「あの時は、つい怒ってしまったが、確かに亜季は、そそっかしいところがあるな」「あ、智和さんまで酷い。私はそこまで、そそっかしくないわよ」 櫻井課長まで納得してくるので、亜季はショックを受ける。 確かに少しは、そうかも知れないとは思っていたが。それを改めて指摘されると複雑な気持ちだ。「あの時は、たまたま浮かれていただけよ! それは、それで情けないけど」「それよりさ~亜季は、もう会社に戻る気とかないの? 辞めてしまったけど、頼んだら、また一緒に働けない?」 亜季が言い訳をしていると、美奈子がそう言ってきた。 再就職ができたら素敵なことだが。「ごめんなさい。勝手に辞めた手前もあるし。それに和季が、まだ小さいし……」 さすがに幼い息子を残して仕事に行くわけにはいかない。いくら託児所や保育園があるとしても難しいだろう。 和季は、まだまだ手がかかるし、目が離せない状態。 それに亜季は、そこまで両立ができるほど器用ではない。「それもそうか……残念だわ。また、一緒に働きたかったのに」「ごめんね。私も一緒に働けたら嬉しいのだけど」 美奈子の気持ちに亜季は嬉しくなっていると、櫻井課長が声を上げる。「あ、見えてきたぞ。あそこの2階建ての一軒家が、新しく住む住宅だ!」 櫻井課長が言った方向を見ると、確かに2階建ての一軒家が見えた。「うわぁ~いいじゃない。素敵な家だわ」 美奈子が驚きながらそう言ってくれた。亜季も、その住宅に驚いた。 子供が居るなら広い方がいいと思って購入した。 自分だと、よく分からないため櫻井課長に全て任せてある。 少し古いが、木造で落ち着いた造りになっている。ベランダもあるし、庭も子供と遊べるぐらいの広さがあった。「中古だけど構造もしっかりしてあって、中もなかなか広い。庭もあるから和季を育てるのに、いい環境だと思ってココに決めたんだ。亜季もガーデニングができるだろう? まぁ、俺も気に入ったって言うのもあるが……」 少し照れくさそうに、そう言ってきた。古風な家を選ぶところは櫻井課長らしい。「私も気に入ったわ。日本らしくて素敵」 さすがセンスがあると亜季は感心する。 そして美奈子が車を駐車場に停めると降りた。間近で見ても立派だ。 鍵を開けて中に入って行くと、言っていた通りに広々としていた。「荷物の受け取りは、午後からだ
慣れないことばかりだった海外とは違い、住み慣れた日本での生活。 亜季は不安より期待の方が大きかった。 すると一通りの指示が終わったのか櫻井課長がリビングに入ってきた。「和季の泣き声が聞こえたが。また悪さしたのか?」「あ、ごめんさない。 テーブルに乗り出すから注意したら、そのまま段ボールに頭ぶつかってしまって」「またか……相変わらず、そそっかしい奴だな」 亜季は苦笑いしながら報告すると、櫻井課長は呆れながら和季を抱き上げた。 ため息を吐くながらも、まだぐずっている和季をあやしてくれた。「後で近所に挨拶回りに行くぞ! これから色々と付き合いになるからな」「はい。そうですね」 仲良くなれるだろうか? 新米の母親だし、仲の良かったママ友とは離れ離れになってしまった。 アメリカでは特に仲良くしてくれた友達が1人居た。日本語も話せる人だったから、代わりに通訳もしてくれた。 その人のお陰で、他のママ友たちとも交流ができるようになれたが日本でも、そんな人ができるだろうか? そして夕方頃には無事に片付けが終了する。軽い夕食を済ませると、美奈子が帰ることに。 亜季と櫻井課長は車まで見送ることにした。「今日は、本当に助かったわ。ありがとう……美奈子」「遅くまで付き合わせて悪かったな。今日は、ありがとう」「いえいえ、どういたしまして。また何かあったら、遠慮なく呼んで下さい。またねぇ~」 美奈子は、そう言うと笑顔で手を振りながら帰って行った。 本当に頼りになるし、信頼ができる親友を持ったと思う亜季。 美奈子には本当に感謝ばかりだと。「帰ったな。亜季は素敵な友人を持ったな?」「ええ、自慢の親友なので」 亜季は笑顔でそう答えた。クスッと微笑む櫻井課長を見て嬉しくなる。 これからもずっと変わらない関係だろう。「さて、挨拶回りをしないとな。この日のために買ったヤツを出してくれ」「はい。分かりました!」 亜季は元気良くそう言うと、自宅に入り挨拶回りに必要な物を取りに行く。 そして一軒一軒、挨拶回りをする。これからの近所付き合いに必要なことだ。 子供が居るので特に気をつけないとならない。よく泣く子なので。 終わった頃には辺りも暗くなってしまった。周りの方々は、どの方も親切そうな人が多くて安心する。「ふぅ……やっと挨拶回りが終わったな」「そ
「ハァッ……デキの悪い部下を叱り飛ばすより、精神と体力を使うのは何故だ?」 櫻井課長は、ため息混じりに味噌汁を飲み始めた。叱り飛ばすより疲れるらしい。 確かに、櫻井課長をココまで、ぐったりさせて疲れさせる人物を見たことがない。逆ならあったが。 会社の部下や上司たちが、この姿を見たら、きっと驚くだろう。 亜季でも驚いているぐらいだ。 亜季は苦笑いをした。チラッと和季を見ると、まだ半べそになりながら大人しくなっていた。よほど泣いて暴れたのだろう。「和季~ほら。機嫌直して離乳食を食べようか? お腹空いたでしょ?」 そう言いながらスプーンを口元に持っていく。ぐずりながらも口を開けて食べ始めた。「あ~ん」 亜季は、もう一口食べさせる。どうやらお腹が空いたらしく、あっという間に完食をしてしまった。 それを見ながら櫻井課長が「コイツ。ある意味、大物になるかもな」と呟いていた。「フフッ……そうですね。どうなるのかしら」 どんな風に成長するか楽しみだ。 その後。櫻井課長は朝食を食べ終わると、そのまま会社に出かけてしまった。 亜季は食器を洗った後に洗濯物を干していた チラッと庭から家の中を見ると、お腹が膨れて機嫌が直ったようだ。和季はオモチャを使って1人遊びを始めていた。 これなら、しばらくは大人しく遊んでてくれそうだ。 亜季はクスッと微笑むと洗濯物を干すのを再開させる。赤ちゃんだから汚したり、汗をかくので量も多い。干すだけでも一苦労する。今日はポカポカ陽気で天気がいい。(そうだ。せっかくだから和季を連れて、近くの公園に行ってみよう。ママ友ができるかもしれないわ) 洗濯物が干し終わると、和季をベビーカーに乗せて近くの公園に向かった。 公園は歩いて5分近くの場所にある。幼児用の遊具とかあるし、広い遊び場になっている。 幼稚園も近くにあるし、少し歩けばスーパーもある。帰りに買い物ができるから便利だ。 公園の中に入ると、数人の赤ちゃん連れや小さな子供を連れの母親たちを見かける。 亜季は緊張しながらも思い切って声をかけてみた。「あの……おはようございます。昨日から引っ越してきました、櫻井と言います。よろしくお願いします」「まぁ昨日から? はじめまして。私は木田(きだ)です」「私は、樋口(ひぐち)です。 よろしくお願いします」 次から次へと
(免許……? どうして、そんなことを聞くの?) 亜季は不思議そうに首を傾げた。「いいえ。免許は主人しか持っていませんが?」「あら、そうなの? これから大きくなると、塾や習い事とか送り迎えで必要になるわよ~」「私も普段は自転車なのだけど。上の子の習い事の送り迎えに必要だったから最近、教習所に通い始めたばかりなの。あ、そうだ。良かったら櫻井さんも一緒に行かない?」 亜季は思わない誘いを受けることに。車の免許か……。今まで課長が運転していたので考えてもみなかったことだ。「あ、でも……和季が居るし」「丁度近くに一時的に預かってくれる託児所があるわよ? 私は、その間だけ預かってもらっているの。えっと~確か教習所と託児所のパンフレットを持っているから、あげるわ。良かったら考えてみたら?」「ありがとうございます」 カバンからパンフレットを取り出して渡してくれた。 亜季はお礼を言うと、そのパンフレットを受け取る。 ペラッと見てみると、詳しく書いてあった。 本当に申し込めば一時的に預かってくれるようだ。 その後も免許の便利さや育児のことで話は尽きない。意見を聞いている内に、免許というものに興味を持ち始める亜季。 確かに和季が大きくなると、車が必要になるかもしれない。 習い事や塾……もしかしたら何かスポーツをやるかもしれないだろう。 そうなれば、送り迎えが必要になってくる。櫻井課長は仕事で忙しいだろうし……。 もちろん自分が免許を取れるかなんて分からない。 自分は器用な方ではない。でも櫻井課長に頼むだけ頼んでみてもいいかもしれないと思った。(もしダメなら諦めたらいいし。よし。帰って来たら、ダメもとで聞いてみよっと) 私は軽い気持ちで決断する。 その夜。夕食の下ごしらえをした後に、櫻井課長が帰ってくるのを待つ。 しばらくするとドアが開く音がした。今日は早く帰れるとメッセージがあった。「ただいま~」 櫻井課長が帰宅したようだ。亜季は慌てて、和季を抱き上げてから玄関まで出迎えに行く。「お帰りなさい。どうだったの? 久しぶりの会社は?」「あぁ、皆元気そうだったぞ。もう結婚のことや、お前のことやらで説明責めにあったが。はぁ~疲れた」 櫻井課長は、ため息を吐きながらネクタイを緩める。 (それは……また) 櫻井課長は、また営業部に戻る
その後、亜季は夕食作りに取りかかる。 櫻井課長の「出るぞ」の声に合わせて脱衣場に向かった。 すると和季は、お風呂で温まりポカポカになったせいかボーとしていた。今の内に素早く受け取ると、体を拭いて着替えさせた。 水分補給をさせていると、しばらくして櫻井課長も着替えて出てきた。 亜季は和季を幼児イスに座らせると、手早くビールとおつまみの用意をする。 そうそう。櫻井課長に免許のことを話すのも忘れてはいけない。 おつまみとビールをテーブルに置くと、思い切ってパンフレットを見せながら事情を話した。「えっ? 教習所に通いたい!?」 やっぱり驚いていた。 櫻井課長は、お酒を飲みながら和季に離乳食を食べさせてくれていた。「えぇ、近所のママさん達に誘われたの。大きくなると、送り迎えとか必要になるから一緒に通わないかって」「だが……和季も居るだろ? 大丈夫なのか?」 櫻井課長は離乳食を食べさせるのをやめて、パンフレットを手に取った。 そう……そこが重要なのだ。託児所のことも話さないといけない。「聞いた話だと、一時的に預かってくれる託児所が近くにあるの。申し込めば、その間だけでも預けてくれるって」 やっぱりダメだろうか……? 櫻井課長は悩んでいる様子だった。眉間にシワが寄って、渋い顔をしていた。「お願いします! ちゃんと取れるように努力しますし。できるだけ迷惑をかけないようにしますから」 亜季は必死に頼み込んだ。そうしたら、ハァ~ッとため息を吐いてきた。「まぁ、何事も経験だ。やれるだけやってみろ。だが、やるからには真剣にやるんだぞ?」「もちろんです。ありがとうございます!」 嬉しさのあまり頭を下げた。(やった~明日にでも手続きに行こう。あ、参考書とか買わなくては……それから) 亜季は機嫌よく夕食の用意をした。気持ちは既に取る気満々だった。 そして夕食を食べ終わると、櫻井課長は和季を寝かせるために寝室に向かった。 その間に食器を洗うと、お茶の準備をする。ここからは大人の時間だ。 数時間後。櫻井課長がリビングに戻ってきた。「ふぅ~やっと寝てくれた」「あ、お疲れ様です。お茶をどうぞ」 ソファーの方のテーブルにお茶を置いた。 櫻井課長はソファーに腰を下ろすと、一息ついた。 和季は櫻井課長に絵本を読んでもらうのが大好きだ。そのために寝
しばらくすると「ふぇぇ~ん」と和季の泣き声が聞こえてきた。 どうやら起きてしまったらしい。「……まったく。また、寝かせに行ってくるか」 櫻井課長は、ため息混じりに頭をかくとリビングから出て行った。 亜季は体が火照って、残念な気はした。それでも息子に振り回される櫻井課長も可愛く思ってしまう。思わず笑ってしまった。 しばらく経っても、なかなか戻って来ないため、覗きに行くとベッドで一緒に眠っていた。 どうやら疲れていたらしく、釣られて寝てしまったらしい。スヤスヤと同じ顔が隣で並ぶ。 和季はギュッと櫻井課長の服を掴んで離さない。仲のいい親子だなぁ~と思った。 亜季は微笑むと、そのまま静かにドアを閉めた。 それから数日後。いつものように櫻井課長は、和季とバトルをしていた。 朝は相変わらず賑やかだ! 櫻井課長が会社に行くと、家事を手早く済ませて亜季と出かける準備をした。 今日は、木田と一緒に教習所に行くことになっていた。 教習所に向かう前に和季を託児所に預けに行く。小さな託児所だったが保育士も数人居て、設備はしっかりしているようだ。 安全なようにドアは二重に鍵がついているし、ベビーサークルが設置されていた。 聞いた話だと評判もいいらしい。「じゃあ、しばらくの間、よろしくお願いします。和季。じゃあ、いい子で待っていてね」「ふぇ~ん。まんま~」 女性保育士に和季を預けた。しかし和季は嫌がり、亜季に抱っこを要求してくる。 こうも泣かれると行きづらい。 可哀相に思えてしまい、後ろ髪を引かれそうだ。「ごめんね。すぐに迎えに来るからね」「小さい子って、泣いて離れるのを嫌がるから、可哀相になってくるわよね」「はい。もう何だか、胸が痛いです」 一緒行く木田の言葉に苦笑いする。早く済ませて迎えに行こう……そう決心した。 教習所は確かに託児所から、十分ぐらい歩いた場所にあった。 手続きを済ませると、まずは講習を受ける。 その後、学科講習と技能講習などに進んでいく。どちらも試験があるから、これに合格をしないと免許が貰えない。 まずは、学科講習で合格をしなくては。 講習を受けた帰り道に、亜季は本屋に寄ると免許用の参考書を買った。 和季には新しい絵本を買ってあげた。 午後は和季が昼寝をしている間に、亜季は参考書で勉強する。「えっと…
そして見事に学科試験を突破した。落ちるかと思っていたから嬉しい……。「良かったわね。櫻井さん」「うん。ありがとう」 一緒に教習所に通っている木田がお祝いの言葉をくれた。木田とは、一緒に通っていて、年も近い。そのせいか、どんどんと仲良くなった。 後は……技能講習と試験のみ。もっとも難しくて、これで落とされる人も多いらしい。「やっぱり、実際に運転してみると難しいものなの?」「えぇ、もう大変。見ているのと、やってみるのでは全然違うから、覚悟した方がいいわよ」 そう言われてしまう。覚悟か……。 何だか余計にプレッシャーになってしまう。上手くできるだろうか? ココから担当の教官(教習指導員)の元で合格が決まる。 (怖い人が当たりませんように) そう祈りながら名前を呼ばれるまで待合室で待つこと数十分。「櫻井さん。櫻井亜季さん」「あ、はい」 亜季は慌てて呼ばれた方を見る。そうしたら意外な人物に遭遇してしまった。 その人物は青柳だったのだ。「えっ? 松井さん?」 目の前に立っているのは間違いなく青柳だった。「えっ? 何で……こんなところで!?」 意味が分からずに亜季は困惑してしまう。するとハッとする。 そういえば自動車関係の仕事をしているって、前に言っていたような気がする。 あの時は櫻井課長のことで頭がいっぱいだったから。 改めてお礼を言うために、慌てて頭を下げた。「あの時は、本当にありがとうございました」「上手くいったようだな。苗字が変わっていたから気づかなかった」 物静かな言い方をする青柳。 あぁやっぱり。相変わらず雰囲気や口調が櫻井課長に似ていると亜季は思った。「はい、お陰様で。無事に結婚して、現在一歳になる息子も居ます」 少し照れたように亜季は報告をする。青柳には本当に感謝しないといけない。 この人が背中を押してくれなかったら自分は、ずっと後悔していただろう。 海外まで追いかける勇気なんて持てなかった。「お礼を言われる必要なんてない。俺は、あくまで自分の意見を言ったまでだ!」 青柳は目線を逸らしながら。そう言ってきた。(フフッ……相変わらず無愛想な人ね) 照れると目線を逸らす癖なんて本当に櫻井課長に似ている。 親戚や兄弟だと言われても亜季は信じてしまうだろう。「フフッ…お仕事は教習所の教官だったん
ガーンと、どうしようもないショックを受ける亜季。 いや自分でも最初から上手くやれるなんて、思ってはいない。それでも、もう少しはマシだと思っていた。(私ってこんなに下手なの?) 改めて認識すると、余計に落ち込んでしまう。そうしたら、「まあ、初めてなんだし。上手くやれなくて当然だ! 少しずつ教えていくから覚えて行こう」と、言って励ましてくれた。 優しい言葉をかけてもらい亜季は嬉しくなる。 今日の講習は、これで終わった。帰る身支度をしてから、青柳にお礼を言うために頭を下げた。「今日は、ありがとうございました。明日もよろしくお願い致します」「あぁ、こちらこそ。じゃあ、また明日」「あ、待って下さい」 立ち去ろうとする青柳を何故だか慌てて止めてしまう亜季。(あぁ、またやってしまった……) どうしても青柳を見ると引き留めてしまう。止めた理由は思いつかないのに。「……何?」「あ、えっと~今度改めてお礼をさせて下さい。色々とお世話になったので」「……いいよ。別に。それより明日も頑張って」 素っ気なく、それだけ言うと行ってしまった。 あっさりと断られてしまった。 でも彼らしいと思う。 まさか、あの人が担当教官として再会するなんて思わなかったから。不思議な気分だ。 そのことは、夜に自宅で櫻井課長にも話した。「えっ?担当教官だった? 青柳さんって……確か、君が背中を押してくれたと言っていた人か?」「そうそう、その人。もう驚いちゃって、やっと、ちゃんとお礼が言えたの」 亜季は嬉しそうに話した。 櫻井課長は、ふーんと曖昧な返事をしながら、和季に離乳食を食べさせていた。 (どうしたのかしら? 何だか興味なさそう) 不思議そうに首を傾げた。せっかく恩人の話をしているのに。 すると櫻井課長は、ため息交じり「まだ肉食系ではなくて良かったかもな」と、小さな声でボソッと呟いた。「えっ? 今なんて?」「いや、何も。それよりご飯にするか? 和季も離乳食を食べ終わったし」「あ、今すぐ準備するわね」 亜季は慌ててキッチンに戻って行く。一体、何を言いたかったのか分からないままだったが。 出来上がった料理をよそって持っていく。 今日は、カレーライスとツナとトマトのサラダにした。 ダイニングテーブルに置くと、櫻井課長が亜季に聞いてきた。「それよ
美奈子は「ただ」の意味が分からなかった。好みはあるから可愛いとだけなら分かるけど。八神はフフッと笑う。「泣いている姿を見ていた時は守ってあげたいと思ったし、相手のことを悪く言わないところとか、好印象を抱いた。それを含めて可愛いなって。人って、何かのきっけで好きになったりするから。分からないものだよね。今だって、友人思いの君のことを純粋で可愛いと思っているしさ」「はっ? 意味分からない!?」 亜季のいいところは、美奈子は十分理解しているつもりだ。八神が彼女に惹かれる部分があっても仕方がないと思っている。 しかし、どうして。そこで自分が可愛いと思うのだろうか? 美奈子は顔を耳まで真っ赤にして動揺してしまう。可愛げのない発言をしてしまった。言われ慣れていないので心臓がドキドキと高鳴ってしまう。 そうしたら八神はハハッと大笑いする。「耳まで真っ赤だよ? なんてね……驚いた?」「はっ? もしかして、からかったの!? 信じられない」 せっかく少し同情したのに、台無しだ。 やっぱりチャラい。あと性格が悪い気がする。美奈子はムスッとしてしまう。 八神はハハッと笑いながら、涙を拭った。「ごめん、ごめん。からかい過ぎた。でも……君に純粋なのは本当だよ。友人のことで、そこまで怒れる人はなかなか居ないと思う。上辺ばかりの女性と違って、純粋で優しいと思うよ」「えっ……そんなことは」 やはり言われ慣れていない。だからか、余計に体が熱く火照ってしまう。 例え冗談だとしても心臓に悪い。「だからと言って、からかわないで下さい。私は恋愛でも、手を抜きたくないんです」「いやだなぁ~俺だって、手を抜くつもりはないよ。いつだって本気だし」「どうだか!」 あー言えば、こう言う。なんだかお互いに言いたいことをぶつけているような気がする。まるで喧嘩友達のように。 おかしいと美奈子は思っていた。 イケメンを見ると、キャーキャー言う方だ。どちらかと言えばミーハー。それなのに、イケメンのはずの八神には素になってしまっている。 すると、八神はハハッと笑う。「なんだか、いいね。こういうの。俺に媚びとか売ってこないし。素で話せる人って、なかなか居なかったんだよね」「……確かに、友人とか居なさそう」「うわ~酷いな」 そう言い合いながらも、いつの間にか、お酒の席が賑やかにな
(落ち着け……自分。相手は軽い男よ。彼の好きなタイプは亜季みたいな子だし) 自分を落ち着かせるために、心で言い聞かす。 八神の好きなタイプは亜季みたいな素直な子みたいだ。真面目で一途な。「もしかして、俺のこと……警戒しています?」「えっ!? そ、そんなことないけど……」 そうしたら八神は美奈子にそんなことを聞いてきた。心の声が聞こえてしまったのかと思って、美奈子は焦る。警戒しない方が無理もないが。すると八神はハハッと笑ってきた。「ハハッ……警戒しているのがバレバレですよ? でも、仕方がない。俺、亜季にしつこく迫っていたから」 どうやら自覚はあるらしい。 余計なことを言うから、亜季は気にして櫻井課長を別れを切り出してしまったのだ。 結局のところは、合コンで会った、青柳って人に助言をしてもらったお陰で、上手くいっただけで。その間は落ち込み過ぎて美奈子は相当心配していた。 だから八神のしたことは、余計なおせっかいだと思っている。「……そうですよ。しかも余計なことまで言うし。そのお陰で亜季は、凄く泣いて落ち込んでいたんですよ」 美奈子は、彼の発言に少しムッとする。簡単に言っているからだ。 八神は、美奈子の発言に苦笑いをしていた。「そうだね……ごめん。でも、俺も真剣だったんだよ。別に彼女を傷つけるつもりはんかった。でも、苦しんでいる彼女を見ていたら……言うしかなかった。落ち込ませるような奴より俺にしたらいいのにって」「それが、余計なおせっかいなんです!」 美奈子は、ドンッとカウンター席のテーブルを思いっきり叩いた。周りは驚いた顔をしていたが。 彼は何も分かっていない。亜季は本当はそんなことは望んでいなかった。亜季が言っていた青柳っていう人の方が理解をしている。 そうしたら八神は、とても悲しそうな表情をする。「……そうだね。俺は……彼女を傷つけた。確かに、おせっかいだったかもしれないね」 今にも泣きそうだ。「あ、あの……ごめんなさい。言い過ぎました」 思わず言い過ぎてしまった。彼だって本気だったかもしれないのに。 自分も人のことが言えないだろう。そうしたら八神は苦笑いする。「気にしないで。俺は……昔から誤解されやすいから。女遊びが激しいとか、性格がチャラいとかさ。ただ一途なだけなのにね」 美奈子は言葉を失う。 彼は、本当に亜
玉田美奈子(たまだ みなこ)は昼下がりに会社の窓から見える景色を見ながら、ため息を吐いていた。 真夏の日差しは眩しくて、とにかく暑い。(今頃、亜季は何をしているのかしら?) 同期で友人の松井亜季(まつい あき)が櫻井課長を追いかけて、海外に行ってから半年が経った。 色々あった二人だったが、結ばれて結婚した。今では彼女のお腹には子供が宿しているとか。 最初は心配していた美奈子だったが、上手くやっていると聞いてホッと胸を撫で下ろしていた。しかし同時に羨ましく思う自分も居た。 彼氏が欲しい。そう思っていても、なかなか気になる相手が現れなかった。 合コンに積極的に行ったり、友人に紹介してもらってこともあったが、どれもピンッとこない。結局、すぐに別れてしまう。 多分そこまで好きではなかったか、恋愛に向いていないのかもしれない。 明るいが気が強い。そして、はっきりとした性格。飛びぬけて美人でもない。 そのせいか、友人止まりになってしまうこともしばしば。 亜季みたいにちょっと危なっかしいが、大人しく。真面目な性格だったり、後輩の澤村梨香みたいな少しぶりっ子な可愛い女性だったら、また違ったのかもしれないが。(あ~どこかに居ないかしら? カッコ良くて、エリートの一途な男性は) 高望みだと分かっていても、フッとそんなことを考えてしまう。 美奈子も28歳になる。そろそろ結婚しろと両親がうるさい。しかし相手が居ないと始まらない。また合コンで行くしかないかと思った。 そう思いながら、パソコンのキーボードを打って仕事を再開させる。 (今日は一人で飲みに行こっと) 仕事を定時に終わらせて、最近見つけたバーに向かった。駅から少し歩いたところにある。 ビルの地下にあるバーなのだが薄暗い店内だが、ジャズの曲が流れていてお洒落だ。 物腰の柔らかい年配のバーテンダーがいろんなカクテルを作ってくれる。 美奈子は、カウンター席に座って、お任せでカクテルを頼む。少し、その年配のバーテンダーと話していると、カラッと音を立ててドアが開いた。 誰が来たのかと振り向くと、その人物に驚いた。入ってきたのは、八神冬哉(やがみ とうや)だったからだ。 彼は、我が社の海外営業部で働いているエリート社員。顔立ちもいいのでモテる。 しかし彼は、亜季の猛アプローチしていた過去を持つ。
どうやら彼女の両親は離婚していたようだ。 青柳のところは両親が忙しかったので、祖父母が代わりに面倒を見てくれることが多かった。そのせいか、考え方が少し年寄りみたいだと言われることはあったが。「俺は両親が共働きだったせいか、祖父母に育てられた。だから夫婦のことは分からない。だが……あの夫婦は、確かに暖かかった」 俺にはないものを持っている。そう青柳は感じていた。 もしかしたら、どこか羨ましかったのかもしれない。「私は、そういう夫婦になりたかったんです。だから、基紀……元カレに言われ時に、違うなと思ったのだと思います。別れが言えたのも……それが影響したのかも。自分に自信がないのもありますが」 モジモジしながらも話す彩美。それを聞いて青柳は彼女なりの信念があるのだろうと感じた。 どうしても譲れないもの。それは自分にもあるように。 店長がビールが入ったジョッキーを持ってきたので一口飲んだ。「いいのではないか? それが君の信念だ。譲りたくないものがあれが、譲らなくてもいい。俺は……いいと思うぞ」「あ。ありがとうございます」 彩美は頬を赤く染めながらもビールを飲んでいた。 そういうところが真っ直ぐなのかもしれない。青柳は彼女に好印象を持つ。 その後。食事を済ませて、お店を出る。お礼だからと、彩美が奢る形で。「ご馳走様。本当に良かったのか? 奢ってもらって」「はい、お礼のつもりで誘ったので、大丈夫です。あ、あの……それよりもメッセージアプリのⅠDを聞いてもいいですか?」「えっ?」 青柳は彩美の言葉に驚いてしまった。まさかメッセージアプリのⅠDを聞いてくるとは思わなかったからだ。「あ、あの……ダメでしょうか?」「あ、いや……別に、いいけど」「本当ですか!?」 嬉しそうな顔をする彩美。その表情を見た時、青柳は嫌な気持ちにはならなかった。 それよりもドクッと確かに心臓の鼓動が速くなったのを感じた。 その後。青柳と彩美の交流は続いていた。 もちろん教習所の生徒と教官の関係制としてもだが。それ以外でもメッセージを送り合ったり、会う回数が増えていく。「青柳さ~ん」「ああ、おはよう」 日曜日に彩美と会う約束をする。彼女が観たがっていた映画を観に行く予定だ。 隣で歩く彼女が当たり前になっていくのを感じる青柳。自然と手をつなぐことも慣れて
「人の価値は相手に決めてもらうものではない。俺も無口で不愛想とか言われることもあるが、それが自分だから変える気はない。君も、そのくだらない相手の意見ばかり聞いて、どうする。教習所でミスをしても、めげずに通ってくる勇気と一生懸命な君のほうが、何よりも価値があると思うぞ」 青柳は自分は間違ったことは言っていないと思っている。言葉はキツいが、それが本心だった。 彩美は大人しい性格ではあるが、真面目で一生懸命だ。失敗しても、必ず予習をしてくるし、嫌なことは嫌だと言える勇気はある。 ちょっと危なっかしいところも、人の見方によっては守りたくなる分類だろう。 そう考えると、青柳は少しずつだが彼女の存在が大きくなっていくのが分かった。 それは……あの亜季に似ているからかもしれないが。 すると彩美は何か考え事をしていた。そして青柳を見るとモジモジとしている。「……私、変われるでしょうか? もっと価値のある人間に」「……さあな。それも俺が決めることではない。しかし、俺は……あんたみたいな性格の人間は嫌いじゃない」 これも本心だった。 彩美はそれを聞いて。モジモジとしながら、ほんのりと頬を赤く染めていた。その意味は分からなかったが。 コーヒーを飲んで、その帰り際。「それでは」と言って、帰ろうとする。すると彩美が声をかけてきた。「あ、あの……お礼をさせて下さい。い、一緒にご飯とかどうですか?」 途中で嚙んではいたが彼女の方から食事のお誘いがくる。まさか誘われるとは思わなかったので青柳は驚いてしまった。「あの……ダメですか?」「あ、いや。構わないけど……」 彼女とは教官と生徒としての関係だ。あまりプライベートでは会うべきではないのだが、どうしてか断わる理由が見つからなかった。 そうこうしているうちに一緒に食事をすることになってしまった。 向かった先は駅から少し離れた場所にある小料理屋。落ち着いた雰囲気のある、お店だ。ここに入るのは初めてだが。 中には入ると店長らしき人が出迎えてくれた。しかし青柳の顔を見ると驚いた顔をされる。どうしたのだろう? と思っていたら「あ、すまない。知り合いの顔に似ていたから」「えっ?」 知り合いの顔に似ていると聞かれたのは初めてではない。まさか?「その方って、櫻井さんですか?」「おや、知っているのかい?」 青柳が
青柳が亜季と合コンの後に再開した時に、何故か泣かしてしまった。 もちろん、そんなつもりはない。だから動揺してしまう。「す、すまない、泣かせるつもりはなかったのだが」「あ、いいえ。違うんです。安心したら涙が……すみません。すぐに涙を引っ込ませますので」「いや……別に、無理に引っ込めなくても」 青柳は慌ててカバンからハンカチを取り出して、差し出した。「これを」「あ、ありがとうございます」 彩美は申し訳なさそうにハンカチを受け取った。それでも、なかなか泣き止まないので、仕方がなく近くの喫茶店に入ることに。 ここも光景も同じ経験していた。 彼女はオレンジジュースを頼み、青柳はコーヒーを注文する。しばらくしたら彩美は落ち着いてきたようだった。「……落ち着いたか?」「はい。お見苦しいところをお見せして、すみませんでした」「……こういうところも似ているかもな」「えっ?」「いや……こちらの話だ。それよりも、あの男性は彼氏だったのか? 別れを切り出していたが」 青柳は亜季を重ねつつも、彩美にさっきのことを尋ねた。そうしたらビクッと肩を震わした。「……悪い。聞いたら、まずかったか?」「あ、いいえ。そんなことはありません。あの人は……元カレです。以前付き合っていたのですが……お恥ずかしながら浮気をされてしまって。別れても、しつこくやり直そうと言われています」 どうやら元カレで間違いなさそうだ。浮気をしておいて、関係を続けたいとは勝手な話だ。「なるほどな。で? 君は、あの男に本当に未練はないのか?」「えっ……?」 さっきの態度だと、別れたそうにしていたが。 しかし以前のことがある。ちゃんと割り切れるかが問題だろう。 そうしたら言葉に詰まらせる彩美。 青柳は店員が持ってきたコーヒーに口をつける。「実際に別れたと思っているなら、それでいい。だが、まだ未練があって、やり直したいと思っているなら話は別だ。相手に分かってほしいは、通用する相手はないと思うが?」 恋愛とはよく分からない青柳だったが、これだけは分かる。あの男は自分勝手だと。 人より観察眼はある方だ。だから余計に思ってしまう。 亜季と櫻井課長みたいに純粋に相手を想い合っているとは思えなかった。あえて聞いたのは、確かめたかった。 彩美はスカートの裾をギュッと握り締める。「…
(ここにも居た……運転の下手なやつが) まさか、亜季みたいなタイプを担当するとは思わなかった青柳。これでは彼女の二の舞だ。 ため息を吐いている姿を見て、彩美はしゅんと落ち込んでしまう。「……すみません」「謝らなくても大丈夫。初めてなんだから仕方がないことだ」 そう言ってみせるが、どうやら彼女は謝る癖があるようだ。そういうところは、どこか亜季に似ていると思う青柳。 その後も通ってきて運転の講習を受ける彩美。 細かいミスを連発するが、他の生徒と比べて真面目だった。一生懸命で、どこか危なっかしい。少しずつではあるが、上手くなっていく。「出来ました」「ああ、良くなったと思う」「本当ですか!?」 そして上手くやれると、嬉しそうに笑顔を見せてくれた。やはりどこか似ている。 諦めたはずの彼女に……。 青柳は彩美に亜季の面影を重ねるようになっていく。(俺も……どうにかしている。彼女は松井さんではないのに) 本来なら距離を置きたいところだった、これ以上重ねないためにも。 しかし担当教官な以上は、責任を持って最後まで指導しないといけない。 青柳はギュッと胸の辺りが苦しくなっていく。 そんなある日。仕事が終わって帰る途中だった、。青柳は駅の辺で揉めている男女を発見する。その女性は彩美だった。(あれは……真中さん!? 彼氏と喧嘩でもしているのか?) 本来なら他人の揉め事に関わることはない。興味はないし。 しかし、彩美は恐怖でガタガタと震えているようだった。すると男性の方が声を上げる。「お前、いい加減にしろよ。せっかく俺がやり直してやるって言っているのに」「だから……無理なの」「何でだよ? 別に、ちょっと他の子と遊んだだけじゃないか? あれぐらいは男なら当たり前だし」 どうやら別れ話で揉めている様子だった。聞いたところだと、彼氏が浮気をしたのだろう。 そして彼女が別れを切り出したら、ここまで待ち伏せさせられた感じだろうか。 彩美は恐怖で目尻に涙を溜めていた。「基紀(もとき)が平気でも……私は辛い。だから別れて」「くっ……お前、生意気なんだよ。地味で冴えないから、付き合ってやっているのに」 そう言うと、キレたその男性は手をあげようしてきた。このままだとぶたれてしまう。 そう思ったら、自然と青柳の足は動いてしまった。ガシッと、基紀と
どこか危なっかしい。 本人は悪気がないというより、少し抜けているところがある。天然とういうのだろうか? 結局、自宅に招かれることになってしまった。 その時に青柳が驚いたことは、亜季の言っていた櫻井課長だ。似ているとは言っていたが、まさかここまで似ているとは思わなかった。亜季の息子である和季が勘違いするほどに。 お互いに気まずくなる。だから、自分を重ねるわけだと納得してしまう。 それなのにニコニコしている亜季を見て青柳は、ため息を吐いた。(これは……彼女の旦那も大変だな)と……。 どうも放っておけない。だからこそ、気になってしまったのだろう。 そして、これほど積極的で真っ直ぐに感情を向けてくるのだから、意識しない方が無理である。 亜季は深々と頭を下げると、櫻井課長も同じく頭を下げてくれた。「俺の方からもお礼を申し上げます」「2人共…頭を上げて下さい。それに俺、そんな立派なものではないです。ただの卑怯な奴ですから」「どうしてですか?」 亜季は不思議そうに尋ねるが、少し寂しそうな表情を見せる青柳だった。 自分は、それを言ってもらえるような人間ではない。「それは、秘密です。墓まで持って行くつもりなので」 青柳は、自分ことを卑怯な人間だと思っていた。 本当は、その先を期待していた。亜季が振られて帰ってきた際は、慰めたいと思っていたからだ。 上手くいったら諦めるはずだった。だが……もし。 彼女はダメだった時は、吹っ切れてほしい。そうしたら改めて交際を申し込める。 それは振られることを期待すること。それが……自分が持っている感情だった。(俺って……最低だな。彼女に笑ってほしいと思いながら、こんなことを望むなんて。だから、これは墓まで持っていくつもりだ) そう青柳は心に誓った。 自分の恋は、こうしてあっけなく終わってしまった。でも、それで良かったのかもしれないしれない。笑ってくれるのなら。 それから何ヶ月が経った頃。青柳は、いつもの日常を過ごしていた。 今回から、また新しい生徒を担当すること。青柳は資料を見る。 名前は真中彩美(まなか あやみ)大学2年生らしい。 学生のうちに免許を取得する人は多い。(真面目な子だといいのだが) 青柳は、そんな風に思っていた。そして実際に会ってみると、小柄で大人しい雰囲気の女性だった。
それが会ってハッキリすると、無性に腹が立ってきた。 ウジウジしていないで、ちゃんと向き合ってほしい。その櫻井課長にも。 「まぁ……簡単に忘れられるものではないだろう。焦らずに居ることだな。いずれは時間が解決してくれる」「青柳さん……」「……そう言って欲しいのか? 俺に」「えっ?」 そう思ったら、自分でも驚くぐらいに亜季に説教をする青柳。 そこまで言うつもりはなかったが、口が動いたら止まらなかった。そこで、ようやく気づいた……自分の気持ちに。(俺は、吹っ切ってほしかったんだ)と……。 ずっと櫻井課長のことを考えないでほしい。そのためにも、ハッキリさせてほしかったのだろう。 上手くいけば仕方がないが、もしダメだったら。踏ん切りがつくはずだ。本気でぶつかった相手なら、言わないよりも言った方がスッキリする。 なんより、彼女に笑ってほしかった。沈んだ姿は似合わないと思った。「やり直したいと思うなら動け。君が動かない限りは何も変わらない」「……まだ……やり直せるでしょうか?」「さあな。そんなの俺に聞いても分からない。で、どうするんだ?」 青柳の言葉に、亜季は静かに前を見る。 動かないと何も変わらない。それは自分自身にも言っていることだ。「私……追いかけます。課長とやり直したいから」「……そうか」 青柳は、これ以上は何も言わなかった。彼女が決めたことだからだ。 食事を済ませてお店を出ると、亜季は頭を深く下げて、お礼を伝えてきた。「ご指摘ありがとうございました。私……目が覚めました!」「どうやら、ちゃんと前を向く気になれたようだな」「青柳さん……」 青柳は静かに微笑んでみせる。 亜季の顔を見ると、どこかスッキリしていた。きっと、自分のやるべきことを見つかったのだろう。(ああ、彼女は笑うと魅力的な人だな) やっと彼女の微笑む姿を見ることができたのに、気持ちは切なかった。 でも……これで良かったのかもしれない。そう青柳は思った。「もし、ぶつかってみてダメなら、また俺に連絡して来い。相談でも愚痴でも聞いてやる」「ありがとうございます!」 青柳はそう言ったが、そこに本音が隠れていた。でも、それは言わないつもりだ。 彼女が、ちゃんと向き合って、会いに向かうまでは。 そして亜季は頭を下げると、青柳とそのまま別れた。