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第六話

Author: 夏目若葉
last update Last Updated: 2025-04-02 10:11:46

「うるさい! 誰とでも軽々しく寝る女なんだな、お前は!! とんだビッチに引っかかったよ!」

 さらに荒々しく豹変した本城を目にし、私は驚きすぎて唖然としてしまう。

 こんなに激高するなんて、今は一番最初の穏やかな印象からは想像もつかないほど真逆だから。

「どうせほかの男がよくなったんだろ? そうだろ?」

「……あの……」

「俺よりうまい男がいたのか? このヤリマン!」

 凄みのある声を発した本城が、勢いよく私の胸倉を左手で掴んできた。

 その瞬間、私は恐怖で息が止まる。

 本気で私を殴るかもしれないと直感したそのとき、本城が右手を振り上げた。

「はい、そこまで」

 拳が振り下ろされる間際に、ひとりの見知らぬ男性が本城の右手を掴んで阻止してくれた。

 どうやらお店に来ていたほかの客のようだ。

「なんだよお前は! 手を離せ!!」

 突然のことに本城は私の胸倉を掴んでいた左手を咄嗟に離したが、右手はまだその男性に捕らわれたままでうろたえていた。

「お客様! こちらへ」

 私に暴行しようとしていたとわかり、カウンター内にいたマスターが出てきて本城を店の外に連れ出してくれた。

 私は掴まれていた胸元を押さえ、ハァハァと息を整える。

「大丈夫?」

 先ほど助けてくれた男性が、心配して声をかけてくれた。

 本気で怖かった。ふと自分の手を見ると、未だに指先が震えている。

「……ありがとうございました」

「あの男、声が大きいからちょっと聞こえちゃって。いつ止めようかと思ってたんだけど……ごめん」

 本城がヒートアップしたあたりから、周りに話が聞こえていたようだ。

 ほかの客からすれば私と本城は異様な空気だっただろうなと思う。

 恥ずかしいし情けない。

 こんなことなら、お気に入りのこのバーで会わなければよかったと後悔した。

「あの男はもうここには来られないから」

「え?」

「出禁になるよ」

 男性と少し話をしていると、本城を外に引っ張り出してくれたマスターが戻ってきた。

「出禁にしたのか?」

「ああ、もちろん。二度と来るなって半分脅しといた。おそらく大丈夫だろう。来ても追い返す」

 親密そうに話すふたりのやりとりを、どういう関係なのかと不思議に思いながら聞いていた。

「すみませんでした」

 申し訳なくなり、頭を下げて丁寧に謝罪すると、マスターは優しい笑みを浮かべて首を横に振ってくれた。

「気にしなくてもいいよ。ここはアイツの店だし。ちなみに俺はアイツの友達」

 隣の男性はにこやかに言い、マスターのほうを顎でクイっと指し示す。

 マスターは雇われているのではなくオーナーだったようだ。

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     次の日の朝、デートだから髪を巻こうと頑張ってみたけれど、以前ほど上手にできない。  ふと、斗夜と買い物デートをした日の記憶が蘇ってきた。  あの日も自分なりに頑張ってオシャレをして出かけたのを思い出し、この前はもう少しマシに髪が巻けたのに、と鏡の前で眉を寄せながらヘアアイロンと格闘した。 今日の服装は、清楚と上品をテーマに選んでみた。  薄いピンクのブラウスに、白のフレアスカートを合わせ、胸元には小さな石の付いたネックレスをあしらう。  女子アナのように知的さも出たので、自分の中では及第点だ。 五分前に待ち合わせの場所に着くと、戸羽さんもちょうど同時に姿を現した。「咲羅ちゃん」 私に気づいて声をかけてくる戸羽さんは、髪をワックスで遊ばせているせいか、前よりもカッコいい。  今日も相変わらず、黒縁眼鏡の奥から覗く瞳が穏やかで優しい感じがする。「来てくれてうれしいよ」 目を細める戸羽さんを見ながら、私も大人なのでさすがに連絡もなしに約束をすっぽかしはしない、と心に浮かんだ。「どこに行きますか?」 「えっと……ちょっと付き合ってもらいたい場所があるんだ。実は腕時計の金具が壊れて、修理に出そうかと」 デートなのに所用に付き合わせて悪いと思ったのか、眉尻を下げてこちらを伺う戸羽さんが、少しばかりかわいらしい。「大丈夫ですよ。行きましょう」 私の返事を聞いた戸羽さんに優しい笑顔が戻り、ふたりで時計店を目指して歩き出す。  高級そうなお店の前で戸羽さんが歩みを止めた。  そこは間違っても私が普段フラっと立ち寄ることの出来ない雰囲気を纏った場所だった。  不審者のようにじろじろと店内を見回してしまいそうになったが、自制心でそれをぐっと堪える。 戸羽さんはカウンターの中にいる店員に声をかけ、金具が壊れた腕時計の修理の話を進めた。  待っている間、私はなにをするでもなく店内をうろうろとしていたのだけれど、手垢ひとつなくピカピカに磨かれたショーケースの中に展示されている、存在感のある腕時計がふと目に入ってきた。  別にそれを気に入ったわけではないのだけれど、隣に置かれていたプライスカードの値段を目にし、高すぎて目玉が飛び出た。 ケタを見間違えたかと思ったけれど、450万円だ。  だけどブランドものの時計ならば、それくらいの値段でもおかし

  • 純愛リハビリ中   第四十話

     斗夜は去り際になにか言ってから出てきたようで、それは私に関することだと思うから内容が気になってしまう。「なにを言ったの?」 クスっと電話口で思い出し笑いをする史香とは反対に、私はスマホを持つ手がわずかに震えた。『白井さんの噂は彼女をやっかんだ人が言いふらしたんです。あなたは彼女のなにを知ってるんですか? 彼女を傷つけて侮辱するような発言は、例え先輩でも俺は今後一切許しません!……って言ってた』 まるで魂を抜き取られたみたいに、私はボーっと聞き入ってしまった。  喉が急に熱くなってきて、声がうまく出て来ない。『あの時、確信しちゃった。八木沢さんも咲羅が好きなんだ、って』 斗夜が時枝さんに対してそんなことを言ったなんて信じられない。  この一週間、ふたりは蜜月に見えていたのに。『どう考えても咲羅に気があるとしか思えない。あの場に居た人はみんなそう感じてたよ。私の隣にいた重森なんて口があんぐりと開いてたわ。たぶん、八木沢さんには勝てないって思ったんだろうね』 ……違うよ。斗夜は私と同じでリハビリ中だもの。  彼には純粋に心から好きだと思える恋愛ができない欠点がある。  身体の関係にはなれても、相手と本気で心を繋げられないのだ。  今はその欠点を治すためにリハビリをしているのに、私を好きだなんて感情が簡単に芽生えるわけがない。  それは史香が彼をわかっていないだけだと思う。『私は重森だけじゃなくて、八木沢さんも慰めなくちゃいけないのかな? そうなったら重森なんて放っておくけど』 「……へ?」 『だって咲羅は明日の戸羽さんとのデートに乗り気なんでしょ? 重森が肩を落として言ってたよ』 別に乗り気じゃないのに、と私は重森を思い浮かべて口をとがらせた。  どうして史香が誤解するようなことをわざわざ言うのだろう。『明日のデート、どうなったか報告待ってるよ』 史香がフフフと楽しそうに笑い声を漏らす。「戸羽さんは、穏やかでいい人だから……明日いきなりどうにかなることはないと思う。それにね、戸羽さんと恋が出来そうかどうか、ちゃんと見極めたいんだ」 彼がどういう人なのかを理解するところから始めなければいけない。それが心を通わせる第一歩だから。『なんか咲羅……最近、変わったね』 「そう?」 本城との失敗の経験があってから、慎重になろうと

  • 純愛リハビリ中   第三十九話

     悪く言われたくはないけれど、万人に私を受け入れてもらえるなんて、さすがに思っていないから、私は史香のような人を大切にできればそれでいい。  仲良くできる人は少数でもかまわない。『あの人、咲羅がモテるから妬いてるんだろうね』 「……私、別にモテてないよ」 『自覚症状なしですか』 私を笑わせるために一定のトーンで言葉を発する史香がおかしくて癒される。『重森がさ、今日私に泣きついてきたよ? いくら咲羅を口説いても、デートどころかまったく相手にされないって』 「……は?」 重森と話している内容が自分のことだったなんて思わなかった。  私はどういうことかと、スマホから聞こえる史香の話を集中して聞いた。『明日は他の男とデートするみたいだから、俺はやっぱり脈なしなのか? って、私は延々と愚痴を聞かされたんだから!』 「……そうだったの」 『重森も咲羅と一緒で誤解されやすいみたい。たぶん……あんまり遊んでないよ、アイツ。咲羅のこと、けっこうマジで好きみたい』 ―――― 重森が? そんな、まさかだ。 いつも彼の誘いは、ふわっと飛んで行きそうな綿雲のように軽かった。  なので、そこに少しでも真面目な思いが含まれているなどと、私は考えたこともなかった。  私はもしかして、今まで重森に対してかなりひどい態度だったのだろうか。『重森、八木沢さん、バーのマスター、戸羽さん。これでモテてないなんて言わせないからね? で、結局咲羅は誰にするのよ』 「……え?!」 いきなり四択を迫られても、どこから突っ込んでいいか頭がついていかず、思わず声が裏返った。「ちょっと、なに言ってるの」 『あはは。マスターの話も聞こえてきちゃったもん』 居酒屋での時枝さんの発言を、史香はけっこう漏らさずに聞いていたようだ。  重森と話しながら小耳に挟むなんて、器用だなと感心してしまう。「マスターは全然そんなんじゃないよ」 『そうなの? まぁ、重森は元からないとしても……あとは、八木沢さんか戸羽さんね』 ……あっという間に二択に減った。  史香の言葉で、斗夜と戸羽さんの顔が交互に思い浮かぶ。 バーで戸羽さんと偶然再会して、土曜日にデートの約束をしたことは、史香には翌日の朝にすべて話した。  戸羽さんと今までに会ったのはたったの二回で、ふたりきりでデートするのも明日

  • 純愛リハビリ中   第三十八話

     斗夜にとって、リハビリ相手である私は必要なくなった。  でもどうして私までリハビリを中止しなくてはいけないのか。  斗夜が辞めるなら、私は違う相手で続けるまでだ。  真剣な恋ができるように、そのやり方を思い出せるようにと、せっかく始めたことなのだから。  リハビリから先に卒業できた斗夜は、以前傷つけてしまった元カノに思いを告げればいい。「誤解だよ。連絡できなかったのは仕事が忙しかったせいだ。それはホントだから」 火曜日に時枝さんとバーに行く時間はあったのに? などと考える私は、意地が悪い。  それを実際に口にしなかっただけマシだけれど。「だから、行くなよ……」 斗夜の瞳がゆらゆらと揺れていて、心配と不安と切なさが入り混じっていた。  だけど私は、それに気づかないフリをする。「行くよ。約束しちゃったもの」 「咲羅……」 私は小さくつぶやいて斗夜に背中を向け、路地裏から表通りに出た。  抱きしめられていたときからずっと、心臓が掴まれたように痛くて、熱い頬が元に戻らない。  人の心をこんなに掻き乱せるのだから、斗夜がモテるのは当たり前だ。  無心になろうとすればするほど、至近距離で囁かれた斗夜の甘い声が耳から離れないままだったけれど、私はそのまま家路を急いだ。 家に帰ってシャワーを浴びた直後に、テーブルの上のスマホが着信を告げていることに気づいた。  私は画面に表示された相手を確認し、人差し指でスライドさせる。『咲羅、今ひとりなの?』 電話をかけてきたのは史香だった。  私がひとりでいるのかどうかなんて、いつもは気にしたことがないのに、なぜ聞くのだろうと思ってしまう。「帰ったんだからひとりだよ」 『そっか。八木沢さんもすぐに出て行ったから……』 私が居酒屋の座敷を出たあと、すぐに斗夜が追いかけて来たから、今もふたりで一緒にいるのかもしれないと考えたのだろう。『大丈夫?』 「なにが?」 『時枝さんが居酒屋できついこと喚(わめ)いてたでしょ。あの人、性格悪そうだもん』 史香の言葉を聞いて、私が抱いた時枝さんのイメージと同じだったことに軽く笑いがこみ上げた。  重森と話し込んでいた史香は、私たちの話は聞こえていないのかと思っていたけれど、最後のほうは時枝さんの声が大きかったから、自然と耳に入ってきたのだろう。「大丈

  • 純愛リハビリ中   第三十七話

     マスターは私と戸羽さんのことを斗夜に密告したらしい。  物静かな人だと思っていたけれど、どうやらおせっかいな面もあるようだ。「『咲羅ちゃんは草食系だって豪語してるけど、俺にはそう思えない!』って、興奮気味に電話をかけてきた。時枝さんが言ってたこと、あながち間違っていないのかもな」 「え?」 「……彰、咲羅に気があるのかも」 どうして時枝さんの発言を真に受けるのかと、私は腹が立ってしまう。  キュっと眉間にシワを寄せ、不快だと言わんばかりに斗夜を見上げれば、深いブラウンの髪の隙間から覗く瞳と視線が絡んだ。「バカなこと言わないでよ。マスターは単純に私を心配してくれただけでしょ」 「そうかな?」 「そうに決まってる」 斗夜が再び私の背にまわしていた腕の力を強めた。  ギューっと抱きしめられ、自然と斗夜の逞しくて温かい胸板にピタリと密着してしまう。  その行為に、今更私の心臓はドキドキと早打ちを始めた。「今週は時枝さんが来たから思いのほか仕事が忙しくて、連絡出来なくて悪かった。けど……ほかの男とデートってひどくないか?」 「……は?」 斗夜の言葉の意味がまったくわからなくて、なにを言ってるのだろうと、思わず素っとん狂な声を上げてしまった。  どうして私がひどいのだろうか。「なにもひどくないでしょ。私たち、付き合ってるわけじゃないんだから」 「…………」 「それを言うなら、時枝さんをあのバーに連れて行くことないじゃない。ひどいのはどっちよ」 あのバーは、“私たちの隠れ家”なんて言うつもりはないけれど、唯一私がほっこりできる場所だった。  だけど斗夜に気がある時枝さんを招き入れたことで、あの空間の雰囲気を変えられた気持ちになってしまった。「悪かったよ。もうしない」 耳元から響く斗夜の低い声が、脳まで浸透していく。  やさしくて甘い声が聞こえたらなにも考えられなくなって、強く抱きしめられていることに違和感がなくなった。  斗夜の胸板に自分自身が溶け込んでしまいそう。「だから………明日のデートは辞めてくれないか?」 抱きしめられていて顔は見えないけれど、彼はきっと切ない表情をしているのだと声でわかってしまった。「なんで……そんなこと言うの」 このタイミングと体勢を考えたら、その発言はずるい。どうしても期待してしまうから。

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