「あの時は、つい怒ってしまったが、確かに亜季は、そそっかしいところがあるな」「あ、智和さんまで酷い。私はそこまで、そそっかしくないわよ」 櫻井課長まで納得してくるので、亜季はショックを受ける。 確かに少しは、そうかも知れないとは思っていたが。それを改めて指摘されると複雑な気持ちだ。「あの時は、たまたま浮かれていただけよ! それは、それで情けないけど」「それよりさ~亜季は、もう会社に戻る気とかないの? 辞めてしまったけど、頼んだら、また一緒に働けない?」 亜季が言い訳をしていると、美奈子がそう言ってきた。 再就職ができたら素敵なことだが。「ごめんなさい。勝手に辞めた手前もあるし。それに和季が、まだ小さいし……」 さすがに幼い息子を残して仕事に行くわけにはいかない。いくら託児所や保育園があるとしても難しいだろう。 和季は、まだまだ手がかかるし、目が離せない状態。 それに亜季は、そこまで両立ができるほど器用ではない。「それもそうか……残念だわ。また、一緒に働きたかったのに」「ごめんね。私も一緒に働けたら嬉しいのだけど」 美奈子の気持ちに亜季は嬉しくなっていると、櫻井課長が声を上げる。「あ、見えてきたぞ。あそこの2階建ての一軒家が、新しく住む住宅だ!」 櫻井課長が言った方向を見ると、確かに2階建ての一軒家が見えた。「うわぁ~いいじゃない。素敵な家だわ」 美奈子が驚きながらそう言ってくれた。亜季も、その住宅に驚いた。 子供が居るなら広い方がいいと思って購入した。 自分だと、よく分からないため櫻井課長に全て任せてある。 少し古いが、木造で落ち着いた造りになっている。ベランダもあるし、庭も子供と遊べるぐらいの広さがあった。「中古だけど構造もしっかりしてあって、中もなかなか広い。庭もあるから和季を育てるのに、いい環境だと思ってココに決めたんだ。亜季もガーデニングができるだろう? まぁ、俺も気に入ったって言うのもあるが……」 少し照れくさそうに、そう言ってきた。古風な家を選ぶところは櫻井課長らしい。「私も気に入ったわ。日本らしくて素敵」 さすがセンスがあると亜季は感心する。 そして美奈子が車を駐車場に停めると降りた。間近で見ても立派だ。 鍵を開けて中に入って行くと、言っていた通りに広々としていた。「荷物の受け取りは、午後からだ
慣れないことばかりだった海外とは違い、住み慣れた日本での生活。 亜季は不安より期待の方が大きかった。 すると一通りの指示が終わったのか櫻井課長がリビングに入ってきた。「和季の泣き声が聞こえたが。また悪さしたのか?」「あ、ごめんさない。 テーブルに乗り出すから注意したら、そのまま段ボールに頭ぶつかってしまって」「またか……相変わらず、そそっかしい奴だな」 亜季は苦笑いしながら報告すると、櫻井課長は呆れながら和季を抱き上げた。 ため息を吐くながらも、まだぐずっている和季をあやしてくれた。「後で近所に挨拶回りに行くぞ! これから色々と付き合いになるからな」「はい。そうですね」 仲良くなれるだろうか? 新米の母親だし、仲の良かったママ友とは離れ離れになってしまった。 アメリカでは特に仲良くしてくれた友達が1人居た。日本語も話せる人だったから、代わりに通訳もしてくれた。 その人のお陰で、他のママ友たちとも交流ができるようになれたが日本でも、そんな人ができるだろうか? そして夕方頃には無事に片付けが終了する。軽い夕食を済ませると、美奈子が帰ることに。 亜季と櫻井課長は車まで見送ることにした。「今日は、本当に助かったわ。ありがとう……美奈子」「遅くまで付き合わせて悪かったな。今日は、ありがとう」「いえいえ、どういたしまして。また何かあったら、遠慮なく呼んで下さい。またねぇ~」 美奈子は、そう言うと笑顔で手を振りながら帰って行った。 本当に頼りになるし、信頼ができる親友を持ったと思う亜季。 美奈子には本当に感謝ばかりだと。「帰ったな。亜季は素敵な友人を持ったな?」「ええ、自慢の親友なので」 亜季は笑顔でそう答えた。クスッと微笑む櫻井課長を見て嬉しくなる。 これからもずっと変わらない関係だろう。「さて、挨拶回りをしないとな。この日のために買ったヤツを出してくれ」「はい。分かりました!」 亜季は元気良くそう言うと、自宅に入り挨拶回りに必要な物を取りに行く。 そして一軒一軒、挨拶回りをする。これからの近所付き合いに必要なことだ。 子供が居るので特に気をつけないとならない。よく泣く子なので。 終わった頃には辺りも暗くなってしまった。周りの方々は、どの方も親切そうな人が多くて安心する。「ふぅ……やっと挨拶回りが終わったな」「そ
「ハァッ……デキの悪い部下を叱り飛ばすより、精神と体力を使うのは何故だ?」 櫻井課長は、ため息混じりに味噌汁を飲み始めた。叱り飛ばすより疲れるらしい。 確かに、櫻井課長をココまで、ぐったりさせて疲れさせる人物を見たことがない。逆ならあったが。 会社の部下や上司たちが、この姿を見たら、きっと驚くだろう。 亜季でも驚いているぐらいだ。 亜季は苦笑いをした。チラッと和季を見ると、まだ半べそになりながら大人しくなっていた。よほど泣いて暴れたのだろう。「和季~ほら。機嫌直して離乳食を食べようか? お腹空いたでしょ?」 そう言いながらスプーンを口元に持っていく。ぐずりながらも口を開けて食べ始めた。「あ~ん」 亜季は、もう一口食べさせる。どうやらお腹が空いたらしく、あっという間に完食をしてしまった。 それを見ながら櫻井課長が「コイツ。ある意味、大物になるかもな」と呟いていた。「フフッ……そうですね。どうなるのかしら」 どんな風に成長するか楽しみだ。 その後。櫻井課長は朝食を食べ終わると、そのまま会社に出かけてしまった。 亜季は食器を洗った後に洗濯物を干していた チラッと庭から家の中を見ると、お腹が膨れて機嫌が直ったようだ。和季はオモチャを使って1人遊びを始めていた。 これなら、しばらくは大人しく遊んでてくれそうだ。 亜季はクスッと微笑むと洗濯物を干すのを再開させる。赤ちゃんだから汚したり、汗をかくので量も多い。干すだけでも一苦労する。今日はポカポカ陽気で天気がいい。(そうだ。せっかくだから和季を連れて、近くの公園に行ってみよう。ママ友ができるかもしれないわ) 洗濯物が干し終わると、和季をベビーカーに乗せて近くの公園に向かった。 公園は歩いて5分近くの場所にある。幼児用の遊具とかあるし、広い遊び場になっている。 幼稚園も近くにあるし、少し歩けばスーパーもある。帰りに買い物ができるから便利だ。 公園の中に入ると、数人の赤ちゃん連れや小さな子供を連れの母親たちを見かける。 亜季は緊張しながらも思い切って声をかけてみた。「あの……おはようございます。昨日から引っ越してきました、櫻井と言います。よろしくお願いします」「まぁ昨日から? はじめまして。私は木田(きだ)です」「私は、樋口(ひぐち)です。 よろしくお願いします」 次から次へと
(免許……? どうして、そんなことを聞くの?) 亜季は不思議そうに首を傾げた。「いいえ。免許は主人しか持っていませんが?」「あら、そうなの? これから大きくなると、塾や習い事とか送り迎えで必要になるわよ~」「私も普段は自転車なのだけど。上の子の習い事の送り迎えに必要だったから最近、教習所に通い始めたばかりなの。あ、そうだ。良かったら櫻井さんも一緒に行かない?」 亜季は思わない誘いを受けることに。車の免許か……。今まで課長が運転していたので考えてもみなかったことだ。「あ、でも……和季が居るし」「丁度近くに一時的に預かってくれる託児所があるわよ? 私は、その間だけ預かってもらっているの。えっと~確か教習所と託児所のパンフレットを持っているから、あげるわ。良かったら考えてみたら?」「ありがとうございます」 カバンからパンフレットを取り出して渡してくれた。 亜季はお礼を言うと、そのパンフレットを受け取る。 ペラッと見てみると、詳しく書いてあった。 本当に申し込めば一時的に預かってくれるようだ。 その後も免許の便利さや育児のことで話は尽きない。意見を聞いている内に、免許というものに興味を持ち始める亜季。 確かに和季が大きくなると、車が必要になるかもしれない。 習い事や塾……もしかしたら何かスポーツをやるかもしれないだろう。 そうなれば、送り迎えが必要になってくる。櫻井課長は仕事で忙しいだろうし……。 もちろん自分が免許を取れるかなんて分からない。 自分は器用な方ではない。でも櫻井課長に頼むだけ頼んでみてもいいかもしれないと思った。(もしダメなら諦めたらいいし。よし。帰って来たら、ダメもとで聞いてみよっと) 私は軽い気持ちで決断する。 その夜。夕食の下ごしらえをした後に、櫻井課長が帰ってくるのを待つ。 しばらくするとドアが開く音がした。今日は早く帰れるとメッセージがあった。「ただいま~」 櫻井課長が帰宅したようだ。亜季は慌てて、和季を抱き上げてから玄関まで出迎えに行く。「お帰りなさい。どうだったの? 久しぶりの会社は?」「あぁ、皆元気そうだったぞ。もう結婚のことや、お前のことやらで説明責めにあったが。はぁ~疲れた」 櫻井課長は、ため息を吐きながらネクタイを緩める。 (それは……また) 櫻井課長は、また営業部に戻る
その後、亜季は夕食作りに取りかかる。 櫻井課長の「出るぞ」の声に合わせて脱衣場に向かった。 すると和季は、お風呂で温まりポカポカになったせいかボーとしていた。今の内に素早く受け取ると、体を拭いて着替えさせた。 水分補給をさせていると、しばらくして櫻井課長も着替えて出てきた。 亜季は和季を幼児イスに座らせると、手早くビールとおつまみの用意をする。 そうそう。櫻井課長に免許のことを話すのも忘れてはいけない。 おつまみとビールをテーブルに置くと、思い切ってパンフレットを見せながら事情を話した。「えっ? 教習所に通いたい!?」 やっぱり驚いていた。 櫻井課長は、お酒を飲みながら和季に離乳食を食べさせてくれていた。「えぇ、近所のママさん達に誘われたの。大きくなると、送り迎えとか必要になるから一緒に通わないかって」「だが……和季も居るだろ? 大丈夫なのか?」 櫻井課長は離乳食を食べさせるのをやめて、パンフレットを手に取った。 そう……そこが重要なのだ。託児所のことも話さないといけない。「聞いた話だと、一時的に預かってくれる託児所が近くにあるの。申し込めば、その間だけでも預けてくれるって」 やっぱりダメだろうか……? 櫻井課長は悩んでいる様子だった。眉間にシワが寄って、渋い顔をしていた。「お願いします! ちゃんと取れるように努力しますし。できるだけ迷惑をかけないようにしますから」 亜季は必死に頼み込んだ。そうしたら、ハァ~ッとため息を吐いてきた。「まぁ、何事も経験だ。やれるだけやってみろ。だが、やるからには真剣にやるんだぞ?」「もちろんです。ありがとうございます!」 嬉しさのあまり頭を下げた。(やった~明日にでも手続きに行こう。あ、参考書とか買わなくては……それから) 亜季は機嫌よく夕食の用意をした。気持ちは既に取る気満々だった。 そして夕食を食べ終わると、櫻井課長は和季を寝かせるために寝室に向かった。 その間に食器を洗うと、お茶の準備をする。ここからは大人の時間だ。 数時間後。櫻井課長がリビングに戻ってきた。「ふぅ~やっと寝てくれた」「あ、お疲れ様です。お茶をどうぞ」 ソファーの方のテーブルにお茶を置いた。 櫻井課長はソファーに腰を下ろすと、一息ついた。 和季は櫻井課長に絵本を読んでもらうのが大好きだ。そのために寝
松井亜季(まつい あき)は、広告代理店で勤めて六年目。 いつか大きなイベントや会社の広告を自らの手で作りたくて、この会社に就職した。 バリバリの働くキャリアウーマンなんて言えないし、失敗も多い。それでも必死に頑張ってきた。 そんな亜季には苦手な人が居る。それは、この人だ。「おい。何でお前の書類には、いつも誤字があるんだ? これで何度目だ?」「申し訳ありません」 必死で謝る男性社員。部下に叱っているのが、櫻井(さくらい)課長。 背が高くて、細身なのに肩幅が広く、鍛え上がった体。その上に眉間にシワを寄せて、鋭くつり上がった目つき。 周りから恐れられて『鬼課長』というニックネームを付けられているほど。(うわぁ~今日も怖い) 櫻井課長の怒鳴り声で亜季は思わずビクッと肩を震わせた。 すると 同期で友人の玉田美奈子(たまだ みなこ)に話しかけてくる。「ねぇ、相変わらず怖いわよねぇ~鬼課長」「……う、うん。そうだね」 思わず亜季も頷いてしまう。真面目で異常に厳しい。 見た目もあって余計に、そう思われていた。亜季も恐れている1人だったが。 直接こっぴどく叱られたことはないが、仕事のことで何度か注意を受けたことならなる。それでも、かなり怖かったが。「聞く話だと課長って独身らしいわよ? まぁ、あれでは結婚なんて出来ないわよねぇー」 美奈子は、クスッと笑いながらそう言ってきた。(櫻井課長って、独身だったんだ? へぇ~) 失礼ながら納得してしまった。だって、あまりプライベートとか想像ができない。そもそも、どんな女性が好みなのかも知らないし、そこまで興味もない。しかし運命とは何とも皮肉なもの。 まさか、この櫻井課長とお見合いをするなんて夢にも思わなかった。 それは、数日後のことだった。 母が突然、一人暮らしをしているアパートに来たと思ったら、お見合い話を持ち出してきたのだ。「はぁっ? お見合い……私が!?」「そう。習い事で知り合った人の息子さんなんだけど、独身らしくてね。優秀で、いい方らしいから引き受けてきたの」 あっけらかんと明るく話す母に呆れてしまう。亜季は思わず。ため息を吐く。(そんな勝手に引き受けないでよ!?) いくら仕事で恋愛を疎かにしているからって、勝手に相談もなく決めないでほしい。 そうではなくても最近忙しいとい
しかし結局、何も抵抗ができないまま、お見合いの日を迎えてしまう。 亜季は母に無理やり着物を着せられる。桜色で鶴と菊の花が添えた訪問着。 絞めつけられて苦しいし、気分まで沈む。今すぐにでも帰りたいと思ってしまうほどに。「いい? 亜季。相手が上司なんだから、なおさら失礼のないようにね?」 失礼だと思われたくないなら、辞めさせた方がいいと思う。 お見合いするのは豪華な料亭だった。きちんと手入れされた庭園に、上品で落ち着いた雰囲気。さすが料亭なだけはあって、和が感じられて素敵だ。 お見合いではなければ、どんなにいいところだろうか。「失礼致します。お連れ様がお見えになりました」 案内されて一室に入ると、相手の方は既に着ていて座っていた。 そこで見た男性は間違いなく櫻井課長だったが。 勘違いで終わらなかったようだ。 ビシッとスーツ姿でキメて、背筋が伸びている。しかし表情はムスッとしていて明らかに機嫌が悪そうに見える。 思わず会社に居る時のことを思い出して、亜季まで背筋が伸びた。「まぁ、なんて綺麗なお嬢さんかしら。はじめまして。智和の母の和美(かずみ)です」 ニコッと挨拶してくれる課長のお母様は、上品で優しそうな感じの人だった。 櫻井課長は、お父様似なのだろうか?「は、はじめまして。松井亜季(まつい あき)と言います。よろしくお願い致します」「……櫻井智和(さくらい ともかず)だ。こちらこそ、よろしくお願い致します」 お互いに頭を下げて挨拶をするが、その声がいつもより低く感じてしまう。 もしかして既に機嫌悪くさせてしまったのだろうか? 親同士は、何やら楽しそうに会話を始める。 亜季は緊張しながらチラッと櫻井課長を見ると、思いっ切りガン見されていた。怖くて前が向けない。 亜季は恐怖でガクガクと体を震わせるが、必死で心を落ち着かせようとする。「亜季さんのご趣味は、何かしら?」 突然、向こうのお母様が話をふってきたので驚いてしまう亜季。いきなりだったので、慌てる。 趣味と言っても自慢するほどのものは何もない。あくまでも楽しむだけの趣味しかないが。「あ、はい。えっと……ガーデニングと映画鑑賞です」「まぁ、素敵な趣味だわ。ガーデニングってどんなのを?」「花とか育てるのが好きで。今、アパートに住んでいるのでベランダに少しだけ」「こ
「……何故、謝るんだ?」 急に謝罪されたので、櫻井課長は驚いて聞いてきた。(何故と言われましても。こんな気まずい上に私がお見合い相手だからです) 櫻井課長だって選ぶなら美人で清楚な人がいいだろう。 自分では不釣り合いなことぐらい分かっている。そもそも部下なので論外だろうけど。「私がお見合い相手だからです。ガッカリされたのは承知しています。だからその…申し訳ありませんでした。断って下さってもいいので」 深々と、もう一度頭を下げる亜季。 何故そんなに頭を下げて謝るのかは、亜季自身も分からない。 ただ…気まずいやら怖いやらで、何とか機嫌を損ねたくなかった。 逆に失礼なことを言っているのかもしれないが、今の亜季はそんなことを考えている余裕はなかった。 櫻井課長は、そのまま黙り込んだ。もしかして怒っている? それとも呆れて口に出して言えないのだろうか?「松井」「は、はい」 突然、名前を呼ばれ思わず返事してしまう。全身ビクビクして震えていた。 (えぇ? もしかして怒られる!?) すると櫻井課長は私の腕を掴まえて、そのまま料亭の壁際まで連れて行かれる。 そしてバンッと壁ドンをされてしまう。 あまりの勢いだったので全身硬直してしまう亜季だった。(ひぃぃっ~!?) 普通よく漫画やテレビで観る壁ドンって、胸キュンとしたり、ドキドキするシーンが多いはずだが。 今の亜季には、胸キュンより恐怖が優先していた。これだと逃げることもできないし、追い詰められている。(怖い……誰か助けて!?) 思わず目をつぶりガタガタと震える。すると櫻井課長がボソッと、「お前は、そんなに俺が怖いか?」と小さな声で呟いてきた。「えっ?」 恐る恐る目を開けて櫻井課長を見ると、彼は切なそうな表情で亜季を見ていた。 まるで傷ついたように。「櫻井課長……?」「俺は、お見合い相手が君だと知ったから、お見合いを引き受けたんだ!」(えっ? 今なんて……??) 櫻井課長の突然の言葉に啞然とする亜季。 思わず櫻井課長の顔をジッと見つめると、目線を逸らしてきた。 しかも、ほんのり頬が赤くなっているではないか。(今の……聞き間違いではない!?) 思わない櫻井課長の恥ずかしそうな顔にドキドキしてしまった。 それでも課長は話を続けようとしてきた。「俺は……昔からこ
その後、亜季は夕食作りに取りかかる。 櫻井課長の「出るぞ」の声に合わせて脱衣場に向かった。 すると和季は、お風呂で温まりポカポカになったせいかボーとしていた。今の内に素早く受け取ると、体を拭いて着替えさせた。 水分補給をさせていると、しばらくして櫻井課長も着替えて出てきた。 亜季は和季を幼児イスに座らせると、手早くビールとおつまみの用意をする。 そうそう。櫻井課長に免許のことを話すのも忘れてはいけない。 おつまみとビールをテーブルに置くと、思い切ってパンフレットを見せながら事情を話した。「えっ? 教習所に通いたい!?」 やっぱり驚いていた。 櫻井課長は、お酒を飲みながら和季に離乳食を食べさせてくれていた。「えぇ、近所のママさん達に誘われたの。大きくなると、送り迎えとか必要になるから一緒に通わないかって」「だが……和季も居るだろ? 大丈夫なのか?」 櫻井課長は離乳食を食べさせるのをやめて、パンフレットを手に取った。 そう……そこが重要なのだ。託児所のことも話さないといけない。「聞いた話だと、一時的に預かってくれる託児所が近くにあるの。申し込めば、その間だけでも預けてくれるって」 やっぱりダメだろうか……? 櫻井課長は悩んでいる様子だった。眉間にシワが寄って、渋い顔をしていた。「お願いします! ちゃんと取れるように努力しますし。できるだけ迷惑をかけないようにしますから」 亜季は必死に頼み込んだ。そうしたら、ハァ~ッとため息を吐いてきた。「まぁ、何事も経験だ。やれるだけやってみろ。だが、やるからには真剣にやるんだぞ?」「もちろんです。ありがとうございます!」 嬉しさのあまり頭を下げた。(やった~明日にでも手続きに行こう。あ、参考書とか買わなくては……それから) 亜季は機嫌よく夕食の用意をした。気持ちは既に取る気満々だった。 そして夕食を食べ終わると、櫻井課長は和季を寝かせるために寝室に向かった。 その間に食器を洗うと、お茶の準備をする。ここからは大人の時間だ。 数時間後。櫻井課長がリビングに戻ってきた。「ふぅ~やっと寝てくれた」「あ、お疲れ様です。お茶をどうぞ」 ソファーの方のテーブルにお茶を置いた。 櫻井課長はソファーに腰を下ろすと、一息ついた。 和季は櫻井課長に絵本を読んでもらうのが大好きだ。そのために寝
(免許……? どうして、そんなことを聞くの?) 亜季は不思議そうに首を傾げた。「いいえ。免許は主人しか持っていませんが?」「あら、そうなの? これから大きくなると、塾や習い事とか送り迎えで必要になるわよ~」「私も普段は自転車なのだけど。上の子の習い事の送り迎えに必要だったから最近、教習所に通い始めたばかりなの。あ、そうだ。良かったら櫻井さんも一緒に行かない?」 亜季は思わない誘いを受けることに。車の免許か……。今まで課長が運転していたので考えてもみなかったことだ。「あ、でも……和季が居るし」「丁度近くに一時的に預かってくれる託児所があるわよ? 私は、その間だけ預かってもらっているの。えっと~確か教習所と託児所のパンフレットを持っているから、あげるわ。良かったら考えてみたら?」「ありがとうございます」 カバンからパンフレットを取り出して渡してくれた。 亜季はお礼を言うと、そのパンフレットを受け取る。 ペラッと見てみると、詳しく書いてあった。 本当に申し込めば一時的に預かってくれるようだ。 その後も免許の便利さや育児のことで話は尽きない。意見を聞いている内に、免許というものに興味を持ち始める亜季。 確かに和季が大きくなると、車が必要になるかもしれない。 習い事や塾……もしかしたら何かスポーツをやるかもしれないだろう。 そうなれば、送り迎えが必要になってくる。櫻井課長は仕事で忙しいだろうし……。 もちろん自分が免許を取れるかなんて分からない。 自分は器用な方ではない。でも櫻井課長に頼むだけ頼んでみてもいいかもしれないと思った。(もしダメなら諦めたらいいし。よし。帰って来たら、ダメもとで聞いてみよっと) 私は軽い気持ちで決断する。 その夜。夕食の下ごしらえをした後に、櫻井課長が帰ってくるのを待つ。 しばらくするとドアが開く音がした。今日は早く帰れるとメッセージがあった。「ただいま~」 櫻井課長が帰宅したようだ。亜季は慌てて、和季を抱き上げてから玄関まで出迎えに行く。「お帰りなさい。どうだったの? 久しぶりの会社は?」「あぁ、皆元気そうだったぞ。もう結婚のことや、お前のことやらで説明責めにあったが。はぁ~疲れた」 櫻井課長は、ため息を吐きながらネクタイを緩める。 (それは……また) 櫻井課長は、また営業部に戻る
「ハァッ……デキの悪い部下を叱り飛ばすより、精神と体力を使うのは何故だ?」 櫻井課長は、ため息混じりに味噌汁を飲み始めた。叱り飛ばすより疲れるらしい。 確かに、櫻井課長をココまで、ぐったりさせて疲れさせる人物を見たことがない。逆ならあったが。 会社の部下や上司たちが、この姿を見たら、きっと驚くだろう。 亜季でも驚いているぐらいだ。 亜季は苦笑いをした。チラッと和季を見ると、まだ半べそになりながら大人しくなっていた。よほど泣いて暴れたのだろう。「和季~ほら。機嫌直して離乳食を食べようか? お腹空いたでしょ?」 そう言いながらスプーンを口元に持っていく。ぐずりながらも口を開けて食べ始めた。「あ~ん」 亜季は、もう一口食べさせる。どうやらお腹が空いたらしく、あっという間に完食をしてしまった。 それを見ながら櫻井課長が「コイツ。ある意味、大物になるかもな」と呟いていた。「フフッ……そうですね。どうなるのかしら」 どんな風に成長するか楽しみだ。 その後。櫻井課長は朝食を食べ終わると、そのまま会社に出かけてしまった。 亜季は食器を洗った後に洗濯物を干していた チラッと庭から家の中を見ると、お腹が膨れて機嫌が直ったようだ。和季はオモチャを使って1人遊びを始めていた。 これなら、しばらくは大人しく遊んでてくれそうだ。 亜季はクスッと微笑むと洗濯物を干すのを再開させる。赤ちゃんだから汚したり、汗をかくので量も多い。干すだけでも一苦労する。今日はポカポカ陽気で天気がいい。(そうだ。せっかくだから和季を連れて、近くの公園に行ってみよう。ママ友ができるかもしれないわ) 洗濯物が干し終わると、和季をベビーカーに乗せて近くの公園に向かった。 公園は歩いて5分近くの場所にある。幼児用の遊具とかあるし、広い遊び場になっている。 幼稚園も近くにあるし、少し歩けばスーパーもある。帰りに買い物ができるから便利だ。 公園の中に入ると、数人の赤ちゃん連れや小さな子供を連れの母親たちを見かける。 亜季は緊張しながらも思い切って声をかけてみた。「あの……おはようございます。昨日から引っ越してきました、櫻井と言います。よろしくお願いします」「まぁ昨日から? はじめまして。私は木田(きだ)です」「私は、樋口(ひぐち)です。 よろしくお願いします」 次から次へと
慣れないことばかりだった海外とは違い、住み慣れた日本での生活。 亜季は不安より期待の方が大きかった。 すると一通りの指示が終わったのか櫻井課長がリビングに入ってきた。「和季の泣き声が聞こえたが。また悪さしたのか?」「あ、ごめんさない。 テーブルに乗り出すから注意したら、そのまま段ボールに頭ぶつかってしまって」「またか……相変わらず、そそっかしい奴だな」 亜季は苦笑いしながら報告すると、櫻井課長は呆れながら和季を抱き上げた。 ため息を吐くながらも、まだぐずっている和季をあやしてくれた。「後で近所に挨拶回りに行くぞ! これから色々と付き合いになるからな」「はい。そうですね」 仲良くなれるだろうか? 新米の母親だし、仲の良かったママ友とは離れ離れになってしまった。 アメリカでは特に仲良くしてくれた友達が1人居た。日本語も話せる人だったから、代わりに通訳もしてくれた。 その人のお陰で、他のママ友たちとも交流ができるようになれたが日本でも、そんな人ができるだろうか? そして夕方頃には無事に片付けが終了する。軽い夕食を済ませると、美奈子が帰ることに。 亜季と櫻井課長は車まで見送ることにした。「今日は、本当に助かったわ。ありがとう……美奈子」「遅くまで付き合わせて悪かったな。今日は、ありがとう」「いえいえ、どういたしまして。また何かあったら、遠慮なく呼んで下さい。またねぇ~」 美奈子は、そう言うと笑顔で手を振りながら帰って行った。 本当に頼りになるし、信頼ができる親友を持ったと思う亜季。 美奈子には本当に感謝ばかりだと。「帰ったな。亜季は素敵な友人を持ったな?」「ええ、自慢の親友なので」 亜季は笑顔でそう答えた。クスッと微笑む櫻井課長を見て嬉しくなる。 これからもずっと変わらない関係だろう。「さて、挨拶回りをしないとな。この日のために買ったヤツを出してくれ」「はい。分かりました!」 亜季は元気良くそう言うと、自宅に入り挨拶回りに必要な物を取りに行く。 そして一軒一軒、挨拶回りをする。これからの近所付き合いに必要なことだ。 子供が居るので特に気をつけないとならない。よく泣く子なので。 終わった頃には辺りも暗くなってしまった。周りの方々は、どの方も親切そうな人が多くて安心する。「ふぅ……やっと挨拶回りが終わったな」「そ
「あの時は、つい怒ってしまったが、確かに亜季は、そそっかしいところがあるな」「あ、智和さんまで酷い。私はそこまで、そそっかしくないわよ」 櫻井課長まで納得してくるので、亜季はショックを受ける。 確かに少しは、そうかも知れないとは思っていたが。それを改めて指摘されると複雑な気持ちだ。「あの時は、たまたま浮かれていただけよ! それは、それで情けないけど」「それよりさ~亜季は、もう会社に戻る気とかないの? 辞めてしまったけど、頼んだら、また一緒に働けない?」 亜季が言い訳をしていると、美奈子がそう言ってきた。 再就職ができたら素敵なことだが。「ごめんなさい。勝手に辞めた手前もあるし。それに和季が、まだ小さいし……」 さすがに幼い息子を残して仕事に行くわけにはいかない。いくら託児所や保育園があるとしても難しいだろう。 和季は、まだまだ手がかかるし、目が離せない状態。 それに亜季は、そこまで両立ができるほど器用ではない。「それもそうか……残念だわ。また、一緒に働きたかったのに」「ごめんね。私も一緒に働けたら嬉しいのだけど」 美奈子の気持ちに亜季は嬉しくなっていると、櫻井課長が声を上げる。「あ、見えてきたぞ。あそこの2階建ての一軒家が、新しく住む住宅だ!」 櫻井課長が言った方向を見ると、確かに2階建ての一軒家が見えた。「うわぁ~いいじゃない。素敵な家だわ」 美奈子が驚きながらそう言ってくれた。亜季も、その住宅に驚いた。 子供が居るなら広い方がいいと思って購入した。 自分だと、よく分からないため櫻井課長に全て任せてある。 少し古いが、木造で落ち着いた造りになっている。ベランダもあるし、庭も子供と遊べるぐらいの広さがあった。「中古だけど構造もしっかりしてあって、中もなかなか広い。庭もあるから和季を育てるのに、いい環境だと思ってココに決めたんだ。亜季もガーデニングができるだろう? まぁ、俺も気に入ったって言うのもあるが……」 少し照れくさそうに、そう言ってきた。古風な家を選ぶところは櫻井課長らしい。「私も気に入ったわ。日本らしくて素敵」 さすがセンスがあると亜季は感心する。 そして美奈子が車を駐車場に停めると降りた。間近で見ても立派だ。 鍵を開けて中に入って行くと、言っていた通りに広々としていた。「荷物の受け取りは、午後からだ
櫻井課長は困ったように、子供をあやしていた。 フフッ……何だか、不思議な光景だ。いつ見ても。亜季はクスクスと笑った。 あれから亜季と櫻井課長は結婚した。 亜季は慣れない環境に戸惑いながらも英会話スクールに通い、必死に英語を覚えた。 そして、二人の間に新しい家族が誕生する。息子の|和季(かずき)だ。 顔は、どうやら櫻井課長に似たらしく、最近の彼の悩みは、この子の将来のことらしい。 顔で怖がられないか、心配だとか。昔の亜季たちでは考えられない悩みだ。 お見合いで始まった亜季と櫻井課長だったが、今は、とても幸せだ。「お~い。亜季。櫻井課長~」「あ、久しぶり~美奈子」 私は嬉しくて、同期で親友の美奈子に抱き付いた。美奈子とはアメリカに行ってからも、こまめに連絡を取り合っていた。 今でも信頼ができる大切な親友だ!「わざわざ来てくれてありがとう。ごめんねぇ~迎えに来てもらって」「いいわよ~私も久しぶりに会いたかったもん。櫻井課長もお久しぶりです!」 美奈子は櫻井課長を見て、頭を下げた。「こちらこそ。本当に悪かったな、玉田」「いえいえ。せっかくですから……さあさあ、向こうに車を停めてありますので」 美奈子は、ニコッと笑顔なると案内してくれた。 櫻井課長が仕事の都合で、また日本に戻ることに。部長として……。 そのため家族で日本に帰国することにした。 そのまま美奈子の車に乗り込み、新しい自宅まで送ってもらう。「しかし、写メとかで見て知っていたけど、和季君って、本当に櫻井課長に似ていますよねぇ~?」「まあな。ある意味、それが心配の原因だが……」 後部座席で櫻井課長は、和季を抱っこしながら心配そうに言っていた。 亜季はクスクスと思わず笑ってしまう。 和季は、それを気にすることもなく、外の景色に興味津々。窓を見ながら、お気に入りのガラガラをブンブンと振り回していた。 しかし、ブレーキの弾みで和季のおでこが、ガラガラとぶつかってしまう。 ゴンッと、もの凄い音が車内に響き渡った。「あっ……!?」 一同、驚くと和季は大泣きをする。車内だから破壊力が凄い。「お前がガラガラを振り回しているから悪い。よしよし……泣くな」 櫻井課長は和季をあやしてあげる。和季は目尻に涙を溜めていた。 亜季は助手席に座りながら和季の様子を見ている。美奈子は
「それは、気づいていた。お前は真面目だからな。ずっと見ていたから、俺のために身を引いたんだと、すぐに理解した。悪かったな……俺のために我慢させて」 申し訳なさそうに櫻井課長は謝罪をしてきた。 別れの時も彼は理解した上で言ってくれたことは分かった。 だから余計に後悔した。自分の気持ちに、ずっと嘘をついて。それを櫻井課長のせいにしていた。「私は、智和さんに謝ってほしかったわけではありません。私は……それだと、ダメだって気づいたんです!」「……亜季?」「智和さんと別れて……ずっと後悔していました。寂しくて……何かをしていても、あなたのことが頭から離れなくて。だけど、ある人に言われて気づかされました。私は、ずっと智和さんに甘えていたんだと。自分から動かずに……ただ待っていただけ。それだけだとダメなんです。私は智和さんのことが今も好き。そのために、仕事も辞めて追いかけてきました!」 ずっと後悔をしていた。結局、割り切ることはできなかった。 だから青柳から言われた言葉は亜季にとって衝撃的でガツンと心に響いたのだ。 自分に、もう噓はつけない。自分の気持ちに素直になりたい。「私から別れると言っておきながら、勝手なことを言っているのは十分に分かっています! だけど……忘れられないんです。もう一度、私にチャンスを下さい」 亜季は震える体を必死に耐えながらも想いを告げた。しかし、櫻井課長は黙ったままで何も言わない。 やっぱり虫のいい話だと思われているだろうか? 彼の表情を見つめながら亜季は悲しくなっていく。亜季は涙が出そうだった。「悪い……嬉し過ぎて、どうにかなりそうだ」「……えっ?」 すると櫻井課長は、そのまま亜季をギュッと抱き締めてくれた。 亜季は驚いたが、思わず涙がこぼれそうになる。「智和さん……」と震えながら櫻井課長の名を呼んだ。「俺だって、亜季のことを忘れたわけではない。君のことが諦め切れなくて、日本に戻れる時があったら、もう一度と、何度想ったか分からない。それを言うのは、本当は俺の方だ。亜季……結婚してほしい」 櫻井課長は亜季を抱き締めながら、プロポーズをしてくれた。 亜季の目尻には涙が溢れてくる。受け入れてくれた。 変わらずに想っていてくれたのが何より嬉しかった。「……はい」 ギュッと抱き締めながら亜季はプロポーズを受け入れ
それからの亜季の行動は早かった。 一身上の都合で会社を辞めることにした。もちろん迷惑にならないように、仕事の引き継ぎはしっかりとやる。 任された遊園地の担当は、男性の後輩に譲ることにした。彼は目を輝かせて喜んでいた。 念のために必要なアドバイスをいくつか教えておく。 そしてパスポートや飛行機のチケットを取った。 他の人から見たら、せっかくの担当なのにとか、考えなしの無鉄砲な行動をしていると思われるかも知れない。 それでも亜季自身は櫻井課長のところに行くと決めたのだ。 美奈子に話したら、驚いていたが応援してくれた。 そして飛行機でアメリカに旅立つ。 目的地は櫻井課長の現在在籍している姉妹会社。不安がないわけではない。 自分からフッた女を櫻井課長は受け入れてくれるだろうか? 受け入れてくれたとしても初めての環境と、まともに話せない英語。 上手くやれるかも分からない。 (智和さんは、きっと私の気持ちを配慮して、何も言わなかったかしら?) その可能性は高い。任せてくれた時は凄く応援してくれていた。 そんなことも知らずに、勝手に誘ってくれなかったと拗ねていたのだろう。 本当に情けない。今度は間違えないように、ちゃんと話し合いたい。 亜季は飛行機の窓から外の景色を眺めながら、そう思った。(課長……会いたい。それでも私は……もう一度) 飛行機は何時間もかけて、アメリカに向かって飛んで行った。 そして無事にアメリカに到着する。 空港から出ると、亜季は地図と場所を書いたメモをカバンから出して確認する。 会社の場所は、八神から聞いた。 そして詳しく場所を書いた英語のメモ。 彼にお願いをして書いてもらった。 亜季の決心を聞いた八神は協力をしてくれると言ってくれた。 彼には本当に悪いことをしたと思っている。自分の勝手なワガママに。 タクシーの運転手に、そのメモを渡して会社まで行ってもらう。 自分の気持ちを心に秘めながら、タクシーは走り続けた。 そして、しばらくタクシーで走っていると、目的の会社が見えてきた。 櫻井課長が新しく勤めている会社は思った以上に凄く大きかった。 (ココで課長が働いているのね……凄い) タクシー代とチップを払うと、降りて会社の中に入って行く。 受付で櫻井課長の所属している課を尋ねた。しかし下手な英
「そういうのを人は、甘えだと言うんだ。確かに、失恋は時間が経てば解決することもある。しかし、それから逃げたり自分の気持ちに嘘をつけば、必ず後悔する。君のは、自分から逃げているだけだ。相手が、どうとか言い訳をして、気持ちをひた隠しにしているだけ。そんな奴が成長なんて期待ができるわけがないだろう」 青柳は強い口調で厳しく言う。その言葉は亜季の心に深く刺さった。 腹が立つほど図星を言われたからだろう。「だって……仕方がないではないですか!? 私は責任がある大きな仕事があるし、櫻井課長は海外に行ってしまう。私が止めることなんて無理だし」 だって……本当は行ってほしくなかった。 でも、彼の出世の邪魔なんてできない。 だったら、別れるしか選択肢がない。 それがいけないことなのだろうか?「……無理? それで、君は満足しているのか?」「……えっ?」「自分に嘘をついてまで我慢をして。今の現状を本当に満足ができているのかと聞いているんだな?」「満足って。そんなの……しているわけ」 そんなのしている訳がない。辛くて……今にも泣きだしそうだった。 ずっと後悔ばかりで、自分でも呆れるぐらい情けないだけ。 大きな仕事を任されて、充実しているとは言えなかった。「どうして、一緒について行かなかったんだ?」「だって……」 櫻井課長に、ついて来てほしいと言われなかった。 やらなければいけない大切な仕事だってある。それを目標に今まで頑張ってきたので放り投げることができないし。「離れたくないなら無理やりでも一緒について行けば良かっただろ? なのに……そんなこともしない。それは新しい環境や不安。仕事を言い訳にして、他人任せで相手を信じていなかったせいだ! どこかで、辞めてくれるのではないかとか、相手が動いてくれるまで待っていただけの甘えだ」「………」 青柳の言葉は、キツいが真実を言われているような気持ちになった。 胸がギュッと絞めつけられているみたいに苦しい。 そのせいか何も言い返せなかった。(自分は櫻井課長に甘えていた……?)「自分から逃げているだけの奴が、相手に振り向いてもらおうなんて考えが甘い。逃げるなら最後までぶつかってからにしろ」 青柳の言葉にハッとさせられる。(私……今までどうしていたんだっけ?) 櫻井課長に誤解を解いた時も……初めて泊ま