泡沫の恋は儚く揺れる〜愛した君がすべてだから〜 のすべてのチャプター: チャプター 111 - チャプター 114

114 チャプター

愛した君とここから-07

海斗が一年生に上がる前までに、入籍と引っ越しを完了する予定でいる。 それまではバタバタな日々が続くが、師走ともなると仕事の方も慌ただしくなった。相変わらずギリギリで出社した紗良は、フロア内がざわめいていることに気がついた。 小さな人だかりができていて女性たちの黄色い声が耳に届く。「紗良ちゃん」輪の中心にいた人物が紗良に声をかける。「わあ! 依美ちゃん!」紗良は驚いて目を丸くした。 依美は長かった髪をバッサリ切って、腕には小さな赤ちゃんを抱えている。 切迫早産の危険があり入院していたが、無事、十月に出産したのだ。 赤ちゃんは三ヶ月になろうとしているがまだ小さくふにゃふにゃだ。「うわあ、可愛い」「よかったら抱っこしてみる?」紗良が手を差し出すと依美は赤ちゃんをそっと乗せる。 思ったよりも軽く、そうっと触らないと壊れてしまいそうなほどに繊細だ。 海斗とは比べものにならないくらい柔らかい。 そう思うと、海斗は大きくなったんだなと改めて感じた。「ああ、あとさ……」「うん?」口を開いた依美は躊躇いながら一旦口を閉じる。 紗良は首を傾げながら抱いていた赤ちゃんを依美に返すと、依美は赤ちゃんを大事そうに抱きしめた。 そして今にも泣き出しそうな顔で紗良を見る。 言いづらそうにしていたが、やがて重い口を開いた。「私、紗良ちゃんに謝りたくて……」「えっ? 何かあったっけ?」「うん……。前に……結構前のことなんだけど、紗良ちゃんに対して、自己犠牲に酔ってるなんて言ってごめん。子供ができてわかった。何より大事だよね。私、あのとき無神経だった」本当にごめん、と依美は瞳を潤ませた。 紗良はつい最近も身近でこんなことがあったようなと記憶を辿る。――紗良に出会って海斗と接したり紗良のお母さんと話をして、ようやく気づけたというか……(あ、これって杏介さんと一緒だ……)経験を経て、その立場になってみてようやくわかること。 紗良が海斗のことを一番に考えていた気持ち。 それを依美は自身が妊娠することによって得たのだった。「急に入院してそのまま退職しちゃったからさ、皆には迷惑かけたなと思って、挨拶がてらお菓子配りに来たの」「そうだったんだ」「特に紗良ちゃんには迷惑かけちゃってごめんね。私の仕事やってくれてたんでしょ? あと、メッセージも返
last update最終更新日 : 2025-02-16
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愛した君とここから-08

紗良は小さく首を横に振る。「ううん。私の方こそ……。私、あのとき依美ちゃんにそう言ってもらわなかったら自分の本当の気持ちを押し殺したままだった」あの時は目先なことしか考えていなかった。 海斗を立派に育てなければという使命感のみが紗良を支配していた。 依美の言葉は紗良を深く傷つかせたけれど、同時に自分のことを考え直すきっかけにもなった。「あのね、実は私、結婚するの」「いい人と出会ったんだ?」「うん、プール教室の先生」「えっ? もしかしてあの映画とか一緒に行ってたプールの先生ってこと?」「うん。だからね、依美ちゃんは私にきっかけをくれたんだ。自分の幸せを考えるきっかけ。本当に、ありがとね」「紗良ちゃぁ~ん」ズビズビと泣き出す依美に紗良も思わずほろりとする。 依美にハンカチを差し出せば「うええ」と更に泣き出した。「依美ちゃんって泣き虫だったんだ?」「違うの。なんかね、子ども産むと涙もろくなっちゃって」「そうなんだ?」コクコクと依美は頷く。 その経験は紗良にはないもので、何だか不思議に思う。 けれどきっと依美もそんな感じだったのだろう。「でも、本当におめでとう。自分のことのように嬉しい」「うん、ありがとう。依美ちゃんも、結婚と出産おめでとう」「ありがとう~」紗良と依美はふふっと微笑む。人はみな、違うのだ。 だからこうやって、意見が違えたりある日突然わかり合えたりするのだろう。
last update最終更新日 : 2025-02-17
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愛した君とここから-09

◇年も明け、紗良と杏介は婚姻届を提出するため役所を訪れていた。ドキドキとしながら書いた婚姻届は、あまりの緊張に二枚ほど書き損じてしまった。 年末には再び杏介の実家を訪れ、証人欄に名前を記入してもらった。 杏介の本籍は実家にあるため、そちらで戸籍謄本も取った。着々と準備が進むごとに結婚するんだという実感がじわじわとわいてくる。 そして今日という日を迎えた。「おめでとうございます」窓口に提出すると職員がにこやかに対応してくれる。 不備がないかなど確認し、滞りなく受理された。 案外あっけなく終わり紗良と杏介は時間を持て余したため、以前訪れたことのある公園まで足をのばした。まだ北風冷たく春になるにはもうしばらく先。 杏介は紗良の手を握り、自分のコートのポケットへ入れた。 吐く息は白いけれど、くっついていれば寒さなど感じないくらい手のひらからお互いのあたたかさを感じる。小高い丘の上にある展望台までのぼるとちょうど飛行機が通り抜けていった。 以前来たときはまわりの木々には緑の葉が生い茂っていて葉々を揺らしたが、今は冬のため枝がむき出しの状態だ。ところどころライトが付けてあることから、夜にはちょっとしたイルミネーションが見られるのだろう。「そういえば、本当に結婚式はしなくていいの?」「うん、だって家も建てるし海斗の卒園式もあるし、やってる暇なんてないよ。お金もないし」「紗良がいいならそれでいいけど……」杏介は顎に手を当ててうむむと考え込む。 あまりにも悩んだ表情をするため、紗良は自分の考えばかり押しつけていたのかもと思い焦る。「もしかして杏介さん、結婚式したかった?」「ああ、いや、そうじゃなくて、紗良のウェディングドレス姿を見てみたいと思っただけで。だって絶対可愛いし」「ええっ? そんなこと言ったら、杏介さんのタキシード姿だって絶対かっこいいよ」お互いにその姿を想像してふふっと笑う。
last update最終更新日 : 2025-02-18
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愛した君とここから-10

紗良が望めば結婚式だって何だって杏介はするつもりでいた。だが紗良はあっさりと、しなくていいと言った。三月には新居も完成予定で引っ越し作業が待っている。そして四月になれば海斗は小学一年生になる。何かと慌ただしい日々。これ以上予定を詰め込むのは難しい。なにより、杏介と結婚できたという事実が一番嬉しいため今は結婚式にまで頭が回らない。「紗良、好きだよ」「……杏介さん」「前は断られたからリベンジ」杏介は照れくさそうに笑う。ポケットにこっそりと忍ばせていたマリッジリングを取り出し、紗良の左薬指にはめる。マリッジリング自体は二人でデザインを決めて購入した。けれどそれを杏介が持ってきていただなんて――。紗良は喜びで胸がいっぱいになる。薬指にはまった指輪はダイヤモンドが複数並んでおり、揺れるような光沢はまるで水面のようにキラキラと輝いた。「杏介さん、私のこと好きになってくれてありがとう。ずっと待っててくれてありがとう」「こちらこそ。俺のこと信じてくれてありがとう。見捨てないでいてくれてありがとう。これからもずっと紗良のことを愛し続けるよ」「……ずっとだよ?」「うん、ずっと。約束する」「私も、杏介さんのこと愛し続けるって約束する」「……まるで結婚式みたいだな」「確かに。セルフ結婚式だね」ふふっと微笑む二人は自然と唇を寄せる。甘く優しい口づけは冬の寒さなど微塵も感じない。あの時とは違う胸の高鳴りが聞こえてくる。たくさんのことを乗り越えて季節をまたぎ、次の春がまたやって来る。愛した君とここから始まるのだ。二人の進む未来は明るく輝いていた。【END】
last update最終更新日 : 2025-02-19
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