「先生……」「ごめんね。君につらい思いをさせて。君は何も悪くないのに」「私、七海先生には本当に幸せになってほしいです。素敵なお相手と結婚して温かいご家庭を作って……だって七海先生は、こんなに立派でカッコよくて、優しくて仕事もできて、それから……」「ありがとう。もう十分だよ。恥ずかしいから、そんなに言われると」先生は、ほんの少しだけ……照れたように笑った。「嘘じゃないです。本当に、先生は素敵ですから」「……だけどね。僕は……白川先生に負けたんだ」「えっ」心臓が掴まれるくらいドキッとした。何とも言えず妖艶で……妖しげなその表情に。この人から溢れ出る男の色気は、白川先生でも敵わない。ただ、七海先生のセリフは、私の心に重くのしかかった。「……なんて、ちょっとイヤミっぽかったね。ごめんごめん」私は、首を横に振った。「僕は……やっぱりどうしようもなく藍花ちゃんが好きだよ。君と温かい家庭を築きたかった。それに……君との子どもも……欲しいと思っていたんだ」七海先生と私の子ども――嬉しい言葉ではあったけれど、今の私にはそれを想像することはできなかった。「子どもは宝物だからね。たくさんの人達がそう言ってるのを聞いてきた。産まれてくる赤ちゃんを抱きしめるお母さんの顔は、みんな幸せに満ちている。毎回、感動的で素晴らしい場面に立ち会えて僕は幸せだよ。だからね、いつしかそういうのに憧れて、藍花ちゃんと家族になれたらいいなって……思ってしまったんだ」新しい命の誕生に立ち会うことは、本当に尊い。それは私にも想像ができる。「七海先生の気持ちはとても嬉しいです。私との未来を描いて下さって……。でも、本当にすみません」私は先生の憧れを壊してしまった……その思いに対しての申し訳なさが心を濁す。「いいんだ。白川先生は無敵なんだから、僕は彼には敵わない。昔からずっとそうだった、今に始まったことじゃないよ。誰も白川先生には勝てないんだ。僕にも、あの人みたいな魅力がほんの少しでもあれば……」「何を言うんですか!七海先生も素敵じゃないですか!魅力的ですよ、すごく。白川先生とは違う魅力ですけど、でも、どっちも素敵だし、どっちが上とか、どっちが勝ちとか、そんなのはないんです」先生も首を横に振った。
「ありがとう。藍花ちゃんに慰めてもらえて嬉しいけど、僕にはやっぱり……男性としての魅力が足りないんだよ。それは充分わかってるんだ」「七海先生。私は……確かに白川先生を好きになってしまいましたけど、七海先生にだって恐ろしい程の魅力があります!それは私が500%保証します!いえ、1000%です」私はどうしてこんなにも力説してるのだろうか?熱くなっている自分が恥ずかしい。「……1000%?そんなに」「はい!」「藍花ちゃんに言われたら自信になるよ」七海先生は笑っている。私に呆れているのかも知れないけれど、その顔を見たら少しだけホッとした。「本当に自信持って下さいね。先生みたいなスーパーイケメンはなかなかいないんですから」そう、それは本当のこと。「ありがとう、藍花ちゃんは優しいね。やっぱり君はすごく素敵な女性だよ。僕は、君を好きになって本当に良かったと思ってる。とにかく……白川先生と幸せになって。彼なら大丈夫だよ、必ず君を幸せにしてくれる。まあ、そんなこと、僕が心配しなくても大丈夫か」七海先生は冷めたコーヒーに口をつけた。「……いえ、心配して下さってありがとうございます。いろいろあって、今は私も心から幸せになりたいって思ってます。だから先生も……必ず幸せになって下さい。それが私の心からの願いです」「うん、そうだね。ありがとう、藍花ちゃん」先生はほほ笑みを浮かべながら、小さくうなづいた。「今日は本当にありがとうございました。お会いできて、いろいろ話せて良かったです。お忙しいのにお時間を作っていただいてすみませんでした」「とんでもないよ。また……会えるといいね。藍花ちゃん、体に気をつけて、あまり無理をしないようにね。藍花ちゃんは頑張り屋さんだから」「七海先生こそ無理なさらないでくださいね。産婦人科の先生は、いつ出産になるかわからないから本当に大変ですもんね。1日中気が張ってると思いますから、ちゃんとリラックスもして下さいね」「気遣いありがとう。まあ、確かに大変だけどね、うん、大丈夫。僕はいつでもこんなに元気だから」七海先生は、きっと私を安心させようとしてくれている。本当に、どこまで優しいのだろう。「本当に……すごく感謝しています。どうか、いつまでもお元気でいて下さい」私は、敬意を込めて深く頭を下げた。
「おはようございます、前田さん。どうですか?傷口痛みますか?」「あっ、蓮見さん、おはようございます。ええまあ、傷はずいぶん良くなったと思います」病室の窓から穏やかな秋の朝日が優しく差し込む。今日も、看護師としての1日が始まる――私の名前は、蓮見 藍花(はすみ あいか)、24歳。160cm、自分では普通の体型だと思っているけれど、たまにスタイルいいねって……恥ずかしいけど褒めてもらえる時がある。看護師である以上、常に笑顔は心がけていて、化粧もあまり派手にならないようナチュラルにしている。茶色でボブスタイルの髪型は、昔からあまり変わっていない。「おはようございます。前田さん、傷口、どうですか?」「ああ!白川先生。おはようございます」病室に後から入ってきたのは、我が「松下総合病院」の外科医、白川 蒼真(しらかわ そうま)先生。白川先生は、前田さんの主治医だ。まだ若手の先生だけど、周りからの信頼はとても厚く、医師としての腕はかなり評判がいい。いづれはこの病院のエースになる人だ。老若男女を問わず、患者さんにダントツ1番人気の理由は、腕が良いだけでなく、超イケメンな美しい顔と、このモデルのようなスタイルも関係しているだろう。180cmで細身、髪型はアッシュグレーのナチュラルショート。前髪は少し長めのセンターパートで、前髪からサイドに流れをつけている。整えられた眉に二重で切れ長の目。艶のある大人っぽい薄めの唇、高い鼻。その端正な顔立ちに、初めて見た人はみんな驚く。あからさまに赤面する人や、急にお喋りになる人、逆に恥ずかしくて緊張してしまう人……女性なら興味をひかれるのは仕方がないだろう。私だって、最初は「こんな素敵な男性が世の中にいるんだ」と、とても驚いたから。学生時代にオシャレ雑誌のモデルも経験済みらしいけれど、そんな華やかな世界には進まずに、医師になるなんて、少しもったいない気がした。
イケメンだからといって、決してチャラチャラしているわけではなく、全身から溢れ出す清潔感は洗練された上品さがある。とにかく、29歳とは思えないしっかりさんで、いろんな意味で「無敵な外科医」なんて呼ばれている。「白川先生、ありがとうございます。少し頭痛があって……」「じゃあ、頭痛薬出しておきますから飲んで様子を見て下さいね。頭痛、つらかったですね。何かあったら看護師に言って下さい。我慢はいけませんよ」白川先生は、前田さんに優しい笑顔を向けた。「ありがとうございます。なんだか毎日不安ばっかりで……。でも、先生がそう仰って下さると安心できます」そう言って、前田さんは嬉しそうに何度も頭を下げた。白川先生のこういうところは、本当にすごいと思う。温かい言葉から、患者さんへの優しさが伝わってくる。私達は、前田さんに一礼をして部屋を出た。「蓮見」「は、はい!」白川先生に苗字を呼ばれてビクッとした。「患者さんが不安になるから、もう少し笑顔でいろ。前田さんは特に今不安な時期なんだ」「は、はい。すみません、気をつけます」私は、腰を90度に曲げて謝った。たまにこうして注意されるせいか、白川先生は私にとってかなり怖い存在だ。患者さんに対して普段はニコニコできるのに、白川先生が隣にいると急に萎縮してしまう。早く先生に慣れないと……とは思っているけれど、今はまだ苦手なままで改善できずにいる。「先輩からもっとしっかり学ぶんだ」「はい……本当にすみません」「どんなことがあっても、患者さんのことを1番に考えろ。お前の気持ちを患者さんに押し付けるな。誰が1番つらいのか。手術して自分の病気と必死に向き合ってる人の気持ちを想像するんだ。その心を癒せるのは御家族と俺達しかいない」「はい!」本当にその通りだ。何も間違ってはいない。白川先生が怖いとか、そんなこと、患者さんには全く関係ないことだ。なのに私は……きっと、まだ未熟過ぎて自分の気持ちが前に出てしまっているのだろう。患者さんの気持ちに寄り添えないなんて、本当に情けない。
私達、看護師の仕事は四六時中気が抜けない。患者さんの容態が急変しないよう常に気を配らなければならないし、早朝だろうが夜中だろうが呼ばれたらすぐに駆けつけなければならない。「今日も何も無く、無事に1日が終わった」……そう言える日が本当に嬉しい。だけどもちろん、そういう安堵の日ばかりではなく、悲しいことが起こる時もある。今まで何人の患者さんを見送ったかわからない。せっかく親しくなったのに、お別れをしなくてはならないことが本当につらい。悲しくてどうしようもなく不安になることもある。日々、喜んだり落ち込んだり、色んな感情の波が押し寄せてくる。私はずっと看護師になりたくて、大学で4年間の勉強を終え、2年前に国家試験を受けて看護師資格を取った。その資格を得るために、様々なことを大学で必死で学んだけれど、実際の現場は想像以上に過酷だった。決して甘くない世界だと何度も自分に言い聞かせながら仕事に就いているけれど、現実は「リアリティショック」というギャップに苦しんで、看護師を早々に止めてしまう人も少なくない。実際、私の周りでも数名辞めている。理想と現実との壁はかなり厚く、そういったことをなくすため、国の方針として新人看護師研修を行っている病院が増えている。
プリセプターシップ――ある程度経験を積んだ看護師が、新人看護師と一緒に患者さんの看護をし、その技術、対話方法、そして、こちら側の自己管理に至るまで様々なことを教える。新人看護師は、その先輩の姿を見て学び、習得していく。これによって、いろんな悩みを1人で抱えずに頑張っていけるようになる――それが、理想とされる形。最初の頃は、私も先輩と一緒に看護をしていたし、今でも看護師同士、励ましあったり切磋琢磨したり、向上心を持って取り組んでるつもりだ。自分は人の命に関わる大切な仕事をしてるんだ――と、少しづつ実感しながら、ひたすら目の前の患者さんに真摯に向き合っている。なのに、実際はまだまだダメな新人看護師。白川先生にだけは緊張してしまう。白川先生が怖いから……とか、そんなことを言ってる場合ではないのだけれど。きっと私……先生には完全に嫌われているに違いない。何度も同じことを言わせているし、しかも、私だけ、なぜか「さん」付けではなく「蓮見」呼ばわり。きっと好かれてない……のだろう。この関係は、良くはならないまま続いていく気がする。こんな雰囲気に周りも何か感じているだろうし、本当に落ち込んでしまう。早く1人前になりたいけれど、この分だとあと何年かかるかわからない。「藍花ちゃん、前田さん大丈夫だった?」「はい。頭痛があるそうで、白川先生が頭痛薬を処方してくださったので、薬局さんにお願いしました」「良かった~。前田さん、手術後で気持ちが少し不安定だから、私達がしっかり気を配らないとね」
そう言ってニコッと笑うのは、私が信頼する看護師長の中川 百合子(なかがわ ゆりこ)さん。うちの病院のベテラン看護師。明るくて優しい、みんなをまとめてくれるとても頼れる先輩だ。いつも髪をアップにしていて、「最近太ってきた」と気にしてるのが可愛い。中川師長は、私のひとつ年下の男性看護師である来栖 歩夢(くるす あゆむ)君の伯母さんにあたる。「歩夢。山下さん、今日シャワーしてもらってね」「はい、準備します」中川師長は、ハキハキ返事をする甥っ子の歩夢君をいつも嬉しそうに見守っている。たぶん、独身だから自分の子どもみたいに可愛いのだろう。歩夢君は優しくてすごく良い子、ナースステーションの癒しのキャラクターのような存在。看護師や患者さんにも人気があるイケメン君で、黒髪ショートの無造作ヘア、オシャレな枠細めの黒縁メガネをかけてる。逆三の輪郭で顔が小さい。少しだけ太めの眉に二重の瞳、男子なのにキュートな雰囲気がある。なのに、175cmの細身で足も長く、スタイルも良いせいで、男性らしさもしっかりある。こんな性格良し、見た目良しの23歳がモテないがわけない。「藍花さん、大丈夫ですか? 手伝いましょうか?」「大丈夫、大丈夫。ありがとう」歩夢君は、いつも周りを気遣える人だ。お母さんも看護師さんで、きっと優しい人なんだろうと想像できる。いつか私が母親になれるとしたら、歩夢君みたいな素直な子が育つ方法を教えてもらいたい。「この前眠れなかったって言ってたから、ちょっと心配してました。疲れが溜まってるかも知れないんで、何かあったら何でも言って下さいね」そう言って、笑顔で私を見る歩夢君。こんな顔で微笑まれたらちょっとキュンとする。
私だけじゃない、きっとみんなが歩夢君の天使みたいな笑顔に支えられて元気をもらってる。新人1年目なのにすごいな……と感心する。だけど、いつも人のことばかり気にかけている歩夢君が疲れてしまわないか、心配になるのも事実だ。「ありがとう。でも全然大丈夫だよ。本当に私、歩夢君に心配かけちゃってダメな先輩だよね。もっとしっかりしなきゃね」白川先生にいろいろ言われて落ち込んでいるせいか、つい後輩の前でネガティブな言葉が出てしまった。「藍花さんはしっかり頑張ってますよ。いつも見てて思います。患者さんの目線に立って考えたり話したりしてるなって。誰にでも細かく気配りもできるし、優しいし、僕はそんな藍花さんからいっぱい学んでます。本当に尊敬してるんです。それに……」勢いよく話していた歩夢君の言葉が急に止まった。「歩夢君……?」「あ、いや、すみません。ちょっと喋りすぎましたね。山下さんのシャワーの時間なんで声掛けてきます。藍花さんも頑張って下さいね!」右手を上げて、ニコッと笑う歩夢君。「ありがとう」私も笑顔でそれに答えた。歩夢君、いったい何が言いたかったのかな?「私も落ち込んでる場合じゃない、頑張らなきゃ」、私は心の中で静かに自分を鼓舞した。ナースステーションの動きは慌ただしい。私達の仕事は夜勤もあるし、かなり大変だ。だけど、人間関係を大事にしながら、みんなで声を掛け合って励まし合いながら頑張っている。優しい歩夢君にも随分助けてもらって、もちろん中川師長はじめ、他の看護師達にも支えられて、私はすごく良い環境で仕事ができている。まだまだ先は長い。一喜一憂ばかりでいろいろあるけど、やっぱり前を向いて元気に進みたい。私は、改めてみんなに感謝した。
「ありがとう。藍花ちゃんに慰めてもらえて嬉しいけど、僕にはやっぱり……男性としての魅力が足りないんだよ。それは充分わかってるんだ」「七海先生。私は……確かに白川先生を好きになってしまいましたけど、七海先生にだって恐ろしい程の魅力があります!それは私が500%保証します!いえ、1000%です」私はどうしてこんなにも力説してるのだろうか?熱くなっている自分が恥ずかしい。「……1000%?そんなに」「はい!」「藍花ちゃんに言われたら自信になるよ」七海先生は笑っている。私に呆れているのかも知れないけれど、その顔を見たら少しだけホッとした。「本当に自信持って下さいね。先生みたいなスーパーイケメンはなかなかいないんですから」そう、それは本当のこと。「ありがとう、藍花ちゃんは優しいね。やっぱり君はすごく素敵な女性だよ。僕は、君を好きになって本当に良かったと思ってる。とにかく……白川先生と幸せになって。彼なら大丈夫だよ、必ず君を幸せにしてくれる。まあ、そんなこと、僕が心配しなくても大丈夫か」七海先生は冷めたコーヒーに口をつけた。「……いえ、心配して下さってありがとうございます。いろいろあって、今は私も心から幸せになりたいって思ってます。だから先生も……必ず幸せになって下さい。それが私の心からの願いです」「うん、そうだね。ありがとう、藍花ちゃん」先生はほほ笑みを浮かべながら、小さくうなづいた。「今日は本当にありがとうございました。お会いできて、いろいろ話せて良かったです。お忙しいのにお時間を作っていただいてすみませんでした」「とんでもないよ。また……会えるといいね。藍花ちゃん、体に気をつけて、あまり無理をしないようにね。藍花ちゃんは頑張り屋さんだから」「七海先生こそ無理なさらないでくださいね。産婦人科の先生は、いつ出産になるかわからないから本当に大変ですもんね。1日中気が張ってると思いますから、ちゃんとリラックスもして下さいね」「気遣いありがとう。まあ、確かに大変だけどね、うん、大丈夫。僕はいつでもこんなに元気だから」七海先生は、きっと私を安心させようとしてくれている。本当に、どこまで優しいのだろう。「本当に……すごく感謝しています。どうか、いつまでもお元気でいて下さい」私は、敬意を込めて深く頭を下げた。
「先生……」「ごめんね。君につらい思いをさせて。君は何も悪くないのに」「私、七海先生には本当に幸せになってほしいです。素敵なお相手と結婚して温かいご家庭を作って……だって七海先生は、こんなに立派でカッコよくて、優しくて仕事もできて、それから……」「ありがとう。もう十分だよ。恥ずかしいから、そんなに言われると」先生は、ほんの少しだけ……照れたように笑った。「嘘じゃないです。本当に、先生は素敵ですから」「……だけどね。僕は……白川先生に負けたんだ」「えっ」心臓が掴まれるくらいドキッとした。何とも言えず妖艶で……妖しげなその表情に。この人から溢れ出る男の色気は、白川先生でも敵わない。ただ、七海先生のセリフは、私の心に重くのしかかった。「……なんて、ちょっとイヤミっぽかったね。ごめんごめん」私は、首を横に振った。「僕は……やっぱりどうしようもなく藍花ちゃんが好きだよ。君と温かい家庭を築きたかった。それに……君との子どもも……欲しいと思っていたんだ」七海先生と私の子ども――嬉しい言葉ではあったけれど、今の私にはそれを想像することはできなかった。「子どもは宝物だからね。たくさんの人達がそう言ってるのを聞いてきた。産まれてくる赤ちゃんを抱きしめるお母さんの顔は、みんな幸せに満ちている。毎回、感動的で素晴らしい場面に立ち会えて僕は幸せだよ。だからね、いつしかそういうのに憧れて、藍花ちゃんと家族になれたらいいなって……思ってしまったんだ」新しい命の誕生に立ち会うことは、本当に尊い。それは私にも想像ができる。「七海先生の気持ちはとても嬉しいです。私との未来を描いて下さって……。でも、本当にすみません」私は先生の憧れを壊してしまった……その思いに対しての申し訳なさが心を濁す。「いいんだ。白川先生は無敵なんだから、僕は彼には敵わない。昔からずっとそうだった、今に始まったことじゃないよ。誰も白川先生には勝てないんだ。僕にも、あの人みたいな魅力がほんの少しでもあれば……」「何を言うんですか!七海先生も素敵じゃないですか!魅力的ですよ、すごく。白川先生とは違う魅力ですけど、でも、どっちも素敵だし、どっちが上とか、どっちが勝ちとか、そんなのはないんです」先生も首を横に振った。
七海先生の優しい笑みが少しずつ消えていく。こんな悲しい表情にさせている自分に罪悪感が生まれた。「先生……すみません、本当に。七海先生のこと、私は心から尊敬しています。先生に優しくしてもらったことは、ずっと忘れません」七海先生は、私の人生の中でとても大切で貴重な時間を一緒に過ごした人。たとえそれがどんなに短い間だったとしても、絶対に忘れたくなかった。「ありがとう……。人として医師として尊敬してもらえるなら……それもまた嬉しいね。今まで頑張ってきてよかったよ」「先生はとても素敵な人です。私なんかよりもっと良い女性が必ず見つかります。それに……お見合い相手の方は……」聞いていいのか迷ったけれど、私は口にしてしまった。「彼女はもちろんお断りしたよ。好きな人がいるからって。それでもまだ会いたいって言ってくれてるんだけどね……」「もう会わないつもりなんですか?」「そうだね。会うつもりはないよ。君を想ってるのに他の女性に会うのは失礼だと思うから」そんな……その人は七海先生が好きで好きでたまらないのに……「私のことがあってストップがかかってるとしたら、とても悲しいです。ご両親も認めておられるような女性なら、きっと素晴らしい人なんですよね。七海先生もその人のこと……嫌いじゃないんですよね?」あまりにもプライベートにズケズケと踏み込んでいる自分。止めるべきなのかも知れないけれど、七海先生を思うと聞かずにはいられなかった。「彼女は確かに素晴らしい女性だと思うよ。僕にはもったいないくらいにね。でも、それでも……僕の心の中には藍花ちゃんがいるから。その状態で彼女には会えない」「じゃ、じゃあ、ハッキリ言います。私のことは、わ、忘れて下さい。私には……心から大切な人がいますから。私が七海先生を好きになることは……あ、ありません。だから……」胸が潰れそうに痛い。涙が溢れそうになるのを必死でこらえた。「……藍花ちゃん」「お願いします。その人の気持ちをちゃんと受け止めて、考えてあげてもらえませんか?必死で七海先生を想っている気持ち、私にはよくわかります。七海先生がその人を嫌いでないのなら……。すごく、すごく偉そうですけど……でも、私は……」「ごめん」「えっ……」「それ以上は言わないでくれないか」七海先生のこんな暗い表情と声のトーン、いつもの先生ではない。
「うん」何かを覚悟したような返事、少し顔が強ばったような気がした。私の中に緊張が走る。「七海先生に、この前のお返事をさせていただきたいと思っています」「……だよね。でも不思議だね、藍花ちゃんの返事を待っていたはずなのに、今はあまり聞きたくないと思ってる。そう思うのは何故かな……」「先生……」「ごめん。大丈夫。聞かせてくれるかな?」自分に言い聞かせるような言葉に、申し訳ない気持ちが溢れる。「あの、私……。七海先生から告白してもらった時は、本当に自分の気持ちがわからなくて迷っていました。でも、それから、すぐに自分の気持ちがわかった……というか、素直になれたというか……」何を言ってるのか、ドキドキし過ぎてよくわからない。でも、大丈夫、キチンと伝えなければ……私自身も自分に言い聞かせ、話を続けた。「あの、私……」上手く言おうとして言葉がもつれる。私は急いで呼吸を整えようとした。「藍花ちゃん、大丈夫だよ。ゆっくりでいいから。落ち着いて」きっと顔が引きつっているだろう。こんな素敵な場所で、みっともない姿を晒しているかも知れないと思うと情けない。私は、意を決して、七海先生を見つめた。「すみません。私……他に好きな人がいます」それだけ言って目をギュッと閉じる。七海先生の顔が……見れない。膝の上でギュッと手を握りしめ、体中に力が入った時、私の頭の上に大きな手のひらが触れた。「えっ……」ハッとして目を開ける。すぐ近くに先生の顔がある。すごく穏やかで優しくて、魅力的な笑顔が。その瞬間、胸がキュンとして泣きたくなった。「それは白川先生だね」七海先生に名前を先に出されて、言葉が出てこなくなる。「今、藍花ちゃんの顔を見て確信したよ。君は、本当に……白川先生が好きなんだって」「先生……」「彼はやっぱりモテるね。大学時代と変わらない。うらやましいよ」「……」「2人はもう付き合ってるのかな?」「……はい」そう言った瞬間、先生は眼鏡の奥の瞳をゆっくりと閉じた。「……そっか、わかった。なら、僕は藍花ちゃんにフラれたってことだね」「……」いったいどういう風に答えればいいのだろうか?「覚悟してたよ。ちゃんと覚悟は決めてたんだ。でもやっぱり……つらいんだね、大好きな人にフラれるのって。初めてだよ、こんなに胸が苦しいのは。君には他
私達は嫌な静けさをかき消そうと、全く同じタイミングで声を発した。思わず見つめ合い、苦笑いする。「すみません、先生からどうぞ」「あ、ああ。ごめん、じゃあ……藍花ちゃん、体調は大丈夫?元気かな?」まずは私の体を心配してくれる七海先生。こういうところは相変わらず優しくて紳士的だ。「ありがとうございます。いつもと変わらず元気にしてます」「そっか、それなら良かった。安心したよ」七海先生は、ホッとしたように一息吐いてから微笑んだ。その顔を見たら、本当に心配してくれていたんだとわかった。「七海先生がいなくなって、病院のみんな寂しがってますよ。患者さん達も『七海先生はいないのか?』って。みんなで先生の存在の大きさを改めて感じてます。それでも産婦人科の看護師さん達は、新しい先生と一緒に毎日頑張ってますよ」「有難いね、僕のことを覚えていてくれて。でも、あの先生は素晴らしい人だから。僕も父も以前から良く知っててね。今回は彼女を是非にと松下院長に紹介させてもらったんだ。腕は確かだし、志も熱いしね」「そうだったんですね。本当にすごく前向きで良い先生だってお聞きしました。またいろいろお話ししてみたいです」「彼女、喜ぶよ。藍花ちゃんみたいな可愛い人が話しかけてくれたら。きっと勉強になると思うし、機会があれば本当に話しかけてあげて」七海先生は、さっきからずっと私だけを見つめて微笑んでくれている。少し離れたテーブルに座っている若い綺麗な女性達がずっと先生のことを見ているのに、熱い視線は気にならないのだろうか?他のテーブルにいる女性だって、チラチラこちらを見ているのに、視線を向けようともしない。きっと、気配は感じているはずなのに。普通の男性なら女性に見つめられたら嫌な気はしないと思う。でも、七海先生はずっと私だけを見てくれている。全く目を逸らさずに、にこやかに。「あの……七海先生」優しい眼差しの先生に、今から言うことはとても残酷なことかも知れない。それでも私は、今、このタイミングで切り出さなければならないと思った。
「私はまだまだこれからですよ。深月総支配人はもうご立派です。いつもアドバイスをいただいて感謝しています」「こちらこそ七海様には感謝しております」そう言ってから、総支配人さんは私を見た。その美しい顔立ちには女性である私でさえドキッとする。「では、蓮見様。これで失礼致します」「あっ、はい。お声がけをいただいてありがとうございました」「七海様から『明日は大切な人と伺います』とお聞きしておりましたから。本日はお会いできて光栄でした」「た、大切な人……?」七海先生はそんな紹介の仕方をしたのか?まさかこんな私を彼女や結婚相手と間違えることはないと思うけれど……「七海様の大切な方なら私どもにとっても大切なお客様です。またいつでもグレースホテル東京にお越し下さい。お待ちしております」総支配人さんの笑顔が眩し過ぎて照れてしまう。すぐ近くに超ド級のイケメンが2人もいて、その間に挟まれている私はいったい何者なのかわからなくなる。どちらからも良い匂いがするうえに、モデルみたいにキラキラ輝いてる人達と一緒にいるこの状況には全く現実味を感じられない。「あっ、はい、すみません。お気遣いありがとうございます」確かに、昔から憧れていたこのホテルにはまた来たいと思う。だけど……これから先、七海先生と一緒に来ることは二度とないんだ。大切な人だと紹介してくれた先生の想いを考えると、急に胸が苦しくなった。私達は総支配人と別れ、ラウンジに向かった。静かな時間が流れる素敵な空間の奥の席に座り、飲み物を注文する。数分して、七海先生の前にはブラックのコーヒーが運ばれ、私は気持ちを落ち着かせるために温かい紅茶を選んだ。上品で可愛いカップに口をつけ、ゆっくりと1口。とても美味しくて癒された……のもつかの間、なぜか少しの沈黙に気まずい空気が流れた。
グレースホテル東京――要人も利用する世界的に有名な最高級ホテル。待ち合わせの場所を聞いて少しはオシャレをしてきたつもりだけれど、これでは七海先生と全然釣り合わない。見た目の違いに恥ずかしさを感じながらも、このホテルには1度来てみたかったから、宿泊は無理でも、ラウンジでお茶を飲めるだけで満足だった。「藍花ちゃんにそう言ってもらえて良かった。僕はここのホテルがとても好きでね。子どもの頃からよく利用してるんだ」子どもの頃からよく……やはり七海先生もとんでもないお金持ちだ。こんな一流ホテルを何度も利用できるなど、生活レベルがあまりにも違い過ぎて驚く。本当にうらやましい限りだ。「私は七海先生とは違って初めてで……。だから、先生からここで待ち合わせと聞いて、かなりテンションが上がってしまいました」幼稚なカミングアウトをしている自分が恥ずかしい。「そうだったんだね。それを聞いて安心したよ。待ち合わせ場所、どこが良いのかずいぶん悩んだんだ。僕はここのホテルに来るとホッとするから……だから、ぜひ藍花ちゃんにも良さを知ってもらえたと思って。格式高いホテルだけど、飾らずにとても温かく迎えてくれるんだよ」「そうなんですね。本当に、先生のおかげでこんな素敵なホテルに来ることができて嬉しいです。ありがとうございます」「いらっしゃいませ、七海様」えっ、だ、誰?!私は、突然現れた謎の超イケメンに目を疑った。「こんばんは。深月(みつき)総支配人」総支配人さん……?こんなにカッコ良いホテルマンは今まで見たことがない。「蓮見様も、よくいらして下さいました。七海様から伺っております」「えっ、あっ、はじめまして。とても素敵なホテルですね。さっきからずっと感動しています」「お褒めいただきありがとうございます。どうぞごゆっくりお過ごし下さい」「あっ、はい。ありがとうございます」「七海様。最近は少しご多忙なようですね」総支配人さんは、七海先生に話しかけた。この2人のツーショットはかなり目を引く。「はい。最近、父の病院で働くことになって、まだまだ全然慣れなくて……今は毎日必死です」七海先生は苦笑いした。「お父様も先日いらして下さりお聞きしました。七海様と一緒に仕事ができると大変喜んでおられましたよ。私もいつかは父と……とは思っていますが」スラッと背が高く、
あれからしばらくして七海先生は病院を去った。そのせいで産婦人科の看護師達は少しモチベーションが下がってしまった気がする。それだけ先生は素晴らしい人格者だったから。でも、新しく配属になった先生も腕の良い女医さんで、みんなで新しい命のため、患者さんのために一致団結してスタートしていた。私も、気持ちを新たにして頑張る決意をした。仕事に関してはそう思えていたけれど、プライベートのことはまだ解決できていなかった。早く七海先生に返事をしないと――結局、お互い忙しく、約束の1週間はとっくに過ぎてしまっていた。明日は私が休みで時間が取れることもあり、勇気を出して自分から七海先生に連絡してみた。先生はこの前の返事をしたいという言葉を受け入れて、快く会うことを承諾してくれた。何だか、今からとても緊張する。あの時、七海先生は精一杯告白してくれた。だからこそ、私も誠意を持って本当の気持ちを伝えたい。七海先生に会うことは、もちろん蒼真さんにも了解を得た。『2人きりで会うことには抵抗があるけれど、藍花の気持ちをちゃんと七海先生に伝えてほしい』と言われた。そして……次の日の夜、私は七海先生に久しぶりに会った。「こんばんは」先生は、今日はグレーのスーツ姿だった。とてもスタイルが良くて、タイトめのスーツが良く似合っていて素敵だ。そんな眼鏡の超イケメンを、周りの女性達が気にしていないわけがなかった。「あの人、めちゃくちゃカッコ良いんだけど」「うわぁ、色気あり過ぎ、ヤバい」聞こえるように言う女性達は、みんな美人揃いだ。どこにいても目を引くその容姿は、蒼真さんもだけれど、華があり過ぎる。本人は言われ慣れているのだろうか、まるで眼中に無いみたいに振舞っていた。「こんばんは。藍花ちゃん、来てくれてありがとう。会えて嬉しいよ」「こんな素敵なところに誘っていただいて嬉しいです」
確かに私に対する発言はキツ過ぎる。今の春香さんには言葉を選ぶ余裕がなかったのだから仕方がない……とはいえ、やはりまだ胸が痛む。この感覚を表現するのはとても難しいし、今まで味わったことがない。私も、本当なら春香さんの気持ちを理解してあげたいけれど、まだ自分がそれほど強くないことも、残念ながら同時に実感していた。今夜の告白……歩夢君の気持ちを受け入れられないことはとても申し訳ないと思う。歩夢君に対して私はどうすればいいのだろうか?わからない……私にはわかるはずがない。今はただ、与えられた目の前の仕事をしっかり頑張るしかない。きっと、それしか……ないと思う。とにかく、自分ができることを一生懸命頑張っていたら、いろいろなことが良い方向に動いていくような気がするから。大丈夫。絶対、みんな大丈夫――いつか歩夢君も素敵な人を見つけて必ず幸せになれる。七海先生にも、私の気持ち、ちゃんと言わなければいけない。先生にも、幸せになってもらわないと困るから。2人とも、私にはとても大切で、特別な人達。だから、ずっとずっと笑顔でいてほしい。いつだって笑っててほしいんだ。勝手だけれど、そう願わずにはいられなかった。