若子は必死に感情を抑え込んだ。 「......あなたたちは、そんなふうに知り合ったのですね?」 「ええ」侑子はこくりと頷く。「そうです。あの日以来、私と修は何度も会うようになって......自然と一緒にいる時間が増えていきました」 その言葉に、若子の心が締め付けられる。 まるで胸の奥が引き裂かれるような痛みだった。 ―修があのとき傷ついていた。 その彼を救ったのが、目の前の女性だった。 ならば、二人がこうして結ばれるのも当然の流れだったのかもしれない。 侑子が修の命の恩人だということは、素直に感謝すべきことだった。 もし彼女がいなければ、修は本当に死んでいたかもしれないのだから。 あの時、自分が見た血の跡。修の姿が消えていたこと。 必死に探したけれど、どこにも見つからなかったこと― 彼は、救われていたのだ。 「......あなたと修の関係は、今どうなっているのですか?」 本当は聞いてはいけないとわかっていた。 それでも、若子はどうしても口にしてしまった。 侑子は、修の苦しむ姿を思い出した。 彼がどれほど追い詰められていたかを知っていた。 だからこそ、彼の尊厳を守るために、毅然とした態度をとった。 背筋を伸ばし、堂々と答える。 「私たちは恋人同士です......それ以外に何があるっていうんですか?」 若子の膝の上に置かれた手が、ぎゅっと服の裾を握りしめる。 「......つまり、あなたたちはすでに関係を持ったということですか?」 思わず、直接的な言葉が口をついて出た。 頭に血が上り、どうしてこんなことを聞いてしまったのか、自分でもわからなかった。 侑子の心臓が大きく跳ねる。 しかし、目の前の女性が修を顧みず、別の男性と幸せそうに暮らしていることを思い出すと、怒りが込み上げてくる。 修はあんなにも若子を想っていたのに。 彼女のために命まで投げ出そうとしたのに― それなのに、若子は修を捨て、別の男と家庭を築き、子供までいる。 そんな彼女に、修の痛みをわかる資格なんてあるのだろうか? そう思うと、侑子の胸の奥に湧き上がったのは、奇妙な対抗心だった。 「ええ、もちろんです」 侑子は、はっきりと言い切った。 「私たちは同じ屋根の下で暮らしていま
彼女と西也の間には、何もなかった。 西也は紳士だった。 決して無理強いをすることはなく、常に彼女を尊重していた。 若子が彼に対して申し訳なさを感じている理由のひとつは、そこにもあった。 「そうですね。この話はもうやめましょう」 侑子は満足げに微笑む。 「どうせ、あなたと修はもう終わったんですから。もう二度と、そんなことが起こることもないでしょうし」 まるで、これからは修が完全に自分のものだと宣言するような言葉だった。 若子は何も言わず、腕の中の子供の背をそっと撫でる。 侑子はその様子を見て、さらに続けた。 「松本さん、私はただ、もう彼を傷つけないでほしいんです」 若子は眉を寄せる。 「......私は彼を傷つけた覚えはありません。アメリカに来たのは、彼の方です」 偶然の旅行? 「たまたま」恋人を連れてやって来た? 「偶然」同じレストランで鉢合わせた? そんな都合のいい偶然なんて、本当にあるのだろうか? アメリカは広い。 それなのに、どうして彼はここにいるのか。 若子は、偶然を信じることはできても、修との間に起こることが「ただの偶然」だとは思えなかった。 もしかすると― 修は、侑子を連れて、わざとここに来たのかもしれない。 まるで、何かを見せつけるように。 「......私が言っているのは、そういうことではありません」 侑子の声が低くなる。 「この前、彼が大怪我を負ったのは、全部あなたのせいなんです」 その言葉に、若子は沈黙する。 その反応を見て、侑子は確信した。 ―あの謎の男が言っていたことは、本当だったのだ。 若子は、見た目こそ優しくて穏やかに見えるけれど、心の底では修を殺そうとしていたのかもしれない。 侑子は、心の奥で震えながら思った。 ―やっぱり、人は見かけによらない。 「......彼があなたに話したんですか?」 若子はぼんやりと呟いた。 彼女はもう、この出来事が一生ついて回ることを理解していた。 きっと、忘れることなんてできない。 修との間にあるこの亀裂は、埋めることも、癒やすこともできない。 彼らは夫婦に戻ることもできず、恋人に戻ることもできない。 いや、それどころか― 友人ですら、赤の他人ですらいら
「......私は彼を愛しています。彼は私のすべてなんです。彼のためなら何だってする。あなたに跪いてお願いすることだって、厭いません!」 「......」 若子の胸には、言葉にしきれない思いが渦巻いていた。 けれど、今さら何を言ったところで、すべては無意味だった。 何を言えるというのだろう? 自分と修の関係は、ここまでこじれてしまった。 もし目の前の女性が、彼に幸せをもたらせるのなら、それはそれでいいのかもしれない。 ―たとえ、自分の心が痛むとしても。 ―たとえ、この女が敵意を剥き出しにし、挑発してくるとしても。 それでも、修が幸せならば、それでいい。 彼は自分の子供の父親なのだから。 ......たとえ、彼がこの子を望んでいなかったとしても。 「山田さん、そうおっしゃるのなら......どうか、彼と幸せになってください。もう、私にこれ以上話すことはありません」 侑子は、食い下がるように問い詰める。 「つまり、修を解放するということですか?」 若子は、こめかみを押さえながらため息をついた。 「あなたの言い方だと、まるで私が彼に執着していて、命を狙っていたみたいですね......あなたは、私と彼の間に何があったか、本当に知っているんですか?」 言い終わらぬうちに、突然、店内に響く大きな声― 「うわっ、トイレで喧嘩してる!誰か来て!」 店の客らしき人物の叫び声だった。 「......喧嘩?」 若子の眉が鋭く寄る。 嫌な予感がした。 侑子の顔色も険しくなる。 二人は立ち上がり、急いで洗面所へと向かった。 すでに店のスタッフが駆けつけ、必死に二人の男を引き離そうとしていた。 修と西也― 二人の男は血相を変え、互いに殴り合い、服は引き裂かれ、顔には青あざができている。 壊れたドア、散乱した破片。 周囲のスタッフが体格の良い男たちを呼び、ようやく二人を押さえ込んだ。 それでも彼らはなおも暴れ、まるで相手を打ち倒さなければ気が済まないと言わんばかりだった。 すぐに、誰かが警察を呼んだ。 「修!」 洗面所の外で、二つの女性の声が同時に響いた。 それは、若子と侑子―二人が同時に呼んだ名前だった。 その瞬間、修と西也は動きを止め、若子の方を振り向い
「修!」 侑子は修のもとへ駆け寄ると、彼の顔を両手で包み込んだ。 「大丈夫なの?痛くないの?」 彼の傷ついた顔を心配そうに見つめながら、内心では安堵していた。 さっき若子が「修」と呼んだとき、一瞬、胸が凍りつくほど焦ったのだ。もしかして、これがきっかけで二人が復縁してしまうのではないか―?絶対に、そんなことは許せない。けれど、幸いにも若子が気にかけていたのは自分の夫のようだった。 修は侑子に抱きしめられたまま、ただ黙っていた。 まるで魂を抜かれたように、ぼんやりとして、どこか遠くを見つめている。 呆然とした表情は、まるで魂を抜かれたかのようだった。 若子は、その様子を見ながら、改めて思う。 ―この女性は、本当に修を愛しているのだな、と。 その愛情の強さが、ひしひしと伝わってくる。 若子は視線を西也に移し、そっと声をかけた。 「西也......大丈夫?」 修と同じく顔に傷を負っていたが、彼のほうが明らかにひどい状態だった。 彼はつい最近、治療を終えたばかりなのに...... 無理をして、また何か悪化するのではないかと心配になる。 「......平気だ」 西也は目を伏せ、彼を押さえていた男たちに向かって言う。 「もう離せ」 だが、スタッフは彼が再び暴れることを恐れ、すぐには手を離さなかった。 若子は彼らに向かって静かに言った。 「すみません、主人を放していただけますか?もう手は出しませんから」 その言葉を聞いて、ようやく男たちは彼を解放した。 西也は口元の血を拭いながら、小さく苦笑する。 「......心配かけてすまない。大丈夫、ただのかすり傷だ」 強がるその姿は、どこか痛々しかった。 若子はそんな彼にそっと微笑み、静かに提案する。 「......子供を抱いてあげて」 西也は少し驚いたように目を見開いたが、すぐに頷き、若子の腕からそっと子供を受け取った。 その様子を確認すると、若子は今度は修のほうへ向き直った。 「修......どうして、いつもこうなるの?」 その声には、怒りも、咎めるような強さもなかった。 ただ、静かに問いかける。 しかし、その穏やかさの奥には、深い悲しみが滲んでいた。 「なんだって?」 若子の視線が彼
しかし、彼の言葉を聞いた瞬間― 若子の心の奥底で、微かな「喜び」が生まれてしまった。 ―修は、まだ私を忘れられない? ―山田さんの存在も、ただの演技に過ぎない? そんな考えが、一瞬だけ頭をよぎる。 けれど、それはすぐに消えた。 もう、すべては手遅れだった。 現実は、そんな淡い期待を許してくれない。 彼女と修の間には、埋めることのできない溝がある。 だから、彼を追い払うしかない。 残酷な言葉で、徹底的に傷つけるしかない。 「......修、西也を傷つけないと気が済まないの?」 冷たい声が、静かに響く。 「そうよ、私はあの日、西也を選んだ。あなたがどう思おうと、それが私の決断だったの。私を恨むのは構わない。でも―」 若子は拳を握りしめ、痛みを堪えながら続ける。 「彼には手を出さないで。彼には何の罪もないのよ。西也もまた、傷ついた一人なのだから......! もし怒りの矛先を向けたいなら、私にしなさい。殴りたければ、私を殴ればいい。だからお願い、彼にはもう指一本触れないで......!」 修の指先が、ぎゅっと握り締められる。 心臓が抉られるように痛む。 ―また、彼女は遠藤を庇うのか。 ―いつもそうだ。 彼が西也を殴る理由なんて、一度も聞かない。 ただ、無条件に彼を庇うだけ。 視線を移すと、西也の口元に、わずかな笑みが浮かんでいた。 それは、まるで勝者の微笑み。 修の胸に、言いようのない敗北感が押し寄せた。 もう終わりだ― 彼は、何もかも失ったのだ。 「松本若子」 喉が焼けるように痛む。 「先にトイレに入ったのは俺だ。その後、こいつがついてきた。なぜ彼がついてきたのか、考えたことはあるか?俺がなぜ殴り合うことになったのか、考えたことは?」 「......西也が、何を言ったっていうの?」 若子はじっと修を見つめながら問い返した。 修はわずかに笑う。 「言ったところで、お前は信じるのか?」 その声には、諦めと皮肉が滲んでいた。 「お前はいつだってこいつの味方だ。何があろうと、彼を疑わない。証拠を突きつけられても、結局は許す。お前の中で彼は、何をしても許される存在なんだろ?」 「......違う」 若子は本能的に否定した。 だ
しかし、前回の件―あのときは、確かに西也が修を陥れたのだ。 もしも彼が自分で真相を話さなかったら、今でも修のことを誤解したままだったかもしれない。 今になって思い返せば、あの出来事は恐ろしいものだった。 一度目があったのなら、二度目があってもおかしくないのでは? けれど―今回の件には証拠がない。 監視カメラもない以上、事実がどうだったのか、彼女にはわからない。 修を疑いたくない。 けれど、それ以上に、西也を悪者にしたくなかった。 この二人のどちらかが間違っている。 だが、それが誰なのか―それだけは、どうしてもはっきりさせたかった。 心の奥では、西也のほうが間違っていてほしいと願っていた。 もう、修に対してこれ以上絶望したくなかったから。 「若子、確かに俺は少しきつい言い方をしたかもしれない。でも、それはこいつが若子を侮辱したからだ!」 西也の声には、怒りが滲んでいた。 「頭にきた俺に殴りかかってきたのは向こうだ。だから、俺もやり返したんだ。信じてくれ、俺は本当のことを言ってる」 「......きつい言い方?」 若子の唇がかすかに震えた。 「じゃあ、彼に何を言ったの?」 「ただ、『若子を大切にする』『子どもと一緒に幸せにする』って言っただけだ」 西也は少し苛立ったように答える。 「それと、彼がお前に対して酷いことを言ったから、それを否定しただけだ」 「修が......そんなことを言うはずがありません」 侑子が強く首を振った。 「修は紳士的な人よ。そんなふうに、松本さんを侮辱するなんて、絶対にありえません!」 そう言いながら、修の腕にしがみつく。 彼女の目には、微塵の迷いもなかった。 「本当に?確信してる?」 西也は冷たく笑う。 「ええ、確信しています」 侑子はまっすぐに彼を見据えた。 「私は修のことを知っています。そんなことを言う人ではありません。むしろ、あなたのほうが修を傷つけたんじゃないんですか?」 話は完全に平行線。 お互いの主張は食い違い、どちらも証拠がない。 ―いや、証拠がないわけではなかった。 「若子、証拠ならある」 西也はそう言って、ポケットからスマホを取り出し、再生ボタンを押した。 そこから流れてきたのは―修の
修も、自分の言葉がひどかったことはわかっていた。 だが、それはただの怒りに任せた言葉で、本心ではなかった。 けれど、人は往々にして一部分だけを切り取って解釈する。 前後の文脈なんて気にも留めずに。 「お前、なんでその一言だけを録音した!?全部流せよ!お前が何を言ったのか、みんなに聞かせてやれ!」 そう叫ぶと同時に、修は西也のスマホを奪おうと前へ出た。 西也は片腕で子供を抱えながら、素早く後ろへと下がる。 その動きに周囲の人々も警戒し、すぐに数人が修を押さえ込んだ。 「遠藤!お前みたいな卑怯者がいるか!断片だけ切り取って印象操作するなんて、ふざけるな!」 「俺が断片だけ切り取った?」 西也は嘲笑うように言った。 「これはお前の『そのままの言葉』だろ?俺は何も捏造してない。そうやって取り乱すってことは、図星を突かれたからか?お前がやましいことを隠してるからじゃないのか?」 「お前......覚えておけ。俺は絶対にお前を許さない」 「いい加減にしなさい!」 その場の空気を震わせるような大声が響いた。 「修!西也を許さないって言うなら......いっそ私を殺せばいいじゃない!」 若子だった。 修は、まるで世界が崩れ落ちるような絶望の目で彼女を見つめる。 「......やっぱり、お前はこいつを信じるのか?」 「西也を信じないって言うなら、あなたを信じろって?修、録音の中の声、あれはあなたが自分で言ったことでしょ?」 若子の悲しみに染まった瞳が、ふいに笑みを浮かべた。 ただし、それは皮肉そのものだった。 「本当にすごいわね、修。あなたに捨てられた私だけど、結果的にはそれでよかったのよね?だって最初に私をいらないって言ったのは、あなたなんだから」 その笑みは、どこまでも冷たい。 「桜井のために、私と離婚したんでしょう?彼女の言葉を無条件に信じて、何度も何度も、全部私が悪いって決めつけたわよね? ......なのに、後になって後悔したからって、今さら『ずっと愛してた』なんて言い出すの?理由を並べ立てて、何とか私を振り向かせようとして......ほんと、呆れるわ」 若子は、自嘲気味に笑った。 「修、これがあなたの本音でしょう?ようやく気づいたのね。『本当に欲しいのは誰か』っ
修と西也は、殴り合いの末に近くの警察署へ連行された。 警察署内で、二人は別々に分けられ、事情聴取を受けることになった。 数時間に及ぶ調査と審問の結果、警察は最終的に二人を釈放することを決定した。 責任逃れをせず、また大きな怪我や破壊行為もなかったため、厳重注意のうえでの処分となったのだ。 警察は二人に法を遵守するよう警告し、今後トラブルを起こさないことを誓約する書類に署名させた。 すべての手続きが終わると、家族に引き取りの連絡が入る。 今回の件は保釈金が必要なほどの重大事件ではなかったため、若子と侑子がそれぞれ書類にサインをし、二人を連れて帰ることになった。 ―夜の帳が降りる頃。 警察署の厳めしい門は、喧騒と混沌に満ちた世界と、今ここにいる者たちを分かつ鉄の幕のようだった。 薄暗い街灯の光が冷たく輝き、淡く寂しげな影を路上に落とす。 まるで、夜空にぽつんと浮かぶ孤独な星のように― 警察署の門前で、四人は再び顔を合わせた。 若子の視線が、修の腕をそっと掴む侑子の手に向けられる。 彼女は何も言わず、すぐに視線を逸らした。 そして、西也の手首をしっかりと握る。 「西也、帰るよ」 その声は、かすれていた。 長い一日だった。 身体だけでなく、心まで擦り減らされていた。 誰も何も言わないまま、二組の人間は背中を向け、それぞれ違う道へと歩き出した。 静寂の中で幕を閉じる、騒がしくも虚しい茶番劇。 夜の街はひっそりと静まり返り、行き交う人々もまばらになっていく。 風が吹き抜けるたび、広い道路に寂しげな音が響いた。 闇が墨のように街を包み込み、遠くのネオンライトだけが、かろうじてこの都市の輪郭を描いていた。 ―侑子は修の腕にそっと手を回し、一緒にゆっくりと歩いていた。 駐車場はすぐそこなのに、修は車に向かおうとはしない。 どこへ行くつもりなのか、彼女にはわからなかった。 でも、何も言わずに彼に寄り添う。 見知らぬ国の夜道を、一人で歩いていたら怖かったかもしれない。 でも、修が隣にいるなら―なぜか安心できた。 まるで、彼が自分のボディーガードであるかのように。 思い切って、そっと頭を彼の肩に預ける。 修は、それを拒まなかった。 ―それだけで、侑子の唇には、
突如、ヴィンセントの姿が閃光のように動いた。 まるで獲物に飛びかかる豹のように― その動きは素早く、鋭く、正確だった。 男たちが反応する間もなく、一瞬で半数が地面に叩き伏せられる。 パン!パン! 銃声が鳴り響き、怒号と悲鳴が入り混じる。 ヴィンセントの攻撃は、まるで舞う剣のように美しく、そして致命的だった。 彼の拳と蹴りは、一撃ごとに確実に相手を沈める。 闇の中で、閃光のような動きが踊る。 彼の視線は鋭利な刃のように相手の弱点を見抜き、攻撃を軽やかにかわしては、致命の一撃を繰り出す。 若子はこの混乱に乗じて逃げようとしたが、どの方向へ行こうとしても、乱闘する男たちが立ち塞がる。 仕方なく後退し続けたが、気がつけば元いた場所に戻ってしまっていた。 荒れ狂う暴力の渦の中、彼女は身を縮める。 少しでも判断を誤れば、巻き込まれてしまう― 数分後― 戦いは終わった。 男たちは次々と倒れ、呻き声を上げながら地面に転がっていた。 そして、気づけば若子の周りには誰もいなかった。 無傷だった。 彼女は、呆然としたまま倒れた男たちを見つめる。 次に顔を上げた時― ヴィンセントが、ゆっくりとこちらへ歩いてきていた。 口元に、かすかな笑みを浮かべながら。 「ほらな?俺の言った通りだろう?」 彼はしゃがみ込み、若子の顎をつかむと、親指でそっと彼女の目尻の涙を拭った。 「やつらに頼るより、俺に頼ったほうがよかっただろう?」 若子は、驚愕したまま彼を見つめる。 この男、いったい何者なの......? たった一人で、あの男たちを全員倒してしまうなんて― しかし、その時― 「......っ!」 若子はヴィンセントの肩に、じわりと赤い染みが広がっているのを目にした。 「......あなた、撃たれたの?」 ヴィンセントは、ようやく自分の肩口を見下ろした。 「ああ、そういえば」 今さら、と言わんばかりの無関心な声。 戦闘中は気にする余裕がなかったのか、ようやく痛みに気づいたらしい。 「あなた......!」 若子は慌てて手を伸ばし、彼の傷口を押さえた。 「待って、血が......!」 ポケットを探り、手元にあったハンカチを取り出して、滲み出る血を押
若子は地面に崩れ落ち、全身を震わせた。 熱い汗が額を伝い、肌を冷たく濡らす。 血の気が引いた顔は、まるで死人のように青白い。 「お、お願い......お金なら、いくらでも払う......!」 今は何よりも命が大事だった。 すると、ひとりの男がしゃがみ込み、若子の顎を乱暴につかんだ。 口元には、嫌悪感を抱かせる下卑た笑みが浮かんでいる。 「ほう、金持ちの東洋美人か......?」 「い、いくらでも払う......!」 若子は怯えながらも必死に訴えた。 「現金でも、金塊でも、ダイヤでも......何でも渡すから......!」 「へえ、随分と太っ腹なこった」 男は若子の顔を強くつまみ上げると、そのまま衣服を乱暴に引き裂いた。 下着が露わになる。 「ハハハ!」 周囲の男たちが、いやらしい笑い声をあげる。 「いい身体してるじゃねえか。これは楽しめそうだな」 「いやああっ!」 若子は叫んだ。 しかし、両手は無理やり押さえつけられ、身動きが取れない。 必死に哀願するしかなかった。 「お願い......やめて......!お金ならいくらでも出すから......!女ならいくらでも買えるでしょ......!」 「無駄だ」 唐突に、場違いなほど落ち着いた声が響いた。 「こいつらは人殺しも略奪も、密輸もやりたい放題。目の前の命を奪うのに、何の躊躇いもない連中だ」 その声はどこか気だるげで、けれど心を凍りつかせるほど冷酷だった。 「君は弄ばれた後、砂漠に埋められる。泣こうが叫ぼうが、運命は決まってるってことさ」 若子の血の気が完全に引いた。 絶望に打ちひしがれ、目を閉じる。 その時― コツ、コツ、コツ...... 規則正しい足音が、冷たい夜に響いた。 男たちの間を悠然と歩く、その影は、まるで王が闇を支配するかのような圧倒的な存在感を放っていた。 漆黒の瞳が夜の闇を貫く星のように鋭く光る。 その姿は、まるで彫刻のように整っていた。 「だから、そいつらに頼るより―俺に頼るべきだろう?」 磁石のように引きつける低く響く声。 若子はゆっくりと目を開けた。 目の前にいたのは―ヴィンセント。 英語は完璧に流暢だったが、その顔立ちは東洋的な特徴を持っ
若子は運転しながら、止めどなく涙を流していた。 どれくらい走っただろうか。 突然、込み上げる吐き気に耐えきれず、急いで車を路肩に停め、飛び出す。 その時、初めて気づいた。 自分がいつの間にか、川辺の寂れた場所まで来てしまっていたことに。 周囲には誰もいない。どこなのかもわからない。 若子は河辺にしゃがみ込み、えずいた。 修と侑子が親しげにしている光景を思い出すたび、吐き気がこみ上げる。 こんな感情を抱くべきじゃないことはわかっているのに、どうしても抑えられなかった。 ―私たちは、いつもすれ違ってばかり。 そう、修は、自分たちに子どもがいることすら知らなかった。 今日こそ伝えるつもりだった。 けれど、その前に、侑子が彼の子を身ごもったと知ってしまった。 いつもそうだ。 大事な話をしようとすると、必ず何かに邪魔される。 ―まるで、神様が私たちを結ばせたくないみたいに。 桜井雅子がいて、山田侑子がいて― 修のそばには、決して女性が途切れない。 かつて、修が「愛してる」と言い、よりを戻したいと望んだとき、本当は心が揺れた。 でも、どうしても確信が持てなかった。 彼といると、不安でたまらなかった。 ―西也といるときのほうが、よほど安心できた。 なぜなら、自分は「修にとって唯一の存在」ではないから。 ずっと、彼の心には雅子がいた。 今ならはっきりとわかる。 彼の心を隔てていたのは雅子だけではない。 今では、侑子という存在まで― ―パン!パン!パン! 突如、銃声が鳴り響く。 「......っ!」 若子は驚愕し、凍りついた。 すぐに思い浮かぶのは、アメリカで頻発する銃撃事件。 まさか、自分が巻き込まれるなんて―! 数ヶ月間、平穏に過ごしていたこの地で、まさかこんなことが起こるなんて思わなかった。 恐怖に駆られ、慌てて立ち上がり、車へ駆け寄る。 ―早く逃げなきゃ! パン!パン!パン!パン!パン! 再び響く銃声。 その直後、タイヤが弾け飛び、車体が激しく揺れた。 「......っ!」 ガシャン―! 窓ガラスが粉々に砕け散り、荒々しい手が車内へと伸びてくる。 「いやっ―!」 若子は叫ぶ間もなく、車から引きずり出された。
若子の言葉は途中で遮られた。 彼女の視線は侑子へと向けられ、最後には彼女の腹部に落ちる。 ―本当に、妊娠しているの? もしこれが嘘なら、今すぐ修に真実を告げる。 でも、もし本当なら―自分の子どもは、ただの私生児になってしまう。 「修、一つだけ聞かせて」 若子は静かに、それでも重々しく言った。 「彼女、本当にあなたの子どもを身ごもってるの?たった一度だけ、正直に答えて」 もしこれが嘘なら、彼にすべてを話す。 でも、もし本当なら― 修は侑子の腰を抱き寄せ、はっきりと答えた。 「彼女は俺の子を妊娠してる。そして、俺は彼女と結婚する」 「......」 終わった― 若子の心の中で、何かが崩れ落ちる音がした。 彼女はゆっくりと後ずさり、笑いながら涙を流した。 「......ああ、本当に......見事ね」 修を見つめる目には、涙が溜まっていた。 「私、馬鹿だった......こんな男を信じて、こんな男を愛したなんて......」 想像してしまう。 修が侑子と―あの行為をし、そして子どもができたという現実を。 彼は、どの女にも優しい。 雅子の次は、侑子。 ―もし、自分が彼と復縁していたら? きっと、次は別の女が現れるだけ。 修は誰にでも優しい。 でも、それは愛ではない。 もし本当に愛していたのなら、彼はちゃんと伝えるべきだった。 「お前のためだ」「自由を与える」なんて言い訳をして、離婚を選ぶんじゃなくて― 彼女を愛していると認める勇気すらない男なんて、どうして彼女が愛する価値がある? もし勇気がないのなら、一生そのままでいればいい。 一生、彼女を愛しているなんて口にしなければいい。 なのに、離婚した途端、彼女が別の男と少しでも親しくすると嫉妬する。 何かにつけて彼女のせいにして、まるで自分が傷つけられた被害者みたいに振る舞う。 「お前のためだ」と言いながら、まるで彼が一方的に我慢しているかのように。 そして突然、「愛してる」なんて言い出す。 結局のところ―それはただの独占欲に過ぎない。 もし西也がいなかったら、彼は「愛してる」なんて言わなかったはず。 彼は奪われるのが怖かっただけ。 そして今、もし彼に暁のことを話しても、彼の子
修は扉を開けなかった。 代わりに、扉越しに低い声で問いかける。 「......どうして、ここがわかった?」 「勘よ。でも、本当にここにいるとは思わなかった」 若子は息を整えながら、修をまっすぐ見つめる。 「修、一つ聞かせて。あなたと山田さん、本当に恋人なの?」 修は少しだけ視線をずらし、侑子を一瞥する。 そして、淡々と答えた。 「......当然だろう?前にも言ったはずだ。嘘なわけがない」 若子の拳が震える。 「......どうして、こんなに冷酷なの?私が必死に伝えたこと、全部無視して、何もなかったみたいに他の女と一緒にいるなんて......あなた、私に復讐したいの?」 修の目が細められ、声がさらに冷たくなる。 「......復讐?」 彼はポケットに両手を突っ込みながらも、内側で拳を固く握りしめる。 「それを言うなら、お前の方が俺に復讐したんじゃないのか?」 修の声が鋭く刺さる。 「お前は遠藤を選んだ。それが、どれだけ残酷なことか......わかってるか?」 「......修、違うの、私と西也は―」 若子が言いかけた、その瞬間。 侑子が修の腕にしがみつく。 「松本さん、こんな時間に押しかけるのはどうかと思いますよ」 若子は、侑子を鋭く睨みつけた。 「関係ない人は黙りなさい」 だが、次の瞬間― 「関係なくない」 修が冷たく言い放った。 「侑子は俺の恋人であり、俺の子どもの母親だ。この家も、彼女のものだ」 「......え?」 若子は、その場に凍りついた。 「つまり、彼女が来てほしくないと言えば、お前はここに来る資格すらない」 若子は、修の言葉が理解できなかった。 「何を、言ってるの......?」 その時、侑子も驚いたように目を丸くする。 しかし、修は迷うことなく、彼女の細い肩を抱き寄せ、そっと手をお腹に当てた。 「侑子は、俺の子どもを身ごもってる」 雷が落ちたような衝撃だった。 若子の足元がぐらつく。 全身の力が抜け、崩れ落ちそうになった。 「......彼女が......妊娠?」 「そうだ」 修は薄く笑い、冷たく言い放つ。 「だから、彼女は俺の子どもの母親であり、俺の未来の妻だ。 お前、彼女に偉そう
若子は車を走らせながら、ただ闇雲に道を進んでいた。 どこへ行くのかもわからない。 胸の奥に滞る感情を吐き出せず、ただ叫び出したい衝動に駆られる。 心臓を締め付けられるような痛みが走った。 ―おかしい。 直感的に異変を感じた若子は、急いで車を路肩に停め、荒い息をつきながら胸を押さえた。 「......修、最低......どうして、自分の子どもまで捨てるの......? 私が西也を選んだから?私があなたを傷つけたから?それと、子どもが何の関係があるの?」 ハンドルを握りしめながら、まるで呪詛のように呟く。 指先が震え、全身が小刻みに震えた。 頭をハンドルに押し付け、ひとり車内で震えながら、押し殺した嗚咽が漏れそうになる。 ―彼に直接聞いてみたい。 どうして、子どもを捨てたのか。 どうして、一言も反応しなかったのか。 けれど― 今、電話をしても出るかどうかもわからない。 数秒の沈黙の後、若子は意を決し、もう一度エンジンをかけた。 ...... 三十分後、若子の車は、とある一軒家の近くで停まった。 屋敷の明かりは灯っている。 ―誰かいる。 ここは、修がニューヨークで所有している家のひとつ。 彼女はかつて藤沢家の嫁だったから、藤沢家がどの国にどんな資産を持っているのか、ある程度は把握していた。 ―修がニューヨークに来ているなら、ホテルに泊まるか、もしくはこの家のどこかにいるはず...... ニューヨークに彼の持つ家は複数ある。 ここが正解とは限らなかったが、一番近いこの家に来てみた。 ―そしたら、本当にいた。 その時、屋敷の玄関が開いた。 若子は息をのんだ。 修が、一人で外に出てきた。 ゆっくりと階段を降りると、ポケットからタバコを取り出し、無言で火を点ける。 若子は思わず、ハンドルを強く握り締めた。 ―彼、タバコなんか吸ってたっけ......? 動揺しながら、車を降りようとした―その時。 修の背後から、ひとりの女性が現れた。 ―山田さん......? 侑子は修の前に立ち、無言のまま彼の手からタバコを奪い取ると、そのまま地面に投げ捨て、数回足で踏みつけた。 怒っているようだった。 修は驚いたように彼女を見たが、すぐに微笑み、手
西也は、若子がそれを疑っているとは思わなかった。 「若子、最初から録音するつもりはなかったんだ。でも、あいつの言葉がどんどんひどくなっていくから、ポケットの中のスマホをこっそり操作して、ちょうどこの部分が録れたんだ。実は、これよりもっとひどいことも言ってたけど、それは録音してない」 西也は彼女の肩をしっかりと掴み、真剣な表情で言った。 「信じてくれ、俺にあいつを陥れるつもりはなかった。もし本当にそうするつもりなら、最初から録音を仕込んで、最初から全部記録してるよ。 若子、俺を信じてくれ。誓って、嘘はついてない」 若子はそっと西也を押し返し、かすれた声で言った。 「......わかった、信じる」 ―たとえ信じられなくても、もう関係ない。 たとえ西也が言葉を切り取って都合のいいようにしたとしても、修があの言葉を口にしたことは事実。 それでいい。もう疲れた― 心も体もすり減っていたけれど、それでも若子は授業を続けた。 この機会を無駄にしたくなかった。 日々は、ただ淡々と続いていく。 でも、授業中に何度もぼんやりしてしまう。 頭の中が雑音でいっぱいだった。 ようやく一日の授業が終わった頃、西也が車で迎えに来た。 「若子、今日の授業はどうだった?」 「うん、まあまあ」 若子は短く答える。 「ただ、集中できなくて......最近ちょっと情緒が不安定かも」 「だったら、もう少し休んだらどうだ?授業のスケジュールも調整できる」 「いいの」 若子は小さく首を振った。 「授業は続けたい。無駄にしたくないから」 休んでも、心の痛みが消えるわけじゃない。 ならば、前に進むしかない。 西也は彼女の意思を尊重し、それ以上は何も言わなかった。 家に戻ると、西也は自ら夕食を作った。 しかし、若子はほとんど箸をつけなかった。 「......西也、ちょっと疲れたから、今日は早めに寝るわ。子どものことは、使用人に頼んであるから......たぶん、夜は起きられない」 西也は頷いた。 「わかった。子どものことは俺が見るから、心配しなくていい」 若子は小さく「うん」とだけ返し、部屋へと戻っていった。 時計を見ると、まだ七時前だった。 ―この数日、ずっとこんな調子だ。 魂が
侑子の胸の奥に、じわじわと悲しみが広がっていく。 ―自分に魅力が足りないの? ―それとも、彼があの女を愛しすぎているの? たぶん、両方だ。 もし自分がもっと美しかったら、彼は昨夜、あんなふうに自制しなかったのではないか。 そう考えると、悔しくてたまらなかった。 けれど―それでも、昨夜のことは彼女にとって夢のようだった。 あんなに近くにいて、彼の唇が自分の肌をなぞった。 彼の温もりを、これほど感じられた夜は初めてだった。 それだけでも、彼女にとっては十分な前進だった。 ―必ず、もっと近づいてみせる。 若子を、彼の心から完全に消し去る。 彼の隣にいるのは、自分だけになる。 その思いは、日に日に強くなっていった。 もう、満足なんてできない。 彼を、完全に自分のものにする。 修は朝食を作り終え、侑子を呼びに来た。 ベッドの上で、彼女は恥ずかしそうに毛布にくるまっていた。 ―昨夜も、今朝も、修にはすべてを見られている。 それでも、やはり恥じらいはあった。 好きな人の前では、少しは慎みを持たなければ。 たとえ、それが本心でなくても。 修はそんな彼女に気づくと、静かに言った。 「先に着替えろ。外で待ってる」 そう言い残し、彼は食堂へと向かった。 侑子が食卓につくと、目の前には豪華な朝食が並んでいた。 お腹がすいていた彼女は、思わず感嘆の声を上げる。 「......すごくいい匂い!」 修は軽く微笑みながら、紳士的に椅子を引いた。 「座って」 侑子は嬉しそうに頷き、席についた。 修も彼女の向かいに座る。 侑子は一口食べてみた。 その瞬間、思わず目を見開いた。 ―おいしい。 味そのものがどうというより、これは修が作ってくれた朝食。 それだけで、彼女の舌は最高のフィルターをかける。 「美味しい!まさか、こんなに料理が上手だったなんて」 修ほどの男なら、家に専属のシェフがいるのが当たり前だと思っていた。 それなのに、彼自身がこれほど料理ができるなんて― 「適当に作っただけだ。食えればそれでいい」 彼の何気ない一言に、昨夜のことがよぎる。 昨日、ちゃんと食事をさせてやるべきだった。 けれど、あのときの彼には、それを気にかけ
修の手が、優しく侑子の髪を撫でた。 ふと、頭の中に懐かしい光景がよぎる。 ―何度も迎えた朝。 若子が、こうして恥ずかしそうに彼の胸に顔をうずめていた朝。 彼は彼女の頬を撫で、長い髪に指を通し、そしてそっと唇を重ねた。 今、彼の腕の中には侑子がいる。 まるで子猫のように身を寄せ、甘えるように身体を預けている。 彼女は小さく微笑み、細い指で彼の胸にそっと触れた。 そして、顔を上げ、静かに問いかける。 「......修、平気?」 修は小さく首を振った。 嘘はつけなかった。 ただ彼女を安心させるために「大丈夫」だなんて言うことは、できなかった。 侑子は切なそうに、彼の傷にそっと手を伸ばす。 「......まだ痛む?」 修は静かに首を振る。 「もう痛くない。心配するな」 侑子は少し躊躇いながらも、そっと言葉を続けた。 「......修、国に帰ろう?」 もう、ここにいる意味なんてない。 これ以上、この場所に留まれば、修の心はますます壊れてしまう。 だから、彼を遠ざけたかった。 彼を苦しめるものから―できるだけ遠くに。 「でも、お前......旅行を楽しみにしてたんじゃないのか?せっかく来たのに」 「いいの。他の場所に行けばいいだけだから、二人で」 つい、口をついて出た「二人」という言葉。 言った瞬間、後悔した。 ―二人? そんなふうに言える立場じゃないのに。 修がここに来た理由は、前妻のためだった。 自分のためではない。 きっと、他の場所に旅行に行くなんて話も、彼にはどうでもいいことだろう。 だが、修はしばらく黙ったあと、意外にもこう言った。 「......もう少しここにいよう。せっかく来たんだし、少しくらい遊べよ」 侑子の胸が、一瞬だけ高鳴る。 でも、すぐに不安がよぎる。 「でも......ここにいたら、また彼女と―」 「心配するな」 修は、彼女の考えを見抜いたように言った。 「もう、彼女には会わない。これからの時間は、お前と過ごす。遊び終わったら、一緒に帰ろう」 侑子は驚きつつも、小さく頷くと、幸せそうに修の胸に顔を埋めた。 腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。 こんなに近くにいる。 同じベッドで、同じ温もりを