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第九夜

著者: mako
last update 最終更新日: 2024-12-02 20:55:07

重い静寂が広がる――

勝手知ったと言わんばかりの様子で、二人はドカッとソファに座り、私を睨みつけた。

「こんな人が陽介の妻なんて……あの子も何を考えているのかしら。綾香さんの方が数倍いいのに」

一人は、陽介の母親――城崎家の奥様。冷たく厳格な眼差しで、私をジロリと見た後、神崎さんに笑いかける。

「お母様、私も陽介さんにそう言ったんですけど……彼は私が一度お断りしたことを根に持っているんですかね」

彼が神崎さんに断られた。確かにその可能性はゼロではないし、それが悔しくて、彼女とは全くタイプの違う私と契約結婚したというのも理解できる。

それが本当だとしたら、私にとっていい迷惑だ。しかし、当麻は今の生活に慣れているし、私が働きづめで寂しい思いをしていたときよりもとても明るくなった気がする。

(今は私が我慢をすれば平穏な生活ができる……)

私は胸の中で苦い思いを抱きながら、視線を逸らした。

この結婚をした日、私も彼についても調べなおした。もちろん、名門の家の生まれということは知っていた。

しかし、彼は成長してからの経歴もエリートそのものだった。国内外の名門大学を卒業し、数々のプロジェクトを成功させ、若くしてCEOに就任している。彼が優秀であることは疑いようがない。しかし、その華々しい経歴の中に空白の数年間の時間などもあり、わからないことも多いし、この人たちの関係性もわからない。いらないことを言うのは危険だろう。

「今日は彼は仕事ですが」

厳密に言えば、彼がこの家に来ることはほとんどないし、彼が今どこにいるのかも知らない。それが事実だった。

「ここは城崎家の持ち家よ。私が来ることに何か問題があるのかしら? あの子がここに帰ってきていないことを知らないとでも?」

勝ち誇ったようなお母様に、そこまで知ったうえでここに来たことを悟る。

「ねえ、お茶ぐらい入れれないの?」

神崎さんが、ソファに座り私に蔑んだ視線を向ける。

「わかりました。少しお待ちください」

安田さんに、子守をお願いしたから彼女はいない。ここが自分の家だというなら、自分でやればいいのに。そんなことを思ってしまうが、何かを言うのも得策じゃないだろう。

そう思いつつ、私は部屋を後にした。

私は盆にお茶を載せてリビングへ戻った。足元に視線を落としながら歩くたびに、微かに茶器が触れ合う音が響く。扉を開けると、神崎さんと義母
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    そんな気持ちを引きずりながら迎えた週末。朝から何か嫌な予感がしていた。 午後から当麻と遊びに出かけようと思い立ったが、その判断は遅すぎた。 神崎さんが家に現れたのは午後のことだった。安田さんが当麻を連れて別室に行ってくれたことだけが、せめてもの救いだった。「まだいたのね。あんなにCEOに呆れられても懲りないなんて」 リビングの高級ソファに堂々と座りながら、神崎さんは冷たい視線を向けてきた。「それはあなたが仕組んだことですよね?」 溜まっていた思いが抑えきれず、つい口にしてしまった。「なっ……!」 顔を真っ赤にして神崎さんが睨み返してくる。「本当に往生際が悪いわね。あなたみたいな人が彼の妻でいるなんて、あり得ない」「それは彼に言ってください。私は彼に望まれてここにいるんですから」 ずっと我慢してきたが、あまりにも幼稚で身勝手な行動に、苛立ちが抑えられなかった。「ねえ、誰にものを言ってるのよ? 本来なら、あなたと私は会話すらできない立場なのよ」「どうしてですか? 今こうして話しているじゃないですか」 身分や家柄を振りかざすなんて、なんてくだらない人なんだろう。そんなことでしか人を評価できないなんて、哀れにすら思えた。「いい加減にしなさい!」 彼女の手が振り上げられるのを見て、叩かれる――そう覚悟した瞬間だった。突然、リビングのドアが開く音が響いた。「何をしている?」冷ややかな声がリビングに広がる。振り返ると、そこにはCEOが立っていた。鋭い視線が神崎さんと私を交互に捉えた瞬間、空気が一変した。「CEO!」 驚いた神崎さんの声。普段の傲慢な態度は消え失せ、まるで別人のようにしおらしい様子に呆れを覚える。「いえ、あの……奥様と少しお話をしていただけで――」「話……ね」 短く言い放つと、CEOは私に視線を向けた。どうなのか、と無言で問いかけられているようだった。しかし、私が答えようとするより早く、神崎さんが彼の腕に縋るような仕草を見せた。「本当です。奥様が私を誤解しているみたいで……」「誤解?」 つい口に出してしまい、神崎さんを見据える。「それはどういう誤解なんだ?」 CEOの冷静な声が神崎さんを追い詰めるようだった。「それは、えっと……」 もちろん、彼女が嫌がらせをしていることや、先日の件を話せるわけがない。「

  • 見えない世界で出会った二人の約束   第十三夜

    朝の日差しがダイニングテーブルを照らし、穏やかな空気が流れていた。当麻はいつものように元気いっぱいで、スプーンを持ちながら笑顔を見せる。 今朝の朝食は、オムレツにケチャップで顔を描いてみた。「これ、ママがかいたの?」 「うん、ニコニコの顔」当麻はその顔を崩さないように、慎重にスプーンを運んでいる。その無邪気な姿に思わず私も笑顔になる。しかし、すぐにあの日のことがよみがえる。招待状を私は捨てていない。きっと神崎さんがわざとやったことだろう。それをきちんとCEOに弁明するべきじゃなかったのか。今でもそう思ってしまう。彼からあんな瞳を向けられる理由はなかったのに……。しかし、あの場で何かを言ってもきっとどうにもならなかったような気もする。 きっとCEOも役立たずだと思っているだろう。それなのに。「安田さん、またクローゼットに新しい洋服が入っていたんだけど知ってますか? それにあれも……」 リビングの隅に用意されたキッズコーナー。男の子が好きそうな電車や車のおもちゃはもちろん、床にはクッション材が敷かれているそこに視線を向ける。「ああ、旦那様からの依頼ということで、昨日百貨店の外商の方が持ってきたんですよ。何か足りないものはありましたか?」当たり前のように言う安田さんに、私は苦笑する。便宜上結婚した私たちのことなど放置しておけばいいのに。 招待状の件にしても、使えない人間を妻にしてしまった。それぐらいにしか思っていないと思っていた。 なのに、こんな気遣いをされるなんて。複雑な思いになりつつ、安田さんに視線を向ける。「まさか。私たちには十分すぎるなって」 「いいんですよ。旦那様は忙しい忙しいって何も夫らしいことしてないんですから」少し怒りつつそう言ってくれる彼女に、心が温かくなった。「ママ、きょうもがんばってね」 そう言いながら、小さな口でご飯をモグモグと食べている息子の姿を見て、私は自然と微笑んだ。「ありがとう」正直なところ、神崎さんが初めて来たころは契約を破って、この会社から離れたいと考えたこともある。それでも、今の仕事を無責任に放り出すのも許されない気がして、結局は行動に移せずにいた。(それに、会社を辞めたとしても、あの家には義母も神崎さんも自由に出入りしている。状況は変わらないのかもしれない)一人でため息をつきながら、私

  • 見えない世界で出会った二人の約束   第十二夜

    Side 陽介俺はデスクに散らばる書類に目を通しながら、机に肘をついていた。表面上は冷静を装っていたが、内心では苛立ちを抑えるのに必死だった。さきほどの美優たちとのやり取りが頭から離れない。冷たい言葉を投げかけた自分を思い返し、ほんの少し胸が痛む。(大事なものを置いておくように言った俺が悪いのに……)あのときの、彼女の呆然とした顔が頭に浮かぶ。そのとき、控えめなノック音がデスクの沈黙を破った。「どうぞ」短く応えると、扉がゆっくり開いた。その先に立っていたのは継母の佐和子だった。「久しぶりね、陽介」彼女の口調は柔らかく、まるで本当の母親のようだ。けれど、その笑みの奥に潜む冷たさを、俺はよく知っている。「何かご用でしょうか」デスクから目を離さずに問いかける。その態度に気分を害した様子もなく、継母はソファに腰を下ろした。「ええ、少し挨拶をしようと思って。あなた、いいお嫁さんをもらったわね」継母の言葉に、俺は眉一つ動かさず応じた。「そうでしょう? だから僕のことは気にしないでもらえると助かります」その返答に、継母はクスクスと楽しげに笑う。「まあ、私はただ、あなたのことが心配なだけよ」俺は視線を上げ、冷静な表情で継母を見据えた。その目には一切の感情が宿っていない。「それはありがとうございます」心にもないことを言い合うこの時間ほど無駄なものはない。そんな思いを微塵も見せずお礼を口にした。「そう言えば、今度のコンペ、あなたも参加するのかしら?」継母はさらりと話題を変える。その一言に込められた意図を、俺はすぐに理解した。「いいえ、あれは悠馬が出るのでしょう? 僕は遠慮しますよ」出ると言えば、全力で潰しにくるのは目に見えている。今日はそのことを確認しに来たのだろう。「そう。あなたはいつでも今の座を降りても構わないと言ってるものね。本心かは分からないけど」言葉に隠された挑発に、俺はまっすぐに彼女を見据えた。(あなたに殺されかけて、失明し、いろいろなものを見た。その結果、もう地位や名誉に執着するのはやめたんですよ)心の中でそう呟きながらも、それを言葉にするつもりはなかった。継母が何を狙っているのかは明白だ。弟・悠馬を次期代表にするため、自分を引きずり下ろそうとしている。それを阻止するために動く自分の姿を見せるわけにはいかなかった。「

  • 見えない世界で出会った二人の約束   第十一夜

    それからというもの、神崎さんは頻繁に家を訪れるようになった。来るたびに私を追い出そうとするような態度をとり、嫌味や冷笑を浴びせてくる。言葉の一つひとつが、私を試しているかのようだった。「本当にここに居続けるつもりなの? 自分の立場、分かってる?」神崎さんはリビングの高級ソファに深く腰を掛けながら、私を睨みつけるように言った。(どうしてこの人は……)心の中で呟いても、答えは出てこない。彼女に反論したい気持ちはあったが、何を言っても通じないだろうと思うと、言葉が喉に詰まったままだった。それでも、家の中では穏やかな時間が流れていた。当麻は変わらず安田さんに懐いていて、新しい環境にも馴染んでいる。それを見るたびに、私は「ここで我慢しよう」と自分に言い聞かせていた。そんなある日、会社でCEOの部屋の掃除を任されることになった。(嫌だな……)そう思わないわけがない。けれど、仕事だと割り切って、掃除道具を片手に彼の部屋に向かった。廊下を歩いていると、女子社員の噂話が聞こえてきた。「ねえ、聞いた? CEOが結婚したんだって」「えっ、本当? 誰と?」「それが分からないのよ」その言葉を聞いて、足が止まった。まさか、自分がその結婚相手だとは誰も思っていないだろう。そう思う一方で、神崎さんがそのうち誰かに話すのではないかという不安が胸をよぎる。(やっぱり彼のような立場の人との結婚なんてするんじゃなかった……)そう思いながら掃除を始めた。CEOの部屋はとても片付いていて掃除をする必要があるのか疑問に思うほどだ。それでも手を動かしながら、彼のデスクに目をやる。デスクには昔見たことのある封筒があった。日本でも有数の商社であるセントラル商事の創立記念パーティー。いつもホテルで盛大に行われるものだ。昔、何度か私も行ったことがある。クリスマスシーズンだった記憶があるが、もうその招待状が送られているのだろう。今の私にはまったく関係ないが、かなり大切なものだろう。そう思い、それに触れることなく掃除を終えた。掃除道具を手にして廊下に出た瞬間だった。背後から複数のヒールの音が響いてきた。振り返ると、そこにいたのは神崎さんと彼女の取り巻きだった。嫌な予感しかしないが、頭を下げて廊下を通りすぎるのを待っていた。しかし、ピタリと私の前で足音が止まる。やっぱり――。このま

  • 見えない世界で出会った二人の約束   第十夜

    閑話 ーーー 佐和子(陽介義母)綾香さんが奥に引っ込んでいった美優を睨みつけながら、苛立ちを隠せずにいる。そんな彼女に私は声をかけた。「綾香さん、そんなに感情的にならないで」 私は努めて優しい声を出し、ソファに腰を下ろした彼女をなだめる。「だって、あんな女が奥様だなんて信じられません! それに陽介さんだって、どうしてあの人を選んだのか……」 「分かっているわ、綾香さん」 そう言いながら、私は彼女に向かって小さく微笑んだ。その表情は、彼女を慰めるためのものではない。むしろ、私は彼女を操るための糸を丁寧に引いている最中だ。感情的で短絡的な思考を持つ彼女は、陽介を壊すにはもってこいの人物だ。「あなたほどの女性が、こんなにも陽介を想ってくれているなんて……あの子も幸せ者ね」 わざと感嘆するように言葉を続ける。綾香の頬が少しだけ赤く染まるのを見て、私は心の中でほくそ笑んだ。「本当に陽介さんのためを思っているだけなんです」 彼女はそう言いながら拳を握りしめる。その情熱が本物であればあるほど、私には都合が良い。「ええ、わかるわ。でも、陽介のためにどうすればいいのかを考えるべきじゃないかしら? あなたができることがあるはずよ」 私は彼女にそう語りかけ、わざと考える間を与えた。彼女の頭の中には、私の言葉が渦を巻き始めているはずだ。「……たとえば、あの女を追い出す、ということですか?」 綾香が顔を上げ、私を真っ直ぐに見つめる。その目には、彼女自身も気づいていない危うい光が宿っている。「まあ、そう急がなくてもいいわ」 私は柔らかく否定しながらも、彼女に希望を持たせる言い方をする。 「何事もタイミングが大事よ。まずは、陽介にとって本当に必要な人間が誰なのかを、周囲に理解してもらわないと」「それって……」 綾香の目が期待に輝く。彼女はまんまと私の言葉に引き込まれている。「ええ、綾香さん。あなたの美しさも賢さも、周りに認められるべきだと思うの。もちろん、陽介にもね」 私は彼女を褒め称えながら、同時に彼女の中に野心の炎を再び燃え上がらせた。私にとって、彼女が暴走してくれるほど、計画はうまく進むのだ。(陽介があの娘を庇うようなら、それはそれでいいわ。それが周囲にどう映るか……どちらに転んでも私たちに利がある) 心の中でそう呟きながら、私はもう一度綾香に

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