結城理仁はおかずは買ってくる必要はないと言っていたが、内海唯花はおかず二つとご飯を二つ買った。支払いを済ませた後、彼女はそれを持って店を出て、車に戻った。「プルプルプル……」携帯にまた電話がかかってきた。今度は結城理仁からだった。金城琉生が来て去って行き、結城理仁はまた色々余計なことを考えて、我慢できずに内海唯花に電話したのだった。「今すぐ戻るわ」結城理仁が何か言う前に内海唯花が一言そう言い、電話を切った。妻にさっさと電話を切られてしまった結城理仁は携帯を見つめ、暫くの間無言だった。彼は内海唯花が心の中ではまだ怒っているとわかった。夫婦二人はまだ和解していない。ただおばあさんが関わってきて、おばあさんの顔を立てるために今こうしているだけなのだ。内海唯花はその電話を切ってから本当にすぐに店へと戻ってきた。「温め終わってる?ご飯食べられるよ」内海唯花は買ってきたおかずを持って店へと入っていき、歩きながら座っていた結城理仁に尋ねた。「できているよ」結城理仁は彼女が戻ってきたのを見て、すぐに立ち上がりレジから出てくると店の奥へと入って行き、食器と温めなおしたおかずをテーブルに置いた。内海唯花も買ってきたおかずをテーブルの上に置いた。結城理仁はそれを見て言った。「おかずは買ってこなくてよかったのに」「昼の残りは嫌かなって思って、だからおかず二つ買ってきたの。この店の料理とっても美味しいのよ。普段デリバリーを頼む時には、よくこの店にお願いしているの」彼女が彼のためにわざわざおかずを二つ買って来たと聞いて、結城理仁が彼女を見つめる瞳は優しくなった。夫婦の関係というのはお互い様なのだ。彼が少しずつ自分を変えていくように、実は彼女も変わっていっているのだ。「そうだ、さっき誰か男の人が君に用があると言って店に来たよ。俺をお義兄さんと呼んできたけど」結城理仁は内海唯花を手伝って、ご飯とおかずを食器に盛っている時、何気ない様子を醸し出しながら言った。「君に用があるとかなんとか。彼に聞いたんだけど、何も言わなくて、二分くらいしてすぐ帰っていったよ。君に電話してこなかった?何か急用だったんじゃないかな?」それに対して内海唯花は包み隠さず本当のことを言った。「それは琉生君よ。そんな大した用があるわけじゃな
「君が行きたいなら、俺たちも週末は海で過ごしてもいいよ。海で獲った新鮮な魚介類が食べられるし」これは結城理仁が夫婦二人で週末プチ旅行をしようというはじめての誘いだった。「今って十一月よ」「星城の十一月は昼間太陽が出ればまだまだ暑い。海にバカンスに行くのにちょうどいいよ。寒くもないし暑すぎもしないから」内海唯花はお腹をさすりながら言った。「その話はまたにしましょう。今はまだ週末何か予定が入るかわからないし」結城理仁はうんと一言答えた。食器を片付けてキッチンに入り食器を洗った。そして、妻から注意の言葉を聞いた。「そんなにたくさん洗剤を使わないで、泡だらけになっちゃうわよ」結城理仁は顔をこわばらせ、何も言わなかった。十分ほどで結城理仁は食器をきれいに洗ってしまった。さっき冷蔵庫を見た時、その中にはフルーツが入っていた。彼は大きめのお皿を洗い、冷蔵庫に入っていたいくつかのフルーツを取り出して水洗いし、一口サイズに切って皿に盛りつけ、爪楊枝も添えてキッチンから出てきた。「食後のフルーツをどうぞ」彼はそのお皿をテーブルの上に置いた。内海唯花「……あなた、本気で私をお腹いっぱいで殺す気?」結城理仁は軽く彼女の額をつついた。「後でちょっと散歩して消化させればいいだろう」星城高校の前は広々としていて、長く続く二車線に沿って大きな川が流れている。その道沿いを歩けば消化ができるというわけだ。内海唯花は彼が突然親しい態度を取ってきたのに驚き、反射的に彼の手を叩き払おうとしたが、それをする前に彼のほうがその手を引っ込めた。それで彼女の手は空を切った。「少ししたらちょっと散歩しよう」内海唯花は姿勢を正して座って彼に聞いた。「今夜は会社の接待はないの?」「本当はあったけど、ばあちゃんがここに来て君と一緒にご飯を食べるよう言ってきたから、その予定をキャンセルしたんだ」内海唯花は、ばつが悪そうに言った。「私がおばあちゃんにそうしてって言ったわけじゃないからね」彼女とおばあさんの関係は良好だ。彼と結婚したのもおばあさんが原因だ。おばあさんを利用してこうしていると彼がまた誤解するんじゃないかと心配して、内海唯花は一言説明して言ったのだ。結城理仁は瞳をキラキラと輝かせて彼女を見つめ、穏やかな声で言った。「それは
十月の東京は残暑でまだ汗ばむほど暑く、朝夕だけ秋の気配があり涼しさを感じられた。 内海唯花は朝早く起きると姉家族三人に朝食を作り、戸籍謄本を持ってこっそりと家を出た。 「今日から俺たちは生活費にしろ、家や車のローンにしろ、全部半々で負担することにしよう。出費の全部だからな!お前の妹は俺たちの家に住んでるんだから、彼女にも半分出させろよ。一ヵ月四万なんて雀の涙程度の金じゃ、タダで住んで飲み食いしてるのと同じじゃないか」 これは昨夜姉と義兄が喧嘩している時に、内海唯花が聞こえた義兄の放った言葉だった。 彼女は、姉の家から出ていかなければならなかった。 しかし、姉を安心させるためには結婚するのがただ一つの方法だった。 短期間で結婚しようとしても、男友達すらいない彼女は結城おばあさんの申し出に応えることにした。彼女がなんとなく助けたおばあさんが、なかなか結婚できない自分の孫の結城理仁と結婚してほしいと言ってきたのだった。 二十分後、内海唯花は役所の前で車を降りた。 「内海唯花さん」 車から降りるとすぐ、内海唯花は聞きなれた声が自分を呼ぶのが聞こえた。結城おばあさんだ。 「結城おばあさん」 内海唯花は速足で近づいていき、結城おばあさんのすぐ横に立っている背の高い冷たい雰囲気の男の姿が目に入った。おそらく彼が結婚相手である結城理仁なのだろう。 もっと近づき、内海唯花が結城理仁をよく見てみると、思わず驚いてしまった。 結城おばあさんが言うには孫の結城理仁は、もう三十歳なのに、彼女すら作らないから心配しているらしかった。 だから内海唯花は彼がとても不細工な人なのだと勝手に思い込んでいたのだ。 しかも、聞いたところによると、彼はある大企業の幹部役員で、高給取りらしいのだ。 この時初めて彼に会って、自分が誤解していたことに気づいた。 結城理仁は少し冷たい印象を人に与えたが、とてもハンサムだった。結城おばあさんのそばに立ち、浮かない顔をしていたが、それがかえってクールに見えて、人を近づけない雰囲気を醸し出していた。 目線を少しずらしてみると、近くに駐車してある黒い車はホンダの車で、決して何百万もするような高級車ではなかった。それが内海唯花に結城理仁との距離を近づけされてくれた。 彼女は同級生の友人と一緒に公立星城
「もう決めたことですから、後悔なんてしませんよ」 内海唯花も何日も悩んだうえで決断した。一度決めたからには決して後悔などしないのだ。 結城理仁は彼女のその言葉を聞くと、もう何も言わずに自分が用意してきた書類を出して役所の職員の前に置いた。 内海唯花も同じようにした。 こうして二人は迅速に結婚の手続きを終えた。それは十分にも満たない短い時間だった。 内海唯花が結婚の証明書類を受け取った後、結城理仁はズボンのポケットから準備していた鍵を取り出し唯花に手渡して言った。「俺の家はトキワ・フラワーガーデンにある。祖母から君は星城高校の前に書店を開いていると聞いた。俺の家は君の店からそんなに遠くない。バスで十分ほどで着くだろう」 「車の免許を持っているか?持っているなら車を買おう。頭金は俺が出すから、君は毎月ローンを返せばいい。車があれば通勤に便利だろうからな」 「俺は仕事が忙しい。毎日朝早く夜は遅い。出張に行くこともある。君は自分の事は自分でやってくれ、俺のことは気にしなくていい。必要な金は毎月十日の給料日に君に送金するよ」 「それから、面倒事を避けるために、今は結婚したことは誰にも言わないでくれ」 結城理仁は会社で下に命令するのが習慣になっているのだろう。内海唯花の返事を待たず一連の言葉を吐き捨てていった。 内海唯花は姉が自分のために義兄と喧嘩するのをこれ以上見たくないため喜んでスピード結婚を受け入れた。姉を安心させるために彼女は結婚して姉の家から引っ越す必要があったのだ。これからはルームメイトのような関係でこの男と一緒に過ごすだけでいいのだ。 結城理仁が自分から家の鍵を差し出したので、彼女も遠慮なくそれを受け取った。 「車の免許は持ってますけど、今は車を買う必要はないです。毎日電動バイクで通勤していますし、最近新しいバッテリーに交換したばかりです。乗らないともったいないでしょう」 「あの、結城さん、私たち出費の半分を私も負担する必要がありますか?」 姉夫婦とは情がある関係といえども、義兄は出費の半分を出すように要求してきた。いつも姉のほうが苦労していないのに得をしていると思っているのだろう。 子供の世話をし、買い物に行ってご飯を作り、掃除をするのにどれほど時間がかかるか知りもしないだろう。自分でやったことのない男
「おばあちゃん、頼りにしてるよ」 内海唯花は適当に答えた。 結城理仁は血の繋がった孫で、彼女はただの義理の孫娘だ。結城おばあさんがいくら良い人だといっても、夫婦間で喧嘩した時に結城家が彼女の味方になるだろうか。 内海唯花は絶対に信じなかった。 例えば彼女の姉の義父母を例に挙げればわかりやすい。 結婚前、姉の義父母は姉にとても親切で、彼らの娘も嫉妬してしまうほどだった。 しかし、結婚したとたん豹変したのだ。毎回姉夫婦間でいざこざがあった時、姉の義母は決まって姉を妻としての役目を果たしていないと責めていた。 つまり、自分の息子は永遠に内の者で、嫁は永遠に外の者なのだ。 「仕事に行くのでしょうから、おばあちゃんは邪魔しないことにするわね。今夜理仁くんにあなたを迎えに行かせるわ。一緒に晩ご飯を食べましょう」 「おばあちゃん、うちの店は夜遅くに閉店するの。たぶん夜ご飯を食べに行くのはちょっと都合が悪いわ。週末はどうかな?」 週末は学校が休みだ。本屋というのは学校があるからこそやっていけるもので、休みになると全く商売にならなくなる。店を開ける必要がなくなって彼女はようやく時間がとれるのだ。 「それもいいわね」 結城おばあさんは優しく言った。「じゃあ、週末にまたね。いってらっしゃい」 おばあさんは自分から電話を終わらせた。 内海唯花は今すぐ店に行くのではなく、先に親友の牧野明凛にメッセージを送った。彼女は高校生たちが下校する前に店に戻るつもりだった。 人生の一大イベントを終え、彼女は姉に一言伝えてから引越しなければならなかった。 十数分が経った。 内海唯花は姉の家に戻ってきた。 義兄はすでに仕事に行って家にはおらず、姉がベランダで服を干していた。妹が帰ってきたのを見て、心配して尋ねた。「唯花ちゃん、なんでもう帰ってきたの?今日お店開けないの?」 「ちょっと用事があるから後で行くの、陽ちゃんは起きてないの?」 佐々木陽は内海唯花の二歳になったばかりの甥っ子で、まさにやんちゃな年頃だった。 「まだよ、陽が起きてたらこんなに静かなわけないでしょう」 内海唯花は姉が洗濯物を干すのを一緒に手伝い、昨晩の話になった。 「唯花ちゃん、あの人はあなたを追い出したいわけじゃないのよ。彼ストレスが大きいみたい
「お姉ちゃんもさっき言ったでしょ、あれは彼の結婚前の財産であって、私は一円も出していないのよ。不動産権利書に私の名前を加えるなんて無理な話よ。もう言わないでね」 手続きをして、結城理仁が家の鍵を渡してくれたおかげで、彼女はすぐにでも引越しできるのだ。住む場所の問題が解決しただけでも有難い話だ。 彼女は絶対に結城理仁に自分の名前を権利書に加えてほしいなんて言うつもりはなかった。彼がもし自分からそうすると言ってきたら、彼女はそれを断るつもりもなかった。夫婦である以上、一生覚悟を決めて過ごすのだから。 佐々木唯月もああ言ったものの、妹が自分で努力するタイプでお金に貪欲な人ではないことをわかっていた。それでこの問題に関してはもう悩まなかった。一通り姉の尋問が終わった後、内海唯花はやっと姉の家から引っ越すことに成功した。 姉は彼女をトキワ・ガーデンまで送ろうとしたが、ちょうど甥っ子の佐々木陽が目を覚まし泣いて母親を探した。 「お姉ちゃん、早く陽ちゃんの面倒を見てやって。私の荷物はそんなに多くないから、一人でも大丈夫よ」 佐々木唯月は子供にご飯を食べさせたら、昼ご飯の用意もしなくてはいけなかった。夫が昼休みに帰ってきて食事の用意ができていなかったら、彼女に家で何もしていない、食事の用意すらまともにできないと怒るのだ。 だからこう言うしかなかった。「じゃあ、気をつけて行ってね。昼ご飯あなたの旦那さんも一緒に食べに来る?」 「お姉ちゃん、昼は店に戻らなくちゃいけないから遠慮しとくね。夫は仕事が忙しいの、午後は出張に行くって言ってたし、もうちょっと経ってからまたお姉ちゃんに紹介するわね」 内海唯花はそう嘘をついた。 彼女は結城理仁のことを全く知らなかったが、結城おばあさんは彼が忙しいと言っていた。毎日朝早く出て夜遅くに帰ってくる。時には出張に行かなければならず、半月近く帰ってこないそうだ。彼女は彼がいつ時間があるかわからなかった。だから姉に約束したくてもできないのだ。適当に言って信用を裏切るようなことはしたくなかった。 「今日結婚手続きをしたばかりなのに、出張に行くの?」 佐々木唯月は妹の旦那が妹に優しくないのではと思った。 「ただ手続きしただけ、結婚式もあげてないのよ。彼が出張に行くのは仕方ないことよ。なるだけお金を稼いだほうがい
結城理仁は何事もなかったかのように言った。「会議を続けよう」 彼に一番近いところに座っているのは従弟で、結城家の二番目の坊ちゃんである結城辰巳だった。 結城辰巳は近寄ってきて小声で尋ねた。「兄さん、ばあちゃんが話してる内容が聞こえちゃったんだけどさ、兄さん本当に唯花とかいう人と結婚したのか?」 結城理仁は鋭い視線を彼に向けた。 結城辰巳は鼻をこすり、姿勢を正して座り直した。これ以上は聞けないと判断したようだった。 しかし、兄に対してこの上なく同情した。 彼ら結城家は政略結婚で地位を固める必要は全くないのだが、それにしても兄とその嫁は身分が違いすぎるのだ。ただおばあさんが気に入っているので、内海唯花という女性と結婚させられたのだから、兄が甚だ可哀想だ。 結城辰巳は再び強い同情心を兄に送ってやった。 彼自身は長男でなくてよかった。もし長男に生まれていたらそのおばあさんの命の恩人と結婚させられていただろう。 内海唯花はこの事について何も知らなかった。彼女は新居がどこにあるのかはっきりした後、荷物を持って家に到着した。 玄関のドアを開けて家に入ると、部屋が非常に広いことに気づいた。彼女の姉の家よりも大きく、内装もとても豪華なものだった。 荷物を下ろして内海唯花は家の中を見て回った。これはこれからは彼女のものでもあるのだ。 リビングが二つに部屋が四つ、キッチンと浴室トイレが二つ、ベランダも二箇所あった。そのどれもがとても広々とした空間で、内海唯花はこの家は少なくとも200平方メートル以上あるだろうと見積もった。 ただ家具は少なかった。リビングに大きなソファとテーブル、それからワインセラー。四つある部屋のうち二つだけにベッドとクローゼットが置いてあり、残り二つの部屋には何もなかった。 マスタールームはベッドルームとウォーキングクローゼットルーム、書斎、ユニットバスがそれぞれあるのだが、非常に広かった。リビングと張るくらいの広さだ。 この部屋は結城理仁の部屋だろう。 内海唯花はもう一つのベッドが置いてある部屋を選んだ。ベランダがあり、日当たり良好でマスタールームのすぐ隣にある。部屋が別々であれば、お互いにプライベートな空間を保つことができるだろう。 結婚したとはいえ、内海唯花は結城理仁に対して本物の夫婦関係を求め
内海唯花は笑って言った。「あなたの従兄は彼女がいるじゃない。彼を紹介してどうするのよ?結婚手続きはもう終わったんだから、後悔しても遅いでしょ。ただこのことは秘密にしてちょうだい、お姉ちゃんが本当のことを知ったら悲しむから」 牧野明凛「......」 彼女の親友は、とても勇ましい人だ。 「小説の中の女主人公はいつも大金持ちとスピード婚するけど、唯花、あなたの結婚相手もそうなの?」 そう言い終わると、内海唯花は親友をつつき、笑って言った。「うちの店にある小説、あなた何回読んだのよ?夢なんか見ないでよね。そんな簡単に玉の輿に乗れるわけないでしょ。お金持ちがそこらへんに転がってると思ってる?」 牧野明凛は親友につつかれた場所をさすり、彼女が言っていることはその通りだと思った。彼女はかすかにため息をついた後、また尋ねた。「あなたの旦那さんが買った家はどこにあるの?」 「トキワ・フラワーガーデンよ」 「あら、良い場所じゃないの。あそこの環境は良いし、交通も便利だしさ。この店からもそんなに遠くないし。旦那さんはどの会社で働いてるの?東京で家を買えるくらいだし、トキワ・フラワーガーデンはお金持ちが買えるのよ、旦那さんの収入はきっと高いに決まってるわ。毎月のローンはいくら?あなたもローンのお金を出す必要があるの?」 「唯花、もしあなたもローンを払う必要があるなら、不動産権利書にあなたの名前も付け加えなきゃ。じゃないと損しちゃうでしょ。こう言うのはあまり聞こえがよくないけど、もしあなたたちが喧嘩でもして離婚することになったら、その家は彼のものだし、あなたには家の権利がなくなるのよ」 内海唯花は親友の瞳を見つめ言った。「あなたの考えって私の姉とほぼ一緒よね。家は彼が一括で購入したから、ローンを返済する必要ないのよ。私は一円も出してないわ、不動産権利書に私の名前を加えるなんてできないわよ」 牧野明凛は「夫婦間の仲が良いなら、まあ問題はないんだけど」と言った。 内海唯花はふと思い出した。彼女の姉が住んでいる家は義兄が結婚する前に購入したもので、今も毎月ローンの返済をしていた。内装の費用は姉がお金を出したのだが、不動産権利書には姉の名前は書いていなかった。唯花は義兄がいつも姉に金を使うだけで、能力がないと責めていることを思い、心配になった。 日を
「君が行きたいなら、俺たちも週末は海で過ごしてもいいよ。海で獲った新鮮な魚介類が食べられるし」これは結城理仁が夫婦二人で週末プチ旅行をしようというはじめての誘いだった。「今って十一月よ」「星城の十一月は昼間太陽が出ればまだまだ暑い。海にバカンスに行くのにちょうどいいよ。寒くもないし暑すぎもしないから」内海唯花はお腹をさすりながら言った。「その話はまたにしましょう。今はまだ週末何か予定が入るかわからないし」結城理仁はうんと一言答えた。食器を片付けてキッチンに入り食器を洗った。そして、妻から注意の言葉を聞いた。「そんなにたくさん洗剤を使わないで、泡だらけになっちゃうわよ」結城理仁は顔をこわばらせ、何も言わなかった。十分ほどで結城理仁は食器をきれいに洗ってしまった。さっき冷蔵庫を見た時、その中にはフルーツが入っていた。彼は大きめのお皿を洗い、冷蔵庫に入っていたいくつかのフルーツを取り出して水洗いし、一口サイズに切って皿に盛りつけ、爪楊枝も添えてキッチンから出てきた。「食後のフルーツをどうぞ」彼はそのお皿をテーブルの上に置いた。内海唯花「……あなた、本気で私をお腹いっぱいで殺す気?」結城理仁は軽く彼女の額をつついた。「後でちょっと散歩して消化させればいいだろう」星城高校の前は広々としていて、長く続く二車線に沿って大きな川が流れている。その道沿いを歩けば消化ができるというわけだ。内海唯花は彼が突然親しい態度を取ってきたのに驚き、反射的に彼の手を叩き払おうとしたが、それをする前に彼のほうがその手を引っ込めた。それで彼女の手は空を切った。「少ししたらちょっと散歩しよう」内海唯花は姿勢を正して座って彼に聞いた。「今夜は会社の接待はないの?」「本当はあったけど、ばあちゃんがここに来て君と一緒にご飯を食べるよう言ってきたから、その予定をキャンセルしたんだ」内海唯花は、ばつが悪そうに言った。「私がおばあちゃんにそうしてって言ったわけじゃないからね」彼女とおばあさんの関係は良好だ。彼と結婚したのもおばあさんが原因だ。おばあさんを利用してこうしていると彼がまた誤解するんじゃないかと心配して、内海唯花は一言説明して言ったのだ。結城理仁は瞳をキラキラと輝かせて彼女を見つめ、穏やかな声で言った。「それは
結城理仁はおかずは買ってくる必要はないと言っていたが、内海唯花はおかず二つとご飯を二つ買った。支払いを済ませた後、彼女はそれを持って店を出て、車に戻った。「プルプルプル……」携帯にまた電話がかかってきた。今度は結城理仁からだった。金城琉生が来て去って行き、結城理仁はまた色々余計なことを考えて、我慢できずに内海唯花に電話したのだった。「今すぐ戻るわ」結城理仁が何か言う前に内海唯花が一言そう言い、電話を切った。妻にさっさと電話を切られてしまった結城理仁は携帯を見つめ、暫くの間無言だった。彼は内海唯花が心の中ではまだ怒っているとわかった。夫婦二人はまだ和解していない。ただおばあさんが関わってきて、おばあさんの顔を立てるために今こうしているだけなのだ。内海唯花はその電話を切ってから本当にすぐに店へと戻ってきた。「温め終わってる?ご飯食べられるよ」内海唯花は買ってきたおかずを持って店へと入っていき、歩きながら座っていた結城理仁に尋ねた。「できているよ」結城理仁は彼女が戻ってきたのを見て、すぐに立ち上がりレジから出てくると店の奥へと入って行き、食器と温めなおしたおかずをテーブルに置いた。内海唯花も買ってきたおかずをテーブルの上に置いた。結城理仁はそれを見て言った。「おかずは買ってこなくてよかったのに」「昼の残りは嫌かなって思って、だからおかず二つ買ってきたの。この店の料理とっても美味しいのよ。普段デリバリーを頼む時には、よくこの店にお願いしているの」彼女が彼のためにわざわざおかずを二つ買って来たと聞いて、結城理仁が彼女を見つめる瞳は優しくなった。夫婦の関係というのはお互い様なのだ。彼が少しずつ自分を変えていくように、実は彼女も変わっていっているのだ。「そうだ、さっき誰か男の人が君に用があると言って店に来たよ。俺をお義兄さんと呼んできたけど」結城理仁は内海唯花を手伝って、ご飯とおかずを食器に盛っている時、何気ない様子を醸し出しながら言った。「君に用があるとかなんとか。彼に聞いたんだけど、何も言わなくて、二分くらいしてすぐ帰っていったよ。君に電話してこなかった?何か急用だったんじゃないかな?」それに対して内海唯花は包み隠さず本当のことを言った。「それは琉生君よ。そんな大した用があるわけじゃな
結城理仁はその足音が遠ざかっていくのを聞いてから、トイレから出てきた。おばあさんにここへ来るよう言われ、その理由がわかっていながら、思い切ってそのおばあさんの策略に乗っておいてよかった。でなければ、金城琉生に内海唯花と二人きりになるチャンスを与えてしまうところだった。金城琉生は店から出ると、車を運転して行ってしまった。しかし、少ししてから車道の端に車をとめ、内海唯花に電話をかけた。そして、内海唯花はすぐに彼の電話に出た。「琉生君、何か用?」「唯花さん、後でちょっと時間がありますか?だいたい七時半くらいなんですけど」「なんの用?」内海唯花は時間があるかどうかは答えず、彼が一体何の用なのかを直接尋ねた。金城琉生は少し言葉を詰まらせたが、やはり彼女に言った。「後でスカイロイヤルで開かれるビジネスパーティーに行くんですけど、女性のパートナーが必要なんです。唯花さん、俺ってまだ彼女がいないでしょう?だから、唯花姉さんに一緒に参加してもらえないか聞きたかったんです」内海唯花は少しも迷わず断った。「明凛にお願いしたらどう?私は時間がないの。夫がお店で一緒にご飯を食べるために待ってるのよ」彼女の金城琉生に対する感情は姉弟としてのそれでしかない。しかし、結城理仁は彼女が金城琉生を次に狙っていると誤解している。彼女にその意思があるかないかは置いておいて、彼女は今後、金城琉生と二人きりになることはできるだけ避けたかった。二人きりにならないのが一番だ。彼女がこの間、金城琉生にご馳走した時には牧野明凛も一緒にいて、決して彼と二人きりではなかったが、結城理仁はそれを見た後、彼女と金城琉生ができていると誤解してしまった。それで彼女はとても腹が立った。どうして結城理仁の目には、彼女が離婚を待てずに次の相手を探すような人物に映っているのだろうか?内海唯花が夫の話をしたので、金城琉生は心が苦しくなった。でも、それを表には出さず、引き下がらずにお願いした。「唯花姉さん、お二人は七時過ぎまで食事をするんですか?姉さん、お願いします、明凛姉さんは今日用事があるらしくて、来てくれないんです」「あなた達、パーティーに参加するのに絶対女性のパートナーを連れていく必要があるの?もちろん七時過ぎまでご飯を食べることはないわ。でもね、私は店番もしないといけない
内海唯花は車を運転して行った。結城理仁は彼女が遠ざかるのを目で送ってから店の中に戻り、まだ片付けられていないハンドメイドの材料を少し見つめた。そして、見てもよくわからないので見るのをやめて、キッチンへと入って行った。店には電子レンジがなかったので、鍋を取り出して水ですすいだ後、水を少し張り、昼食の残りが入った皿もその鍋の中に入れた。そして火をつけておかずを温めることにした。特にすることもなかったので、何気なく冷蔵庫の中を開けてみると、そこにいっぱい詰められた魚介類があった。それは神崎姫華が持って来たものだ。神崎姫華はとても気前よく、車いっぱいの大量の魚介類を持ってきた。内海唯花が神崎姫華に彼の落とし方を教えたので、神崎姫華がこんなに多くの魚介類を持って来たのだ。そして、それを彼が昼食にたくさんいただいたという謎の状況……「唯花さん、唯花姉さん」外から金城琉生が彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。結城理仁はすぐに火を弱火にし、すぐにトイレへと駆け込み、ドアを閉めた。特別な理由はなく、ただ金城琉生は彼に会ったことがあるだけだ。もし金城琉生が彼を見たら、その正体が内海唯花にばれてしまう。結城理仁は金城琉生から彼の正体を唯花にばらされたくなかった。金城琉生は店に入っても誰の姿も確認できず、再び何度か呼んだ。結城理仁は鼻をつまみ、トイレの中から声を高めにして言った。「誰ですか?内海さんは今店にいませんよ。何か用でしょうか?」金城琉生は知らない人の声を聞き、入って来る前に店の前にとまっている一台の車を見た。それは恐らく内海唯花の旦那の車だろう。彼は暫く黙ってから、結城理仁に返事をした。「あなたは唯花姉さんの旦那さんですか?姉さんはどこにいます?そんな大した用事じゃないんです。直接彼女に電話することにします」結城理仁はトイレの中から言った。「妻は今車の運転中だと思います。何か用があるなら私に言ってくれればいいですよ。彼女が戻って来たら伝えておきますから」金城琉生は結城理仁に正直に話せるわけがなかった。彼が今ここにやって来たのは、内海唯花にお願いして、スカイロイヤルホテルで行われるビジネスパーティーに一緒に参加してもらうためだったのだ。金城グループは星城のビジネス界において、一定の地位を得てはいるが、金城琉生は会社
「義姉さん、これは何ですか?」結城辰巳は魚介類の独特な匂いを嗅いだ。「魚介類よ。私の友達が海にバカンスに行って帰ってきた時にたくさん持って来てくれたの。ほとんど新鮮なものよ。私もあなたのお兄さんもそんなにたくさん食べられないから、あなた達におすそ分けしたくて」結城辰巳はおばあさんをちらりと見て、拒否しない様子だったので彼は「こんなにたくさんですか」と言った。彼の家では魚介類は普段よく食べているので他所からもらう必要はない。でも、義姉からもらったものだから、やはり大人しく受け取って家に持って帰ることにした。「おばあちゃん、家族のみなさんにもおすそ分けして食べてね」内海唯花はとても気が利いていて、それぞれの家庭用に袋を分けて入れていた。帰ってからその小分けされた袋をそのまま渡すだけでいい。中に入っている量はどれも同じだから。「わかったわ、みんなに分けるわね」おばあさんは結城辰巳が魚介類を車の上に乗せた後、自身も車に乗り、忘れずに内海唯花に言った。「唯花ちゃん、さっき理仁にメッセージ送ったの。後でここに来てあなたと一緒にご飯を食べるようにってね。その後また会社に戻って仕事しなさいって。今頃ここに来ている途中のはずよ。辰巳はあの子と同じ会社で働いてて、辰巳はもう来たでしょ。早く戻ってご飯を作って、見送りは不要よ」内海唯花「……おばあちゃん、そんなことならもっと早く言ってくれればいいのに。後で食べ残しを温めて食べようかと思ってたの、私一人分がちょうどあるから」おばあさんは言った。「今から作り始めれば間に合うわ。さあさあ、作りに行ってちょうだい。理仁はいつも遅くまで残業しているから、多めに料理を作ってたくさん食べさせてやってちょうだい」おばあさんの前だから、内海唯花も断りづらかった。おばあさんを見送った後、店には内海唯花一人になった。彼女は急いで携帯を取り出し、結城理仁にLINEを送って店に来ないように言おうと思った。彼のためにご飯を作るのが面倒だったのだ。しかし、彼女はLINEを開いてからすでに彼のLINEを消していたことを思い出した。いや、そうではなく、彼が先に彼女のを消したのだ。少し考えてから、内海唯花はブロックしていた結城理仁の電話番号を元に戻した。結城理仁は電話番号をこれまで誰からもブロックされたこと
九条悟は佐々木俊介が浮気をしていることを全く意外に思っていなかった。彼は言った。「君の奥さんのお姉さんは結婚してからかなり大きく変わっただろう。一方、佐々木俊介のほうは昇進して、彼の周りにいる女性たちは彼女よりもきれいだったんだろうな。時間が経っていくうちに、彼は自然と自分の妻に嫌悪感を抱くようになったんだ」結城理仁は冷ややかな目つきと声で言った。「彼女はどうしてあんなに変わってしまったんだ?それは、彼女が彼を愛しているからだろ。自分のスタイルがどうなろうが構わず、彼のために子供を産み育て、子供がいても旦那に安心して仕事をさせるために、一人で子供の世話と家庭のこともしっかりこなしていた。そのために自分の青春も美しさも捨てて家族のために尽くしたんだ」彼も義姉は結婚前と後での変化が大きく、少しはダイエットをしたほうがいいとはわかっていた。しかし、これは佐々木俊介が不倫をしていいという言い訳には決してならない。このような節操の無さは彼のDNAに刻まれていることで、以前はそれを表に出していなかっただけだ。今の彼は会社でも一定の地位に就き、仕事で成功を収め、おごり高ぶっている。それで自分の妻を見下し、嫌っているのだ。佐々木俊介がもし今の唯月を醜いと思っているなら、彼女にダイエットするように言えばいい話なのだ。佐々木唯月は彼に対して今でも情がある。彼が彼女にダイエットするように言えば、彼女は絶対に努力して痩せるはずだ。しかし、佐々木俊介は彼らの結婚生活におして、至る所で唯月を抑圧し、彼女が何をしてもダメ出しばかりで、家庭の出費までも半分ずつ負担するようにと言い出した。佐々木俊介は唯月が今仕事がなく、収入源がないということを知らないのか?「それもそうだな。良識のある男だったら、自分の奥さんが100キロ太ったとしても、心変わりなんかしないだろう」誠実な男というのは、ただ妻が醜くなったとか、太ったとかいう理由だけで浮気したりしない。つまり佐々木俊介は唯月に飽きてしまっただけなのだ。それに、彼がわざと佐々木唯月が豚のようにぶくぶく太るように差し向け、それを理由にして彼女に愛想を尽かし浮気したんだという言い訳にしようとしているのかもしれない。「佐々木俊介にばれないようにしろよ」九条悟ははっきりとこう言った。「安心しろよ、俺がやるっていう
「一緒に飲むか?」結城理仁が住む所にはどこであろうと美酒が用意されている。「遠慮しとくよ。酔うと困るしな。君は酔っ払っても奥さんが世話してくれるだろうけど、俺は独り身なもんだから、酒に酔いつぶれても誰も世話してくれないからさ」「そんな可哀そうな奴みたいに自分で言うな。見合いでもしてさっさと結婚決めて、奥さんに面倒見てもらえ」九条悟はへへへと笑って言った。「君を反面教師として、俺はゆっくりと縁が来るまで待つことにするよ」「俺のどこを反面教師にするって?俺の結婚生活はうまくいってる!」「ああ、ああ、そうだな、うまくいってるよ。ここ数日、君ときたら顔はずっとこわばりっぱなして、仕事の効率もめっちゃ上がってるしな。ただ部下はきつそうだぞ。ここ数日は、会社で自主的に残業する社員と深夜まで残業する奴がどんどん増えてるんだ」結城グループは強制的に従業員を残業させることはしない。ただ自分の仕事をきちんと終らせれば残業をしなくていいだけでなく、退勤時間前でも帰っていいのだった。しかし、自分の仕事は必ず終わらせなければならない。終わらなければ残業は必須だ。その日の仕事を次の日に持ち越してはいけない。結城理仁は今妻と冷戦状態であるから最悪な気分で、その鬱憤を仕事で晴らしている。彼は本来仕事のスピードが速い。それが今、全神経を集中させて仕事に専念しているのだから、仕事の効率は本来のものよりもかなり上がっていて、三日でやる仕事を彼はたった一日で完成させられる。ただ部下たちはそのせいで苦労しているわけだが。「アシスタントの木村さんはあまりの忙しさで水一杯飲む時間すらないんだぞ」結城理仁はサインペンを置いた。「彼らは君に辛いと言ってきたのか?」結城グループ内で、結城家の当主で社長である彼をみんなは敬い恐れている。みんな辛いと思った時には、九条悟に訴えるしかない。九条悟のほうは結城理仁と違って冷たい雰囲気はなく、かなり温和だから言いやすい。しかも結城理仁は九条悟に並々ならぬ信頼を寄せていて、彼をかなり頼りにしている。二人はまた親友でもある。だから、九条悟に訴えておけば、自然と結城理仁の耳に入るというわけだ。「別に訴えられてはないけど、俺が自分で見てそう思っただけだよ。理仁、俺の言うことをよく聞いて、今夜は何かプレゼントを買って帰っ
夕方の退勤時間近くになって、九条悟がたくさんの書類を持って社長オフィスのドアをノックし入ってきた。結城理仁は彼をちらりと見て、すぐ自分の仕事を続けた。彼が座ってから理仁は言った。「お前のアシスタントは何をしているんだ?」「アシスタントは妊娠中だからな。俺って優しいから、彼女に苦労させたくないんだよ。疲れさせちゃったら、旦那さんが怒って俺のとこに来るかもしれないだろ。だから、俺自ら来たってわけ」九条悟はその書類の山を親友の目の前に置いた。「これには全部目を通しておいたよ。問題ないから、君は書類にサインしてくれるだけでいい」九条悟は書類を置いた後、立ち上がりコップにお茶を入れ、また座ってそれを飲みながら目の前にいるその男を見た。結城理仁はかなりのイケメンだ。彼が毎日毎日厳しい顔つきで、冷たい雰囲気を醸し出していても、その整った容姿を隠すことはできなかった。今のように見た目を重視する時代において、彼に何度か会ったことのある若い女性なら、彼をそう簡単には忘れることができないはずだ。とある女性は例外だが。例えば彼らの社長夫人である内海唯花だ。九条悟は本当に内海唯花には感心していた。たった一か月ちょっとの短期間で、彼ら結城グループで最も奥手である男の心の殻を破り、もうすぐその心を完全に開いてしまおうとしているのだから。ただ問題は内海唯花が結城理仁に対して全く恋愛感情を持っていないということだ。彼女はどうしてこうも心を動かされないのだ?結城理仁は彼女に対してとても良くしてあげているじゃないか。彼を慕っている女たちは結城理仁をちょっと見ただけで何年も忘れられないのに。神崎姫華のように何年も諦めずに彼をひたすら追いかけようとしている人もいる。結城理仁は内海唯花のために前例を破るほど、彼女に良くしてあげているというのに、彼女は全くといっていいほど心を動かさない。これこそ九条悟が彼女に感心している点なのだった。「何を見ている」結城理仁は顔を上げてはいないが、親友が自分を見つめているのがわかっていた。「君はカッコイイなぁと思ってさ。理仁、本当にイケメンだよな。その厳しく冷たい性格のおかげだ。もし優しい奴だったら、みんな君のことを女の子だと勘違いしちまうぞ。もし君が女なら、君より綺麗な女性は絶対いないだろうから、他の女性は恥ずか
佐々木俊介はそう言うと、仕事を一旦放っておいて、成瀬莉奈を連れて会社を出た。彼は部長で、成瀬莉奈は彼の秘書だ。普段、佐々木俊介が商談をしに行くときには、成瀬莉奈をよく連れて行くから、二人が一緒に会社を出ていくのを見ても、誰も何も言わなかった。ただ清掃員のおばさんは会社のゲートで佐々木俊介が車で成瀬莉奈を連れて出て行ったのを見て、年配の警備員に言った。「佐々木部長は毎日成瀬秘書と一緒にいて、唯月ちゃんはこの二人が浮気していると心配じゃないのかしらね」佐々木唯月がこの会社に勤めていたから、昔からここで仕事をしていた従業員たちはみんな彼女のことをまだ覚えているのだ。警備員は清掃員のおばさんを一瞥して「いまさら?」という顔をした。彼は周囲を見回し、誰もいないことを確認すると、声を潜めておばさんに言った。「毎日会社の隅から隅まで掃除しているってのに、何も知らないのか?佐々木部長は成瀬秘書ととっくにできているんだぞ」清掃員のおばさんは意外そうに声を上げ、興味深々に尋ねた。「あなたはどうやって知ったんだい?」「目のある人ならわかるだろうよ。仕事が終わった後、成瀬秘書はいつもブランド品を身につけ、綺麗に着飾ってるんだぞ。彼女が持っているバッグは5、60万円もかかるルイヴィトンのものだ。成瀬秘書の収入で、あんな生活はきっとできない。彼女は一般家庭の出だろう。ブランドの服、バッグ、それとネックレス、それは絶対佐々木部長が買ってあげたもんに決まってるさ。仕事が終わったあと、あの二人が仲良さそうに夜食を食べているのを見た人もいるんだぞ。あの二人の間に何もないなんて、誰が信じる?」おばさんは言った。「唯月ちゃんはまだ知らないでしょうね。彼女は佐々木部長と結婚した時、会社の全員をパーティーに招待したでしょ。あの時の唯月ちゃんがどれほど幸せそうに見えたか、いまだに覚えているよ。花嫁の唯月ちゃんは本当に誰の目も奪うほどきれいだったわ。あれからまだそんなに経ってないのに、佐々木部長はもう浮気してるなんて。男はね、やっぱりお金があると豹変するもんね」彼女は佐々木唯月がかわいそうだと思っていた。「唯月さんはこの二年間あまり会社へ佐々木部長に会いに来なくなったな。きっと主人が浮気しているのをまだ知らないんだろう。成瀬秘書もそんなに大人しい性格じゃないから、待