あの公開告白から、一夜明けた日曜日。即売会は今日も開催される。私もブースが取れたから行かなきゃなんだけど……。
「おはよう、笹塚さん。あ、パジャマだ、可愛い」
なんでいるかな!?
早朝から鳴ったインターホンに出てみると、そこには岬くんの姿があった。いつもより少しだけ気崩した格好で、髪はヒュディ様のように整えられている。
(ぐ、かっこいいなもう!!)
壁に寄りかかる私を見ながら、岬くんはニッと笑った。
「気に入ってくれたみたいだね。早起きした甲斐があるよ」
これは確実に落としに来ている。公開告白だけでも心臓が止まるかと思ったのに、時間を空けずに奇襲するとは。昨日も、あの後ちゃっかりブースに居座って、売り子をやっていたのだ。しかも男性には牽制するおまけつき。女性にもわざわざ自分が彼氏だって吹聴していた。
公開告白が既に広まっていて、ブースにまで確認に来る方もどうかと思うけど。
それにしても。
「こんなに早く、どうしたの? まだ7時だよ?」
そう、即売会の開場は9時だ。昨日の帰り際に、今日も売り子をすると言っていたのは覚えている。だから家まで来たのは分かるけど、それにしても早すぎじゃないだろうか。
っていうか!
「なんで家知ってるの!?」
昨日はバスの方向が違うから、開場で別れた。それに昨今はプライバシー保護が重要視されて、電話の連絡網も廃止されている。そもそも固定電話が無い家も増えているみたいだから、妥当ではあるけど。だからもちろん、保護者間で家の場所も共有されていない。先生に聞けば分かるとは思うけど、言うはずないし。
困惑する私を他所に、岬くんはいい笑顔で答えた。
「ああ、先生に聞いた。忘れ物を届けたいって言ったら、すんなり教えてくれたよ? やっぱり日頃の行いは大事だね」
こんの腹黒が!
先生も先生だ。簡単に個人情報を漏らさないでほしいんですが!?
肩で息をする私に、岬くんがそっと近付き耳打ちをした。
「ところで……着替えなくていいの? それとも、誘ってる?」
その一言で、私はブラトップのキャミソールに、太ももギリギリの短いショートパンツという夏用ルームウェアだった事を思い出した。まだ残暑が厳しくて、上着も着ていない。
つまり、体の線が丸見えという事で……。
私は慌てて自室に逃げ込むのであった。
今日も憂鬱な一日が終わった。 外はまだ残暑が厳しく、眩しい太陽が目に痛い。 それでも秋の気配は感じられる。 カーテンを揺らす風は、少しの冷気を含んでいた。 ――明日は晴れるかしら。 帰りのホームルームで先生の連絡事項をぼんやりと聞きながら、私の思考は既にここには無かった。 私は自他ともに認める、クラスカースト最底辺の陰キャだ。制服はデフォルトのまま、長い髪を三つ編みにして、分厚い眼鏡をかけた姿は芋臭い。 友人達も似たりよったりだ。このクラスはありがたい事に、陽キャによるイジメが無い。ギャーギャーと煩いDQNとは違う、本物の陽キャ達だからだ。 その中心人物に、そっと視線を向ける。 そこには、あくびを噛み殺している黒髪の少年がいた。 岬 涼。 陽キャのわりに髪を染めたりしていない。制服もきちんと着ているし、ピアスなんかも見当たらなかった。 それも偏見かと、ひとつ溜息を吐く。 岬君は身長も高く、スポーツ万能、成績も良い。根っからのカースト上位男子。私とは真逆もいい所だ。 別に好きだとか、そういう訳じゃない。 ただ、推しに似ているのだ。 私は陰キャの例に漏れず、オタク趣味をたしなんでいる。昨今、アニメや漫画は日本の文化とも言われるようになってきた。それでも、オタクには中々に厳しい世の中だ。 既に飽和状態にあると言ってもいい、数あるアニメの中のひとつに、私は沼っていた。 小説を原作とするそのアニメはゲームにもなり、今話題の人気作だ。勿論小説もチェック済み。コミカライズもされ、一気に人気は広がった。 作風としてはありがちな無双モノ。 私も最初は忌避していた。こういった作品は得てして男子向けで、ハーレムやラッキースケベが多い。 しかし、たまたま観た物語をまとめた動画で出会ったのだ。黒髪を靡かせ、颯爽と現れる、そのキャラクターに。 彼の名はヒュディ・ミューゼ。 物語のラスボスだった。 かませ犬的な存在で、何度も負けては逃げ帰る。その度に主人公は嫁が増えていく謎仕様。 それでも好きになったのは、キャラクターデザインの良さと、その声。 おそらく、アニメにならなかったら沼らなかっただろう。 艶やかな黒髪に、鋭い瞳、皮肉を込めて笑う口元。そして、低く響くテノール。 アニメになった事で、その全てが活きた。制作会社も大当た
彼女を初めて知ったのは、小学校6年の夏。俺はこの頃から既にオタクの仲間入りをしている。今まではただ観ていたアニメや漫画に、それ以上の魅力を感じるようになっていたんだ。 そのきっかけは日曜朝の特撮番組。戦隊モノのメンバー2人の距離が、妙にバグっている事に気付いた。コートを手渡すレッド、それをなんの疑問もなく受け取るピンク。そして他のメンバーも何も言わない。(あれ? これって、付き合ってんじゃないの……?) 小6といえば、思春期真っ只中。そういう事に興味を持ち始めるけど、自分自身ではピンとこない。クラスメイトの女子も、好意の対象にはならなかった。きっと、このカップルで疑似恋愛をしていたんだと思う。 それからは、あらゆるアニメや漫画でカップルを探すようになった。原作順守、公式以外のカップルは論外だ。ぼかされているキャラならまだしも、はっきりとカップルとして描かれているキャラを、別のキャラとくっつける意味が分からない。 この頃はまだ二次創作の作法もよく分かっていなかったから、無茶をやったりもした。アニメの切り抜きをSNSのアイコンにして怒られたり、過激な書き込みをしたり。それを指摘してくれる人がいたのは、幸いだったと思う。もしいなければ、俺はキモオタになっていただろう。 そんな中、イラスト投稿サイトで推しカプを漁っていた時に、たまたまオススメに上がってきたそれは、解釈ドンピシャ、絵柄も好みでファンになるのに時間はかからなかった。それが彼女だ。その頃はフォロワーも少なくて、ちょっとした優越感に浸っていたのを覚えている。 同人誌のカップルというのは、あまり男子が寄り付かないジャンルだ。そこはオタクが気持ち悪がられる所以とも言える。世に二次創作が出始めた頃は、キモオタが集まるエロい同人誌が幅を利かせていた。そして代名詞とも言える婦女子の台頭。 俗にNLと呼ばれる男女のカップルもTL勢が増え、少女漫画のコミック売り場は無法地帯となっている。TLとはティーンズラブの略。でもその中身は……。 この辺りは結構議論されているらしい。BLやTLは、最早エロ本といっても過言ではないのに、小学生でも買えてしまう。否定派ではないけど、疑問は残るかな。 それはともかく、中2の秋に地元の同人誌即売会で彼女が出品する事を知った俺は、飛び上がる程に喜んだ。まさか同郷だとは思っていな
あの公開告白から、一夜明けた日曜日。即売会は今日も開催される。私もブースが取れたから行かなきゃなんだけど……。「おはよう、笹塚さん。あ、パジャマだ、可愛い」 なんでいるかな!? 早朝から鳴ったインターホンに出てみると、そこには岬くんの姿があった。いつもより少しだけ気崩した格好で、髪はヒュディ様のように整えられている。(ぐ、かっこいいなもう!!) 壁に寄りかかる私を見ながら、岬くんはニッと笑った。「気に入ってくれたみたいだね。早起きした甲斐があるよ」 これは確実に落としに来ている。公開告白だけでも心臓が止まるかと思ったのに、時間を空けずに奇襲するとは。昨日も、あの後ちゃっかりブースに居座って、売り子をやっていたのだ。しかも男性には牽制するおまけつき。女性にもわざわざ自分が彼氏だって吹聴していた。公開告白が既に広まっていて、ブースにまで確認に来る方もどうかと思うけど。それにしても。「こんなに早く、どうしたの? まだ7時だよ?」 そう、即売会の開場は9時だ。昨日の帰り際に、今日も売り子をすると言っていたのは覚えている。だから家まで来たのは分かるけど、それにしても早すぎじゃないだろうか。 っていうか!「なんで家知ってるの!?」 昨日はバスの方向が違うから、開場で別れた。それに昨今はプライバシー保護が重要視されて、電話の連絡網も廃止されている。そもそも固定電話が無い家も増えているみたいだから、妥当ではあるけど。だからもちろん、保護者間で家の場所も共有されていない。先生に聞けば分かるとは思うけど、言うはずないし。 困惑する私を他所に、岬くんはいい笑顔で答えた。「ああ、先生に聞いた。忘れ物を届けたいって言ったら、すんなり教えてくれたよ? やっぱり日頃の行いは大事だね」 こんの腹黒が! 先生も先生だ。簡単に個人情報を漏らさないでほしいんですが!? 肩で息をする私に、岬くんがそっと近付き耳打ちをした。「ところで……着替えなくていいの? それとも、誘ってる?」 その一言で、私はブラトップのキャミソールに、太ももギリギリの短いショートパンツという夏用ルームウェアだった事を思い出した。まだ残暑が厳しくて、上着も着ていない。 つまり、体の線が丸見えという事で……。 私は慌てて自室に逃げ込むのであった。
彼女を初めて知ったのは、小学校6年の夏。俺はこの頃から既にオタクの仲間入りをしている。今まではただ観ていたアニメや漫画に、それ以上の魅力を感じるようになっていたんだ。 そのきっかけは日曜朝の特撮番組。戦隊モノのメンバー2人の距離が、妙にバグっている事に気付いた。コートを手渡すレッド、それをなんの疑問もなく受け取るピンク。そして他のメンバーも何も言わない。(あれ? これって、付き合ってんじゃないの……?) 小6といえば、思春期真っ只中。そういう事に興味を持ち始めるけど、自分自身ではピンとこない。クラスメイトの女子も、好意の対象にはならなかった。きっと、このカップルで疑似恋愛をしていたんだと思う。 それからは、あらゆるアニメや漫画でカップルを探すようになった。原作順守、公式以外のカップルは論外だ。ぼかされているキャラならまだしも、はっきりとカップルとして描かれているキャラを、別のキャラとくっつける意味が分からない。 この頃はまだ二次創作の作法もよく分かっていなかったから、無茶をやったりもした。アニメの切り抜きをSNSのアイコンにして怒られたり、過激な書き込みをしたり。それを指摘してくれる人がいたのは、幸いだったと思う。もしいなければ、俺はキモオタになっていただろう。 そんな中、イラスト投稿サイトで推しカプを漁っていた時に、たまたまオススメに上がってきたそれは、解釈ドンピシャ、絵柄も好みでファンになるのに時間はかからなかった。それが彼女だ。その頃はフォロワーも少なくて、ちょっとした優越感に浸っていたのを覚えている。 同人誌のカップルというのは、あまり男子が寄り付かないジャンルだ。そこはオタクが気持ち悪がられる所以とも言える。世に二次創作が出始めた頃は、キモオタが集まるエロい同人誌が幅を利かせていた。そして代名詞とも言える婦女子の台頭。 俗にNLと呼ばれる男女のカップルもTL勢が増え、少女漫画のコミック売り場は無法地帯となっている。TLとはティーンズラブの略。でもその中身は……。 この辺りは結構議論されているらしい。BLやTLは、最早エロ本といっても過言ではないのに、小学生でも買えてしまう。否定派ではないけど、疑問は残るかな。 それはともかく、中2の秋に地元の同人誌即売会で彼女が出品する事を知った俺は、飛び上がる程に喜んだ。まさか同郷だとは思っていな
今日も憂鬱な一日が終わった。 外はまだ残暑が厳しく、眩しい太陽が目に痛い。 それでも秋の気配は感じられる。 カーテンを揺らす風は、少しの冷気を含んでいた。 ――明日は晴れるかしら。 帰りのホームルームで先生の連絡事項をぼんやりと聞きながら、私の思考は既にここには無かった。 私は自他ともに認める、クラスカースト最底辺の陰キャだ。制服はデフォルトのまま、長い髪を三つ編みにして、分厚い眼鏡をかけた姿は芋臭い。 友人達も似たりよったりだ。このクラスはありがたい事に、陽キャによるイジメが無い。ギャーギャーと煩いDQNとは違う、本物の陽キャ達だからだ。 その中心人物に、そっと視線を向ける。 そこには、あくびを噛み殺している黒髪の少年がいた。 岬 涼。 陽キャのわりに髪を染めたりしていない。制服もきちんと着ているし、ピアスなんかも見当たらなかった。 それも偏見かと、ひとつ溜息を吐く。 岬君は身長も高く、スポーツ万能、成績も良い。根っからのカースト上位男子。私とは真逆もいい所だ。 別に好きだとか、そういう訳じゃない。 ただ、推しに似ているのだ。 私は陰キャの例に漏れず、オタク趣味をたしなんでいる。昨今、アニメや漫画は日本の文化とも言われるようになってきた。それでも、オタクには中々に厳しい世の中だ。 既に飽和状態にあると言ってもいい、数あるアニメの中のひとつに、私は沼っていた。 小説を原作とするそのアニメはゲームにもなり、今話題の人気作だ。勿論小説もチェック済み。コミカライズもされ、一気に人気は広がった。 作風としてはありがちな無双モノ。 私も最初は忌避していた。こういった作品は得てして男子向けで、ハーレムやラッキースケベが多い。 しかし、たまたま観た物語をまとめた動画で出会ったのだ。黒髪を靡かせ、颯爽と現れる、そのキャラクターに。 彼の名はヒュディ・ミューゼ。 物語のラスボスだった。 かませ犬的な存在で、何度も負けては逃げ帰る。その度に主人公は嫁が増えていく謎仕様。 それでも好きになったのは、キャラクターデザインの良さと、その声。 おそらく、アニメにならなかったら沼らなかっただろう。 艶やかな黒髪に、鋭い瞳、皮肉を込めて笑う口元。そして、低く響くテノール。 アニメになった事で、その全てが活きた。制作会社も大当た