化石燃料の枯渇、森林伐採、その他様々な影響で地球の寿命が尽きかけていた。
人間が生活可能な環境ではなくなる寸前だったと表現した方が正しいかもしれない。ある日を境に、紫色の葉をつけた新種の樹木が地球上の至る所で発見されるようになった。
その不思議な樹は、魔樹(まじゅ)と名付けられ、あっという間に勢力を拡大した。 後に判明した事だが、ほぼ同時期に宇宙全体でこの魔樹という植物が確認されたという。魔樹は、月光を浴びると大気中に魔素(まそ)を放出する性質を持っていた。
魔素は生態系を元通りに整え、地球の機能は正常に戻った。 それだけでなく、魔素は膨大なエネルギーに変換する事が可能で、魔素の研究が盛んになった。 魔素には与えられた情報を現実に発現するという特性もあり、まるで魔術の素(もと)かのようであった。 電気回路が魔素回路に置き換わり、魔素を用いた通信技術が発達し、産業革命を超える技術革新が起こった。一番大きな変化は、延髄にマイクロチップを埋め込むことで人体をコンピュータ化したことだろう。
ヒューマンコンピュータ、通称ヒューコンと呼ばれるようになる。 ヒューコン化した人類は、超長距離間ワープを実現させる事に成功した。 地球上の何処にでも気軽に移動出来るだけでなく、地球とは別の世界へも一瞬で移動出来るようになったのだ。ここで、驚くべき事実が発覚した。
世界で初めて別の世界へ行った人物の発表によると、地球とは異なる生態系の世界に降り立った瞬間に、特別な力を授かったと言うのだ。 研究が進むにつれ、別の世界を異世界と呼ぶようになり、特別な力はスキルと名付けられた。異世界への超長距離間ワープの際に、細胞レベルで魔素と結びついた肉体が宇宙空間を一瞬で移動することで、何らかの力が作用してスキルが身につくという説。
異なる世界に降りたつ事で、防衛反応のような何かがスキルを芽生えさせるという説。 全て推論の域を出ない曖昧な報告ではあったが、それら全ての論証は世界を震撼させた。 異世界から地球に戻る際にはスキルを失い、また異世界に行くと別のスキルを授かるという摩訶不思議な現象を解明出来た学者はまだ居ない。まるで小説やゲームのようだと若者達の間で異世界旅行が人気となり、それに目をつけたどこかの国がワールドキャストという動画配信サイトを立ち上げた。
ヒューコンの視界情報を共有し、誰もが気軽に異世界に行ったかのような気分になれるというものだ。 魔素投影(まそとうえい)方式という特殊な撮影技術により、一人称視点の他に、自撮りのような画角や、頭上から見下ろすような三人称視点など、自由な角度から放送することが可能となっている。 ワールドキャストはワーキャスと略され、配信者はキャスターと呼ばれるようになった。異世界に行くのは怖いが、どんなものか見てみたいという層が多く、このサービスは爆発的に人気になった。
配信画面にはキャスターの状態が分かるヘルスメーターが表示され、感動的な光景やモンスターと出会った時に揺れ動く内面の情報が臨場感を更に高める。 有名なキャスターになると月に数億稼ぐとも言われ、将来なりたい職業ランキング一位がキャスターになるほどだ。そして、後藤勇太(ごとうゆうた)も有名キャスターを目指す一人であった。
短い黒髪に、少し吊り上がった茶色の瞳。イケメンでも不細工でもない平凡な見た目だが、清潔感のある身だしなみだけは意識している。身長も一七九センチと高めではあるが中途半端だ。 コンビニでバイトをしているどこにでも居そうな普通の男。いや、普通だった男。決まりきった日常を捨て、一攫千金を夢見た勇太は異世界へと旅立つ。
「店長、俺バイト辞めます! 今までお世話になりました!」 昨晩の出来事だ。 俺は、一年半勤めていたコンビニバイトを辞めた。 高校を卒業してから一番長く続いたバイトだった。 俺の日常は、ルーティン化されたつまらないものだった。 朝起きたらストレッチをする。 リビングへ行くと、テーブルの上には母さん手作りのご機嫌な朝食が用意されている。 レースのカーテンを通して柔らかくなった朝の日差しに包まれながら、優雅に食事をする。 食事を終えたら歯磨きの時間だ。 歯ブラシは極細毛で硬めというこだわりがある。 強烈ミントの歯磨き粉が、口の中を爽やかな香りで満たし、一日の始まりを感じさせてくれる。 お洒落好きな俺は、毎朝シャワーを浴びる。 お気に入りのフローラル系の香がついたボタニカルシャンプーで髪を洗うと、とても気分がいい。 鏡の前で髪を乾かしながら、マットなヘアワックスで髪形を自然に整えて、バイト先の近所のコンビニへ向かう。 そんな毎日に嫌気が差した。 バイトの安い給料でも、実家暮らしの俺なら必要最低限の生活は出来る。 しかし、二十歳になり、このままの生活でいいのかと考えるようになってしまった。 食って寝て仕事して、たまに趣味に金を使う。 平凡な生活の中に、ささやかな幸せを感じるのが人生だと頭では理解している。 ほとんどの人がそうであると頭では理解している。 でも、俺は変えたかった。 刺激的な毎日を送りたいと考えてしまったんだ。 今は、ベッドの上で寝転んで束の間の無職を満喫している。 ヒューコンのシアター機能を使い、とある配信を見ているところだ。 ワーキャスの日本キャスターランキング一位、タイキンさんの異世界配信だ。 五万人以上の視聴者が常駐しており、多い時には三十万人を超える。 タイキンさんの推定年収は数十億円と言われている。 タイキンさんは、イグドラシアという異世界にワープし、『炎の勇者』というスキルを授かった。 主な配信内容はダンジョン攻略なのだが、派手な火属性魔法と勇者の身体能力を活かした迫力のある戦闘が視聴者を虜にしている。 時折、異世界の商品紹介なんかも混ぜながら、見ている者を飽きさせない工夫も素晴らしい。 キャスターの収入源は、広告掲載料、サブスクライブ、マネー
ヒューコンの検索機能で、まだキャスターが降り立ったことの無い異世界を検索する。 人気キャスターになる為には、無限に存在する異世界の中から前人未踏の世界を選ぶ事も重要なのだ。 俺は、ラドリックという世界を選んだ。 太陽のような恒星と月のような衛星があり、地球と環境が類似しているようだ。 それほど文明が発達していない世界だが、魔法やモンスターが存在し、地球とは異なる生態系になっている。 タイキンさんが活躍している世界と同じくダンジョンがある事も確認済みだ。 ワーキャスに接続し、自分のアカウントにログインして配信の準備をする。 タイトルは、『初キャスです。異世界ラドリックへ旅立ちます!』と無難な感じにしておいた。 これから配信を始めると思うと急に緊張してきた。 心臓が喉から飛び出しそうだ。「ふぅ、ふぅ、いくぞ……いくぞ!」 意を決して配信をスタートした。 配信画面には、俺の視界に映る殺風景な部屋が映っているはずだ。 今始めたばかりなのに、視聴者が五人も来てくれている。 ここはやはり挨拶から始めるべきだろう。「あ、あー……。えっと、みなさん初めまして。勇太っていいます。これからラドリックという異世界に旅立ちます。応援よろしくお願いします!」コメ:初見です! コメ:リセマラですか? もうコメントが流れている。 誰も見てくれなかったらどうしようかと不安だったので、素直に嬉しい。「今のところリセマラを考えています。俺、運動音痴だし喧嘩もした事がないから、すぐ怪我しちゃいそうで……」コメ:気持ち分かりますw コメ:アタリのスキルだといいですね! 初配信には、荒らしと呼ばれる心無い発言を連投するやからが出ると聞いていたので、温かいコメントばかりで安心した。 荒らしは無視して即ブロックだ。 放置したり構ったりすると、チャット欄で言い争いに発展してしまうからだ。「一応フルタイム配信なので、トイレの時だけミュート推奨しときます。切り抜きは自由にアップロードして頂いて構いません」コメ:体張ってますね! コメ:切り抜き自由はありがたい。 配信中に盛り上がった場面を短い動画にする切り抜きは、キャスターの人気に深く関わってくる。 とぅいっとパラダイス、通称とぅいパラと呼ばれるSNSにアップロードされる事が多
スキル『絶望的な滑舌』を授かったみたいだ。 ヒューコンは、常に体の状態を監視していて、重大な変化が起こった時には自動で教えてくれる。 その機能によって、どんなスキルを授かったのかが分かるのだが、俺が獲得したのは滑舌が悪くなるだけの大ハズレスキルだった。勇太:『絶望的な滑舌』ってスキルを手に入れました。 コメ:ダメそうw コメ:どういうスキルなんですか? 勇太:絶望的に滑舌が悪くなるみたいです。 コメ:どうすんのそれw コメ:終わったな……。 目を開けてみると、高級そうな赤い絨毯が敷き詰められた広場だった。 壁には、美しい女性や騎馬に乗った騎士が描かれた巨大なステンドガラスが何枚もはめ込まれており、そこから色鮮やかな陽光が差し込んでいた。 その下には、鈍く光る金属鎧姿の騎士らしき人々や、暗色のローブを身に纏った怪しい人達が立っていた。「何なのだ今の光は! もしや、そなたは伝説の勇者なのではないか?」 声がする方を見ると、黒髪に白髪が混じった偉丈夫が、玉座のような椅子に大股を開いて座っていた。 その男は、仕立ての良い派手な衣装を身に纏まとい、豪勢な装飾品がついた金色の王冠をかぶっている。 筋骨粒々で背が高いのだが、その割りに顔が小さい。 鼻筋が通っており、顎がしっかりした美しい顔立ちをしている。 四十代半ばに見えるその男性は、目が合ったはずなのにしばらく無言を貫く俺を見下ろしながら、心配そうな面持ちで自分のあごひげをなでていた。勇太:勇者じゃなくて勇太なんですけどねw コメ:草生やしとる場合か! コメ:やめい!w コメ:おもろw ふと視聴者数を確認すると、二十一人になっていた。 会話が出来ないのは不安だったが、いざコメントをしてみたら意外と楽しい。「何なのだ今の光は! もしや、そなたは伝説の勇者なのではないか?」 おそらく王様であろう人物が、心配そうにこちらを見ている。 俺がコメントと会話をしていたせいで、まさか自分が無視されているのではと不安になったのだろう。コメ:二回目?w コメ:勇太さんが答えてあげないからw「ぢょうみょ、きょんにちは!」 ※どうも、こんにちは! まずは挨拶と思い口を開いたのだが、自分でも何を言ってるのか分からないほどに活舌が悪い。 コメントの人たちも、ヒューコ
ランデルと呼ばれたその男の顔や体には、何度も死線を潜り抜けてきたためか無数の傷跡がある。 獲物を狙う猛獣のごとく鋭い銀色の瞳。顔に深く刻まれたシワが表情に凄みを与えており、まるで年輪のように戦歴を表しているようだ。 後頭部が大きく円状に禿げあがり、その周りから申し訳なさそうに生える白髪が肩まで伸びている。 見た目は武人らしくかっこいいのだが、台無しにするくらいのハゲだった。コメ:ハゲだな。 コメ:うむ、可哀想なくらいハゲだ。 コメ:お前らやめろ!w「ランデルよ、そなたは魔王軍四天王が一人――残虐の王ネフィスアルバを討伐し、みなの士気を高めるのだ!」「はっ、必ずやネフィスアルバの首を持ち帰ってご覧に入れましょう! 勇者ユートルディス殿、四天王討伐はワシに任せて下され!」 王による発令に従い、青い鎧の老兵ランデルが勢いよく立ち上る。 胸のあたりを拳でガチャンと叩き、残虐の王ネフィスアルバを討ち取ると高らかと宣言した。勇太:なんかハゲが四天王を倒してくれるみたいです。ついでに魔王もやって欲しい! コメ:ハゲが倒したらハゲに三億なんじゃ? コメ:ハゲが倒してもユートルディスにガチで三億マネチャしますよw コメ:ハゲハゲ言うのやめてあげて!w このランデルという勇ましい騎士が魔王に勝ったとしても、俺に三億円が入る確約を貰ったからな。任せてくれと言うならお願いしようじゃないか。「おにぇぎゃいしみゃしゅ!」 ※お願いします! 四天王を一人削ってくれるのはありがたい。 他にもランデルみたいに強そうなやつがいるといいんだけど。「なんと! 『俺が行きます』……ですと? これは頼もしい。さすがは勇者殿」 ……ん? 俺はお願いしたんだぞ? ランデル、どこでそうなった?「ふむ、面白い。勇者ユートルディスよ、ランデルと共にゆけい!」 言ってない言ってない、何も面白くないでしょうが! 待ってくれよ王様、ゆけいじゃないんだってば!コメ:さすが勇者ユートルディス。勇敢すぎるw コメ:滑舌悪さしすぎwww コメ:これ死んだだろw 仮に俺が勇者だとしましょうか。 だとしたら、魔王とか四天王を倒す前に、まずは訓練とか修行をするべきなんじゃないの? 素振りとか弱いモンスターと戦ったりとか、戦闘の経験を積ませて欲しいんだけど
「ではユートルディス殿、そろそろ参りましょうか!」 宝物庫から出て、ランデルと一緒に今来た道を戻っているだけなのだが、全身から大量の汗が吹き出してくる。 盾と剣を預かってもらえたのは幸運だったが、金ピカの全身鎧は脱がせてもらえなかった。 このミラージュメイルがとにかく重くて、まともに歩けない。 全身分を合わせたら四十キロ前後あるのではないだろうか。 普通に歩こうとするとももを上げる感覚が狂い、段差の無いところでつまずいて転びそうになる。 ペンギンのようにヨチヨチと歩くしかなく、それだけでも息が上がる。コメ:デバフかかってる? コメ:ゼンマイで動いてるのかよw 勇太:こういう感じに動くおもちゃありますよね? コメ:冷静で草 視聴者数は三十三人に増えていて、登録者数が二十五人になっている。 配信開始から二時間程度でこの人数は多いのだろうか? コメントを見る限り、みんな楽しそうに視聴してくれているのは分かる。 だんだん歩くのが辛くなってきたので、コメントと会話をして気を紛らわせたい。勇太:他のキャスターさん達も初日はこんな感じなんですかね? コメ:初日で四天王を倒しに行く奴が他に居るとでも? コメ:最初の挨拶で死にたくないから安全に行くって言っておきながら、滑舌が悪くなるスキルで魔王を倒しに行くのが普通だと思ってる? コメ:勇者ユートルディスはお前だけだわ!w 城の外に出る頃には、心臓が破裂しそうなほど強く鼓動していた。 城は小高い丘の上にあるようで、石造りの街並みが一望出来る。 少し下った所にある石畳の広場では、兵士達が綺麗な長方形の形に整列している。 冒険の始まりを感じさせる圧巻の光景であった。 異世界に来たんだと強く認識させられ、今更ながら三億を諦めて元の世界に戻りたくなった。 脳内では、帰還という二文字の危険信号が繰り返し点灯している。 それはそうだろう。 俺がやっている事は時間をかけた自殺に等しいのだから。「ユートルディス殿、いよいよですな。このランデルがどこまでもお供しますぞ!」「おうてぃにきゃえりちゃいよおりぇは……」 ※お家に帰りたいよ俺は……「ほう、流石はユートルディス殿。残虐の王ネフィスアルバが『オウッティ』山脈に潜んでいることに気づかれましたか。この場所からでも奴
「ユートルディス殿、お気を確かに!」 ランデルが深緑色の液体を持った小瓶を持っている。 俺が大量の汗をかいているから、何か飲み物をくれようとしているのだろうか。 とてもじゃないが今はまだ飲み物を口に出来るような状態ではない。 もう少し落ち着いたら貰うとしよう。「さあ、飲み込むのです!」「びゅひぇあっ!」※ぶふぇあっ! このジジイ、瓶を俺の口の中に突っ込んできやがった! 息をするのもやっとだというのに。「お早く、お命に関わりますゆえ!」 こいつ、鼻を塞いできやがった。 お、溺れる。 今がまさにお命の危機なんだが!「ぎぇひょっ、ぎぇひょぁ、おええええっ!」※ゲホッ、ゲホァ、おええええっ! し、死ぬかと思った。 火事場の馬鹿力というやつだろうか。 こんなに早く液体を飲み干したのは初めてだ。 しかも恐ろしく不味かった。「ふぅ、危ない所でしたな。では先を急ぎましょう!」 危なかったのは完全にお前のせいだけどな! 陸の上で溺死するところだったんだが。 液体が気管に入り込んでしまったのか、咳が止まらない。 椅子に座って背中を丸め、落ち着くのを待つしかない。 シンプルな木製の長椅子なので、座り心地が非常に悪い。コメ:陸で溺れる勇者wコメ:ランデル殺す気満々で草コメ:何を飲んだの?コメ:食レポよろw たしかに、俺は一体何を飲まされたのだろうか。 馬車の揺れも相まって吐き気を催している。勇太:センブリ茶のような苦味と、本格的なインドカレーに似たスパイシーな香りがあった。それを無理やり誤魔化そうとしたのだろうが、気持ちの悪い甘ったるさがあり、なんとも不快な味を作り上げている。罰ゲームだと言われても納得できるほど不味い液体だった。コメ:食レポ上手くて草コメ:ユートルディスは、スキル『絶望的な食レポ』を獲得した。コメ:
「ユートルディス殿、お気を確かに!」 ランデルが深緑色の液体を持った小瓶を持っている。 俺が大量の汗をかいているから、何か飲み物をくれようとしているのだろうか。 とてもじゃないが今はまだ飲み物を口に出来るような状態ではない。 もう少し落ち着いたら貰うとしよう。「さあ、飲み込むのです!」「びゅひぇあっ!」※ぶふぇあっ! このジジイ、瓶を俺の口の中に突っ込んできやがった! 息をするのもやっとだというのに。「お早く、お命に関わりますゆえ!」 こいつ、鼻を塞いできやがった。 お、溺れる。 今がまさにお命の危機なんだが!「ぎぇひょっ、ぎぇひょぁ、おええええっ!」※ゲホッ、ゲホァ、おええええっ! し、死ぬかと思った。 火事場の馬鹿力というやつだろうか。 こんなに早く液体を飲み干したのは初めてだ。 しかも恐ろしく不味かった。「ふぅ、危ない所でしたな。では先を急ぎましょう!」 危なかったのは完全にお前のせいだけどな! 陸の上で溺死するところだったんだが。 液体が気管に入り込んでしまったのか、咳が止まらない。 椅子に座って背中を丸め、落ち着くのを待つしかない。 シンプルな木製の長椅子なので、座り心地が非常に悪い。コメ:陸で溺れる勇者wコメ:ランデル殺す気満々で草コメ:何を飲んだの?コメ:食レポよろw たしかに、俺は一体何を飲まされたのだろうか。 馬車の揺れも相まって吐き気を催している。勇太:センブリ茶のような苦味と、本格的なインドカレーに似たスパイシーな香りがあった。それを無理やり誤魔化そうとしたのだろうが、気持ちの悪い甘ったるさがあり、なんとも不快な味を作り上げている。罰ゲームだと言われても納得できるほど不味い液体だった。コメ:食レポ上手くて草コメ:ユートルディスは、スキル『絶望的な食レポ』を獲得した。コメ:
「ではユートルディス殿、そろそろ参りましょうか!」 宝物庫から出て、ランデルと一緒に今来た道を戻っているだけなのだが、全身から大量の汗が吹き出してくる。 盾と剣を預かってもらえたのは幸運だったが、金ピカの全身鎧は脱がせてもらえなかった。 このミラージュメイルがとにかく重くて、まともに歩けない。 全身分を合わせたら四十キロ前後あるのではないだろうか。 普通に歩こうとするとももを上げる感覚が狂い、段差の無いところでつまずいて転びそうになる。 ペンギンのようにヨチヨチと歩くしかなく、それだけでも息が上がる。コメ:デバフかかってる? コメ:ゼンマイで動いてるのかよw 勇太:こういう感じに動くおもちゃありますよね? コメ:冷静で草 視聴者数は三十三人に増えていて、登録者数が二十五人になっている。 配信開始から二時間程度でこの人数は多いのだろうか? コメントを見る限り、みんな楽しそうに視聴してくれているのは分かる。 だんだん歩くのが辛くなってきたので、コメントと会話をして気を紛らわせたい。勇太:他のキャスターさん達も初日はこんな感じなんですかね? コメ:初日で四天王を倒しに行く奴が他に居るとでも? コメ:最初の挨拶で死にたくないから安全に行くって言っておきながら、滑舌が悪くなるスキルで魔王を倒しに行くのが普通だと思ってる? コメ:勇者ユートルディスはお前だけだわ!w 城の外に出る頃には、心臓が破裂しそうなほど強く鼓動していた。 城は小高い丘の上にあるようで、石造りの街並みが一望出来る。 少し下った所にある石畳の広場では、兵士達が綺麗な長方形の形に整列している。 冒険の始まりを感じさせる圧巻の光景であった。 異世界に来たんだと強く認識させられ、今更ながら三億を諦めて元の世界に戻りたくなった。 脳内では、帰還という二文字の危険信号が繰り返し点灯している。 それはそうだろう。 俺がやっている事は時間をかけた自殺に等しいのだから。「ユートルディス殿、いよいよですな。このランデルがどこまでもお供しますぞ!」「おうてぃにきゃえりちゃいよおりぇは……」 ※お家に帰りたいよ俺は……「ほう、流石はユートルディス殿。残虐の王ネフィスアルバが『オウッティ』山脈に潜んでいることに気づかれましたか。この場所からでも奴
ランデルと呼ばれたその男の顔や体には、何度も死線を潜り抜けてきたためか無数の傷跡がある。 獲物を狙う猛獣のごとく鋭い銀色の瞳。顔に深く刻まれたシワが表情に凄みを与えており、まるで年輪のように戦歴を表しているようだ。 後頭部が大きく円状に禿げあがり、その周りから申し訳なさそうに生える白髪が肩まで伸びている。 見た目は武人らしくかっこいいのだが、台無しにするくらいのハゲだった。コメ:ハゲだな。 コメ:うむ、可哀想なくらいハゲだ。 コメ:お前らやめろ!w「ランデルよ、そなたは魔王軍四天王が一人――残虐の王ネフィスアルバを討伐し、みなの士気を高めるのだ!」「はっ、必ずやネフィスアルバの首を持ち帰ってご覧に入れましょう! 勇者ユートルディス殿、四天王討伐はワシに任せて下され!」 王による発令に従い、青い鎧の老兵ランデルが勢いよく立ち上る。 胸のあたりを拳でガチャンと叩き、残虐の王ネフィスアルバを討ち取ると高らかと宣言した。勇太:なんかハゲが四天王を倒してくれるみたいです。ついでに魔王もやって欲しい! コメ:ハゲが倒したらハゲに三億なんじゃ? コメ:ハゲが倒してもユートルディスにガチで三億マネチャしますよw コメ:ハゲハゲ言うのやめてあげて!w このランデルという勇ましい騎士が魔王に勝ったとしても、俺に三億円が入る確約を貰ったからな。任せてくれと言うならお願いしようじゃないか。「おにぇぎゃいしみゃしゅ!」 ※お願いします! 四天王を一人削ってくれるのはありがたい。 他にもランデルみたいに強そうなやつがいるといいんだけど。「なんと! 『俺が行きます』……ですと? これは頼もしい。さすがは勇者殿」 ……ん? 俺はお願いしたんだぞ? ランデル、どこでそうなった?「ふむ、面白い。勇者ユートルディスよ、ランデルと共にゆけい!」 言ってない言ってない、何も面白くないでしょうが! 待ってくれよ王様、ゆけいじゃないんだってば!コメ:さすが勇者ユートルディス。勇敢すぎるw コメ:滑舌悪さしすぎwww コメ:これ死んだだろw 仮に俺が勇者だとしましょうか。 だとしたら、魔王とか四天王を倒す前に、まずは訓練とか修行をするべきなんじゃないの? 素振りとか弱いモンスターと戦ったりとか、戦闘の経験を積ませて欲しいんだけど
スキル『絶望的な滑舌』を授かったみたいだ。 ヒューコンは、常に体の状態を監視していて、重大な変化が起こった時には自動で教えてくれる。 その機能によって、どんなスキルを授かったのかが分かるのだが、俺が獲得したのは滑舌が悪くなるだけの大ハズレスキルだった。勇太:『絶望的な滑舌』ってスキルを手に入れました。 コメ:ダメそうw コメ:どういうスキルなんですか? 勇太:絶望的に滑舌が悪くなるみたいです。 コメ:どうすんのそれw コメ:終わったな……。 目を開けてみると、高級そうな赤い絨毯が敷き詰められた広場だった。 壁には、美しい女性や騎馬に乗った騎士が描かれた巨大なステンドガラスが何枚もはめ込まれており、そこから色鮮やかな陽光が差し込んでいた。 その下には、鈍く光る金属鎧姿の騎士らしき人々や、暗色のローブを身に纏った怪しい人達が立っていた。「何なのだ今の光は! もしや、そなたは伝説の勇者なのではないか?」 声がする方を見ると、黒髪に白髪が混じった偉丈夫が、玉座のような椅子に大股を開いて座っていた。 その男は、仕立ての良い派手な衣装を身に纏まとい、豪勢な装飾品がついた金色の王冠をかぶっている。 筋骨粒々で背が高いのだが、その割りに顔が小さい。 鼻筋が通っており、顎がしっかりした美しい顔立ちをしている。 四十代半ばに見えるその男性は、目が合ったはずなのにしばらく無言を貫く俺を見下ろしながら、心配そうな面持ちで自分のあごひげをなでていた。勇太:勇者じゃなくて勇太なんですけどねw コメ:草生やしとる場合か! コメ:やめい!w コメ:おもろw ふと視聴者数を確認すると、二十一人になっていた。 会話が出来ないのは不安だったが、いざコメントをしてみたら意外と楽しい。「何なのだ今の光は! もしや、そなたは伝説の勇者なのではないか?」 おそらく王様であろう人物が、心配そうにこちらを見ている。 俺がコメントと会話をしていたせいで、まさか自分が無視されているのではと不安になったのだろう。コメ:二回目?w コメ:勇太さんが答えてあげないからw「ぢょうみょ、きょんにちは!」 ※どうも、こんにちは! まずは挨拶と思い口を開いたのだが、自分でも何を言ってるのか分からないほどに活舌が悪い。 コメントの人たちも、ヒューコ
ヒューコンの検索機能で、まだキャスターが降り立ったことの無い異世界を検索する。 人気キャスターになる為には、無限に存在する異世界の中から前人未踏の世界を選ぶ事も重要なのだ。 俺は、ラドリックという世界を選んだ。 太陽のような恒星と月のような衛星があり、地球と環境が類似しているようだ。 それほど文明が発達していない世界だが、魔法やモンスターが存在し、地球とは異なる生態系になっている。 タイキンさんが活躍している世界と同じくダンジョンがある事も確認済みだ。 ワーキャスに接続し、自分のアカウントにログインして配信の準備をする。 タイトルは、『初キャスです。異世界ラドリックへ旅立ちます!』と無難な感じにしておいた。 これから配信を始めると思うと急に緊張してきた。 心臓が喉から飛び出しそうだ。「ふぅ、ふぅ、いくぞ……いくぞ!」 意を決して配信をスタートした。 配信画面には、俺の視界に映る殺風景な部屋が映っているはずだ。 今始めたばかりなのに、視聴者が五人も来てくれている。 ここはやはり挨拶から始めるべきだろう。「あ、あー……。えっと、みなさん初めまして。勇太っていいます。これからラドリックという異世界に旅立ちます。応援よろしくお願いします!」コメ:初見です! コメ:リセマラですか? もうコメントが流れている。 誰も見てくれなかったらどうしようかと不安だったので、素直に嬉しい。「今のところリセマラを考えています。俺、運動音痴だし喧嘩もした事がないから、すぐ怪我しちゃいそうで……」コメ:気持ち分かりますw コメ:アタリのスキルだといいですね! 初配信には、荒らしと呼ばれる心無い発言を連投するやからが出ると聞いていたので、温かいコメントばかりで安心した。 荒らしは無視して即ブロックだ。 放置したり構ったりすると、チャット欄で言い争いに発展してしまうからだ。「一応フルタイム配信なので、トイレの時だけミュート推奨しときます。切り抜きは自由にアップロードして頂いて構いません」コメ:体張ってますね! コメ:切り抜き自由はありがたい。 配信中に盛り上がった場面を短い動画にする切り抜きは、キャスターの人気に深く関わってくる。 とぅいっとパラダイス、通称とぅいパラと呼ばれるSNSにアップロードされる事が多
「店長、俺バイト辞めます! 今までお世話になりました!」 昨晩の出来事だ。 俺は、一年半勤めていたコンビニバイトを辞めた。 高校を卒業してから一番長く続いたバイトだった。 俺の日常は、ルーティン化されたつまらないものだった。 朝起きたらストレッチをする。 リビングへ行くと、テーブルの上には母さん手作りのご機嫌な朝食が用意されている。 レースのカーテンを通して柔らかくなった朝の日差しに包まれながら、優雅に食事をする。 食事を終えたら歯磨きの時間だ。 歯ブラシは極細毛で硬めというこだわりがある。 強烈ミントの歯磨き粉が、口の中を爽やかな香りで満たし、一日の始まりを感じさせてくれる。 お洒落好きな俺は、毎朝シャワーを浴びる。 お気に入りのフローラル系の香がついたボタニカルシャンプーで髪を洗うと、とても気分がいい。 鏡の前で髪を乾かしながら、マットなヘアワックスで髪形を自然に整えて、バイト先の近所のコンビニへ向かう。 そんな毎日に嫌気が差した。 バイトの安い給料でも、実家暮らしの俺なら必要最低限の生活は出来る。 しかし、二十歳になり、このままの生活でいいのかと考えるようになってしまった。 食って寝て仕事して、たまに趣味に金を使う。 平凡な生活の中に、ささやかな幸せを感じるのが人生だと頭では理解している。 ほとんどの人がそうであると頭では理解している。 でも、俺は変えたかった。 刺激的な毎日を送りたいと考えてしまったんだ。 今は、ベッドの上で寝転んで束の間の無職を満喫している。 ヒューコンのシアター機能を使い、とある配信を見ているところだ。 ワーキャスの日本キャスターランキング一位、タイキンさんの異世界配信だ。 五万人以上の視聴者が常駐しており、多い時には三十万人を超える。 タイキンさんの推定年収は数十億円と言われている。 タイキンさんは、イグドラシアという異世界にワープし、『炎の勇者』というスキルを授かった。 主な配信内容はダンジョン攻略なのだが、派手な火属性魔法と勇者の身体能力を活かした迫力のある戦闘が視聴者を虜にしている。 時折、異世界の商品紹介なんかも混ぜながら、見ている者を飽きさせない工夫も素晴らしい。 キャスターの収入源は、広告掲載料、サブスクライブ、マネー
化石燃料の枯渇、森林伐採、その他様々な影響で地球の寿命が尽きかけていた。 人間が生活可能な環境ではなくなる寸前だったと表現した方が正しいかもしれない。 ある日を境に、紫色の葉をつけた新種の樹木が地球上の至る所で発見されるようになった。 その不思議な樹は、魔樹(まじゅ)と名付けられ、あっという間に勢力を拡大した。 後に判明した事だが、ほぼ同時期に宇宙全体でこの魔樹という植物が確認されたという。 魔樹は、月光を浴びると大気中に魔素(まそ)を放出する性質を持っていた。 魔素は生態系を元通りに整え、地球の機能は正常に戻った。 それだけでなく、魔素は膨大なエネルギーに変換する事が可能で、魔素の研究が盛んになった。 魔素には与えられた情報を現実に発現するという特性もあり、まるで魔術の素(もと)かのようであった。 電気回路が魔素回路に置き換わり、魔素を用いた通信技術が発達し、産業革命を超える技術革新が起こった。 一番大きな変化は、延髄にマイクロチップを埋め込むことで人体をコンピュータ化したことだろう。 ヒューマンコンピュータ、通称ヒューコンと呼ばれるようになる。 ヒューコン化した人類は、超長距離間ワープを実現させる事に成功した。 地球上の何処にでも気軽に移動出来るだけでなく、地球とは別の世界へも一瞬で移動出来るようになったのだ。 ここで、驚くべき事実が発覚した。 世界で初めて別の世界へ行った人物の発表によると、地球とは異なる生態系の世界に降り立った瞬間に、特別な力を授かったと言うのだ。 研究が進むにつれ、別の世界を異世界と呼ぶようになり、特別な力はスキルと名付けられた。 異世界への超長距離間ワープの際に、細胞レベルで魔素と結びついた肉体が宇宙空間を一瞬で移動することで、何らかの力が作用してスキルが身につくという説。 異なる世界に降りたつ事で、防衛反応のような何かがスキルを芽生えさせるという説。 全て推論の域を出ない曖昧な報告ではあったが、それら全ての論証は世界を震撼させた。 異世界から地球に戻る際にはスキルを失い、また異世界に行くと別のスキルを授かるという摩訶不思議な現象を解明出来た学者はまだ居ない。 まるで小説やゲームのようだと若者達の間で異世界旅行が人気となり、それに目をつけたどこかの国がワールドキャス