暗闇でギラリと光る赤い瞳がこちらを見つめている。距離は5メートル以上も離れているが、油断はできない。 俺のステータスは5歳児並みらしいからな。走って逃げたところで、アニメみたいに尻を噛まれる。 いや、それですめばいい。捕まったら間違いなく食い殺されるだろう。生きたまま食われるなんて考えたくもない。(犬と対峙した時は、目線を逸らしてはいけないって本で読んだことあるな……) 精一杯の睨みを効かせながら、ゆっくりと後ろに下がっていく。(右手 シャドークロー) 万が一のためにスキルを発動させる。すると、その瞬間、先ほどまで数歩先も見えなかった視界が驚くほど広がった。 もちろん、夜の闇は変わらない。しかし、まるで月や星の光が増したかのように、しっかりと目の前のミドルハウンドの姿が掴めるようになった。 昼に比べても半分ほどの視界の広がりだ。 その変化に驚きながら、思わず声を発してしまった。「え!?」 その声を皮切りに、ミドルハウンドが一気に距離を詰めてきた。「うわああああ!」 俺の喉元を目がけて獣が飛び上がる。 牙を突き立てようとした瞬間、とっさに右手のシャドークローを前に突きだした。 ズジュウウウウ! 痛みを覚悟して目を閉じてしまったが、自分の身体が無事であることに思わず驚く。 恐る恐る目を開けると、目の前には首から上を失ったミドルハウンドが横たわっていた。「やった! やはり俺のスキルはモンスター用だったんだ!」 命の危機を回避した俺は安堵し、その場にへたり込んでしまう。 同時に猛烈な空腹感に襲われた。「これ、食べちゃおっか……」 右手のシャドークローを当てると、昼間の光景が嘘のようにモンスターの体を切り裂いていく。 自炊経験はないが、なんとなく皮や骨を削ぎ落とし、可食部を切り分ける。 右手にシャドークロー(ナイフ)、左手にフォーク(素手)。テーブルマナーなど無視だ。さっそく生肉を食べてみた。(この獣臭さがジビエってやつか? 臭すぎるけど、空腹よりはマシだ。吐くのを我慢すれば、なんとか食えるな) 血がしたたる生肉のおかげで、飢えと渇きをしのぐことができた。「百獣の王黒川……ってか?」 レバーの部分を口に含み、得意げにニヤリと笑う。 命のありがたみを嚙みしめるとき、ライオンさんもこんな気持ちなんだろ
もう空が明るい。遠くに朝焼けが見える。 さすがに歩き続けて足が棒のようだ。半日も動き続けていたら当然か。 ちょっと先の木々の合間に、座って休めそうな倒木がある。周辺は少し開けていて、辺りを見渡すことが出来そうだ。 少し腰をおろしたところで罰は当たらないだろう。この森を抜けるまで、まだまだ俺は歩き続けなければならないのだから。「あ~、疲れた。限界だよもう」 倒木に座ろうとしたら、ひざが言うことを聞かない。体を支えることを放棄して、ドサッと崩れ落ちてしまう。 太ももが、足の裏が、じんわりと蓄積した疲労を訴えかけてくる。 なぜか背中まで筋肉が張っていて、上半身を丸めると楽になると気づく。 ふぅと息を吐くと、急激な眠気に襲われた。さすがにこの状況で寝たらまずいだろうな……。 朝を告げる鳥のさえずりが聞こえてくる。今の俺には子守歌だ。 木々の隙間から差し込む光が、寝るな寝るなと注意してくれてるみたい。(ステータス) 黒川 夜 レベル:2 属性:闇 HP:10 MP:10 攻撃力:5 防御力:5 敏捷性:5 魔力:5 眠気に負けないように、ステータスを開いてみる。「おかえり5歳児……」 残酷な現実を突きつけられた。 今の俺ではスライムにすら殺されるだろう。 先ほどまで張っていた気もショックで緩み、一瞬で眠りに落ちてしまった。********** ……ザシュ ザシュ ザシュ 何かの足音と、いつの間にか眠ってしまった自分に驚く。「うわっ!」 叫びながら眼を覚ます。 音のした方に目を向けると、同じような服装をした男性が斧を持ってこちらに歩いてきている。 長身でガタイがいい。40代後半くらいだろうか。自分とは違う緑色の短髪を見ると、異世界の人だなぁと感じてしまう。
「なんじゃエミル、騒がしいのう……そのガキはなんじゃ?」 村長が俺を指さしながら目を細め、エミルさんに問いかける。彼の目には、少し不安そうな表情が浮かんでいた。栗色の瞳に口元とあごに長い白髭をたくわえた老人だ。「村長、こいつはラカンの森で迷子になってたんだ。どうやら記憶喪失らしく、自分の名前くらいしか覚えていないらしい。しばらく村で世話をしてやりたいんだが」 エミルさんの言葉に反応した村長は、顎の下のひげを撫でながら、眉を落として深い思索に沈んでいく。顔には深いしわが刻まれているが、その瞳はまだ若々しく輝いていた。 せっかく紹介してもらったので、それに続く。「ジョール村長、お初にお目にかかります。俺はヨールといいます。この村で食事がとれる場所と宿を紹介していただけますか? あと、何も分からなくって……。この世界の常識やお金の稼ぎ方、近くの街などの情報も教えて頂きたいのですが」 俺は、グリードフィルで生きていく上で必要なことを聞く。 ふむふむと口の周りのヒゲを動かし、村長はゆっくりと語り始めた。 女神の話していた通り、この世界には4つの大きな国が存在し、北に巨人族の国アトラストリア、東に魔人族の国デモネシア、西に獣人族の国ビーストリア、南に人族の国ヒューマニアがあるという。 ジョール村はヒューマニアの南西に位置しており、なんと自分が通ってきた森の道を逆方向に進むと、この辺りの領主が治める少し大きな街、レギンの街に着くのだとか。 なんでも、レギンの街には冒険者ギルドという何でも屋の集まりみたいな場所があるらしい。そこで日銭を稼ぐこともできるようだ。「2週間後にレギンの街へ税として穀物を収めに行くんじゃが、その時について来てもええぞ。この村には食堂や宿なんかは無いからエミル、お前のところで世話してやりなさい」 村長が見ず知らずの俺なんかにメリットしかない提案をしてくれた。この世界に来てから、優しい人ばかりだ。 仕事を斡旋してもらえるかもしれない。とりあえずは冒険者ギルドで話をしてみようと思う。「分かった。このヨールは、変な奴だが悪人ではなさそうだ。村のみんなにも、俺
下の階からエミルさんの大きな声が聞こえる「ヨール、起きろ! 飯にするぞ!」 ゆっくりと起き上がり、リビングへと降りていく。 もう外はすっかり暗くなっており。ロウソクの明かりがぼんやりと家の中を照らしていた。「すみません、寝すぎちゃいました。でも、おかげさまで体調はばっちりです。助かりました」 すでに椅子に座っていたエミルさんとマチルダさんに頭を下げる。 いい匂いに釣られて視線を動かすと、4人掛けのテーブルに料理が並べられていた。マチルダさんが焼いてくれたピザ生地のようなピーのパンと、野菜とソーセージのスープが美味しそうな湯気を立てている。「いい香りですね! 寝食ともお世話になってしまい申し訳ありません。このご恩は必ずお返しします!」 見ず知らずの自分のために、寝床とご飯まで用意してくれているのだ。いくら感謝を伝えても足りないくらい。俺にできるのは、明日から行動で示すことのみ。「素直な子ね、エミルが森で子供を見つけてきたって言うもんだからびくりしたのよ。可愛らしい顔をしているのね。まだ若いんじゃないの?」 マチルダさんが話しかけてくれた。癖のある栗色の髪に薄い青色の瞳。少しふくよかで、笑顔が素敵な朗らかな女性だ。 小さい時は、よく女の子に間違えられていた。背は170cmを超えているんだけど、童顔で色白な見た目から、友人からはよくからかわれていた。お嬢様なんて呼ばれたりね。「おそらく17歳くらいだとは思うんですが、記憶が無くなってしまっていて……」「ヨールに何があったのかは分からないが、俺たちに出来ることなら力になってやる! 何でも相談しろよ! 2週間と短い間だが遠慮は要らないからな!」 こんないい人たちに嘘をつくのは忍びないけれど、異世界から来たと正直に言うことでさらに変人だと思われるよりマシだろう。 ……でも、エミルさんもマチルダも優しすぎる。こんな俺の力になってくれるなんて。 右も左も分からない新世界での生活で、罪悪感と温かい感情に包まれて、自然と涙がこぼれていた。
……まぶたの裏が明るい。鳥のさえずりが聞こえる。「ふぁー。朝か」 学校に通う習慣で、いつも同じくらいの時間に目が覚めてしまう。体感てきには朝の7時くらいだろうか。(そういえば、この世界の1日は何時間なんだろうか? 後でエミルさんに聞いてみるか! 2日過ごしてみたところ、地球とそう変わらないように感じるんだけど……) エミルさん夫妻がまだ寝ている可能性もあるため、そっと部屋を出る。 しかし、キッチンのほうから軽快な包丁の音が聞こえる。マチルダさんが朝食の準備をしているのだろう。「おはようございます、マチルダさん」「あら、ヨール君おはよう。まだ寝ていてもよかったのよ? 昨日はお昼寝もしていたから、早起きしちゃったのかしら?」 挨拶すると、手を止めたマチルダさんが棚の扉を開く。「自然と目が覚めてしまいました。柵作りに遅れなくて良かったです。何かお手伝いしましょうか?」「大丈夫よ、外の井戸で顔を洗ってらっしゃい。着替えがあったほうがいいわね、息子のお古が着れるかしら? 桶に水を汲んでこれで体を拭くのよ」 桶の中にスポンジのような物とあまり水を吸わなそうなタオルが入ったお風呂セットを手渡される。よく見ると、そのスポンジは何かの植物のようだった。 マチルダさんいわく、この世界では体を洗うのにサボンというトゲのある植物を使うらしい。乾いた土地に生える植物で、体内に水を溜め込むために、スポンジのような性質を持っているのだとか。サボテンとかヘチマとかそういう種類なんだろうな。 表皮を剥いて中身を乾かすと、フワフワで網目状の物体に変わる。なんどか水を吸わせたり干ししたりしていくうちに、体の汚れを落とすのにちょうどいい硬さになるらしい。たしかに何度か握りしめてみると、ゴワゴワした感触がハードタイプのボディタオルみたいだ。 さっそく外に出て、井戸に向かう。 この世界の習慣なのか、他の村人も集まっていた。自己紹介を交えつつ頭を下げながら水を汲む。 周りを見習いながらサボンに井戸水を含み、軽く絞って
それにしてもこの魚は美味すぎる。見た目は子供のころドブ川で網ですくったことがあるハヤとかオイカワみたいな小魚と変わらない。頭からさっくり丸ごと食べれるくらい骨が柔らかいから、食べ応えもある。 最初はエミルさんの作る野菜が特別なんだと思っていたけど、この世界の食べ物が異常に美味しいんだな。「魚があるってことは近くに川があるんですか?」 魚が食べれるのは幸せだ。もし近くに川があるなら、俺が調達に行ってもいい。釣りも好きだしね。 試しにエミルさんに聞いてみた。「ラカンの森の道から外れて森の中へ行くと、いくつか湖がある。週に1回は体をしっかり洗うために、何世帯かでまとまって行く。その時に魚を捕って塩漬けにしたり、スモークしたり、干したりと加工をするんだ。4日後にヨールも行くことになるぞ!」 村だからこそ、みんなで助け合って生きてるんだな。 ちょっとずつこの村の生活様式が分かってきたようでうれしい。「どれ、少し早めに出かけるとしよう!」 仕事に行く前に、エミルさんが村を案内してくれた。 全ての家を回ることはできなかったけど、村の人と挨拶や簡単な会話をすることができた。 みんな気を遣ってくれたのかも。 人口は少ないが、畑や畜産のスペースが多く、東京ドーム何個分なんて表現ができそうな広大さだった。「さあ、森に向かおう! モンスターが出ても慌てず俺の指示に従うんだぞ!」「よろしくお願いします!」 エミルさんは背中に麻縄で斧を背負い、腰にはナタを下げていた。 金属は貴重なようで、エミルさんの斧やナタは代々受け継がれてきたものだという。 使い込まれたナタなんて、年季が入ってとても格好よかった。「ところでヨール、お前ミドルハウンドを倒したんだったな?」 エミルさんがふと思い出したかのように質問してきた。「はい、まぐれみたいなもんですが……」 会話を遮るように、ガサガサと茂みが揺れる。 身構えながら注意深く観察していると、スライムが顔を出す。「1匹か…
「ヨール、無理なら無理と最初から言わないか! ミドルハウンドを倒したと聞いていたから、どの程度戦えるのか見ておく必要があると思ったのだが、まさかスライムと目の前で死闘を繰り広げられるとは思わなかったぞ!」 怒気混じりにエミルさんに叱られてしまった。 指示に従うよう言った自分の指示で、俺が怪我をしてしまう可能性があったのだから、ハラハラさせてしまったのだと思う。本気で心配してくれたからこそ、こうして怒ってくれたエミルさんには本当に申し訳ない。「実は、自分の力がまだ良く分かっていなくて。自分のスキルがもしかしたらモンスターに有効なのかと考えていたんです。心配かけてごめんなさい……」 本心を話す。ここで嘘をついて、自分をよく見せるわけにはいかない。 まったくもうと言いながら、エミルさんはガシガシと俺の頭を乱暴になでた。 参考までに、エミルさんのステータスを教えてもらう。 エミル レベル:22 属性:なし HP:1220 MP:600 攻撃力:180 防御力:130 敏捷性:120 魔力:60 装備 ・村人の服 ・村人のズボン ・麻紐のベルト ・木こりの斧(攻撃力+30) ・ナタ(攻撃力+10) スキル ・なし なるほど、俺とは大違いだ。 これだけ強ければ、この森を安全に一人で歩けるのだろう。「じゃあ少し教えておくか」 歩きながら、エミルさんが色々と教えてくれた。 この辺りに出現するモンスターで一番厄介なのは、オークという猪型の二足歩行の魔物。棍棒や人間の落とした武器などを持っており、筋肉質で非常に力が強い。知能もそれなりにあり、コロニーを形成することもあるのだとか。 オークが集落を作ってしまうと、ハイオークという上位種が生まれることがある。そうなると騎士や腕に覚えのある冒険者などが討伐隊を組み、掃討する必要が出てくる。 だが、いまのところラカンの森ではハイオークが確認され
実際戦っても危ないだけなのだから、戦力外通告を出されてしまってはしょうがない。 エミルさんと会話をしながら森の中を進んでいく。 これから向かう場所は、コルの木の群生地。コルの木は成長が早く、かなり大きくなるという。切ってから2日ほど天日干しにするだけで異様に硬くなるらしい。だからこそ、あらかじめ必要な形に加工しておかなければならない。木目も美しいので、家具でも住居でも満足のいくものが作れる優秀な木材だ。 しばらく歩いていると、目的地に到着したみたい。俺が倒木に座り休んでいた場所の近くだ。道中はスライムが2匹出てきただけで、他のモンスターとは出会わなかった。その2匹もエミルさんがあっという間に踏み潰しちゃったけどね。「よく見ていろよ? ヨールにはこれをやってもらう」 エミルさんは斧を両手に取り、すごい力でコルの木を切り倒してしまった。そこからさらに、柵作りに使用する為の杭の長さに切り分けていく。 ナタに持ち替えると、今度は木の表面に鋭利な部分を押しつけながら線をつける。器用に一本分の杭の大きさに切り出し、地面に刺さりやすいように片方の先端を尖らせた。 さて、ここから作業分担だ。エミルさんが斧で木を切り倒し、俺がナタで柵の杭を作っていく。 エミルさんのように上手くはいかなかったが、丁寧に砥がれたナタの切れ味はすさまじく、なんとか杭の形にはなったかな。「エミルさん、どうでしょうか? ちょっと時間はかかっちゃいましたが一つ完成しました。この杭で刺せば俺にもスライムくらいなら倒せちゃうかもしれませんよ!」「ちょいと不恰好だがまあいいだろう。それと、お前には重すぎてこの杭は扱えねえよ。がははは!」 この世界に来て初めて一笑いゲット。小さくガッツポーズをした。 しばらく作業をして、お昼はマチルダさんお手製のピーのサンドウィッチを食べた。ナンのようなパンに、カイワレ大根のようなシャイと呼ばれる野菜とスクランブルエッグを包んだものだ。甘めのドレッシングで味付けされており、これまた最高に美味い。 少し休憩を取り、また作業再開だ!「そういえば1日はどれくらいの長さなんですか? 年齢が
ギルドに戻ると、依頼を終えた冒険者で溢れ返っていた。打ち合わせスペースが使用できるのかと不安で見回すと、ミシェルさんはちゃっかりと席についていて、こちらに手を振っていた。 人ごみを掻き分けなんとか辿り着くと、講義の始まりだ。「まずは依頼だけどねー。」 依頼には通常依頼と指名以来の2種類がある。通常依頼は、掲示板に貼られている依頼表を取ったり、受付で案内してもらうことで受注できる。掲示板の依頼は個人が依頼した物で、所謂美味しい依頼が多く、冒険者は依頼が貼り出される時間になると、掲示板の周りに集まる。指名以来は、信頼の出来る冒険者に任せたい依頼者が受付嬢を通し、冒険者に依頼する。 依頼表は手に取ると消え、情報がプレートに記録される。依頼完了時は、プレートを受付嬢に渡すと依頼情報を読み取る魔道具を使用し、依頼内容が表示される。表示されるといっても番号が出るだけで、リストから番号を参照し、確認するという仕組みだ。 依頼を失敗すると違約金を取られるので、自分に合った依頼を選べないと破産してしまう。 ブロンズ級の受付で受注する依頼の例として、薬草採取が1本あたり大銅貨1枚、ミドルハウンド退治が1体あたり大銀貨1枚等々だ。スライムは退治しても砂粒状の魔石に変わるため、見つけるのが面倒だし、砂粒を持ち込まれても魔道具で覗かないと判断できないので、適当にボランティアで踏み潰しておいて程度の扱いらしい。モンスターを何体倒したかのカウントはモンスターから切り取った鼻の数でとる。鼻の無い魔物は討伐部位が指定されているので、モンスターの知識は深めておきたい。 ダンジョンはシルバー級から利用できる。ギルドの受付で入ダン料を払い、木札を受け取って、ダンジョンの入り口にいるダンジョン管理員に渡すと中に通される。シルバー級は小ダンジョンまで、ゴールド級で中まで、ミスリル級以上で制限が無くなる。 ブロンズ級のヨールもギルド規定上は小ダンジョンまでなら利用できるのだが、パーティーを組んでいないと断られる可能性が高い。「なるほど、勉強になりました。ミシェルさんは何級なんですか?」「わたしー? えっとねー……」
ギルドに到着すると、依頼を終えた冒険者が徐々に増えてくる時間帯であった。その活気ある雰囲気は、さながら祭りのようで、周囲には賑やかな笑い声やおしゃべりが響いている。多くの冒険者たちが、仲間たちと共に成功を祝ったり、次の冒険に向けて意気込んでいた。「結構いい時間になってしまったな」 自分に言い聞かせながら、さっそく受付に並ぶ。列はあっという間に進み、5分ほどで自分の順番が来た。そこには、昨日お世話になったアンネさんとはまったく異なる雰囲気の受付がいた。「おーっす新人ちゃ~ん! 依頼か~い?」 明るく無邪気で、まるで長年の友人のような親しみを感じる。さらりと軽い金髪に、薄い緑色の瞳。整った顔立ちも相まってホストみたいな雰囲気だ。ギルドといえば可愛い受付嬢のイメージだったけど、若いお兄さんのパターンもあるんだね。「いえ、本日初心者講座を予約してましたヨールといいます」「おっ、なーるほどねー。おーい、大先生! 生徒さんがいらしたぞー?」 異世界版パーティーピーポーだなぁ、なんて思っていると、明るい笑顔で振り返った女性が目に入った。「じゃ、ちゃちゃっとやっちゃいますかヨール君!」 名前を呼ばれて振り返ると、ミシェルさんが手を振っていた。「よろしくお願いします、ミシェルさん! 昨日の今日で奇遇ですね。」 ミシェルさんは、上品に染め上げた絹糸のように艶やかな濃紺の髪を後ろでまとめ上げ、肩から首にかけすっきりとした印象を与えている。彼女が身にまとっている鉄の胸当てに、軽やかな皮のスカートがよく似合っていた。依頼の後なのだろう、微かに埃にまみれた右頬が彼女に一層の勇ましさを与えている。まるで戦場に立つワルキューレが目の前にいるかのようだった。「とりあえず、冒険者の店に行くよー」 彼女の軽やかな声に導かれるように、店へと足を運ぶ。 冒険者の店とは、ギルドが運営している冒険者の必需品を網羅したアイテムショップだ。初心者から上級者下位までの装備も取り扱っており、1階に必需品、2階に武器や防具を置いている。 ギルドに併設された2階建ての店は、冒険者たち
「すみません、店員さんはいらっしゃいますか?」「はーい、本日は何をお探しでしょうか?」 店内に心地よいベルの音が響く。整然と並べられた服たちが、まるで新しい持ち主を待ち望んでいるかのように柔らかく揺れていた。「あ、あ、あの、そ、ぐふふ、こで、これと同じような服はありまてんか?」 気合を入れて喋ろうとしたところ、声は裏返り、噛み噛みで変な笑いまで出てしまう。 顔が燃えるように熱い。おそらく真っ赤に染まっていることだろう。 スマートな交渉で、なるべく高く売ってやろうとしていたのに。これではただの不審者じゃないか。(終わったー……) 店内の静けさが一層際立ち、まるで周囲の客たちの視線が突き刺さるように感じた。羞恥心で震える手が、無意識のうちに服を強く握りしめる。「な、何でもありませんの!」 取り返そうと冷静に話しだそうとしたら、今度はお嬢様になってしまった。 何やってんだ俺は。落ち着け、落ち着くんだ。呼吸を整えるんだ! コヒュー、コヒュー おかしい、呼吸すらおかしいぞ。 どうしよう……。 一回外に出て、何食わぬ顔で入り直して再挑戦するか? いや、そんなことをしたらなおさら怪しまれてしまう。 様子がおかしい俺を見た店員は、眉をひそめ、一歩後ずさる。「あの、お客様、大丈夫ですか?」「えぇ、大丈夫ですよ。どうかされましたか?」 一瞬の沈黙が店内に流れた。さっきまで取り乱していた男が、一転して冷静な表情を作り上げる。店員は明らかに困惑し、目の前の俺を慎重に観察している。(よっしゃ、取り戻した!) 何も取り戻していないが、こうでも思わないと先に進めない。完全に手遅れだが、やっと落ち着きを取り戻す。 クールで冷静
「ちょっと待てよ……。俺の服売れるんじゃね?」 村の人、通りですれ違った人、大体みんな同じような服装だった。冒険者は金属や布製の防具を身につけていたが、依頼が終わるとやはり同じような服に着替えていた。富裕層の服装は分からないが、珍しい衣服は興味をそそるに違いない。 道端では子どもたちが泥遊びに興じ、荷馬車がのんびりと通り過ぎる。石畳の道に木漏れ日が揺れ、心地よい風が吹いていた。そんな平和な風景の中、俺はふとひらめいた。(作戦タイムだ。今日のプランを練り直そう) 寝具、衣服、桶、サボンを購入予定であったが、何店舗か古着屋と衣装屋に寄り、その後、桶とサボン等の日用品を購入することにした。寝具は冒険者用の野営用の物があるかもしれないと考え、明日以降にする。「うーん、どうやって売り込もうか。競い合わせで価格を吊り上げるのがいいかなー?」 テレビドラマで見た営業の人は、「別の店舗ではいくらだったので、それ以上で売りたい」という話術を用いて交渉していた。俺もそれを真似してみるか……。 胡坐をかいて腕を組み、脳漿を絞るように試行錯誤する。微かな木材の香りと、外から流れてくるパン屋の焼きたての匂いが混ざり合い、妙に心を落ち着かせた。「よし、行き当たりばったり作戦に決定しよう! 時間が勿体ない!」 今までの時間は何だったのか。結局、パワー系の思考に辿り着いてしまったが、導入部はばっちり考えていた。 一度に肌着とパンツと靴下の3つを売り込むのではなく、今日は肌着一点に絞る。 店に入ったらまずは店主に同じ物を探している旨を伝える。店主の目の色が変わる。入手経緯や素材の詳細、作り方など聞かれる事になるだろう。そこから臨機応変に対応し、買い取り価格を導き出す作戦だ。肌着を小さく折り畳み、ポケットにしまって準備完了だ。 ――カラーン、カラーン 鐘の音が響き渡る。昨日は気づかなかったが、正午に一度お昼を知らせる時報が鳴るよう
「ふぁ~、背中が痛い……」 俺は、ゆっくりと身体を起こしながら、バキバキと鳴る背中をさすった。 冷たい床の感触がまだ肌に残っている。どうやら昨晩、訳も分からず裸のまま眠ってしまったらしい。「裸のまま床で寝ちゃったんだし、そりゃそっか!」 周囲を見回しながら、寝起きのぼんやりとした頭を振る。冷たい空気が肌を刺すようで、思わず腕を抱いた。あまりの寝相の悪さに、どこかで打ったのか膝にも軽い痛みがある。「さて、朝になったわけだが……。見ないわけにはいかないよなぁ」 彼はゆっくりと息を吐くと、自身のステータスを確認する。昨晩、突然の異常な成長を目にし、思考が追いつかずに寝落ちしてしまったのだ。(ステータス)黒川 夜レベル:11属性:闇HP:440MP:440攻撃力:150防御力:180敏捷性
(シャドークロー) 一度スキルを解除し、再びシャドークローを発動。最大で4か所まで出せるので、今度は両手と両耳に発現させた。(ステータス) 黒川 夜 レベル:11 属性:闇 HP:620 MP:590 攻撃力:330 防御力:310 敏捷性:365 魔力:480「1箇所につき25上昇か、MPは5消費ね。多分だけど俺、凄く強いんじゃないか?」 唯一ステータスを知るエミルさんと比較をしても、レベル22で攻撃力180であった事を考えれば、この異様さに誰であっても気付くだろう。 冒険者の中でも、オーク討伐の依頼を受けれるのはシルバーでも上のほうからみたいだし。 俺の強さは、ステータスだけで見たらゴールドでもおかしくない。「しかし、床を傷つけたり服が破ける心配があったから耳を指定したみたけれど、ギリギリ視覚に映るこのシルエットを見るに、L字の巨大なモミアゲがついてるようだぞ……」 耳を闇が覆い、そこから鉤爪のように伸びるそれは、巨大なモミアゲにしか見えなかった。 瞳を動かして自分のモミアゲが見えるって、どれだけ極太なんだ。「なるほど、レベル2も3分くらいで持続消費になるみたいだな。そうだ! どうせなら色んなところからシャドークローを生やしてみよう。第二回、黒川研究室へようこそ!」(まずは頭っと……。シャドークロー) 頭部にシャドークローを発動させると、俺の髪型が尖ったリーゼントみたいになる。「あー、なんかそんな気はしたよ。このモミアゲにこの頭、こんな感じの歌手がいた気がするな。次は肘いくか。服を脱いで裸になって……と」(シャドークロー) お次は両肘だ。手をぶらんとさせると、肘のあたりから垂直に刃が生えている。 肘を曲げてコンパクトに振り回せば、近接戦で敵を切り刻めそうだ。その分リーチに不安があるから使いどころが難しそうだけど。
扉を開けば、カランカランと木製のベルが鳴る。 カウンターには誰もいない。左右に通路があり、カウンターの隣に2階へ続く階段があった。「すみませーん、月貸で部屋を借りたいんですが」 大きな声を出してみる。 すると、カウンター奥のドアがギィと軋む音を立てながらゆっくりと開く。「おう、いらっしゃい。1部屋なら空きがあるぞ。大銀貨30枚だけどいいか? 朝は銀貨2枚、夜は銀貨4枚で食事も出来る。予約制だから事前に言ってもらう必要がある。ということで、今日の食事は締め切りだけどな」 姿を見せた店主は凄かった。アメリカのトップボディビルダーのような体つきで、腕なんか俺の太ももより太い。肩幅なんて俺2人分はありそうだ。 跳ねるように大胸筋を動かす店主に大銀貨30枚を支払い、部屋へと案内してもらう。 3畳ほどの狭い部屋には、木の床と天井、土の壁、ふすまのような入口……以上! あ、鍵もあったよ。つっかえ棒にするための木だけどね……。 内側からは鍵をかけれるけど、出かける時はウェルカム状態だ。 建物の中をとりあえず区切って空間にしましたよって感じ。「贅沢は言ってられないか」 床に座り、明日からの事を考える。 とりあえず、布団と着替えが欲しいところ。ずっと同じ服というのは、元日本人として気持ち悪い。何着か予備を買っておくべきだろう。それに、しばらくここで暮らすのだ。何よりも優先すべきは布団。1日の三分の一を過ごす大事な場所だからな。 起きたら街で必要な物を買い足すことにしよう。「あ! そういえば……試したい事があったんだ!」 レベル2になったシャドークローを思い出し、変化を検証してみる事にした。 さっそくステータスを開いてみる。(ステータス) 黒川 夜 レベル:11 属性:闇 HP:620 MP:620 攻撃力:230 防御力:210
「ちょっと早く着いちまったか。ヨール、明日の初心者講習でも予約してきたらどうだ?」 人だかりから逃げるようにラシードさんのパン屋を後にした為、約束よりも早くギルドに到着してしまった。「そうですね、予約してきます」 冒険者達は今頃依頼をこなしているのであろう。 朝の喧騒が嘘のようにギルドは静まり返っていた。「あのー、さきほど冒険者登録をしたヨールです。初心者講座を予約したいのですが、次の開催はいつでしょう?」 朝と同じ受付嬢に声をかけた。「はーい。最短ですと、明日の夕方になりますがどうされます?」 感じのいいお姉さんだ。それに美人ときた。冒険者からの人気も高いんだろうな。 お金もそんなに持っているわけじゃないし、講座を受けるのは早いほどいい。「では明日でお願いします。何か準備するものはありますか?」「そういったことも踏まえての初心者講座ですので、手ぶらで構いませんよ。今くらいの時間には来ておいて下さいね」 俺は、なるほどと横手を打って感心した。 一から教えてくれるなんて、ずいぶんと手厚いんだな。せっかく冒険者になってくれた人が、何も分からず無茶をして死んじゃったら大変だもんね。「さて、ギルド長に会いに行こう」「では、ご案内致しますね」 冒険者の数が少なかったからか、受付嬢がギルド長の部屋まで案内してくれた。 予定よりは早いが、何か動きがあったかもしれない。遅れるよりはいい。「エミル殿、丁度良かった! さあ掛けてくれ」 俺達がソファーに座るとギルド長が話を続ける。「調査が終了したよ。森にオークの集落は無かった。しかし、計13頭のオークが見つかってね、何らかの異変が起きているのは間違い無いと思う。例えば、新しいダンジョンが発現する前触れ……とかね。可能性を挙げだしたらキリがないが、しばらくは森のパトロールが必要となりそうだ。ということで、森にあった5頭分のオークの素材を差し引いて、請求は金貨9枚と大銀貨50枚でどうだろうか」
メイド服のウエイトレスさんからテラス席に案内され、焼きたてなのか、いい香りのするパンを興奮気味に頬張る。「んーーー! な、な、何これ! ピーの香ばしさが全然違う、この新作のパン、サックリと焼き上げられたピーの香りが素晴らしいよ! そして中のビーフシチューが凄いんだ、パンと一体となるよう具材の大きさが計算され、ホクホクの野菜とよく煮込まれたお肉がホロホロと溶ろけるように混ざり合う」 あまりの美味しさに、思わず感想が口からこぼれてしまう。 ――ザワザワ そんな俺を見て、通りを歩く人が足を止めている。「そうか! 野菜が煮崩れないようお肉と別で煮たんだ! このお肉もハーブと塩のシーズニングに漬け込んでいたのか? いや、それだけじゃない……すりおろした野菜だ、揉み込んであるんだ! シチューのスパイスと肉の漬けダレが味に深みをだしているぞ!」 しかし、食レポコメンテーターと化した俺の口は、勝手に無数の言葉を紡ぎだす。 完成度の高いパンが舌を楽しませてくれている。黙って食べるなんて無理だよ。 ――ザワザワザワ 大はしゃぎしている俺を珍しく思った、通りを歩く人々が観衆となり、俺たちが座るテラス席の周囲には人集りができ始めていた。「おい、あのパン新作らしいぞ!」「あそこのパン評判いいのよね、私も1つお願いしようかしら」「言われてみたらピーのいい香りがするな!」 普通に食事をしているつもりなのだが、いつの間にか客寄せピエロと化していたらしい。 観衆たちがお客さんとなり、次から次に店の中へと入っていく。「ふぁー、このドライフルーツの凝縮された甘味ったら砂糖のそれとは全く違う! 天日でしっかり干しているんだろうな、水分が飛んで芳醇な香りが脳を刺激するようだよ! ん?これは……、お酒だ! 果物のお酒がパンに練り込んであるんだ、これが一層味を引き立たせているのか! おいおい、待ってくれ、ピーの種類がさっきと違うのか? さっきのパンより甘い香りがするぞ! 硬めのパンを噛めば噛むほど口の中が幸せに包まれてい