「言ってごらん」森川晋太郎は満足げに笑みを浮かべた。入江佑樹は最近偵察した結果を晋太郎に報告した。「MKの技術部も気づいているはずだけど、相手はずっと挑発してきていて、もう暫くすれば彼らは動き出すはず」「それは分かっているが、相手がずっとIPアドレスを偽装しているから追跡できないんだ」「それは以前のことだ。相手はもうすぐ暴かれる!」佑樹はパソコン画面上の赤い丸の印を指さした。「お父さん、ちょっと見せてもらいたいものがあるんだけど、いい?」森川念江は尋ねた。「何だ?」「相手がファイアウォールを突破してきた時の記録データ、技術部ではもうまとめているかな?」「まだだとは思うが、もし必要あれば、技術部に指示する」「具体的な記録データがあれば、相手がどの会社に手を出そうとしているかを推測することができるはず」「君たちは今成長期だ。夜ふかしはするな。もうこの件から手を退け」佑樹と念江は黙った。2人は目を合わせ、互いの意志を確認しあった。しかし父の前では、彼らは不本意だが、約束するしかなかった。「そろそろ飯の時間だ」晋太郎はゆみを抱えて部屋を出ようとした。「このままだと、ゆみは甘やかされすぎるぞ」晋太郎が出た後、佑樹は念江に言った。「しょうがないよ、たった1人の妹なんだから」念江は笑って答えた。佑樹は絶句した。午後。杉本肇はMK社で記者会見を開いた。午後2時、晋太郎は黒ずくめのスーツを着て、堂々とした足取りで会議室に入ってきた。記者達は、彼が来たのを見て皆一斉にカメラを上げ必死に写真を撮り始めた。晋太郎は真ん中の席に腰を掛け、記者達を見渡した。「今日お集まりいただいたのは、とあることを宣告したいからです」記者達は真面目にメモを取り始めた。「本日を以て、私の父である森川貞則理事長は、永遠にMK社を脱退致します」その話を聞き、記者達は大騒ぎをし始めた。「森川社長、それは理事長ご本人の意思ですか?それともあなたの意思ですか?」「森川社長、この件は事前に理事長とご相談されたのでしょうか?」「既に株主総会を開かれたのでしょうか?森川元理事長はMKグループと関係がなくなるのですか?」「森川社長はどういう経緯でそう決断なさったのでしょうか?」「……
森川貞則が出て暫く経ってから、一人のボディーガードが慌てて走ってきた。もともと機嫌が悪い貞則は、ボディーガードのその挙動を見て、怒りを更に燃え上がらせた。「やかましい!」「貞則様、大変です!外に沢山の警察が集まっています!」「何だと?」「警察が、沢山来ています!」警察が来た?貞則は一瞬で険しい顔になった。ボディーガードに時間を稼げと指示しようとすると、警察は既に玄関から彼の所に向ってきていた。貞則はすぐ心の中の戸惑いを抑え、落ち着いた様子で警察を見た。警察は彼の前に来て、警察手帳を見せながら言った。「どうも、刑事事件捜査課の伊野木将一です。通報を受けたため、殺人の疑いで、署まで同行を願う」貞則の態度は冷え切っていた。「証拠がないなら、同行を断る!」「森川元理事長、我々がここにいるのは、十分な証拠を掴んでいるということです。20年前の殺人事件、及び前日貴宅で起きた執事殺害事件について、調査のご協力を願いたい」貞則の顔は曇った。その2件、極めて隠密に実行したのに、何故警察にバレたのだろうか?相手が答えないのを見て、将一は携帯を出して録音を再生した。録音を聞いた貞則は、思わず身が震え、目を大きく開いた。それは間違いなく自分の声だ!書斎での会話だった。書斎……誰かに侵入されていたのかと、貞則は横目で書斎の方を眺めた。「申し訳ないが、同行を願う!」警察はさらに強い態度で同行を求めた。貞則の表情は幾度と入れ替わり、暫く沈黙すると、無力感をあらわにした。やはり、世の中には漏れない秘密など存在しない。執事が連れていかれた時から、今の状況への準備を取るべきだった。貞則は警察について行った。狛村静恵は、外の騒ぎを聞いて動揺したが、やはり部屋から出られなかった。なぜなら、岡田翔馬がまだ捕まっていないからだ。彼女は今、じっとしていなければならなかった。でないと、自分の命も危うくなる!MKの記者会見は、入江紀美子も生中継で見ていた。その頃、貞則が会社を追い出されたニュースは、既にネット中に拡散されていた。紀美子は暫く、晋太郎がそうした理由が分からなかった。しかし、すぐにもう一通のトレンドが上がってきた。「驚き!MKグループ元理事長・森川貞則氏が、
「えっ?どんなニュース?」入江紀美子は冗談を飛ばした。「紀美子、兄さんが君のことが分からない嘘を見抜かないとでも思ってるのか?MKのニュースがこんなに轟いて拡散されているのに、君がは知らないワケがないだろ?」渡辺翔太は笑って言った。「はいはい、見たわよ。森川貞則が連れていかれたんだねわね」紀美子は笑いを禁じ得なかった我慢できなかった。「その反応、あんまり嬉しくないみたいけど?」翔太は尋ねた。「どんな気分でそれを受け止めればいいるか分からないの」紀美子はため息をついた。「お兄ちゃん。、私は実の両親のことを覚えていないから、実はあまり彼達に特別な感情を抱いていない。貞則にを法律の裁きを受けさせるのも、両親の実の娘としてそうしなければならないからだったけど……だ」翔太は暫く黙った。「分かってる。そう聞くべきじゃなかったかも聞き方が悪かったな」「お兄ちゃん。嬉しくなるのはいのは、あなたやおじ様とおば様のほうじゃない?」「そう言えば、彼達とはしばらく随分の間連絡を取っていないよな?」翔太は尋ねた。「今回の事件を解決したのは晋太郎のお陰お蔭だ。、君たちも仲直りしたし、皆で一緒に飯でも食べようるべきだ」「いいわ、あなたが時間を決めて」「じゃあ、土曜日にしよう。子供達もつれてきて」「分かった」夕方。紀美子がは子供達を迎えに出かけようとして、会社を出るとたら、見なられたメルセデスマイバッハが入り口に停まって止めていた。彼女が車に向って歩くと、運転席の手をしていた杉本肇も降りてきた。「入江さん、晋様もが一緒に子供達を迎えにいくそうですきます」一緒に行く?そんな簡単なことではないと、紀美子は思った。森川晋太郎がいきなり現れたのは、きっと何か緊急なことがあったからだ。紀美子は車に乗り込むとみ、晋太郎は目を瞑って休んでいた。「他にやりたいことが何か言いたいことがああるんじゃない?」紀美子は尋ねた。晋太郎はゆっくりと目を開き、彼女を見た。「女の勘ってやつか?」「他の人女の勘かは知らないけど、私の勘はなかなか当たるわ」紀美子は微笑んで答えた。晋太郎は紀美子の手を繋ぎ、彼女を懐に引き寄せた。「どうやら君は、俺今日の計画にあまり関心してい
杉浦佳世子のメッセージを読むと、入江紀美子は悲しくて仕方なかった。森川晋太郎は、一目でそのメッセージが見えた。彼がそれについて聞こうとすると、自分の携帯も鳴った。同じく佳世子からのメッセージだった。退職届だ。下までワイプすると、編集された文書もあった。「森川社長、今までお世話になりました。私の今の状態では、恐らくどんな仕事もこなせませんので、辞めさせていただきます。紀美子は私の大親友ですから、彼女が悲しまないよう、あなたのすべての優しさと安全感を与えてあげてください。」晋太郎はそのメッセージを紀美子に見せた。紀美子は涙を堪えて彼を見た。「佳世子からのメッセージだ」紀美子は携帯を受け取り、メッセージを読むと、涙をこぼした。何度も涙をふき取りながら、胸が塞がれたかのように声が出なかった。「彼女は何処にいくか言ってない?」晋太郎はティッシュを渡した。何を言っても無駄だと分かっていながら、紀美子に尋ねた。「分からないわ。教えてくれなかった」紀美子は首を振って答えた。晋太郎は黙り込んだ。このことは佳世子だけではなく、田中晴にとっても致命的な打撃であった。一番愛している人が、静かに姿を消すなんて、彼はその痛みを誰よりも分かっている。午後6時。晋太郎と紀美子は子供達を藤河別荘に送り返した。別荘から出てきて、晋太郎は杉本肇に警察署に行くように指示した。紀美子は晋太郎が自分を彼の父である貞則に合わせようとしているのが分かっていたが、若干抵抗があった。あんな人、会うたびに吐き気がする。紀美子がどう断ろうかと考えているうちに、肇は晋太郎に向って口を開いた。「晋様、ちょっとお話がありますが、よろしいですか?」晋太郎は暫く考えてから、紀美子に言った。「車の中で待っててくれ」紀美子は頷き、車のドアを閉めた。晋太郎と肇は少し離れた所に行った。「晋様、塚原先生のプロフィールを入手しました」「それで?」「彼は孤児で、幼い頃に母を亡くされ、色んな人の援助を受け育ったようです。彼の故郷は納多海ですが、その当時の隣人に話を伺うと、彼は幼い頃から物分かりが良く向上心があったとのことです」「彼の父親の手掛かりは?」晋太郎は暫く考えてから尋ねた。「おかしいの
森川貞則は晋太郎の話を聞かず、怒鳴り続けた。「またその下賤な女を連れてくるなんて、俺に恥をかかせるつもりか?早く弁護士を雇ってこんか!俺の冤罪を証明してくれ!そこに突っ立ってて死にたいのか?」「下賤な女」という言葉を聞き、晋太郎は一瞬で険しい顔になった。彼は貞則の前に来て、いきなり彼の襟を掴んだ。「これ以上紀美子のことをそんな風に呼んで、ムショの中でどうなっても知らんぞ!」自分の息子に襟を掴まれた貞則は、顔が真っ赤になった。「俺は何もやっておらん、何故ムショに入れられるんだ?愚か者め。簡単にあんな噂を信じてどうする?」「噂、だと?」晋太郎はさらに一歩貞則に近づいた。「俺がこの耳で聞いたのだ。ただの噂じゃない!」晋太郎の話を聞き、貞則急に悟った。「お前だったのか?俺の書斎に盗聴器をつけたのは!ありえん!ありえないぞ!あんな厳重なセキュリティを突破して侵入してくるなんてありえない!」その話を聞いた紀美子が驚いて晋太郎を見た。彼女は晋太郎が口を滑って子供達のことを言い出すのではないかと心配した。貞則はこの先、刑務所に入れられるのは決まっているが、事前に手を打たなければならない!彼女はどう晋太郎に注意するかを考えているうちに、晋太郎は口を開いた。「あんなザルみたいなセキュリティ、俺が突破できないとでも思ってんのか?大した自信だな。MKにはトップレベルのハッカーが何人いると思う?奴らに突破できないセキュリティなど、存在しない!」紀美子は杞憂だと分かって、ほっとした。晋太郎の頭脳は極めて賢く、子供達のことを漏らす可能性はなかった。貞則の顔は真っ青になり、目線を少し離れた所にいる紀美子に落とした。「ははっ!」貞則はいきなり大声で笑い出した。「お前、とんだ恋愛脳だな。たった一人の女の為に自分の父を刑務所に送るなんて!よその人達にどう見られるか、考えたことあるのか?そんなことをしたら天罰に当たる!冷血なやつめ。お前が殺されるのを待ちきれん!」この世の中で一番最悪な言葉は、親から子供への呪いであろう。紀美子は晋太郎を連れて帰ろうとしたが、彼にはまだまだ聞きたい話が沢山あると分かっていた。晋太郎は貞則の襟を離し、背を伸ばして彼を見下ろした。「そんなこと言って、次郎のヤツのこ
「お前は次郎に何をしようとしている?」森川貞則は目を大きく開いた。「雑種が!何をしようとしているんだ!」「俺は気が短いから、1分間だけ待ってやる。あまり俺を待たせすぎると、あいつがどうなるか知らんぞ?」そう言うと、森川晋太郎の携帯画面には、小原が設置したカウントダウンが映された。時間が一刻一刻と過ぎていき、貞則の額には汗が滲んできた。彼は歯を食いしばった。晋太郎が次郎に手を出せない方に賭けているようだ。残りの時間が10秒を切ると、小原は拳銃を出して森川次郎の頭を狙い定めた。それを見た貞則は身体を激しく震わせた。「やめろ!何でも教えてやる!銃を降ろさせろ!早く!」「小原」「はい、晋様!」小原は銃を下ろした。貞則の表情が急に緩み、落ち着いた。彼は視線を再び入江紀美子に向けた。「当時、俺は君の父親ととあるランドマークの開発権を競争していた。他に2社の社長も参加していた。俺は他の2人に沢山の賄賂を渡して、彼らに手を引いてもらった。しかし君の父親だけはどうしようもなかった。俺がいくら働きかけても、全然動じなかった!それどころか、色んな場面で俺の妨げとなった!全く融通が利かなかった!俺が殺したと言えるか?俺を敵に回すなど、彼が無謀だったんだ。」貞則の説明を聞き、紀美子は震えが止まらなかった。「それだけの原因で、うちの父を殺した、と?」紀美子は感情をむき出しにした。「それでも人間のやることか?」「たとえ俺がやらなくても、彼はいずれ誰かに殺されていただろう」貞則は蔑んで言った。「帝都をどんな町だと思ってやがる?ここはジャングル、弱肉強食の世界だ!まだその屍を拾えただけでラッキーだと思え!」紀美子はここまで恥知らずの人に会うのは初めてだった。自分が人を殺したのに、まるで正義の味方かのような言い方をしている。彼女は貞則の屁理屈に呆れ、平手打ちをしようとした時、晋太郎に止められた。「あんたは、紀美子の父がその土地を手に入れ、自分が彼に負けるのを恐れていただけだ!」晋太郎はあざ笑いをしながら言い続けた。「あんたはそんな卑劣な手段を使うこと以外、何も出来なかったんだ!違うか?」「俺は、自分が間違ったと思わん!人は金や権力の為に生きるものだ。感
帝都、サキュバスクラブ。その日は入江紀美子が名門大学を卒業する日だった。しかし家に帰って祝ってもらう余裕もなかった。実の父親に、200万円の値段で薬を飲まされクラブの汚いオヤジたちに売られた。うす暗い部屋からなんとか逃げ出したが、薬の効果が彼女の理性を悉く飲み込んでいった。廊下で、彼女の小さな頬が薄紅色になり、怯えながら迫ってきた男達を見つめた。「来ないで、私…警察を呼ぶから…」先頭に立つ男が口を開き黄ばんだ歯を見せながら、手に持っている鞭を揺らしながら彼女に近づいてきた。「いいだろう、好きなだけ呼ぶがいい。サツが来るのが先か、それともお前が俺達に弄られて昇天するのが先か」「べっぴんさんよ、心配するな、お兄さんたちがお前を気持ちよくさせてやるから…」紀美子は耳鳴りがしてきた。彼女は父が救いようのないろくでなしだと知っていた。大学に通っていたこの数年、彼女はずっとアルバイトで稼いだお金で生活していて、父からは一銭も貰わなかった。それなのに、まさか父が今、賭けの借金を返す為に娘を人に売ろうとしているとは!紀美子は逃げ出そうとするが、足が覚束なくなり、力が抜けていた。彼女は躓き床に倒れ、自分の身体を獲物同然に分けようとする人たちを目の前にして、どうしようもなかった。ちょうどその時、彼女の左前の部屋のドアが開かれた。黒色の手製の皮靴が彼女の目に映った。見上げると、男の真っ黒な瞳は冴え切った湖の如く、まるで魂を吸い取る冷たさをしていた。男を見て、彼女は少し安心した。彼女は男のズボンの裾を引っ張り、「お願い、助けて!この人たちに薬を飲まされたの!」と泣きながら助けを乞うた。男は眉を寄せ、視線は冷たく彼女を掠め、一瞬の不快を見せた。彼は身体を屈め、手を伸ばした。「助けてくださりありがとうございます…」紀美子は安心して手を伸ばそうとした。てっきり彼が自分を支えてくれると思ったその時。男は彼女の手を振り払い、自分のズボンを握っているもう一本の手を冷たく払った。この世界のトップ100の企業を牛耳るMKの社長として、森川晋太郎は決して上で動くような人ではなかった。「晋様!」彼の後ろに立つアシスタントの杉本肇は一枚のハンカチを渡してきた。晋太郎は冷たくそれを受け取り、強く紀美子に触ら
入江紀美子は当然信じなかった。学生時代、多くの友達に耳たぶのホクロは霊性があると褒められたけど。たかがホクロ一個のために、天下のMKの社長が月200万円で雇ってくれるのか?自分がおかしいのか、それとも彼がおかしいのか。呆然としているうちに、森川晋太郎はもう立ち上がっていた。彼はゆっくりとシャツのボタンを締める様子は、全身から凛とした雰囲気を発していた。「俺は人に無理なことを強要しない。自分でよく考えてくれ」言い終わると、彼はその場を離れた。扉の前では、アシスタントの杉本肇が待っていた。自分の晋様の目の下の腫れを見て、彼は明らかに驚いた。まさか、これまで自分の童貞をなによりも大事にしていた晋様が、初体験を奪われ、しかもかなり激しい戦況だったようだ。我に返った肇は、慌てて晋太郎に「晋様、手に入れた情報をあなたの携帯に送信しました。この入江さんは晋様がお探ししている人ではないようですが、追い払いましょうか?」「いいや、資料は読んだ。彼女の学校での履歴は完璧だ」「何よりも俺は彼女に反感を持っていない、そして秘書室は今能力のある人間を必要としている。もし彼女が三日以内にMKに現れたら、すぐに入社手続きをしてやれ」「もし現れなかったら?」肇は恐る恐ると追って聞いた。「ならば彼女の好きにさせろ」晋太郎はあまり考えずに答えた。……三年後、MK社長室紀美子はタブレットパソコンを持ち、真面目に晋太郎に当日のスケジュールを報告していた。「社長、午前十時にトップの会議がありまして、十二時にエンパイアズプライドの社長と会食、午後四時に政治界の方々との宴会があります…」彼女は目線を下げ、誘惑的な唇を動かしていた。小さな顔は化粧していなくても、十分に艶めかしかった。晋太郎は細長い目を資料から離れ、紀美子への視線には火が混じっていた。セクシーな喉ぼとけが上下に動いた。しばらくして、資料を机の上に置き、何かに興奮しているように長い指でネクタイを少し引っ張った。「こっちにこい」晋太郎は紀美子に命令した。紀美子は呆然と頭を上げ、晋太郎の幽邃な目線に触れた瞬間、自分が次に何をすべきかすぐに分かった。彼女はタブレットパソコンを机に置き、従順に晋太郎の前に来た。立ち止まった途端に、男
「お前は次郎に何をしようとしている?」森川貞則は目を大きく開いた。「雑種が!何をしようとしているんだ!」「俺は気が短いから、1分間だけ待ってやる。あまり俺を待たせすぎると、あいつがどうなるか知らんぞ?」そう言うと、森川晋太郎の携帯画面には、小原が設置したカウントダウンが映された。時間が一刻一刻と過ぎていき、貞則の額には汗が滲んできた。彼は歯を食いしばった。晋太郎が次郎に手を出せない方に賭けているようだ。残りの時間が10秒を切ると、小原は拳銃を出して森川次郎の頭を狙い定めた。それを見た貞則は身体を激しく震わせた。「やめろ!何でも教えてやる!銃を降ろさせろ!早く!」「小原」「はい、晋様!」小原は銃を下ろした。貞則の表情が急に緩み、落ち着いた。彼は視線を再び入江紀美子に向けた。「当時、俺は君の父親ととあるランドマークの開発権を競争していた。他に2社の社長も参加していた。俺は他の2人に沢山の賄賂を渡して、彼らに手を引いてもらった。しかし君の父親だけはどうしようもなかった。俺がいくら働きかけても、全然動じなかった!それどころか、色んな場面で俺の妨げとなった!全く融通が利かなかった!俺が殺したと言えるか?俺を敵に回すなど、彼が無謀だったんだ。」貞則の説明を聞き、紀美子は震えが止まらなかった。「それだけの原因で、うちの父を殺した、と?」紀美子は感情をむき出しにした。「それでも人間のやることか?」「たとえ俺がやらなくても、彼はいずれ誰かに殺されていただろう」貞則は蔑んで言った。「帝都をどんな町だと思ってやがる?ここはジャングル、弱肉強食の世界だ!まだその屍を拾えただけでラッキーだと思え!」紀美子はここまで恥知らずの人に会うのは初めてだった。自分が人を殺したのに、まるで正義の味方かのような言い方をしている。彼女は貞則の屁理屈に呆れ、平手打ちをしようとした時、晋太郎に止められた。「あんたは、紀美子の父がその土地を手に入れ、自分が彼に負けるのを恐れていただけだ!」晋太郎はあざ笑いをしながら言い続けた。「あんたはそんな卑劣な手段を使うこと以外、何も出来なかったんだ!違うか?」「俺は、自分が間違ったと思わん!人は金や権力の為に生きるものだ。感
森川貞則は晋太郎の話を聞かず、怒鳴り続けた。「またその下賤な女を連れてくるなんて、俺に恥をかかせるつもりか?早く弁護士を雇ってこんか!俺の冤罪を証明してくれ!そこに突っ立ってて死にたいのか?」「下賤な女」という言葉を聞き、晋太郎は一瞬で険しい顔になった。彼は貞則の前に来て、いきなり彼の襟を掴んだ。「これ以上紀美子のことをそんな風に呼んで、ムショの中でどうなっても知らんぞ!」自分の息子に襟を掴まれた貞則は、顔が真っ赤になった。「俺は何もやっておらん、何故ムショに入れられるんだ?愚か者め。簡単にあんな噂を信じてどうする?」「噂、だと?」晋太郎はさらに一歩貞則に近づいた。「俺がこの耳で聞いたのだ。ただの噂じゃない!」晋太郎の話を聞き、貞則急に悟った。「お前だったのか?俺の書斎に盗聴器をつけたのは!ありえん!ありえないぞ!あんな厳重なセキュリティを突破して侵入してくるなんてありえない!」その話を聞いた紀美子が驚いて晋太郎を見た。彼女は晋太郎が口を滑って子供達のことを言い出すのではないかと心配した。貞則はこの先、刑務所に入れられるのは決まっているが、事前に手を打たなければならない!彼女はどう晋太郎に注意するかを考えているうちに、晋太郎は口を開いた。「あんなザルみたいなセキュリティ、俺が突破できないとでも思ってんのか?大した自信だな。MKにはトップレベルのハッカーが何人いると思う?奴らに突破できないセキュリティなど、存在しない!」紀美子は杞憂だと分かって、ほっとした。晋太郎の頭脳は極めて賢く、子供達のことを漏らす可能性はなかった。貞則の顔は真っ青になり、目線を少し離れた所にいる紀美子に落とした。「ははっ!」貞則はいきなり大声で笑い出した。「お前、とんだ恋愛脳だな。たった一人の女の為に自分の父を刑務所に送るなんて!よその人達にどう見られるか、考えたことあるのか?そんなことをしたら天罰に当たる!冷血なやつめ。お前が殺されるのを待ちきれん!」この世の中で一番最悪な言葉は、親から子供への呪いであろう。紀美子は晋太郎を連れて帰ろうとしたが、彼にはまだまだ聞きたい話が沢山あると分かっていた。晋太郎は貞則の襟を離し、背を伸ばして彼を見下ろした。「そんなこと言って、次郎のヤツのこ
杉浦佳世子のメッセージを読むと、入江紀美子は悲しくて仕方なかった。森川晋太郎は、一目でそのメッセージが見えた。彼がそれについて聞こうとすると、自分の携帯も鳴った。同じく佳世子からのメッセージだった。退職届だ。下までワイプすると、編集された文書もあった。「森川社長、今までお世話になりました。私の今の状態では、恐らくどんな仕事もこなせませんので、辞めさせていただきます。紀美子は私の大親友ですから、彼女が悲しまないよう、あなたのすべての優しさと安全感を与えてあげてください。」晋太郎はそのメッセージを紀美子に見せた。紀美子は涙を堪えて彼を見た。「佳世子からのメッセージだ」紀美子は携帯を受け取り、メッセージを読むと、涙をこぼした。何度も涙をふき取りながら、胸が塞がれたかのように声が出なかった。「彼女は何処にいくか言ってない?」晋太郎はティッシュを渡した。何を言っても無駄だと分かっていながら、紀美子に尋ねた。「分からないわ。教えてくれなかった」紀美子は首を振って答えた。晋太郎は黙り込んだ。このことは佳世子だけではなく、田中晴にとっても致命的な打撃であった。一番愛している人が、静かに姿を消すなんて、彼はその痛みを誰よりも分かっている。午後6時。晋太郎と紀美子は子供達を藤河別荘に送り返した。別荘から出てきて、晋太郎は杉本肇に警察署に行くように指示した。紀美子は晋太郎が自分を彼の父である貞則に合わせようとしているのが分かっていたが、若干抵抗があった。あんな人、会うたびに吐き気がする。紀美子がどう断ろうかと考えているうちに、肇は晋太郎に向って口を開いた。「晋様、ちょっとお話がありますが、よろしいですか?」晋太郎は暫く考えてから、紀美子に言った。「車の中で待っててくれ」紀美子は頷き、車のドアを閉めた。晋太郎と肇は少し離れた所に行った。「晋様、塚原先生のプロフィールを入手しました」「それで?」「彼は孤児で、幼い頃に母を亡くされ、色んな人の援助を受け育ったようです。彼の故郷は納多海ですが、その当時の隣人に話を伺うと、彼は幼い頃から物分かりが良く向上心があったとのことです」「彼の父親の手掛かりは?」晋太郎は暫く考えてから尋ねた。「おかしいの
「えっ?どんなニュース?」入江紀美子は冗談を飛ばした。「紀美子、兄さんが君のことが分からない嘘を見抜かないとでも思ってるのか?MKのニュースがこんなに轟いて拡散されているのに、君がは知らないワケがないだろ?」渡辺翔太は笑って言った。「はいはい、見たわよ。森川貞則が連れていかれたんだねわね」紀美子は笑いを禁じ得なかった我慢できなかった。「その反応、あんまり嬉しくないみたいけど?」翔太は尋ねた。「どんな気分でそれを受け止めればいいるか分からないの」紀美子はため息をついた。「お兄ちゃん。、私は実の両親のことを覚えていないから、実はあまり彼達に特別な感情を抱いていない。貞則にを法律の裁きを受けさせるのも、両親の実の娘としてそうしなければならないからだったけど……だ」翔太は暫く黙った。「分かってる。そう聞くべきじゃなかったかも聞き方が悪かったな」「お兄ちゃん。嬉しくなるのはいのは、あなたやおじ様とおば様のほうじゃない?」「そう言えば、彼達とはしばらく随分の間連絡を取っていないよな?」翔太は尋ねた。「今回の事件を解決したのは晋太郎のお陰お蔭だ。、君たちも仲直りしたし、皆で一緒に飯でも食べようるべきだ」「いいわ、あなたが時間を決めて」「じゃあ、土曜日にしよう。子供達もつれてきて」「分かった」夕方。紀美子がは子供達を迎えに出かけようとして、会社を出るとたら、見なられたメルセデスマイバッハが入り口に停まって止めていた。彼女が車に向って歩くと、運転席の手をしていた杉本肇も降りてきた。「入江さん、晋様もが一緒に子供達を迎えにいくそうですきます」一緒に行く?そんな簡単なことではないと、紀美子は思った。森川晋太郎がいきなり現れたのは、きっと何か緊急なことがあったからだ。紀美子は車に乗り込むとみ、晋太郎は目を瞑って休んでいた。「他にやりたいことが何か言いたいことがああるんじゃない?」紀美子は尋ねた。晋太郎はゆっくりと目を開き、彼女を見た。「女の勘ってやつか?」「他の人女の勘かは知らないけど、私の勘はなかなか当たるわ」紀美子は微笑んで答えた。晋太郎は紀美子の手を繋ぎ、彼女を懐に引き寄せた。「どうやら君は、俺今日の計画にあまり関心してい
森川貞則が出て暫く経ってから、一人のボディーガードが慌てて走ってきた。もともと機嫌が悪い貞則は、ボディーガードのその挙動を見て、怒りを更に燃え上がらせた。「やかましい!」「貞則様、大変です!外に沢山の警察が集まっています!」「何だと?」「警察が、沢山来ています!」警察が来た?貞則は一瞬で険しい顔になった。ボディーガードに時間を稼げと指示しようとすると、警察は既に玄関から彼の所に向ってきていた。貞則はすぐ心の中の戸惑いを抑え、落ち着いた様子で警察を見た。警察は彼の前に来て、警察手帳を見せながら言った。「どうも、刑事事件捜査課の伊野木将一です。通報を受けたため、殺人の疑いで、署まで同行を願う」貞則の態度は冷え切っていた。「証拠がないなら、同行を断る!」「森川元理事長、我々がここにいるのは、十分な証拠を掴んでいるということです。20年前の殺人事件、及び前日貴宅で起きた執事殺害事件について、調査のご協力を願いたい」貞則の顔は曇った。その2件、極めて隠密に実行したのに、何故警察にバレたのだろうか?相手が答えないのを見て、将一は携帯を出して録音を再生した。録音を聞いた貞則は、思わず身が震え、目を大きく開いた。それは間違いなく自分の声だ!書斎での会話だった。書斎……誰かに侵入されていたのかと、貞則は横目で書斎の方を眺めた。「申し訳ないが、同行を願う!」警察はさらに強い態度で同行を求めた。貞則の表情は幾度と入れ替わり、暫く沈黙すると、無力感をあらわにした。やはり、世の中には漏れない秘密など存在しない。執事が連れていかれた時から、今の状況への準備を取るべきだった。貞則は警察について行った。狛村静恵は、外の騒ぎを聞いて動揺したが、やはり部屋から出られなかった。なぜなら、岡田翔馬がまだ捕まっていないからだ。彼女は今、じっとしていなければならなかった。でないと、自分の命も危うくなる!MKの記者会見は、入江紀美子も生中継で見ていた。その頃、貞則が会社を追い出されたニュースは、既にネット中に拡散されていた。紀美子は暫く、晋太郎がそうした理由が分からなかった。しかし、すぐにもう一通のトレンドが上がってきた。「驚き!MKグループ元理事長・森川貞則氏が、
「言ってごらん」森川晋太郎は満足げに笑みを浮かべた。入江佑樹は最近偵察した結果を晋太郎に報告した。「MKの技術部も気づいているはずだけど、相手はずっと挑発してきていて、もう暫くすれば彼らは動き出すはず」「それは分かっているが、相手がずっとIPアドレスを偽装しているから追跡できないんだ」「それは以前のことだ。相手はもうすぐ暴かれる!」佑樹はパソコン画面上の赤い丸の印を指さした。「お父さん、ちょっと見せてもらいたいものがあるんだけど、いい?」森川念江は尋ねた。「何だ?」「相手がファイアウォールを突破してきた時の記録データ、技術部ではもうまとめているかな?」「まだだとは思うが、もし必要あれば、技術部に指示する」「具体的な記録データがあれば、相手がどの会社に手を出そうとしているかを推測することができるはず」「君たちは今成長期だ。夜ふかしはするな。もうこの件から手を退け」佑樹と念江は黙った。2人は目を合わせ、互いの意志を確認しあった。しかし父の前では、彼らは不本意だが、約束するしかなかった。「そろそろ飯の時間だ」晋太郎はゆみを抱えて部屋を出ようとした。「このままだと、ゆみは甘やかされすぎるぞ」晋太郎が出た後、佑樹は念江に言った。「しょうがないよ、たった1人の妹なんだから」念江は笑って答えた。佑樹は絶句した。午後。杉本肇はMK社で記者会見を開いた。午後2時、晋太郎は黒ずくめのスーツを着て、堂々とした足取りで会議室に入ってきた。記者達は、彼が来たのを見て皆一斉にカメラを上げ必死に写真を撮り始めた。晋太郎は真ん中の席に腰を掛け、記者達を見渡した。「今日お集まりいただいたのは、とあることを宣告したいからです」記者達は真面目にメモを取り始めた。「本日を以て、私の父である森川貞則理事長は、永遠にMK社を脱退致します」その話を聞き、記者達は大騒ぎをし始めた。「森川社長、それは理事長ご本人の意思ですか?それともあなたの意思ですか?」「森川社長、この件は事前に理事長とご相談されたのでしょうか?」「既に株主総会を開かれたのでしょうか?森川元理事長はMKグループと関係がなくなるのですか?」「森川社長はどういう経緯でそう決断なさったのでしょうか?」「……
二階。 晋太郎は子供たちの部屋に立ち、黒いクマができた二人の息子をじっと見つめていた。 「言い訳は聞きたくない。ただ、どうして一晩中寝なかったのか教えてほしい」 晋太郎の声は厳しかった。 佑樹は不満げに口を尖らせた。「質問に答える義務があるの?」 念江が佑樹の肩をぽんぽんと叩いた。「いいから、話そう。どうせ言わなきゃならないんだから」 佑樹は念江をちらっと見た。「言うならお前が言えよ、俺は言いたくない」 念江は頷き、説明しようとしたが、晋太郎が遮った。「念江は言わなくていい。佑樹に教えてもらう」 「なんで俺が教えなきゃいけないんだ?」佑樹は反発した。「お前が母さんと一緒になったからって、俺のことに口を出す権利なんてない!」 晋太郎は冷たい目で彼を見つめた。 この子、なかなか生意気だな! 晋太郎は冷笑を浮かべて言った。「お前は俺の子供だ。父親として、お前に干渉してはいけないのか?」 その言葉に佑樹は固まった。 母さん、もう彼にすべてを話したのか?! 昨晩か? 佑樹は恥ずかしさから顔をそむけた。昨晩心配していたのは事実だが、突然この父親を受け入れるのは、やっぱりまだ難しかった。 佑樹が黙っているのを見て、晋太郎は薄く笑った。「どうした?お父さんと呼びたくないのか?」 その瞬間、寝ていたゆみが布団から飛び起きた。 「兄ちゃんが呼ばないなら、私が呼ぶ!」ゆみは晋太郎に向かって小さな手を伸ばした。「お父さん!」 晋太郎の心が一瞬止まった。娘が、自分を「お父さん」と呼んでいる。 晋太郎は胸の中の感情を押し込め、ゆみを抱き上げたが、目には愛情があふれていた。 「うん、お父さんだよ」 ゆみは晋太郎の首にぎゅっと抱きついて、小さな顔を埋めた。 「お父さんって、やっと呼べるようになった!ゆみはこの日をずっと待ってたんだよ」 晋太郎はゆみの背中をさすったが、佑樹は不快そうに彼女を一瞥した。「本当にお前は裏切り者だな!」 ゆみは急に彼を振り返って、怒りを露わにした。「ママも認めたんだから、ゆみは裏切り者なんかじゃないよ!」 佑樹は足を組んで、小顔をしかめながらベッドに座っていた。
晋太郎の声が震えていた。 ついに紀美子がこの言葉を口にしたのだ! 彼女はやっと全てを信じてくれた。 この日晋太郎は、長い間待ち続けていたことを実感した…… 晋太郎は優しく紀美子を抱きしめた。 彼女の細長い目は少し赤なっていた。「必ず君と子どもを一番幸せにするから」 …… 翌日。 紀美子は朝早く電話の音で目を覚まし、それに伴い晋太郎も目を開けた。 紀美子はスマートフォンを手に取ると、「晴」という名前を見て、咳払いをしてから電話を受けた。 晴の焦った声が聞こえてきた。「紀美子、あの日病院で一体何があったの?」 紀美子は黙った。「……」 晴は、病院で調査していたのか? しかし、彼の今の話し方からは、何も分かっていないようであった。 紀美子は起き上がってから言った。「もし何も調べていないのなら言うけど、佳世子はあなたに真相を知られたくないんじゃないかな」 「晋太郎は君のそばにいるの?」晴が尋ねてきた。「彼にスマホを渡してくれない?」 紀美子は少し迷ったが、晋太郎が起き上がりスマホを受け取った。 「何かあったのか?」晋太郎が尋ねると、晴は答えた。「晋太郎、医療スタッフに一言伝えてもらえないか?佳世子の病歴を俺に見せてもらえないか?」 「分かった」晋太郎はためらわずに答えた。 紀美子は唇を噛み締め、何も言わなかった。 電話を切った後、晋太郎はスマホを紀美子に返した。 紀美子は何も言わず、布団をめくって下に降りようとしたが、晋太郎は彼女の腕を掴んだ。「君は佳世子のために、僕は晴のために。僕の考えを理解できるはずだ」 紀美子は振り返り彼を見た。「もしあなたたち二人が原因を自分たちで調べ上げたのなら、私は関係ない。私が佳世子を裏切ったことにはならない」 彼女は正直、晋太郎と晴がこの件を知ってほしいと思っていた。 佳世子にこんな大きな苦痛を一人で背負わせたくはなかった。 晋太郎は手を放した。「子供たちを起こしてくる」 「うん」 紀美子は先に身支度を整え、階下に降りた。 彼女は別荘を出て、佳世子に電話をかけた。 しばらくして、佳世子がやっと電話に出た。「紀美子」
近づくにつれて、紀美子は恐怖で足がすくんだ。 めまいがし、胃が痛み吐き気が襲ってきた。 人混みに入った瞬間、周りの人の話す声が耳に入った。 「どんなに速く走ってたんだ?車がこんな風に壊れるなんて!」 「人が中に取り残されてる。もうダメかもしれない」 「地面に血が広がってる。生き残るのは難しいだろう……」 「ご冥福をお祈りします……」 彼らの言葉が耳に入った瞬間、紀美子の視界は暗くなり、その場に倒れ込んだ。 紀美子を支えられなかった朔也も、顔色が徐々に悪くなっていった。 彼は後ろから来たボディガードに言った。「彼女を頼む、俺は様子を見てくる!」 ボディガードは「わかりました!」と答えた。 朔也は人混みに飛び込んでいった。 紀美子は魂を失ったようにその場に座り込んでいた。 耳鳴りがし、頭は全く回らなくなっていた。 晋太郎…… 死んだんだ…… 彼は彼女と子供たちを置いて去ってしまった…… 自分が彼の命を奪ったのだ。彼を殺してしまった! ボディガードは紀美子の様子を見て、複雑な表情で言った。「気を強く持ってください」 紀美子は一瞬目を見開いた。 そして、突然、地面から立ち上がり、人混みの中に向かって歩き出した。 彼の遺体を引き取らなければならない。彼を一人にはさせない…… 彼のそばにいなければ、彼は一人でつらいに違いない…… 紀美子は人混みに向かおうとしたが、まだ二歩も進んでいないのに、足が再びもつれてしまった。 その瞬間、横から一人の影が飛び出してきて、彼女を抱きしめた。 その懐かしい香りが鼻に入り、紀美子は一瞬ぼんやりしたが、徐々に理性が戻ってきた。 晋太郎…… 紀美子は急に振り返り、自分を抱きしめている男性を見た。 その顔を見た瞬間、目の涙が再び溢れ出した。 「晋太郎?」 信じられない思いで彼を見つめて言った。「あなたなの?本当にあなた?」 晋太郎は、彼女がひどく苦しんでいる姿を見て、心が痛んだ。「ごめん、心配をかけた」 その声を聞いた瞬間、紀美子の涙腺は解き放たれた。 彼女は晋太郎の胸に飛び込み、彼の腰にしがみついて泣き叫んだ。 「死んだと思