Share

第11話

Author: 豆々銀錠
紗枝は右耳から血が流れ出ているように感じた。

彼女はその場でぼんやりして、動かなかった。

お母さんはそのような臆病で無能な娘を見て、悲しくなった。

テーブルの上の書類を取り上げ、紗枝に渡した。

「じっくり見てみよう!

「お母さんがこれからの進路を選んだのよ」

紗枝はその書類を取り、婚約契約書と書かれているのを見た。

開いて見た。

「…夏目紗枝は小林一郎と結婚し、小林一郎の残りの人生の世話をすることを約束する…

「小林一郎は、夏目紗枝の家族、すなわち夏目家の今後の生活を維持するため、300億円を提供する…」

小林一郎、桃州市の起業家の先輩で、今年78歳。

紗枝の心は急に引き締まった。

お母さんが続けて言った。「小林一郎は、バツイチの君でも構わないと、彼と結婚してくれたら、夏目家の復興を助けると言った」

手を紗枝の肩に撫でながら、回答を期待していた。

「いいよね、紗枝、お母さんと弟を失望させないだろうね?」

紗枝の顔は青ざめた。

契約書を握りしめて彼女は言った。「啓司とまだ完全に離婚していませんが」

お母さんは気にしなかった。

「小林一郎は、結婚式を挙げて、結婚届は後で出せばいいと言われたの。

「どうせ、啓司に愛されてないし、母さんは君の意見を尊重し、彼との離婚を承諾するわ」

啓司との結婚を挽回できないと思った。

お母さんは息子の言葉を聞いて、娘が若いうちの価値を最大限に引き出そうとした。

それを聞くと、紗枝の喉に綿の塊が詰まったように感じた。

「一つ質問してもいいですか?」彼女は少し黙ってから言い出した。「私は実の娘ですか?」

お母さんの顔が強張った。

優しいふりを一変して、本性を見せ始めた。

「君を産むため、私は体型を崩し、世界的なダンサーを諦めた。こんなに恩を仇で返されてがっかりしたわ!」

紗枝は子供の頃から、他人の母親が後悔せず自分の子供を愛していたことをどうしても理解できなかった。

そして、彼女はお母さんに少しも愛されなかった。

今になっても彼女はまだ理解できていなかった。

しかし、一つ分かったことがあった。それは他人からの愛を期待しないことだった。

契約書をしまって、「お約束できません」と回答した。

断られると思わなかったので、お母さんは直ちに怒った。

「どうして断るの?君の命は私が与えたじゃない!

「やれと言えば、従ってくれよ!」

これを聞いて、紗枝お母さんを見つめて、「それなら、命を返せば、借りを返せますでしょうか?」と言い聞かせた。

お母さんは再び唖然とした。

「何と言った?」

紗枝は薄白い唇を開いて言った。「命を返せば、今後、お母さんではなく、貴方から生まれた御恩も返せるのでしょうか?」

お母さんはそれを全く信じず、「いいよ」と嘲笑した。

「命を返してくれるなら、無理強いはしないよ!

「でも、勇気があるの?」

紗枝は決心したように言った。「一か月時間ください」

今の紗枝が狂ったとお母さんは思った。

契約書を紗枝の前に押し戻した。

「死ぬ勇気がないなら、署名してくださいね」

話し終わって、ハイヒールが地面を叩きながらお母さんは出て行った。

息子の太郎が玄関で待っていた。会話を聞いてしまった。

彼はお母さんに聞いた。「お母さん、彼女は本当に死のうとするのか?」

お母さんは全く気にしなかった。「本当に死ぬなら、感心するわ。どうせ、子供の頃から乳母と一緒に生活したから、私と親しみもなくて、娘として見てないわ」

遠くまで行ってないので、この言葉は、はっきりと紗枝の耳に入った。

痛む耳を叩き、この時だけは聾者になりたかった。

隅で寂しそうに身を縮まった。

突然失敗した自分に気づいた。今まで自分のために一度も生きたことがなかった。

もう限界だと思って、どこか発散する場所を見つけたかった。

その夜、紗枝はバーに行った。

彼女は隅に座って酒を飲み、楽しそうに歌ったり踊ったりする人達をみて、暫く気が失った。

目が大きいイケメンが一人ぽっちの彼女を気づき、近寄ってきた。

「君は夏目紗枝か?」

彼を見て、誰だかわからなかったが、不意に聞いた。「幸せになる方法を知っていますか?」

信じなくて聞き返した。「何と言ったの?」

紗枝が飲みながら言った。「お医者さんに言われました。病気を治すため、楽しくならないといけないが、でも…どうして楽しくならないのですかね…」

これを聞いて、池田辰夫は悲しくなった。

彼女は自分のことを覚えてないのか?

また、どんな病気なの、どうして楽しくなりたいと思ったの?

「お嬢さん、幸せになりたいなら、こんなところに来ちゃダメだよ」

「送ってやるよ」彼は優しく言った。

紗枝は笑顔で彼を見た。「あなたはとてもいい人ですね」

彼女の苦い笑顔を見て、複雑な気持ちでいっぱいだった。ここ数年、彼女は一体何があったのか。

とても悲しかったようだった。

一方、啓司もここにいた。

離婚手続き以来、彼は毎晩自分勝手で飲んだりして、長い間家に戻っていなかった。

遅かった。皆が帰ろうとしたところだった。

葵は隅にいるなじみの深い影に気づいた。

彼女は驚いた。「あれは紗枝さんじゃないか?」

葵が指さした方向に見ると、紗枝の前に男がいて、彼女と話したり笑ったりしていた。

啓司の顔は瞬く間に暗くなった。

バーで酔っ払って男と付き合うなんて!

紗枝を買被りだった。

成程、彼女はこんなもんか。

当時、誰が僕一人だけを一生愛すると言ったのか。

「啓司君、聞いてくるか?」葵が聞いた。

「いらないよ」

啓司が冷たく言って、さっさと出て行った。

紗枝は辰夫の見送りを断った。「自分で帰られるから、有難う」

辰夫は落ち着かず、彼女が出て行くのを見て、少し離れて尾行して行った。

啓司は一人で車に乗り、シャツの上の2つのボタンを外し、まだ退屈と思って、途中で運転手に引き返すように頼んだ。

丁度帰る途中の紗枝を出くわした。

啓司は車を止めてもらい、車から降りて紗枝に向かった。

「紗枝」

聞き覚えのある声が、紗枝を酔いから覚めさせた。

向かってきた啓司を見て、夢のように感じた。

「啓司…」声出してからすぐに改めた。「黒木社長」

近づいてから気づいた。今日、紗枝が薄化粧をしていた。

当時、化粧する女が嫌いと自分が言ったことも忘れた。

二人が結婚した後、彼女は化粧したことが一度もなかった。

「今の自分の姿がわかる?」 啓司は薄い唇が軽く開いた。

紗枝はぼんやりとして彼を見た。

「まるで鬼みたいだ!」と彼は言い続けた。

「この格好、どんな男に好かれると思うのか?」

紗枝は一瞬で正気に戻った。

少しかすれた声で言い聞かせた。「誰にも好かれてないと知っています。

「好きになってくれることも期待しないです…」

啓司を悩ませた。

「何もなければ、帰ります」紗枝は歩き続けた。

啓司はあの男が誰だと聞きたかった。

でも、その言葉を飲み込んだ。

どうせ、二人はもうすぐ離婚するので、その必要はないと思った

紗枝は一人で帰り、途中まで歩いた。

Related chapters

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第12話

    周りを見回すと、とても不思議な感じがした。 彼女はまた戻る道を忘れた。 スマホを取り出してナビゲーションしようと思ったが、住む場所を忘れた。やっとのことで思い出した。辰夫はずっと彼女を尾行していた。啓司が離れた間もなく、紗枝が一人で立ち止まった。心配してたまらなかった。「紗枝」 啓司が戻ったと思った。少しは期待したが、振り返った瞬間、彼女はがっかりした。辰夫は彼女に駆けついた。「僕の事を本当に覚えてないの?」彼を見て、やはり思い出せなかった。 「辰夫、忘れたの?」 辰夫が提示してあった。やっと思い出した。子供の頃、出雲おばさんと一緒に田舎に住んだ時の知り合いだった。当時、辰夫は非常に太っていて、自分ほど背が高くなかった。今では190センチの背の高い男になり、顔も大人気になった。 「思い出した。すごく変わったよね。見て分からないよ」久しぶりに親友と会えて嬉しかった。無理に笑いを作った彼女の顔を見て、彼は悲しくなった。 「行こう、家まで送る」 送ったら、彼女がボロボロのホテルに住んでいることに気づいた。 黒木家のような裕福な家族は、たとえ離婚したとしても、彼女にこんなところまでさせないだろう。 紗枝は少し窮屈と思った。「まずいところを見せてごめん!「ここに住むこと、おばさんに内緒でね。彼女が心配するから」 辰夫はうなずいたが、どうやって彼女を慰めるか分からなかった。遅かった。 彼はここに長くいてはまずいと思った。明日に会いに来ると伝えて帰った。ホテルを出て、駐車所に黒い車が止まっていたことに気づかなかった。紗枝にとっては、どこに住んでも同じだと思った。辰夫が離れた。お酒のせいで胃が痛み始めた。眩暈もした。頭の中に啓司の言葉が浮かんできた。「鬼みたいだ!「この格好、どんな男に好かれると思うのか?」彼女は力込めて顔の化粧と口紅を拭き始めた。荒い動作で青白い顔は赤く腫れた。 うつ病のことを知った後。 彼女は病気についての情報をググった。うつ病の患者は脳に損傷を与える可能性があり、記憶喪失を引き起こすだけでなく、認知機能障害につながる可能性もあり、これにより人々は常に不幸なことについて考え、不幸なことを拡大してみる可能性がある…「バン! バ

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第13話

    しかし、紗枝は、難聴にも拘らず、ピアノを弾いたり、踊ったり、歌ったりして、彼女は普通の人々よりも悪くないとを証明した。 これらのニュースは光のようなもので、支えとなり辰夫が這い上がった。辰夫から彼女の輝かしい過去を語られた。彼女が忘れるところだった。 辰夫に送られ、新しい居場所に辿り着いた。紗枝は微笑んで彼に言った。「ありがとう。元の自分を忘れるところだ」辰夫は彼女と一緒に食事をした。 紗枝が結婚した後に何が起こったのかについて、結局聞けなかった。 ここに泊まった後。 紗枝はスケジュールを確認して、市役所に行く5月15日まであと十数日だった。 お母さんに約束したことを思い出した。 朝、墓地に行った。 お父さんの墓石の前で、優しいお父さんの写真を見て、紗枝は声が少しかすれた。「お父さん、会いたかった」そよ風が紗枝の頬を優しく撫でた。 彼女は涙でそうとなった。「お父さん、私が会いに行ったら、きっと怒るでしょうか?」手を伸ばして、墓石から落ち葉を一枚一枚取り出した。 「強くなければいけないと思ったが、でも…ごめんなさい…」長く墓石の前に立ってから紗枝は離れた。帰る前に彼女は骨壺を買ってきた。その後、写真屋に行って、不思議と思われた店員さんに白黒写真を撮ってもらった。すべてを終えて家に戻ることにした。 彼女は車の窓の外を見て、気が失った。 そんな時、一本の電話がかかってきた。 出雲おばさんだった。 「紗枝、調子はどう?」出雲おばさんの優しい声を聞いて、無理に微笑んだ。「よかったよ」出雲おばさんはほっとした。それから彼女を責めた。「またこっそりとお金を置いたのか?使えないよ。預かっておく。もし君が商売でもしたい…」ここ数年、紗枝はしばしば彼女に密かにお金を上げた。 田舎で、お金はあんまり使えないから、貯金しておいた。 電話の向こうで出雲おばさんの心配事を聞いて、いつの間にか涙が顔に流れっぱなしだった。 「おばさん、子供の頃みたいに家に連れ帰ってくれる?」出雲おばさんは戸惑った。 紗枝は言い続けた。「15日に、私を迎えてほしい」どうして15日まで待たなければならないのか出雲おばさんはわからなかった。 「いいよ、15日、迎えに行く」 最近、病

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第14話

    インタビューが終わって葵は紗枝のお母さんに会いに行った。紗枝のお母さんと弟が、紗枝を年寄りに結婚させるつもりだった。300億円と引き換えに。啓司から長い間返事を聞こえなかったため、葵は火に油を注いだ。「紗枝のお母さんの話では、結納金を300億円を要求したそうだ。紗枝はこんな人だと思わなかった。「また、冷静期間だと、結婚するのが不便だから、まずは結婚式を挙げるって」…お母さんと弟がすでに結婚の準備を始めた。紗枝の言葉を真剣に受け止めなかった。お母さんは彼女が死ぬ勇気がないし、死のうとしないと思った。 彼女は子供の頃から沢山苦労して、それでも死を選んでなかった。今回も間違いなく同じだと思った。 弟は結納金の300億円をとっくに貰った。すでに新しい会社の立ち上げを始めた。彼には罪悪感など全くを感じなかったし、紗枝に悔いがあるとも思わなかった。この日、お母さんからショートメールが送られてきた。「小林社長がすでに結婚式の日を選んでいた。丁度今月の15日だった。「あと4日だ。君はちゃんと準備をして、今度こそ、男の心を掴んでね。分かったか?」2通のショートメールを見て、紗枝は悲しみ始めた。15…一家団欒の縁起のいい日だった…それはまた、彼女と啓司が約束した離婚の手続きの日だった…それとも、彼女が結婚を強いられた日だった…また、それは彼女がこの世を去る日だった…再び忘れてしまうと心配して、全てノートに記録した。 記入完了。彼女は遺言書を書き始めた。ペンを手に取ったが、何を書けばいいのかわからず、ついに出雲おばさんに言葉を残して、辰夫にも言葉を残した。書き終わって、彼女は遺言書を枕の下に置いた。 3日後。 14日、大雨が降った。 テーブルに置いたスマホの着信音が鳴り続けた。全てお母さんからだった。彼女がどこにいるのかと尋ねた。明日は結婚式の日。家に帰って、結婚の準備をすべきだった。紗枝は返事をしなかった。彼女は今日真新しいベゴニア色のドレスに着替え、繊細な化粧をした。 元々素質は悪くなかった。ただ痩せすぎで、顔色が青白すぎた。 鏡を見て、彼女は精緻で艶やかで、啓司と結婚する前の自分に戻ったみたいだった。タクシーで墓地まで行った。車から降りて傘をさしてゆっくり

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第15話

    スマホが紗枝の手から落ちた。雨にびしょ濡れになり、だんだんと画面が暗くなった。 お父さんの墓石にもたれかかり、人形を抱きしめ、冷たい雨に降られる中、お父さんが優しい笑顔で向かって来るのを見たようだった。 ――愛情深い人は理想主義で、情けない人はリアリズムだ。どちらにしても、最後に悔いが残った。…牡丹別荘。電話が切られて、啓司はイライラした。彼が折り返し電話をかけたが、冷たい声が聞こえてきた。「申し訳ありませんが、おかけの電話は電波の届かないところにいるか…」啓司は起きて、コートを着て、出かけようとした。 ドアに着いたとき、立ち止まった。 紗枝は離婚したくないため、わざとそうやったのか。二人は間もなく離婚するだし、彼女が何をしても、自分と何の関係があるのか? 寝室に戻ると、なんだか眠れなくなった。紗枝の言葉、彼の頭に響き続けた。「もし…お母さんと弟がやったことを分かったら、私は…絶対…貴方と結婚しない…「もし貴方が…葵の事がずっと好きだと…分かったら…私もあなたと結婚しない…「もしお父さんが…結婚当日に…事故に遭うと分ったら…私は…あなたと結婚しない…」啓司は再び起き上がり、無意識のうちに紗枝の部屋の前に来た。 紗枝がここを離れてから1ヶ月以上経った。 ドアを開けて見ると、真っ暗で、とても重苦しかった。 明かりをつけてみて、空っぽで、紗枝の私物は残っていなかった。 啓司が座ってベッドサイドテーブルを開くと、中には小さなノートがあった。 ノートには一言あった。「本当に去ることを選んだ人が一番辛いと思う。なぜなら、彼女の心はすでに数え切れないほどの葛藤を経て、ついに決心したからだ」啓司は綺麗な字を見て、「辛い?」と嘲笑した。 「君と一緒にいるここ数年、僕はつらくなかったと思うのか?」彼はノートをゴミ箱に捨てた。 部屋を出るとき、ノートをベッドサイドテーブルに戻した。 部屋を出て、二度と眠れなかった。…一方。辰夫はよく眠れず、この2日間で紗枝がおかしいと思ったが、どこが可笑しいか分からなかった。 朝の4時頃、出雲おばさんから電話をもらった。 「辰夫、紗枝に会ってくれないか。先ほど変な夢を見たのだ」 辰夫は起き上がった。「どんな夢?」「紗

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第16話

    もう1通の遺言書は出雲おばさんへの物だった。開いて見ると、最後の一行に出雲おばさんにアドレスを書かれた。辰夫が駆け足で慌てて出て行った。 郊外の墓地まではそれほど遠くなく、車でわずか20分ぐらいだった。 しかし、辰夫は非常に遠いと思った。 彼は理解できなかった。かつてそんなに光みたいに輝いた人が、どうしてこの道を選んだのか。 これと同時に、彼のように郊外の墓地へ向かう人は、紗枝のお母さん、夏目美希だった。ただし、彼女は300億円のため、紗枝を結婚式に迎えに来たのだった。郊外墓地。大雨。紗枝は墓石の前に倒れ、激しい雨に降られて、長いドレスがすでにびしょ濡れで、痩せた体がさらに浮き彫りに見えて、水に漂った葉っぱのように、すぐにでもこの世から消え去って行くのだろう。辰夫は雨に降られて、大股で紗枝に向かって走った。「紗枝!!」 耳元に風と雨の音だけが響き渡り、辰夫は何の返事も得なかった。紗枝を抱えようとしたときに、彼女の傍らに倒れた空っぽの薬の瓶に気づいた。辰夫は震えた手で紗枝を抱き上げた。 軽い!どうして? 「紗枝、目覚めて!「眠るな!」言いながら、彼は麓へ走り出した。…「奥様、着きました」運転手が言った。美希は窓の外を見ると、見知らぬ男が目に入った。腕に抱え込んだのは…紗枝だった。「紗枝め!」彼女は眉をひそめ、傘を持って車から降りた。 今日、美希は赤いドレスを着ていて、雨に降られて、裾も濡れ始めた。美希は焦って駆け付けて、紗枝を責めようとした。 怒鳴ろうとしたとき、辰夫の腕に靠れ、力が抜いた紗枝の体、そして青白い顔、閉じった目…に初めて気づいた。彼女はその場で凍りついた。 「紗枝…」 美希は何が起こったかと尋ねようとしたとき、風に吹かれ来た薬瓶に目を向いた。 素早く駆けついて薬瓶を拾い上げ、薬瓶には「睡眠薬」の文字が目に焼き付いた。 この瞬間、美希は数日前、紗枝に言われたことを思い出した。「命を返せば、今後、貴方は私の母親でなくなり、そして私を産んでくれた御恩を返せるでしょう?」 美希の手にした傘が地面に落ちた。 薬瓶を握りしめ、信じられなくて紗枝を睨みつけ、美希の目が雨に降られたのか、水が顔に流れてきた。「クソ野郎!! どうして!

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第17話

    「わかった」 太郎は辰夫に向かって歩き出し、紗枝を奪おうとした。 手が伸びた途端、辰夫に力強く蹴飛ばされた。バタンと音を立てて、太郎は数メートル先に倒れ、手でお腹を抱え込み、痛くて話すことができなくなった。 美希が慌てて息子を引き起こそうとした。それと同時に、辰夫を睨んで言い出した。「息子を蹴り飛ばすのか?」辰夫は紗枝を抱え上げ、冷たい目つきで親子を睨み返した。雨水が髪の毛からぽつりぽつりと落ちていた。 親子の前までに来て、一変して修羅みたいに、ゆっくりと言葉吐き出した。「しーねーえ!」親子は驚かされてしばらく何も言えなかった。 辰夫は紗枝を抱えながら、美希に忠告してやった。「紗枝の遺言書には、貴方との約束の録音があった。今後、一切関係ない事、お忘れないで」紗枝が死んでも、彼女の娘になりたくなかった…録音が法的効力を持たないこと、親子の関係を断ち切ることに影響しないこと、紗枝は知っていた。でも、彼女は美希がどんな人なのかをもっとよく知っていた。 美希は面子が一番大切と思っていた。もしこの録音が公開されたら、彼女は娘を殺した罪を背負うことになる。辰夫の脅しで、美希は怪我した息子と一緒に離れた。車に乗り、バックミラー越しに辰夫の腕にある活気のない娘を見て、美希は力込めて拳を握り締めた。「お母さんを責めないで、責めるなら自分を責めろう。啓司の心を掴めなかった。「この結果、君の自業自得だ」一瞬だけ心が痛かったが、すぐ冷酷な彼女に取り戻した。娘の死より、小林社長への対応が最も重要になった。 辰夫は紗枝を近くの病院に連れて行った。オペ室に運ばれた紗枝を見届けた。手術中の3文字を見て、彼が緊張して、うろうろ廊下を歩いた。手術が1時間続いたとき、お医者さんが出てきた。「患者の様子が危篤で、家族の方はどこにいますか?」辰夫ドキッとした。「彼女は…どうなったの?」 「家族の方ですか? 患者は危篤で、術式変更承認書にサインをお願いします。最大の努力するつもりですが…」とお医者さんが言った。 辰夫が喉を締められたようになり、元の優しさを一変し、襟元を掴んでお医者さんを持ち上げた。 「危篤なんかあり得ない。彼女を治せなかったら、皆に死んでもらうぞ!」お医者さんを押し

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第18話

    啓司は黙って聞いており、気分が重くなったが、反論しなかった。 彼の曖昧なやり方で、友人の和彦やら、お母さんの綾子やら、助手の牧野やら、それとも実家の使用人やら、皆が紗枝をまともに引き受けなかった。和彦が電話を受け、急いで出て行った。 彼が離れた後、啓司は無意識にスマホを取り出して、紗枝から電話とか来てないかと確認した。電話をかけて見たが、まだ冷たい声だった。「おかけになった電話は現在、電波の届かないところにあるか、電源が入っていないため…」苛立った彼は、スマホをテーブルに投げ捨てた。 立ち上がり、窓側に寄って、タバコに火をつけた。 今朝、紗枝の言葉はまだ彼の頭に響き、彼女は後悔した…喉が苦くて渋くなって、彼は激しく咳をした。突然後ろから女性の声が伝わってきた。「啓司君、タバコを減らしてよ、健康に良くないだから」啓司の心は引き締まった。紗枝が帰ってきたと思った。振り返ってみると、賢妻の恰好をした葵だった。多少がっかりした啓司は何げなく聞いた。「何をしに来たの?」「おばさんに頼まれてきたの。紗枝が再婚相手を見つけたことを知ったので、気にしないでって伝えに来たの」 彼女が言ったおばさんは啓司のお母さんだった。4年前。綾子は和彦と同じ車に乗って事故に遭った。O型血液が不足だったので、たまたま紗枝が同じO型だった。彼女が和彦の安全を確認してから、綾子に輸血を行った。 でも、輸血後、彼女は疲れ切ったため、気を失った。 当時、夏目家に援助されて、葵はいつも工夫して紗枝の機嫌を取ろうとした。紗枝が病院にいたと知り、直ちに病院に行って世話をし始めた。その時、彼女は紗枝が人を救ったことを知った。 しかし、誰でもわからなかった。葵は紗枝が入院中に誑かして、綾子と和彦の命の恩人に成りすました。葵は当初、綾子の命を助けたことで、啓司に嫁さんとしてもらえると思った。しかし、綾子は息子の事業のため、権力のため、積極的に夏目家に縁談を申し出た。紗枝が聴覚障害があるにもかかわらず。そして今、啓司は紗枝と関係が上手く行かず、結婚して3年、子供がまだできていなかった。啓司のお母さんは条件を緩めた。葵と啓司のことを認め、子供ができたら、結婚を許してやると彼女に言った。「彼女の再婚相手は誰?」葵を

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第19話

    窓の外、荒い風が吹き、紗枝は痩せ細い手で腹に触り、目が鈍かった。妊娠したことを検査で分かって、辰夫から聞いた。この子は今時に来るべきじゃなかった。虚ろな目で生きる意志がない紗枝を見て、出雲おばさんが心を決めた。「紗枝」 しばらくたってから紗枝が正気に戻り、出雲おばさんに頭を向けた。「おばさん」目が赤くなった出雲おばさんは老けた手で彼女の髪の毛を優しく撫でた。「紗枝、おばさんには子供がいなくて、ずっと君を自分の娘と見ていたのだ。「おばさんは君に金持ちになれと期待せず、ただ健康で生きてほしい。「もし一人娘が死ぬなら、お母さんも生き残るわけにはいかない」出雲おばさんはフルーツナイフを手に取った。それを見て紗枝の体が引き締まった。 「10歳まで育て、それからずっとお供できなくて、すべて私が悪かった。今から旦那様に謝りに行く…」話し終わってから、彼女はナイフで手首を切りつけた。紗枝がびっくりした。力込めて止めようとしたが、立ち上がることすらできなくて、唖然として声も失った。「おばさん…やめて…」出雲おばさんが手を止めることがなかった。紗枝は彼女の手首の赤い血をみて、涙が流れて止まらなくなった。「愚かなことをしないから、しないから…おばさん、やめて…」 紗枝の約束の言葉を聞いて、出雲おばさんが手を止めた。目が赤くなった。「紗枝、生まれてくれた御恩をすでに返した。「今は彼女に借りがなかったし、啓司にも借りを返した。「これから、君は愛してくれる人のため、私のため、そしてお腹の子のため、ちゃんと生きて行かなけらばならないのよ!」 紗枝は出雲おばさんの話を聞くことにして、彼女と子供のために生きていくと決めた。これから、美希は母親でなくなり、弟もいなくなった。彼女の身内は出雲おばさんと腹の子だけだった。 出雲おばさんはこの方法で紗枝に決断させるつもりはなかった。 でも、紗枝に生きてほしかった。紗枝は自分の生まれを左右できなくて、それでもいわゆる生まれた御恩を背負わなければならなかったのか。 本当の母親は、娘に命で恩返しするなんてありえないだろう。入院中。 辰夫の話により、美希は海外に逃げ出した。悲しみを感じなかった。啓司と同じように、長い間、美希へ恩返しをしたく、今後一

Latest chapter

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第558話

    一日後。空港にて。エイリーは飛行機を降りるなり、紗枝に電話をかけた。「紗枝ちゃん、着いたよ。二人の子供と一緒に歓迎会に来てくれてる?」紗枝は思わずため息をつきそうになった。もし子供たちと一緒に空港まで出迎えに行けば、彼のアイドルとしての地位が一瞬で崩壊してしまうだろう。あれだけの女性ファンがいるのだ。きっと自分はボロボロに叩かれることになる。「落ち着いてから、改めて約束を取りましょう」紗枝は電話を切った。......一方、啓司が新しく設立したIM社では。牧野がエイリーの資料を彼に手渡した。「社長、このエイリーという人物はハーフで、海外、国内ともに大きなファン層を抱えています」「男女比に極端な偏りがないため、弊社の新製品の広告塔として最適かと。彼を起用すれば、桃洲市のほとんどの人がIM社を知ることになるでしょう」啓司は同意し、牧野にエイリーとの契約を進めるよう指示した。その後、啓司は牧野に尋ねた。「あの時のDNA鑑定、本当に改ざんされていなかったのか?」牧野はその言葉を聞いて、しばし考え込んだ。「手が加えられる可能性があるとすれば、生体サンプル、つまり逸ちゃんの歯ブラシだけです」「それが取り替えられた可能性は?」「逸ちゃん本人でない限り、あり得ません。家政婦たちは全員素性がしっかりしていますから、歯ブラシを取り替えるようなことはしないはずです」その言葉を口にした瞬間、牧自身も疑念が芽生えた。「社長、ご安心ください。今回採取した生体サンプルは間違いありません。しかも三つの異なる機関で検査を依頼しましたから」啓司は頷いた。牧野が退室すると、早速エイリーを会社の広告塔として招聘する手配に取り掛かった。金で動かせない人間などいないと思っていたが、まさか門前払いを食らうとは思ってもみなかった。「牧野さん、エイリーさんは帰国したばかりで、弊社以外にも多くのオファーがあったそうですが、全て断られたとのことです。自由な身でいたいだけだと。どんな高額な契約金を提示しても、会社との契約は望まないそうです」牧野が最も頭を悩ませるのは、金では動かせない人間だった。かつての雷七のように。社長が自分の給料よりも高い報酬を提示したにもかかわらず、まったく心を動かさなかった。一体何を求めて

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第557話

    幸か不幸か、景之の誘拐事件が一度トレンド入りしたことで、彼の存在も一気に注目を集めることになった。ネット上では大勢が彼について検索していたが、不思議なことに、何の情報も見つからなかった。ネットユーザーたちは首を傾げた。「あの落ち着いた子、すごく魅力的!名前は何て言うのかな。知り合いたいな」「本当よね。まるで小さなスターみたい」「スターよりもずっと可愛いわ。大きくなったら間違いなくイケメンになるわね」「.....」ネットユーザーの熱い反応に、景之は再びトレンド入りを果たした。唯は仕事の合間に子供のニュースを目にして、思わず驚いた。「景ちゃんの顔立ちが受けるって言ってたけど、まさかここまでとは」「トップアイドルのエイリーの帰国ニュースよりも注目されてるなんて、信じられない!」唯は昼に戻るなり、すぐに景之にニュースを見せた。景之はこのニュースにさほど驚かなかった。「唯おばさん、そんな時間があるなら、どうやって6万円の給料を30万円に上げるか考えた方がいいよ」景之はため息をつきながら言った。「桃洲市みたいな一寸の土地も金になる場所で、6万円じゃどうやって生きていくの?」そう言うと、彼は唯の肩を軽くたたいた。「今は息子も育てなきゃいけないのに、本当に何もかも澤村家のお金で賄うつもり?」唯は子供に諭されたような気分になった。昨日誘拐されたばかりの子供なんかじゃない、小さな悪魔だ。普通の子なら、まだ動揺して泣いているはずなのに。昨夜、悪夢を見て彼の部屋に駆け込んだ時も、彼が自分を慰めてくれたのだ。人はいつか死ぬものだから怖がらなくていい、死んでも別の世界に行くだけで、また会えるんだからと。「私だって頑張って働きたいけど、事務職じゃ大金なんて稼げないわ」「私があなたのママみたいに曲が書けたらいいのにね」唯は自分が普通の人間だと感じていた。人に注目されるような存在になることは望まず、ただ衣食足りれば十分だった。景之は彼女のそんな成り行き任せの態度に少し呆れた。「唯おばさん、お金を稼ぐ方法があるよ」「どんな方法?」「今、インフルエンサーって儲かるでしょ?ライブ配信でお金を稼げばいいんだよ」と景之は言った。誘拐された後、彼は悟ったのだ。お金と力がなければ、屠られる子羊と同じだと。イ

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第556話

    もともと眠れなかったのに、啓司が横たわった時、紗枝はますます目が冴えてきた。彼女は少し体を外側へずらした。突然、紗枝の手が掴まれ、彼女は慌てて大人しく横になり、目を閉じて眠るふりをした。啓司は彼女の小さな手を握り、優しく撫でていた。紗枝は長い間目を固く閉じていたが、ふと気づいた。彼は今、目が見えないのだから、自分が目を開けても寝ているかどうか分からないはずだ。そうして、紗枝はゆっくりと目を開けた。目に映ったのは、啓司の凛とした横顔だった。いつの間にか体を起こしていた彼は、片手で紗枝の手を握りながら、もう片方の手で彼女の頭を探るように触れていた。額の位置を確かめると、顔を近づけた。紗枝は思わず目を閉じ、眉間に羽のような軽い口づけが落とされた。どういうわけか、心臓が少し早く鼓動し始めた。啓司はそれ以上何もせず、横になり直すと、そっと彼女を引き寄せた。顔の傷に触れないよう気を遣っているのか、以前のように強く抱きしめることはなかった。紗枝はてっきり、この間の彼の変化は記憶喪失のせいだと思っていた。でも、どうやらそうではないようだ……どれくらい時が過ぎただろう。紗枝はようやく眠りについたが、昼間の出来事のせいか、安らかな眠りではなかった。すぐに目を覚まし、「景ちゃん……」浅い眠りについていた啓司はすぐに目を覚まし、紗枝の肩を優しく叩いた。「大丈夫だ。景ちゃんは無事だ」紗枝はようやく落ち着きを取り戻し、再び横になった。一晩中、彼女の眠りは浅く、思わず啓司の手を握り返していた。「啓司さん……」「ああ、ここにいる」啓司は応えた。こんな場面がどこか懐かしく感じられて、紗枝は柳沢葵の元カレに傷つけられた、あの時のことを思い出していた。あの時も、誰かが「ここにいるよ」と言ってくれたっけ。啓司の手を握った時、手の甲に不自然な凹凸を感じ、思わず尋ねていた。「手の傷跡、どうしたの?」前にピアノを弾いているときにも気づいていたけれど、聞かずにいたのだ。啓司は心の中で『バカな君を助けたからさ』と呟いた。だが口に出したのは「車の窓ガラスで切っただけだよ」という言葉だった。窓ガラス……?紗枝の胸に疑念が芽生えた。確か、あの時自分を車から救い出して病院へ運んでくれたのは池田辰夫のはず。

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第555話

    太郎が帰った後、看護師が紗枝の顔の包帯を取り替え、外から戻ってきた啓司が退院の手続きをした。車に乗り込むと、啓司は紗枝に告げた。「あの男の捜査を指示した。桃洲市にいるなら、すぐに見つかるはずだ」「うん」紗枝は頷いた。彼女も雷七に特別に人を配置させ、昭子と夢美の周辺を調査させていた。牡丹別荘に戻ると。逸之は紗枝に飛びついた。「ママ、お兄ちゃん大丈夫だった?」ネットニュースは大騒ぎになっていた。紗枝はすぐに息子を安心させた。「お兄ちゃんは大丈夫よ。今は唯おばさんと一緒に、澤村おじさんの家にいるの」逸之はようやく胸をなでおろした。彼は紗枝の顔のガーゼと包帯に気づき、不思議そうに尋ねた。「ママ、顔どうしたの?」紗枝は息子を心配させまいと嘘をついた。「ちょっと切っちゃっただけよ。大丈夫、医者が言うには数日で治るって」繊細な逸之は、もちろんそれを信じなかったが、ママが本当のことを話すはずがないと分かっていたので、それ以上は聞かなかった。「ママ、これからは気をつけてね」紗枝は頷いた。「うん」逸之は啓司の方を向いた。「啓司おじさん、これからは夜に出歩かないでね。みんな心配したんだから」「ああ」啓司は普段より少し優しく返事をした。彼の頭の中には、まだ一つ気になることがあった。逸之が危険な目に遭った時の紗枝の言葉。「私たちの息子を救って!!」景之が助かった後、紗枝はその件について何も言わなかったが、彼の心には深く刻まれていた。景之と逸之は自分の子供なのか?でも、あの時牧野が親子鑑定をした時、二人とは血のつながりがないと言ったはずだ。もしかして、あの親子鑑定に問題があったのか?啓司は牧野に再度鑑定をさせることを決めた。......夜になり、逸之が寝た後、家には啓司と紗枝だけが残っていた。「景ちゃんを助けてくれて、ありがとう」紗枝は今では随分落ち着いていた。啓司は既に逸之の生体サンプルを牧野に渡していたが、二人の子供との関係については触れず、こう言った。「あの時の言葉は、まだ有効なのか?」紗枝は一瞬戸惑った。景之が無事なら離婚の話をしないと約束したことを思い出した。彼女は頷いた。「約束は約束よ」「でも」紗枝は少し間を置いて、傷跡の男の脅しを思い出した。「景ちゃんを

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第554話

    太郎は傍らの花を見て、腰を下ろした。「ママと僕がニュースを見て、人づてに聞いたんだ。姉さんと甥っ子が何かあったって」太郎は説明した。彼は訝しむ振りをして続けた。「子供がいたなんて、どうして僕たちに教えてくれなかったの?」「子供はどこ?」紗枝はすでに和彦と唯に景之を澤村家に連れて行ってもらっていた。今は澤村家の方が安全だった。「私の記憶が正しければ、美希さんとはもう母娘の関係ではないはず」「何を子供みたいなこと言ってるんだ?血のつながりは、お前が否定したからって消えるものじゃない」太郎はカードを取り出し、紗枝に差し出した。「ママからだ。栄養補給のために何か買ってくれって」紗枝は受け取らなかった。長年の経験から、美希が本当に自分のことを心配しているとは、もう信じられなかった。「結構よ。私には自分のお金があるから」太郎は自尊心の強い姉がお金を受け取らないことを予想していたかのように、カードを引っ込めた。「一体誰が子供に手を出したんだ?それに、姉さんの顔はどうしたんだ?」彼は尋ねた。「知らないの?」紗枝は問い返した。「どうして知ってるはずがある?」太郎は不思議そうな顔をしたが、すぐに気付いたように声を上げた。「まさか、姉さん、僕が姉さんと甥っ子を害したと思ってるの?」紗枝は彼の表情の変化を観察した。太郎は必死に否定した。「そんなわけないだろう?姉さんは僕の実の姉だぞ。僕が害するわけないじゃないか」「夏目家は、もう僕と姉さんしかいないんだ」太郎は美希のように上手く演技はできない性格だった。紗枝は彼の様子を見て、本当に何も知らないのかもしれないと思い始めた。「僕も今になって初めて知ったんだ。姉さんと啓司さんに子供がいたなんて」太郎は紗枝の誤解を解こうと説明を続けた。「僕だってバカじゃない。うちと黒木家に血のつながりができるなんて、願ってもないことだ。どうして子供に危害を加えるはずがある?」紗枝は黙って最後まで聞いてから、口を開いた。「あなたが犯人だとは言ってないわ。そんなに興奮しないで」「私も誰が子供を狙ったのか分からないの」紗枝は太郎の言葉に一理あると感じた。母と弟のような欲深い人間なら、景之が黒木家の血を引いていると知った時、まず黒木家からカネや何かを引き出そうとするはず。な

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第553話

    騒動が収まり、景之と紗枝は検査のため病院へ搬送された。景之に大きな怪我はなく、問題は紗枝の顔だった。「夏目さんの顔の傷は深刻です。治っても、おそらく痕が残るでしょう」医師は診察後に説明した。「後日、形成手術が必要になると思われます」紗枝は景之が無事なら、自分の顔の傷など気にならなかった。今、彼女が一番知りたいのは、誰が景之を誘拐したのかということだった。電話をかけてきた番号を調べたが、既に使われておらず、手掛かりは途切れていた。景之は記憶を頼りに、傷跡の男の似顔絵を描いた。「あの人は誰かに命令されていたの。電話で確認してたのを聞いたから」景之は一瞬躊躇してから続けた。「電話の向こうの人は、僕を殺すように言ってたみたい。でも、あの人は気の毒に思ったのか、そうしなかった」紗枝はそれを聞いて更に恐ろしくなり、首謀者を必ず見つけ出すと決意した。景之は紗枝の右頬を覆う包帯を見つめ、胸が痛んだ。「ママ、すごく痛いでしょう?僕が吹いてあげようか?」以前、包丁で指を切った時、ママはいつもそうやって痛いところを吹いてくれたのだ。紗枝は息子の優しさと思いやりに、頭を下げた。「ありがとう」景之は優しく吹いてあげた。「もう全然痛くないわ」紗枝は息子を安心させようとした。景之は決して鈍感な子供ではなかった。救助された時に見たママの顔の深い傷。あれだけの傷がどうして痛くないはずがあるだろう?一体誰がママの顔を傷つけようとしたんだろう?そして、自分の命まで狙って……病室の外では、啓司と和彦が今回の事件について話し合い、唯が医師から詳しい状況を聞いていた。状況を把握した唯は病室に入った。「紗枝ちゃん、ごめんなさい。私が景ちゃんをちゃんと見ていなかったから、こんなことに……」紗枝は彼女を責めなかった。「唯、これは誰のせいでもないわ。私が狙われていたのよ」傷跡の男は紗枝に電話をかけ、最初は桃洲市から立ち去るように言い、その後で自分の顔を傷つけるように要求した。紗枝は美希のことかもしれないと思った……景之を外に出してから、その推測を唯に打ち明けた。唯は信じられない様子だった。「でも、あの人はあなたの実の母親よ!景ちゃんの祖母なのに、そんなひどいことができるなんて」紗枝は苦笑した。「あの人は一度も私

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第552話

    紗枝は今、ただ景之の命が助かることだけを考えていて、自分の言葉の意味など考える余裕はなかった。ただ必死に啓司の手を掴んでいた。「啓司さん、景ちゃんを助けて。無事なら……もう離婚なんて言わないわ。私、ここに残るから……」彼女の涙が次々と零れ落ち、顔の血と混ざり合って啓司の手の甲に落ちた。啓司が手を伸ばして彼女の涙を拭おうとした時、顔の粘つきに触れ、はっと気付いた。「顔はどうしたんだ?」彼は紗枝の体から漂う血の匂いに気付いた。「あの人たち……私が顔を傷つければ、景ちゃんを解放すると言ったの。でも……」啓司の胸が急に締め付けられるような痛みを覚えた。傷は見えなくとも、手のひらに感じる血の粘つきが全てを物語っていた。「牧野!医者を呼べ!」彼らが来る時、緊急事態に備えて医療チームも同行していた。牧野も我に返った。「はい!」「大丈夫、医者なんて必要ないわ……」紗枝は拒否した。「言うことを聞け。必ず景ちゃんは無事だと約束する」啓司の約束に、紗枝は少し落ち着きを取り戻したものの、その場を離れたくはなかった。啓司はすぐに医者を呼び、診察させた。医者は紗枝の顔の傷を見て驚愕した。これほど深い傷痕は一体どうやって?医者は紗枝の傷の消毒を始めた。一方、ヘリコプターがようやく景之の真上に到着した。プロペラの風で子供を傷つける危険があるため、はしごを降ろして人力での救助を開始するしかなかった。和彦は緊張しながら救助を見守り、同時に傍らの紗枝のことも心配していた。景之は救助隊を見つけると、冷静に手を差し伸べた。ネットではライブ配信が行われていた。多くの視聴者が、息を詰めて見守っていた。この幼い子供の落ち着きぶりに、皆が驚嘆の声を上げていた。「すごい子供だな。俺なら足がガクガクになってるよ」「よかった、やっと抱きかかえられた!」救助隊員が景之を抱きかかえた瞬間、昭子以外の全員が安堵のため息をついた。昭子は画面の前で足を踏み鳴らしていた。「鈴木おじさんは何してるの?どうして電話に出ないの?なんであの子を助けるの?」青葉もその様子を見ていた。「昭子、もういいの。仕返しはできたでしょう」「これで紗枝も大人しくなるはず」その時、傷跡の男から電話がかかってきた。「ボス、申し訳ありません。あ

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第551話

    啓司は今まさに大橋に向かおうとしていた。紗枝に電話をかけ続けるが、常に話し中だった。今や子供の事件がネットで話題になっており、紗枝はきっと目にしているはずだ。彼女に何かあってはならない!万が一の事態に備え、すでに多くの船が川に配置されていた。ヘリコプターもこちらに向かっている!時間が刻一刻と過ぎていく中、傷跡の男はヘリコプターを見上げながら、決断を躊躇していた。昭子もニュースを見つめながら言った。「馬鹿ね、ヘリコプターや船なんかじゃ、この子は助からないわ」「鈴木おじさんはまだロープを切らないの?たった数秒の作業なのに」鈴木青葉はネットニュースを見ながら、養女の様子を窺った。「昭子、あの子も何かあなたに害を与えたの?」昭子は一瞬動きを止め、自分の立場を思い出したかのように答えた。「ママ、あの子はもしかしたら黒木家の子じゃないかもしれないのよ」「黒木家の子じゃないというだけで、死ななければならない理由になるの?」青葉は理解できなかった。自分が育てた娘が、どうしてこんなにも冷酷になってしまったのか。昭子は言い返した。「ママ、あなたが教えてくれたじゃない?証拠は残さないって」「もし私たちがあの女の息子を解放して、その子が大きくなって、私たちが母親の顔を傷つけたことを知ったら?その子が私に復讐してきたらどうするの?」と昭子は言った。青葉は確かに娘に、証拠を残さないように教えていた。しかし、誰彼構わず殺せとは言っていない。紗枝は単に昭子の婚約者を誘惑しただけなのに、殺さなければならないのか。「昭子、これが最後よ」青葉は突然、今回は昭子の言葉を信じすぎたのかもしれないと感じ始めていた。子供がいて、その子供のためなら躊躇なく自分を傷つける女が、他人の婚約者を誘惑するだろうか。「鈴木おじさんに電話するわ。どうして電話に出ないの?」昭子は子供の死を目にしていないことにいら立ち、何度も傷跡の男に電話をかけ続けた。高所に立つ傷跡の男は、すでに決意を固めていた。「この子を害するわけにはいかない。こんなに幼い子に、何の罪があるというんだ」うんだ」これまで青葉に従い、彼らを傷つけた敵への制裁は何度も行ってきた。だが、目の前にいる景之は、明らかに罪のない子供だった。宙づりにされたまま、景之は諦め

  • 億万長者が狂気の果てまで妻を追い求める   第550話

    紗枝は、橋から吊るされた景之の小さな体を目にした。まるで次の瞬間にも川面へと落ちてしまいそうだった。その光景に、言葉を失った。「夏目さん、ボスからの伝言です。大人しく桃洲市を出て行けば、子供は解放する」「このまま居座るつもりなら、子供の命はないと」紗枝は一瞬の躊躇いもなく答えた。「分かったわ。出て行くから、景ちゃんを解放して」だが傷跡の男は昭子の指示通り、景之を解放しなかった。「そう簡単に信じられませんね」車を橋に向けて走らせながら、紗枝は問いかけた。「じゃあ、私に何をしろというの?」「ナイフは持ってますか?」紗枝は周りを見回した。「ないわ」「では何か尖ったもので、自分の顔を切りなさい」鈴木青葉に半生仕えてきた傷跡の男だが、子供を人質に女性に自傷行為を強いるのは初めてだった。心の中で深いため息をつく。女が簡単には応じないだろうと思っていたが、次の瞬間、電話の向こうから悲鳴が響いた。紗枝はピアスを外すと、右頬を深く切り裂いた。鮮血が流れ出す。「や、やったわ……早く息子を解放して、お願い!!」相手との確執が何なのかも分からない。今は景之の命だけが全てだった。顔どころか命さえも差し出す覚悟があった。ただ息子が生きていてくれれば。これこそが母親の本能。我が子のためなら、何も恐れない。「本当に切ったのか嘘か、分からないな。動画を送ってもらおうか」紗枝はハンドルを握りながら、動画を送信した。傷跡の男は送られてきた動画を見て、その女の決意の固さに感服せずにはいられなかった。すぐさまその動画を昭子に転送した。動画を見た昭子は、かつてないほどの喜びを見せた。「ママ、あの女の顔に傷が残れば、もう拓司を誘惑することもできないでしょう?」青葉は無表情で一瞥したが、どういうわけか胸が締め付けられた。おそらく、かつて自分も似たような経験をしたからだろう。「もういいわ、昭子。これで終わりにしましょう」だが昭雪は終わるつもりなどなかった。「左側の顔はまだ無傷じゃない。鈴木さん、左側も切らせて」傷跡の男は、このお嬢様は甘やかされすぎだと感じた。母親にこれ以上の苦痛を与えたくなかった。周囲を見渡すと、橋には救出の人々が迫っていた。「もう無理です。澤村家と黒木家の者が来ています」昭子は

Scan code to read on App
DMCA.com Protection Status