共有

彼の願い、夫婦の望み 6

作者: 水守恵蓮
last update 最終更新日: 2025-03-12 18:24:16
心臓外科病棟を背にした、お洒落な青銅のアームのベンチに、四人並んで腰かける。前を向くと、色付き始めの落葉樹と、季節の花が植えられた花壇が、視界いっぱいに広がる。その間を縫うように敷かれた遊歩道を、のんびりと散歩する患者さんの姿が、あちらこちらで見受けられた。私は、マグボトルに入れて持ってきたコーヒーを紙コップに注ぎ、颯斗とレイさんに振る舞った。メグさんには、レモンと蜂蜜で作ったジュースを渡す。「あら……。もう颯斗から聞いた?」彼女は、私がなにを気遣ったか見透かした様子で、クスクス笑った。「はい。ご懐妊おめでとうございます。あの……カフェインはよくないと聞いたので、なにならいいか、悩みに悩んで……」私がはにかんで返すと、「ありがとう」と目を細める。「さすがハヅキ。気が利くわね」彼女の向こう隣では、レイさんが早速、卵とチーズのサンドウィッチを頬張っている。「Delicious!」と感嘆する声が聞こえてきた。その横で、颯斗も大きく口を開けて、パストラミサンドに齧りついている。英語の会話が耳を掠める。二人とも、のんびりと楽しそうだ。彼らを横目に、私は小さな声でメグさんに呼びかけた。「あの……三ヵ月って聞きましたけど、つわりとか大丈夫なんですか? この間、ご招待した時も……」彼女は、「ああ」と苦笑気味に目尻を下げた。「それがね。個人差でしょうけど、全然大丈夫なのよ。食欲も減らないし」「ハヅキ」私たちの会話を聞き留めたのか、レイさんがひょいと顔を覗かせる。「キミからも、言ってやってくれ。元気な妊婦で、ボクとしても安心なんだが、なにせ食べ過ぎなんでね」やや口をへの字に曲げる彼に、メグさんが「あら!」と憤慨する。「今は、赤ちゃんに栄養持っていかれる時期だもの。この後、気をつければ大丈夫よ」「いやいや……早い段階から育ちすぎて、キミの身体に負担だって言いたいんだよ。医師の妻が健康管理を誤って、大早産なんてことになったら、笑えない」二人のやり取りを聞いて、颯斗が口元に手を遣り、くっくっとくぐもった笑い声を漏らした。「もうっ。ハヤトまで」メグさんから矛先を向けられ、小さく肩を竦める。「俺、なにも言ってないけど」「あなたのその黒い目は、口ほどに物を言うのよ」言われた彼は、「なんだそりゃ」と眉尻をハの字に下げた。「……ねえ。ハヤトたちは?」メグさんがやや声を潜め、遠慮がちに探ってきた。この会
この本を無料で読み続ける
コードをスキャンしてアプリをダウンロード
ロックされたチャプター

関連チャプター

  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   夫には内緒の決意 1

    余るかと思っていた大量のサンドウィッチは、あっという間になくなった。「ご馳走様、ハヅキ」「あ~、和んだな」颯斗とレイさんは、三十分ほどランチを楽しんで、先に医局に戻って行った。二人の白衣の広い背中が、病棟に消えて行くまで見送って、「ハヅキ」メグさんが、呼びかけてきた。やや改まった声色に、私は反射的にギクッとする。「私もレイも気遣いが足りず、ごめんなさい」「い、いえいえ!」繰り返される謝罪に、顔の前で手を振って答えた。「私たちの方こそ、お二人の喜びに水を差すようなことを……」「ハヅキ。今は望まない理由は、本当にあれだけ?」そう訊ねられ、私は言葉をのんだ。手元に目を伏せ、ゴクリと喉を鳴らす。そして、一度かぶりを振った。「実は今日お訪ねしたのは、ご相談したいことがあって……」言葉を選びながら切り出すと、メグさんが唇を結んで頷いてくれる。「ごめんなさい。そうよね。私に用があって、来てくれたのよね。……それで?」私は少し腰を浮かせて、彼女の方に身体を向けて座り直し、肩に力を込めた。「病院……知りませんか」「え?」「できれば、日本語で診察してくれるドクターを探してるんです」私の質問に虚を衝かれた様子で、メグさんはきょとんと目を丸くした。「日本人ドクターがいる病院なら……」人差し指を立てて、『ここ』というジェスチャーで返す。それに私はかぶりを振った。「ここでは、ダメなんです。颯斗がいては……」私の反応に、彼女は険しい表情を浮かべて、眉根を寄せる。「ハヤトに内緒で、通院するってこと?」やや咎めるような口調の前で、私もグッと詰まる。「ハヅキ……間違ってたら、ごめんなさい。探してるのは、産婦人科?」鋭く見抜いた質問に、奥歯を噛んだ。だけど……。「……はい」「ハヤトはまだ子供は考えないって言って、でもハヅキは産婦人科って……」メグさんは、すべてを察したようだ。困惑したように瞳を揺らし、私を見つめてくる。「私……先日日本で健診を受けたんです。その時、妊娠しにくい体質の可能性があるって言われて……」私はたどたどしく言って、ぎこちなく笑った。「受診勧められて、紹介状を書いてもらいました。でも、不妊症なんて確定診断されたら、って思うと怖くて」メグさんは、大きく目を見開いたまま、呆然としている。「治療には時間とお金がかかる。いろいろ……辛い検査や治療もあるって聞くし、そんなことしてまで欲しがるもの

    最終更新日 : 2025-03-12
  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   夫には内緒の決意 2

    その日は業務が落ち着いていたようで、颯斗も午後八時には帰ってきた。いつもは、早くても午後九時を過ぎるのが普通。今日は随分と早い帰宅だ。先にお風呂を終えた彼が、濡れ髪にラフな部屋着スタイルでダイニングテーブルにつく。私は食事を済ませていたけど、お茶を淹れて向かいに座った。「いただきます」颯斗が、丁寧に手を合わせた。「あ、葉月。今日、ランチありがとうな。すっげー美味かった」箸を手に取って、そう続ける。「ううん。仕事の邪魔にならなかった?」予想外のピクニックランチを思い出し、私は横の髪を耳にかけながら苦笑いをした。「なんで」と、彼がすぐに返してくる。「最愛の奥さんの手作りランチ。嬉しくない男がどこにいる」「さ、最愛って……」歯に衣着せないストレートな言い回しに、私の頬は火を噴く勢いで真っ赤に染まった。赤味噌のなめこ汁に舌鼓を打っていた颯斗は、お椀からふっと目線を上げ、私を正面から見据えてきょとんと目を丸くした。そして、「葉月、真っ赤」やや意地悪に、ニヤリと笑う。「颯斗はなんで、照れもせずにはっきり言えるの」「本当のことだからかな。心のままに言って、なにが悪い」しれっと言って、お椀をテーブルに置いた。左手に白米の茶碗を持って、小鉢のほうれん草の胡麻和えに箸をつける。「もう……」この照れ臭い会話の流れを変えようとして、何気なく彼の左手を見遣った。「そ、そうだ。颯斗」話題を見つけて、ポンと手を打つ。「そのご飯、お義母さんが送ってくれたっていう、今年の新米」颯斗も「ん?」と反応して、目線を落とした。「ああ。もう届いたか」「うん。昨日。お礼の電話はしたんだけど、こっちからも、なにかお返しした方がいいかなって思って」テーブルに両腕をのせて、軽く身を乗り出す。「う~ん」と思案するような、間延びした声が返ってきた。「こっちの名物と言えば、フィリーチーズステーキ」彼が即答したのは、『ステーキ』という名称ながら、ここフィラデルフィアで人気のホットサンドだ。薄切りの牛肉と玉ねぎを炒めた物をロールパンに詰め、溶かした熱々のチーズをたっぷりかけたファストフード。お店はたくさんあって、店ごとに味も違ったりして、いろいろ食べ比べるのも楽しいけれど……。「……どうやって送るのよ」「肉だし、無理だね。そもそも、関税法でアウトだ」私のツッコミに、颯斗も真顔で同意する。なんとなく目線を合わせて、どちらからとも

    最終更新日 : 2025-03-12
  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   夫には内緒の決意 3

    夕食の後片付けをした後、私はゆっくりお風呂に入った。長い髪をタオルドライしながらリビングに戻る。電気は点いていたけど、テレビは消されていて、さっきまでソファにいた颯斗がいない。となると、書斎にいるはずだ。「颯斗……?」私はドアの外から声をかけ、ちょっと遠慮がちにノックした。中から「どうぞ」と、返事があった。「お仕事? コーヒー淹れようか?」そっとドアを開け、顔を覗かせる。颯斗が「ああ」と短く応じて、私の方に顔を向けた。「ちょっと、調べ物。根詰めるほどじゃないから、大丈夫」彼の目元には、普段はかけない細いブラウンフレームの眼鏡。颯斗は、家で書物に目を通す時だけ、眼鏡をかける。いつもと違って、デキる『准教授』といったインテリっぽい雰囲気で、私は目にするたびにドキッとしてしまう。だけど彼の方は、私の心臓の反応に気付く様子はない。「葉月、こっちおいで」眼鏡のつるを持ってサッと外すと、『おいでおいで』と手招きする。「え? でも。調べ物の邪魔じゃない?」「全然。いいから」続けて促され、意味もなく、ドアの隙間から身を滑らせるようにして、中に入った。書斎は、それほど広くはない。日本で言ったらせいぜい六畳間ほどで、L字型のパソコンデスクと書棚が置かれているだけ。彼が背にしている書棚には、日本語と英語、厚さも様々な医学書がぎっしりと並んでいる。「葉月も、今日病院で見ただろ? 浩太」彼が自分の隣に置いてくれた丸椅子に腰かけ、私は一瞬ギクッとした。「葉月?」「あ、ううん。見たよ、浩太君。颯斗に、すごく懐いてるんだね」あの時、本物の幸せな家族を見ている気分になって、胸が疼いたことを思い出す。一瞬過ぎった動揺を気取られないよう、ぎこちなく笑って返した。颯斗は、無意識といった様子で顎を撫で、思案顔をする。「実は来月、オペを控えてるんだよね。ええと……ファロー四徴症って、先天性の心臓疾患で」「うん。レイさんが教えてくれた。日本で颯斗が、一度目のオペを執刀したって」説明しようとしてくれた気配を感じて、私はそう答える。颯斗は、「そっか」と目を細めた。「あんな元気そうに見えて、なかなか複雑な心臓の持ち主。一度のオペじゃ、治してやれなかった。まだ五歳なのに、人生二度目の開胸術が必要になる」「えっ……五歳?」「ああ。小さいだろ? 心臓に持病があると、どうしても……ね」そう言いながら、颯斗はパソコンモニターの

    最終更新日 : 2025-03-12
  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   夫には内緒の決意 4

    夏は暖かく高温だけど、冬の寒さは厳しいフィラデルフィアは、十一月半ばを過ぎると一気に気候が冬に進む。曇りの日が増え、雨量も多い。この空模様のせいだろうか。病院の帰りで沈んだ心が、まったく晴れてくれない。私は、家の玄関に入った途端、ドッと肩を落とした。スーパーの袋で、両手が塞がっている。二つの袋をキッチンの床にドサッと置くと、「ふうっ」と息が漏れた。「重かった……」改めて一つずつ調理台の上にのせて、無意識に天井を仰いだ。日中人がいない家の空気は、ひんやりしている。私は、リビングのエアコンをつけてから、一度寝室に入った。窓側に近い、ちょっと大きなクローゼットが、私の物。中にコートをしまい、奥に隠しておいた不妊治療の本と辞書を手に、リビングに戻る。ソファにドスッと勢いよく腰を下ろし、傍らにバッグを引き寄せ、そこから大きな封筒を取り出した。メグさんのかかりつけのレディースクリニックの名称が、英語で印刷されている。彼女の検診に便乗して初診を受けたのは、先週初めのこと。その時、今さらでもと勧められて、ブライダルチェックを受けた。そして今日、その結果を聞くために、私は一人で受診した。女性ドクターが口頭で説明してくれて、何度も聞き返しながら、翻訳機も駆使してなんとか理解できた。『総合的に判断して、確かにカガミさんは、妊娠しにくいかもしれません』診察室で向き合い、そう言われた瞬間、私の心臓はドクッと沸いた。もう何度、この嫌な感覚を味わっただろう。段階を踏んで、幾分覚悟もあったはずなのに、私の心臓はまだ衝撃を覚えて反応する。ドクターは、ブライダルチェックの検査結果を示しながら、紹介状の件にも触れた。生理不順や痛みの原因、子宮内膜症は、ごく軽度だそうだ。『カガミさんの場合、ほとんど無症状ですし、これが原因で不妊ということにはなりません。ですから、躍起になって治療する必要はない。妊娠を経験すれば、症状が軽くなる方がほとんどですから』それよりも、と続けた後、ドクターの表情がやや引き締まった。『日本で指摘があったプロラクチン値については、当院の診断基準では、経過観察の数値です』ドクターがポインターで示してくれた項目に、私も目を凝らした。『プロラクチンが過剰に分泌されると、妊娠していないのに母乳が出たり、生理が止まったりします。身体が、擬似妊娠状態に陥る……と言えば、想像しやすいでしょうか』『擬

    最終更新日 : 2025-03-12
  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   夫には内緒の決意 5

    その夜、ちょうど夕食の支度を終えたタイミングで、メグさんが電話をくれた。午後七時半。彼女は仕事を終えて帰宅した後のようだけど、お互い、旦那様はまだ帰ってきていない。開口一番で『どうだった?』と聞かれた。もちろん、今日一人で検査結果を聞きに行った私を、心配してくれたのだとわかる。スマホを片手に、キッチンからリビングに移った。ソファに腰を下ろし、ドクターに言われたままを告げる。メグさんは、黙って最後まで聞いた後、『そう』と吐息混じりに相槌を打った。『診断には至らず……か。たった一回の検査で、そう簡単にはいかないだろうけど、想像以上に根気がいるわね』「……はい」私と同じように焦れた口調。同調してもらえたことに勇気づけられ、私の胸も少し軽くなった。『うちの病院の産婦人科医に、教えてもらったんだけど……。プロラクチンって、脳下垂体から分泌されるホルモンなんでしょ? 脳に腫瘍がある可能性も考えられるって……』メグさんは言いにくそうに口を挟んだけど、私は彼女に見えないとわかっていて、かぶりを振った。「それは、ドクターがはっきり否定してくれました。日本で受けた検査でも、この間の検査でも、脳に異常はないそうで。あと、甲状腺機能にも問題はないそうです」『そう。よかった。他の病気はないってことで、まずは一安心ね』ホッと息を吐く気配を耳で感じ取り、私は無意識に背筋を伸ばした。「診断が確定してからですけど、内服治療が始まると思います。それから、並行してタイミング療法も。基礎体温を測定するよう、言われて」『タイミング……ああ。排卵日を計算して、それに合わせて……ってヤツよね』メグさんは自己完結して、やや沈んだ声を返してきた。『指導されてするって言うのも、なんだか……ロマンチックじゃないわねえ』顔をしかめているのが想像できる口調で、私はほんの少し苦笑いした。「でも、不妊症なんてことになったら、神秘とかロマンとか言ってる場合じゃないので」『ごめんなさいね、わかってるわ。でも……レイもそうだけど、ハヤトも病院に泊まり込んだり、急なオペで不在になること多いじゃない?』そのタイミングを、逃すことも多い。メグさんの心配はごもっともで、私も無意識に唇を噛んだ。『ねえ、ハヅキ。やっぱりハヤトに……』彼女が言いづらそうにそう続けた時、玄関の鍵が開く音がした。スマホを当てているのとは逆の耳で音を拾って、私はハッと

    最終更新日 : 2025-03-12
  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   日本からの弾丸訪問者 1

    今年初めて、気温が十度を下回った十一月下旬。日本の美奈ちゃんから、メールをもらった。『葉月さん、こんにちは! ご結婚からちょうど一ヵ月ですね。新婚生活、いかがですか?』東都大学医学部心臓外科医局の医療事務職員の彼女は、私より三つ年下の二十七歳。明るくて素直で可愛くて、医局でもマスコットのような存在だった。先々週、医局に宛てて、結婚式出席のお礼を送っていた。それに対するお礼のメールだった。『お送りいただいたフィラデルフィアのお菓子、医局のみんなで美味しくいただきました。ありがとうございます!』文面からも滲み出るはしゃいだ空気に、文字を目で追う私まで、知らず知らずのうちに顔を綻ばせていた。日本で一緒に働いていた頃の記憶が、脳裏を過ぎる。いろいろ、プライベートのことも話した間柄だ。今は専業主婦になった私だけど、仕事は楽しかった。私が颯斗と一緒に渡米して、急に仕事を辞める形になって、本当にたくさんの迷惑をかけてしまったけれど……。『十二月第一週目の土曜日、ニューヨークで開催される国際医療シンポジウムに、木山先生がご出席されるんですが……。なんと! それに私が同行させていただくことになりまして』「……へ?」私は思わず、スマホを持つ手に身を乗り出した。『ニューヨークとフィラデルフィア、結構近いですよね? なので、木山先生と一緒に、お二人に会いに行きたいな~って言ってます。ご都合、いかがですか?』――……えええっ!?

    最終更新日 : 2025-03-13
  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   日本からの弾丸訪問者 2

    そんな連絡を受けて、十二月を迎えて最初の土曜日の今日。ニューヨークでのシンポジウムを終え、アムトラックに乗った美奈ちゃんと木山先生を迎えに、私と颯斗はフィラデルフィア駅にやって来た。州を跨ぐ長距離列車が発着する駅は、空港のように広々としている。列車の発着状況を示す掲示板に、あらかじめ連絡を受けていた列車のアライバルが表示されると、並んで腰を下ろしていたベンチから、颯斗がスッと立ち上がった。到着したばかりのアムトラックが停まったホームから、続々と乗客が出てくる。その中ほどで、美奈ちゃんと木山先生を見つけて――。「美奈ちゃん! 木山先生!」私は声を張って呼びかけ、大きく腕を振った。「あ」辺りをきょろきょろと見回していた美奈ちゃんが、いち早く私に気付く。「葉月さ~ん!!」大きなスーツケースを引っ張って、すごい勢いで駆けてくる。その後ろからゆっくりと歩いてくる木山先生に、「転ぶぞ~」と揶揄されながら、無事に私の前まで辿り着いた。「葉月さんっ!」「わっ……」飛びつくようにして抱きついてくる彼女を、慌てて両腕で受け止める。「嬉しいっ。ずっと遊びに来たいって思ってて、やっと叶いました!」笑顔を弾けさせる美奈ちゃんに、私も顔を綻ばせる。「私も嬉しい。来てくれてありがとう」「お疲れ様。森居(もりい)さん。遠いところを、ようこそ」「あ」私の少し後ろに立った颯斗に声をかけられ、イケメン好きを憚らない彼女は、より一層目を輝かせた。「各務せんせ~いっ! うわあ、本物っ……」「こらこら、美奈ちゃん。仁科さんへと同じ勢いで、抱きつくんじゃないぞ」ちょうど追いついた木山先生に首根っこを掴まれ、うぐっと呻く。「だ、抱きついたりしませんよっ。各務先生は、葉月さんの旦那様なんだしっ」体勢を立て直して、ほんのちょっと頬を膨らませる。二人のやり取りを見て、颯斗も小さくプッと吹き出した。「木山先生も、シンポジウム、お疲れ様です」声をかけられた木山先生が、彼に顔を向けた。「いいえ。お元気そうで、なにより」どこか好戦的な笑みを浮かべて、颯斗とがっちりと握手を交わす。正直を言うと、日本での木山先生の印象は、私も颯斗もそれほどよくはない。なにせ、年下の颯斗が先に准教授になったのを妬んで、彼を目の仇にしていた人だ。なんとなく、接し方に戸惑うところもあるのだけど……。火の元冷めれば、ってことだろうか。意外と、和やかだった

    最終更新日 : 2025-03-13
  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   日本からの弾丸訪問者 3

    私が入浴を終えてリビングに戻ると、先にお風呂を済ませた颯斗と木山先生が、ソファに並んで座っていた。「へえ……『未来の遠隔医療におけるイノベーションとは』か。なかなか面白そうなテーマですね。座長は、ニューヨーク医科大のDr.トーマス……」どうやら、ブラウンフレームの眼鏡をかけた颯斗が目を落としているのは、木山先生が出席した医療シンポジウムの資料のようだ。小さく唇を動かして、そこに書かれた英文をさらっと読み上げる。「ああ。今回は医師だけでなく、環境学者や建築学者といった、多方面の第一人者も多く出席していてね。ディスカッションも切り口がよく、盛り上がった」木山先生が横から説明するのに耳を傾け、「なるほど」と顎を撫でた。「先生は、どんな講演をしたんですか?」彼が食いついて質問するのを耳に、私は、思わずクスッと笑った。研究医の木山先生と、臨床医の颯斗。水と油のような性質の二人だけど、どちらも心臓外科医という点では同じだ。日本ではぶつかり合っていた二人が並んで腰を下ろし、医療問題に関して議論を交わしている。同じ医局にいた時は考えもしなかったけど、この二人がタッグを組んで、一つの症例を共に研究する未来が来たら、すごいことやってのけるかも……。声をかけたら、せっかくの白熱した討論に、水を差してしまいそうだ。私は邪魔にならないように、なんとなく玄関に向かった。部屋着の上からストールをしっかり巻きつけ、外に出る。途端に、やや強い夜風が吹きつけてきた。ストールの合わせを胸元で固く握りしめ、玄関ポーチから空を見上げる。十二月のフィラデルフィアの夜気は冷たく、キンと音が鳴りそうな鋭さだ。おかげで、空気が澄んでいる。真っ暗な空に、いつもより多くの星が見えた。「ふふっ……。綺麗」家の外壁を背に、中庭の方に向けて置かれている木のベンチに腰を下ろす。はあっと吐き出した息は、白い筋になって闇に紛れていった。まるで、東都大学の医局に戻ったような久しぶりの空気。賑やかで楽しかったおかげで、心が弾んでいる。「医局か。懐かしいなあ……」無意識に独り言ち、無意味に両手両足を前に伸ばした時。「風邪ひくぞ」「っ、えっ」突如声がして、私は慌てて手足を引っ込めた。声の方向に顔を向けると、木山先生が玄関ポーチに立っていた。ラフなスウェットに、羽織っているのはジャージ。私は、スーツに白衣姿の木山先生しか知らないから、見慣れ

    最終更新日 : 2025-03-13

最新チャプター

  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   二人で紡ぐ幸せな未来 7

    誕生日パーティーが始まって、三十分ほど経った時。「遅くなって、ごめん!」颯斗が、額に汗を滲ませて走ってきた。いち早く気付いたメリッサちゃんが、「Hayato dad!」嬉しそうに声を弾ませて、彼の方に駆けていく。「Wow! Sorry for being late, Melissa. Happy Birthday」飛びつかれた彼が、笑顔でお祝いを告げる。メリッサちゃんをひょいと抱き上げ、くるくると回旋する。彼女が、きゃっきゃっとはしゃぎ声をあげた。地面に下ろされると嬉しそうに戻ってきて、レイさんの膝の上に乗っかった。「Daddy. Hayato dad is always kind」ちょっと不満げに告げられ、レイさんが「はは」と苦笑した。「僕はもう若くないんでねえ。してやりたい気持ちはあっても、抱っこしてグルグルはとても……」「なに言ってんのよ。ハヤトと同い年でしょ」すぐさまメグさんに突っ込まれ、ひくっと頬を引き攣らせる。そんな二人を前に、私と颯斗は顔を見合わせ、クスッと笑った。「お疲れ様、颯斗」隣に座った彼のグラスに、シャンパンを傾ける。「サンキュ、葉月。……君も」颯斗は私のグラスが空になっているのを見留めて、私からボトルを受け取ろうとした。私は、「あ」と手で制する。「ありがとう、颯斗。でも、私はこっち」そう言って、レモンを浮かべたミネラルウォーターの瓶を手に取った。「……え?」颯斗が、きょとんとしている。彼を横目に、メグさんとレイさんがふふっと目を細めた。「おめでとう、ハヅキ、ハヤト!」「え? ……え?」いきなり二人から祝福され、颯斗は忙しなく瞬きを繰り返した。答えを求めるように、戸惑いに揺れる目を私の上で留める。「えっと……ごめんね、伝えるのが遅くなって」私は、恐縮して首を縮めた。本当は、乾杯の前に、みんなに伝えるつもりでいた。でも、颯斗が遅れてくることになって、シャンパンを断るために、メグさんたちに先に告白する羽目になってしまった。「実は……ここに、颯斗の赤ちゃん、いるの」私は頬を染めて、自分のお腹に両手を置いた。「昨日、わかったの。三ヵ月だって」ちょっと照れ臭くて、素っ気なく言ってしまった。だけど。「あの、颯斗……?」反応がないから心配になって、上目遣いで彼を窺った。颯斗は、目も口も大きく開けて、ポカンとしていたけれど……。「Congrats! Hayat

  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   二人で紡ぐ幸せな未来 6

    メリッサちゃんの二歳の誕生日。私は大きなクマのぬいぐるみを抱えて、レイさん夫妻の家を訪ねた。今日は朝から明るい太陽に恵まれて、ほんのちょっと暑いくらい。絶好のガーデンパーティー日和だ。門の外からチャイムを押すと、今日の主役が玄関のドアを開けて出迎えてくれた。「Hi! Haduki mom!」水色のワンピースで着飾ったメリッサちゃんが、転がるように駆けてきて、自ら門を開けてくれた。彼女は私を、『葉月ママ』と呼んでくれる。「Happy Birthday! Melissa」笑顔でお祝いを言ってプレゼントを渡すと、彼女はぬいぐるみの大きさに「Wow!」と目を見開いた。すぐに嬉しそうに顔を綻ばせ、「Welcome to my birthday party! Where is Hayato dad?」私の隣に颯斗がいないのを気にして、きょろきょろと辺りを見回している。私はクスッと笑ってしゃがみ込み、彼女の肩をポンと叩いた。「彼はお仕事でちょっと遅れるけど、ちゃんとメリッサのお祝いに来るから、大丈夫」そう説明した時、家の中からメグさんが出てきた。「ハヅキ、いらっしゃい! メリッサの誕生日パーティーに来てくれて、ありがとう」メリッサちゃんに目線を合わせるために屈んでいた私は、ゆっくりと背を起こした。「お招きありがとうございます、メグさん」彼女はふわっと微笑み、メリッサちゃんが抱えているぬいぐるみを見て、まったく同じ反応をする。「わあ、大きい……! いつもありがとう、ハヅキ。メリッサ、ちゃんと葉月ママにお礼は言った?」メグさんにそう言われて、メリッサちゃんはハッとしたように瞬きをする。「Thank you, Haduki mom!」慌てた様子でそう言うと、「Daddy!」屋内にいるレイさんを捜して、またしても転がるように走っていった。小さな背中を見送って、私たちは顔を見合わせてクスクス笑った。「お誕生日、おめでとうございます。ほんと、いつも元気で可愛い。メリッサちゃん」私の言葉に、メグさんはやや苦笑いで肩を竦めた。「元気すぎるのが、玉にキズ。この間も階段から転がって、額にたん瘤作ったのよ」「えっ! 大丈夫?」とっさに心配した私に、「見ての通り」と笑う。「ハヤトは?」そう問われて、今度は私がひょいと肩を竦めた。「昨夜、当直だったんです。仕事が残ってるから、まっすぐこちらに向かうって」「

  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   二人で紡ぐ幸せな未来 5

    義父母を空港まで見送って、家に帰ってきた途端――。「……っ、くしゅっ」私は、玄関先で小さなくしゃみをした。先にリビングに向かいかけた颯斗が、廊下の中ほどでピタリと足を止める。やけにゆっくり振り返り、じっとりとした目を向けてきた。「まさか……やっぱり風邪ひいた?」「ち、違っ……」慌てて否定したものの、颯斗はピクッと眉尻を上げて、ツカツカと私の方に歩いてくる。背を屈め、私の額に自分のそれをこつんとぶつけた。「あー……熱、出てる」至近距離から上目遣いに見つめられ、私の胸は小さく弾んで疼いてしまう。「ほ、ほんと? でも、昨夜のが原因じゃないでしょ、きっと」慌てて一歩飛び退いて、ぎこちなく笑ってみせた。「なんで言い切る」「だって、もしそうだったら、すぐに出てたんじゃ……」「葉月、親父たち見送るまで、気、張ってたから、不調に気付かなかっただけじゃないのか?」颯斗は渋い表情のまま、さらりと前髪を掻き上げた。「っつーか……俺も、気付かないとか、なんて迂闊な……」そのまま、生え際から前髪をくしゃっと握り、深い溜め息をつく。「なんで。颯斗のせいじゃないって。確かに飛行機飛ぶまで、気、詰めてたし。ほら、知恵熱みたいな……?」熱はあっても元気!を装うつもりで、私は無意味に二の腕に力瘤を作る仕草をして見せた。「子供か、君は。……でもまあ、ストレス性高体温症と言い換えれば、当たらずとも遠からず、か」「え? っと……?」思わず首を傾げて、聞き返す。颯斗は私には答えず、軽く身を屈めて、「よっ、と」軽い掛け声と同時に、私をひょいと抱え上げた。「っ、えっ!?」肩に担がれたことに気付き、私はギョッとしてジタバタと抵抗した。「ちょっ、颯斗っ! 私、自分で歩けるからっ……!」「暴れんな。昨夜も言っただろ? 肺炎でも起こしたらどうする」そう言われて、足をバタつかせるのだけは堪える。「そうそう。大人しくしてろ」「ほんとに……颯斗に言われるまで、自分でもわからなかったくらいの熱だよ? そんな大袈裟なもんじゃないから、きっと」「医者でもない葉月が、勝手に自己診断するな。俺が診るから」今朝、颯斗のことを、『神の権化のような医師』と羨望したばかりだ。その彼に、医師の顔で言われると、ぐうの音も出ない。「は、い……」結局私は、彼に担がれたまま、寝

  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   二人で紡ぐ幸せな未来 4

    次の滞在地、ボストンに向かう義父母を、颯斗が空港まで送ると言ってくれた。仕事を休むことをレイさんに伝えて電話を切った彼に、横から「大丈夫?」と訊ねる。「平気。オペもないし、浩太の経過も順調だし。泊まり込み続いた分、『ハヅキと仲良く過ごしてくれ』ってさ」颯斗は私の前で親指を立てて、バチッとウィンクをした。おどけた仕草にドキッとしたものの、私もすぐに笑って返す。先ほどまでの深刻な話題の会話の後で、いつもの空気感を取り戻そうとしてくれているのが、よくわかる。「うん……。ありがとう、颯斗」ちょっと気恥ずかしいのを堪えてお礼を言った時、出発の準備を終えた義父母が、ゲストルームから降りてきた。「葉月さん。いろいろお世話になりました」今朝方のやり取りもあってか、義母はちょっと照れ臭そうにはにかむ。それは私の方も同じで、妙にピンと背筋を伸ばして向き合った。「い、いえ。本当に、あの……」またしても謝罪が口を突いて出そうになって、一度口を噤んでのみ込む。「また、ぜひ遊びにいらしてください。その時は、今回振る舞えなかった手料理、ちゃんとご馳走したいです」そう言葉を返すと、義父母も嬉しそうに微笑んだ。「ありがとう。颯斗はあなたの手料理、いつもくどいくらい絶賛してくれるのよ」義母から悪戯っぽい目を向けられて、颯斗がムッと唇を結んだ。「くどいって……。心外だな。それに、そう何度も、母さんと電話で話した記憶ないぞ、俺」ブツブツと呟いて頭を掻く彼に、義父も面白そうに目を細めている。ここでも、親子三人の強く温かい絆を見た気がして、私は無意識に目元を綻ばせた。「さて。じゃあ、行こうか」義父が、義母を促す。「ええ。颯斗、悪いわね。送らせちゃって」「ああ」コートを羽織りながら玄関に向かって行く義母に、颯斗は軽く頷いて応えた。自分もコートを手に取り、ポケットから車のキーを取り出す。「あの……颯斗、よろしくね」帰りも私がお見送りをするつもりだったけど、彼に託して笑いかけた。颯斗はきょとんとした顔をして、「え?」と聞き返してくる。「あ。もしかして、風邪ひいた? 熱っぽい? 体調悪いとか」「え?」今度は私が瞬きで返した。「う、ううん。大丈夫」昨夜、冷たい雨に濡れた私を心配してくれる彼に、慌てて首を横に振ってみせる。「それなら、葉月も一緒に行こう」颯斗は訝し気に首を傾げながら、私の腕を取った。「え。でも」「ん?」「

  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   二人で紡ぐ幸せな未来 3

    ほとんど眠らずに夜を過ごした義父母には、出発までゲストルームで休んでもらい、私と颯斗はリビングのソファに並んで座った。彼が手にしているのは、日本とアメリカ、二つの病院でもらった、私の検査結果だ。肩に力を込め、ピンと背筋を伸ばす私の隣で、ブラウンのフレームの眼鏡の向こうから、真剣な目で数値を追っている。英語と日本語、両方の所見にも目を通し、やがて「ふうっ」と息を吐いた。「なるほど。プロラクチン……ね」天井を見上げ、ポツリと呟く。私は軽く座り直して、彼の方に身体を向けた。「あ、あのね。プロラクチン値が高いと、身体が疑似妊娠状態に近くなるんだって。えっと、たとえば……」いくら同じ医師でも、心臓外科医の彼に、産婦人科の領域はわからないだろう。そんな考えから、ドクターたちから聞いたことを、説明しようとする。ところが。「妊娠、出産の経験がない未産婦なのに、母乳が出たり、生理が止まったりする。他にも、乳房が張ったり……」ふむ、と顎を撫でる颯斗に、私は大きく目を剥いた。「な、なんで……」「知ってるのか、って? 甘いな、葉月」彼は、心外といった顔をして、胸の前で腕組みをした。「俺は心臓外科医だけど、他科を知らないわけじゃない。もちろん、産婦人科は専門外。でも、君よりはよっぽど詳しい。その気になれば、薬も処方できる程度の知識はあるよ」不遜なほどのドヤ顔で言って退ける彼に、呆気に取られる。「でも、おかしいな……俺が知る限り、葉月に乳汁分泌症状は見られないと思うけど」「えっ!? あ、うん。それは私も、胸を張って言い切れ……」「生理周期も、あまり一定しないようだけど、止まったことはないはず。まあ、乳房が張って固いことはあるか……でも、君はそこそこボリュームあるから、そのくらいで十分……」「って! な、なに言ってんのよ!?」診てもいないのに、私の身体状況を冷静に分析されて、カアッと頬が火照った。思わず腰を浮かせると、彼は私を上目遣いに見据えて、ほくろのある方の口角をにやりと上げる。「一緒に暮らしてる大事な人の身体状況くらい、結構ちゃんと把握できてるけど? 俺」「っ……」太々しく言われて、しゅーっと蒸気が噴射しそうなほど、顔が熱くなる。それでも、反論の挟みどころがなくて、結局ストンと腰を下ろした。そんな私を横目に、颯斗はクスッと笑う。「薬。なに飲んでるの?」続けて質問されて、私は彼に薬袋を渡した

  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   二人で紡ぐ幸せな未来 2

    翌朝、夜明けを待って、私たちは家に帰った。遥々日本から遊びに来てくれた義父母に、衝撃的な告白をした挙句、家を飛び出してしまうなんて……。人間としても嫁としても、最低なことをしてしまった。ガレージで車から降り、込み上げる緊張で顔を強張らせた私に、颯斗は苦笑した。「ほら、おいで。なにも、煮て焼かれるようなことはないから」ちょっと意地悪な揶揄にも、返す言葉はない。だって、そのくらいされて当然だ。私は、ますます悲壮感を漂わせる。颯斗は「やれやれ」と困った顔をして、私の手を取った。そして、もう片方の手でコツンと額を小突く。「俺の親なんだから。万が一怒られても、俺が一緒に頭下げるから」悪戯っぽく目を細める彼に、私もやっと、少しだけ表情を和らげた。「うん……。ありがとう、颯斗」指を絡ませて手を繋ぎ、ガレージを出た。中庭を横切り、家の玄関前に歩を進める。すると、庭に面したリビングの窓から、弱い明かりが漏れているのに気付いた。「あれ……」颯斗も、訝しげに瞬きをする。「もう起きてるのかな。やけに早いな」口に出して首を傾げると、玄関の鍵を開けた。私の手を引いたまま、廊下を突っ切る。そして、リビングにひょいと顔を覗かせ、やや遠慮がちに声をかけた。「ただいまー……」「颯斗、葉月さんっ……」私たちに気付いた義母がソファから立ち上がり、弾かれたようにこちらに駆けてきた。青白く硬い表情を前に、私は反射的に身を竦めた。義母から一拍遅れて、義父もソファに起き上がる。「二人とも、帰ってきたのか……?」眩しそうに目を細め、一瞬辺りを見渡すような仕草を見せる。どうやら、義父の方は、うたた寝から目覚めたといった様子だけど。「母さん。……もしかして、ずっと起きてたのか?」目の前に立った義母が、真っ赤な目をしているのを見て、颯斗が困惑して訊ねる。「大丈夫って言ったのに。休んでてって……」「そう言われても、休めるわけがないじゃない。息子夫婦の家で、二人とも不在なのに」義母にそう返されて、颯斗がグッと口ごもった。「……だよな。すみません……」気まずそうに口元に手を遣る彼から目を逸らし、義母は私の方に顔を向けた。さすがに、条件反射で身体が強張る。だけど、謝らなきゃいけないことがたくさんある。「あ、あのっ……」私は肩に力を込めて、思い切って口を開いた。「お義母さん。昨夜は……」「葉月さん、ごめんなさい。本当に、ごめんなさ

  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   二人で紡ぐ幸せな未来 1

    颯斗は、私を抱えて敷地内に停めた車に戻った。エンジンをかけると、すぐにエアコンを強める。そうして、スマホを手に取った。画面に目を落とし、指をスライドさせて電話をかける。「……俺。ああ、大丈夫。でも、今夜は帰れない。ごめん。こっちは気にしないで、ゆっくり休んで。葉月がゲストルーム用意してくれてるから」表情を動かさず、短い会話をして通話を終えた。電話の相手が誰か、私にもわかる。だからなにも言えないまま、彼のコートに包まって、助手席で身を縮めた。颯斗はスマホをスラックスのポケットにねじ込み、無言でアクセルを踏む。病院から走り出た車は、先ほどの宣言通り、家とは逆方向に進路を取った。十分ほど走った後、颯斗は、市内でも有数の大型ホテルの駐車場で車を停めた。簡単なやり取りで、チェックインを済ませる。高層階のダブルルームに入ると、彼は私の手を引いて、ベッドサイドに歩いていった。ここでもすぐにエアコンを強め、「服、脱ぐぞ。葉月」言うが早いか、私の服に手をかける。水を吸ってぐっしょり濡れて、肌に貼りつく服は、さすがに彼にも脱がしづらそうだ。協力も抵抗もせず、されるがままの私を下着姿にすると、自分も勢いよくニットを捲り上げて脱ぎ捨て、引き締まった上半身を露わにした。「葉月……」寒さで身を縮める私を、そっと抱き寄せる。彼の手が背中に回るのを感じて、私はビクッと肩を強張らせた。「ダメ。……抱かないで」俯いて呟くと、彼の指がぴくりと動いた。「嫌?」短い問いかけに、黙って首を横に振る。「颯斗が、冷えちゃう……」床に顔を伏せたまま答えると、頭上でクスッと笑う声が聞こえた。「大丈夫。俺も君も、すぐに熱くなる」そう言って、颯斗は躊躇うことなく、私のブラジャーのホックを外した。胸の締めつけが、一気に和らぐ。私は、こくっと唾を飲んだ。「うわ。氷、抱いてるみてえ……」颯斗は私を抱きしめると、わずかに悲鳴のような声をあげた。裸の肌が触れ合っても、なにも言わない私を覗き込み、眉根を寄せる。「唇……チアノーゼ出てる」温めようとしてくれたのか、迷いもなく唇を寄せた。軽く啄むキスをしながら、大きな手で私の胸を弄る。触られているのに、肌の感覚が鈍い。私は目を閉じて、彼に身を委ねるだけだった。「葉月……」颯斗の唇が、顎の先から首筋に落ちていく。鎖骨を越えて胸の膨らみに到達しても、反応を見せない私に、彼はやや寂し気な笑みを

  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   授かりものの難しさ 8

    頭の中は真っ白。目の前は、真っ暗。光のないブラックホールのような空から、大粒の雨が降りしきる。傘も持たず、コートも着ずに出てきてしまった。だけど、義父母に向ける顔がなくて戻れないまま、雨の街を彷徨い――。辿り着いたのは、颯斗の病院だった。クリスマスは過ぎたけど、外来棟前のイルミネーションはそのまま。ずぶ濡れで惨めな私を、寂しく照らし出してくれる。寒い……。無意識に暖を取ろうとして、二の腕を摩った。冷たい雨に濡れてかじかむ身体には、なんの効果もない。意思に関係なく、カタカタと小刻みに震える自分を抱きしめ、病棟を見上げた。颯斗……もう家に帰ってるかな。帰ったらきっと、義父母から話を聞くだろう。その時彼は、どんな顔をする……?驚愕して、凍りつく。辛そうに強張る瞬間を見なくて済むことが、今、せめてもの救いの気がして、ほんのちょっと胸が軽くなる。――ううん、違う。違う、こんな形じゃ……。ちゃんと、私から言わなきゃいけなかったのに。人づてに知るなんて、傷つけるに決まってる。妻の私が、一番しちゃいけないことだった。今、強く確信できるのに、言えなかった自分が情けない。歯痒くて、颯斗に申し訳なくて、消えてしまいたくなる。「ごめん……颯斗。ごめんなさい……」彼への謝罪は、まるでうわ言のように、何度も口を突いて出てくる。一言言うごとに、強い罪悪感が積もっていって、立っていられない。私は、その場に頽れた。土砂降りの雨が、容赦なく私の身を打つ。地面にペタンと座り込み、喉を仰け反らせて空を仰ぐ。すべての雨が、私目掛けて降り注いでいるような錯覚を覚える。天からも、責められているような気がした。「っ……」堪らず、嗚咽が漏れた。目から溢れる涙に、唯一の温もりを感じる。「ふっ……ううっ」涙は雨が隠してくれるけど、お腹の底からせり上がる声は、抑え切れない。地面に両手を突いてこうべを垂れ、肩を震わせた、その時。「葉月……っ!!」水溜りを踏む足音と共に、名を呼ぶ声が聞こえた。「葉月、ここに来てたのか……」条件反射でビクッと身を竦めてから、そろそろと顔を上げると、血相を変えてこちらに駆けてくる颯斗の姿が、視界に飛び込んできた。弾む息が、白い。彼は私の目の前に来てしゃがみ込むと、手にしていた傘を差しかけてくれた。私の耳を塞いでいた雨音が弱まる。「ずぶ濡れじゃないか。この時期に、そんな薄着で自殺行為だ。肺炎でも起

  • 新妻はエリート外科医に愛されまくり   授かりものの難しさ 7

    タクシーで移動する間も雨脚は強まり続け、家に着いた時には、本降りになっていた。門から玄関まで走る間に雨に打たれ、玄関先に立った義父母の髪も濡れてしまっている。「すぐに、タオル持ってきますね」私は急いでバスルームに向かった。タオルを二枚持って、玄関に引き返す。「ありがとう」と、早速濡れた髪や服を拭う二人を、リビングに招いた。ソファを勧めて、時間を確認する。午後六時。颯斗は、七時には帰って来れるはず。夕食は彼の帰りを待つから、今のうちにお風呂を勧めた方がいいかもしれない――。「あのっ。ちょっと早いですけど、お風呂用意しますね」バスルームに走り、浴槽にお湯を張って、新しいタオルを数組用意する。「よし」と、誰にともなく頷いて、私は再びリビングに戻った。ドア口から、声をかけようとして……。「葉月さん。子供を考える気、ないのかしら」義母の声が聞こえて、私はギクッとして足を止めた。「そんなことないだろう。勝手な憶測で、ものを言うんじゃないよ」義父が、溜め息混じりに窘めている。「でも」と、義母が反論を返した。「葉月さん、子供の話題になるとはぐらかすじゃない。電話でもそうよ。いつも」不満げな声に、私はその場で凍りついた。「颯斗は、銃撃事件に遭ったばかりだから、そっとしておいてくれって言うけど。原因はわかってるんだし、カウンセリングに通ったりするべきなんじゃ」「………」義父も、義母の口調に口を噤んだ。「ちゃんと説明してもらった方がいいかしら。いつになったら、考えるのかって」「説明って。それは……」「聞いておいた方が、こちらだって安心よ。颯斗の親として納得してないことも伝えられるし。それでもし、もしもよ。葉月さんが子供を望んでいないようなら……」「おい、やめないか。葉月さんが戻ってきたら……」まさに私を気にして、義父がふっと振り返った。ドアの前で立ち尽くす私に気付き、大きく息をのむ。「葉月さん……」「え?」義父の声で、義母もハッとしたようにこちらに顔を向けた。そして、『あ』と口に手を当てる。「葉月さん、今の話……」ぎこちない声が、尻すぼんでいく。私もその場から動けず、なんとも気まずい空気が過ぎった。義父母にきまり悪そうな顔をさせているのは私だから、嫁として居た堪れない。「お二人のご不満を察せず、申し訳ありませんでした」私は、自ら沈黙を破った。意を決して、二人の前まで歩いていく。「お義母さ

無料で面白い小説を探して読んでみましょう
GoodNovel アプリで人気小説に無料で!お好きな本をダウンロードして、いつでもどこでも読みましょう!
アプリで無料で本を読む
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status