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第5話

Auteur: 真田零
夫は怒って話していた。本来なら声を潜めるべきところを、大きな声で話していたため、私にはっきりと聞こえてしまった。

「父さん!約束したじゃないか、僕が父さんと母さんを離婚させたら、200万円くれるって。僕には本当にこのお金が必要なんだ!」

息子の声が響いた。私の頭はガンガンと鳴り始めた。

離婚?!200万円!?

「もちろんだよ。俺もこの数年、お金は一切使わず貯めてきたんだ。それに、約束だぞ。俺が雪子と結婚するのに反対はしないってな」

その後の話は、もう耳に入らなかった。

なんだか自分がおかしいと思えた。

脳梗塞になったという一言で、またもや大金を騙し取られるなんて。

それに、私がそれを信じてしまった。

私は午後の間、街をさまよい続けた。

いろいろと考えた末に、離婚することを決意した。

親友にも誰にも言わなかった。

今回ばかりは、強い決意が必要だと思ったから。

私は何事もなかったかのように装った。

チキンスープの出前を注文し、タッパーに移して病院へ持って行った。

夫はまだベッドで弱々しいふりをしていた。

息子がやってきて、私を病室の外に連れ出した。

彼は困った顔で私を見て、口ごもっていた。

彼が何を言いたいのかは予想がついたが、私は急かさなかった。

そしてついに、息子は我慢できなくなった。

「母さん、母さんと父さんはこんなに長い間一緒にいるけど、けんかばかりで、もう感情なんてないんじゃない?」

私はため息をつき、自分の服を軽く叩いた。

「長年連れ添った仲だもの、感情があるとかないとか、そんなのはどうでもいいの」

また、しばし沈黙が訪れた。

息子が再び口を開いた。

「父さん、昨日少しだけ目を覚まして、離婚したいって言ってたんだ」

私は息子の方を向いて見つめ、思いがけず沈黙していた。

息子は少し驚いたように私を見つめた。

「母さん、なんで何も言わないの?」

「実は、森田にも最近、離婚を勧められているのよ。でも、私はあなたのことを思うと心が痛むの。離婚したら、あなたが一人で父さんの世話をして、一家を支えることになる。とても大変だもの」

私がそう言うと、息子は目標が達成されそうだと感じたのか、少し興奮し
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    親友はコンロの火を止めて、腰に手を当て、私に電話に出るよう促した。「お母さん!今朝どうして大翔を学校に送ってくれなかったの?先生から電話があったんだよ!どうしてこんな大事なことを忘れるの?今、大翔にとって勉強がどれだけ大切かわかってる?どうしてこんなミスをするんだよ」口を開いて説明しようとした瞬間、親友がさっと手を伸ばしてスマホを奪い取った。「ふん!あんたの父親は死んだのか?それとも死んだふりか?子どもを送っていくこともできないのか?なんでもかんでも母親にやらせて、彼女を家政婦とでも思っているのか?家政婦には給料があるけど、君は母親をどう扱っているんだ?恥知らずが!言っとくけど、もうあんたのお母さんはやらないってさ!これからは私と一緒に暮らすからね!家のことなんて誰にやらせようと勝手にしな!」親友はもうすぐ六十だが、力強く怒りをぶつけている姿は頼もしかった。その怒りに、私の悲しみが一気に吹き飛ばされた。私は涙をこぼしながら、親友の肩を軽く叩いた。「ご飯にしよう。お腹が空いたわ」余計なことは何も言わなかった。私たちの間には、それ以上の言葉は必要ないのだ。しばらく親友の家に泊まるつもりだったが、持ってきた荷物はほんの少しだけだった。親友は「新しいのを買えばいいじゃない」と言ったが、私は倹約が身についているので、家に戻って少し荷物を取りに行く方がいいと思った。彼女は車で私を家まで送ってくれた。家に入ると、家族全員が食卓で出前を食べていた。孫は楽しそうに食べていて、「おばあさんが作るご飯より、これの方がずっと美味しい!」と叫んでいた。親友は冷たく笑って、いかにも強気な婆さんという感じで言った。「へえ、じゃあ毎日これを食べればいいわね!これから誰が面倒見てくれるんだろうね!」すると息子が口を挟んだ。「森田さん、大翔はまだ子どもですよ?なんでそんなに突っかかるんですか?それに、確かに母さんのご飯よりこっちの方が美味しいんだから、別に言ってもいいじゃないですか」息子がそれをかばうのを見て、私は眉をひそめ、不満を抑えきれなかった。「私に言うならともかく、森田さんにもそんな言い方するの?彼女はあなたより年上なのよ。あなたは礼儀がないの?」夫は、私が息子を叱るのが気に入らないのか、箸を叩きつけて、顔をしかめた。

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    そう言い終わると、彼はドアを閉めて去っていった。寝室の外からは、嫁の声が聞こえてきた。「ご飯も作れないの?また外で食べなきゃいけないなんて、本当に怠け者なんだから!」息子が小さな声でなだめると、やがてすべてが静かになり、二人は仕事に出かけていった。しかしすぐに、また耳元に夫のいびきが響いてきた。 よくもまあ、こんなに安らかに寝ていられるものだ。 でも、どうして?なぜ私が全ての家事をしなきゃいけないの? どうして、たった一度のケガでご飯を作らなかっただけで、何もしていないと責められるの? 私がしてきた努力や苦労は、誰にも見えないというの?ふと、心が重くなった。 耳元では夫の大きないびきが響き続け、頭の中には今日やらなければならない仕事が浮かんでいた。 まるで40度を超える暑さの中で、密閉された家に閉じ込められているようで、息苦しさを感じた。それでも私は起き上がった。 つらい体を起こして服を着替え、孫を起こしに行った。 うちのぽっちゃり坊やはとりわけ寝坊助で、なかなか起きない。なんとか起こして、時間が迫っていることを気づかせようとした。 濡れタオルで顔を拭いてあげようとすると、彼は怒ってそっぽを向き、私を睨みつけた。「触るなよ!お前なんか大嫌いだ!」私は辛抱強くなだめようとしたが、彼はさらに激しく反発した。「クソババア!お前なんかただの家政婦だろ?何の権利があって俺に構うんだよ!パパに頼んで、お前なんか追い出してやるからな!俺はお前なんかいらない!別の家政婦を雇ってもらうから!」孫のあり得ない暴言に、私の心の中で築いてきたものが一気に崩れ去った! 涙がこぼれそうになり、何もかも諦めたくなった。こんなにも尽くしてきたのに、この家族は誰一人として私のことを見ていない。若い頃は、仕事をこなしながら義両親と夫の世話をしてきた。 一日三食を用意し、洗濯をし、義両親の介護もしてきたし、子どもも自分一人で育てた。 猫の手も借りたいほど、毎日忙しかった。ずっと、退職すれば楽になると信じてきた。 でも今、年老いて退職しても、当時とやっていることは変わらない。 洗濯も料理も、子どもの送り迎えも、毎日忙しく、自分の時間などほとんどない。損をしても構

  • 離婚後、60歳の私は新たな人生を手に入れた   第1話

    事故の相手の運転手は、家に何度も電話をかけてくれたようだが、誰も電話には出なかった。きっと、家族は皆忙しかったのだろう。孫の誕生日を祝うのに夢中で、私のことはすっかり忘れられていたのだ。簡単な治療が終わると、運転手が私を家まで送り届けてくれた。玄関に近づくと、中から賑やかな笑い声が聞こえてきた。この家には私がいなくても、何も変わらない。ぼんやりとした気持ちで鍵を取り出したとき、手元が緩んで鍵を落としてしまった。すると、その音でようやく家族が私に気づいた。少しは気まずい顔をするかと思ったら、みんな平然と私を一瞥するだけで、特に気にしている様子もなかった。「なんで今頃帰ってきたんだ?どこをほっつき歩いてたんだ?孫の誕生日だってのに、気が利かないな」と、夫が不機嫌そうに文句を言った。私は無理に笑顔を作り、孫の顔を見つめた。「大翔、ばあちゃんがね…」小さな金のロケットを買ってきたんだよと続けたかったが、息子の妻が私の言葉を遮り、「お母さん、遅すぎよ。もう食事は済ませたから、片付けをお願い。それと、キッチンに何か食べるものが残ってるか確認して」と、孫を連れてさっさと席を立ってしまった。息子はスマホに夢中で、私には一切気を配らなかった。夫もまた、歯をほじくりながら、「この手羽先、まずいからお前が食べろ。食べたらテーブルを片付けとけよ」と、私に指示して立ち去った。たった数分で、さっきまでの楽しげな声が消え、あたりは静まり返った。やはり、私の存在が、彼らの楽しさを邪魔してしまったようだった。テーブルには骨の山、クリームがべたべたとついたケーキ、かじられたまま放置された手羽先が残っていた。なんとも皮肉な光景だった。腕に巻かれた包帯を見つめ、自嘲気味に笑った。腕は胸の前に吊られているから、家族が気づかないわけがない。でも、誰ひとりとして「どうしたの?」とは聞いてくれない。私は椅子に腰を下ろしてしばらく休み、ようやく重い体を引き起こして片手で片付けを始めた。片腕が動かせないせいで、普段の倍以上の時間がかかり、ようやくダイニングだけは片付け終えたが、食器はまだ洗えなかった。時刻はすでに深夜12時を過ぎ、家の中は静まり返り、皆が眠りについていた。食器が山積みのシンクを眺めて、深い溜息をつき、洗うの

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