杉浦佳世子のメッセージを読むと、入江紀美子は悲しくて仕方なかった。森川晋太郎は、一目でそのメッセージが見えた。彼がそれについて聞こうとすると、自分の携帯も鳴った。同じく佳世子からのメッセージだった。退職届だ。下までワイプすると、編集された文書もあった。「森川社長、今までお世話になりました。私の今の状態では、恐らくどんな仕事もこなせませんので、辞めさせていただきます。紀美子は私の大親友ですから、彼女が悲しまないよう、あなたのすべての優しさと安全感を与えてあげてください。」晋太郎はそのメッセージを紀美子に見せた。紀美子は涙を堪えて彼を見た。「佳世子からのメッセージだ」紀美子は携帯を受け取り、メッセージを読むと、涙をこぼした。何度も涙をふき取りながら、胸が塞がれたかのように声が出なかった。「彼女は何処にいくか言ってない?」晋太郎はティッシュを渡した。何を言っても無駄だと分かっていながら、紀美子に尋ねた。「分からないわ。教えてくれなかった」紀美子は首を振って答えた。晋太郎は黙り込んだ。このことは佳世子だけではなく、田中晴にとっても致命的な打撃であった。一番愛している人が、静かに姿を消すなんて、彼はその痛みを誰よりも分かっている。午後6時。晋太郎と紀美子は子供達を藤河別荘に送り返した。別荘から出てきて、晋太郎は杉本肇に警察署に行くように指示した。紀美子は晋太郎が自分を彼の父である貞則に合わせようとしているのが分かっていたが、若干抵抗があった。あんな人、会うたびに吐き気がする。紀美子がどう断ろうかと考えているうちに、肇は晋太郎に向って口を開いた。「晋様、ちょっとお話がありますが、よろしいですか?」晋太郎は暫く考えてから、紀美子に言った。「車の中で待っててくれ」紀美子は頷き、車のドアを閉めた。晋太郎と肇は少し離れた所に行った。「晋様、塚原先生のプロフィールを入手しました」「それで?」「彼は孤児で、幼い頃に母を亡くされ、色んな人の援助を受け育ったようです。彼の故郷は納多海ですが、その当時の隣人に話を伺うと、彼は幼い頃から物分かりが良く向上心があったとのことです」「彼の父親の手掛かりは?」晋太郎は暫く考えてから尋ねた。「おかしいの
森川貞則は晋太郎の話を聞かず、怒鳴り続けた。「またその下賤な女を連れてくるなんて、俺に恥をかかせるつもりか?早く弁護士を雇ってこんか!俺の冤罪を証明してくれ!そこに突っ立ってて死にたいのか?」「下賤な女」という言葉を聞き、晋太郎は一瞬で険しい顔になった。彼は貞則の前に来て、いきなり彼の襟を掴んだ。「これ以上紀美子のことをそんな風に呼んで、ムショの中でどうなっても知らんぞ!」自分の息子に襟を掴まれた貞則は、顔が真っ赤になった。「俺は何もやっておらん、何故ムショに入れられるんだ?愚か者め。簡単にあんな噂を信じてどうする?」「噂、だと?」晋太郎はさらに一歩貞則に近づいた。「俺がこの耳で聞いたのだ。ただの噂じゃない!」晋太郎の話を聞き、貞則急に悟った。「お前だったのか?俺の書斎に盗聴器をつけたのは!ありえん!ありえないぞ!あんな厳重なセキュリティを突破して侵入してくるなんてありえない!」その話を聞いた紀美子が驚いて晋太郎を見た。彼女は晋太郎が口を滑って子供達のことを言い出すのではないかと心配した。貞則はこの先、刑務所に入れられるのは決まっているが、事前に手を打たなければならない!彼女はどう晋太郎に注意するかを考えているうちに、晋太郎は口を開いた。「あんなザルみたいなセキュリティ、俺が突破できないとでも思ってんのか?大した自信だな。MKにはトップレベルのハッカーが何人いると思う?奴らに突破できないセキュリティなど、存在しない!」紀美子は杞憂だと分かって、ほっとした。晋太郎の頭脳は極めて賢く、子供達のことを漏らす可能性はなかった。貞則の顔は真っ青になり、目線を少し離れた所にいる紀美子に落とした。「ははっ!」貞則はいきなり大声で笑い出した。「お前、とんだ恋愛脳だな。たった一人の女の為に自分の父を刑務所に送るなんて!よその人達にどう見られるか、考えたことあるのか?そんなことをしたら天罰に当たる!冷血なやつめ。お前が殺されるのを待ちきれん!」この世の中で一番最悪な言葉は、親から子供への呪いであろう。紀美子は晋太郎を連れて帰ろうとしたが、彼にはまだまだ聞きたい話が沢山あると分かっていた。晋太郎は貞則の襟を離し、背を伸ばして彼を見下ろした。「そんなこと言って、次郎のヤツのこ
「お前は次郎に何をしようとしている?」森川貞則は目を大きく開いた。「雑種が!何をしようとしているんだ!」「俺は気が短いから、1分間だけ待ってやる。あまり俺を待たせすぎると、あいつがどうなるか知らんぞ?」そう言うと、森川晋太郎の携帯画面には、小原が設置したカウントダウンが映された。時間が一刻一刻と過ぎていき、貞則の額には汗が滲んできた。彼は歯を食いしばった。晋太郎が次郎に手を出せない方に賭けているようだ。残りの時間が10秒を切ると、小原は拳銃を出して森川次郎の頭を狙い定めた。それを見た貞則は身体を激しく震わせた。「やめろ!何でも教えてやる!銃を降ろさせろ!早く!」「小原」「はい、晋様!」小原は銃を下ろした。貞則の表情が急に緩み、落ち着いた。彼は視線を再び入江紀美子に向けた。「当時、俺は君の父親ととあるランドマークの開発権を競争していた。他に2社の社長も参加していた。俺は他の2人に沢山の賄賂を渡して、彼らに手を引いてもらった。しかし君の父親だけはどうしようもなかった。俺がいくら働きかけても、全然動じなかった!それどころか、色んな場面で俺の妨げとなった!全く融通が利かなかった!俺が殺したと言えるか?俺を敵に回すなど、彼が無謀だったんだ。」貞則の説明を聞き、紀美子は震えが止まらなかった。「それだけの原因で、うちの父を殺した、と?」紀美子は感情をむき出しにした。「それでも人間のやることか?」「たとえ俺がやらなくても、彼はいずれ誰かに殺されていただろう」貞則は蔑んで言った。「帝都をどんな町だと思ってやがる?ここはジャングル、弱肉強食の世界だ!まだその屍を拾えただけでラッキーだと思え!」紀美子はここまで恥知らずの人に会うのは初めてだった。自分が人を殺したのに、まるで正義の味方かのような言い方をしている。彼女は貞則の屁理屈に呆れ、平手打ちをしようとした時、晋太郎に止められた。「あんたは、紀美子の父がその土地を手に入れ、自分が彼に負けるのを恐れていただけだ!」晋太郎はあざ笑いをしながら言い続けた。「あんたはそんな卑劣な手段を使うこと以外、何も出来なかったんだ!違うか?」「俺は、自分が間違ったと思わん!人は金や権力の為に生きるものだ。感
森川貞則は口元から血が出るまで殴られた。入江紀美子は拳を握ったまま、貞則の言葉が悪魔の囁きのように彼女の頭の中で響いていた。森川晋太郎は次郎と同じく彼の息子なのに。まさか貞則がこれほどまで腐っていたとは!白芷さんは彼の中でそんなに下賤な存在なのか?笑いながら彼女のことを次郎のおもちゃと言うほど?この時、外から数名の警察が入ってきた。彼達は激怒している晋太郎を抑え、貞則を連れていった。紀美子は晋太郎を見た。彼の俊美な顔にはこれまで見たことのない苦しみが浮かんでいた。その真っ赤な両目は、恨みと殺意で満ちていた。彼女は彼を抱きしめ、彼に永遠に彼の傍にいると言おうとした。しかし彼女の両足にはまるで鎖で縛られたかのように、一歩も動けなかった。彼女には身をもって彼の苦しみを感じることができないのに、どうやって彼を慰めるべきだろうか?警察署から出ても、晋太郎はずっと黙っていた。藤河別荘に戻ってから、彼は自分を紀美子の書斎に閉じ込もり、紀美子すらも入れさせなかった。子供達は紀美子の所に、晋太郎の状況を聞きに来た。入江ゆみは紀美子の膝に上り、柔らかい声で尋ねた。「お母さん、お父さんはどうしたの?」紀美子は複雑な気持ちでゆみの顔を撫でながら答えた。「お父さんはちょっと悩み事があるの。だから、そっとしてあげよう、ね?」入江佑樹も眉を寄せながら尋ねた。「何か良くないことがあったのか?」「警察署に行ってきたんじゃないの?」森川念江も尋ねた。「お爺ちゃんが何かお父さんを怒らせることを言ったの?」紀美子は汚らわしい話を子供にしたくなかった。「警察署に行ってて、ちょっとした揉め事もあったけど、お母さんはあまり詳しく説明してあげられないの」紀美子はそうやって丁寧に答えるしかなかった。「私達今できるのは、お父さんが落ち着いて書斎から出てきたら、優しくしてあげること、いい?」「彼にも思い詰ることがあるんだ」佑樹は言った。「お父さんだって、アイアンマンではなく人間だもん!」ゆみは兄を睨んで言った。「その……アイアンマンだって中身は人間だ」念江が妹に注意した。「ゆみ、念江も君の無知さに呆れてるぞ」佑樹も笑って妹にツッコミを入れた。「もう、お兄ちゃんうるさい!
入江紀美子は一瞬戸惑った。もう田中晴にバレたのか?彼女は思わず書斎の方を眺めた。森川晋太郎は知っているし、いずれ晴にバレるだろうね。「うん」紀美子は返事した。「会って話さない?」晴は尋ねた。「いいわ、今どこ?」「別荘の外にいる」紀美子は窓越しに外を眺めた。こんな大雨が降っているというのに、晴が来たのか?「分かった、今降りてくる!」紀美子は果物を横に置き、階段を降りていった。別荘から出ると、晴が大雨の中で突っ立っていた。彼は既に全身がびしょびしょに濡れていた。前回会ってからたった2、3日しか経っていないのに、彼はもういつもの羽振りがなくなり、随分と廃れていた。早春の雨は格別に冷たかった。彼が一体どれほどそこに立っていたのか、紀美子は想像もつかなかった。彼女は傘を開き、大股で晴の傍に来て、彼に傘をさした。「雨がひどいし、まず別荘に入ってから話そう!」「紀美子、佳世子はエイズにかかった、そうだろ?」晴は酷く充血した目を上げて尋ねた。「うん」紀美子は思わず傘を握りしめた。「彼女は外で不倫をして病気にかかったのか?」晴は冷たい声で尋ねた。紀美子の表情は心配から険しいものに変わった。「自分の妻をそんなふうに疑うの?」「ならば教えてくれ、何故彼女はあんな病気にかかったんだよ!」晴は震えた声で叫んだ。彼の顔には液体の粒が満ちており、雨なのか、それとも涙なのかは弁別できなかった。「私も彼女がなぜあんな病気にかかったかは分からない。でもね、晴、佳世子がどんな人なのか、分からない?」「不倫していないのなら、何故教えてくれないんだ?」晴は悲しみと怒りを抑えながら尋ねた。「あんたは佳世子のことをどう見てるの?あんたが始めて彼女とセックスした人じゃない。彼女が処女だと分かっているはず!」「それがどうした?」晴の目がますます充血してきた。「彼女が酒が飲みたくてよくバーに行ってたのも事実!」「バーによく行ってたからって軽い女だと決めつけるの?」紀美子も頭にきた。「なぜあんたは自分の考え方で彼女のことを定義しようとしてんの?」「もし違うなら、なぜ教えてくれないんだ?なぜだ?」晴は激怒して叫んだ。今回、紀美子ははっきりと彼の目か
入江紀美子からすれば、田中晴は頭を冷やす為に大雨を浴びる必要があった。晴は随分とあっけにとられてから、我に返った。「紀美子、電話するから携帯を貸してくれないか?」紀美子は断った。「あんたが決心がつくまで、彼女に連絡しない方がいい。それに、今の佳世子の状況では、あんたが彼女を受け入れられるかどうかもわからない。しっかりと考えて。あんたは全てをおいて彼女と共に病気と戦う気はある?これも佳世子があんたを置いて行った原因、彼女はあんたに病気が移るじゃないかと心配している。あんた時々本当に人をがっかりさせるから」晴は泣きながら紀美子に乞った。「頼む、彼女が今どこにいて、どうなってるのかを先に教えてくれないか?」「教えられない」紀美子は再度断った。「ここで私に乞うより、一度帰ってよく考えた方がいいわ。佳世子の病気は決して自らかかったものじゃない。あれは陰謀よ。あんた達が一緒にいた頃、彼女が誰と接触していたかを思い出して!」そう言って、紀美子は振り返らずに別荘に入った。晴は一人庭で雨に打たれながら号泣していた。こんな時は、誰も彼を助けることはできない。理性だけが、彼に全てをはっきりとさせてくれる!紀美子が家に戻った頃、森川晋太郎は既に書斎から出てきていた。2階には濃厚なタバコの匂いが漂っていた。紀美子は軽く息を抑えながら、寝室に入った。シャワールームから水が流れる音がして、彼女はソファに腰を掛け晋太郎が出てくるのを待った。30分後、彼はバスタオルを巻いてドアを開いた。しかし中は水気が全く無かった。「冷水でシャワーを浴びてたの?」紀美子は驚いて尋ねた。「ああ」晋太郎は唇を微かに動かして答えた。紀美子は眉を寄せながら慌ててバスローブを手にした。バスローブを彼に羽織りながら、紀美子は彼に注意した。「まだ早春だから寒いし、こんなことをしていたら体がもたなくなるわ!」「構わん。廊下はタバコの匂いで臭いだろう。我慢できず吸ったんだ」晋太郎はバスローブを着ながら言った。「ストレスの発散になれば、別にいいわ。ところで、さっき晴が来てた」「何をしに?」晋太郎は眉を寄せながら尋ねた。「てっきり君は子供達の所にいたと思った」「彼は佳世子のこ
「お前、俺の携帯を取り上げたな?」森川次郎は怒りを帯びた声で聞いた。「そうだ!」小原は認めた。「返してくれ!」次郎は小原に叫んだ。「あれは俺のモノだ!」しかし小原は全く動じなかった。「晋様に、あんたと外界との連絡を断つように命令された!」「あいつは何故こんなことをする?」次郎は激怒した。「父に連絡したい。晋の野郎を呼んでこい!」「悪いが、貞則様は既に警察に連れていかれた!」「何だと?」「貞則様は殺人の疑いで、警察に連行された!」小原はもう一度言った。殺人?警察?次郎の頭の中は真っ白になった。そんなのありえない!「それは晋太郎の陰謀だ!あいつが俺の父を陥れたに違いない!」「畜生が、こんなことまでやらかしてくれたとは!やはりあのビッチが産んだ雑種だ!」小原は次郎の言葉に苛立ちを示した。「貞則様が捕まったのは20年前の殺人事件のことでだ!そして最近、執事を殺した。全て自業自得だ。晋様とは関係ない」そう言ったそばから、小原はいきなり次郎に顔を殴られた。彼の顔にはもはや昔の優雅の欠片も残らず、あるのは獰猛な表情だけだった。「黙れ!お前は晋太郎の犬だ、当然彼の味方をしやがる!晋太郎を呼んで来い!」「晋様の指示がない限り、どんな要求でも答えられん!」小原はあごに手を当てながら言った。夜10時。紀美子がお風呂上りに休もうとした頃、晋太郎の携帯が鳴り出した。ボディーガードからの電話だった。「晋様、次郎様がどうしてもお会いしたいと。小原があなたがあなたの指示を貫き、次郎様に花びんで殴られてしまいました」「小原は今どうなっている?」「傷口を処理してもらっています。他のボディーガードが代わりに入ってきました」「彼達に伝えろ、もし次郎のヤツがまた手を出したら、殴り返してもいい!殺さない程度で仕付けろ」晋太郎は冷たい声で指示した。「はい、晋様!」晋太郎が電話を切ると、紀美子は口を開いた。「どうしたの?」「ちょっとしたトラブルだ、もう寝よう」晋太郎は紀美子の体を引き寄せて言った。彼の様子をみて、紀美子もそれ以上詮索しなかった。早朝、帝都病院にて。塚原悟は執務室から出てきた。素朴な服を着た渡辺瑠美が、一定の距離を保ちなが
その後、ある女性の声が聞こえてきた。彼女は流暢なドイツ語で言った。「この後半月で十分ですか?」瑠美は何を言っているのか分からなかったので、仕方なく携帯で録音を始めた。悟も同じくドイツ語で返答した。「半月で十分だ。この半月の間に同じことを繰り返せばいい」「わかりました。それでは、私は先に失礼します」そう言うと、その女性の足音が徐々に瑠美がいる方へと近づいてきた。瑠美は驚き、このまま鉄塊を取ってしまうともう間に合わないことに気づいた。彼女は階段を一瞥し、下へ駆け下りることを決意した。鉄の扉の前。女性は防火扉が少し開いているのを見て、地面に目を落とした。鉄塊を見つけて、眉をひそめながらそれを拾った。女性が去ろうとしないのを見て、悟は疑問を抱きながら近づいて尋ねた。「どうした、エリー?」エリーは拾った鉄塊を悟に渡しながら言った。「ここにこれがありました。おそらく人為的に、扉の隙間に挟まれていたものです」悟は鉄塊を受け取り、それを手のひらに乗せて考え込んだ。この鉄塊は手のひらくらいの大きさだが、誰がこれをここに置いたのだろうか?眉をひそめて思案した後、悟は自分が誰かに見張られているのではないかと疑い始めた。エリーの横を通り過ぎ、消火通路の方を見た。そして、下の階をちらりと見て、また上の階を見上げた。「エリー、上に行って確認してこい!」悟は命じた。エリーは頷き、素早く階段を駆け上がった。悟は家に向かい、窓のそばに立って下を見守った。十分後——エリーが戻ってきて、鉄塊をずっと手で弄んでいた悟に言った。「異常はありませんでした」悟はしばらく黙って考えた後言った。「わかった。君は先に行ってくれ。消防通路から出ることを忘れるな」「分かりました。何かあればすぐにご連絡します、気を付けてください」「分かった」エリーが去った後も、悟は依然として下の階を見守っていた。エリーが車に乗り込んで去るまで、彼はずっと外を見続けていた。もし誰かがいたなら、彼は必ずアパートの正面のドアから出ていただろう。このアパートは一つしか出入口しかないからだ。だが、長い間立って見ていたが、エリーが去った後も誰の姿も見なかった。もし相手が防火扉から出ていった可能性もあり
「大河さんからいろいろ聞いた」紀美子は優しい口調で、悟のそばに座った。「全ての恨みを捨てて、どこかでまたやり直そう」悟は大河を一瞥し、明らかに不満げな視線を向けた。「君もついて来てくれるか?」紀美子は悟の浅褐色の、澄み切った瞳を見つめた。これほどの苦難を乗り越えたとは信じ難いほどの、純粋な眼差しであった。彼には彼の事情があるが、彼女にも許せないことがあった。悟を去るように説得することは、彼女の最大の譲歩だった。「それができないのは分かっているでしょう?晋太郎は私を探すのを諦めないわ。一生ビクビクしながら生きていきたいの?」紀美子は言った。「君がそばにいてくれれば、私はどうなっても構わない」悟はそう言いながら、紀美子の手に触れようとした。しかし、紀美子はとっさに手を引っ込めた。悟の手は空中で止まり、数秒間硬直した後、静かに下ろされた。「紀美子、もうこれ以上言わなくていい。君がここに少しでも長くいてくれるだけで十分だ」悟は紀美子に言った。「そして大河、お前の気持ちは分かるが、彼女を脅す必要はない」大河は一瞬呆然とした。「しかし、社長……」「もうこれ以上言うな」悟は言った。「もう十分に話したはずだ。これ以上説明しても無駄だ。お前は大海と行け」大河は納得いかず、まだどう説得しようか考えていたその時、民宿の入り口から二人の男が入ってきた。大河はその二人の体格から、彼らは訓練を受けた者たちだとすぐに分かった。彼らは普段着を着ていたが、明らかに危険なオーラを帯びていた。大河は視線を紀美子に移し、いきなり彼女を掴んだ。その急な挙動に、紀美子も悟も反応できなかった。次の瞬間、大河は悟の目の前で、再び銃を紀美子のこめかみに突きつけた。「大河、紀美子を放せ!」悟の表情は一気に冷たくなった。「嫌です!」二人の男は足を止め、険しい表情で大河を見つめた。「社長、奴らが来ました。この女を人質にして逃げましょうよ!社長もこの女を連れていきたいでしょう?俺が無理やり連れていきます!」「大河!」悟は怒声を上げた。「お前、そんなことをして何の得がある?そう簡単に彼女を連れ去れるとでも思うのか?私は強要ではなく、彼女自身の意思でついて来てほしいんだ!」「社長!
大河は一歩ずつ紀美子に迫ってきた。「社長があいつらに手を出したのは仕方がなかったんだ!本当は社長だってそうしたくなかった!あの忌まわしい父親さえいなかったら、社長だって子供の頃からお前たちと同じように過ごせた!あいつに脅迫されなかったら、彼は一生消えない傷を負わされずに済んだんだ!」「社長が最も惨めだった頃のこと、お前は知らないだろうけど、俺はよく知っている!俺は社長の資料を調べ、昔の監視カメラの録画映像も観たからな。社長は毎日のように殴られ、ドブ川の汚水をぶっかけられるどころか豚や犬の餌を食わされそうになっていた。いかがわしい女を呼び寄せ、社長の体をボロボロになるまで弄んだこともあった!社長は一人でその時期を耐え抜いたんだ!あんなことをされたら、誰でもあいつらを恨むのは当然だ。」「確かに社長の手によって多くの人の命が失われた。だが彼は、正当な理由がなければ絶対に命を奪ったりしない!社長が、自分の医療技術でどれだけの人を救い、どれだけの家庭を助けてきたかわかってるのか?俺と外にいる運転手の大海も、社長の助けがあってここまで来られたんだ!社長は資金援助だけでなく、生きる希望を与え、病気を治し、薬を提供してくれた!あんな素晴らしい人間に、なぜ世界はこんなにも不公平なんだ?」大河が怒りに震えながら吐き出した言葉を聞いて、紀美子は完全に呆然とした。彼の話からすると、悟に関してまだまだ知らないことがたくさんあるらしい。いや、知らなかったわけではない!聞いていたとしても、自分の同情を引くための嘘だと思い込んでいたのだろう。本人が話すのと、他人から聞かされるのとでは全く印象が違う。「悟に話がしたいと伝えてくれる?できるだけ早く、彼を説得してみるから」「お前のような女、何を考えてるかわかったもんじゃない!」大河は紀美子の話を遮り、いきなり彼女の襟首をつかんだ。彼は紀美子を拘束しながら、拳銃を彼女のこめかみに突きつけた。紀美子は全身が硬直したが、それでも冷静さを保ち、交渉を続けようとした。「私を殺したら、悟があんたを許すと思う?」落ち着いて話すのは通じない。紀美子は強気に出るしかなかった。「怒られるのはわかってる。俺は殺されても構わない。社長の命さえ救えればそれでいい!」「私が死んで、彼は一人で生きようとすると思
悟の部屋を出て、大河はしばらく躊躇ってからエレベーターに乗り込んだ。三階に着くと、彼は紀美子の部屋の前へと歩み寄った。「お前一人で来たのか?社長は?」佳世子を見張っていた大海は不審そうに尋ねた。「社長に内緒で来た」そう言って、大河は殺意に満ちた視線を紀美子の部屋のドアに向けた。「お前、何をする気だ?」大河の視線に気づいた大海は尋ねた。「この女さえいなければ、社長はきっと俺たちと一緒に逃げてくれる!」大河は歯を食いしばって言った。「大海、お前は社長が命を落とすのをただ見てるつもりか?こんな女のせいでよ!」「どういう意味だ?」大河は今の状況を説明した。「どんな事情があろうと、社長の命令なしでは彼女に手を出してはならん!彼女はお前に何の恨みもないだろ!」「恨みがないだと?」大河は問い詰めた。「もし社長が本当に行かなかったら、社長の言う通りに俺達だけで逃げるのか?」大海は黙り込んだ。「いや……社長は俺の家族を六年も面倒見てくれた。この恩は命をかけても返しきれない」「だから社長を連れて逃げないと、俺たち全員がこの女のせいで殺されるんだ!」大河は警告した。「たとえそうだとしても、彼女を殺しちゃいけない。彼女は社長が最も愛した女だ。もし殺したら、社長はどうなる?」大海は依然として反対した。「時間が全てを癒やしてくれるはずだ!」大河は言い放った。「俺は、たとえ社長に恨まれ、殺されても構わない!」そう言い残すと、大河はドアを押し開け紀美子の部屋に入った。その時、背後からドアが開く音がした。二人の会話を聞いていた佳世子が、我慢できずに部屋から出てきたのだ。「部屋に戻れ!」大海は慌てて振り返り、彼女を遮った。「紀美子に手を出すなんて、許さないわよ!」佳世子は焦って横を見ながら叫んだ。「紀美子!早く逃げて!この二人があんたを殺そうとしてるわ!!紀美子!!」佳世子は身を乗り出しながら叫び続けた。部屋の中では、紀美子が驚いた様子で入ってきた男を見つめた。そして外から聞こえる佳世子の叫び声に耳を澄ませた。大河が速足で近づいてくるのを見て、紀美子はすぐに布団を蹴り飛ばし、ベッドの反対側に立った。「何をする気?」彼女は警戒しながら大河に問いかけた
「お父さん、悟の車の位置がわかった!前僕たちが泊まってたホテルだ!」晋太郎は早急に電話を切り上げ、立ち上がって佑樹の元へ駆け寄り、パソコンの画面を見た。確かに、以前宿泊していたホテルだ。「悟ってやつは本当に計算高い。父さんが監視役を引き上げた途端、そこを選んぶだなんて。父さんをバカにしてるの?それとも、父さんがそこを狙わないと踏んだのか?」「今はそんなことを言っている場合じゃない。すぐに人を送って状況を確認させる」晋太郎は美月の携帯に電話をかけた。「森川社長、何かご指示ですか?」美月はすぐに応答した。「前の民宿だ。佑樹が悟の車の場所を突き止めた」美月は佑樹がこんなに早く手がかりを見つけ出したことに驚いた。彼女は携帯を持ちながら、隣でまだコードを打ち続ける技術者たちに目をやった。こいつら、子供二人にも及ばないのね!口元を少し歪ませながら、美月は心の中でそう思った。「わかりました、すぐ偵察班を向かわせます」電話を切ると、晋太郎もテーブルの上の車の鍵を手に取った。「父さんも行くの?」佑樹が声をかけた。「母さんが悟の手中にいるんだ。ここに座っていられない」晋太郎は頷いた。「俺も行く!」晴は慌てて立ち上がり、晋太郎の側へ歩み寄った。「佳世子は抑えられてるし、俺もじっとしていられない」「分かった」晋太郎は佑樹を見た。「お前と念江はここで大人しく待っていろ。何かあったらすぐに電話しろ。ボディガードも外で待機させておく」「わかった。父さん、必ず母さんと佳世子おばさんを助けてきて!」今回の民宿への移動では、晋太郎は多数のボディガードを分散させて配置した。しかし、どれだけ慎重に行動しても、大河の監視網から逃れることはできなかった。ホテル。大河は再び悟のもとへ駆けつけた。「社長、もうここはバレています!晋太郎の手下がすでに向かってきています!」しかし、座って茶を飲んでいた悟は、大河の言葉にも大して動揺を見せなかった。「彼女が行きたがらない」声は淡々としていたが、悟の心は万本の針で刺されるように痛み苦しくなっていた。「社長!命あっての復讐です!女なんかより、自分の命の方が大事じゃないんですか!」「大河、行くならお前と大海だけで行け。もう私のことを構うな
紀美子は体を無理やりに起こそうとした。悟は手を差し伸べたが、触れる前に紀美子に冷たく払いのけられた。「触らないで!」紀美子は憎悪に満ちた目で悟を睨んだ。悟は手を引っ込め、紀美子が自力で体を起こしてベッドにもたれかかるのをただ見守った。「何度も言ったはずでしょう?馬鹿でもわかるくらいに!」「ああ、わかっている」悟は目を伏せた。「わかってるなら、なぜ何度も私を連れ去ろうとするの?」紀美子の声は次第に激しくなっていった。「あんたほど意地の悪い人間は見たことないわ!」悟は唇を噛み、深く息を吸ってから顔を上げた。「紀美子、私と一緒に来てくれないか?」「行く?」紀美子は冷笑した。「どこへ?あんたの頑固さと身勝手さで、どれだけの無実な命が奪われたか知ってる?自首して、あの世で彼らに悔い改めるべきよ!あんたが生きていると思うと、呼吸すら苦しくなってくるの!」「彼らが無実だというが、私はどうなんだ?」悟の目には苦痛が溢れていた。「私には少しの情さえないのか?他人ならともかく、私の全てを知っている君まで……少しも分かってくれないのか?」悟の言葉に、紀美子は心の底から嫌悪を感じた。「情?」紀美子は冷ややかに嘲った。「野良犬の方が同情できるわ。ましてやついてこいなんて!もし無理やり連れ去ろうとするなら、警察に通報される覚悟でいてね!」悟は体が鉛のように重くなり、突然ひどく疲弊感を感じた。「じゃあ、私にどうしてほしいんだ?」悟は力なく尋ねた。「死んでほしい!」紀美子の声は冷たく、なんの感情も見えなかった。「天国に行けないような死に方を!」「そうすれば、君は私を許してくれるのか?」悟は苦笑した。「それで許せると思う?」「君が許してくれるなら、私は何でもする!」「そう?」紀美子は嘲るように笑った。「じゃあ、私の母と初江さん、それに朔也の命を返してよ。できたら許してあげる。どうなの?」「……つまり、君の許しは得られないのか」悟の表情は完全に暗くなった。「わかってるでしょう?悟、みっともない死に方をしたくなければ、今すぐ私を帰らせなさい!」「できない」悟の声は次第に弱くなっていった。「君だけは、死ぬまで手放す気になれない」「往生際が悪
悟は唇を強く結んだ。「ほら、私が提案したって無駄でしょ?あんたの結末はもう決まってるわ」「それでも、紀美子を諦めない」悟は立ち上がった。「三日あれば、全てを整えて彼女を連れていける。たとえ手下はいなくとも、金さえあれば何とかなる!」その最後の言葉に、佳世子の背筋が凍った。悟は、三日もあれば莫大な資金で逃亡経路を確保できる!「目を覚ましてよ!あんたに紀美子を連れ出せるはずがない!」佳世子は叫んだ。「道は二つだけだろ?」悟は、そう言い残すとドアを開けて出て行った。佳世子は急いでベッドから飛び降り悟を追いかけようとしたが、屈強な男に阻まれた。力づくでは無理だと悟ると、彼女は不貞腐れてベッドに戻った。一方、別の部屋では——悟はまだ眠っている紀美子の寝室に入った。ベッドの縁に座り、悟は彼女の整った顔に見入った。彼は手を伸ばし、そっと頬に触れて髪をかきあげた。「紀美子」悟は嗄れた声で呼びかけ、目に優しい眼差しを浮かべた。「五年前と何も変わっていないな。もしもっと早くこの気持ちに気づいていたら、全てが違っていただろうか?一歩踏み出していれば、今頃君は私のものになっていただろうか?」悟は声が震え出した。「負けを認めたくないが、これが現実だ。私は全てを失ってもいい。ただ……側にいてくれないか?」涙が紀美子の手の甲に落ちたのを見て、悟は慌てて拭いた。彼女には、まだ目覚めてほしくなかった。ただ静かに傍にいてくれればいい。冷たい言葉を浴びせなければいい。そう考えると胸がさらに締め付けられ、悟は涙を堪えれなかった。彼は手を引くと、シーツを強く握りしめた。その時突然、ドアがノックされた。悟は急いで涙を拭い、深く息を吸って顔を上げた。「入れ」「社長、我々のIDが特定されました!ここは時期に探知されます!」大河が慌てた様子でタブレットを持って入ってきた。「静かに」悟は唇に指を立て、紀美子の方を見た。「起こすな」大河は眠っている紀美子、そして悟の赤い目に気づいた。「社長、なぜこんな女のために危険を冒すのですか?馬鹿げています!」「お前も愛する女ができたら、きっとこの気持ちがわかるだろう」悟は静かに言った。大河には、今逃げなければ終わりだという
「馬鹿な真似はよしてよ!」佳世子は再び激怒した。「晋太郎が逃がしてくれると思う?寝言は寝てから言って」「不可能だと分かっているからこそ、君に頼んでいるんだ」悟は静かに答えた。「何で私が親友を裏切り、あんたのような悪者を助けなきゃいけないの?私の両親の命でもかけて脅すつもりなの?バカバカしい。あんたに手を貸す人なんて、もう誰もいないわ!」佳世子の言葉に、悟は無力感を感じた。「ああ、今の私には、もう紀美子しか残っていない」声を落として彼は言った。「そんな情に訴えても無駄よ。あんたは紀美子を撃ったのよ。忘れたの?彼女は、あんたの卑劣な手口のせいで飛び降り自殺しそうにもなったよね?」「嫌だ、死んでも絶対に協力しないわ!」「こうなることは分かっていた」悟は前かがみになり、肘を膝につけてうつむいた。「私は完全に敗北した。しかしまだ生きたいんだ」「生き延びてどうすんの?あんたのような悪魔は早く地獄に落ちてくれればいいのに」佳世子は罵った。「今の私が生きる唯一の希望は、紀美子の人生を見届けることだ」悟は言った。「何それ?」佳世子は問い詰めた。「好きな人を利用して、自分の人生の心残りを埋めようとしてるの?」悟は黙り込んだ。複雑な感情が佳世子の胸をよぎった。悟は確かに悪だが、その境遇は憐れでもあった。だが、そんな感情で人を傷つける権利などない!「もしあんたにまだ良心が残ってるなら、私と紀美子を帰しなさい。あんたはもう昔の力を完全に失ったのよ。それに、紀美子の子供たちがどれほど優秀かも知ってるでしょ?ここもいつか必ず晋太郎に見つかるし、その時のあんたの末路は言うまでもないわ」「一度始めたことはもう引き返せない」悟は目を上げて断言した。「死ぬか、紀美子を連れて行くかだ」「どうしてそんな極端な考え方しかできないの?」佳世子は眉をひそめた。「私に他に道があると思うか?」悟は自嘲的に笑った。「捕まれば獄死、見つかれば殺される。そうだろう?」それを聞いて、佳世子の胸は苦しくなった。昔仲が良かった頃のことを思えば思うほど、言葉は重くのしかかった。「悟、本当のことを教えて」佳世子は真剣な眼差しで悟を見つめた。「後悔しているかどうか聞きたいんだろう」
「念江がファイアウォールを突破したIDを特定してからでないと追跡できない」佑樹は小さな眉をひそめて説明した。「30分くれ。長くても30分で特定できる!」念江は言った。30分は長くないが、今は一分一秒が耐えがたいほど長く感じた。十数分経った頃、念江は極度の緊張で鼻血を出してしまった。周りの者は皆、念江の様子に胸を締め付けられた。だが念江は気に留めずに手で鼻血を拭うと、再びハッキングに集中した。「心配しないで。お医者さんに、回復期に時々鼻血が出るのは正常だと言われてるんだ。お母さんが見つかったら少し休めばいい」念江の説明を聞いて、皆はやや安心した。ちょうど29分経った時、念江はエンターキーを叩いた。「よし、IDを特定した。佑樹、後は任せた」「君は休んでおいて。残りは僕がやる」念江は青白い顔でうなずき、椅子にもたれかかった。晋太郎は彼の小さな体を抱き上げた。「父さん、大丈夫…」念江は疲れた目を開いた。「暫く休め。何かあればすぐ知らせる」晋太郎は息子をベッドに運びながら言った。「うん…」わずか数時間で、晴の顔には疲労の色が濃く出ていた。「何だか最近、自分が子供たちにすら及ばないのではないかと不安になるんだ」晋太郎が寝室から出てくると、晴は自嘲気味に笑った。「お前が役に立ったことなどあったか?」晋太郎は冷たく見下ろした。「まあ……そうだな」晴は言葉に詰まった。「唯一の長所は一途なことだな」晋太郎は軽く一言を付け加えた。「確かにその通りだ。俺の心には佳世子しかいない」晴は頭をかいた。一方、別の場所では——悟は、意識を失っている紀美子を以前滞在していた民宿に連れ込んだ。そこのボディガードは既に全員が撤収しており、最も安全な場所だった。佳世子は紀美子とは別の部屋に閉じ込められていた。悟は紀美子の布団を整えてから、佳世子の部屋に向かった。佳世子のベッドの横に座ると、悟は彼女の手を掴み、特定のツボを強く押した。すると、佳世子はパッと目を開いて、そして反射的に手を引っ込めた。見慣れない景色を見て彼女は慌てて起き上がり、ようやく隣に人が座っていることに気付いた。悟と目が合うと、佳世子は眉をひそめた。「悟!やはりあんただったのね!」
その時、晋太郎もボディガードからの連絡を受け取った。隅々まで探したが、結局紀美子と佳世子の姿は見つからなかった。警察もすぐに到着し、ホテル全体を捜索し始めた。それでも、二人が見つかることはなかった。その報告を聞いた晋太郎は、怒りで窓ガラスに拳を叩きつけた!ガラスの割れる大きな音に、佑樹と念江は体を震わせた。二人はそのまま、手から血を流しながら震える父を驚いた表情で見つめた。父に何を言っても無駄だということも分かっていたため、ただ歯を食いしばった。「悟の仕業だ」晋太郎は険しい表情で窓際に立った。ここまで完璧に痕跡を消せるのは、奴しかいない!今、彼を悩ませているのは、悟が紀美子たちをどこに隠したかということだ。奴の勢力はもう完全に潰したはずだが、今最も恐れているのは、奴が紀美子を連れて完全に姿を消すことだった。そうなると、大海原で針を探すようなもので、手がかりすらつかめないだろう。晴が事情聴取を終え警察署から戻ってきても、子供たちはまだパソコンを操作していた。晴はソファに崩れ落ち、頭を抱えてうなだれた。「くそっ!!!絶対に悟だ!!あいつに違いない!!晋太郎、何とかして二人を助けてくれ!悟は紀美子を傷つけないかもしれないが、佳世子は殺されるかもしれない!」晴は晋太郎に助けを求めた。「分かってる!既にあの辺りに配置していたボディガードを引き上げさせた。これからは山と町内を徹底的に調べさせる!美月も動き出している!」晋太郎は歯を食いしばりながら言った。「お父さん、相手の車のナンバーは分かる?正確な情報があれば、もっと早く調べられる!」突然、佑樹が振り返って言った。晋太郎は直ちに美月に電話をかけた。通話が繋がると、美月が話す前に佑樹が切り出した。「美月さん、悟たちの車のナンバーって分かる?」「分かるわ」美月は答えた。「9000だけど、あっちの技術者が、通った場所の監視カメラの録画データを全て消してるわ」佑樹は念江を見た。「念江、ダメなら先生に頼ろう!できるだけ早く母さんと佳世子さんを見つけないと」「わかった、今電話する!」念江は言った。隆久はすぐ電話に出た。念江が状況を説明しようとした時、電話の向こう側からマウスボタンのクリック音が聞こえてきた。