Chapter: 8 情熱的なあなたと夜明けを迎えて…嬉しいとはいえ、この心臓が飛び出しそうなシチュエーションは、そろそろ限界に近い気がする。月那は、「美味しいご飯、美味しいお酒、ベランダから星を見たりなんかして……。あ~もうその後は『私、どうなってもいい!』ってなるんだよ、絶対に」なんて楽しそうに言っていた。本当に人ごとだと思って……私達はベランダになんか出ない。だから、何も起こらない。きっと……起こるわけがない。蒼真さんはこんなに落ち着いているのに、私だけが内心あたふたしているのがすごく恥ずかしい。「カレー、本当に美味しかった。ありがとう」「いえ……。こちらこそたくさん食べてもらえて嬉しかったです」「美味しいものでお腹が満たされると、人は幸せな気持ちになれるな」「そうですね……」蒼真さんがとても穏やかに言ってくれた言葉が、何だかくすぐったく感じる。美味しい……と、何度も言われると心から作って良かったと思えてくる。2人の時のこの優しさが、病院でもずっと続けばいいのに……とつい願ってしまった。子どもの頃のこと、好きな食べ物、影響を受けたテレビのこと、プライベートな内容を惜しげもなくたくさん話してくれる蒼真さん。話せば話すほど興味が湧き、もっと色々聞いてみたいと思った。まるで患者さんと話すみたいに……いや、それ以上にリラックスしている蒼真さんに、私も次第に心を開いていった。「白川先生」と、こんなにも自然体で会話ができる日がくるなんて、少し前までは思いもしなかった。私達は、時間を忘れてお互いのことを話した。「藍花、足はもう大丈夫か?」「あ、はい。もう大丈夫です。本当にありがとうございました。蒼真さんにすぐに手当してもらったおかげです」「見せて」先生はソファから降りて、私の足の前にしゃがみこんで傷口辺りに手を伸ばした。「本当にもう治ってますから」私は、思わずロングスカートの中に足を引っ込めて隠した。「ダメだ。ちゃんと見せて」蒼真さんは私の足を優しく掴んで、スカートの裾から外に出した。そして、靴下をゆっくりと脱がせた。やっと緊張が少しずつ溶けてきたのに、こんなことをされたらまた……
最終更新日: 2025-03-23
Chapter: 7 情熱的なあなたと夜明けを迎えて…蒼真さんは、食べる姿もとても美しい。上品というのか、育ちの良さが全てから溢れ出ている。改めて思う、蒼真さんは、やはりとんでもなく上流階級の人間なんだ――と。ごく普通の生き方をしてきた私とは全く違う。お抱えのシェフがいるくらい豪華な食事をして、立派なお屋敷に住んで……きっと、お手伝いさんや執事、ばあやさんとか、たくさんの人に守られてきたんだろう。ホワイトリバー不動産の御曹司として、大変なこともあったかも知れないけれど、でも、蒼真さんは紛れもなく本物のセレブなんだ。セレブ中のセレブ――そんな世界に生きてきた人が、私の手作りカレーを食べて美味しいと言ってくれた。もはや、これは奇跡という以外にない。「おかわり」お皿を差し出す蒼真さん。「あ、はい。量はどれくらい……」「さっきと同じでいい」「はい」私は、またご飯の上にルーをかけた。このやり取り……何だか夫婦みたいだ。昔、両親がよくやっていた。「おかわり!」と言う父に、母が「はいはい」と。私は、温かな子どもの頃の食卓の光景を思い出した。「早くして」「あ、すみません!」勝手な妄想に時が止まっていたのかも知れない。それに、きっとニタニタとニヤけていただろう。「お待たせしました」「ありがとう」私達は、2人で向かい合ってカレーを食べた。緊張しながらの食事だったけれど、一緒に食べることができて何だか嬉しかった。そして、食事が終わってから、リビングの大きめのソファに移動し、座るように促された。私は、長いソファの端の方に、蒼真さんとは少し距離を取って座った。たった2人だけの空間――静かな部屋で蒼真さんと話をするのはすごくドキドキする。リラックス、リラックス……そうやってさっきからずっと自分に言い聞かせてはいるけれど、なかなかこの状況を受け入れられない。
最終更新日: 2025-03-23
Chapter: 6 情熱的なあなたと夜明けを迎えて…蒼真さんが出してくれたカレー用の白いお皿。私は、できたてのルーをご飯にかけてテーブルに運んだ。見た目や匂いは良いけれど、肝心の味は気に入ってもらえるだろうか?「熱いですよ。気をつけて下さいね」「ああ。いただきます」「はい、どうぞ……」緊張の瞬間。「……」蒼真さんは、1口食べても何も言わない。美味しくなかったのか、心配になる。「あの……お口に合いませんでしたか?」「美味しい……」ぽつりとつぶやく蒼真さん。「ほ、本当ですか?美味しいですか?」「……これ、本当に藍花が作ったのか?」その疑いの目は何なのか?「もちろんです。私が作ってるところを見てましたよね?」「見ていたけど、これ、俺がずっと食べてきたカレーとは全然違う。病院のカレーとも違う……」正直、病院のカレーよりは自信があるけれど、蒼真さんが今まで食べてきたカレーとはレベルが違うのは仕方ないことだ。「あの、蒼真さんは今までいったいどんなカレーを食べてきたんですか?」「どんなって……家にはフランスで修行してたシェフがいた」「フ、フランス?!い、一流のシェフじゃないですか!そんなカレーと私が作ったカレーを比べないで下さい!」美味しいなんてやはりお世辞だったんだ。一瞬でも喜んだ自分が恥ずかしくなる。「子どもの時から当たり前のようにシェフがいて、ずいぶんお世話になった。今も実家にいてくれる。彼らの作るカレーももちろん美味しかった。でも、何だろうか。この味は今まで食べた中で1番美味しく感じる……」「えっ……」「どうしてだろう」「ちょっと待って下さい。1番なんてお世辞ですよね?これ、カレールーを入れてちょっと隠し味とかで煮込んだだけですから」「お世辞は嫌いだ。本当に美味しいと思うから言ってる」「で、でも……」「そうか……。きっと、誰が作るのかも重要なんだろうな。このカレーが美味しいのは、藍花が一生懸命作ってくれたからなんだ……」キュン――胸が鳴る音が聞こえる。フランスで修行したシェフよりも、私が作ったカレーを褒めてくれたことに驚きを隠せない。蒼真さんは、私が作るごく平凡なカレーを目の前で美味しそうに食べてくれている。まるでテレビのコマーシャルかと思うくらいだ。
最終更新日: 2025-03-23
Chapter: 5 情熱的なあなたと夜明けを迎えて…ルーを入れて煮込むと、とたんに良い香りが部屋に充満した。その時、蒼真さんがスっと立ち上がり、私の横に来てお鍋を覗き込んだ。「あ、あの、まだですよ」「いい匂いがしたから」蒼真さんがすぐ隣にいる。身長差、ちょうど20cm。腕が私の肩に触れて、自然に胸が高鳴る。この人は、本当にいつも病院にいる白川先生なのだろうか?と、さっきから何度も思ってしまう。病院にいる時の冷静で淡々とした先生から考えると、今は全くの別人で、醸し出す空気感がまるで違う。もちろんオフなのだから当たり前ではある、それでもやはり、この環境になかなか慣れることはできない。「そ、蒼真さん、本当に中辛で良かったんですか?辛口が好みなら少し甘く感じるかも知れませんよ」私はサッと顔を見上げた。「ああ。中辛でいいんだ」この至近距離で目が合うことの恥ずかしさは、もはや言葉では表現できない。アッシュグレーの前髪がハラっと下がり、目、鼻、口、全てのパーツが私の視界に収まった。こんなのダメだ、近過ぎる――ドキドキがマックスにまで到達し、私は危険回避のため急いで視線を外してカレーをかき混ぜた。今の私は、きっとロボットみたいにガチガチで、関節が上手く動かせず、ぎこちない動きになっているだろう。「も、もう少し煮込みますからね。向こうで待っててもらえますか?」「ここにいたらダメ?」「だ、だ、ダメです!ダメですよ!早く戻って待っててくださいね」額から汗がひとすじ流れる。私は、何事も無かったかのように、ただ鍋だけを一点に見つめ、これでもかというくらいカレーをかき混ぜ続けた。その手はかすかに震えている。「そんな真剣な顔して、鍋に穴が開きそうだな」「えっ……」今のは……冗談なのか?あたふたし過ぎて、何が起こってるのか理解できない。「……向こうで仕事してるから」「は、はい、そうしてください。すみません」蒼真さんは再び椅子に座ってパソコンを使いだした。ホッとして胸を撫で下ろす。そして……長かったカレー作りがようやく終わりの時を迎えた。いつもの100倍の気力と体力を使った気がする。
最終更新日: 2025-03-22
Chapter: 4 情熱的なあなたと夜明けを迎えて…目線を外し、お互いぎこちなく体を離す。だけれど、なぜかほんの少し、心の距離は縮まった気がした。それから、私達は1杯だけお茶を飲んで、私はキッチンを借りたいと蒼真さんに言った。「お腹空いた。早く食べたい」そうねだる蒼真さんはまるで子どもみたいだった。普段とのギャップに心がくすぐられる。「キ、キッチンも綺麗ですね。こんなキッチンで料理できるなんて嬉しいです」本当に、全く使っていないのかと思うほどピカピカだ。憧れのアイランドキッチン。どこを見ても「素敵」としか言いようがなかった。「カレーで良かったんですよね」「ああ。手作りのカレーは久しぶりだから。どうしても食べたくてリクエストした」「わかりました。でも……あんまり上手じゃないですよ。期待はしないでくださいね」「食べられれば何でもいい」何でもいい……それなら私じゃなくてもいいのではないか?どうして私を呼んだのか……全てが未だ謎のまま。とにかく、いつものようにリラックスして……いや、無理やり気持ちを落ち着かせ、私はカレーを作り始めた。手伝うと言ってくれたけれど、近くにいられると心拍数が異常に上がってしまうので、蒼真さんには仕事をしてもらうことにした。テーブルの上にあったパソコンを開いて作業を始めた蒼真さんを見て少しホッとする。それにしても、ただ椅子に座っているだけなのに、どこからどう見ても絵になってしまう。蒼真さんがいる場所が、一瞬でパリのオシャレなカフェのように見えてしまうから不思議だ。カレーを作りながら、ついチラチラと盗み見をしてしまう。パソコンを打つスピードがなんとも早く、ブラインドタッチ選手権があるならば、間違いなく優勝だろう。見た目だけではないこの人の才能は、いったいどこまで広がるのだろうか?最近、蒼真さんがナースステーションの前で困っていた外国人の患者さんと、ペラペラ英語で喋っていたのを目撃し、あの時は看護師のみんながその姿に見とれてしまった。もちろん、私も……英語が話せる人が好きなだけに、思わず「カッコいい」とつぶやいてしまい、中川師長に「心の声が漏れてるよ」と突っ込まれたのを思い出す。蒼真さんが仕事をしている今の間なら、何とか緊張しないでカレーを作れそうだ。集中しよう――息を整え、野菜を刻み、炒め、煮込んだ。「その調子」、私は、自分で自分を応援した
最終更新日: 2025-03-22
Chapter: 3 情熱的なあなたと夜明けを迎えて…「……おじい様とおばあ様が?」「ああ。俺が学生の頃、祖父母がここに住んでいる時にたまに遊びに来てたんだ。2人には特に可愛がってもらってたから、医者になるって決めた時も誰よりも喜んでくれた」「そうだったんですか……素敵なお話しですね」おじい様とおばあ様の話をする時の蒼真さんは、こんな穏やかな表情をするんだ……と、何だか心がポッと温かくなった。祖父母を大事にしようとする気持ちがすごく優しくて、今も、蒼真さんの中に閉まってあった大切な記憶が蘇ってきたんだろう。「外科医になってすぐに祖父が亡くなって、祖母はうちの実家に住むことになった。ここには祖父との思い出がたくさんあるし、病院からも近いから蒼真に住んでほしいって、祖母が言ってくれたんだ。だから、有難く住まわせてもらってる。本当に、2人にはずっと感謝してる」「蒼真さんは、ご家族のみんなに大事にされてるんですね。私も……自分の家族に会いたくなりました」「ご家族にはたまに会ってるのか?」「連絡はしてます。でもなかなか会うとなると……」「たまにはちゃんと顔を見せに帰った方がいい。家族は大切にするんだ」自分のことだけではなく、私の家族のことまで気にしてくれる蒼真さんは、やはりすごく優しくて良い人なのかも知れない。「はい、そうします。でも、応援して下さっていたおじい様が亡くなられたのはつらかったですね……」「ああ。1番の理解者だったからな。優しい人だった。昔は小さな僕を膝に乗せてよく絵本を読んでくれた。外科医になれた時には、もう病気で治しようもなかったけど、それでもすごく喜んでくれた。もう少し早く医師になれてたら、絶対に死なせなかったのに……それだけが悔やまれる」蒼真さんは唇を噛み締めた。「幸せだったと思います。膝に乗せてたお孫さんが、立派な外科医になって……。嬉しくてたまらなかったと思います」不思議だ……なぜだか涙が溢れてくる。「そうだといいな」蒼真さんは、私の頭に手を置いて、見つめながらそう言ってくれた。その笑みに胸を掴まれる。涙を見られ、恥ずかしさもあるけれど、蒼真さんの心が知れた気がして嬉しくなった。まさか自分が「あの白川先生」にこんな風にしてもらえるなんて想像もできなかったのに……今のこの状況は、私には奇跡にも近い出来事だった。
最終更新日: 2025-03-22