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第6話

著者: ときこ
last update 最終更新日: 2024-12-10 10:49:56
【拓弥の視点】

あの日、弥江があの一言を吐いた後、俺は考える間もなく口が勝手に動いていた。

「......じゃあ勝手に死ねばいいだろうが」

弥江はかすかに笑いながら、よろよろと宴会場を出ていった。その足跡に続く真っ赤な血の跡が、やけに目に刺さった。

後になって何度も考えた。

あの日、俺がもう少し気を配り、弥江の異変に気付けていたら......

あの日、あんな言葉を吐かなければ......

あの日、弥江を追いかけていたら......

でも、その時の俺はただ冷たくこう言っただけだった。

「誰か、ここ片付けとけ。血が見えて気分が悪い」

その声を聞いて、瑠香が素早く俺に駆け寄り、自然な仕草で腕に手を回してきた。

「お兄ちゃん、怒ってないよね?私......その......弥江さんのしたことはさておき、親戚だからって誘っただけなの。さっきのこと、私がちゃんと止められなかったせいだよ......全部、私が悪いの......」

涙混じりの声、潤んだ瞳。普段なら、それだけで俺は簡単に折れていたはずだった。

でも、その時だけはどうにもイライラして、ネクタイを乱暴に引っ張りながら、ただ一言、淡々と返しただけだった。

「大丈夫だ」

それを聞いて、瑠香は少し驚いたように瞬きをした。

「本当に怒ってないの?」

俺は答えず、手にしたグラスを握りしめながら、ふと会場中央を見た。そこには東村が佐藤家の令嬢を抱きしめている光景が広がっていた。

俺は一瞬固まり、瞳孔がぎゅっと縮んだ。怒りが心臓から全身に広がり、神経を鋭く緊張させた。

東村って、弥江の彼氏じゃなかったか?じゃあ、なんで弥江が出て行った直後に別の女とイチャついてんだ?

考えるより先に、体が動いていた。

俺は怒りに任せて東村に突進し、その顔面に容赦なく拳を叩き込んだ。ガラスの割れる音が聞こえた気がしたが、もう「理性」という糸が切れたオレには、それすらどうでもよかった。

俺、もしかして狂ったのか?

いや、もうどうでもいい。動きは一切止まらず、両目は真っ赤に染まった。俺は怒り狂う檻の中の獣のように、言葉を一つ一つ噛みしめるように吐き出した。

「弥江に手を出していいと誰が許した!?浮気なんかしてやがって!ふざけるなよ!」

拳が止まらない。数発も打ち込むと、東村は頭から血だらけになった。

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    その言葉は、まるで鋭い刃物が心臓に深々と突き刺さったようだった。息が詰まりそうなほど、胸が痛んだ。震える手でスマホを掴み、弥江に電話をかけた。でも、いくら待っても応答はない。一回、二回、三回......無情な機械音だけが虚しく響き渡っている。それが俺の愚かさを嘲笑っているように聞こえた。その時、不意にスマホが鳴り出した。息を呑み、急いで電話を取ると、声が震えるほどの期待を込めて叫んだ。「弥江!お前、今どこに──」「お兄ちゃん、どこにいるの?」遮ったのは瑠香の声だった。その瞬間、喉が掴まれたように言葉が詰まり、胸に灯った微かな希望が一瞬で掻き消された。「お兄ちゃん、今日ね、新しい刺繍を作ったの!見せに行ってもいい?」スマホを握り締めた手に力が入る。湧き上がる苛立ちを必死に飲み込んで、俺は短く言い放った。「今忙しい、また後でな」それだけ言うと、瑠香の反応を気にする余裕もなく、電話を切った。そして弥江が残していった荷物を車に積み込み、勢いよくエンジンをかけた。胸が張り裂けそうな焦燥感に駆られながら、弥江が好きだった場所を片っ端から探し回った。遊園地、本屋、公園──どこにも彼女の姿はなかった。夕焼けが空を染め、辺りが徐々に暗くなる中、俺はやむなく借りている部屋に戻った。荒れ果てた建物が赤い光の中で影を落とし、どこか不吉な雰囲気を漂わせていた。迷うことなく階段を駆け上がり、ドアを開けると、錆びた蝶番が軋む音だけが静寂を破った。中を覗き込んでも、期待していた人影は見当たらない。弥江は暗闇を怖がる。だから、いつ帰ってきてもいいように、まずは部屋の明かりをつけた。弥江、戻ってくるよな......きっと、絶対に戻ってくる......そう信じながら、俺はただ待ち続けた。でも、いくら待っても弥江は帰ってこなかった。その時、愕然と気づいた。弥江がどこにいるのか、全く検討もつかないということに。さっき訪れた場所は、彼女が子供の頃、特に五歳までに好きだった場所ばかりだ。弥江には友達もいなかった。その場に崩れ落ちるように座り込むと、薄暗い電灯の光が目に刺さるようで、思わず涙が滲んだ。弥江に友達がいなかったのは、結局、俺のせいだ。学生時代、瑠香をいじめた罰として、俺は彼女に同じ苦しみを味わわせた。目には目を、歯には

  • 憎しみの連鎖   第7話

    5日間、弥江から一度も連絡がなかった。なんとも言えないモヤモヤした気持ちのまま書類に目を通していたが、気が散るばかりで、ついに七度目の手止め。どうにもならず、魔が差して大家に電話をかけてしまった。「弥江を追い出したか?」電話口の相手は少し沈黙した後、恐る恐る答えた。「申し訳ございません、社長、忘れてました。今すぐ対処します!」その瞬間、頭の中に弥江が血を吐いて倒れている光景がちらついた。俺は思わず言った。「いや、もういい。自分で行く」そうしてすぐに弥江の借家に着いた。初めて見る彼女の住処は、見るからに崩れかけたボロボロの建物だった。壁の塗装は剥がれ落ち、所々に腐敗の跡がある。建物の歴史が一目でわかる代物だった。玄関で鍵を握る手が一瞬止まったが、意を決して鍵を回し、ドアを開けた。「弥江、いい加減に──」最後まで言い切れなかった。目に飛び込んできた光景に言葉を失ったのだ。部屋は散らかっていたが、不思議なくらい空っぽで、生気が感じられなかった。焦りが全身を駆け巡り、足元まで乱れるような勢いで部屋中を探し回ったが、弥江の姿はどこにもなかった。テーブルの上には、使い古されたノートと紙くずの山だけが残されていた。眉をひそめながらノートを手に取った。そこに綴られた整った文字を目にした瞬間、俺の顔は青ざめた。【お兄ちゃんは今日、瑠香を遊園地に連れていった。私も行きたいけど、私は両親を殺した犯人だから、そんな資格はない。それでも、一言でもいいから、お兄ちゃんが私に話しかけてくれたらいいのにって思った】【やっとお兄ちゃんが話しかけてくれた。でも彼は私が瑠香をいじめたのかって訊いた。瑠香をいじめてないよ、お兄ちゃん、どうして信じてくれないの?】【お兄ちゃんに家から追い出された。死ねばいいって言われた。やっぱり私みたいな人間は、愛される資格がないんだよね。孤独に死ぬ運命なんだ】【お兄ちゃんから電話が来たけど、出たくない。もうこれ以上あの人に迷惑を掛けたくないから】ページをめくる手が震えた。喉はカラカラで、口の中に苦味が広がる。頭を鈍器で殴られたような感覚が押し寄せ、何も考えられなくなった。ふと振り返ると、空っぽのクローゼットの中に見覚えのあるクマのぬいぐるみが目に入った。それはとても古びていたが、丁寧に洗われ、

  • 憎しみの連鎖   第6話

    【拓弥の視点】あの日、弥江があの一言を吐いた後、俺は考える間もなく口が勝手に動いていた。「......じゃあ勝手に死ねばいいだろうが」弥江はかすかに笑いながら、よろよろと宴会場を出ていった。その足跡に続く真っ赤な血の跡が、やけに目に刺さった。後になって何度も考えた。あの日、俺がもう少し気を配り、弥江の異変に気付けていたら......あの日、あんな言葉を吐かなければ......あの日、弥江を追いかけていたら......でも、その時の俺はただ冷たくこう言っただけだった。「誰か、ここ片付けとけ。血が見えて気分が悪い」その声を聞いて、瑠香が素早く俺に駆け寄り、自然な仕草で腕に手を回してきた。「お兄ちゃん、怒ってないよね?私......その......弥江さんのしたことはさておき、親戚だからって誘っただけなの。さっきのこと、私がちゃんと止められなかったせいだよ......全部、私が悪いの......」涙混じりの声、潤んだ瞳。普段なら、それだけで俺は簡単に折れていたはずだった。でも、その時だけはどうにもイライラして、ネクタイを乱暴に引っ張りながら、ただ一言、淡々と返しただけだった。「大丈夫だ」それを聞いて、瑠香は少し驚いたように瞬きをした。「本当に怒ってないの?」俺は答えず、手にしたグラスを握りしめながら、ふと会場中央を見た。そこには東村が佐藤家の令嬢を抱きしめている光景が広がっていた。俺は一瞬固まり、瞳孔がぎゅっと縮んだ。怒りが心臓から全身に広がり、神経を鋭く緊張させた。東村って、弥江の彼氏じゃなかったか?じゃあ、なんで弥江が出て行った直後に別の女とイチャついてんだ?考えるより先に、体が動いていた。俺は怒りに任せて東村に突進し、その顔面に容赦なく拳を叩き込んだ。ガラスの割れる音が聞こえた気がしたが、もう「理性」という糸が切れたオレには、それすらどうでもよかった。俺、もしかして狂ったのか?いや、もうどうでもいい。動きは一切止まらず、両目は真っ赤に染まった。俺は怒り狂う檻の中の獣のように、言葉を一つ一つ噛みしめるように吐き出した。「弥江に手を出していいと誰が許した!?浮気なんかしてやがって!ふざけるなよ!」拳が止まらない。数発も打ち込むと、東村は頭から血だらけになった。周りから

  • 憎しみの連鎖   第5話

    「弥江!」怒鳴り声と同時に、私は思い切り地面に叩きつけられ、ナイフが転がり落ちた。視界の端に見えたのは、光る刃に反射していた男の冷たい軽蔑の目。「お前、何やってんだ!」拓弥の声が雷鳴のように響き渡っている。ハッと我に返ったものの、こめかみはズキズキ痛み、目はカラカラに乾いて焼けるようだった。それでも口からは一言も出てこない。瑠香が拓弥の側に駆け寄り、涙声で言った。「お兄ちゃん、弥江さんがここで彼氏と会ってるなんて知らなかったの。それに、邪魔するつもりもなかったんだけど......」その一言に込められた意図は明白だった。まるで、私が「楽しい時間」を邪魔された挙げ句に逆上して暴れた、とでも言いたげだ。東村も間を測ったかのように口を開いた。「いやぁ、弥江さんがちょっと照れちゃってただけだよ。君が急に入ってきたから、驚いて怒っちゃったんだと思うけど」拓弥は私を一瞥し、表情が一瞬固まった。そしてすぐに、あの見慣れた軽蔑の顔で怒鳴りつけてきた。「弥江!お前、こんなにみっともないことして、本当にどうしようもないな!今日がどれだけ大事な日かわかってるのか?なんでこんな時に余計な問題を起こすんだ!」頭の中に鈍い衝撃が走った。私は信じられない思いで兄を見つめた。血の繋がった兄が、こんなにも酷い言葉を平然と浴びせるなんて。胸の奥からこみ上げる痛みに耐えきれず、私は服を掴みながら荒い息をついた。それを見た瑠香が、おどおどしながら声を絞り出した。「お兄ちゃん、そんなに怒らないで。弥江さんだって、わざと邪魔しようとしたわけじゃないと思うの。ただ、感情が抑えられなかっただけじゃないかしら」その言葉に息を切らしながら、瑠香に向かって反射的に手を振り上げた私を、拓弥が間髪入れず突き飛ばし、また地面に倒れ込んだ。その場にいる全員が私を見下していた。胃が痛い。目も頭も全身が痛む。まるで壊れかけのロボットのようだった。頭の中はぐちゃぐちゃだった。「お前、いったい何がしたいんだ?」地面に横たわる私に、拓弥が冷たい声で吐き捨てるように言った。「弥江、お前、頭がイカれてるんじゃないか?」頭がイカれてる――その言葉が胸に突き刺さった。泣きたいのに、嗚咽しか出てこなかった。ただ、壁を頼りに体を起こし、痛みに耐えながらなんとか立ち上が

  • 憎しみの連鎖   第4話

    日が経つごとに、体調はどんどん悪くなっていった。あの日、電話越しに私が思い通りにならないのを見て、拓弥は皮肉たっぷりに私を責め立て、それっきり何の連絡もよこさなくなった。正直、こっちとしてはそれで気が楽だった。毎日、隠れ家にこもってはカレンダーをめくり、残り少ない時間をただただ数えていた。そんな中、不意に瑠香からメッセージが届いた。彼女は「朝暮」という展示会に私を招待してきた。最後に、こんな一文を添えて。【弥江さん、叔母さんもきっと、自分の心血を注がれた作品が世に出るのを願っていると思います】一瞬迷ったけれど、結局行くことにした。煌びやかなホールには、グラスがぶつかる音や人々の話し声が響き渡り、賑やかな雰囲気が広がっていた。こんな場所、久しぶりだ。急にこんな賑やかな空間に足を踏み入れて、なんだか落ち着かなくなった。無意識に指をぎゅっと握り締めていた。少し離れたところで、拓弥が瑠香を連れて人混みの中を歩きながら、満面の笑みでゲストに彼女を紹介していた。その光景を目にした瞬間、頭がクラクラしてきた。まるで二人が本当の兄妹みたいだった。拓弥がこちらに目を向けると、表情がわずかに変わった。目には、見慣れた嫌悪感がはっきりと浮かんでいた。瑠香もそれに気づいたのか、彼の視線を辿って振り返り、私を見つけた。彼女はすぐに笑顔を浮かべ、こっちに向かって歩いてきたけど、私はその場を離れ、迷うことなく会場を後にした。瑠香が何を言いたいかなんて分かりきっている。また皮肉混じりに私を見下して、「母親が大事にしてた作品も守れないなんて」とでも言うつもりだろう。でも今日は、そんなことで揉める気分じゃなかった。二階のベランダに出ると、風が強く吹いていた。でもその風が妙に心地よくて、ベランダの端に寄りかかりながら座り、冷たい風に心のモヤモヤを吹き飛ばしてもらった。しばらくすると、不意に背後から誰かに抱きしめられ、そのまま体を強く引き寄せられた。一瞬でタバコの匂いが鼻を突き、吐き気がこみ上げてきた。振りほどこうと必死になり、怒鳴りつけようと振り返った瞬間、視界に入ったのは瑠香だった。「弥江さん、この人、私の友達の東村雄大だよ」彼女はドレスをきれいに着こなしながら、ウインクひとつしてこう言った。「すごくいい人

  • 憎しみの連鎖   第3話

    真央の肩にそっと手を置いて、「大丈夫」とだけ言い、私はオフィスの中に入った。すぐ後ろから瑠香がついてくる。中に入ると、拓弥が椅子に座っていた。冷たい表情で、怒りを必死に抑え込んでいるようだった。誰かが昔こう言ったことがある。「同じ親から生まれたのに、弥江と拓弥で似ているのは目だけだ」って。つり上がった目尻がどことなく冷たさを感じさせるけど、私たちはどちらも笑うことがあまり好きじゃない。それに、拓弥に至っては、私が5歳のときから一度も私に笑いかけたことなんてない。「弥江」拓弥が私の名前を呼んだ時、その声は低く冷たい。眉間には深いシワが刻まれている。「お前のアシスタントが瑠香を侮辱するのを黙って見てたのか?お前のその腐った根性、どこまでひどいんだよ!」その言葉を聞きながら、私はちらりと瑠香の方を見た。瑠香もタイミングを見計らったように目を上げて、私と視線を合わせてきた。まだ20代そこそこの、ぽっちゃりした顔立ち。泣き腫らしたような赤い目元。その涙が光を反射してキラキラしている。こういうの、私には一生できないだろうな。「聞いてるのか!」私が黙っていると、拓弥は我慢できなくなり、机の上のファイルを私に投げつけてきた。端が頬をかすめ、鋭い痛みとともに血が流れ出した。「弥江......!」拓弥が驚いたように私の名前を呼んだ。その一瞬の動揺をよそに、私は冷静に、はっきりと口を開いた。「私が辞めるよ。そして彼女に謝る。それで満足?」拓弥は言葉を失ったが、その沈黙もつかの間、再び怒りをぶつけてきた。「ガキみたいなこと言ってんじゃねえよ!お前なんかにそんな駄々をこねる権利、あると思ってんのか?」そうだよな。わかってる。昔からそのことだけはわかってた。駄々をこねるなんて、誰かに甘えられる人間だけができることだ。私には、そんな権利なんて最初からないんだ。「人事に自分で話すよ」そのまま背を向けてドアを閉める。拓弥の怒声は扉越しに遮られた。帰り道。急に腹に激しい痛みが走り、後部座席に横たわったまま体を丸めた。痛みが全身に広がる中、不思議と頭だけは冴えていた。拓弥が私に向ける、あの嫌悪に満ちた目つき――それを一つ一つ、嫌というほど鮮明に思い出していた。最初の頃、私たちの関係はここまで酷くなかった。兄は

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