日曜日のお昼。今日は藍が、沖縄から帰ってくる日。──ピンポーン。燈子さんは今出かけていていないので、私がリビングでお留守番していると、家のチャイムが鳴った。もしかして、藍かな?「はーい」私が玄関のドアを開けると、案の定そこには藍の姿が。「ただいま、萌果ちゃん」「おかえり、藍」私を見てニコッと微笑むと、藍が家の中に入ってくる。「家に帰ってきて、大好きな萌果ちゃんが『おかえり』って出迎えてくれるなんて。すごく幸せだなあ」帰ってきて早々、藍の甘い言葉に胸が小さく跳ねる。「藍、疲れたでしょう?お昼ご飯は?もしまだなら、先に食べ……」玄関からリビングに移動した途端、私は藍にいきなり抱きしめられてしまった。「お昼ご飯よりも先に、萌果ちゃんがいい」「え?」藍に抱きしめられながら耳を食まれ、思わずぴくんと身体が跳ねる。「ど、どうしたの?急に……」「充電が切れたから。まずは、萌果ちゃんをしっかりと充電しなきゃ」充電って……。そういえば、藍が沖縄に行く前にも『萌果を充電させてくれない?』って言われて。学校の空き教室で、藍にキスやハグを沢山されたんだったっけ。そのことを思い出した私は、顔が熱くなる。「萌果ちゃん、会いたかったよ」私を抱きしめる藍の手に、力がこもる。「わ、私も……会いたかった」って。何を言ってるんだろう私。でも、この家で燈子さんと初めて二人だけで夕飯を食べたとき、藍がいなくてなぜか無性に寂しくて。藍に会いたいって、思ったから。「ふーん。そっかそっか」藍のほうを見ると、ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべていた。「萌果は、俺がいなくて寂しかったんだね」「そっ、それは……」私は藍から視線を外して、目を泳がせる。「なに?俺は、萌果と2日離れてただけでもめちゃくちゃ寂しかったけど。萌果ちゃんは、違ったの?」藍の顔がこちらに近づき、吐息がかかる距離で見つめられる。「……しかったよ」「え?」「藍と会えなくて、私も寂しかった」恥ずかしさを堪えて、正直に言ってみた。「萌果ちゃん!」すると、さっき以上に藍に力いっぱい抱きしめられる。藍……く、苦しいよ。「俺と会えなくて寂しかったって。それってもう、萌果ちゃんが俺のことを好きって言ってるようなものじゃない?」「はい!?どうして、そうなるの?違うから!」「ふふ。素直じゃな
「円山さん、いいなあ。ねえ、梶間さん。俺にはくれないの?俺も甘いもの、めっちゃ好きなんだけど!」俺には?って。陣内くんとはクラスメイトだけど、特に仲が良いって訳でもないんだし。何だかちょっと厚かましいな。私が買ったものならまだしも、これは藍からもらったお土産だし。だけど……「……はい」悩んだ結果、私はあとで食べようとブレザーのポケットに入れていたちんすこうを、陣内くんに一つあげた。陣内くんのことだから。渡すまで、しつこく付きまとわれそうだったから、仕方なく。「やった。梶間さん、サンキュー」私からちんすこうを受け取ると、陣内くんは満足そうに微笑み、歩いていった。**数日後。「ただいま帰りましたー!」夕方。学校から帰宅すると、橙子さんがリビングで大きめのバッグに荷物を詰め込んでいた。どうしたんだろう。何だか、急いでるみたいだけど……。「あっ。萌果ちゃん、おかえりなさい」「ただいまです。あの、どうかされたんですか?」「それがね……」バッグから顔を上げた橙子さんが、困ったように眉根を下げた。「夫が、過労で倒れちゃったみたいで……」「ええ!?それは、大変ですね」橙子さんによると、関西に単身赴任中の藍のお父さんが、働きすぎによる過労で倒れてしまったらしい。「あの人は大丈夫だって言うけど、さすがに心配だから。一度、様子を見に行こうと思って」「はい」家族が倒れたって聞いたら、誰だって心配だよ。藍のお父さん、何ともないと良いな。「そういう訳で、今夜は家に帰れないから。萌果ちゃん、悪いけど……藍とふたりで仲良くやってくれる?」「はい……って、ええ!?」うそ。私が藍と、この家でふたりきり!?「ほんとにごめんね。明日の夜には、帰れると思うから……」「ただいまー」私と橙子さんが話していると、藍が帰ってきた。「どうしたんだよ、母さん。荷物なんか詰めて」「おかえり、藍。実はね……」橙子さんが、さっき私に言ったのと同じことを藍にも伝えた。「倒れたって、まじで!?父さんは大丈夫なの!?」「お母さん、様子を見てくるから。今夜は、萌果ちゃんとふたりだけになるけど……」「分かった。俺に任せといて。この家も萌果のことも、俺がしっかりと守るから」藍が、ポンと胸を叩いてみせる。「昔は泣き虫だったのに。藍も言うようになったわね〜。というわけ
「やばい。これ、めっちゃ美味いよ!」藍の言葉に、ホッとする。「お店の味にも負けないくらい、美味しい」「お店の味って!藍ったら、ほんとお世辞が上手なんだから」「俺、お世辞とか言わないし。全部、本当に思ってることだよ」え?「自分の好きな子が、一生懸命作ってくれた。それだけで、俺にとっては最高のご馳走になるんだから」藍のニカッと明るい笑顔がまぶしくて、頬が熱くなる。︎︎︎︎ていうか藍、さらっと『好きな子』って言ってくれた……。私の胸が、キュッとなる。「俺、萌果の手料理が食べられて、ほんと幸せだよ」「藍……ありがとう。チャーハン、まだおかわりあるからね」「まじ!?それじゃあ、お願いしようかな」それから藍は、おかわりのチャーハンも美味しいと言いながら、きれいに完食してくれた。藍、まさかあんなに喜んでくれるなんて。ご飯、頑張って作って良かったな。**夕食後。私が洗い物をしようと、キッチンのシンクの前でスポンジを手にしたとき、藍がやって来た。「萌果ちゃん。夕飯を作ってくれたお礼に、あと片づけは俺がやるよ」スポンジを持った手を藍に掴まれ、肩がぴくっと跳ねる。「えっ、いいよ。居候させてもらってるんだし、洗い物は私がやるから」「そんな遠慮しないで。たまには、俺に任せてよ」腕まくりした藍が、笑いかけてくれる。「萌果ちゃんは、先にお風呂入ってきて」「ありがとう。それじゃあ、お願いしようかな」「うん。ごゆっくり〜!」藍にニコニコと手を振られ、私は洗面所へと向かった。* *お風呂から上がった私は今、リビングのソファに座ってテレビを観ている。「あっ。藍だ……!」バラエティ番組の途中でCMが入り、テレビ画面に藍の顔がアップで映った。太陽の下、ゴクゴクと美味しそうに清涼飲料水を飲んだ藍が、爽やかな笑顔を見せている。「は〜、かっこいいなぁ」藍は、去年からこの清涼飲料水のCMキャラクターを務めている。去年新発売したこの清涼飲料水は、藍が出演するCMが放送されるやいなや、“あの爽やかイケメンは誰だ”とSNSを中心にたちまち話題になり、一時は商品が売り切れ続出したらしい。藍が沖縄で撮影したCMって、もしかしてこれの新しいやつなのかな?「ああ、ほんとかっこいい……」口から無意識にこぼれる言葉。藍は小さい頃も可愛かったけど、今はほんとイケ
「えっと、藍……だよ」「え?」「私は……さっきテレビで藍を見て、かっこいいって言ってたの」勇気を振り絞って言ったものの、藍を直視できず、私はふいっと彼から顔をそらしてしまう。「うそ、まさかの俺!?えー、やばい。めっちゃ嬉しいんだけど」たちまち笑顔になった藍が、くしゃくしゃと私の頭を撫でてくる。「萌果ちゃんが、俺のことをかっこいいって言ってくれるの、初めてじゃない?」「そうだっけ?ていうか藍、かっこいいなんて言葉、他の人にもたくさん言われてるでしょ?」「そんなの、萌果から言われるのが一番嬉しいに決まってる」「へー。そうなんだ?」私がかっこいいって言ったくらいで、大袈裟なくらいに喜んでいる藍。そんな藍のことが、なぜだかとても愛おしく思えてしまった。なんだろう。調子狂うなぁ。「さっ、さあ。23時過ぎたし、明日も学校だからそろそろ寝ないと」私は、ソファから勢いよく立ち上がった。そのとき。ザーッと、窓の外から音がすることに気づいた。そっと、カーテンを開けて見てみると。「うそ。雨……」いつの間にか空からは、滝のような雨が降り注いでいた。──ゴロゴロゴロ!!「ひっ!」遠くのほうで雷が鳴って、肩がビクッと跳ねる。「萌果ちゃん、もしかして雷が怖いの?」「まっ、まさか〜!子どもじゃあるまいし、雷なんて全然怖くないよ」ほんとは子どもの頃から今もずっと、雷は苦手だけど。高校生にもなって雷が怖いだなんて、さすがに恥ずかしくて。つい、強がってしまった。ましてや、昔からずっと弟のような存在に思っていた藍の前で、本当のことなんて言えるわけない。「それじゃあ、おやすみ藍!藍も早く寝るんだよ?!」早口で言うと、私は逃げるようにリビングを出て行った。まあ、雨も雷もそのうち止むでしょう。そう思いながら和室に戻ると、私は部屋の電気を消して、急いで布団に潜り込む。──ザーッ!だけど、外の雨音がうるさくてなかなか寝つけない。しかも……。──ゴロゴロゴロッ!!「ひゃあ」雷は止むどころか立て続けに鳴っていて、その度に私の体は震え上がる。布団の中で丸まり、両耳を手で塞いでいても雷の音が聞こえてくる。うう。この歳になっても、雷はやっぱり怖い。雷、早くおさまって……!だけど、私の気持ちとは裏腹に雷の音はどんどん大きくなっていく。窓の外で、ピカ
ゴロゴロゴロッ……!!「きゃあっ!」地割れのような音が響き、私は思わず藍の背中に腕をまわしてしがみついた。「怖い。怖いよ、藍……っ」今度は強がったりすることなく、ちゃんと本音のまま話す。「大丈夫だよ、萌果ちゃん。俺がいるから」藍が、より一層私を強い力で抱きしめる。藍と真正面から隙間なくぴったりとくっついて、ドキドキするけれど。藍と、触れ合っている部分が温かくて。こうして藍に抱きしめられていると、すごく落ち着く。「大丈夫、大丈夫」私を抱きしめながら、もう一方の手で私の背中をポンポンと優しく叩いてくれる藍。心地よいリズムで繰り返されるそれが、私により一層の安心感を与えてくれた。昔は、藍も私と同じように雷を怖がって泣いていたのに……いつの間に、こんなにも強くなったの?藍がこうしてそばにいてくれるだけで、心強いって思う日が来るなんて……。「ねぇ、藍。今夜は、ずっとそばにいて?」気づいたら私は、そんなことを口にしていた。私が離れないとばかりに藍を抱きしめる手に力を込めると、藍も私を逞しい腕でぎゅっと抱きしめ返してくれる。「うん。俺は、萌果ちゃんから離れないよ。今夜はずっと、一緒にいるから」それから私たちは布団の上で抱き合ったまま、夜を過ごすのだった。︎︎︎︎︎︎**翌朝。──ピピピッ、ピピピッ。「ん〜っ」いつものスマホのアラームの音に、目が覚めた。少し開いた窓からは、うっすらと日差しが差し込んでいる。「もう朝かぁ……」重たい瞼をなんとか持ち上げ、少し見慣れてきた天井を見つめて伸びをすると、腕が何かに当たった感触がする。「……え?」そちらに目をやった瞬間、私は硬直してしまう。まだおぼろげな視界に飛び込んできたのは、なんと裸で隣に眠る藍だったから。「き、きゃーーー!!」私が叫びながら後ずさると、藍が目をこすりながら体を起こした。え、え!?ど、どうして藍が、私と同じ布団に!?「おはよう、萌果ちゃん」眠たげな顔でこちらを見て、ふにゃりと笑う藍。「お、おはよう……」状況をまだ理解できないながらも、とりあえず挨拶だけは返す。「ふふ。萌果ちゃん、朝から可愛い」甘く微笑んだ藍が距離を詰めて、滑らかな指先で私の頬をつうっと撫でる。不意打ちのスキンシップに、鼓動が大きな音を立てた。「ねえ。おはようのキスして?」「キ
「ああ、暑くて脱いじゃったみたい……」「もう!暑いからって、脱がないでよね!」私の心臓、さっきからずっとバクバクしてる。「何だよ、そんなに焦って。萌果、俺の裸なんてもう何回も見てるじゃない」くいっと唇の端を上げた藍が、わざと私に近づいてくる。「そ、それは子どもの頃の話でしょう!?誤解されるような言い方しないで。それと、早く服を着て!」「うおっ!」私は畳の上に脱ぎ捨てられていた藍のスウェットを拾い、藍の顔を目がけて投げつけた。そして、慌てて和室から出ていく。もう、藍のバカ!朝からドキドキさせないで……!**放課後。「おーい、梶間。ちょっといいか?」この日の授業が終わって帰ろうとしていた私は、担任の先生に呼ばれた。「何でしょうか?」「梶間って確か、帰宅部だったよな?」「はい」「それじゃあ、このあと時間あるか?」「あっ、はい。大丈夫ですけど」先生、もしかして何か用事とか?「悪いんだが、昇降口の掃除当番を頼んでもいいか?美化委員の松岡、熱出して早退しただろ?」美化委員会は週に1回、校内の清掃がある。私のクラスで女子の美化委員は松岡さんなんだけど、午前中に急な体調不良で早退したから。「他のヤツにも声をかけたんだが、放課後はみんな塾や部活があるみたいで。代わりが見つからず、困ってるんだよ」「分かりました。そういうことなら」先生の言うとおり、私は帰宅部で。このあとは、真っ直ぐ家に帰るだけだから。「ありがとう。それじゃあ、よろしく頼むよ」「はい。任せてください」掃除当番を引き受けたのは良いものの、男子の美化委員って誰だったっけ?「おい、陣内。今日は逃げずにちゃんと、掃除して帰れよ?お前、美化委員なんだから」「はいはい。分かってますって、先生」えっ、ちょっと待って。男子の美化委員って、陣内くんなの!?先生と陣内くんの話が聞こえた私は、思わず固まってしまう。「早退した松岡の代わりに、梶間に掃除当番を頼んでおいたから」「え、梶間さんに!?」「ああ。だから陣内、梶間に迷惑かけるんじゃないぞ?」「はいっ。俺、頑張りまーす!」先生に元気よく返事をすると、陣内くんがこちらを向いてニヤリと微笑んだ。「よろしくね?梶間さん」「う、うん。こちらこそ……」陣内くんの微笑みに、私は先生から掃除当番を引き受けたことを早くも後悔し
「ねえ、久住くーん。一緒に帰ろうよ〜」私が黙々と掃き掃除をしていると、女の子の甘ったるい声が耳に入ってきた。そちらに目をやると、校門へと向かって歩く藍が、女の子に言い寄られているのが見えた。藍、ほんとよくモテるな。さすが、人気モデル。あんなにモテる藍が、私のことを一途に好いてくれているなんて。何だか変な感じ。藍の幼なじみじゃなかったら、今頃私は彼に近づくことすらできなかったのかな。それどころか、久住家での同居も藍に恋愛対象として見てもらうことも、なかったのかもしれない。そう思うと、ほんの少し切ない気持ちになった。「ねぇねぇ。梶間さんは、どんな男がタイプ?」「……」「答えないってことは、もしかして俺みたいなヤツとか?」「……」無視するのは良くないって、分かっているけど。女の子に声をかけられている藍を見ていたら、陣内くんに返事をする気にはなれなくて。「ちょっと、梶間さん。俺の話、聞いてる?」「っ!?」陣内くんに突然、耳を引っ張られてびっくりする。「もう!陣内くんったら、耳引っ張らないでよ」ただでさえ私は、昔から耳が弱いのに……!「ごめんごめん。だけど、梶間さんが全然返事してくれないから……」「あっ、理仁くんだ。やっほー」陣内くんと話していると、彼に声をかけてきた人が。陣内くんと似た系統の、ギャルっぽい見た目の女の子。理仁くん……そっか。今更だけど、陣内くんの下の名前は理仁っていうんだった。「理仁くん、何やってるの?掃除?」「そう。俺、えらいでしょー?」「うん、えらーい。さっすが、理仁!」ギャルっぽい見た目の女の子が、他にも数人、陣内くんの周りに集まってきた。「へえ。陣内くんって、意外と女の子から人気あるんだ」「うん、そうだよ?」しまった。心の中で呟いたつもりが、声に出ちゃってた。「ほら。俺って、日本とアメリカのハーフで、この通りイケメンだし?」「あはは」私は、思わず苦笑い。自分でイケメンって言うなんて……もしや陣内くんって、ナルシスト?「まあ、俺が今一番モテたいって思ってる子には、全然モテなくて困ってるんだけどね〜」「へー。それは大変だね」「ふはっ。ほーんと梶間さんって、相変わらずだなぁ。まあ、そういうところが良いんだけど」んん?陣内くんに首を傾げつつ、私はホウキを持つ手をせっせと動かすのだった。
数日後の放課後。学校が終わって家に帰ろうと校門に向かって歩いていると、私のスマホが鳴った。確認すると、それは燈子さんからのメッセージだった。【悪いんだけど、学校帰りにスーパーに寄ってきてもらってもいい?これから家に急遽お客さんが来るから、夕飯の買い物に行けそうにないのよ】お客さん……そういうことなら。【分かりました。私でお役に立てるのなら、喜んで!】橙子さんに返信すると、私はそのまま家の最寄りのスーパーへと直行する。学校から歩いて15分ほどで、スーパーに到着。買い物カゴを手に、私がスーパーに入ろうとしたとき。「萌果ちゃん!」誰かに名前を呼ばれて振り向くと、メガネに黒のマスク姿の藍が立っていた。外にいるため、一応変装しているらしい。「えっ。どうして藍がここに……」「さっきの母さんのメッセージ、俺に送るつもりが間違えて萌果ちゃんに送ってしまったんだってさ」「そうだったんだ。それで、わざわざ来てくれたの?」「うん。本来なら俺が任されるはずだった、おつかいだし。あっ、そのカゴ俺が持つよ」藍が、私が持っていた買い物カゴを、横から奪うように取った。私と藍は、二人並んで店内を歩く。「ここのスーパー、小学生の頃にも萌果ちゃんと二人で、おつかいに来たことがあったよね」「そういえば、そうだね」懐かしいなぁ。当時のことが蘇り、私は目を細める。「それで、何を買えば良いの?」「えっと。燈子さんからのメッセージに書いてあったのは、じゃがいもと人参に玉ねぎ……」「それなら、今夜はカレーかな?」「いや、もしかしたら肉じゃがの可能性もあるよ?」藍と、話しながら歩いていると。「あれ?もしかして、梶間さん?」背後から、声をかけられた。振り返ると、そこに立っていたのは……「やっぱり、梶間さんだ!」私と同じクラスの三上さんと、その友達の安井(やすい)さんだった。三上さんは、私が転校してきて間もない頃にクラスの親睦会でカラオケに一緒に行ってから、学校でもたまに話すようになったのだけど。まさか、こんなところでバッタリ会っちゃうなんて!「もしかして梶間さんも、おうちの人のおつかい?」「う、うん。そうなんだ。ということは、三上さんたちも?」「あたしは、カナエの買い物の付き合いだよ」『カナエ』とは、安井さんの下の名前。「ところで、梶間さんの隣にいる人
藍は教室の扉の鍵を閉めると、私を後ろから隙間なく抱きしめてくる。「あのさ、言っておくけど。俺が最近、萌果のことを避けてたのは……風邪気味だったからだよ」「え?」「もし萌果に移っちゃったらダメだと思って、必要以上に近づかないようにしてただけ」「そうだったの?!」まさか、風邪気味だったなんて。避けられていた理由を知って、私はホッと胸を撫で下ろす。「それで俺はここ数日、萌果にくっつくのを我慢してたのに。まさか、レイラとのことを疑われるなんて……」藍がいきなり、私の耳元を攻めてきた。「ひゃっ、ちょっと……!」藍の唇が耳たぶに触れて、かぷっと軽く噛んだ。「俺はずっと萌果一筋だって、今まで伝えてきたつもりだったのに」さらに藍は、ふーっと耳元に息を吹きかけてくる。「まさか萌果ちゃんに分かってもらえてなかったなんて、悲しいよ」「ごっ、ごめん藍……許して?」「そんな潤んだ目で可愛く、許して?って言ってもダメだよ」私はくるっと藍のほうを向かされ、藍の人差し指が私の唇をなぞる。「ほんとに、ごめ……っ!」口を開いたら、藍の指が半分中に入ってしまって。私はそのまま、口を閉じられなくなってしまう。ら、藍……?藍に至近距離で見つめられ、ドキドキする。「ねえ。俺が、好きな女の子は?」「え?」「俺が子どもの頃からずっと、片想いしている子はだれ?」私の口から指を抜いて、藍が尋ねる。藍が片想いしてる子……自分で言うのは、ちょっと恥ずかしいけど……。「ねえ、萌果ちゃん。答えて?」「ええっと、わ、私?」「ちゃんと、名前で言って」「梶間萌果……です」「うん、そうだよ。俺が好きなのは、萌果ちゃん。この先もずっと、君だけだよ……分かった?」私は、コクコクと首を縦に何度も振る。「分かったから、藍……そろそろ離れて?」「ダーメ。まだ萌果ちゃんに、俺の愛を全部伝えきれていないから」伝えきれていないって……。「藍、風邪はもういいの?」「うん。それはもう、すっかり治ったよ。だから、数日我慢した分、萌果ちゃんにたくさん触れたいんだ……良い?」「うん。いい……よ」私が返事すると藍は微笑み、彼の唇が私のおでこからまぶた、鼻先、頬と、順番に移動していく。「好きだよ、萌果ちゃん。大好き」何度も繰り返されるキスと「好き」の言葉に、ドキドキしすぎて頭がパンク
「萌果ちゃん!」背後から、藍の声がしたと思ったら。「っ!」私は、後ろから藍に抱きしめられてしまった。「ちょっと、やだ……離して!」「嫌だ。離さない」ぎゅうっと抱きしめられた身体を左右に振って、離れようとするけど……藍の力が強くてビクともしない。私は藍に見られないようにと、この隙に慌てて目元の涙を手で拭った。「ねえ、萌果ちゃん。さっきのは、誤解なんだよ」「誤解って。藍、レイラちゃんと仲良くご飯食べてたじゃない」「うん、それは否定しない。だけど、あれは……遼たちが今度出演する、学園ドラマの練習なんだよ」「……え?」藍の口から飛び出した言葉に、私はポカンと口を開けてしまう。「ドラマの練習?」「うん。ほら」藍が私に渡してくれたのは、ドラマの台本。「さっきの銀髪のヤツ。俺の友人で俳優をやってる遼と、クラスメイトでモデルのレイラが出演する、動画配信サービスの2時間ドラマ。その練習に、付き合わされてたんだよ。レイラが演じる役の恋人が、名前も性格も俺にそっくりだからって」藍に言われて、台本をパラパラとめくると。*****学校の屋上。紗帆と蘭暉の隣で、友人の和真と彼女がお弁当を食べさせ合っている。それを見た紗帆が、蘭暉の口元にご飯を持っていく。紗帆「ほら。蘭くんも、口開けなよぉ」蘭暉「俺は、いい」紗帆「えー?そんなこと言わないでよ。あたし、蘭くんのためにお弁当一生懸命作ってきたんだからぁ」そして、紗帆が蘭暉の腕をそっと組む。*****「ほんとだ」先ほど、屋上で藍たちが話していたことと全く同じセリフが、台本に書かれていた。しかも『藍くん』じゃなく、役名は『蘭暉(らんき)』で『蘭くん』なんだ。『和真』っていうのも、銀髪さんの役名だったなんて。「そうだったんだ。ああ、良かった……」私は、安堵のため息をつく。「萌果ちゃん、もしかして泣いてたの?」「え?」「ここ、涙の痕がついてる」藍が、私の目尻にそっと親指を当てる。「だって……藍が最近、私のことを避けてたから」「え?俺が、萌果ちゃんのことを?」私は、コクリと頷く。「ここ数日、家で藍との会話も減って。藍は制服のネクタイも自分で結ぶようになって、私に甘えてこなくなったから。もしかして、藍に嫌われたのかな?って思って」「……何言ってるの?」頭の上にコツンと、優しいゲン
慌てて教室を出たのは良いけど。どこで食べようかな。いつもは、柚子ちゃんと一緒だったから。廊下を歩いていると、芸能科の教室の前にさしかかった。藍、いるかな?ふと頭に浮かんだのは、藍の顔。ちらっとA組の教室のほうに目をやるも、扉の前は相変わらず、芸能科の人たちを見物に来た生徒でいっぱいだった。まあ、良いか。藍には、家に帰ったら会えるし……いや、確かに会えるのは会えるけど。私は、歩いていた足を止める。藍が自分で制服のネクタイを結んできたあの朝以来、私はここ数日、なぜか藍に避けられているんだった。家で『おはよう』や『おやすみ』の声かけは、お互い変わらずしてるけど……それだけだ。朝、藍は制服のネクタイを結んでと、私に言ってこなくなったし。私に抱きついたり、甘えてくることもなくなったから。どうして急にそうなったのか、理由は分からないけど。もしかして無意識のうちに、藍に嫌われるようなことをしてしまったのかな?ふと廊下の窓に目をやると、外は雲ひとつない青空が広がっている。今日は天気もいいから、お昼は外で食べようかな。外で食べたほうが、気分も上がるだろうし。そう思った私は、転校してきてから一度も行ったことのなかった屋上に行ってみることにした。階段をのぼり、屋上へと続く扉を開けると……目の前にいきなり飛び込んできたのは、一組のカップル。──え?「はい、和真(かずま)くん。あーん」「あーん」扉を開けてすぐ先にあるベンチには、ポニーテールの女の子と銀髪の男の子が座っていて、仲良くお弁当を食べさせあっている。さらに、『和真くん』と呼ばれた銀髪さんの隣のベンチには、よく見知った顔……藍の姿があった。「ねえ、藍く〜ん」しかも藍の隣には、金色に近い茶髪の女の子が、ピタッと隙間なくくっついている。あれ?藍の隣にいる女の子、どこかで見たことがあるような……そうだ。あの子、人気モデルのレイラちゃんだ。レイラちゃんは、手足が長くてお人形さんみたいに可愛いと、女子高生の間で大人気のファッションモデル。最近は、テレビのバラエティ番組で見かけることも増えた。「ほら。藍くんも、口開けなよぉ」「俺は、いい」「えー?そんなこと言わないでよ。あたし、藍くんのためにお弁当、一生懸命作ってきたんだからぁ」レイラちゃんが、自分の細い腕を藍の腕にそっと絡めた。「……っ」そ
その日の夜。「ただいまー」20時を過ぎた頃。先にひとりで夕飯を済ませ、私がリビングでテレビを観ていると、藍が帰ってきた。「おかえり、藍。お仕事、お疲れさま」「ありがとう」「燈子さんはまだ帰ってないんだけど、先にご飯食べる?燈子さんが、カレーを作り置きしてくれていたから。もし食べるなら、温めるよ?」「あー……俺、まだ少しやることがあるから。夕飯はあとでいいよ」それだけ言うと、藍は二階の自分の部屋へと行ってしまった。あれ?いつもの藍なら『それじゃあ、お願いしようかなー?』とか、『ご飯よりも先に、萌果ちゃんを抱きしめさせて』とか言いそうなのに。珍しいこともあるもんだな。**翌朝。「おはよう、藍」私は食卓にやって来た藍に、声をかける。「おはよう、萌果ちゃん」こちらを見てニコッと微笑んでくれた藍にホッとするも、ある違和感が。「あれ、藍。そのネクタイ、自分で結んだの?」「ああ、うん」藍はいつも、制服のネクタイを首にぶら下げたまま、2階から1階に降りてくることがほとんどだから。藍が自分でネクタイを結ぶなんて、かなり稀だ。というよりも、ここで居候させてもらうようになってからは、私が毎朝藍のネクタイを結んであげていたから。こんなことは、初めてかも。藍ってば、一体どういう風の吹き回し?今は4月の終わりだけど、もしかして雪でも降るの?「萌果ちゃん、ネクタイ曲がってないかな?」「大丈夫。ちゃんとできてるよ」「そっか。良かった」藍は微笑むと食卓につき、朝食のフレンチトーストを食べ始める。藍が自分で自分のことをやってくれるのは、“お姉ちゃん”としては嬉しいはずなのに。なぜか少し、胸の辺りがモヤモヤした。**数日後。学校のお昼休み。今日は友達の柚子ちゃんが、風邪で欠席だ。「はぁ。今日は柚子ちゃんが休みだから、お昼ご飯は一人かあ」私が、自分の席でため息をついたとき。「かーじーまーさんっ!」陣内くんが、ニコニコと元気よく声をかけてきた。「梶間さん、今日はもしかしてぼっち飯?もし一人が寂しいなら、俺と一緒にお昼食べる?」空いている隣の柚子ちゃんの席に座り、こちらに顔を寄せてくる陣内くん。そんな彼から私は、慌てて体を後ろに反らせた。「いや、いい。陣内くんと食べるなら、ひとりで静かに食べたい」「えーっ。梶間さんったら、つれないなあ
もしかして、前に藍がお弁当を私のと間違って持って行ったときみたいに、先に連絡をくれてた?と思って自分のスマホを見てみるも、特にメッセージは来ていなかった。「うちのクラスに来たってことは、梶間さんに用だよね?おーい、梶間さーん!」「ひっ!?」三上さんに大声で名前を呼ばれて、私の肩がビクッと跳ねた。三上さんの声はよく通るからか、クラスメイトの何人かが、何事かと教室の扉付近をチラチラと見ている。お願いだから、三上さん。そんなに大きな声を出さないで。あそこにいる“佐藤くん”が、モデルの久住藍だって、もし誰かにバレたら……。「ねえ、萌果ちゃん。三上さんが呼んでるよ?」「あっ、うん」呼ばれたら、行かないわけにもいかないよね。「ごめん、柚子ちゃん。私、ちょっと行ってくるね」話している途中だった柚子ちゃんに断りを入れると、私は急いで藍の元へと向かった。「ありがとう、三上さん……佐藤くん、ちょっとこっちに来て」私は呼んでくれた三上さんにお礼を言うと、藍の腕を掴んで人気のない廊下の隅までグイグイ引っ張っていく。「萌果ちゃん!?」「もう。藍ったら、予告もなくいきなり私のクラスに来ないでよ」私はキョロキョロと辺りに人がいないことを確認し、藍の耳元に口を近づける。「藍は芸能人なんだから。もっと自覚を持って?」「ごめん。だけど、この前のお弁当のときとは違って、今日はちゃんと変装してきたよ?」「それは、そうだけど……」叱られた子どもみたいに、しゅんとした様子の藍を見ていると、これ以上は何も言えなくなってしまう。「それで藍、私に何か用?」「ああ、うん。これを、萌果ちゃんに渡そうと思って来たんだよ」藍が私に差し出したのは、家の鍵だった。「母さん、今日は親戚の家に出かけるから帰りが遅くなるらしくて。俺もこのあと雑誌の撮影があって、すぐには帰れないから。萌果ちゃんに合鍵を渡してって、母さんに頼まれてさ」そうだったんだ。今朝は藍よりも、私が先に家を出たから。「わざわざ、届けてくれてありがとう」私は、藍から合鍵を受け取る。「萌果ちゃん。その鍵、くれぐれも落としたり、なくさないでよね?」「なっ、なくさないよ!もう子どもじゃないんだから」「ふーん。どうだろうねえ」マスクをしていて、口元は見えないけど。藍が今、ニヤニヤしているであろうことは容易に分かる
そしてやって来た、夕飯の時間。「はあ。こんなことってあるのかよ……」食卓についた藍が、ガクッと肩を落とす。「藍ったら、なんて顔をしてるのよ。もっとシャキッとしなさい、シャキッと!」燈子さんが藍に、喝を入れる。「だって……」藍が、ひとり項垂れる。今日の夕飯はなんと、ポトフだった。カレーでもなく、肉じゃがでもなかった。「ふふ。この勝負は引き分けだね、藍」「くっそー。せっかく萌果から、キスしてもらえると思ってたのに」藍は、いただきますもそこそこに、スプーンを手にポトフを口へと運ぶ。「母さん、なんでカレーにしてくれなかったんだよ。じゃがいもに人参、玉ねぎといったら普通カレーだろ?」「あら。藍ったら、そんなにカレーが食べたかったの?だったら、明日カレーにしてあげるわ」「明日じゃダメなんだよ」ブツブツ言いながら、食べ進める藍。藍には悪いけど、この結果に私はホッと一安心。だって、いくら相手が幼なじみでも、自分からキスするのはやっぱり照れくさいから。「今日は、せっかく萌果ちゃんが作るのを手伝ってくれたっていうのに。文句があるなら、ポトフ無理に食べなくてもいいのよ?藍」「えっ、萌果が?食べます、喜んで食べます。今日はいつも以上にご飯が美味しいと思ったら、萌果ちゃんが……」藍の食べるスピードが、一気に加速した。「美味いよ、萌果ちゃん」「私は、ほんの少し手伝っただけだけどね」「それでも、萌果ちゃん天才!」「藍ったら、単純なんだから。藍は昔から本当に、萌果ちゃんのことが好きなのね」藍を見て少し呆れつつも、燈子さんが優しく微笑む。「うん、好きだよ」藍は、迷いもなくハッキリと言い切った。「俺は、小さい頃から今もずっと、萌果のことが好きだから」「っ……」私の頬が、ぶわっと熱くなっていく。藍ったら、燈子さんのいる前でそんなことを言われたら、反応に困っちゃうよ。「だから、今度は萌果ちゃんから俺にキスしたいって思ってもらえるように、俺も頑張るよ」なぜか、改めて宣言されてしまった私。藍は私にとって、大切な幼なじみで。異性としても、嫌いではないけれど。私が藍に自分からキスしたいと思える日なんて、やって来るのかな?**数日後。学校の休み時間。私は、いつものように柚子ちゃんと楽しくおしゃべりしていた。「あれ?あなた、もしかして佐藤くん?
私はとっさに藍の前に立ち、藍の姿を安井さんから隠した。「梶間さん?」「や、やだな〜、安井さんったら。あのイケメンモデルの久住藍が、学校帰りにこんなところにいる訳ないじゃない!」うう。我ながら、苦しい言い訳だけど。「この子は、佐藤くん。私の幼なじみなんだ。彼とは家が近所だから、たまたまそこで会って……それで、一緒に買い物に来たの」「……どうも。佐藤です」今まで黙っていた藍が、ペコッと頭を下げた。「まあ、梶間さんに言われてみれば、確かにそっか。あの藍くんが、学校帰りにスーパーに買い物なんて来ないよね」安井さんが、納得したように頷く。「そうそう。あの無愛想で、いかにも家事なんてやりません!って感じの久住藍くんが……痛あっ」「ど、どうしたの?梶間さん!?」「〜っ」私は隣にいる藍に、右手を思いきりつねられてしまった。「すいません。俺たち、まだ買い物の途中なので。ほら萌果ちゃん、行くよ」藍はいつもよりもワントーン低い声で言うと、私の手を取って早足で歩き出した。「ちょっと、藍……!」私は、三上さんたちの姿が完全に見えなくなってから藍に声をかける。「いきなり手をつねるなんて、ひどいよ!」「それは、ほんとごめん」人気のないところで立ち止まると、藍がさっきつねった私の右手を、そっとさすってくる。「でも、俺も悪かったけど……萌果ちゃんだって悪いんだからね?」「え?」「俺のことを、佐藤くんって呼んだり。あの子たちの前で、俺の悪口なんて言うから」「あ、あれは、藍だってバレないようにするために仕方なく……」「それでも、萌果ちゃんに無愛想だとか悪いように言われたら、やっぱり悲しいよ」「ご、ごめん」藍のことを悪く言うつもりは、全くなかったんだけど。私も必死だったとはいえ、『あの無愛想で、いかにも家事なんてやりません!って感じの久住藍くん』って言ったのは、さすがにまずかったな。「ごめんね?藍」「謝っても、許してあげない」今日の藍、なんだか機嫌が悪いな。「どうしたら、許してくれるの?」私が尋ねると、藍の目が一瞬光ったような気がした。「んー、そうだな……萌果ちゃんが、俺にキスしてくれたら許す」「えっ!?」キスって!藍ったら、今度は何を言い出すの!?「萌果ちゃんがウチに引っ越してきた日に、俺が頬にグーパンチされたときも、結局キスしてく
数日後の放課後。学校が終わって家に帰ろうと校門に向かって歩いていると、私のスマホが鳴った。確認すると、それは燈子さんからのメッセージだった。【悪いんだけど、学校帰りにスーパーに寄ってきてもらってもいい?これから家に急遽お客さんが来るから、夕飯の買い物に行けそうにないのよ】お客さん……そういうことなら。【分かりました。私でお役に立てるのなら、喜んで!】橙子さんに返信すると、私はそのまま家の最寄りのスーパーへと直行する。学校から歩いて15分ほどで、スーパーに到着。買い物カゴを手に、私がスーパーに入ろうとしたとき。「萌果ちゃん!」誰かに名前を呼ばれて振り向くと、メガネに黒のマスク姿の藍が立っていた。外にいるため、一応変装しているらしい。「えっ。どうして藍がここに……」「さっきの母さんのメッセージ、俺に送るつもりが間違えて萌果ちゃんに送ってしまったんだってさ」「そうだったんだ。それで、わざわざ来てくれたの?」「うん。本来なら俺が任されるはずだった、おつかいだし。あっ、そのカゴ俺が持つよ」藍が、私が持っていた買い物カゴを、横から奪うように取った。私と藍は、二人並んで店内を歩く。「ここのスーパー、小学生の頃にも萌果ちゃんと二人で、おつかいに来たことがあったよね」「そういえば、そうだね」懐かしいなぁ。当時のことが蘇り、私は目を細める。「それで、何を買えば良いの?」「えっと。燈子さんからのメッセージに書いてあったのは、じゃがいもと人参に玉ねぎ……」「それなら、今夜はカレーかな?」「いや、もしかしたら肉じゃがの可能性もあるよ?」藍と、話しながら歩いていると。「あれ?もしかして、梶間さん?」背後から、声をかけられた。振り返ると、そこに立っていたのは……「やっぱり、梶間さんだ!」私と同じクラスの三上さんと、その友達の安井(やすい)さんだった。三上さんは、私が転校してきて間もない頃にクラスの親睦会でカラオケに一緒に行ってから、学校でもたまに話すようになったのだけど。まさか、こんなところでバッタリ会っちゃうなんて!「もしかして梶間さんも、おうちの人のおつかい?」「う、うん。そうなんだ。ということは、三上さんたちも?」「あたしは、カナエの買い物の付き合いだよ」『カナエ』とは、安井さんの下の名前。「ところで、梶間さんの隣にいる人
「ねえ、久住くーん。一緒に帰ろうよ〜」私が黙々と掃き掃除をしていると、女の子の甘ったるい声が耳に入ってきた。そちらに目をやると、校門へと向かって歩く藍が、女の子に言い寄られているのが見えた。藍、ほんとよくモテるな。さすが、人気モデル。あんなにモテる藍が、私のことを一途に好いてくれているなんて。何だか変な感じ。藍の幼なじみじゃなかったら、今頃私は彼に近づくことすらできなかったのかな。それどころか、久住家での同居も藍に恋愛対象として見てもらうことも、なかったのかもしれない。そう思うと、ほんの少し切ない気持ちになった。「ねぇねぇ。梶間さんは、どんな男がタイプ?」「……」「答えないってことは、もしかして俺みたいなヤツとか?」「……」無視するのは良くないって、分かっているけど。女の子に声をかけられている藍を見ていたら、陣内くんに返事をする気にはなれなくて。「ちょっと、梶間さん。俺の話、聞いてる?」「っ!?」陣内くんに突然、耳を引っ張られてびっくりする。「もう!陣内くんったら、耳引っ張らないでよ」ただでさえ私は、昔から耳が弱いのに……!「ごめんごめん。だけど、梶間さんが全然返事してくれないから……」「あっ、理仁くんだ。やっほー」陣内くんと話していると、彼に声をかけてきた人が。陣内くんと似た系統の、ギャルっぽい見た目の女の子。理仁くん……そっか。今更だけど、陣内くんの下の名前は理仁っていうんだった。「理仁くん、何やってるの?掃除?」「そう。俺、えらいでしょー?」「うん、えらーい。さっすが、理仁!」ギャルっぽい見た目の女の子が、他にも数人、陣内くんの周りに集まってきた。「へえ。陣内くんって、意外と女の子から人気あるんだ」「うん、そうだよ?」しまった。心の中で呟いたつもりが、声に出ちゃってた。「ほら。俺って、日本とアメリカのハーフで、この通りイケメンだし?」「あはは」私は、思わず苦笑い。自分でイケメンって言うなんて……もしや陣内くんって、ナルシスト?「まあ、俺が今一番モテたいって思ってる子には、全然モテなくて困ってるんだけどね〜」「へー。それは大変だね」「ふはっ。ほーんと梶間さんって、相変わらずだなぁ。まあ、そういうところが良いんだけど」んん?陣内くんに首を傾げつつ、私はホウキを持つ手をせっせと動かすのだった。