最近になってよく耳にする妖怪に『アマビエ』というやつがいる。 長い髪にとがった口、キラキラした目にうろこの体、そして三本の足。 そのイラストは今や知らない人は誰もいないと言われるほどで、ことの発端は世界的に流行した病に対し、そのアマビエのイラストを貼っておくと病が収まると言われたことだ。 そのつぶらな瞳に人々はかわいいと感じ、しばしば長い髪から連想されやすい女性のイラストとして登場することもある。 しかし、騙されてはいけない。アマビエはおそらくオスである。アマビエの正体は『アマビコ』(阿磨比己)である。 アマビコという妖怪はいわゆる予言獣で、猿のような毛むくじゃらな体に三本の足。海から上がってきて人に予言をするのだ。『間もなくこの国に疫病が蔓延する。我を書いた絵を貼っておけばその難から逃れられる』 このことを受け、巷で多くの民がこのアマビコの絵を買い求め、家に貼った。 おかげで多くの瓦版屋の懐が潤ったことだろう。 それは京都の瓦版屋も例外ではない。 都である京都の多くの民がこのアマビコの絵を掲載された瓦版を買い求め、家に貼るというのは他と同じである。 しかし、その瓦版に書かれていた〝コ〟の文字が〝ヱ〟と紛らわしかったのだ。京都の町で多くの民が手に取ったその瓦版に描かれていた絵というのが有名なあの『アマビエ』の絵であり、京都の町では『アマビヱ』として伝わった。 まあ、名前なんてどうでもいいことだ。アマビコだろうがアマビエだろうが、皆の間に流行ってしまった病を治めてくれるというのならば、それにすがることに異はない。 日曜日だ。明日からはまた学校が始まる。 思えばこの一週間はいろいろあった。 そしていまだ、それらのすべてが解決したわけでもなく、それを抱えたままで明日から過ごすというのは難儀なことである。 いや、そもそもこんなことになってしまったのは、僕にだって責任があるのだ。 だからと言って僕がすべてを解決することのできるような優れた人間ではないということは言うまでもないし、だからそう。 この状況を誰かが何とかしてくれないかなと甘えたことを考える日曜日の朝に、僕のところにめずらしい相手から連絡がきた。『少し話したいことがある。今日、少し時間を作れるか?』 軽音楽部の部長、天野からだ。 長髪で丸眼鏡、少し気取った態度のナルシストタイプの天野が、実は少し苦手ではあ
「なあ、天野。なんで僕がこんなことをしたのか、わかっているのか?」「それは、ライバルを蹴落とすためだろう」「ライバル……か」「そうだ。高野が伏見のことを好きなことぐらいはわかっている。だけど、伏見は俺たちの軽音楽部に入部して、高野といる時間は少なくなった。伏見は誰の目から見ても美人で、軽音部の皆が彼女のことを好きになりかけているということも見れば誰にだってわかることだ。それが面白くない高野は、俺達軽音部をつぶそうと画策した。違うか? だけど、そんなことを心配する必要がどこにある。井上や河本が、いくら伏見のことを好きになったところで、お前相手に勝てるようには思えない。杞憂というものだ」「いや、まあこんなことを僕が自分で言うのは鼻につく言い方かもしれないけれど、僕だって井上や河本になんて負けるなんて思ってなんかいないよ。天野、なんで自分だけをそこから除外したんだ? 悔しいけれど、ルックス的にも才能的に見ても、一番手ごわそうなライバルは天野なんじゃないのか?」「俺のことは無視してかまわない。俺は伏見のようなしたたかすぎるオンナは苦手でな」「おまえとは相いれないな。ななせは、したたかすぎるからこそ魅力的なんだ」「だったらお前ら、早く付き合えよ。言わせてもらえば、俺としても高野が一番手ごわいライバルなんだよ」 ――なるほど、そういうことだったのか。言ってしまえば天野も、自分が見たい世界を見ようとしていたにすぎないのだ。だけどそれとこれとは、根本的に話が違うのだ。 天野は天野で自分の想いを伝えるために、昼休みや放課後に窓を開けてわざと大きな音であの歯の浮くようなバラードを上田に聞かせていたのだろう。しかしそれがかえって僕たちの気分を害してしまうきっかけとなった。「なあ、天野。恥ずかしい告白をさせてからこんなことを言い出すのもアレなんだが、僕の目的は静かな放課後を取り戻したいだけだったんだよ」「静かな放課後?」「読書に快適な、静かな旧校舎でのひと時」「……」「軽音部が旧校舎にやってきて、初めのウチは演奏の音がそれほど気になってはいなかったんだけど、日に日に少し様子が変わってきた。アンプの音量はどんどん大きくなるし、窓を開けたりして、まるでわざと周りに音を聞かせているようにも感じた。 僕としては、それが少々不愉快だったところもあるんだ」「そう……だったのか、それは悪かったな。
眠りに落ちる前に、僕はパソコンを開き、インターネットに接続する。 『カクヨム』という小説投稿サイトに寄稿した記事に目を通してみることに。 先日投稿した『岡山のとある山にまつわる都市伝説について、情報がある方は教えてください』というエッセイのPVはかなり伸びており、多くの都市伝説の情報が寄せられていた。 まったく。僕が頭を悩ませながら必死で推敲した小説のほうはなかなか読んでもらえないのにこういうのばかりが数字が伸びるというのもなかなかに悩ましいものではある。 寄せられたコメントのいくつかは、とるに足らないようなコメントであったが、興味をそそるようなものもいくつかあった。それらをまとめると次のようになる。 ・どうやらあの、河童伝説の神田池のほとりにある家、あそこに住む家族の名前は神田と書き、読み方は「カンダ」ではなく、「カミダ」と読むのだそうだ。 ・神田家は代々あの金山を見守る巫女を世話する役割を与えられていて、人里離れたあの山奥で住んでいたそうだ。・神田家は呪われた一族であり、若くして髪の毛が真っ白な子が時折生まれたという。 ・山の上の巫女は、処女であり続けることが義務付けられており、そのため子孫はなく、新しい巫女は神田家のものがどこからか連れてくるのだという。 ・江戸の末期、最後となったカナヤマの巫女は、左右にそれぞれ赤と黒の違う色の瞳を持った美しい巫女だったという。しかし、世話役の神田家の息子と恋仲になってしまい、ふたりは山のお堂に火をつけて心中してしまったという。これを最後にカナヤマの巫女、と神田家の家は途絶えたのだという。 それともうひとつ、僕は一見別のものに思えるこの書き込みも、一連のエピソードではないかと考える。 ・明治に入り、金山の北のはずれに非常に当たると噂のまじない師が現れた。そのまじない師は若くして白髪、左右に赤と黒の二種の瞳を持つ美しい女性だったという。 これより先は、まったくもって僕の単なる考察に過ぎない。これらのうわさ話が、あくまですべて真実だと仮定し、そのうえでつなぎ合わせた、それはある種の創作とでも思ってくれていい。 江戸の末期、この辺り一帯で大規模な飢饉があった。食べるものさえままならない人々は口減らしのためにカナヤマの山中に子を捨てた。 あるいは、栄養不足などで遺伝子異常の子が生まれ、その子を不憫に思ったり、悪魔の所
上田麻里の一週間 あきらめないことにした。 希望なんてものもあまりなく、敵はあまりにも強大だ。わたしなんかには到底太刀打ちできないような相手なのだとこの一週間で思い知らされもしたが、それでももう少しだけあがいてみようとは思う。 月曜日の朝。いつもよりも少し早くに目を覚まし、髪を黒く染めなおして、色付きのコンタクトレンズを入れる。黒いレースの眼帯はポケットに忍ばせる。流石にまだすべてをさらけ出すのには勇気が足りないけれど、そのうちいつかは…… 鏡の中の自分を見つめながら、もしかすると、眼鏡をかけたほうがかわいいのかもしれないと考えたりもする。彼が文学的少女に属性を持っている可能性も十分にある。考えてみてもいいかもしれない。 鞄に自分で作ったお弁当を入れる。コンビニで買った総菜パンですますのはもうやめだ。きっと彼は料理上手な女の子のほうが好みだ。 玄関を開け、冷たい空気を胸いっぱいに詰め込み、ゆっくりと吐き出して深呼吸をする。 今日からが本当の戦いだ。 学校へと向かう金山の坂道を歩きながら、はるか前方に高野君の姿を見つけた。その隣には強力なライバルが寄り添う。歩む足を速め、少しでもはやく二人に追いつきたいと思いながら、この一週間を振り返る。 先週の火曜日、高野君が部室でホラー小説を読んでいるのを見かけた。少しうれしい気持ちと反面驚きもあった。高野君もオカルトとかに興味があるというのはチャンスかもしれない。 『学園七不思議を一緒に調べよう!』なんてイベントを思いついたのはその時だ。本当は七不思議なんてあるのかどうかも知らないのだけれど、要するに話をするきっかけがほしかっただけ。旧校舎の裏に稲荷の祠があってそこに油揚げをお供えすると願いが叶うという噂を耳にして、今日はそれを実行しようと油揚げを用意していたからちょうどいい。 少しだけれど、ふたりきりで話も出来たし、今日は自分をよく頑張ったとほめてあげたかった。 でも、ライバルはとても強い。 高野君と二人で39アイスを食べに行くのだと耳にした。わたしは負けじと39アイスに先回りした。甘いものは苦手だけれど、せっかくのスノーマンキャンペーンだからと、二段重ねを注文、しかしそれを食べ終わっても高野君はまだ来ない。食べ終わったのにずっとここにいるのは不自然かと思い、さらに追加で食べることにした。それから少ししてようやく高
土曜日。まだ、夜も明けきらないうちに訪問者があった。「ごめん。起こしちゃったかな?」「いえ、大丈夫です。今日は朝早くから予定があったので、早く起きていました」「そう、マコトとデートだものね」「伏見さん、知っていたんですか?」「うん、マコトから聞いたの!」「あ、あの……もしかして……怒ってます?」「怒る? なんで? ああ……そういうこと? ううん、気にしなくていいわ。それよりこれ」 伏見さんが渡してくれたものは、今日予定している河童捜索に持って行くお弁当だった。「そんな、そこまでしてもらうなんていくらなんでも……」「ううん、気にしないで、好きでやってるだけだから!」 それは、言ってみれば強者ならではの余裕のようにも感じた。『好きでやっているだけ』という言葉の意味は、たぶん高野君のことが好きだからやっているだけ。わたしのほうが、おまけなのだと言っているのかもしれない。所詮わたしなんかが高野君と出かけたところで、気にするほどのことでもないと言っているのかもしれない。 伏見さんからお弁当を受け取り、昨日のカラになった二人分のお弁当箱を渡す。 ――たぶん事実そうなのだろう。高野君はいつだって、伏見さんのことしか見ていない。だからわたしは決めたのだ。 この日の河童池の捜索を、最後の思い出にしようって…… そして、この日はいろいろあった。その中で、、一番大事だったこと。 それは、高野君がサンドイッチをおいしいと言ってくれたことだった。 たぶん、これが最初で最後かもしれない。 高野君と伏見さんが相思相愛で、わたしなんかじゃどうにもならないことを知っている。 伏見さんは料理上手で、きっと彼女の作ったお弁当はとてもおいしいのだろう。 でも、これは最後の戦いだった。 わたしは下手なりに頑張って早起きをして、今日のこの日のためにサンドイッチを手作りしたのだ。伏見さんがお弁当を持ってきてくれたけれど、それは家に置いてきた。 だけど、高野君はわたしの作ったサンドイッチをちゃんとおいしいと言ってくれたのだ。 その瞬間に、思わず涙があふれてしまった。――最後に、ちゃんといい思い出が作れたんだと。 伏見さんがわたしのアパートに訪れたのは夕方になってからのことだ。伏見さんの体調もすっかり良くなっているらしく、マスクもしていない。今日一日あったいろいろなことを話したくて、部屋に上がってもらい、
放課後の静かな旧校舎の一室、カバンから取り出した文庫本を開く。 冷たい風が古い窓をたたく音さえもどこかいとおしく、風にさらわれる枯葉の音さえ聞こえてきそうなこの場所で、僕はただ読書をしていたかっただけなのだ。 それなのに…… とある放課後、突然として旧校舎の前に現れた野良犬の首なし死体。さらに、一人きりの教室で響く文明的な呼び出し音に舌打ちしながら、伏せた本と入れ替わりにスマホを手に取る。『あ、もしもし! わたし、麻里。今、旧校舎の裏山にいるの。 大変です! ヤバいもの見つけてしまいました! 死体、本物の死体です。 しかも、普通じゃないんです。 これ、リョウメンスクナですよ!』
――読書の秋だ。 読書をするうえでこれほどに恵まれた環境があるだろうか。 僕らの通う私立高校は山の斜面の中腹にあり、その斜面に沿って校舎が建てられている。 校門をくぐって一番手前にあるのが最も新しい新校舎。 そこからまっすぐに伸びる階段に沿ってひとつずつ古くなっていく校舎。 斜面の一番奥にあるのがこの旧校舎だ。 二階建ての木造建築で各階に教室は二つだけ。さらにその上にちょこんと乗っかる形の三階部分は時計塔の機械室になっている。時計の針はすでに動きを止め、時間は全く持ってでたらめな方向を差している。 かつてはこの学校の校舎はこの木造校舎だけだったらしいのだが、時代が進み、生徒が増えるにつれその下に校舎を一棟ずつ増やしていったという。 今となってはこの古い旧校舎はほとんど使われていない。 故にほとんど廃部寸前の部活動の部室としてのみ使われている。しかもこの旧校舎、少し前には幽霊が出るだとかそんなうわさも流れ、無関係の生徒は好き好んで足を運ぶようなことはしない。この上なく静かな場所であり、僕の所属する文芸部の部室はこの旧校舎の一階にある。これほどに読書に適した場所があるだろうか、しかも、今日用意した本は格別だ。岩井志麻子の『ぼっけえきょうてえ』 第5回角川ホラー小説賞を受賞した作品で、『ぼっけえきょうてえ』とは岡山弁で「とてもこわい」という意味だ。 過去に幽霊騒動があっというこの旧校舎は当然建物も古く、ホラー小説を読むにこの上ない雰囲気がある。むしろ雰囲気がありすぎるほどだ。しかし何もそこまで怖がる必要はない。あいにく僕は怪異譚だとか、都市伝説だとか真に受けるようなロマンチストじゃない。かといって、それをあえて馬鹿にするほど許容の狭い人間でもなく、エンターテイメントとしてのそれを楽しむことのできる懐の大きい人間だ。間もなく作中に没入し、秋の冷たい風がカタカタと古い窓をたたいて揺らす音さえも耳に入らなくなった頃合い……「マッコトー!」元気があり余り過ぎてこちらの迷惑さえも顧みない勢いで教室のドアを開き、読書にいそしむ僕の向かいに無遠慮に椅子を引いて座る伏見ななせという美少女。机に両肘をついて合わせたこぶしの上に顎を乗せる。じっとこちらを見つめるように話しかけてくる。「ねっ、ねっ、マコト。聞いた? 早乙女花蓮のハナシ!」 手に持ってい
伏見ななせは明るく社交的で顔だちも整っている。いわば学校中のアイドル的存在で、多少背が低いだとか胸が小さいなんて些細なことを気に病むようなレベルではない。 むしろ僕のような冴えない男子学生に普通に接してくれるというだけで感謝に有り余るくらいだ。そんな伏見ななせは、当然文芸部の部員ではなく、軽音楽部の部員である。彼女がここを訪れるには理由がある。 この文芸部の部室にある唯一の電化製品、湯沸かしポットの存在だ。女子というものは冷え性が多く、ななせも例外ではない。すっかり寒くなったこんな季節には温かい飲み物がほしくなるのは当然で、ここならばそれがお金をかけることなく手に入れることができるからだ。 彼女はこの部室に自分のマグカップを持ち込んでおり、僕の用意しているインスタントコーヒーを遠慮なく使って暖かいコーヒーを淹れる。さらにそこにチューブのコンデンスミルクをたっぷりと注ぎ込み、甘くてマイルドなコーヒーをいただくのだ。 そして、この旧校舎でアイドル的存在の伏見ななせがいるところがすべての中心であり、多くのお呼びでないものまで引き寄せてしまう。 「失礼します」「ちーっす」「こんにちはー」「あの、どうも」 それぞれに挨拶をしながら文芸部の部室に侵入してくる軽音楽部のメンバー。 まず、ドラムの井上。背が高く、たれ目でやさしい印象の彼ではあるが、事実とても気の良い繊細な人物だ。その表情はどこか老犬のようではある。僕はひそかに彼のことを『犬』と呼んでいる。 次に、ベースの河本。顔が少し大きめでえらのはっった顔立ち。ストレスがあるのか、あるいはそういう髪型をあえてしているのかはわからないけれど、頭頂部の髪が少し薄いように思える。てっぺんだけの短く刈っているのかもしれないがそんなことをいちいち聞くのも失礼かと思い聞いていないため真相はわからない。僕はひそかに彼のことを『河童』と呼んでいる。 キーボードの花村。小柄で中世的な顔立ちだ。顔だちも整っていて、黙っていればショートヘアの美少女に見えなくもない。秘密のあだ名は『花子』。 ギターの天野。純然たる男ではあるが、サラサラの黒髪セミロングヘア―。ジョンレノンでも意識しているのか丸いレンズの眼鏡がトレードマークだ。少々ナルシスト気味なところがある。よく見かける妖怪『アマビエ』のイラストにちょっと似ているため
土曜日。まだ、夜も明けきらないうちに訪問者があった。「ごめん。起こしちゃったかな?」「いえ、大丈夫です。今日は朝早くから予定があったので、早く起きていました」「そう、マコトとデートだものね」「伏見さん、知っていたんですか?」「うん、マコトから聞いたの!」「あ、あの……もしかして……怒ってます?」「怒る? なんで? ああ……そういうこと? ううん、気にしなくていいわ。それよりこれ」 伏見さんが渡してくれたものは、今日予定している河童捜索に持って行くお弁当だった。「そんな、そこまでしてもらうなんていくらなんでも……」「ううん、気にしないで、好きでやってるだけだから!」 それは、言ってみれば強者ならではの余裕のようにも感じた。『好きでやっているだけ』という言葉の意味は、たぶん高野君のことが好きだからやっているだけ。わたしのほうが、おまけなのだと言っているのかもしれない。所詮わたしなんかが高野君と出かけたところで、気にするほどのことでもないと言っているのかもしれない。 伏見さんからお弁当を受け取り、昨日のカラになった二人分のお弁当箱を渡す。 ――たぶん事実そうなのだろう。高野君はいつだって、伏見さんのことしか見ていない。だからわたしは決めたのだ。 この日の河童池の捜索を、最後の思い出にしようって…… そして、この日はいろいろあった。その中で、、一番大事だったこと。 それは、高野君がサンドイッチをおいしいと言ってくれたことだった。 たぶん、これが最初で最後かもしれない。 高野君と伏見さんが相思相愛で、わたしなんかじゃどうにもならないことを知っている。 伏見さんは料理上手で、きっと彼女の作ったお弁当はとてもおいしいのだろう。 でも、これは最後の戦いだった。 わたしは下手なりに頑張って早起きをして、今日のこの日のためにサンドイッチを手作りしたのだ。伏見さんがお弁当を持ってきてくれたけれど、それは家に置いてきた。 だけど、高野君はわたしの作ったサンドイッチをちゃんとおいしいと言ってくれたのだ。 その瞬間に、思わず涙があふれてしまった。――最後に、ちゃんといい思い出が作れたんだと。 伏見さんがわたしのアパートに訪れたのは夕方になってからのことだ。伏見さんの体調もすっかり良くなっているらしく、マスクもしていない。今日一日あったいろいろなことを話したくて、部屋に上がってもらい、
上田麻里の一週間 あきらめないことにした。 希望なんてものもあまりなく、敵はあまりにも強大だ。わたしなんかには到底太刀打ちできないような相手なのだとこの一週間で思い知らされもしたが、それでももう少しだけあがいてみようとは思う。 月曜日の朝。いつもよりも少し早くに目を覚まし、髪を黒く染めなおして、色付きのコンタクトレンズを入れる。黒いレースの眼帯はポケットに忍ばせる。流石にまだすべてをさらけ出すのには勇気が足りないけれど、そのうちいつかは…… 鏡の中の自分を見つめながら、もしかすると、眼鏡をかけたほうがかわいいのかもしれないと考えたりもする。彼が文学的少女に属性を持っている可能性も十分にある。考えてみてもいいかもしれない。 鞄に自分で作ったお弁当を入れる。コンビニで買った総菜パンですますのはもうやめだ。きっと彼は料理上手な女の子のほうが好みだ。 玄関を開け、冷たい空気を胸いっぱいに詰め込み、ゆっくりと吐き出して深呼吸をする。 今日からが本当の戦いだ。 学校へと向かう金山の坂道を歩きながら、はるか前方に高野君の姿を見つけた。その隣には強力なライバルが寄り添う。歩む足を速め、少しでもはやく二人に追いつきたいと思いながら、この一週間を振り返る。 先週の火曜日、高野君が部室でホラー小説を読んでいるのを見かけた。少しうれしい気持ちと反面驚きもあった。高野君もオカルトとかに興味があるというのはチャンスかもしれない。 『学園七不思議を一緒に調べよう!』なんてイベントを思いついたのはその時だ。本当は七不思議なんてあるのかどうかも知らないのだけれど、要するに話をするきっかけがほしかっただけ。旧校舎の裏に稲荷の祠があってそこに油揚げをお供えすると願いが叶うという噂を耳にして、今日はそれを実行しようと油揚げを用意していたからちょうどいい。 少しだけれど、ふたりきりで話も出来たし、今日は自分をよく頑張ったとほめてあげたかった。 でも、ライバルはとても強い。 高野君と二人で39アイスを食べに行くのだと耳にした。わたしは負けじと39アイスに先回りした。甘いものは苦手だけれど、せっかくのスノーマンキャンペーンだからと、二段重ねを注文、しかしそれを食べ終わっても高野君はまだ来ない。食べ終わったのにずっとここにいるのは不自然かと思い、さらに追加で食べることにした。それから少ししてようやく高
眠りに落ちる前に、僕はパソコンを開き、インターネットに接続する。 『カクヨム』という小説投稿サイトに寄稿した記事に目を通してみることに。 先日投稿した『岡山のとある山にまつわる都市伝説について、情報がある方は教えてください』というエッセイのPVはかなり伸びており、多くの都市伝説の情報が寄せられていた。 まったく。僕が頭を悩ませながら必死で推敲した小説のほうはなかなか読んでもらえないのにこういうのばかりが数字が伸びるというのもなかなかに悩ましいものではある。 寄せられたコメントのいくつかは、とるに足らないようなコメントであったが、興味をそそるようなものもいくつかあった。それらをまとめると次のようになる。 ・どうやらあの、河童伝説の神田池のほとりにある家、あそこに住む家族の名前は神田と書き、読み方は「カンダ」ではなく、「カミダ」と読むのだそうだ。 ・神田家は代々あの金山を見守る巫女を世話する役割を与えられていて、人里離れたあの山奥で住んでいたそうだ。・神田家は呪われた一族であり、若くして髪の毛が真っ白な子が時折生まれたという。 ・山の上の巫女は、処女であり続けることが義務付けられており、そのため子孫はなく、新しい巫女は神田家のものがどこからか連れてくるのだという。 ・江戸の末期、最後となったカナヤマの巫女は、左右にそれぞれ赤と黒の違う色の瞳を持った美しい巫女だったという。しかし、世話役の神田家の息子と恋仲になってしまい、ふたりは山のお堂に火をつけて心中してしまったという。これを最後にカナヤマの巫女、と神田家の家は途絶えたのだという。 それともうひとつ、僕は一見別のものに思えるこの書き込みも、一連のエピソードではないかと考える。 ・明治に入り、金山の北のはずれに非常に当たると噂のまじない師が現れた。そのまじない師は若くして白髪、左右に赤と黒の二種の瞳を持つ美しい女性だったという。 これより先は、まったくもって僕の単なる考察に過ぎない。これらのうわさ話が、あくまですべて真実だと仮定し、そのうえでつなぎ合わせた、それはある種の創作とでも思ってくれていい。 江戸の末期、この辺り一帯で大規模な飢饉があった。食べるものさえままならない人々は口減らしのためにカナヤマの山中に子を捨てた。 あるいは、栄養不足などで遺伝子異常の子が生まれ、その子を不憫に思ったり、悪魔の所
「なあ、天野。なんで僕がこんなことをしたのか、わかっているのか?」「それは、ライバルを蹴落とすためだろう」「ライバル……か」「そうだ。高野が伏見のことを好きなことぐらいはわかっている。だけど、伏見は俺たちの軽音楽部に入部して、高野といる時間は少なくなった。伏見は誰の目から見ても美人で、軽音部の皆が彼女のことを好きになりかけているということも見れば誰にだってわかることだ。それが面白くない高野は、俺達軽音部をつぶそうと画策した。違うか? だけど、そんなことを心配する必要がどこにある。井上や河本が、いくら伏見のことを好きになったところで、お前相手に勝てるようには思えない。杞憂というものだ」「いや、まあこんなことを僕が自分で言うのは鼻につく言い方かもしれないけれど、僕だって井上や河本になんて負けるなんて思ってなんかいないよ。天野、なんで自分だけをそこから除外したんだ? 悔しいけれど、ルックス的にも才能的に見ても、一番手ごわそうなライバルは天野なんじゃないのか?」「俺のことは無視してかまわない。俺は伏見のようなしたたかすぎるオンナは苦手でな」「おまえとは相いれないな。ななせは、したたかすぎるからこそ魅力的なんだ」「だったらお前ら、早く付き合えよ。言わせてもらえば、俺としても高野が一番手ごわいライバルなんだよ」 ――なるほど、そういうことだったのか。言ってしまえば天野も、自分が見たい世界を見ようとしていたにすぎないのだ。だけどそれとこれとは、根本的に話が違うのだ。 天野は天野で自分の想いを伝えるために、昼休みや放課後に窓を開けてわざと大きな音であの歯の浮くようなバラードを上田に聞かせていたのだろう。しかしそれがかえって僕たちの気分を害してしまうきっかけとなった。「なあ、天野。恥ずかしい告白をさせてからこんなことを言い出すのもアレなんだが、僕の目的は静かな放課後を取り戻したいだけだったんだよ」「静かな放課後?」「読書に快適な、静かな旧校舎でのひと時」「……」「軽音部が旧校舎にやってきて、初めのウチは演奏の音がそれほど気になってはいなかったんだけど、日に日に少し様子が変わってきた。アンプの音量はどんどん大きくなるし、窓を開けたりして、まるでわざと周りに音を聞かせているようにも感じた。 僕としては、それが少々不愉快だったところもあるんだ」「そう……だったのか、それは悪かったな。
最近になってよく耳にする妖怪に『アマビエ』というやつがいる。 長い髪にとがった口、キラキラした目にうろこの体、そして三本の足。 そのイラストは今や知らない人は誰もいないと言われるほどで、ことの発端は世界的に流行した病に対し、そのアマビエのイラストを貼っておくと病が収まると言われたことだ。 そのつぶらな瞳に人々はかわいいと感じ、しばしば長い髪から連想されやすい女性のイラストとして登場することもある。 しかし、騙されてはいけない。アマビエはおそらくオスである。アマビエの正体は『アマビコ』(阿磨比己)である。 アマビコという妖怪はいわゆる予言獣で、猿のような毛むくじゃらな体に三本の足。海から上がってきて人に予言をするのだ。『間もなくこの国に疫病が蔓延する。我を書いた絵を貼っておけばその難から逃れられる』 このことを受け、巷で多くの民がこのアマビコの絵を買い求め、家に貼った。 おかげで多くの瓦版屋の懐が潤ったことだろう。 それは京都の瓦版屋も例外ではない。 都である京都の多くの民がこのアマビコの絵を掲載された瓦版を買い求め、家に貼るというのは他と同じである。 しかし、その瓦版に書かれていた〝コ〟の文字が〝ヱ〟と紛らわしかったのだ。京都の町で多くの民が手に取ったその瓦版に描かれていた絵というのが有名なあの『アマビエ』の絵であり、京都の町では『アマビヱ』として伝わった。 まあ、名前なんてどうでもいいことだ。アマビコだろうがアマビエだろうが、皆の間に流行ってしまった病を治めてくれるというのならば、それにすがることに異はない。 日曜日だ。明日からはまた学校が始まる。 思えばこの一週間はいろいろあった。 そしていまだ、それらのすべてが解決したわけでもなく、それを抱えたままで明日から過ごすというのは難儀なことである。 いや、そもそもこんなことになってしまったのは、僕にだって責任があるのだ。 だからと言って僕がすべてを解決することのできるような優れた人間ではないということは言うまでもないし、だからそう。 この状況を誰かが何とかしてくれないかなと甘えたことを考える日曜日の朝に、僕のところにめずらしい相手から連絡がきた。『少し話したいことがある。今日、少し時間を作れるか?』 軽音楽部の部長、天野からだ。 長髪で丸眼鏡、少し気取った態度のナルシストタイプの天野が、実は少し苦手ではあ
僕が子犬に近づこうすると、子犬は自分のくわえているそれを奪われるとでも思ったのか、小走りで逃げ出し、脇にあった入口とは別の小さな横穴に入って行った。その場を追いかけてみたけれど、流石に横穴は小さすぎて人間では入れない。横穴にスマホを差し込みライトを照らしてみると、どうやら上のほうに続く縦穴になっているようだ。 その先が、どこにつながっているのか? それは意外にも簡単に想像がついた。子犬が走って逃げたと入れ違いに滑り落ちてきた筒状の金属。僕はそれに見覚えがある。 安物ではあるけれど、災害時などに持っていると便利だろうと買っておいたLED式の懐中電灯だ。 昨日、上田と旧校舎の裏山に行き、その時に井戸らしき場所に落としてしまったライト。それがここにあるということは、おそらくこの場所はちょうどあの井戸の底だということだ。いや、そもそもここは井戸なんかではなかったのかもしれない。この神田池から巫女の住む社へと続く通路。神田池で汲まれた水をこの通路を使って持ってあがっていたのかもしれない。長い年月使用されずにそのほとんどは土で埋まってしまっているが、まだわずかな隙間があり、あの子犬が通路として使っていたのだろう。おそらく子犬はこのボロイ廃屋に住み着いていて、この通路を通って、あの裏山の広場や旧校舎の稲荷のあたりまで餌を探してさまよっているのだろう。 LEDの懐中電灯を拾い上げスイッチを押すとスマホよりもだいぶ明るい光が手に入った。 昨日落した時にはついていたはずの照明が消えていたのでてっきり壊れているかと思ったが、どうやらここまで落下してくる間にどこかでスイッチが押されてしまっただけのようだ。「どうしたんですかそれ?」「昨日あの井戸に落としたライトだよ。ここに落ちていた」「それってつまり……」 上田が何かを言いかけたとき、僕は懐中電灯をさっき子犬が土を掘り返していたあたりを照らす。「ひいぃ!」 オカルト好きのはずの上田もさすがにこれには声を上げずにはいられなかった。 僕は先ほど犬が何か白いものをくわえているのを見たときに、あれは骨だったのではないかと感じたので、それなりの心構えはあった。 だけど、まさかこんなにもヒドイと思っていなかったのでさすがに息をのむ。 小犬が掘り返していたあたり一面、土の中にぎっしりと敷き詰められた人骨。いったい、何人分のものだろう? 多すぎてとても
入山して約一時間ほどしたところで僕たちは山間にひっそりとたたずむ小さな池にたどり着いた。 まかり間違っても、絶景とは言い難い。さほど大きくもなく、水も緑色に濁っていて、その水面の三分の一ほどは落葉に埋め尽くされてしまっている。 その昔、河童が住んでいたというのだからもう少しきれいな水質を予想していたのだが、これでは河童どころか魚もそれほど住んでいるとは思い難い。あるいは昔はもっと、山水の流入が多く水質もきれいだったのかもしれない。「あ、でもこの水中が不透明なところだとか、もしかしたら謎の巨大生物とかいたりする可能性を感じませんか」 オカルト好きな上田は相変わらず夢見ごころなことを言いながら池のほとりに座り込んだ。 散々歩き通して疲れていただろう。僕も横に座り、ペットボトルの水を飲みながらくだらない蘊蓄を垂れる。「残念だけど、この池に巨大生物はいないよ。それに河童にしたって無理だ。もっと流動のある川の様な所なら住んでいてもおかしくないけれど、何しろここは山に降った雨水が集まってできた大きな水たまりみたいなものだ。もちろん、下流で川ともつながっているだろうし、魚が昇ってきて住んでいたっておかしくはないけれど、巨大生物や河童が餌を確保できるほどにはいないだろうね。 ほら、イギリスのネス湖に有名なネッシ―という巨大生物の伝説があるだろう? ネッシーの伝説自体は六世紀ごろから伝えられてはいるけれど、なんといっても有名なのはあの、いわゆる外科医の写真だ。あれはもともとエイプリルフールネタとして作られたおもちゃの潜水艦の写真だったということが公表された今でも多くの人々がネッシーの存在を今でも信じている。 だけど、規模としてはかなり大きいけれど泥炭が流れ込むことで水の透明度の低いネス湖は同時に食物連鎖の底辺となる植物プランクトンも極めて少ないと言える。そのプランクトン量で生存可能な水棲小動物があり、それを餌とする中型水棲動物、それを餌にする大型という風に計算すると、ネス湖はあれだけの大きさがあっても、せいぜいワニが10匹生存できるかどうか程度らしい。で、あれば、古代よりネッシーのような超大型動物が繁殖を行い今日に至るために常に二匹以上のネッシーが存在し続けたということは、どう考えても無理なんじゃないかな」 僕はまた、くだらないことを言ってしまったと思う。悪い癖だ。 隣で、炭酸
十一月の午前七時はまだ薄暗い。 東日本に住んでいる人間からすれば疑問の声も上がるかもしれないが、西日本では実際そうなのである。日本国内ではどこに行っても一つの標準時刻で生活しているが、なにせ日本列島は全長3000キロメートルもあるのだ。その東西では経度の関係上、実質二時間近くの差があるため、統一された一つの時間で語っても、その感じ方は生活の環境次第で違ったものになる。 僕らは皆、そういう世界で生きているのだ。 まだ外は薄暗いにもかかわらず、今日が土曜日だというにもかかわらず、運動部に所属している学生たちはすでにユニフォーム姿のままで登校し、部活動の朝練へと出発しているものも少なくない。実にご苦労なことだ。くだらないことでほとんど眠れなかったと愚痴をこぼしている自分がまるでヒドイ怠け者のように感じてしまう。 電車に乗り上田の住むアパートに到着するころにはしっかりと陽の光も上がってきている。 ドアチャイムを鳴らし、しばらくすると玄関が開き、パジャマ姿で眠そうな上田が出迎えてくれる。「ふああ、すいません。まだ準備ができていなくて……すぐに用意するので少しだけ待っていてください……どうしたんです? 外じゃ寒いので、中に入ってください」「あ、ああ……それにしても上田……お前、寝るときもカラコン、つけたままなのか?」「ふぇ? からこん?」 上田本人も、気づいていなかったようだ。さも寝起き間もないという風体にもかかわらず、上田の左目はいつものような漆黒の瞳。にもかかわらず、たいして右目は真紅の瞳孔だ。「は! はわわわわわわ!」 上田は右てのひらで慌てて赤い目を覆い隠し、部屋の奥へと走って行った。 帰ってくると、いつもの見慣れた黒いレースの眼帯で右目を覆っている。 上田が普段放課後に黒い眼帯をつけていて、しかもその目には赤いカラコンをつけているというのは割と有名なうわさだが、実際に赤い瞳を見ることはあまりない。確かコンタクトレンズを入れたまま眠ると目が腫れるというような話を聞いたこともあるが、ソフトだとかハードだとかそういうのがあるらしくて実際どうなのかはよく知らない。僕は、視力だけはやたらと良いので眼鏡だとかコンタクトレンズだとかそういうものの知識がほとんどない。 上田の部屋に上がり、隅のほうに腰を据える。たとえ上田が一人暮らしだと知っていても、これが通算三度目ともなると僕
「正直に言うとね、僕は河童の正体はカワウソじゃないかと思ってるんだよ」「カワウソ……ですか? それじゃあなんですか? あの名作ギャグマンガのコンビ、かっぱ君とかわうそ君は同族だったとでも?」「まあ、そのギャグ漫画がどうであるかはさておき、今ではほぼ絶滅したと言われている二ホンカワウソだけど、水辺なんがでは割と二足で立ち上がったりするんだよね。身長90センチくらいで水かきもある。頭のてっぺんは平べったくて、水からあがった際にはそこに残った水が太陽の光に反射してお皿のように見えたんじゃないのかって思うわけだ」「それはまあ、確かにそういう事例なんかもあるかもしれないですけれど、だからと言って探さなくてもいいという理由にはなりませんよ? それに、そもそも河童を目撃したその人は、なんで、カワウソを発見したって言わなかったんですか? だってそのほうが普通じゃないですか? それなのにわざわざ河童を見たと証言するのは、それがとてもカワウソには見えなかったからじゃないんですか?」「でもさ、初めから河童とかわうそと両方を知っている人からすればどうだろう?」「そりゃあ、カワウソならカワウソを見た。そうでないものを見たなら河童を見たというの言うのでは?」「僕が思うに、その見たものがどうであれ、河童を見たいと思っている人は河童を見たといい、カワウソを見たいと思っている人ならカワウソを見たと証言するんじゃないかな? 人はどうしても見たい世界を見ようとする癖がある。だから、それを見たときに自分にとって都合の良いところだけを観察して、都合の悪いところは見ても見ぬふりをするんじゃないだろうか?」「うーん……そういう穿った見方をするのは好きじゃないです。ともかく、とりあえずそいつを捕まえればわかることです。つかまえてから、じっくりと河童なのかカワウソなのか判断すればいいんじゃないですか?」「ま、まあ、そうだね……もしかしてこの調査は、河童を捕まえるまで続いたり……しないよね?」「でも、わたしが納得するまでは終わりませんよ。わたし、そう簡単にはあきらめたりしないタイプなので、それが嫌ならなるべく早くに捕まえることをお勧めします」「そう、なのか……まいったなあ」「さあ、話がそれました。本題に戻りましょう。ここ、高野君、わかります? ここじゃないかと思うんです」 僕が手に持ったスマホの航空図とにらめっこを