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第8話

著者: 遥路 真実
last update 最終更新日: 2024-11-14 10:28:41
陸橋と深水は隣に宿を取り、民宿の近くで彼らの姿をよく見かけた。

この日、私は買い出しに出かけた。

後ろから誰かが付いてくるのを感じ、足を速めて振り切ろうとした。

また陸橋か深水だと思った。

でも次の瞬間、目の前が暗くなり、気を失った。

目が覚めると、崖のそばで、霧島晴が隣にいた。

彼女は随分憔悴し、目からは高慢な色が消えていた。

ナイフを私の喉元に突きつけ、恨みのこもった声で言った。

「城井杏、私のどこに及ばないというの?なぜ彼らはあなたを選ぶの?

ほら見て、こんな時でも冷静なのね。感心するわ。

もうすぐ彼らが来るわ。その時もそんな態度でいられるといいわね。助けを乞うんじゃないでしょうね」

口には布が詰められ、一言も発することができなかった。

遠くから、二人が走ってきた。

陸橋と深水だ。

二人の目には切迫した色が浮かんでいたが、前に出ることもできず、自制していた。

霧島晴は嘲るように笑い、刃を私の顔の上で滑らせた。

「へぇ、怖いんだ。

いつも冷静なあなたたちが」

深水が先に我慢できなくなり、冷たい声で言った。「晴、よく考えろ。誘拐は犯罪だぞ」

「そんなこと、どうでもいいわ。望、あの時あなたたちは私のために城井杏を海に投げ込んだでしょう。今度は私があなたたちのために彼女を捕まえたの。感動しないの?」

この狂人、感動するなら私を巻き込まないでよ。

陸橋が二歩前に出たが、霧島晴に制止された。

「来ないで。来たら彼女を突き落とすわよ」

崖下は急流で、岩も散在している。落ちれば、死なずとも重傷は免れない。

目の前が霞んで、海に投げ込まれた時の恐怖が再び襲ってきた。

陸橋は霧島晴と駆け引きを続けていた。

突然、霧島晴の感情が爆発し、刃が私の顔に数本の血痕を付けた。

「嘘つき!私なんか娶るつもりないじゃない。あなたが愛してるのは彼女よ」

陸橋は私を一瞥してから、霧島晴に優しく語りかけた。「晴、俺たちの絆は、誰にも比べられない」

「俺は城井杏をただの妹としか見ていない」

「妹なんかとして見てほしくないの!憎んで、嫌って!」

霧島晴の感情は更に激しくなり、私を崖縁に向かって押した。小石が落ちていったが、音は聞こえなかった。

陸橋は慌てて言った。「分かった。憎む、嫌う。晴、落ち着いて」

霧島晴の力が緩んだ瞬間、私がほっと
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    彼の言葉に込められた恨みを感じ取ったが、無視して階段を上がった。深水の目の中の暗い影に、やっと落ち着いたはずの心が再び緊張し始めた。彼は正気を失っている。陸橋は過去を気にしていないかもしれないが、深水は明らかにまだ執着していた。ベッドに呆然と座っていると、突然ドアをノックする音がした。開けた途端、一人が押し入ってきた。深水だった。私の手首を掴み、その後ろからもう一人が入ってきた。陸橋は相変わらず無表情で、悠然と部屋に入ってきた。バタンという音と共に、ドアが静かに閉まった。深水は私の顎を掴み、目に怒りの炎を宿したように睨みつけた。「城井杏、よくも知らないふりができたな」「なぜできないわけ?」私の冷たい態度に、深水は一瞬動きを止めた。急に嘲笑うように言った。「三年経って、随分と図々しくなったじゃないか」「三年だぞ。三年も探し回って、こんな辺境に隠れてやがった」私の部屋を見回しながら、舌打ちをした。「この廃屋みたいな場所が、雲原市の家より良いとでも?よく住めるな」この部屋は決して粗末ではなく、カントリー調の良い部屋だった。でも金の匙をくわえて生まれた深水には、こんな場所が気に入るはずもない。私は手を振り払い、彼から距離を取った。「何が目的なの?深水さん、陸橋さん、私たちはもう無関係でしょう」空気が一瞬凍りついた。陸橋のいつもの冷淡な表情が、徐々に暗くなっていくのが見えた。薄い唇を開いて言った。「無関係?」「杏、これが何も言わずに消えた理由か?」陸橋が怒るところを見るのは稀だった。かつて、冷淡さは彼の特徴だと思っていた。でも後に、霧島晴に向ける優しい表情を見た時、分かったのだ。彼が冷たいのは私に対してだけ。私は霧島晴の代用品でしかなかったのだから。最初の数年間、私も陸橋のことを好きだった。少女の気持ちは単純で、脆くて。成人式の日、お酒の勢いを借りて、勇気を出して告白した。その日、陸橋は私の頬に触れながら、最も優しい声で、最も冷たい言葉を告げた。「杏、一生守ると約束したけど、それは兄としてだ。それ以上のことは、望んではいけないし、望めない」あの日以来、陸橋は長い間私を避けた。私もようやく理解した。彼は兄としてしか存在できないのだと。それからは、私

  • 逃げた私を、兄たちは追いかけて   第5話

    民宿は時折一、二人の客が来る程度で、ほとんどの時間は暇だった。それでもオーナーは給料を惜しまなかった。家賃を差し引いても、手取りで16,000円はあった。一ヶ月目、新しい携帯を買い、電話契約もした。その契約には、オーナーの身分証を使わせてもらった。「怖くないんですか?」と私は尋ねた。「私が悪い人かもしれないのに。殺人犯とか......追っ手から逃げてきたとか」オーナーは暫く私を見下ろし、その目には嘲笑とも違う何かが浮かんでいた。「はっ、その細い腕で人を殺せるとでも?むしろ俺の方が人を殺しそうだろ」一瞬、凶暴な表情を見せたが、私は少しも怖くなかった。私のオーナー、月城星司は、言葉は荒いが心優しい人だった。日々は、水のように静かに流れていった。この日、私が掃除をしていると、月城がやけに大きな音で動画を見ていた。突然、陸橋と深水の名前が聞こえ、背筋が凍り、思わず水バケツを倒してしまった。月城が横目で私を見た。「知り合い?」私がここに来てから、彼は何も聞かなかったし、私も何も話さなかった。私のことを特に気にする様子もなかった。なのに、さも当然のように、私と陸橋たちが知り合いかもしれないと問うてきた。水バケツを片付けながら、軽く首を振った。「冗談じゃないですよ、オーナーさん。私なんかとは縁もゆかりもない人たちですよ」月城は何も言わず、ただ口元に薄い笑みを浮かべただけだった。床を拭きながら、空気は死のような静けさに包まれ、しばらくの間、私たちは誰も口を開かなかった。最近は客が増えて、私は忙しさに足の踏み場もない状態なのに、オーナーは新しい人を雇う気配すらなかった。不満げに問い詰めると、月城は眉を上げて嘲るように言った。「お前の給料を半分にして、新しい人を雇うってのか?」私は怒った。「オーナーさん、なんてケチなんですか?店が回らないじゃないですか。こんなに儲かってるのに、一人くらい雇えるでしょう?」以前は客が少ない時でも、2万円の月給をくれていたのに。今は客が増えたというのに、一人雇うのも渋るなんて。ろくでもないオーナーだ。正午が一番忙しい。チェックアウトもチェックインも多いし、部屋の掃除もある。おまけに月城の植物の世話までしなければならない。なぜこんな長身の男が花

  • 逃げた私を、兄たちは追いかけて   第4話

    ドン!私の瞳孔が一瞬で縮んだ。霧島晴をまっすぐに見つめる。彼女は眉を上げ、何かに気付いたような表情を浮かべた。「本当に知らないの?あはは、城井杏、あなたってほんと馬鹿ね。一度も陸橋に聞かなかったの?なぜ家に連れて帰ったのかって」どうしてそんなに平然としていられるの?少しも気になんないの?」問わなかったはずがない。陸橋の成人式の日、お酒の勢いを借りて聞いた。その時、彼は数秒躊躇った後、私の目尻に触れた。「初めて会った時、お前の目の死んだような光に惹かれた。枯れかけた花を生き返らせたいと思った。お前が咲き誇る姿が見たくてな。今はこうして生き返って、手にしていたあのバラのように、眩しいほど輝いている。杏、俺がお前を連れ帰ったのは、ただそれだけだ」ただそれだけ?本当に、ただそれだけなの?私は初めて、じっくりと霧島晴の顔を観察した。特に目が......本当によく似ている。そうか。私が生かされたのも、結局は霧島晴のおかげ。私が受けた寵愛も、全て霧島晴がいたから。陸橋も深水も、私を霧島晴の代わりとしか見ていなかった。そう考えると、全ての変化が納得できる。本物が戻って来たのだから、偽物の私はもう必要ない。私は悟ったように微笑んだ。これでいい。これなら私が去っても、後ろ髪を引かれることはない。結局、この数年は取引でしかなかったのだから。彼らは私から霧島晴を失った慰めを得て、私は彼らによって新しい人生を生きた。過去の全てを、昨日の死者のように葬ろう。私は半月間入院した。その間、陸橋は時々顔を見せたが、少し座っているだけですぐに帰って行った。深水は一度も来なかった。でも毎日、彼の予定を知らされた。霧島晴と旅行に出かけたのだ。陸橋も半月分の仕事を片付け、やっと時間を作って二人の後を追った。また携帯が鳴った。霧島晴からのメッセージを見ても、心は不思議なほど平静だった。写真には、深水と陸橋が騎士のように彼女の両側に立ち、彼女は守られる姫のように、中央の椅子に凛として座っていた。大正時代を思わせるような写真で、霧島晴には上品な静けさが漂い、眼差しも柔らかだった。こうして見ると、私と彼女はより一層似ているように思えた。以前、陸橋は私の静かな佇まいが好きだと言っていた。そういう意味だっ

  • 逃げた私を、兄たちは追いかけて   第3話

    彼の言葉に含まれる軽蔑と、目に宿る嘲りは、まるで目に見えない平手打ちのように、かつての彼自身の面影を打ち砕いていった。深水との初めての出会いは、陸橋の十八歳の誕生パーティーの時だった。その日、陸橋は私を実家に連れて行き、家族に紹介してくれた。「これからは杏も陸橋家の一員だ。俺が生きている限り、一生守り続ける」ゲームに夢中だった深水は、その言葉を聞いて顔を上げ、私を品定めするような目で見つめた。しばらくして、彼は口元を緩ませ笑った。「謹治がそう言うなら、杏ちゃんは僕の人でもあるってことだ。僕も守ってあげるよ」その瞬間、好奇の目、軽蔑の目、羨望の目、様々な視線が一斉に私に注がれた。私は戸惑いで落ち着かなくなった。深水はスマホを置くと、大きな手を私の手の甲に重ねた。「杏ちゃん、お兄さんと街でも回って、仲良くなろう」私の意見も聞かずに車に押し込み、街中を一周した。陸橋から電話で催促がなければ、海まで連れて行くつもりだったらしい。車から降りる時、彼は私の頬をつまみながら、少年らしい純粋な表情を浮かべた。「杏ちゃん、謹治とばかり遊んでないで、僕のことも見てよ。僕だってお兄さんなんだから」それから私は陸橋と一緒に暮らすようになり、深水も常連のように家に来るようになった。彼はよく私を遊びに連れ出し、国内だけでなく、海外まで連れて行ってくれた。大学卒業の日、深水と陸橋は私の卒業式に来てくれた。まるで月を取り巻く星々のように、私は羨望の的となっていた。その夜、深水は海辺で一晩中花火を打ち上げ、私に告白した。一瞬、心が揺らいだ。何か言おうとした時、大きな手が私の口を塞いだ。陸橋の気配が私を包み込み、目の前には笑顔を消した深水の顔があった。「杏はまだ若すぎる。今は恋愛を考える時期じゃない。深水、彼女を惑わすな」陸橋は低い声でそう言った。深水は目を伏せ、傷ついた表情を見せた。私は心を痛めたが、陸橋は私を押さえ続けた。あの夜の後、深水との関係が冷えてしまうと思った。でも翌日も、彼はいつもと変わらず現れ、私を遊びに連れ出した。陸橋も止めようとはしなかった。何も変わらなかったように見えた。霧島晴が戻ってくるまでは。深水に会う機会は減り、陸橋も家に帰らなくなった。あの家は、私一人の住処となった

  • 逃げた私を、兄たちは追いかけて   第2話

    今でも思い出すだけで、思わず体が震え、歯が鳴るほどだ。病室の外から急ぎ足の音が聞こえ、陸橋と深水が続けざまに入ってきた。霧島晴も一緒だった。彼女はベッドの足元に立ち、目を赤くしていた。「城井さん、本当にごめんなさい。私が軽率でした。医療費は全て私が持ちますので、どうか怒りを収めて、恨まないでください」誠実な口調で、か弱げな表情を浮かべる彼女は、あのクルーズ船で賭けを持ちかけた時とは別人のようだった。頭の中が蜂の巣をつついたように騒がしく、脳の芯が鋭く痛んだ。私は目を閉じ、この痛みに耐えた。しかしそれは陸橋と深水の目には、霧島晴への恨みの表れと映ったようだ。陸橋は病床の傍らに立ち、上から私を見下ろしていた。相変わらず冷静そのもの。私が目の前で死にかけても、彼の心は一片の波紋すら立てない。でも、昔の彼は、こんな人ではなかったはずなのに。私が十歳の時、父は私を歓楽街に連れて行った。父は私に赤いバラを持たせ、優しく囁いた。「杏、よく覚えておきなさい。このバラを受け取った人について行くんだ。分かったか?」なぜだろうと考える前に、初めて見る父の優しい態度に戸惑っていた。私が頷かず、黙ったままでいると、父は焦り始め、私の痩せた体を腕を掴んで揺さぶった。その瞬間、私は我に返った。いつもの父の姿を見た気がした。そうだ、父が優しいはずがない。酒と賭博に溺れ、私と母を殴るだけの人だった。母は父に殴り殺され、私は足手まといだからと、売り飛ばされようとしていた。私と同じように赤いバラを持たされた子たちを見たことがある。バラを受け取る人について行かないと、歓楽街に売られてしまうのだ。大勢の人が通り過ぎていったが、誰も私のバラを受け取ろうとはしなかった。父は焦り、怒り出した。「役立たずめ!足手まとい!」「お前なんか、最初から壁に射っとけば良かったんだ、この出来損ない!」父に引きずられ、あの地獄の門のような入り口に近づいた時、一人の少年が私のバラを受け取った。少年は無表情のまま、後ろのボディーガードに父との話を任せた。父は分厚い札束を受け取ると、腰を低く曲げ、へいへいしながら私たちを見送った。少年は私を大きな屋敷に連れて行き、人をつけて勉強や礼儀作法を教えてくれた。でも、その日以来、彼の姿を

  • 逃げた私を、兄たちは追いかけて   第1話

    ドン!私は荒々しく、底なしの海へと投げ込まれた。クルーズ船のデッキから歓声が上がる。周りの人々は興奮して拍手喝采を送っている。海に投げ込まれた人間が生きて岸に辿り着けるかどうかなど、誰一人として気にかけている様子もない。必死に手足をバタつかせ、「助けて!」と叫ぼうとした瞬間、塩辛い海水が口の中に流れ込んできた。「た、助けて......!お願い......誰か......!」私の必死の叫びは、彼らの興を添えるだけの余興でしかなかった。むしろ、それを面白がってパンやワインまで投げ込んでくる者までいる。甲板の上の人々は腹を抱えて笑っていた。まるで海の中にいるのは一人の人間ではなく、ただの見世物のように。次第に腕も脚も動かなくなり、足がつり始める。徐々に沈んでいく体。朦朧とする意識の中、甲板に立つ二人の男の姿が目に入った。一人は、私に新しい人生をくれた人。今、その人は無表情なまま、海の中で必死にもがく私を見下ろしている。もう一人は、一生大切にすると約束してくれた人。なのに今、その人は別の女性を優しく抱きしめ、周りの人々と同じような表情を浮かべていた。嘲笑、愚弄、そして冷たい興味。彼の目には、私はただの玩具としか映っていないのだろう。疲れた。心も、体も限界だった。少しだけ、休ませて——。揺れる波は、幼い頃に母が私を寝かしつけてくれた時の温もりのようだ。私はゆっくりと目を閉じ、微かな笑みを浮かべた。母の腕の中で安らかに横たわっているような気分。周りの嘲笑も、彼らの偽りの優しさも、もう何も気にしなくていい。ただ、静かに眠りにつけばいい。でも、この安らぎは束の間のものだった。耳元で交わされる小声の会話に、私は目を覚ました。まぶたが震え、ゆっくりと目を開けると、真っ白な天井が広がっていた。頭の中が真っ白で、何も思い出せない。自分が誰なのかさえ、分からない。その時、周りの声が慌ただしくなった。「患者さんが目を覚ましました。すぐに陸橋様と深水様にお知らせを」「もう一度検査をして、追加の治療を行いましょう」私はベッドに横たわったまま、医療スタッフの処置を受け入れた。誰かが水を飲ませてくれた。カラカラに渇いた喉が潤され、頭の中も少しずつ冴えてきた。思い出した。私は陸橋謹治の同伴とし

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