弥生が宮崎グループビルに到着したとき、すでに退勤時間を過ぎており、ほとんどの社員はすでに帰宅していた。オフィスに残っている人はわずかだったが、警備員たちはまだ持ち場を離れておらず、交代で警備に当たっていた。弥生はそのまま中に入り、受付を探した。ちょうど以前に彼女を応対したことのある受付スタッフがまだ残っていた。彼女の姿を見て、受付の女性は少し驚いた表情を浮かべた。しかし、弥生の方から先に口を開いた。「すみません、高山さんをお探ししたいのですが」受付は一瞬きょとんとした顔をし、それからこう答えた。「申し訳ありません、高山さんはすでに退勤されました」「退勤?じゃあ、宮崎社長は?もう帰ったの?」受付は記憶をたどるようにしばらく考えた後、答えた。「社長は、今日は午後から会社にいらしていません。高山さんも10分ほど前にお帰りになりました」瑛介は午後、会社に来ていない?じゃあ彼は一体どこに行っていたの?弥生はどうしても彼の居場所を知りたくなり、携帯を取り出し、健司に電話をかけた。健司は弥生からの突然の電話に少し驚いた様子だった。「はい、霧島さん、どうかされましたか?」その声は、まるで弥生がこんな時間に自分に電話してくるとは夢にも思っていなかったような調子で、子供たちを連れ去った者の口調には全く聞こえなかった。......もしかして、彼はこの件に関与していないの?一瞬、弥生の心にも迷いが生じた。そこで彼女は単刀直入に言った。「瑛介を探しているの」「あっ、社長ですか?でも、今は僕のところにはいませんよ。何かご用ですか?ご本人に直接お電話されては?」弥生は怒りを押さえ、冷静に言った。「何度かけてもつながらないの」「えっ?つながらない?そんなはずは......」「私にもわからない。彼が今どこにいるか、知らないの?」「ええっと......午後からは会社にいらしてなかったので、正直申し上げますと、私も社長の予定は分かりかねます」実は、健司はこのとき非常に後ろめたい気持ちだった。なぜなら、昼頃、瑛介が学校に行き、あの二人の実の子供たちに「ご機嫌取り」をしていたのを知っていたからだ。でも、それを言えるわけがないし、言う度胸もなかった。だからこそ、「分かりません」と言うしかなかった。
弥生は怒りを押さえながら、門の前でじっと待つしかなかった。およそ二十分後、健司が急ぎ足でやってきて、顔認証でセキュリティを解除してくれたおかげで、ようやく中に入ることができた。「霧島さん、よろしければご一緒しましょうか?」せっかく来たのだから、弥生を案内した方が早いと思った健司は、そう提案した。その言葉に、弥生は軽くうなずいた。「ええ、お願い」健司の様子からすると、どうやら彼は瑛介が子供たちを連れ去ったことをまだ知らないらしい。むしろ彼女を手伝ってくれている。だから、弥生も自然と丁寧に対応した。健司の案内で、瑛介の自宅に到着した。「霧島さん、こちらです」目の前に立派な邸宅が広がる。弥生がインターホンを押そうとしたとき、健司がふと思い出したように言った。「霧島さん、玄関の暗証番号をお伝えしますので、そのままお入りください」その言葉に、弥生は一瞬動きを止め、少し考えてからうなずいた。「うん」健司は暗証番号を伝えると、そのままその場を離れていった。弥生は教えられた番号を入力し、無事に玄関を通過した。屋敷の中はとても静かで、中に入ると屋外式の噴水があった。左右のライトが水面を照らし、周囲はまるで昼間のように明るかった。中へ入ると、さらにもう一つの入口があり、そこでも暗証番号が必要だった。弥生はその番号を入力しながら、心に複雑な思いを抱えた。なんでこのドアの暗証番号は、私の誕生日なの?番号を入力し終えると、自動でドアが開いた。中に入るとすぐに、機械の音が響いた。「お帰りなさいませ、ご主人様。室内換気システム、空気循環を開始します」室内はとても静かだった。弥生はそのまま進もうとしたが、足元にある完璧に掃除されたカーペットを見て、靴のまま入るのをためらい、横の棚からスリッパを取り出して履き替えてから歩き出した。屋内は静寂に包まれていて、人の気配はまったく感じられなかった。弥生は周囲を見渡しながら眉をひそめた。本当にここに瑛介が住んでいるのかしら?どうして使用人の姿が一人もいないの?彼女はスマホを取り出し、もう一度瑛介に電話をかけたが、相変わらず繋がらなかった。一階をひと通り探しても誰もいなかったので、弥生は二階に上がった。すると、ある寝室のバスルームから水の音が聞こえてきた。その寝
この言葉に、弥生は不快そうに眉をひそめた。「とぼけないで。二人は君のところにいるんじゃないの?」彼女が子供を返してほしいと言いに来たことで、瑛介はある仮説を思い浮かべた。時間を考えれば、彼女はもう子供たちを迎えに行って、自宅に連れて帰っているはず。にもかかわらず、こうして自分の元へ来たということは......ある可能性に思い至った瑛介は、突然弥生の肩を掴み、目を細めながら言った。「......子供たちがいなくなったのか?」弥生の動きが一瞬止まった。「瑛介、どういう意味?子供たちがいなくなった理由、君が一番分かってるはずでしょ?」それを聞いた瑛介は眉をひそめた。「じゃあ、子供たちは本当にいなくなったんだな?」彼は弥生の問いには答えず、他の話題にもすり替えず、ただ繰り返し子供たちが本当にいなくなったのかを確認するばかりだった。まさか......「子供たち、君が連れて行ったんじゃないの?」その言葉が出た瞬間、瑛介は弥生をすり抜け、外に向かって歩き出した。弥生も慌てて後を追った。「瑛介!」「待て」瑛介はスマホを取り出して静かに言った。しかし手に取ってみると、バッテリーが切れていて、電源が落ちているのに気づいた。今から充電して起動するのでは時間がかかりすぎる。そこで彼は弥生に手を差し出した。「スマホ、貸してくれ」「なにするつもり?」「健司に電話する」弥生は少し迷ったが、結局スマホを手渡した。瑛介はすぐに健司へ電話をかけ、相手が出るや否や、子供たちがいなくなったことを伝えた。「今すぐ学校の監視カメラの映像を確認して、子供たちを連れて行ったのが誰か調べろ。それと、周辺もくまなく調査しろ」横でその言葉を聞いていた弥生は、次第に眉を深くひそめていった。電話を切った後、彼女は問い詰めるように聞いた。「ひなのと陽平......本当に君のところにいないの?」まだ完全には信じられなかった。この世で何の前触れもなく子供たちを連れて行くような人間なんて、彼以外に思いつかない。瑛介はスマホを彼女に返しながら言った。「二人がここにいた痕跡なんてあるか?」「ここにはないけど......子供たちをわざとどこかに隠してる可能性だってあるでしょ?」その言葉に、瑛介は一瞬動きを止めた。少
「よく考えてみろ、僕以外に、子供を連れて行ける人が本当にいないか?ひなのと陽平は普通の子供じゃない。二人とも頭がいいから。見知らぬ人間について行くなんて、絶対にしない」そう言われ、弥生は沈黙した。そうだった。ひなのと陽平は確かに普通の子供じゃない。いつも聡明で、特に陽平は警戒心も強くて、見ず知らずの人間の車に乗るはずがなかった。ということは、彼らを連れて行ったのは、顔見知りに違いない。でも、そんなに簡単にお父さんと呼ばれ、抵抗もせず車に乗るような相手。しかも、子供を連れて行く動機まである人物なんて......しばらく考えたあと、弥生は目を上げて言った。「動機があるのは君だけ。他には思い浮かばない」その一言に、彼は思わず呆れたように苦笑しかけた。「弥生......もし僕に本当にその気があったなら、いちいちこんな話なんかしない。『子供は僕のところにいる』ってハッキリ言うぞ」弥生は唇を引き結び、頑なな表情で答えた。「でも、君だけしか考えられない」「本当にそう思うのか?」「......どういう意味?まさか、もう誰だかわかったの?」彼女がそう問うと、瑛介は「フッ」と鼻で笑い、白いシャツに腕を通しながら言った。「すぐに分かるさ」その様子に、弥生はどこか彼が言葉を濁しているような気がして、さらに追及しようとした。だがその瞬間、瑛介は腰に巻いていたバスタオルを突然外した。先ほどまでは何も気にしていなかった弥生だったが、そこでようやく現実に気づいた。目を大きく見開き、信じられないものを見ているかように彼を凝視した。長い沈黙の後、「もう、十分見たか?」と、瑛介はうっすら笑みを浮かべて言った。その言葉に、弥生はようやく我に返った。「......頭おかしいの?」「君がずっとそこに立ってるから、着替えるの見たいのかと思って」そう言いつつ、瑛介は何事もなかったようにズボンを履き、ベルトを締めてバックルを留めた。五年前に彼の体を見たことがあるとはいえ......弥生の耳がほんのり赤くなった。しかし、瑛介のこの厚かましい態度に、言い返さずにはいられなかった。「笑わせないで。私、海外で五年も過ごしてきたのよ?良い体をした男だって見慣れてる。君の体なんて、見る価値もないわ」その言葉に、瑛介の手が
結局、弥生は車に乗り込んだ。すぐに車は出発した。大通りに入る前に、瑛介が彼女に言った。「弘次の住所を教えてくれ」五年以上も経って、また瑛介の口から弘次の名前が出てきたが、その声には明らかに怒りが込められていた。「......弘次?」その名前を聞いた弥生も、驚きを隠せなかった。けれどすぐに別のことを思い出し、少しの沈黙ののち、弘次の住所を彼に伝えた。ほんの十秒ほどのやりとりだった。あまりにすんなりと教えられたことに、瑛介は少し意外そうだった。まるで彼女が反発してくるかと思っていた様子だった。行き先が決まると、車は大通りに入り、さらに速度を上げた。弘次のもとへ向かう車内は、張りつめた静寂に包まれていた。弥生は思考に沈んでいた。来る前までは、まさか弘次が子供たちを連れ去ったなど、夢にも思っていなかった。彼女はただ、瑛介が子供を奪おうとしているとしか考えておらず、自分に拒否されたからこっそり連れ去ったのだと決めつけていた。けれど、今のやり取り、そして先生の言葉を冷静に思い返すと、ようやく見えてきたものがあった。先生は以前から弘次のことを子供たちの父親と勘違いしていた。だから今回も同じように勘違いしていたのだろう。そして、彼女自身がその言葉を聞いて、お父さんと言えば瑛介だと思い込み、疑うことなく怒りをぶつけていた。それって、ある意味では瑛介の子供だと無意識に認めていたということじゃないか?弥生は額を押さえた。自分の愚かさに呆れ、泣きたくなるような無力感に襲われた。ふだんは冷静に判断できるのに、子供が絡むと自分はすぐに感情的になってしまう。もし瑛介に指摘されなければ、弘次の可能性など考えもしなかっただろう。そのとき、瑛介のスマホが鳴った。弥生がそちらに目をやると、さっき使っていたのとは違う機種だった。色も違い、予備のスマホのようだった。瑛介は車内のBluetoothに接続し、電話を受けた。「調べがついたか?」「社長、ご指示どおりすぐに監視映像を取り寄せました。そして、今、編集したものをお送りしました」その言葉に、瑛介は唇を軽く引き上げた。「よくやった。連れ出したのは誰だ?」「それは......ご自分でご確認ください」電話を切ったあと、瑛介は弥生に言った。「自分
車内は静まり返っていた。弥生はシートにもたれかかり、無言のままだった。前方の信号に差し掛かったところで、車が停止した。瑛介はハンドルを握ったまま、何を考えているのか、しばらく黙っていたが、やがて口を開いた。「君の目にはさ......悪いことは全部、僕がやったって風に見えるのか?子供たちがいなくなった時、真っ先に僕が連れていったって思っただろ」「まあ、そう思うでしょう?」と弥生は反論した。「毎日学校に顔を出して、子供たちに取り入ろうとしていたじゃない?いつか連れて行こうって思ってたからでしょ?」「僕がやってたのは......償いたかっただけで......」「その話、もうしたくない。信号変わるわよ、運転に集中して」瑛介が子供を連れていっていないとわかって、弥生は最初は混乱していた。一体誰が子供を連れていったのか分からなかったからだ。そして、それが弘次だとわかったとき、確かに胸のつっかえは少し和らいだ。だが、それでも疑問は消えなかった。なぜ弘次は何も言わず、子供たちを連れて行ったのか?彼女は思い出した。少し前、自分が弘次をきっぱりと拒絶した時の言い方は、かなり冷たかった。今、弥生は少し怖くなった。怒った彼が、何か衝動的な行動に出るのではないか......だが、彼の性格を思えば、それも考えにくい。弘次はそういう人間ではない。でも、今のこの状況で確かなことは何一つない。弥生は、自分の目で子供たちを確認しなければ、安心できなかった。瑛介もまた、それ以上言葉を重ねることはなかった。彼の意識も、今は子供たちに向けられていた。弘次の家は、瑛介の家からそれほど遠くなかった。車で約20分ほどの距離だった。到着すると同時に、弥生は素早くドアを開けて降りた。彼女はそのまま中へ入ろうとしたが、足を止め、瑛介の前に立ちふさがった。「ここで帰って。もういいから」その言葉に、瑛介は眉をひそめた。「なんて?」「私一人で行くから。ついてこないで」彼と弘次は昔は兄弟のような関係だったが、今はそうではない。弥生は心配だった。もし二人が顔を合わせて、何か揉め事が起きたら......自分はともかく、ひなのと陽平にそんな場面を見せるわけにはいかない。「......フッ」瑛介は短く笑った。その笑いは冷たく、夜風に混ざ
瑛介はエレベーターのボタンを押した。ちょうど誰もいなかったので、彼は弥生をそのまま中に連れて入った。「気持ちが全部顔に出てるよ。バレてしまうぞ」そう言われて、弥生は唇を引き結び、黙り込んだが、つい反射的に自分の顔を触った。気持ちが顔に出てる?自分ってそんな人なの?すでにエレベーターに入ってしまったので、弥生は手を引き戻そうとした。だが、瑛介は彼女の手をしっかりと握ったままだった。「瑛介、手を離して」瑛介は唇を少し持ち上げた。「離したら、ひなのと陽平が『一緒に迎えに来た』って分からないだろ?」「いいえ、離してくれる?」彼は彼女を見ず、聞こえないふりをした。弥生はさらに力を込めて手を引こうとしたが、彼はどうしても手を離そうとしなかった。怒った弥生は、とうとうその手に噛みついた。瑛介は最初、どんなに暴れられても絶対に手を離すつもりはなかった。せっかく自分の力で手を繋げたのだから、簡単に放すわけにはいかない。彼女の力なんて、自分には到底及ばないのだから。だが、彼女がまさか噛みついてくるとは思ってもいなかった。しかも、それはじゃれ合いではなく、本気で肉に食い込むような噛み方だった。鋭い痛みが手首に走り、瑛介は思わず低くうめいた。その瞬間、力が少し緩んだ。その隙を突いて、弥生は素早く手を引き抜き、数歩後ろに下がって彼と距離を取った。弥生が距離を取った瞬間、瑛介は眉をひそめて彼女を見つめた。見ると、弥生の唇には鮮やかな赤に染まっていた。しばらくそのまま固まった後、彼は自分の腕を見下ろした。やはり、噛まれた部分の皮膚が破れていた。彼女の唇に残った赤......それは、間違いなく自分の血だった。その赤が、もともと紅かった彼女の唇をさらに艶やかに見せていた。その光景を目にした瑛介の黒い瞳は自然と暗くなり、喉仏がわずかに上下に動いた。弥生は一歩下がってから、彼の視線に気づいた。てっきり、傷つけたことで彼が怒っているのかと思った。だが、彼の目はどこか様子がおかしかった。飢えた狼のように、今にも飛びかかって獲物を喰らわんとするような......瑛介の瞳の色が、さらに暗くなったのを見て、弥生の首筋がひやりとした。その時、「ピン」というエレベーターの到着音が、二人の張り詰めた空気を破った。弥生は我
次の瞬間、友作の顔から笑みがすっと消えた。弥生の心は、ひなのと陽平のことでいっぱいで、友作の表情の変化にはまったく気づかなかった。ただ室内の様子を気にしながら、声をかけた。「友作、弘次は中にいるの?」「はい......」彼が話し終える前に、弥生は焦った様子で中へと歩き出してしまった。その様子を見た瑛介も、険しい顔で彼女の後に続こうとした。だが友作は、思わず反射的に手を伸ばして彼の前に立ちはだかった。瑛介は冷ややかに目を上げ、その視線で友作を鋭く一瞥した。その強烈な視線に、友作は思わず身をすくめ、最終的には無言で手を引っ込めるしかなかった。瑛介は彼を見て鼻で笑い、大股で中へ入った。弥生が中に入ると、遠くからひなのの笑い声が聞こえてきた。大人の男性の優しい声と混ざって、和やかな雰囲気が伝わってきた。その声を頼りに奥へ進んでいくと、バルコニーのあたりで弘次と陽平、そしてひなのの三人が楽しそうに過ごしているのが見えた。バルコニーのテーブルにはいくつかのお菓子やおもちゃが置かれていて、ひなのは口をいっぱいにして夢中で食べていた。陽平は少し緊張した表情で、端の方に座っていた。弥生の姿を見つけた陽平は、そっとひなのの袖を引っ張って小声で言った。「ひなの、ママが来たよ」ひなのの口の動きを一瞬止め、弥生の方を見ると、すぐにぱあっと笑顔になり、勢いよく駆け寄ってきた。弥生は静かにしゃがんで、その小さな体を抱きしめた。遅れて陽平も彼女の腕の中に入ってきた。その様子を見届けてから、弘次も穏やかな笑みを浮かべて立ち上がった。彼の声はいつものように柔らかった。「弥生、来てくれてありがとう」少し距離を挟んで二人の視線が交差した。弥生は軽くうなずき、それ以上言葉を発さず、ひなのの口元についたお菓子のくずを拭ってやった。「こんなに食べて......ブタになっちゃうよ」「ひなのはブタじゃないもん!ブタさんはかわいくない!」そんな母娘のやりとりの傍ら、弘次もこちらに歩み寄ってきた。「ごめん。今日学校の前を通りかかったとき、ふとひなのと陽平に会いたくなって......つい連れてきてしまった。君に伝えるのを忘れてしまって、本当にすまない」弥生はぎこちなく笑みを作りかけ、何かを言おうとしたそのとき、背後から、冷えた
遠くからでも、弥生の目には、別荘の門前に佇む幾人かの見覚えある姿が映った。聡、綾人、そして奈々......あの細いシルエットを目にした瞬間、弥生の脳裏には、あの日オークション会場で彼女を見かけた光景が鮮やかに蘇った。あの後はずっと、瑛介のそばに現れたことはなかった。なのに、今ついに彼女が現れたのだ。子供たちはまだ瑛介の家の中にいる。そんな状況で、奈々が訪れるとは......そう思った瞬間、弥生の顔色が変わった。考えるよりも、足を速めてその場へと向かった。ところが、彼女がちょうど近づいたとき、目に飛び込んできたのは、聡が無理やり家の中に入ろうとして、瑛介に襟首をつかまれ、そのまま外に投げ出された光景だった。聡は、そのまま弥生の足元近くに倒れ込んだ。そしてようやく我に返った奈々と綾人は、聡を助け起こそうとしたが、ちょうどそのとき、街灯の下、伸びた影の先に立つ一人の女性に気づいた。その場にいた全員の視線が、弥生の姿に集まっていった。弥生に気づいた奈々は、一瞬言葉を失ったように目を見開いた。五年間、瑛介はずっと自分を受け入れようとしなかった。それでも、彼の周りには他に誰もいなかったから、自分は特別な存在であり続けられた。長い時間が経ち、奈々の心にはこんな思いも芽生えていた。「もしかしたら、弥生はもう約束を破って帰国することはないのかもしれない」もし、あのとき彼女が帰ってきたら、自分は太刀打ちできなかったかもしれない。でも、何年経っても彼女のことは何もわからないままだった。きっと、もう戻らないだろう。きっと、五年の間に別の男と結婚したに違いない。そう、ずっと自分に言い聞かせてきたのに......今、この場に現れた彼女を目にした瞬間、奈々は悟ってしまった。自分の未来が、根本から覆されるかもしれない。五年が経っても、弥生はより洗練された魅力をまとっていた。母となった穏やかな気配が加わり、彼女の佇まいには大人の女性ならではの魅力が溢れていた。こんな弥生に、男が心を動かされないはずがない。そして、何よりも、彼女がここにきたのは......あの女の子が本当に彼女の子供だということか?もしそうだとしたら......どうして彼女の子供が、瑛介の家にいるの?無数の疑
それに、さっきおじさんって呼んでたよね?瑛介には彼女の知らない身分があったのだろうか?そう思った瞬間、奈々の表情はすでに限界に達しそうだった。彼女は冷たい表情の瑛介の顔を見つめ、ようやくの思いで声を絞り出した。「瑛介......その子は誰なの?」綾人も眉を少し上げながら、静かに瑛介を見つめて、答えを待っていた。そのとき、鈍感な聡が口を開いた。奈々の言葉を聞いた彼は、驚愕した様子で階段口に立っている少女を指差した。「瑛介、この子......お前にすごく似てるけど、まさかお前の子供じゃないよな?」その一言で、奈々の顔色はさらに悪くなった。垂れ下がっていた手はぎゅっと握りしめられ、細い爪が掌に食い込むほどだった。「まさかそんな......」彼女は引きつった笑顔を浮かべながら、無理やり言葉を続けた。「昔も似たような子が何人も瑛介の前に連れてこられたことあったじゃない。でもあれって、結局みんな調べたら整形だったりして、瑛介に近づこうとした狂った親たちの仕業だったでしょ?この子も、もしかしたら......また同じような......」そう口では言いながらも、奈々の内心はすでに不安に支配されていた。目の前の少女は、どう見ても自然な顔立ちで、無邪気で、そして生き生きとしていた。もし本当に整形だったら、ここまで自然な可愛さは出せない。しかも彼女にはもう一つ、恐ろしい予感があった。この子の眉目、瑛介に似ているだけでなく、あの女にも似ている......奈々は、その女を思い出すことすら嫌だった。もしあの女じゃなかったら、自分はもうとっくに瑛介と婚約していたはずなのに。階段口に立っていたひなのは、玄関に知らない大人がたくさんいるのを見て、少し首を傾げた。瑛介以外に、男の人が二人と女の人が一人がいる。全員が自分の顔をじっと見つめていた。けれど、彼女は全く動じなかった。もともと可愛らしい容姿だったこともあり、小さい頃から人に注目されることが多かった彼女は、見られることに慣れていた。むしろ堂々と立ち、じっと見られても平然としていた。その様子を見ながら、瑛介は眉を深くひそめた。弥生や子供たちがまだ完全に自分を受け入れていないこの段階で、こんな騒ぎは起こしたくなかった。これ以上多くの人間に
言い終えると、聡は奈々のために、さらに一言加えた。「お前は知らないかもしれないけど、奈々が最近どれだけお前のことを想ってるか......分かってるのか? いくら仕事が忙しいとはいえ、奈々からの電話くらい出てやってもいいんじゃないか?」その言葉を聞いた綾人は、静かに聡を一瞥した。彼は数少ない、瑛介に対してはっきりと物を言える人間だった。幼い頃から三人の関係が深かったことと、それぞれの家同士も付き合いがあったからだ。だからこそ、瑛介はこの幼馴染に対して、一般の人々よりもずっと寛容でいられた。常識のある者ならあまり口を挟まないが、聡のように空気が読めず、つい喋りすぎてしまうタイプは、昔からいた。子どもの頃から、思ったことをそのまま口に出す性格で、瑛介が何度注意しても直らなかった。そして今、瑛介は彼の発言をまるで聞こえていなかったかのように、淡々と口を開いた。「わざわざ来なくていい。用がないなら、早く帰れ」そう言いながら、瑛介は扉を閉めようとした。「瑛介......」「おいおいっ」聡はすぐに手を伸ばし、ドアに押さえて瑛介の動きを止めた。「せっかく来たのに家にも入れてくれないのは、ちょっとひどくないか?俺たち南市から飛行機で来たんだぞ。着いたその足でお前に会いに来たんだ」瑛介のこめかみに青筋が浮かんだ。「今は時間がない。別の日にしてくれ」子供たちがまだ中にいて、しかも弥生ももうすぐやってくる。この三人を家に入れたら、事態は複雑になるばかりだ。だから瑛介は一切の遠慮なく、彼らに退去を命じた。聡はあからさまに不満そうだった。「瑛介、どうしちゃったんだよ?俺たちのこと、もう友達だと思ってないのか?ちょっと家に入って話すくらい、いいじゃん!」瑛介の強い態度に、奈々の目にはうっすらと涙が滲み、下唇を噛みながら今にも泣き出しそうだった。「瑛介......ただあなたに会いに来ただけなのに......」そんな中、瑛介の鋭い視線が綾人に向けられた。綾人は鼻を掻きながら、仕方なく仲裁に入ろうとした。「じゃあ、こうしよう。瑛介、たぶん仕事で忙しいんだと思うし......今日は帰って」その言葉が言い終わらないうちに、家の中から柔らかくて幼い声が響いた。「おじさん、お客さん来たの?」瑛介
励まされたひなのは、「やったー!」と元気いっぱいに叫びながら、再び飛行機のモデルを開封しに駆け出していった。彼女がその場を離れたあと、瑛介の視線は、ずっと傍らに立ち、ほとんど口を開かず、どこか感情を抑え込んだ様子の陽平に向けられた。「陽平くんはどう?」「な、なに?」名前を呼ばれた陽平は、急に緊張したような表情になった。「ひなのちゃんの夢はパイロットになることだって言ってたけど、陽平くんには夢があるのか?」これはおそらく、瑛介が初めて子ども相手にこんなふうに辛抱強く会話し、夢について尋ねた瞬間だった。以前の彼なら、子どもの話なんて一秒も聞こうとしなかっただろう。でも、今は違った。失われた五年間を少しでも取り戻したくて、二人の子どもたちのことをもっと知りたくて、彼は心からそう思っていた。陽平は視線を逸らし、瑛介の方を向かずに、ぽつりとつぶやいた。「まだ、ない......」その言葉を聞いて、瑛介の視線はふと彼の小さな手に落ちた。指先が服の裾をぎゅっと掴んでいて、その仕草に深い意味を感じ取った。「本当?それとも、おじさんには言う必要ないって思ってるのか?陽平くん、また警戒してるみたいだな」「いいえ」陽平は否定したが、うつむいたままの頭と仕草が、心を閉ざしていることを物語っていた。観察力の鋭い彼のことだから、弥生がどれだけ明るくふるまっても、何かを感じ取っているのだろう。瑛介は陽平が自分を拒絶していると悟った。どうすれば、父親として子どもの心に近づけるのだろうか?どうすれば、陽平の心の扉を開いてもらえるのだろうか?そう考えていたその時、下の階からチャイムの音が聞こえてきた。瑛介はふと動きを止め、それから陽平に向かって言った。「たぶん、ママが来たよ。ちょっと玄関行ってくるね」立ち上がろうとしたその瞬間、瑛介はふと何かを思い出したように続けた。「そうだ、これからは『おじさん』じゃなくていいよ。『瑛介おじさん』って呼んでくれる?」そう言ってから、彼は階段を降りていった。チャイムは鳴り止まず、何度も何度も響いていた。瑛介は少し眉をひそめた。昨日、弥生は普通に入ってきた。つまり暗証番号を知っているはずだ。それなのに今日はなぜ、何度もチャイムを押しているのか?もしか
瑛介は子供たちを家に連れて帰ったあと、わざわざシェフを呼んで美味しい料理を作ってもらい、さらにおもちゃも用意させていた。まだ二人の好みがはっきり分からなかったのと、自分でおもちゃを買ったことが一度もなかったこともあって、とにかく手当たり次第にいろいろな種類を揃えたのだった。二人の子供たちはそんな光景を見たことがなく、部屋に入った瞬間、完全に呆気に取られていた。そして二人は同時に瑛介の方へ顔を向けた。ひなのが小さな声で尋ねた。「おじさん、これ全部、ひなのとお兄ちゃんのためのなの?」「うん」瑛介はうなずいた。「君たちのパパになりたいなら、それなりに頑張らなきゃな。これはほんの始まりだよ。さ、気に入ったものがあるか見ておいで」そう言いながら、大きな手で二人の背中を優しく押し、部屋の中へと送り出した。部屋に入った二人は顔を見合わせ、ひなのが小声で陽平に尋ねた。「お兄ちゃん、これ見てもいいのかな?」陽平は、ひなのがもう気持ちを抑えきれていないことを分かっていた。いや、実は自分もこのおもちゃの山を見て心が躍っていた。しばらく考えてから、彼はこう言った。「見るだけにしよう。なるべく触らないように」「触らないの?」ひなのは少し混乱した表情を見せた。「でも、おじさんが買ってくれたんでしょ?」「確かにそうだけど、おじさんはまだ僕たちのパパじゃないし......」「でも......」目の前にある素敵なおもちゃの数々を、ただ眺めるだけなんて、あまりにもつらすぎる。ひなのはぷくっと口を尖らせ、ついに陽平の言葉を無視して、おもちゃの一つに手を伸ばしてしまった。陽平が止めようとしたときにはもう遅く、ひなのの手には飛行機の模型が握られていた。「お兄ちゃん、見て!」陽平は小さく鼻をしかめて何か言おうとしたが、そこへ瑛介が近づいてきたため、言葉を呑み込んだ。「それ、気に入ったの?」瑛介はひなのの前にしゃがみ、彼女の手にある飛行機模型を見つめた。まさかの選択だった。女の子用のおもちゃとして、ぬいぐるみや人形もたくさん用意させたのに、彼の娘が最初に手に取ったのは、まさかの飛行機模型だった。案の定、瑛介の質問に対して、ひなのは力強くうなずいた。「うん!ひなのの夢は、パイロットになることなの!」
とにかく、もし彼が子供を奪おうとするなら、弥生は絶対にそれを許さないつもりだった。退勤間際、弥生のスマホに一通のメッセージが届いた。送信者は、ラインに登録されている「寂しい夜」だった。「今日は会社に特に大事な用事もなかったから、早退して学校に行ってきたよ。子供たちはもう家に連れて帰ってる。仕事終わったら、直接うちに来ていいよ」このメッセージを見た瞬間、弥生は思わず立ち上がった。その表情には、明らかな驚きと怒りが浮かんでいた。だがすぐに我に返り、すぐさま返信した。「そんなこと、もうしないで」「なんで?」「君が私の子供を自宅に連れて行くことに同意した覚えはない」相手からの返信はしばらくなかったが、しばらくしてようやくメッセージが届いた。「弥生、ひなのちゃんと陽平くんは、僕の子供でもある」「そう言われなくても分かってる。でも、私が育てたのよ。誰の子かなんて、私が一番よく分かってる」「じゃあ、一度親子鑑定でもしてみるか?」「とにかく、お願いだから子供たちを勝手に連れ出さないで」このメッセージを送ってから、相手は長い間返信を寄こさなかった。弥生は眉をわずかにひそめた。もしかして、彼女の言葉に納得して子供たちを連れて行くのをやめたのだろうか?だが、どう考えてもおかしい。瑛介は、そんなに簡単に引き下がる男ではない。不安が募る中、まだ退勤時間まで15分残っていたが、弥生はもう我慢できず、そのまま荷物をまとめて早退することに決めた。荷物をまとめながら、弥生は心の中で瑛介を罵っていた。この男のせいで、最近はずっと早退ばかりしている。まだ荷物をまとめ終わらないうちに、スマホが再び震えた。ついに、瑛介から返信が届いた。「子供は車に乗ってる。今、家に帰る途中」このクソ野郎!弥生は怒りに震えながら、電話をかけて文句を言おうとしたその瞬間、相手からまた一通のメッセージが届いた。「電話するなら、感情を抑えて。子供たちが一緒にいるから」このメッセージを見た弥生は言葉を失った。腹立たしい!でも子供たちのことを考えると、彼女は何もできない自分にさらに苛立った。彼のこの一言のせいで、「電話してやる!」という気持ちは完全にしぼんだ。電話しても意味がない。どうせ彼は電話一本で子供たち
しばらくして、弥生はようやく声を取り戻した。「......行かなかったの?」博紀は真剣な面持ちでうなずいた。「うん、行きませんでした」その言葉を聞いた弥生は、視線を落とし、黙り込んだ。彼は奈々に恩がある。もし本当に婚約式に行かなかったのだとしたら、それはまるで自分から火の中に飛び込むようなものではないか?でも、行かなかったからといって、何かが変わるわけでもない。「当時は、多くのメディアが現場に詰めかけていました。盛大な婚約式になるだろうと、皆がそう思っていたからです。でも、当の主役のうち一人が、とうとう姿を現さなかったんですよ。その日、江口さんは相当みっともない状態だったと聞いています。婚約式の主役が彼女一人だけになってしまい、面子を潰されたのは彼女個人だけでなく、江口家全体にも及んだそうです。ところが、その現場の写真はほとんどメディアに出回ることはありませんでした。撮影されたものは、すべて削除されたらしくて......裏で何らかのプレッシャーがかかったのかもしれませんね」そこまで聞いて、弥生は少し疑問が浮かんだ。「もしかして......そもそも婚約式なんて最初からなかったんじゃないの?」彼女の中では、瑛介が本当に行かなかったなんて、どうしても信じがたかった。あのとき彼が自分と偽装結婚して、子供まで要らないと言ったのは、心の中に奈々がいたからではなかったのか?それなのに、奈々のほうから無理やり婚約に持ち込もうとして、結局うまくいかなかったって......「最初は、みんなもそうやって疑ってたんですよ。でも、あの日実際に会場にいたメディア関係者の話によると、現場は確かにしっかりと装飾されていて、かなり豪華な式場だったそうです。ただ、どこのメディアも写真を出せなかった。すべて封印されて、もし誰かが漏らしたらクビになるっていう噂まで立っていたんです。でもその後、思いがけないことが起きましてね......たまたま近くを通りかかった一般人が、事情を知らずに会場の様子を何枚か写真に撮ってネットに投稿しちゃったんです。それが一時期、すごい勢いで拡散されたんですけど......すぐに削除されてしまいました」「写真に何が写ってたの?」博紀は噂話を楽しむように笑った。「僕も、その写真を見たんです。ちょうど江口さんが花束を抱え
博紀はにやにやしながら言った。「あれ、社長はまったく気にしていない様でしたけど、ちゃんと聞いていらしたんですね?」彼女は何度か我慢しようとしたが、最終的にはついに堪えきれず、博紀に向かって言い放った。「クビになりたいの?」「いやいや、失礼しました!ちょっと場を和ませようと思って冗談を言っただけですって。だって、反応があったからこそ、ちゃんと聞いてくださってるんだって分かったんですし」弥生の表情がどんどん険しくなっていくのを見て、博紀は慌てて続けた。「続きをお話ししますから」「当時は誰もが二人は婚約するって思ってたんです。だって、婚約の日取りまで出回ってたし、中には業界の人間が婚約パーティーの招待状をSNSにアップしてたんですよ」その話を聞いた弥生の眉が少しひそめられた。「で?」「社長、どうか焦らずに、最後までお聞きください」「その後はさらに多くの人が招待状を受け取って、婚約会場の内部の写真まで流出してきたんです。南市の町が『ついに二人が婚約だ!』って盛り上がってて、当日をみんなが心待ちにしてました。記者が宮崎グループの本社前に集まって、婚約の件を聞こうと待機してたんです。でも、そこで宮崎側がありえない回答をしたんです。『事実無根』、そうはっきりと否定されたんですよ」弥生は目を細めた。「事実無根?」「そうなんです。宮崎さんご本人が直接出てきたわけではありませんが、会社の公式な回答としては、『そんな話は知らない、まったくのデマだ』というものでした」博紀は顎をさすりながら続けた。「でも、あの時点であれだけの噂が飛び交っていたので、その回答を誰も信じようとしなかったんです。その後も噂はさらに加熱していって、会場内部の写真が次々と流出しましたし、江口さんのご友人が彼女とのチャット画面まで晒して、『婚約の話は事実です』なんて証言までしていたんですよ。そのとき、僕がどう考えていたか、社長はわかりますか?」弥生は答えず、ただ静かに博紀を見つめていた。「ね、ちょっと考えてみてください。宮崎さんはあれほどはっきりと否定しているのに、それでもなお婚約の噂が止まらないって、一体どういうことでしょうか。それってもう、江口さんが宮崎さんに『婚約しろ』と無言の圧力をかけているようにしか見えなかったんですよ。皆の前で『私たち婚
もともと弥生の恋愛事情をネタにしていただけだったが、「子供」の話が出た途端に、博紀の注目点は一気に変わった。「社長がお産みになった双子というのは、男の子ですか?それとも女の子ですか?」弥生は無表情で彼を見た。「私じゃなくて、友達の話......」「ええ、そうでしたね、社長の『ご友人』のことですね。それで、そのご友人がお産みになった双子というのは、男の子でしょうか、それとも女の子でしょうか?」「男の子か女の子かって、そんなに大事?」「大事ですよ。やっぱり気になりますから」「......男女の双子よ」「うわ、それなら、もし元ご主人がお子さんを引き取ることに成功したら、息子さんと娘さんの両方が揃ってしまうじゃないですか!」「友達の元夫ね」「そうそう、ご友人の元ご主人のことですね。言い間違えました」「でも瑛介......じゃなくて、社長のご友人は、どうして元ご主人が子供を『奪おうとしている』と考えていらっしゃるのでしょうか?一緒に育てたいという可能性は、お考えにならなかったのですか?」「一緒に育てる?冗談を言わないで。それは絶対に無理」「なんでですか?」博紀は眉を上げて言った。「その元ご主人......いえ、社長のご友人の元ご主人というのは、かなりのやり手なんでしょう?そんな方が一緒に育てるとなれば、むしろお子さんにとっては良いことなのではありませんか?」「いいえ、そんなの嘘よ。ただ奪いたいだけ、奪う」弥生は少し固執するように、最後の言葉を繰り返した。「彼にはもう新しい彼女がいるのよ。協力して育てるなんて全部ありえない。ただ子供を奪いたいだけなの」「新しい彼女?」その言葉を聞いたとき、博紀はようやく核心にたどり着いた気がした。彼はにこやかに言った。「つまり社長はこうお考えなんですね。宮崎さんにはすでに新しいパートナーがいる。だから、彼が子供を奪おうとしているのではないかと。違いますか?」弥生は彼をじっと見つめた。何も答えなかったが、その表情が全てを物語っていた。しかも、彼女自身は気づいていないようだったが、博紀はもう「社長の友達」などとは言わなくなっていた。次の瞬間、彼女は博紀が苦笑いするのを見た。「もし社長がご心配なさっているのがそのことでしたら......気になさらなくて大丈夫ですよ