All Chapters of あの高嶺の花が帰ったとき、私が妊娠した : Chapter 401 - Chapter 410

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第401話

雨はますます激しくなり、廊下は半分まで濡れていた。弥生は身に着けていたスカーフを引き寄せた。こんなに寒いとは思っていなかった。立ち止まったものの、弥生は少しぼんやりしていた。今夜耳にした「宮崎さま」という呼び名を思い返していた。以前のように、この苗字を聞いても心が揺れることはもうなかった。しかし、今夜の「宮崎さま」が、以前仕事中に出会った「宮崎さま」ではないことは分かっていた。ここは日本であって、それに早川なのだ。120億円もの金額を即座に出せて、それにこの場に招かれる宮崎という人物は、彼しかいない。もう5年も会っていないのか。弥生は深く息を吸い、別の方向へと歩き出した。「霧島さん」数歩進んだところで、長身で清潔感のある男性が彼女の行く手を遮った。弥生は驚いて、その男性を見上げた。男性はブルーのスーツを着ており、ネクタイがきっちりと締められていた。彼女が顔を上げたのを見ると、彼は微笑みながら自己紹介を始めた。「初めまして、福原駿人と申します」福原駿人?さっき話していた福原家の後継者?弥生がぼんやりしているのを見て、駿人は眉を上げて言った。「霧島さん、私のことをご存じないですか?これまで何度もあなたに入社の招待を出してきたのに、私のことをご存じないとは」「いええ、そんなことはありません。存じております。初めまして、よろしくお願いします」弥生は彼の手を握り返しながら答えた。「ただ、福原さんがここにいらっしゃるのが不思議だと思いまして」弥生は益田グループの新任リーダーの顔を知らなかったが、知っているふりをすることに支障はなかった。これから早川で会社を設立する予定の彼女にとって、地元企業との関係を築くことは重要だった。柔らかくしなやかな女性の手を握った駿人は、一瞬驚いたような表情を浮かべた。一触即発の瞬間、弥生はすぐに手を引っ込めた。駿人は彼女を暫く見て、尋ねた。「ところで、どうしてこちらに?」「座っていると疲れるので、少し気分転換に来ました」「なるほど」駿人は眉を上げ、続けて聞いた。「ちょっと教えていただきたいことがあります。これまで何度も僕の入社招待を断られていますが、その理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?僕が提示した条件は、以前のお勤め先よりもずっ
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第402話

助手は頭を掻きながら思った。自分の提案が、こんな風に理解されるとは思わなかった。駿人が去った後、弥生はようやく我に返り、身にかけられたジャケットを脱いで追いかけたが、彼の姿は見当たらなかった。仕方なく会場へ戻り、入口でスタッフに駿人のジャケットを手渡した。「すみませんが、このジャケットを後で福原さんにお返しいただけますか?」さっき駿人と弥生が話しているのを入口で見ていたスタッフたちは、すっかり噂話モードだった。駿人がプレイボーイであることは有名で、気に入った女性を見つけてはすぐに手を出すと言われている。そんな彼が、会場で美人にジャケットを渡すなんて、明らかにその女性に興味がある証拠だと思ったのだ。スタッフは慌てて手を振った。「いいえ、できかねません。福原さんがあなたに渡したものですから、ご自身でお返しになった方が良いです」「でも、彼がどこに行ったのか分からないんです」「連絡先を交換されましたよね?」どうやらスタッフたちは側で一部始終を見られていたようだった。しばらく弥生がその場に立ち尽くしていると、別のスタッフが丁寧に説明した。「お客様、私たちはただの会場スタッフで、福原さんに直接お会いする機会は滅多にありません。なので、このジャケットを私たちが預かったとしても、本人に届けるのは難しいのですよ」この説明を聞き、弥生は納得した。「分かりました、ありがとうございます。じゃあ、いいわ」彼らに負担をかけることなく、弥生はその場を離れた。会場の中を一瞥し、もう一度ロビーを見渡した後、彼女はスタッフに尋ねた。「少し外で休憩してもいいですか?」スタッフはすぐに快く答えた。「もちろんです、お連れいたします」外はまだ激しい雨が降り注いでいた。スタッフは傘を差して彼女を目的地まで案内した。目的に着くと、弥生はスタッフに微笑みかけて感謝の意を示した。「ありがとうございます」弥生の肌は白く、艶やかな黒髪が背中まで垂れている。その自然な美しさに加え、どこか上品で控えめな香りが漂っており、彼女の近くにいるだけで心地よさを感じる。この笑顔に、スタッフは顔を赤らめた。「い、いえ、とんでもないです。それでは失礼します」スタッフが去った後、弥生は周囲を見渡し、静かな場所に歩いていき腰を下ろし
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第403話

彼の隣には、繊細で美しい女性の姿があった。ピンク色の床まで届くロングドレスを着ており、雨に濡れて裾が少し乱れていたものの、気品の良さは隠しきれていなかった。彼女はそっと男性の腕に寄り添っている。二人の姿は完璧なカップルのように見えた。「もう二度と会わないと思っていたのに、再会するとは。それもこんな形で......」心の中で呟きながら弥生は立ち尽くした。この数年で、彼らはきっと一緒になったに違いない。子供もひなのと陽平と同じくらいの年齢になっているだろう。考えに耽る弥生に、男性が何かを察したように振り向いて目を向けてきた。弥生は思わず息を呑み、反射的に背を向けた。さっき......見られていないわよね?弥生は体が硬直し、その場から一歩も動けなくなった。すると後ろから友作の声が聞こえた。「霧島さん?」彼女の指先がかすかに動いたが、振り返ることはできなかった。友作が彼女の前に回り込んでくる。「どうかしましたか?」「あっ、もう終わったの?」「ええ、終わりました。すでに品が渡されました」「落札できた?」「もちろんです」友作は頷きながら少し残念そうに付け加えた。「ただ、かなりの金額を使いました。あの宮崎さんが......」口を滑らせそうになったが、途中でハッとして言葉を飲み込んだ。二人とも空気を読み取った。しばらくの沈黙の後、弥生が言った。「もう終わったなら、帰りましょう」「分かりました」弥生は友作を観察した。彼の自然な様子を見て、瑛介はもう会場を離れたのだろうと思った。瑛介がまだいたら、友作は自分より緊張しているはずだ。そう気づいてから、彼女はゆっくりと振り返った。案の定、先ほどの喧騒は収まって、人混みもほとんど消えていた。あの目立つ男女の姿も、もう見当たらなかった。弥生の張り詰めていた気持ちがようやく和らいだ。夜、弥生と千恵が再び外出することを知った友作は心配になった。「こんな遅い時間に出かけるのは危ないですよ......」友作が心配げに言うと、すぐさま千恵が反論した。「あら、夜10時って遅いの?あなたはまだ若いのに、おじいさんみたいよ!」「いや、夜道は危険だということですよ」「危険なはずはないよ。安心して」弥生も千
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第404話

何かを思い出したように、弥生は時間を確認し、千恵に尋ねた。「あの男は?」これを聞いた千恵の表情がみるみるうちに曇っていった。「この時間に、彼が来るかどうかなんて全然分からないわ」弥生は彼女の落ち込んでいる様子を見て、微笑みながら肩を軽く叩いた。「大丈夫よ。運試しだと思えばいいじゃない。もし彼が来なくても、ここで少しゆっくり過ごすだけでもいいし」千恵はすぐに笑顔を取り戻し、親しく彼女の腕にしがみついた。「弥生ちゃん、やっぱり最高ね!私たち、これからもずっと一緒よ!」その後、二人はしばらくバーでのんびりしていた。その間に三、四人の男性がワイングラスを持って弥生に近づき、一緒に飲もうと誘ってきたが、彼女は丁寧に断った。最初の数人は拒否されても潔く立ち去ったが、最後の一人だけはその場を離れず、不思議そうに尋ねた。「すみません、どうしてですか?」これを聞いて、弥生は眉を上げた。「断る理由を教えてもらえますか?」と、男性は軽く笑いながら言った。「友達になるくらいなら、別に構わないと思うのですが」弥生は相手の意図を見抜いたようで、落ち着いて答えた。「既婚者だからです」その言葉を聞いて、男性の目には驚きの色が浮かんだが、すぐに残念そうに肩をすくめた。「失礼しました、それじゃ......」彼が去った後、千恵がからかうように言った。「あなた、やるわね。昔はもう少し優しかった気がするけど、今は強く断ることができるようになったみたいね」弥生は肩をすくめた。「その方が良くない?余計な手間が省けるし」「そりゃそうだけど、こんな風にしてたら、縁は消えちゃうわよ。再婚したくなくなるかもよ?」「再婚?子ども二人いるんだから、男なんて必要ないでしょ?」その言葉を聞いて、千恵は弥生の可愛い子どもたちを思い浮かべて、羨ましそうに言った。「ずるい!私もそんな可愛い子どもがいたら、きっと男なんていらないって思うわ。でもさ、次にあの男に会ったら、子供をもらえないか頼んでみようかしら?」弥生は彼女の言葉を聞いて、飲み物でむせた。千恵は慌てて声を上げた。「大丈夫?!」彼女はすぐにティッシュを取り出して弥生を拭おうとしたが、飲み物が彼女の白いコートにこぼれ、大きなシミを作ってしまった。「もう落ちないね。
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第405話

その腕時計を見た瞬間、弥生の頭の中にアラームが鳴り響いた。彼女はその場を立ち去ろうと足を踏み出したが、一歩遅かった。千恵の正面に座っていた男性が、無意識のように弥生がいる方へ目を向けた。二人の視線が空中で交差した瞬間、それはまるで脱線した列車同士が正面衝突し、火花が散って、崩壊するような衝撃が彼女を襲った。男性はグラスを持ったまま、冷静さと無関心な表情を保っていたが、その顔は一瞬で固まった。彼の正面に座っていた千恵は、何が起きたのか気づいていなかった。彼女は連絡先を聞き出したい一心で、少し気まずそうに彼に向かって話しかけ続けていた。彼女は距離が近すぎるせいで、顔を上げて瑛介を見つめることすらできず、ただ彼をちらちらと盗み見ていた。「えっと......ここだけの話だし、連絡先を交換してもらえませんか?誤解しないで、連絡先を交換したところで、迷惑をかけるようなことはしませんから!」だが、彼女が一生懸命話しても、男性はまったく反応を示さなかった。不思議に思った千恵が顔を上げて彼を見ると、次の瞬間、男性は突然立ち上がり、素早くその場を離れてしまった。千恵が振り返った時には、男性はすでに遠くに行ってしまっており、さらに彼の背後にもう一人誰かが居た気がした。千恵はその場に立ち尽くし、混乱した表情を浮かべた。「なんで急に行っちゃったの?」そして、さっき見えた後ろ姿を思い出した。「さっきの背中......弥生だったのかな?」弥生はできる限り速く歩いていた。むしろ、すぐにでも羽を生やしてこの場を飛び去りたいほどだった。まさか千恵が憧れている男性が彼だったとは......五年越しの彼はどんな人間になったのだろう?すでに奈々がいるのに、どうしてこんなところに来て、他の女性を欺くようなことをしているのか。弥生の頭は完全に混乱しており、無意識のうちに駆け出していた。自分がなぜ走っているのかも分からない。自分は何も後ろめたいことはしていない。五年前も互い納得の上での離婚だった。何を逃げる必要があるというのだろう?しかし、後ろから近づく足音が乱れるたび、弥生は足を止めることができなかった。目の前に女性用トイレの看板が見えた時、慌てふためいた弥生はとっさにそこに隠れることを決めた。だが、トイレの入り口に
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第406話

廊下は突然静まり返った。弥生は激しく息を切らし、胸が上下に激しく波打っていた。肩にもたれかかっている男は、微動だにしなかった。どういうこと?さっきまではまだ......弥生がもう一度彼を押し返そうとしたその瞬間、彼が口を開いた。「弥生......」その声はまるで夢の中で話しているかのようだった。彼の頭は彼女の肩に凭れており、この囁きは弥生の耳元で響いた。そのため、彼女にはその言葉がはっきり聞き取れた。自分を呼んだ?弥生は呆然と立ち尽くし、目の前でぐったりしている俊美の男を暫く見つめていた。彼の体に漂うアルコール臭と酔いつぶれた様子がとても嫌いだと弥生は感じた。その時、遠くから誰かの声が聞こえてきた。「弥生?大丈夫?」それは千恵の声だった。弥生は慌てて肩にもたれかかる瑛介を突き放した。バタン酔い潰れた瑛介は勢いよく後ろに倒れ込んだ。だが、地面にぶつかる寸前で、弥生は彼の腕を掴んだ。しかし、引っ張られた弥生はバランスを崩して、そのまま彼の体に倒れ込んだ。その瞬間、千恵が廊下の向こうから現れて、この光景を目撃した。「弥生......どういうこと??」弥生は深呼吸して、千恵の前で冷静を装いながら瑛介の胸元に手をついて体を起こした。千恵は状況を把握できないまま、弥生に問い詰めた。「あなたたち......」立ち上がった弥生は、服を整えて、髪を軽く払った後、平然とした表情で答えた。「ついて来たの」彼女は千恵の疑問を受けながらも動じることなく言葉を続けた。「この人、酔っ払いよ。女子トイレに突っ込んできたかと思えば、私に手を出そうとしたの」その言葉を聞いた千恵は驚愕した。「手を出そうとした?そ、そんな......まさか」しかし、彼女はすぐに友人である弥生を信じるべきだと意識した。一方で、地面に横たわる男を見下ろすと、複雑な表情を浮かべた。「弥生、ちょっと待って。この人、私がずっと言ってたタイプの人なの。これは何かの誤解かもしれないよ。彼、酔っ払ってたからきっと無意識だったんだと思う」弥生は目を伏せて、早めに相手の印象を悪くしておこうと思った自分の考えを後悔した。予想外にも、千恵が瑛介をかばうなんて。「紳士なら、酔っ払ってもそんなことをしな
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第407話

この出来事は厄介な方向に進んでいるみたいだった。弥生は、千恵に瑛介にはすでにパートナーがいることを知らせ、完全に諦めさせようと考えていた。しかし、同時に、自分と瑛介の間に何かしらの関係があることを千恵に知られたくはなかった。弥生はこの板挟みの状況に陥ってしまった。「ごめんね。あのう、今日は先に帰ってもらえない?」弥生が思案にふけっていると、突然千恵の声が聞こえた。弥生は暫く呆然とし、それから問いかけた。「一緒に帰らないの?」千恵は唇を噛んで、しばらくしてから首を横に振った。「彼のことが心配なの」「あなたをここに残して安心して帰れると思うの?」そう言われて、千恵はようやく笑みを浮かべて、小さな声で言った。「大丈夫だよ。それに、もし何かあったとしても、それは私が望んでいることかも」何年も千恵と付き合ってきたが、彼女がこれほど恋愛にのめり込むタイプだとは思ってもみなかった。弥生は歯を食いしばって、こう言った。「ダメ、やっぱり危ないと思う」「いいよ、いいよ私を信じて!彼はあなたが思っているような悪い人じゃない。本当に誤解なの」「彼のことをどれだけ知ってるの?」呆れた気持ちを隠しつつも、弥生は友人としての責任感から今日ここに来た以上、彼女を説得する義務があると感じていた。「知り合って半年も経つんだから、それで十分でしょ?」弥生は鼻で笑った。「本当に?じゃあ彼の名前、年齢、職業、さらに......」ここで彼女は一瞬言葉を止め、それからこう続けた。「彼が結婚しているかどうか知っているの?」「そんなはずはないでしょ」最初の質問には答えられず黙り込んでいた千恵だったが、最後の質問に対しては即座に反論した。「どうしてそんなことを断定できるの?他の質問には何も答えられなかったのに、最後の質問だけ反応が早いわね。それが彼には無理だと確信しているのか、それともあなた自身がそう思いたくないだけ?」千恵は鼻を鳴らし、眉をしかめて言った。「もし彼が結婚しているなら、いつも酒場で酔いつぶれるようなことはしないと思うけど」「なぜそんなことが言えるの?」弥生はこれ以上無駄な言い合いを避けるため、千恵の腕を引きながら言った。「一緒に帰ろう」「弥生!」「どうしたの?今日のあなた
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第408話

「友達?女性なの?」「そんなわけないでしょ!男だよ!」男性の友達?もしかして綾人のこと?「彼をこのままバーに放置しておくのは良くないわ」弥生は少し考え、提案した。「もしどうしても彼のことが心配なら、お店のほうに預けて、オーナーから彼の友人に電話をかけてもらったらどう?」これは瑛介を助けるための一番いい方法だ。もともと弥生もそのつもりだった。だが、千恵は瑛介に長らく恋心を抱いており、どうやら弥生の提案に従う気はなさそうだった。少し考えた後、千恵は唇を噛みしめて言った。「店主を頼るのって、迷惑じゃない?タクシーを呼んで、ホテルまで送る方がいいと思うけど」それを聞いた弥生は予想していた通りだといった表情を浮かべた。「それで、後は?」千恵は少し恥ずかしそうにしながら言った。「まあ、その後は私が何とかするから、心配しなくていいよ」弥生は深く息を吸って、心の中の怒りを押し殺し、平静な声で答えた。「分かったわ。じゃあ一緒に行く。彼をホテルまで送って、彼が無事だと確認したら帰りましょう」千恵は何か言おうとしたが、弥生の様子を見て、怒っていることに気づき、それ以上反論しなかった。「分かったわ。じゃあ行きましょう」その後、二人はバーのスタッフを手伝いに呼んで、瑛介をタクシーに乗せ、近くのホテルまで運んだ。ホテルではチェックインに本人確認書類が必要だった。「ちょっと彼を支えてて。私の身分証明書を探すから」仕方なく、弥生は瑛介を支えることになった。彼を支えた途端、その全体重が弥生にのしかかり、彼女は一歩後ずさりしてなんとか体勢を整えた。酒の匂いと男性特有のフェロモンが彼女の呼吸を侵食していた。5年ぶりに感じるこの馴染みのある感覚に、弥生の胸が苦しくなった。誰も見ていないところで、彼女は自分の唇を噛みしめた。もし千恵がいなければ、瑛介をそのまま突き飛ばしていたかもしれない。ホテルのスタッフが身分証明書を受け取って、尋ねた。「ご宿泊されるのは何名様ですか?」千恵は最初、自分だと言おうとしたが、弥生がいることを思い出して言い直した。「一人です」「承知しました。では、この男性のお客様の身分証明書をいただけますか?」「彼の身分証?」千恵は目を瞬かせた。「彼、酔っ払ってる
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第409話

瑛介をホテルの部屋に運び込むことは大変だった。彼をベッドに放り投げた後、弥生はその場に立ち尽くし、息を切らしていた。それから千恵にちらりと目を向けた。千恵はその意図をすぐに理解し、慌てて尋ねた。「私......ここに残ってもいい?」「ダメって決まっているでしょう」弥生は即答で彼女の言葉を遮った。「帰るわよ。彼ならここで大丈夫じゃない」「でも......彼、酔っ払ってるんだよ?ホテルに一人でいて本当に大丈夫なの?」弥生は冷静に答えた。「それで?まさか、彼のそばに残りたいなんて言うつもりじゃないでしょうね?」千恵は気まずそうに笑った。「違うよ!ただ、彼のスマホで友達に連絡するのはどうかなって思っただけ」「彼のスマホのパスワード、知ってるの?」「知らない」「じゃあどうやって電話するつもり?」「あ......そうだね」千恵は指先でそっと触れ合いながら考え込んだ。「でも、本当に心配だよ」「彼は大人だし、ただの酔っ払いよ。あなたも以前、しょっちゅう酔っ払ってたじゃない」そう言われて、千恵はようやく冷静になった。以前、自分が酔っ払った時のことを思い出し、両親がどれだけ心配してくれたかを改めて実感した。心配する気持ちは理解できるが、弥生の言葉で少し落ち着きを取り戻した。「まあ......そうだね」そう言いながらも、彼女は後ろ髪を引かれる思いで弥生に続いてホテルを後にした。ホテルを出ると、千恵は先程の出来事を思い出し、好奇心を露わにした。弥生が瑛介のズボンのポケットから財布を取り出し、すぐにその中のカード類を避けて、正確に身分証を取り出した場面だ。「ところで、どうして彼の財布がポケットにあるって分かったの?めちゃくちゃスムーズだったけど、それにどうして彼の身分証がどこにあるかまで分かったの?」海外で5年も過ごしていたとはいえ、千恵は二人が昔知り合いだったのではないかと疑い始めた。財布をポケットから見つけるのは普通のことだが、財布の中身まで素早く把握できるのはどう見ても普通ではない。弥生は歩みを止め、一呼吸置いて言った。「私が『適当に予想がついた』と言ったら、信じてくれる?」千恵は目を瞬かせて、弥生をじっと見つめた。「それ、『昔付き合ってたんだよ』って言うよりも
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第410話

「さっき彼のポケットに何か入れたの?」そう聞かれると、千恵は一瞬動きを止めて、その後、視線を明らかにそらした。「何?」弥生は何も言わず、ただ黙って彼女をじっと見つめた。その視線だけで、千恵はすっかりプレッシャーを感じ始めた。「分かった、分かったよ。彼にメモを残しただけ!だって、彼のスマホはロックがかかっていて解除できなかったし、連絡先も交換できなかったんだもの。だから、私の連絡先を渡したの。別にいいでしょ?それに、私は彼を助けたんだから、目が覚めたら、私のこと恩人だと思うかもしれないし!」その「恩人」という言葉が、弥生の心をどこか深く刺した。彼女は表情を一瞬変え、そっと顔を背けてそれ以上何も言わなかった。千恵は話し続けたが、弥生が全く反応しないことに気づき、彼女の顔を伺った。いつの間にか弥生は窓の外を見つめていた。窓ガラスに映るその顔には一切の表情がなかった。その姿はどこか寂しさを漂わせているようにも見えた。「どうしたの?」千恵は突然、不安を感じた。さっき自分が何か変なことを言ってしまったのではないかと心配になり、指先をいじりながら必死に思い返していたが、どうしても理由が思い当たらなかった。最後には、彼女は弥生にこわごわ尋ねるしかなかった。「もしかして私さっき何か悪いこと言っちゃった?」その声で、弥生はようやく我に返った。「何でもないわ」千恵が心配そうにじっと彼女を見つめているのに気づくと、弥生は自分が少し気を抜いていたことを思い出した。「本当に?」千恵は疑わしそうな顔をした。「でも、さっきのあなた......」「ええ、少し考え事をしていて、ぼーっとしてただけ」「本当に何でもないの?私がさっき何か言って、不機嫌にさせちゃったんじゃない?」弥生は軽く千恵の頬をつまんで、軽い調子で答えた。「あなたの言葉で、私が機嫌を悪くすることなんてないでしょ?考えすぎないで。もうすぐ着くわよ」彼女が冗談を言う余裕を見せたことで、千恵はようやく安心した。「ならいいけど」住宅地の入口で厳密に管理がされている住宅地のため、登録のない車両は中に入れない。最終的に、弥生と千恵は徒歩で進むことにした。家の近くまで来たとき、千恵が急に前方を指さして言った。「あれ、玄関に誰かいるよ!」その言葉
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