「心に決めた人?」「ああ。僕はその人をずっと想ってた。だけど、なかなか気持ちを伝えることができなくてね。本当に情けない男だよ。でもね、やっぱり言おうと思う。だって……その人が今、僕の目の前にいるんだから」「えっ……」先生の目の前って……?「藍花ちゃん。僕は……君が好きだよ。ずっとずっと好きだった」七海先生……?そんなの……絶対、嘘だ……「これからもずっと君を見ていられると思ったし、少しずつ距離を縮められたらって思ってた。なのに、それが叶わなくなった。でも、もし君が、僕を少しでも受け入れてくれるなら、そしたら僕は、何もかも失ったって構わないと思ってるんだ」先生のその真っ直ぐな想いに胸が熱くなった。「そ、そんな馬鹿なこと言わないで下さい。全てを失くすなんて、それがどれだけ大変なことかわかってますか?私にだって想像できます。私には……そんな価値はありません。私は、先生みたいな立派な人とは釣り合わないですから」七海先生には、産婦人科医としてこれからもたくさんの命をこの世に送り出す使命がある。何もかも失うなんて、絶対にあってはならない。「僕はね、藍花ちゃんを守りたいんだ。守る価値のある人だと思ってる。本当だよ。君の笑顔は可愛くて太陽みたいに眩しい。そばにいるだけで元気になれる。僕は立派なんかじゃないし、まだまだ男としても何かが足りたいと思ってる。だから、釣り合わないなんて言わないでほしい」七海先生の言葉に、どうしようもなく涙が溢れる。向こうにはみんながいて、こんな状況で泣いてはいけないのに……この切ない気持ちを抑えることができないのはなぜなんだろう?
空には星と月。澄み切った秋の空気は清々しくて……私は、この美しい夜の告白に心が揺れた。七海先生の言葉をまだ全部は飲み込めていない上に、これが現実なのかもわからない。もし、この告白が嘘じゃなかったとしても、私には先生の思いにどう答えればいいのかわからない。でも不思議だ――私は、すごく、すごく……感動していた。ねえ、七海先生、ずっと私を想ってくれてたなんて本当ですか?お見合い相手がいるのに私なんかを?そんな思いが溢れて止まらない。「僕はもうすぐこの病院を去る。それまでに返事をもらえないかな?」「えっ……でも先生にはお見合い相手の人が……」「彼女にはもう一度きちんと話すつもりだよ。初めから『好きな人がいる』って言えば良かったんだ。両親の手前、ハッキリ言えなかった自分がいけなかった。でも、僕には大切に想ってる人がいるって、今度はちゃんと話すよ。だから、藍花ちゃんは、僕への気持ちだけを考えて返事してほしい。どんな答えがきても、次は必ず覚悟を決めるから」今の私にそんな重大なことを決められる自信はない。先生がいなくなるまであと1週間。そんな短い間に結論を出せるのか?七海先生は私に微笑んでから、背を向けてみんなのところに歩いていった。それを見届ける自分に問いかける。私はこの人が好きなの?――この人と結婚して死ぬまで一緒にいたいと思えるの?と。自分の将来のことだけれど、七海先生の一生の問題でもある。本当にどうすればいい?とにかく冷静になって考えなければ、今のままでは正しい答えなんて出せるわけがない。七海先生からの申し出はとても嬉しいし、有難いことだと思うけれど、頭の中は嬉しさと不安が入り交じり大混乱していた。一旦、わざと笑顔を作り、私は一歩前に足を踏み出した。どうしようもなく複雑な気持ちを引きづったまま――
今日は月那の彼、店長の笹本 太一さんから招待を受けて、2人のお店にやってきた。何か私に話があるらしい。もしかして……と嬉しい話を期待しながら、私はお店が終わり、お客さんがいなくなった店内に入った。まずは月那にマッサージをしてもらう。ベッドに横たわり、うつ伏せになると、「疲れたよ~」と思わず本音がこぼれ出した。「任せて~。月那様が藍花ちゃんの疲れを取ってさしあげますからね~」そう言って、私の体を背中から足に向かってゆっくりと揉みほぐしてくれた。太ももからふくらはぎを滑る両方の親指に、何ともいい感じに刺激され、あまりの気持ち良さに寝落ちしそうになった。本当に、月那のマッサージは最高だ。今日は招待してくれた店長さん、月那の彼氏の厚意でマッサージ代金を無料にしてもらった。今日1日仕事を頑張ったご褒美だと思ってその気持ちに甘えることにした。「藍花、寝ちゃダメだよ!早く続きを報告して。もうずっと楽しみにしてたんだから~」月那が子どもみたいに甘えた声で言ってくる。こういうところも可愛い。リラックスできる優しい音楽とマッサージに思いっきり癒されながら、私は、中川師長から歩夢君の気持ちを聞いたこと、春香さんが歩夢君を好きだったこと、白川先生に料理を作るために部屋に誘われたこと、七海先生に告白されたこと……恥ずかしいけれど、全部隠さずに話をした。そして、明後日、白川先生のマンションに来るように言われたことも――「えー!明後日!!それ、マジヤバいね」月那は、私の話を終始興奮した様子で「それでそれで?」と、次から次へ興味津々に聞いてくれた。心に溜まっていた「整理不能なこと」を全て吐き出すことができ、この時ほど月那がいてくれて助かったと思ったことはなかった。誰かに話すことで、不思議と自分の気持ちがラクになり、少し頭がスッキリするのはとても有難いことだ。
「もう、藍花、本当にすごいよ!紛れもないモテ期が来たよね!でも何なのよ~相手がみんなビジュアル良過ぎの超イケメン揃いって、めちゃくちゃうらやましい!ううん、あのレベルはイケメンなんて言葉じゃ表せないよ。俳優?モデル?王子様?」興奮が止まらず、子どもみたいにはしゃいでいる月那に苦笑いする。「月那、手が止まってるよ」「ああ、ごめんごめん」「別にモテ期とかじゃないけど……。でも、今までずっと平穏な毎日だったから、急にいろいろ起こって、本当にどうしたらいいのか悩むばっかりで。私は月那と違って恋愛経験が乏しいからね」「まあ確かに私ほどではないだろうけど」「月那様には敵いません」「でもさ、でもさ、本当、一気に来たよね。それが「モテ期」なんだよ。藍花の人生最大のモテ期だね。ほんとに白川先生も七海先生も歩夢君も、みんないい男ばっかりだから困るよね。誰か1人を選べなんてあまりにも残酷だわぁ~」「誰か1人を選ぶ……?そんなこと、上から目線過ぎない?そういうの、月那みたいな良い女のすることだよね」「あはは。まあ、とにかくさ、いろいろまとめて起こっているから焦るかも知れないけど、まずは冷静になって落ち着いて考えてみるしかないよ」「冷静に……」「そうだよ。たぶん考えようとしてるんだろうけど、やっぱり焦ってるんじゃない?白川先生、七海先生、歩夢君、みんなのこと1人ずつ思い浮かべてさ。この人はあ~だとか、こ~だとか。たまに3人を比較してみたり。妄想したり楽しみながらさ、もっと気楽に考えてみたらいいんじゃない?前にも言ったけど、私的には白川先生が1番ドキドキするんだけどな~」妄想したりだなんて、恥ずかし過ぎる。もし月那の言ってることができたら、もっと楽しく悩めるのかも知れないけれど……私なんかが誰かを選ぶなんて厚かましい気がして、申し訳なくて、そんな風に考えられない。どうして私はこういう性格なのだろう。わかってはいるけれど、毎度毎度情けない。
本当にめんどくさい性格で嫌になる。「月那はいつも白川先生のことを推すけど……そんなに好き?」「うん、白川先生はかなりいい男じゃん。あの端正な顔立ちで、たまに見せる色気のある表情がたまんないでしょ。たくさんの女性を虜にして、全く罪な男だよね。デート中もあんなイケメンが隣にいたらずっとドキドキしちゃうし、それにさ、やっぱり夜が上手そうだよね」「ま、また言ってる。夜って……そんなことで選べないよ」「そうは言うけど、そこってかなり大事だからね。夜の相性が良い方が長続きするのは間違いないよ。私達みたいにね」「えっ、あっ、う、うん」親しいだけに、月那のプライベートを聞くのはちょっと照れる。「後、白川先生の良いところは……スタイル抜群、頭が良い、めちゃくちゃお金持ち、医師として最高の腕を持っている……みたいなことかな。性格はちょっと厳しいけど、2人でいる時は案外優しいんでしょ?」「うん……まあ、厳しかったり優しかったり……」「何かいいじゃん。もしあんな素敵な人が自分の彼氏だったらって想像するだけで最高だよ」月那にそう言われて、私の頭の中に蒼真さんが浮かんだ。2人でデートしているところを無理やり頭に描く。手を繋いだり、笑いあったり、キスしたり……ダメだ、恥ずかし過ぎて耐えられない。私は、無謀にも勝手に想像してしまった映像を急いで消し去った。まだ告白もされていないのに、調子に乗り過ぎたことを反省した。「私は別に白川先生に告白されたわけじゃないし、部屋に呼ばれたのもただ料理を作りにいくだけだから」本当にそうだ。ただそれだけのことで、決してデートするわけじゃない。「あのさ、藍花。大の大人がご飯作って食べて、はいサヨナラなんてあるわけないじゃん。美味しいご飯、美味しいお酒、ベランダから星を見たりなんかしてさ……。もうその後は『私、どうなってもいい!』ってなるんだよ、絶対に」月那の妄想はなかなか激しい。そんなことになるわけないのに。「冗談は止めて。私と白川先生はね、そういうんじゃないんだよ」
「藍花は控えめ過ぎるんだよ。そんなに可愛くてスタイルもいいんだからさ。無自覚にも程があるよ。もうちょっと胸を強調するような洋服に挑戦するとかしてさ、白川先生をドキドキさせてやりな。あ~私も白川先生のマンションに着いていきたい。それでさ、2人のやり取りを一部始終見ていたい。考えただけでもワクワクしちゃう~」月那の暴走はどこまでも果てしなく、止まることを知らない。「あのね、私は真面目に相談してるんだからね」「めちゃくちゃ真面目だってば。もちろん、七海先生や歩夢君のこともちゃんと考えないとダメだけど、だけど私はどう考えてもやっぱり白川先生なんだよね。わかんないけど何か感じるんだよ」何か感じる……曖昧ではあるけれど、その言葉には妙に説得力があった。「七海先生はちょっと優し過ぎるっていうか何か物足りないし、歩夢君は年下で少年みたいな感じがして。ま、これはあくまで私の主観だけどね。後はさ、藍花。白川先生の部屋に行ってからだよ。考えてもわからない自分の本当の気持ちがさ、案外そこでスっと出てきたりするかもよ」「そうなのかな……。本当に答えなんて出せるのかな」「七海先生と歩夢君は藍花が好き。これは決定!あとは白川先生の本心を知って、そしたら誰が1番なのかわかるかも知れないでしょ」「歩夢君には直接告白されたわけじゃないから……。でも……うん。とりあえず、月那のアドバイス通りに頑張ってみるよ」「そうだよ、頑張れ!応援してるから。ファイト!」「ありがとう。マッサージも気持ち良かったよ」「どういたしまして。今日は興奮していつもより力が入っちゃったかもね」「確かにね」私はマッサージを終えて、着替えを済ませ部屋を出た。待合室には店長であり、月那の恋人の笹本さんがいた。「藍花ちゃん、お疲れ様」「あっ、今日はありがとうございました。月那のマッサージ、とっても気持ち良かったです。本当に代金はいいんですか?」「もちろんだよ。今日は俺達の招待だから。あのさ、ちょっと藍花ちゃんに報告があってね」笹本さんは、妙に改まって少し顔が強ばっている。緊張しているのが伝わり、私までドキドキしてきた。まだ心の準備は万端ではないけれど、私は次の言葉に期待した。「藍花ちゃん!!」「は、はい!」その勢いにつられてしまい、思わず元気よく返事してしまった。
「お、俺達、結婚するんだ。藍花ちゃんは月那の親友だし、2人から直接報告したくて」期待通りの言葉に胸が一気に熱くなる。「月那、お嫁さんになるの?」私の問いかけに、月那は嬉しそうにうなづいた。「すごい!そうなんだね!すごく嬉しいよ、すごく……」その瞬間、今までのいろんな思いが溢れ出し、自然に涙がこぼれてしまった。「ちょっと、何で泣くのよ~。私までもらい泣きしちゃうじゃん」「だって、だって、こんなに嬉しい報告、感動しちゃうよ」私は、幸せな月那が愛おしく思えて抱きついた。2人で泣き笑いする。「おいおい、俺を放ったらかしにしないでくれ~」笹本さんが冗談ぽく言いながら笑った。「あっ、放ったらかしちゃいましたね。すみません」みんなの笑い声が部屋中に響いた。「あの、ところで結婚式はいつなんですか?」私は2人に訊ねた。「ああ、それが……」笹本さんは頭を掻きながら、言葉を濁している。「あっ、ごめん。式はしないつもりなの。指輪の交換をするくらいかな。新婚旅行も行かないし。私はこの人とここで毎日一緒にいられたらそれで満足だから」月那が笹本さんをフォローした。「そうなんだね。うん、2人が決めたことなら。ごめんね」「そんなの謝らなくていいよ。本当は藍花を結婚式に招待したかったけど……私達のスタイルでいかせてもらうね」「もちろんだよ」確かに2人のことだから、それでいいと思う。だけど、月那はそれで寂しくないのだろうか?前に、花嫁に憧れていて、ウエディングドレスを着てみたいと言っていたし、月那みたいな美人のドレス姿、本当は少し見てみたい気もする。それはあくまで私の願望。でも、その選択はある意味カッコいいのかも知れない。月那らしい……というか。「式も新婚旅行も要らないって月那が言うから甘えたけど、男としては宇宙旅行に行けるくらい貯金して、いつか必ず月那を月に連れてくつもりだから」「月?!すごいじゃないですか!めちゃくちゃロマンチックですね」夢を語る笹本さんの思い、本当に素敵だと思った。「でも、月那だけに『月』だなんてさ、単純だよね~。宇宙旅行なんか何十億かかると思ってるんだか。宝くじが当たっても無理だよね」そう言われて、笹本さんは照れながら笑っている。
見つめあう2人がとっても素敵で……ただでさえ美人の月那が、今までで1番綺麗で可愛く見えた。「笹本さん、月那のこと絶対に幸せにして下さいね。もし泣かしたらこのマッサージ店に二度と来ませんからね」「うわっ、上得意様に来てもらえなくなったら困るしな。わかりました、月那のことは絶対に泣かしません!」「って、私が太一を泣かすかもだけどね~」「そうなんだよ~。月那は怖いから、俺が泣かされるかもなぁ。でも、その時は藍花ちゃんに助けてもらお」楽しく軽快なやり取りの2人を見ていたら、こっちまで幸せな気持ちになる。本当にお似合いのカップルだ。「俺達、絶対に幸せになるからさ。だから藍花ちゃんも必ず幸せになってくれよな。月那の大切な人が不幸になるのは嫌だからさ」筋肉いっぱいの笹本さんからの優しい言葉。そのギャップがちょっと可愛く見える。「ありがとうございます」「月那からちょっと聞いてるけど、今、藍花ちゃん、めちゃくちゃモテモテらしいね」「えっ、モテモテなんて、そんなことないです」月那がどんな風に私の恋愛話をしているのかわからないけれど、この言葉はかなり恥ずかしい。「絶対に良い男を捕まえるんだよ。藍花ちゃんみたいな良い女が妥協したらもったいないし、本当にこいつ!って思えるやつが現れるまでゆっくり待った方がいいよ」笹本さんが真剣な表情で言ってくれた。「良い女じゃないです。でも……ゆっくり待ってたら、このまま一生結婚できないかも知れません」「そんなことはないよ。藍花ちゃんは本当に可愛いんだから自信持った方がいいって」「そうだよ、藍花。本当に自信持たないと損だよ。太一の言う通り、あなたはめちゃくちゃ可愛いんだから」やはりなぜか月那に容姿を褒められるととても嬉しい。「2人に言われたら嬉しいけど……でも……」「でもじゃない!俺達がついてるから大丈夫!ちゃんと良い奴と出会って恋愛して結婚してほしい。俺達はずっとここで店やってるから、何かあったらいつでも飛び込んでくればいいよ」「そうだよ、いつでも来な」この安心感に溢れた優しい2人に勇気をもらえた気がする。明後日、蒼真さんと会って、改めてちゃんと考えようと思う。答えが出せるかはわからないけれど、でも何だか今は前向きになれている。この感情は間違いなく2人のおかげだ。月那……「笹本 月那」になっても、ず
「嘘っ!またオーナーに怒られたの?」「うん。今月の売り上げがイマイチだったから……。思うようにはいかない」マンションの小さな部屋で、食事中に缶のビールを握りしめ落ち込む太一。「し、仕方ないよ。きっと来月はもうちょっと頑張れるよ。まあ、また気合入れていこー」満面の笑顔でそう言ったものの、実際、経営はかなり苦しかった。実は最近、すぐ近くに同じような店ができ、うちより規模も大きいし、オシャレで、かなりの人気になっている。そのことは、間違いなく売り上げが下がった原因の1つだ。でも……それでも頑張るしかない。弱音を吐いても何も変わらないから。「そうだな。月那のウエディングドレス姿見たいし、新婚旅行にも連れていきたいし」それが、太一の口癖。「それは別にいいって。気にしなくて大丈夫だから。とにかく、心も体も元気じゃないと何も前に進まないんだから、笑顔で乗り切ろうよ。太一はお客さんからの評判いいんだし、頑張ってたら、必ずまたこっちにお客さんが戻ってきてくれるから。絶対大丈夫!」太一と私のマッサージの腕は誰にも負けることはない、それだけは絶対に自信があった。「ありがとうな、月那。俺は、お前がいるから頑張れる。本当に……感謝してる」一瞬で顔が真っ赤になる。私は慌ててビールを喉の奥に流し込んだ。「あ~ちょっと酔っ払ったかも~。そうだ、ベランダ行こっ。太一も一緒に出よう。さっ」私は、太一を無理やり外に連れ出した。「うわぁ、いいね~。気持ちいい風だな、最高~」「ほんとに秋の風って最高~」こうして隣に太一がいてくれる安心感は半端ない。「月……めっちゃ綺麗だ」 「そうだね。いつか連れてってくれるんでしょ、あそこに」私は、腕を空に伸ばして指をさした。「ああ。任せとけ!絶対、行くから。2人であの月に!」そう言って、太一は私のことを抱きしめた。「ちょっと痛いよ、太一。もう、こんなムキムキの立派な腕をしてるんだから、めそめそしてちゃダメだよ。元気出しな。笑おうよ」私も、太一の腰に両腕を回した。このでっかい感じ、これが好き。「ガッハッハッ。これでいいか?」「バカじゃないの?本当に太一はお調子者なんだから」まだ抱き合ったまま、今日は離さないんだね。ちょっと照れる。「なあ、月那」「ん?」「俺、お前と結婚して良かったよ。本当に……大正解。これ
「今度はどんな映画を見に行く?」「あっ、そうね。恋愛……ううん、ホラーとか、楽しいかも」「ホラー映画は得意じゃないよ」「そう?結構好きなんだけど、私は」何気ない朝のやり取り。仕事が休みの日はなるべく妻と一緒にゆっくり過ごすことにしている。子どもがいない僕らにとって、2人で何をするかを考えるのは幸せな時間だった。その気持ちに嘘はない。「恋愛映画なんてずいぶん観てないな。何か良いのあるかな?」「恋愛映画は……何だか観ていて苦しくなりそうだから」「えっ?」「あなたは……きっとヒロインを誰かに重ねてしまうでしょうから」「な、何を言ってる?」「ヒーローは……あなたかしら。残念ながら、その相手は……私じゃない」「突然どうしたんだ?いつもの君らしくないよ」こんな妻を見るのは初めてだった。心臓がバクバクと音を立てる。「私、もう……限界かも。できることならずっとずっとあなたと一緒にいたかった。死ぬまで寄り添えたら、どんなに幸せだろうって……。でも、やっぱり……何だか毎日苦しいの」「……」「あなたは優し過ぎる。毎日毎日、慶吾さんに優しくされて、私……」「どうしてそんなことを言うんだ?君は毎日頑張ってる。家事を完璧にして、僕の帰りを待ってくれて。そんな君に優しくするのは当たり前のことだよ」そう、君は頑張ってる。全て完璧というほどに。「ただ優しいだけじゃ、私は嫌だよ。最初は、側にいてくれればそれでいいって思ってた。それは本当。でも、あなたの中にはいつも他の誰かがいて……」「……そんなことは」「無いって言えるの?私はどんどんあなたを好きになるのに、あなたは……ますます違う方を見てる。私じゃない誰かの方を。もう……耐えられないの」泣き崩れる君に、僕は何も言えなかった。結婚の意味なんて、今でも僕にはわからない。それでもこの人と、一生、2人で生きてゆく覚悟はしていたのに。なのに、いつだって彼女の笑顔が浮かんでくる。自分は異常なのか?と悩みもした。でも、結婚してさらに、こんなにも藍花ちゃんを想っている自分に気付かされた気がして……「ごめん。本当に……ごめん」僕は、最低だ。目の前で号泣するこの人の背中に手を置く。すごく震えていて、泣き声が切なくて……僕の心臓はとても痛くなった。いや、この痛みなど、この人に比べれば……この人は
私は今、すごく幸せ――だったら、それでいいのかな?都合良すぎる考え方かも知れないけれど……だけど、月那が言ってくれた言葉だから、私はそれを信じようと思った。七海先生も歩夢君も……絶対「幸せ」でいてほしい。お願いだから、悲しい思いをしないで……心からそう祈るばかりだ。「私の話ばかりでごめんね。月那は太一さんとの新婚生活はどう?楽しんでる?」「う~ん、まあまあだね。仕事も家でも一緒だし、ちょっと飽きてきたかな」また大声で笑う。大きな口を開けていても、美しい人は美しい。「さっき世界一幸せな夫婦って言ってたよね?」「そんなとこ言ったかな?まあ……ね、もちろん楽しくやってるよ。いろいろあるけど、私、太一がいないとダメみたいだしさ。あんなに筋肉バカなのに、嘘みたいに優しい人だし。ちょっと頼りないとこあるけど、私にとっては最高の夫かなって思うよ」「そっか……素敵だね」月那もすごく幸せなんだ。その言葉がとても胸に響いて嬉しくなる。「素敵……かな?」「うん!最高の旦那様だって、素直に太一さんにもそう言ってあげてね」「い、嫌だよ。そんなこと言ったら負けだし」「負けって……。月那、私には素直にって言っておいてズルくない?」「ズルくないズルくない。私はいいの~」自由な月那に苦笑いした。そんな風に、お互いの新婚生活や仕事、子育てのことをしばらく語り合う2人だけの時間は、あっという間に過ぎていった。もっとずっと話していたいけれど、今日はここでおしまい。「今日の晩御飯は何?」「太一が好きだから今日は豆腐ハンバーグ。子どもみたいだからね、あの人。何個も食べるからミンチの大量買いしなきゃいけない」「いいな~美味しそう!豆腐ハンバーグはヘルシーだしいいよね。うちはカレーにする」初めて蒼真さんに作った料理。いつ食べても毎回褒めてくれる「カレーならそっちも子どもだよ」「確かにそうだね」「男はお子さま料理が好きだよね。煮物とか食べないんだから」「煮物美味しいのにね」「まあ、鍛えてるから食事はちょっと大変だけど、喜んで食べてる姿見たら嬉しくなるからね。頑張って作ろうって思えるよね」「本当にそう。美味しそうに食べてくれるのが1番嬉しいよ」女子トークは結局、ドアを閉める瞬間まで続いた。「必ずまた女子会しよう」と約束して、手を振りながら、月
「そっか……。奥さん、毎日側にいてわかったんじゃないかな。七海先生の中には他の誰かがいて、自分を見てないって。最初からわかってたつもりだったけど、実際に側にいると余計につらいと思うからさ」「……」その言葉について、私は何も言えなかった。「大好きな七海先生と別れるのは寂しかったかも知れないけどさ。その分、藍花が幸せにならなきゃダメだよ。奥さんだって、七海先生より良い人に必ずいつか巡り会えるんだから。そのための離婚だよ。絶対に」「月那……」その言葉にほんの少し救われる。七海先生が私のことをずっと想ってくれているなんて、自惚れたくはないけれど、奥さんの、好きな人と別れる決断は、ものすごくつらかっただろうと、今の私には痛いほどわかる。結婚して蒼真さんの側にいて……私はどんどん彼を好きになっていくから。「七海先生はさ、たぶん1人で大丈夫だよ。あの人、結局誰と結婚しても一生藍花を想い続けるから。それが七海先生の幸せなんじゃない?」「そんな……。私、どうしたらいいかわからないよ」「出たね、藍花の迷い癖」「えっ?」「いいんだよ、どうもしなくて。本当にほおっておきなよ。好きにさせてあげたらいいんだよ」「でも……」「でもじゃない。七海先生にとってはそれが1番の幸せなんだって。藍花は気にせずに自分の幸せだけを考えたらいいの。でないと白川先生に悪いよ」「……うん。わかった……」「素直でよろしい!いい子だね、よしよし」月那は私の頭を優しく撫でた。その仕草に少し照れる。「とにかくさ。七海先生と歩夢君はそれぞれに幸せなんだからね。自分のせいだとか考えちゃダメだからね。藍花が幸せになることが、2人にとって何よりも嬉しいことなんだからね」
「うん、今、すごく頑張ってるんだって。蒼真さんが歩夢君をとても可愛がってるみたいで、人一倍動けるし、患者さんからの人気もあるって言ってた」「そうなんだ。歩夢君、やるね~。本当に真面目ないい子なんだね。見た目も可愛くてイケてるしさ。キュートな眼鏡男子って感じで」「うん、そうだよね。本当にみんな癒されてた。歩夢君がいてくれたら職場が安定するというか……」「安定剤だね」「確かに。歩夢君、前にお母さんのために早く1人前になりたいって言ってたけど、十分過ぎるくらい頑張ってる。体を壊さないかって蒼真さんも心配してた。まあ、中川師長がすぐ側にいるから大丈夫と思うけど。ほんと、新人なのに私の何倍も偉いよ。私は……さっさと辞めちゃったしね」歩夢君の頑張っている話を聞くとすごく嬉しくなる。でも、バリバリ仕事ができることが、少しうらやましくも思える。私も、歩夢君みたいに看護師という仕事が好きだから……「藍花が辞めたのは妊娠したからだし、またいつか復帰するって思ってるんだからさ。何も卑屈になる必要はないよ。それまでは白川先生と蒼太君のために「奥さん」と「お母さん」を頑張りな」「うん、そうだね」「そうだよ、藍花は本当に幸せ者なんだからさ」「ありがとう、月那。今は家族のことだけ考えて、いつかまた看護師に復帰できたら、その時はしっかり頑張るね。蒼真さんと同じ病院は無理かも知れないけど、ここの近くにも病院はたくさんあるからね」「うんうん、頑張れ!応援してる」「……ありがとう。すごく心強いよ」「あっ、そうだ。あともう1人のイケメンは?」「……七海先生?」月那がうんうんとうなづく。「蒼真さんにはたまに連絡があるみたいだよ。あれからお見合い相手の人と結婚したんだって。でも……」「ん?」「……七海先生、フラれたみたいで……」「嘘!あの超イケメンが!?」「そうみたいなんだ。残念だけど……」「えっ、七海先生、結婚したお見合い相手にフラれたの?」「……うん」蒼真さんから聞いた時はすごく驚いた。せっかく新しい1歩を踏み出したのに……「でも何で?あんな超イケメンをフルなんて度胸あるよね」「別れた原因はわからないんだって。フラれたとだけ聞いたって。今は1人で、もう一生結婚はしないって言ってるみたい。お父様の病院で産婦人科医として仕事に生きるって……」
私は病院から少しだけ離れたところに新居を建ててもらい、月那はマッサージ店の近くのマンションを買った。常にいつでも会える距離……ではないけれど、大好きな月那とはたまにはこうして会いたい。月那のアドバイスはやはり直接聞きたいし、そばにいてくれるだけでかなり安心できる存在だから。「ねえ、あれからみんなどうしてるの?病院行ってもなかなか情報聞き出せないしさ」「月那、スパイじゃないんだから」「似たようなもんよ。客商売、情報が全てでしょ」「ダメだよ、病院の内部事情をお客さんに話したら」「当たり前だよ。言っちゃダメなことは言わないようにしてる。それくらい心得てるから大丈夫……たぶんね」「たぶんって、本当にダメだって~」「大丈夫、大丈夫、ちゃんとわかってますよ。だけど、白川先生と藍花のことは当然みんな知ってるよ。患者さん達も喜んでたし。あの子なら仕方ないって、白川先生のファンのおば様達が言ってたから」「そ、そうなんだ……」蒼真さんのファンって……まるでアイドルみたいな扱いだ。「それでもさ。未だに病院じゃ、みんな白川先生のことをハートマークのついたキラキラした瞳で見つめてるから気をつけた方がいいよ~」そう言って、月那は意地悪そうに微笑んだ。「うん。そうだね。でも、病院じゃなくても蒼真さんといるとみんなそんな目で見てるから。本当にどこにいても注目の的で……」あのルックスでは絶対に目立ってしまうから仕方がない。ただでさえそうなのに、最近はますます男性としての魅力に磨きがかかっている。やはり蒼真さんは無敵だ。「うらやましいよね、本当。だってさ、太一といても誰も振り向かないから」月那が大きな声で笑う。だけど……みんなは月那のことを見ているんだ。太一さんには申し訳ないけれど、2人は美女と野獣というか……月那みたいなすごい美人はなかなかいないし、どうしても目を引いてしまう。私達とは逆――視線は全て蒼真さんに向いているから。「ねぇ、それよりさ。歩夢君はどうしてるの?元気なの?」突然、月那が話題を変えた。
それでも「疲れているだろう」と、蒼真さんは私を気遣ってくれる。診察、回診、手術……きっと自分の方が何倍も疲れているはずなのに……その、人を思いやる優しさに、私は心から感謝の気持ちでいっぱいになっていた。***それから1年――1歳になった蒼太に会いに、久しぶりに月那が遊びにきてくれた。月那は今は仕事に大忙しで、旦那様ともラブラブだった。「本当に幸せだよね、藍花。こんな立派な新居を建ててもらって、こんな可愛い蒼太君がいてさ」蒼太を見て微笑む月那は相変わらず美人だ。こんな美しい女性が私の友達だなんて、かなりの自慢になる。「うん、幸せだよ。みんなに感謝しかないよ。月那にはずっと相談に乗ってもらって、本当に感謝してる。いろんなことが月那の言う通りになっていくのがすごく驚いたよ」「当たり前だよ。月那様には全てお見通しだったからね。あの時の藍花はすごく迷ってた。3人のイケメンの間で揺れてたよね」「そう……だったね。あの時の自分は何もわからなくて本当に困ってた。ただ頭を抱えているだけで、前に進むことができなかったから」「まあ、仕方ないけどさ。あんなイケメン達に告白されたら、人間誰だってちょっとしたパニックになるよ。きっと世界が違って見えるんだろうな。その世界が見れた藍花は本当に幸せ者だよ」「世界が違って見えたかどうかはわからないけど……でも、もし月那がいなかったら、私は素直になれてなかったかも知れない。今でもまだ、月那がいう『違う世界』で迷子になってたかも……」本当にそうだ。恋愛マスターの月那がいたから、私は今の幸せを掴めたんだ。月那には、感謝してもし足りない。「ううん、藍花の中ではさ、本当は決まってたんだよ。3人の中で白川先生が1番好きだって。だから……白川先生と上手くいった……」「……そ、そうなの?」「うん。でも、藍花は優しいからさ。みんなに対していろいろ考えてたら何が何だかわからなくなってたんだよ。七海先生も、歩夢君も、みんなを大切に考えて……。私、見てて可哀想なくらいだったから。でもいろいろあった結果、藍花は世界で2番目に幸せになれたんだから、良かったんだよ」ニコッと笑う月那。「世界で1番幸せなのは……月那、だね」「もちろん、その通り。なかなかやるね」2人の笑い声、久しぶりの楽しい時間が嬉しかった。
陣痛も短く、驚く程に安産で、スっと出てきてくれた赤ちゃんに感謝した。この世に生を受け、一生懸命生まれて来てくれた我が子がどうしようもなく愛おしくて、涙が止まらなかった。蒼真さんもパパになることを楽しみにしてたから、小さなその体を初めて腕に抱いた瞬間、大粒の涙をこぼしていた。その顔を見て、私もまた泣いた。あの白川先生が涙を流すなんて……という感じもあったのか、周りにいた女医さんや看護師さんまでみんなもらい泣きしていた。赤ちゃんの泣き声と共に、分娩室は感動の連鎖で温かな空気に包まれた。入院中は代わる代わる中川師長や歩夢君、他の看護師達も部屋に寄ってくれて、赤ちゃんを抱っこして喜んでくれた。中川師長は「孫ができたみたい!」と言ってくれ、歩夢君は毎日「可愛い可愛い」と言って部屋に来てくれた。私への気持ちなんか決して口にせず、私と赤ちゃんを優しく見守ってくれている感じがしてすごく有難かった。赤ちゃんの名前は、しばらくして蒼真さんが決めてくれた。「蒼太(そうた)」元気な男の子にピッタリの名前だと思った。私が絶対に「蒼」という漢字を入れてほしいと頼んだこともあって、ずいぶん悩んでいたけれど、ようやく蒼太に決めたようだった。気づけば、蒼真さんと急接近して、付き合って、赤ちゃんまで授かって、そして結婚まで……こんな人生、私には予想もできなかった。あまりにも嘘みたいな展開に自分でも驚いている。とんでもないシンデレラストーリーに、私はまだ半分夢見心地だ。だけど、いつまでもフラフラしていてはいけない。本格的に子育てが始まったのだから、ママになった自覚はキチンと持たなければ。慣れない家事をしながらの育児に、最初は戸惑いはあったけれど、それでも毎日私なりに一生懸命頑張った。夜泣きしたり、ミルクを飲まなかったり、眠れない日々が続いても、やっぱり我が子はとてつもなく可愛くて、愛おしかった。子どもの笑顔には、疲れを吹き飛ばす偉大な力があるということを、ヒシヒシと実感していた。
まだ少し肌寒く感じる4月初旬。つわりも早めに落ち着いてホッとしていた。「藍花、大丈夫?寒くないか?」「大丈夫です、蒼真さん。ありがとうございます」「体、絶対冷やさないように」「はい」「10月には俺達の赤ちゃんがこの世に誕生するんだな……すごく不思議な気持ちだ」私のお腹をゆっくりとさすりながら蒼真さんが言った。「本当に信じられないです。私がママになるなんて」「俺もパパになるんだな。今から楽しみで仕方ないよ」「蒼真さんがパパで、この子は本当に幸せです。こんな素敵な人がパパで、赤ちゃんびっくりすると思いますよ」「そうだといいけどな。いつまでも素敵なパパでいられるようにしないとな」「蒼真さんならいつまでも若々しくてカッコ良くて、最高の自慢のパパになりますよ」「だったら藍花は自慢のママだな。誰よりも綺麗で、可愛くて、キラキラ輝いて……。この子のママは世界一素敵なママだ」「は、恥ずかしいです」「恥ずかしくないだろ?本当のことなんだから」何気ない日常のやり取り、私は、いろんなことに幸せを感じながら、明日、蒼真さんと婚姻届を出す。前々から蒼真さんの4月の誕生日に出すことを決めていた。妊娠中ということもあり、2人で真剣に話し合った結果、式は挙げないことにして、ドレスとタキシードで写真撮影をすることになった。数日前にカメラマンさんが撮ってくれた写真の中の私達は、2人とも笑顔だった。それを見ていたら、少しずつではあるけれど、本当に夫婦になったんだと実感した。白いタキシード姿の蒼真さんは、世界中の誰よりもカッコ良くて、この人を他の誰にも渡したくないと思った。永遠に私の側にいて、私のことだけを見ていてほしいと心の底から願った。蒼真さんは私の平凡な人生をバラ色に染めて、180度変えてくれた。これからは……「白川先生」と「新人看護師」という関係ではなく「夫婦」として長い道のりを一緒に歩むんだ。***そして、10月――木々の葉っぱが赤や黄色に美しく色づいた秋晴れの日に、私達の待望の赤ちゃんが誕生した。産声をあげたのは元気な男の子。七海先生の紹介で入った女医さんが、赤ちゃんを取り上げてくれた。さすが七海先生の肝いりの先生だけあって、腕も確かで出産時の声掛けも素晴らしかった。女医さんや蒼真さん、周りのみんなのおかげで、私は安心して出産す