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第0218話

作者: 十六子
瑠璃は軽く首を振った。「私のやり方がまだ甘かったわ。そうでなければ、彼も何度も何度も私を『あの忌々しい元妻』だと疑うことはなかったでしょう」

「あの忌々しい元妻」を発するとき、彼女の声には明らかに憎しみが滲んでいた。

しかし、すぐに微笑みを浮かべ、瞬に向かって穏やかに言う。

「でも心配しないで。私はもう、かつてのように愚かで無知な瑠璃ではないわ。あなたが与えてくれた『新しい人生』を、決して無駄にはしない」

瞬は唇の端をわずかに上げ、その深く神秘的な瞳にかすかな光を宿した。

瑠璃は彼の濡れたジャケットを脱がせ、新しい洗面用具を用意する。

瞬はシャワーを浴びた後、白いバスローブを纏い、タオルで濡れた髪を軽く拭きながら、自然な足取りで瑠璃の部屋へ入った。

そこには、すでに眠りについている愛らしい小さな姿。彼はそっと身を屈め、陽ちゃんの頬に優しくキスを落とした。

「瞬、部屋の準備ができたわ」瑠璃が小声で部屋に入ってくる。

瞬は振り返り、彼女へと歩み寄る。

「数日後、目黒家の本邸に戻るつもりだ。一緒に来てくれるか?」

「ええ」

瑠璃は迷いなく頷いた。

「ゆっくり休んで。おやすみ」

瞬はそう言うと、ふわりと眉間に唇を寄せ、深く触れることなく、そのまま振り返って部屋を出た。

扉が静かに閉まる。

瑠璃はその場でしばしぼんやりと立ち尽くす。

彼が自分に抱く感情に、気づかないはずがない。

瞬がこれほどまでに自分を支え、守ってくれるのは――

単なる恩や同情だけではないことも、理解していた。

六年前――

自分が蛍に陥れられ、「窃盗犯」の濡れ衣を着せられたとき、

彼は密かに証拠を集め、潔白を証明してくれた。

あのときから、彼はずっと自分を見守っていたのだ。

しかし――

瞬という男は、あまりにも神秘的だった。彼は紳士であり、正真正銘の品格を備えた男だった。

だが、その奥には何か隠されたものがある。

そう彼女の直感は告げていた。彼には、まだ知られざる秘密がある。

瑠璃は軽く頭を振り、余計な思考を振り払う。

一方――

隼人は、車の中でじっと灯りが消えるのを見届けていた。彼の目は、瑠璃の部屋の窓を見つめたまま、ただ沈黙していた。

「瞬……」

低く押し殺した声が、静かな車内に響く。

瞬は、かつてから瑠璃のことを気にかけていた。その事実を
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    瑠璃の言葉が落ちると同時に、隼人の腕の中は空っぽになった。一瞬にして、胸の奥を虚無感が支配する。まるで、迷い込んでいた夢の中から、ようやく現実に引き戻されたようだった。目の前の顔を見つめながら、隼人はようやく自分の行動を自覚した。彼女に、自分の弱さを晒してしまったこと。その温もりに、つい甘えてしまったこと。彼女が心配してくれるのではないかと、無意識に期待していたこと。こんな感情を抱いたのは、これまで一度もなかった。だが、わかっている。――すべては、この顔のせいだ。彼女の顔は、かつての「彼女」とあまりにもそっくりだった。「明日到着するって言ってなかった?どうして急に帰ってきたの?」瑠璃の楽しげな声が、隼人の思考を中断させた。……婚約者?彼は思い出した。彼女は、さっきこう言ったのだ。「婚約者が来た」と。――婚約者?「家にお客さん?」低く落ち着いた男の声が、遠くから近づいてきた。隼人の眉がわずかに寄る。この声――決して馴染み深いわけではないが、聞いたことがないわけではない。まさか、彼女の婚約者が、この声の主だというのか?……いや、それは、さすがに――「隼人?君か?」その瞬間、彼が顔を上げると、そこにいたのは――瞬だった。黒いスーツに身を包み、ゆったりとした足取りで室内へ入ってくる。外は雨。肩には雨粒が残っていたが、それがかえって彼の優雅さを際立たせていた。二人の視線が、ぶつかる。静まり返った空間に、一瞬、見えない火花が散る。夜も深く静寂に包まれているはずなのに、この瞬間、まるで無形の煙が立ち上るように、隼人の目から暗い波動がひそかに湧き上がってきた。隼人の目が鋭く細められた。「お前だったのか?」ゆっくりと立ち上がる。その様子を見届けるように、瑠璃は微笑みながら瞬のそばへと歩み寄った。そして、ごく自然に、彼の腕を取る。「目黒さん、ご紹介するわ」柔らかな声が響く。「こちらが私の婚約者、目黒瞬よ」瑠璃は瞬を見上げ、戸惑いを滲ませながら尋ねる。「さっき、『隼人』って呼んでいたわね?二人は知り合い?……いや、待って。二人とも『目黒』という苗字……」その言葉を聞いた瞬は、微笑を深めながら、静かに答えた。彼の声はとても穏やか

  • 目黒様に囚われた新婚妻   第0216話

    彼を訪ねたのは、間違いなく蛍だ。瑠璃はそう確信していた。ただ、隼人がそれを理解しているとは思わなかった。これまでずっと、彼は無条件に蛍を信じ続けてきた。そして、その甘やかしと縛られない信頼が、瑠璃に深い苦痛をもたらしたのだった。しかし、もし彼が本当に蛍を庇うつもりならば――なぜ、わざわざ自分を訪ね、過去の自分に扮して辰哉の口を割らせようとしたのか?瑠璃は、隼人がすぐに帰ると思っていた。ところが、彼はそのまま彼女のマンションの玄関までついてきた。「……中に入ってもいいか?」隼人が静かに尋ねる。その声には、どこか頼るような響きが含まれていた。夜はすでに更けていた。本来ならば断るべきだったが――彼女の視線は、まだ血が滲んでいる彼の手の甲へと向いた。そして、扉を開く。「……どうぞ」彼を思いやったわけではない。ただ、彼の口から何か情報を引き出せるかもしれないと思っただけ。隼人はリビングのソファに腰を下ろしていた。彼の長い指先は力なく垂れ、その全身からは疲労感がにじみ出ている。眉間には深い影が落ち、沈んだ雰囲気を纏っていた。瑠璃は無言のまま、救急箱を取り出し、彼の前へと進む。彼女は何も言わずにアルコールで傷口を消毒し、その上からそっと包帯を巻いた。「……俺は、最初から彼女を信じてなんかいなかった」不意に、隼人の低い声が静寂を破る。瑠璃の手が、一瞬だけ動きを止めた。しかし、すぐに何事もなかったように微笑み、問いかける。「目黒さん、それは誰のこと?」彼は低く短い笑い声をもらす。「……まさか、あんなことをするとは思わなかった。ずっと、信じていたのに……」その言葉の意味を、瑠璃はすぐに理解した。最初の「彼女」は、かつての自分。後の「彼女」は、蛍。彼はようやく、ほんの一部とはいえ、真実を見始めたのだろうか。だが――「隼人、あの女がどれほど冷酷で狡猾か、あなたはまだ知らない。見ているのは、あの仮面のほんの一部分に過ぎないのよ」瑠璃は静かに視線を上げ、意地悪く問いかける。「つまり、目黒さんはもう気づいているのね?あなたの元妻が息子を誘拐した犯人だとされたあの事件――本当の黒幕が誰なのか。でも、それを信じたくないから、見ないふりをしている……そういうことなの?」隼人の瞳が

  • 目黒様に囚われた新婚妻   第0215話

    突然襲いかかってきた辰哉を見て、瑠璃の脳裏に過去の暴力の記憶がよぎった。一瞬の躊躇の後、反撃しようとしたその瞬間――背後から突風のような動きが駆け抜けた。隼人の温かい手が彼女の肩をしっかりと抱き寄せ、素早く横へ引き寄せた。その瞬間、彼女は馴染みのあるようで、しかしどこか遠い温もりに包まれた。状況を把握する暇もなく、辰哉は空振りし、そのまま木に激突。続けざまに隼人の手によって右腕をねじ上げられた。「ぐあっ!」辰哉の悲鳴が響く。しかし隼人は手を緩めることなく、彼の膝へ強烈な蹴りを叩き込み、その場に跪かせた後、さらに一蹴りを加えた。瑠璃は、隼人がなおも容赦なく制裁を加えるのかと思ったが、意外にも彼は突然、彼女を強く抱きしめた。「怖がるな、俺がいる。もう二度と誰にもお前を傷つけさせない」隼人の低く柔らかい声が、夜の闇に溶けるように響く。その声音には、今までにない優しさと、どこか切実な想いが滲んでいた。瑠璃の瞳は驚きに揺れた。彼の腕の力強さを感じながらも、どこか違和感を覚える。細かな雨粒が静かに降り注ぎ、晩夏の風が冷たく吹き抜ける。しかし、彼の胸の鼓動が伝わるほどの距離にある温もりだけは、異様なほど熱かった。彼女の心臓が跳ねる。それが自分のものなのか、彼のものなのか、判別がつかないほどに。危うく、この感覚に呑まれそうになったその瞬間――傷口に残る痛みが、彼女の意識をはっきりと呼び戻した。「目黒さん、これ以上続けると……私は本当に怒るわよ」静かに、しかしはっきりと拒絶を告げた。隼人の瞳が一瞬揺らぐ。まるで心地よい夢から、現実へと引き戻されたかのように。「……すまない」彼はそっと囁くと、ゆっくりと腕を解いた。その直後、今まさに逃げ出そうとしていた辰哉の襟首を掴み、無造作に木の幹へと押しつける。その目には、冷たく鋭利な刃物のような光が宿っていた。「よく聞け。俺は一度しか聞かない」隼人は低く冷徹な声で言い放つ。「三年前、俺の息子を誘拐したのは、誰の指示だった?」辰哉は腫れ上がった口元を震わせながら、おそるおそる指を動かし、瑠璃を指し示した。「……あ、あいつだ!瑠璃だ!俺に連絡してきて、誘拐を指示したのはあいつなんだ!」まるで昨夜の宴会での発言を完全に覆すように。その変わり身の早さは

  • 目黒様に囚われた新婚妻   第0214話

    結局的に彼女ではなかった。「それならよかった」瑠璃は満足そうに微笑んだ。「目黒さんは、あの瑠璃のことがとても嫌いだったと。彼女はすでに三年前に亡くなっているのに、どうして今でも彼女の服を部屋に置いているの?」隼人は視線を鋭く瑠璃に向けた。「君はどうしてこれが俺の元妻の服だと分かった?」瑠璃は穏やかに微笑んだ。「単純な推測だわ。違うの?」彼女の問いに、隼人は微かに笑みを浮かべた。「違わない」――その頃、蛍は病院を出たばかりの辰哉に連絡を取っていた。昨夜の宴会で何も得られなかったうえ、突然現れた「幽霊」に怯え、さらに隼人に殴られ前歯を一本失った辰哉は、まさに踏んだり蹴ったりだった。歯を一本治すのに数十万円もかかると聞き、すぐに病院を後にした。金のない彼にとって、蛍からの連絡は渡りに船だった。蛍は慎重だった。銀行振込などの証拠が残る方法は避け、隼人に怪しまれないよう、変装をして人目のつかないカフェで辰哉と会うことにした。対面すると、彼女は大盤振る舞いで200万円の現金を差し出した。札束を目にした辰哉の目が輝いた。頬を叩いて気合を入れ、すぐさま忠誠を誓った。「お嬢様、ご安心を。俺たちは何度も協力してきたじゃない。俺に任せて!いやぁ、昨夜は酒を飲みすぎて失敗したよ。でも、あの……なんて名前でしたっけ……千……」「千ヴィオラ」蛍は苛立たしげに言った。「しっかり覚えて。あれは瑠璃じゃない! あの女は三年前に死んだの。世の中に幽霊なんていないわ! 仮に瑠璃が本当に幽霊になったとしても、私は必ず彼女を完全に消し去る!」「幽霊」という言葉を聞いた辰哉は、思わず肩をすくめた。後ろめたいことが多いせいか、彼には堂々としている余裕がない。「この金を持っていなさい。とにかく、あの誘拐事件について口を割らなければ、今後一生、食うに困ることはないわ」「お嬢様、ご安心を。俺は何をすべきか分かっている」辰哉は何度も頷きながら言った。しかし、その後、突然不満そうに呟いた。「でも、あの千ヴィオラ、俺を怖がらせやがって……痛い目を見せてやらないとな!」蛍はこの言葉を聞いて、心の中でほくそ笑んだ。辰哉が千ヴィオラに手を出してくれれば、彼女にとっては好都合だった。あの女はどうしても気に入らない!しかし、最も重要なのは誘拐事件だった。何としても、隼人に真

  • 目黒様に囚われた新婚妻   第0213話

    そんな彼の問いかけに、瑠璃は冷静な表情を崩さず、興味深そうに尋ねた。「何の?」「君に、真実を見つける手伝いをしてほしい」隼人は静かにそう言った。その深い瞳の奥には、今まで見せたことのない期待と懇願が滲んでいた。彼の言葉を黙って聞き、具体的な協力内容を確認した後、瑠璃はしばらく考え込む。そして、ゆっくりと頷いた。「いいよ。お手伝いするわ」「ありがとう」その瞬間、隼人の目の奥にわずかに喜びが浮かぶのを、瑠璃は見逃さなかった。しかし、それはほんの一瞬で消え去った。まさか、もう一度自分自身に戻る日が来るとは思わなかった――隼人は瑠璃を美容院へと連れて行った。彼がスタイリストに一枚の写真を見せると、スタイリストは理解したように頷く。彼が何の写真を見せたのか分からなかったが、約一時間後、鏡に映った自分の姿を見て瑠璃は息をのんだ。長く艶やかな黒髪が、透き通るような素肌と上品な素顔を引き立て、どこか懐かしさすら感じさせる。まるで時が巻き戻ったかのようだった。その後、隼人は彼女をある邸宅へと連れて行った。そこはかつて二人の新婚生活が始まった場所だった。邸宅の外観を目にした瞬間、瑠璃の胸中に複雑な感情が湧き上がる。しかし、唇には皮肉な笑みが浮かんでいた。彼女は隼人の後に続き、二階へと上がった。三年の時が経った――まさか、再びこの屋敷に足を踏み入れ、この部屋に戻る日が来るとは思ってもいなかった。寝室に入ると、ふわりとした香りが漂ってきた。その微かな香りを嗅ぎ、瑠璃は一瞬驚いた。この香りを誰よりも知っていた。なぜなら、それは彼女自身が調合したものだったから。「生まれ変わった」後、彼女の嗅覚は以前よりも鋭敏になっていた。デザイン画を描いているときの気分転換として香料の研究をするようになり、知識と創造力の幅を広げていた。もはや、かつてのように盲目的に愛を追い求める愚かなお花畑ではない。隼人は彼女をクローゼットの前まで連れて行く。扉を開くと、そこには整然と並べられた一着一着の服が――瑠璃は一瞬、驚いたように目を見開いた。寝室のインテリアが三年前と何一つ変わっていないことにも驚いたが、何よりも――三年前の自分の服が、まだここに残っているなんて。「ヴィオラさん、好きなものを選んで着替えて。外で待ってる」隼

  • 目黒様に囚われた新婚妻   第0212話

    「隼人!隼人、お願いだから私を信じて!あんな狂った陸川の戯言だけで私を疑わないで!昔、海辺で一緒に過ごしたあの日々を忘れたの?あなたは言ったわ、私が今まで出会った中で一番純粋で優しい女の子だって。ずっと一緒にいる、私をお嫁さんにする、私を守る、一生私を信じるって、そう誓ったじゃない、隼人……隼人!」まさか隼人がここまで自分を無視するとは、蛍も思いもしなかった。走り去るスポーツカーを見つめながら、その場で悔しそうに足を踏み鳴らした。「瑠璃、このクソ女!死んでもなお厄介な存在だなんて!」怒りに任せて屋敷に戻ると、ちょうど君秋がリュックを背負って出かけるところだった。蛍はすぐさま家政婦に買い物へ行くよう命じ、屋敷の中には自分と君秋だけが残るようにした。君秋は蛍を見上げ、その澄んだ黒い瞳には警戒と拒絶の色が浮かんでいた。小さな手でリュックのストラップをぎゅっと握りしめる。――本当に見ているだけでイライラする!蛍は心底嫌そうに目を剥き、突然、君秋の細い腕を乱暴に掴んだ。君秋は何も言わなかったが、体は本能的に抵抗した。だが、まだ五歳の子供が、大人の力に敵うはずもなかった。蛍は彼を物置部屋まで引きずると、問答無用で中に押し込め、扉を施錠した。「ドンドンドン!」君秋は必死で扉を叩いた。蛍は苛立たしげに扉を蹴飛ばし、憎悪に満ちた声で怒鳴った。「うるさい!忌々しいガキめ!どうせなら、あんたなんかあのクソ女の腹の中にいる時に潰しておくべきだった!」怒りと不満のすべてを、君秋へとぶつけた。君秋は必死にもがき、助けを求めたが、最後には暗闇の片隅に身を縮め、小さな体をぎゅっと抱きしめた。「……ヴィオラお姉ちゃん……」かすかな呟きが暗闇に溶ける。ただこの名前を呼ぶことで、ほんの少しでも光が見えるような気がした。――あの時の誘拐の件、絶対に隼人に調べさせるわけにはいかない。もし真相が暴かれれば、目黒家の若夫人どころか、隼人がどんな報復をしてくるかも想像がつかない。考えを巡らせた末、当時の事情を知っているのは辰哉だけだと確信する。瑠璃はすでに死んでいる。死人が口を開くことはない。だから、今は辰哉さえどうにかすればいい――何があっても、奴に余計なことを喋らせるわけにはいかない!瑠璃は陽ちゃんを幼稚園に送った後、

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