の唇はまだ非常に近くて、まるで次の瞬間にもう一度彼女にキスしようとしているかのようだった。

薄野荊州は手で唇を拭いた。指先には付いていたほんのり血に気づいて、彼の表情が笑っているよりも冷たかった。「俺を噛んだね」

袖で唇を数回も拭いたら、非常にうんざりしたように見える瀬川秋辞は口を開けた。「松本唯寧が満足させなかったの?だから、発情期の動物になったの?」

「まだ離婚していない。彼女より君のほうが安全だ」薄野荊州は表情を変えずに返事した。

「安全」という言葉は特に皮肉だった。

あまりの怒りで笑えてきた瀬川秋辞は、本当に彼を平手打ちしたかった。

「クズ男の正体がバレたら、もう一度振られるはずだわ」

話し終えた瞬間、「バンバン」と車の窓を叩く音が聞こえた…

車の外に立ち、車に人がいるかどうか確認しようと腰をかがめている黒崎白が見えた。

車窓にプライバシーフィルムが貼ってあったため、中からは外がはっきり見えたが、外からは何も見えなかった。

薄野荊州は窓を下げず、軽蔑な目つきで黎白を上から下まで見回した。

「こいつが新しい男?」と冷たく皮肉めいた声だった。

黒崎白の服は高級ブランドではないが、腕時計は1万元以上のものであった。しかし、ガンガンお金を使う薄野荊州の目には、それだけのお金では食事でも足りないようだった。

瀬川秋辞が答える前に、薄野荊州の目は黒崎白から向かいの屋台に移って聞き続けた。「離婚したい理由は、こんなやつか?」

彼はますます意地悪になってきた。「瀬川秋辞、山海の幸はもう飽きたから、今度安いお粥を試してみるか?」

男の冷たい横顔を見ながら、過去数年間の努力は無駄だと瀬川秋辞は感じてきた。

「そうだよ、薄野社長は金持ちでイケメンだね。プレゼントも何百万のもの。でも、道端の屋台で食事しても離婚したい。なぜだと思うの?」

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