「で、でも私は特別明るいわけでも面白いわけでもないので、先生を元気にできないと思いますよ」「……僕は別にそういうのを望んでいるわけじゃないよ。ただ一緒に居るだけで心が温かくなって……元気になるってこと」「えっ……」ただ一緒にいるだけで――その言葉の意味を考えるより先に、胸の真ん中あたりが急激に熱くなった。「な、七海先生。そんなこと言いますけど、先生は私のことをあんまり知りませんよね」失礼かとは思いながらも、思い切って質問した。「どうして? なぜ知らないって思うの?」先生のこの爽やかな優しい笑顔、本当に反則だ。「なぜって……先生は産婦人科のお医者さまなので、あまりお話する機会がないというか……。だから、私のことはそんなに知らないんじゃないかと思って……」確かに入院病棟は同じ階にあるので、他の先生方よりは会っているかも知れないけれど……「たまに藍花ちゃんとは話したりするよね」「は、話すというか、挨拶するというか……」「それで十分じゃない?」「えっ?」「僕はね。いつも藍花ちゃんの可愛い笑顔と、その優しい声に癒されてるんだ」「そ、そんな、可愛いなんてとんでもないです!」きっとからかわれている。私がこんなイケメンに可愛いなんて思われてるはずがない。それなのに、次の瞬間、七海先生は伸ばした手でそっと私の髪に触れた。「可愛いよ、すごく。もしかして藍花ちゃんは自分で気づいてないの?」私は、そのあまりにも近過ぎる距離に思わずのけぞった。七海先生のとても甘い声に、心臓が高鳴り、脈拍がどんどん早くなるのがわかる。この気持ちはいったい何なのか?「お、お世辞は辞めて下さい。私なんかより可愛い人は病院にたくさんいます。特に産婦人科の看護師さんは皆さん可愛いじゃないですか」「そうかな……。僕の中での可愛い女性の定義に当てはまるのは、藍花ちゃんなんだけど」
一瞬で顔が真っ赤になった。定義とかって言われても……次から次へと連続して押し寄せてくる私への褒め言葉に戸惑いが隠せない。「笑って。藍花ちゃんの笑顔は、僕の疲れた体に1番よく効くお薬みたいだから」七海先生……とびきりの優しい笑顔と共に放たれる甘いセリフにドキドキが止まらない。いったいどういう顔をして受け止めればいいのだろう。「さあ、行こう。お腹空いたな、何食べよっか」私達は駅の近くにある中華料理店に入り、そこでは他愛もない話をして楽しく食事をした。七海先生は聞き上手だし、話し上手。患者さんに人気がある理由が改めてわかった気がした。「すみません、ごちそうさまでした。とっても美味しかったです。本当にありがとうございました」「いえいえ。その代わり、またどこか行こうね。藍花ちゃんと一緒に大好物のエビチリとチャーハンを食べたら元気になれたよ。明日も……仕事頑張れる」「そ、そんな。また行こうなんて彼女さんに申し訳ないです」七海先生レベルなら、独身だけど、さすがに彼女はいるだろう。いないわけが……ないか。「彼女?そうだね。確かに2年前まではいたような気もするけどね。もう忘れたよ。君がうちの病院に入ってきた頃の話。それからはずっと1人でいる。全く寂しい男だよ」七海先生は苦笑いした。「彼女さん、どうしていないんですか?先生みたいに……その……イケメンさんなら女性がほおっておかないんじゃないですか?病院にも先生のファンはたくさんいますし」ミーハーのようでかなり失礼かとは思ったけれど、思わず聞いてしまった。うちの病院の七不思議の1つを――「ファン……ね。確かにこんな僕に好意を示してくれる人もいて有難いなって思うよ。でも……彼女を作るのは難しいね」
こんな僕……?七海先生みたいな素敵な人が、そんな言い方をすることに違和感を覚えた。まさか、七海先生、自分に自信がないのだろうか?「今日、先生と話してわかりました。私を気遣っていっぱい話をして下さって。すごく穏やかで優しい人なんだなって思いました。だから、皆さんが先生のことを信頼したり、素敵だなって思ったりするんだろうなって。……あっ、すみません、偉そうですよね」それに少し強引なところがあることも知った。人は、話してみないとわからないものだ。先入観だけで人を判断してはいけないと改めて感じた。「偉そうなんかじゃないよ。そんな風に言ってくれて素直に嬉しいよ。さっきも僕のことイケメンさんって言ってくれたしね。だけど、上手くいかないね。本当に想ってもらいたい人にはなかなか想ってもらえなくて……」たまに見せる七海先生の切なげな表情は、憂いを帯びていて、とても妖艶で胸を刺激する。「とにかく、また誘うね。今日は帰ろうか。駅まで送るよ」「あっ、はい。本当に今日はありがとうございました。美味しかったです」七海先生はわざわざ私を駅に送り届けてから、近くに止めてあった車で一人暮らしのマンションに帰っていった。今日の七海先生とのやり取りは、いったい何だったのだろうか?わけのわからない余韻を残した感情は、行き場を探しながら頭の中をぐるぐる回った。
今日はまた白川先生に注意された。中身は全然たいしたことじゃない。それほどキツく言われたわけでもないのに、勝手に落ち込んでしまってる。私だけが白川先生に睨まれてる気がして……最近、先生と話すのが少し憂鬱になっている。中川師長に相談しようかとも思っているけど、何だか言えないまま時間が過ぎていた。それに、先生は正しいことを言ってるだけで、私が強くなって成長すればいいだけの話。グジグジ悩んでいる自分がいけないんだ。だけど……苗字の呼び捨てはそろそろ止めてもらいたいし、色々考えると負のループに陥っている気がする。「邪魔」「えっ!あ、すみません」振り向くと白川先生がいた。驚いてすぐに横にズレたけど、こんな広い廊下で特に邪魔になっているとは思えなかった。「蓮見」「は、はい!」「お前、今日の夜の予定は?」「えっ、よ、予定……?」「無いんだな。わかった、じゃあ今夜付き合え」えっ、えっ!?私にはかなりヘビーな内容過ぎて、何を言ってるのか理解できなかった。「あの……私、予定が無いとか何も言ってません」「無いんだろ?」定期的に会ってくれる彼氏もいない上に、確かに今日は何も予定は無い。それでも、勝手に決めつけるなんて失礼な話だ。「な、無かったら何なんですか?」白川先生の言い方が気に入らなくて、つい反抗的な返事をしてしまった。「仕事が終わったら、フラワーショップの前で待ち合わせ。いいな。必ず来いよ」何を言われてるの?フラワーショップは、病院を出て数分行ったところにあるけど、そこで待ち合わせをするの?誰と誰が?頭がパニックになる。「あ、あの!ちょっ、ちょっと無理やり過ぎませんか?急にそんなこと言われても困ります」日頃の恨みだろうか。まだまだ新人の看護師が、白川先生にこんな言い方をするなんて。自分の発言に自分で驚いた。「黙って待ってろ。いいな」え、嘘、行っちゃった……白川先生の行動に呆気にとられて動けない。勝手に決めて、待ってろなんて、めちゃくちゃ強引過ぎる。まさか、私があまりにどんくさいからお説教されるのだろうか、それとも、もしかしてクビにされるとか!?
どうしよう……私はもっと看護師を続けたいし、誰かの役に立ちたい。しっかりしていないにしても、辞めさせられたらあまりにも悲しい。無理やり約束させられて、白川先生の意図がわからなくて困惑する。とにかく――今は何も考えないようにするしかない。モヤモヤはするけれど、きちんと仕事をしなければ。私は、気持ちを切り替え、仕事に戻った。***言われた通りフラワーショップに向かいながら思った。今日は外来がかなり混んでいたから、白川先生の方が遅いはず。きっと疲れているだろう。イライラしていないか心配になる。いったい今日は何を言われるんだろうか。考えていると自然に足取りが重くなる。「あ……」目の前にはフラワーショップ。もう着いてしまった、先生はまだ来ていない。少しホッとしている自分がいて、変な気分だ。確かに、本来なら、何を言われるのかもわからないのに、こんなにも不安になる必要はない。必要はないのだけど……白川先生は、本当にカッコ良い。認めざるを得ないくらいの「超イケメン」だと思う。だけど、私の中ではあの意地悪な感じのせいで全部台無しになっている。白川先生も、七海先生みたいに優しかったら……きっともっと素敵な男性だと思えるのに。「藍花!!」その時、誰かが私の名前を呼んだ。藍花……って、この声、いつも聞いてる……って、嘘!!「し、白川先生!」どうして先生が私の名前を?いつもは「蓮見」としか呼ばないのに。いったい何が起こってるの?「待たせたな、悪かった」「え……」白川先生が、私を名前で呼んだ上に謝っている。こんな展開、予想もしていなかった。この人は、本当にあの白川先生なのか?いつもとの違いに大いに違和感を感じた。「藍花、どうした?そんな顔して」「あっ、えと、すみません。……ちょっと驚いてしまって」つい本当のことを口走ってしまった。「なぜ驚く?」「な、なぜって……」
答えに困っていると、「まあいい、歩くぞ」白川先生は、そう言って黙って歩きだした。とても横には並べなくて、私は少し下がって着いていった。ん……?先生の歩幅、いつもと違う……病院ではかなり足早に歩く先生に、私は小走りで着いていくのが必死だ。なのに、今日は私に合わせてくれてるのだろうか。そんなこと、あるはずないとは思うけれど。「ここでテイクアウトしよう」「……ハンバーガーですか?」「ハンバーガーは嫌いか?」「い、いえ、好きです。でも、テイクアウトしてどこかで食べるんですか?」「ああ。いいところがある」テイクアウトしたハンバーガーを、白川先生と一緒に食べるなんて信じられない。何が起こっているのか、理解に苦しむ。私達はハンバーガーを買って、また歩きだした。目的地がどこなのかはわからない。ただ2人の地面を踏む音だけが、夜の静けさの中に響いている。「ここ」先生が足を止めたのは、病院から歩いて7分くらいの場所だった。目の前に流れる浅めの川。その両側が川原になっていて、土手を降りて、広いスペースに置かれたベンチに腰掛けた。3人がけのベンチの真ん中にはドリンクが2個。見上げると夜空に綺麗な月が浮かび、それが川面に写って何とも幻想的な雰囲気をかもし出している。時折、秋の風が優しく頬をかすめ、体に当たる澄んだ空気がとても心地良かった。遠くの方に目をやると、大きな陸橋をライトを付けた車が行き交っているのが見えた。「寒くないか?」「はい、大丈夫です。すごく気持ちの良い夜ですね」「ああ、そうだな」高い位置に光る星がこんな綺麗に見える場所……今まで知らなかったのが残念だ。白川先生は、いつからこの場所を知っているのだろう?「はい、これ」私は、袋からハンバーガーを取り出して渡してくれた先生に、「ありがとうございます」と言って頭を下げた。まだ少し温かい。「すみません。ご馳走になります」「ハンバーガーで悪いな」「いえいえ、嬉しいです」先生、また謝った……今日の先生は、本当に別人なのかも知れない。もしかして双子だったりして、入れ替わって私を騙してるのかも……なんて、思わずバカな想像をしてしまう。
「いただきます。あの……先生、ちょっといいですか?」食べる前にどうしても聞きたくなった。「何?」「私、今から外科医の白川先生と2人でハンバーガーを食べるんですよね。なんかこの組み合わせがどうもよくわからなくて。なぜ、私はここにいるのでしょうか?」「……内科医なら良かったか?」「え?えっと……その……」真面目な顔をして困ってたら、白川先生は突然私の目の前に顔を近づけた。「真剣に考えるな。笑え」この距離感に、思わずハンバーガーを落としてしまいそうになった。今、すぐ目の前にある白川先生の笑顔。月の光にほんのりと照らされて、一つ一つの顔のパーツがはっきりと私の視界に入り込んできた。ほんの数秒でギブアップ――あまりの美しさに直視することができない。私はサッと正面を向き、冷静を装うためにハンバーガーを口にした。小刻みに震える手。緊張で飲み込みにくいことを悟られないように、ドリンクで必死に流し込んだ。「ど、どうして私に声をかけてくれたんですか?今日ここに来た理由は……?」念を押すように、また質問した。確かに嫌な答えなら聞きたくない気もするけれど、早く答えを聞きたい気もした。「理由……か」「は、はい。私、今日誘われてからずっと思ってました。白川先生に……怒られるのかなって。だからすごく緊張してて」「なぜ?俺がどうして怒る?」「え?どうしてって……あの、私、いつも先生に注意されてばかりなので……。もちろん、私が仕事ができないのが悪いんですけど」「……藍花は俺に怒られたいの?」「そ、そんなわけないです!怒られたいなんて思ってません。思ってるわけないです。それに、私のことを藍花って呼ぶのも変ですよ。いつも病院では「蓮見」って呼ぶのに」「お前は「蓮見 藍花」だろ?だったら蓮見でも藍花でも同じだ」その理屈、かなり変――同じじゃない、全然。
「先生は他の看護師には「さん付け」なのに、私だけ「蓮見」って呼び捨てにするの、ちょっと……嫌でした。怖い感じがして、嫌われてるような気もして。それに、いきなり藍花って呼ばれるのもやっぱり……何だか変です」ずっと心でモヤモヤしていたことをようやく口に出せた。「名前で呼ぶのは歩夢も一緒だ」「それは歩夢君が男子だからいいですけど……」白川先生は少し黙ってしまった。もしかして怒らせてしまったのか?この空気に耐えられないと思い始めたその時、白川先生は空を見上げながら言った。「蓮見も、藍花も……どちらもとても美しい名前だ。だから、つい呼び捨てしたくなる」「えっ……」「藍花……って呼ばれるの、そんなに嫌か?俺は……お前を藍花って呼びたい」私の耳元まで近づいて甘く囁いたその声が、あまりにセクシーで艶っぽくて、私は腰が砕けそうになった。何なのか、この展開は?かろうじてベンチから滑り落ちないように耐えたけれど、今、私の体は急激に熱くなっている。心臓も激しく動き出し、何だかよくわからない状況に動揺が隠せなかった。自分に何が起こっているのか、まるで理解できない。七海先生に感じた妖艶さ、それとはまた違う白川先生の色気――どちらからも、大人の男性として申し分ない魅力を感じるけれど、やはりタイプは全然違う。当然、同じわけない。正直、今の今まで白川先生のこんな一面を見たことがなかった。全く知らなかった男としての部分を発見し、すごく不思議で複雑な感じがした。そうか……白川先生のファンは、みんなとっくに気づいてたのだろう。この、何とも言えない先生の魅力に。いつもすぐ近くにいたのに、私が先生のことを怖がり過ぎて気づかなかっただけなんだ。好きとか嫌いとか、よくわからない。まだ苦手意識だって全然消えないけれど……それでもたぶん、今までよりは白川先生に怯えなくて済むような気がして、少しホッとした。「あ、ありがとうございます。名前を褒めてもらえて嬉しいです。両親も喜びます」何を言ってるんだろか、動揺し過ぎだ。気の利いたことを言えない自分が情けなくなる。白川先生に呆れられたかも知れない。
「蒼真さん、はい、こんな私ですが、どうぞよろしくお願いします」「良かった」「私……こんなに幸せでいいんですか?」「藍花。たぶん、俺はお前より幸せだと思ってる」すぐ目の前の優しい笑顔に照れてしまう。「そんなことないです。私の方が幸せです」2人で微笑み合う。「ただ1つだけお願いがある。藍花にはうちの病院で出産してもらいたい。その方が何かと安心だ。俺も藍花のすぐ側にいるから」どこまでも私を大切にしてくれる蒼真さん。その気遣いに心から感謝した。「実は今の病院は婦人科だけなんです。出産できる病院を探そうと思っていたのでちょうど良かったです。それに松下総合病院には最高の先生と看護師が揃ってますから、私も安心して赤ちゃんを産めます。蒼真さんも同じ病院にいてくれるので心強いです。本当にありがとうございます」私は、蒼真さんとの子どもを産んでママになる。まだ全く実感は湧かないけれど、次々と起こっていく夢のようなストーリーに、私は子どもみたいに心が踊ってしまう。恥ずかしくなるくらい、幸せ過ぎてたまらなかった。***私達は、2人のことを病院のみんなにも話すことにした。婚約、そして妊娠のことはあっという間に広がり、いろいろな反響があった。七海先生が辞めた時以上に「白川先生」のファンはザワザワしているようで、改めて蒼真さんの人気ぶりに驚かされた。中川師長と歩夢君が特に喜んでくれたことはとても嬉しく、話せて良かったと思った。歩夢君も、「藍花さん、おめでとうございます。すごく嬉しいです。あなたが幸せで良かった」と、ニコッと最高の笑顔で微笑みかけてくれた。最初は病院中、そして患者さんまでが私達の噂で持ち切りだったけれど、いつしか穏やかに見守ってくれるムードになっていた。それからしばらくして、つわりがかなりキツくなり、私は仕事は辞めることにした。すごく寂しかったけれど、仕方がない。この状況ではまともに仕事ができず、みんなにも迷惑をかけてしまうとわかっているから。またいつか、ここで働けることを願って――私は、後ろ髪を引かれる思いで松下総合病院を去った。
「……藍花」それでもなかなか切り出せない私に、優しく呼びかけてくれた。その思いに背中を押され、私は口を開いた。「蒼真さんとの子ども……あ、赤ちゃんが私のお腹にいます」「……」数秒の沈黙。私は蒼真さんの表情を確かめるのが怖くて、下を向きながら続けた。「あっ、でも、もし私と赤ちゃんが重荷なら、私は身を引きますから。蒼真さんには外科医という大切なお仕事がありますし、私は1人でもこの子を……」えっ……突然体が大きくて温かいものに包み込まれた。「……蒼真……さん?」「藍花……ありがとう。俺、すごく嬉しい。本当に……嬉しい」そう言って、蒼真さんは抱きしめた腕を離し、私を真っ直ぐに見つめた。瞬きした瞬間、蒼真さんの瞳からキラキラした雫が1粒こぼれ落ちた。泣いている……?蒼真さんの涙、初めて見た……「あの……赤ちゃん、喜んでくれるんですか?」「当たり前だろ。喜ばない理由なんて何一つない。嬉しくてこんなにも胸が熱い。俺、いつか……こうなることを願ってたのかも知れない」その優しい答えに肩の力が一気に抜けた。「良かった……です。嬉しいです。もしかしたら私、蒼真さんにフラれるんじゃないかって、怖くて」私も、自然に涙が溢れた。「フラれるなんて思うな。絶対に離さないって言っただろ。正直、近いうちにプロポーズするつもりだったんだ」「えっ……。本当……ですか?」「ああ。でも、俺達の赤ちゃんが1日も早い結婚を願ってくれたんだな。藍花の中に芽生えた小さな命、俺の全てかけて守るから。もちろん、藍花のことも、必ず守る」蒼真さんの瞳には1ミリのかげりもない。私と赤ちゃんを本気で受け入れてくれてると、ちゃんと思えた。霧がかかったみたいな暗い気持ちが一気に晴れて、私の心に明るい光が差し込んだ。「私、蒼真さんと赤ちゃんと3人で家族になれるんですか?」「ああ、もちろんだ。藍花、俺と……結婚してくれないか?」心にズシンと重く響く「結婚」の2文字。嬉しくて、嬉しくて、喜びが心の底から溢れ出してくる。「……本当に私でいいんですか?」「ああ、俺達、夫婦になろう。藍花のこと、世界一幸せにするから、俺に着いてきてくれ」迷いのない蒼真さんの言葉。この瞬間、蒼真さんといることが私にとって何の間違いもない、1番正しい選択だと確信できた。
「もっと激しくしてやる。覚悟して」毎回、私を狂わせるくらい、蒼真さんに攻められる。こんなにも激しくしつけられて、私は……あなたという底の無い沼から抜けられなくなってしまった。「蒼真さん、そこ、気持ちいいです」「本当?こんなところがいいんだ。また1つ感じる場所が増えたな。藍花の体はしつけがいがある。触れれば触れる程に敏感になって……。じゃあ、ここは?」どんどんあなたにハマる感覚を、私はこの上ない「幸せ」だと思える。この人だけの物になりたい。私の全部を蒼真さんにあげたい。離れたく……ない。心から強く思った。「ずっと一緒だ」「……はい。嬉しい……です」温かな胸に抱かれ、お互いの肌が触れ、私達は愛に満ちた最高の世界にいつまでも身を置いた。***そして、月日は流れ、私は体の異変に気づいた。すぐに病院に行く。予想は的中していた。私は、蒼真さんとの子どもを授かった――感動で涙が溢れ、止まらなかった。いつかはもしかして……と思っていた。勢いでそのまま抱かれた時もあったし、でも、気をつけようなんて、お互い言わなかった。だから、当たり前と言えば……当たり前だった。私はこの状況をすごく嬉しく思ったけれど、蒼真さんはどうなんだろう?もしかして私はフラレるのだろうか?そう思ったら心底怖くなった。そんなことはない、絶対に蒼真さんは私のことを大事にしてくれる。きっと、大丈夫――それにしてもいつ話そうか?頭の中にいろんな思いが巡る。確かに不安は拭いきれない。私は、蒼真さんの部屋に招かれた日、ちゃんと打ち明けようと決意した。いつものように食事をしてから、ドキドキしながら話を切り出した。「あの……蒼真さん」「ん?」こちらに顔を向け、蒼真さんは私をじっと見た。「あっ、あの。えっと……」かなり不安げな表情だったのか、蒼真さんは心配そうに眉間に皺を寄せた。「大丈夫?落ち着いて。ゆっくりでいいから何があったのか話して」「……は、はい」
そして、とろけるような刺激が私を包む。私の全てが蒼真さんに支配されていく……充分に敏感になった場所を、胸から順番に下に向かって何度も触れられ、私は更に深く高揚する。「あぁっ……ダメっ。蒼真さん……」「まだだよ。まだ……我慢だ」「意地……悪」繰り返される執拗な指の動きに、私はどうしようもなく淫らになる。蒼真さんの前では一切理性が効かない。制御不能になり、2人ともブレーキをかけることができず、ますます激しく震えるほどに乱れていく。私のこんな姿は誰にも想像できないだろう。普段の見た目との違いに、きっと引かれてしまうに違いない。自分でさえも、快楽に溺れる自分を受け入れられずにいるのだから――蒼真さんはお構い無しに私を愛撫する。体の全部の気持ち良いところを1つ1つ丁寧に。そんなところをそんな風にされたら……もうどうしようもなく気持ち良くて、我慢などできない。「もっと声出していいよ。藍花の思い通りにしてやるから」「思い通り……?」「ああ。どうしてほしい?」「……あ、あの……」私の望んでいることは何?こんなに体が熱いのに、まだまだ求められておかしくなりそうだ。だったら止めてほしい?私の本当の望みはいったい何なの?きっと私は……最高に気持ちいい瞬間がほしい――私は、「もっともっとしてほしいんでしょ?」と、悩める自分の心に問いかけた。「もっと……して。お願い、蒼真さん……」気がつけば、そんな恥ずかしいセリフを発していた。これが私の本性なのか?だとしたら、私、確実に……あなたにしつけられてこうなったんだ。ごく控えめだった私の中から、恐ろしい程淫らな部分を蒼真さんが引き出した。1から10まで全部、あなたに調教されて、私は女としてのこの上ない喜びを知ってしまった。不思議だ。もう私は、以前のつまらない自分には二度と戻りたくない――と、心で叫んでいた。
「藍花、好きだよ……」「私もです。蒼真さんとの時間がすごく大切です」部屋の明かりはついたまま。私達はベッド入り、隣り同士並んでる。布団の中ではお互い何もつけていない。肌と肌が触れ合う感覚に、さっきからずっとドキドキしている。「僕もだ。今までは医学のこと以外に費やす時間なんてほとんど無かった。ジムに行ったりするくらいで、食事も簡単に済ませてた」「蒼真さんは勉強熱心ですから、みんな言ってます」だからこそ無敵なんだ。どこまでも外科医として努力する姿がカッコよくて、私は心底尊敬している。「それももちろん大事だ。勉強することは止めない。でも今は……藍花との時間が1番大切なんだ。この時間があるからまた頑張れる。今となっては、もうお前がいないと頑張れない」「そんな、そんなことないですよ。蒼真さんはいつだって……」言葉を続けようとした瞬間、そっと唇を塞がれた。「こんなこと言われたら失望する?」私は首を横に振った。「もし藍花がいなくなったら……俺、そう思うと本気で怖くなるんだ。情けないよな」「蒼真さん……。情けないなんて思いません。失望なんてするわけないです。蒼真さんは頑張り過ぎるくらい頑張ってます。そんなすごい人にそんな風に言ってもらえることは……やっぱり素直に嬉しいです」今度は私のおでこに優しくキスをした。「藍花。お前がもし患者さんのことを思うなら、絶対に一生俺から離れるな。藍花が側にいてくれたら俺はもう何も怖くない」そう言って私を抱き締める腕の強さに、何とも言えない安心感と男らしさを感じた。守られるって……こういうことなんだと。「いいな?絶対に俺から離れるな」私を間近で見つめながら甘く囁くその顔が、あまりにも美し過ぎる。この世にこんな美しいものが存在するなど、理解に苦しむほどだ。「私、離れません。ずっとあなたの側にいさせて下さい」「その言葉を待ってた。藍花……お前の全部を俺の物にしたい。俺だけのものに……」何度も何度も繰り返して押し寄せる甘いセリフの波。その波に飲み込まれて溺れてしまいそうになる。
「藍花さん」「ん?」「……やっぱり僕、あなたのこと……」「……」「ずっと考えてしまいます」歩夢君は、小さな声でそう言った。「……」そう言われて、言葉が上手く続けられない。「でも、藍花さんには好きな人がいるから……僕達は恋人にはなれないんですよね」「歩夢君、ごめん……」「いやだな~。僕は藍花さんの笑った顔が好きなんです。そんなしんみりした顔しないで下さい。好きな人にはずっと笑顔でいてほしいです。あなたが笑顔なら、僕はそれだけで嬉しい。藍花さんが幸せなんだってわかれば……それでいいんです」「そんな……。歩夢君、優し過ぎるよ」七海先生と同じだ。私は、歩夢君にももっと別の世界を見てもらいたい。いろいろな人に出会い、新しい道を進んでほしい。「僕はこれから仕事も頑張っていきます。だけど、あなたを想うことも止めませんから。あなたが誰を好きでも構いません。迷惑だとは思いますけど、もうしばらく……藍花さんを好きでいさせて下さい。今日はそれが言いたくて」「歩夢君。すごく嬉しいけど、でも、私にこだわらず、新しく好きな人ができた時には、必ずその人を大切にしてあげてほしい。私に申し訳ないなんて思わずに、ちゃんと前に進んでね」「……ですよね。ずっと想ってるなんてやっぱり迷惑ですよね」「ううん、迷惑なんかじゃないよ。だけど、あなたの大切な人生だから。歩夢君の未来はキラキラ輝いててほしい。私だって……君に笑っててもらいたいよ」「……笑って……?」「そうだよ。歩夢君の笑顔はみんなを元気にするパワーがあるの。そのパワーで患者さんが元気になるんだよ。歩夢君が悲しい顔をしてたら、みんな元気もらえなくなる……」「……パワーありますかね?」「あるよ!もちろん」「だったら、ずっと笑っていないとダメですね。僕が誰かの役に立てるなら……」「うん」「もし、僕にも誰かを想える時がもし来たら……藍花さんのいうように、その人を大切に……しますね。まあ、もしそんな人が現れたら……ですけど。あっ、駅に着きました。あっという間です、早いですね」歩夢君はつぶやくように言って、口角を上げてニコッと笑った。「ありがとう、歩夢君。君の笑顔で私も元気になれるから……感謝してる。本当に……いろいろありがとう。明日からもまたよろしくね」「はい!藍花さんと一緒に働けるだけで僕は幸せです。
「ごめんなさい。本当に……」頭を深く下げる春香さん。「ありがとうね、そんな風に言ってくれて。でも、自分の責任だから本当に気にしないで」「……あ、ありがとう。私……今日、蓮見さんと話せて良かった。じゃあ、行くね。また……会えるかな?」「うん、必ず会おうね。寂しいけど、元気でね」「白川先生と、お幸せにね」「えっ!?」「恋愛経験が無い私でもさすがに見てればわかるから」春香さんにも、七海先生にも当てられてしまったということは、自然に顔に出てしまっているのだろうか?気づかないうちにニヤけていたのかも知れない。だとしたら、かなり恥ずかしい。「う、うん。ありがとう」春香さんは、ほんの少しだけ手を振って、そのまま去っていった。「あんなに笑顔が素敵な人だったんだ。だから、これから先は大丈夫だよね」春香さんは、これから先の人生、きっと自分らしく前向きに生きていける。背中を見送る私の心は、嬉しさと安心したせいか、ポカポカして温かくなった。ナースステーションに戻ると、歩夢君がいた。「どこに行ってたんですか?」「あ、うん。春香さんと話してた」「そうなんですか……。春香さんが辞めてしまうなんて、寂しいですよね。七海先生もいないし……」「うん。寂しいよね。でも、春香さんはきっとまたどこかで看護師を続けると思うし、元気に頑張ってほしいよね」「はい。本当にそう思います。春香さん、看護師として今まで頑張ってたから……」歩夢君のこの言葉。春香さんが聞いたら嬉しいだろう。「まだまだこれからだよね。春香さんも、そして私達も。患者さんのためにしっかり頑張らなきゃ」「頑張ります!あっ、あの、藍花さん。今日、仕事終わってから少し話せますか?」「えっ、あ、うん。大丈夫だけど……どうしたの?」「藍花さんと2人でちゃんと話すのは今日が最後です。あっ、もちろん僕まで病院を辞めるわけじゃないですよ。ただ……改まって話すのは最後……ってことです」「……うん。わかった。実は私も話したいことがあるの」「そ、そうなんですか……。わかりました。話しましょう」蒼真さんとのこと、ちゃんと言わないと……***そして、夜になり、私は歩夢君と2人、病院を出て駅に向かってゆっくりと歩いた。「ごめんね、歩きながらで……」「いえ、突然僕が声をかけてしまったので、すみません」歩夢君
「蓮見さん……あなたって本当にお人好し」そう言って春香さんは笑った。「素敵だよ、その笑顔。春香さんには笑顔が良く似合う。本当に可愛い」目を細めて微笑む春香さんを見て心からそう思った。「蓮見さん。私、別の病院で看護師続けるから」「えっ」「本当は全て投げ出して逃げたいって思ったけど……。確かに私の輝ける場所は看護師しかないから。患者さんのために何かしたい。あなたに言われて……気持ちが変わった」「本当?だとしたらすごく嬉しいよ。絶対に看護師を続けてほしい」こんな短い時間で気持ちを変えてくれたなら、勇気を出して話しかけて良かったと思えた。すごくホッとして、安心した。「恋なんか、しばらくはしたくない。どこか自分を働かせてくれる病院を見つけて、看護師として絶対に患者さんのために頑張る」その顔は、さっきまでとは違って覇気のある表情に変わっていた。「うん、春香さんなら大丈夫。その笑顔があれば絶対大丈夫だから。新しい病院で頑張ってね。私、ずっとずっと応援してるから」それに、今の春香さんなら、きっと新しい恋だってできる。いつか必ず素敵な人と出会えるに違いない。「……ありがとう。ねえ、蓮見さん」突然、改まった顔で私を見た。「何?どうかした?」私が聞くと、春香さんは下を向いてしまった。「どうしたの?大丈夫?」「あ、あの、この前、蓮見さんが足に怪我したの……あれ、私の責任だから」春香さんから急に笑顔が消えて、真剣な表情に変わった。「……ううん、それは違うよ。あの時はね、私の不注意だったんだ。私がフワフワしてて、仕事に集中してなかったから。私が悪いの、だから気にしないで」私はニコッと微笑んだ。気にしてくれていただけで十分だ。「私……すごく意地悪だったと思う。突然声をかけてしまったから蓮見さんがびっくりして。それなのに私は……」「だから違うって。もう足も全然治ってるしね」「本当に?ちゃんと治ってるの?」「本当だよ。もう痛くないよ」「あの時は……痛かったと思う」「……白川先生にね、落としたのが患者さんの足だったらどうするんだって言われてハッとしたよ。本当に私で良かったよ。それに…他に良かったこともあったから」そう、あの怪我のおかげで私は……蒼真さんとの距離が嘘みたいに近づいたんだ。
「あなたにそんな風に言われるなんて思ってなかった……。私は、今までずっと誰にも相手にされずに生きてきました。でも来栖さんは違って、こんな私に笑いかけてくれたんです。気づいたら、私、来栖さんのことを……。初めて人を好きになったんです。大好きなんです、歩夢君のことが。でも恋愛なんてしたことがないから、どうしたらいいのか全然わからなくて……」春香さん、今、歩夢君って……本当はそう呼びたかったんだ……「歩夢君の笑顔、素敵だもんね。あんなに優しく笑える人、他にいないよね」春香さんはうなづいた。「私は全然ダメだから、歩夢君に振り向いてもらえない。フラれるに決まってる……そう思うと何だか悲しくなって。いつしか蓮見さんに対してイライラして……あなたにあたってしまってました」言葉のトーンが明らかに今までとは違って穏やかになっている。それが何だかとても嬉しく感じた。「春香さんは全然ダメなんかじゃないよ」「えっ?」「自分に自信がないのは私だって同じなんだから」「は、蓮見さんが!?う、嘘でしょ?みんなから好かれているあなたがどうして?」春香さんはものすごく驚いた顔をしている。私が自分に自信のある人間だと本気で思っていたようだ。「本当だよ。ずっとずっと昔から自信がなくて苦しかった。どうしてって聞かれても理由とか理屈とかじゃなくて、そうだから仕方ないんだよね。でもね、やっと好きな人ができて、今はほんの少しだけ前向きになれたし、その人を信じようと思えてるの」「蓮見さんみたいに可愛い人が自信がないなんて……信じられない」「可愛いくないよ、別に。私もずっと上手く恋愛できなくて悩んでたから」「やっぱり信じられない。もし私が蓮見さんみたいに可愛いかったら、絶対に自信持つと思う。ねえ、蓮見さん。私なんかがこれから少しでも前向きに変われるのかな?」春香さんの言葉は、いつの間にか敬語ではなくなっていた。なんかいいな、こういうの……心が自然に温かくなる。「大丈夫、もちろん変われるよ」「ほんとに?」前のめりに私に訊ねる春香さんがとても可愛く思えた。「でもね、笑顔を忘れないで。春香さん、絶対ニコニコしてた方が可愛いから。誰かを好きになったら……笑ってて。そしたら自然に優しい気持ちになれるよ。きっと、春香さんらしく輝けるから。イライラなんかしてたらもったいないよ」