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崩れたバラ
崩れたバラ
著者: 福田幸子

第1話

著者: 福田幸子
last update 最終更新日: 2024-11-08 10:27:41
喉が裂けそうなほど乾いていた。

寝返りを打ち、無意識に隣を見たが、そこに彼の姿はなかった。

これで康之との裏の取引は三か月目に入っていた。

あの日、告白してから飲み過ぎて、私たちは一夜を共にした。

それ以来、時折こうして連絡を取り合い、互いに慰め合っているだけの関係になっていた。

彼は私を嫌っていたが、私が安上がりで扱いやすく、責任を取る必要もないから都合が良かったのだろう。

「後で客を連れてくるから、さっさと片付けて出て行け。俺の気分を台無しにするなよ」

十秒足らずの電話で、康之の不快感が頂点に達しているのが伝わってきた。

返事をする間も与えられず、一方的に電話を切られ、まるで私の声を聞くだけで汚されるかのようだった。

心臓の奥から鈍い痛みが広がり始めた。

疲れ切った体を引きずり、浴室に向かって鏡の前で自分の体を確認する。

そこには歯形や無数の痣が広がっていた。

彼は私が長居するのを嫌っていたので、彼を怒らせないよう、体をろくに洗うこともできず、服を急いで着てその場を去ろうとした。

しかし、運悪く彼と新しい恋人に鉢合わせしてしまった。

「康之、この人があなたの言っていたしつこくまとわりつく女な?本当に気持ち悪い」

いつの間にか、彼を好きな気持ちが康之の嫌がらせの道具になっていた。

私の傷口をえぐるのが彼の楽しみになったみたい。

けれど、私は彼を責めたことがなかった。先に愛してしまったのは私だったから。

控えめに彼を見つめ、ただ彼が振り向いてくれることを願っていただけだったのに、返ってきたのは終わりのない苦痛だけだった。

彼にどれほど侮辱されても耐えられるが、他人にあれこれ言われるのは我慢ならない。

「あなたこそただの気まぐれで飼われているペットでしょ?」

彼女は私にイライラして顔を真っ赤にしながら眉間にシワを寄せてた。もう怒りが頂点に達してるって感じだった。

「あなた......康之、彼女、私を殴った!」

こういう、勝てなくなるとすぐに甘えて取り繕おうとするやり方には、心底うんざりだ。

彼女が先に挑発してきたので、康之が私をかばわなくとも、少なくとも公平には接するだろうと思っていた。

でもすぐに自分の間違いを悟った。

彼の冷たい目には、あからさまな嫌悪が浮かんでいた。

「......康之、私はそんなことしていないのに......」

彼の視線が刺さるようで、思わず口を開くが、彼の手が私の顔を打ちつけた。

「維、俺の名前を呼ぶ資格があると思ってるのか?お前のことが心底嫌なんだよ」

「美珊は俺の大切な人だ。それに比べてお前なんか、媚びて寄ってくるただの安い女に過ぎないんだよ。もしまた彼女の悪口を聞いたら、お前の写真を明日のニュースに載せてやるからな」

康之の腕の中で、彼女は勝ち誇ったように私を見下し、ドアを無情に閉めた。

どんなに辛辣な言葉も今まで耐えてきたはずなのに、今日はどうしてか、胸に深く突き刺さり、涙が滲んできた。

足元がおぼつかないまま、別荘の門を出た瞬間、突然の土砂降りの雨が私を全身ずぶ濡れにし、馬鹿げた愛情も一緒に冷やされた。

傷口が炎症を起こし、一晩中雨に打たれたせいで、家に帰ってから数日間ずっと高熱にうなされ続けた。

やっとのことで意識を取り戻すと、迎えてくれたのは父の激しい一撃だった。

「お前はなんて下品なんだ、どうしてこんなふうに育ったんだ!」

スマホを開くと、トレンドに真っ黒な文字でタグが並んでいた。

【桜井維ナイトクラブ】【桜井維プライベート写真】

康之とは幼い頃から一緒に育ってきたから、どれだけ私のことを嫌っていても、昔の縁を考えてそこまでひどいことはしないだろうと思っていた。

私は自分が彼の中で占める位置を過大評価していたんだ。

いや、むしろ当然の報いだろう。彼の大事な人を傷つけるようなことを言った私が悪いんだから。

そのタグは一週間もトレンドに残り続け、その間、私は生き地獄のような日々を過ごした。

母は毎日のように泣き、父は私が「汚れた心の病気」にかかったと思い込んでいた。

そうでなければ、名家のお嬢さんが、そんな人前に出せない写真を撮るわけがない、と父は思い込んでいた。

正直、こういうものには最初から抵抗があった。

でも、康之が好むなら仕方なかった。

父の言う通りた。

私は林田家に飼われている犬同然だったのかもしれない。彼が手招きすれば、従順に寄り添ってしまう。

たとえ体が傷だらけになっても構わない。

もしかすると、やけになっていた部分もあったのかもしれない。心理カウンセラーが来ても、私は協力せず、むしろ侮辱するようなことまで言ってしまった。

その結果、私が信頼していた身内の手で、あの恐ろしい場所、矯正施設に送られることになった。

ここに入れば、ここではどんな欲望も断ち切られるという噂だった。

最初は信じられなかったが、まるで伝説の忘れ薬のように、人の意志を変えるものが本当にあるのだと知った。

数えきれない電撃や鞭打ちを経験した後、やっと理解した。「忘れる」とは、実際にはその人への生理的な恐怖を植えつけることなのだ。

近づくことすら怖くなれば、もはや愛することは不可能になる。

最初の頃は、ずっとこの地獄から逃げ出したいと考えていた。

ある日、面会に来たのは母ではなく、康之だった。

数か月ぶりに見る彼はやつれていたが、顔は魅力的で目が離せなかった。

しかし、彼の目には相変わらず嫌悪が浮かんでいた。

彼は言った。

「桜井維、18歳のどき、君が送ったプレゼントを失くしたと嘘をついたが、実は捨てたんだ」

「君みたいにしつこくまとわりつく奴に好かれて、どれだけ嫌な気分になったか分かるか?」

「君のことなんか、もううんざりだ。わかるか?それと、この矯正施設も実は俺が君の両親に勧めたんだ。なぜだか分かるか?」

「君がここで死んで、俺の人生から君という汚点が完全に消えるようにするためだ」

あの日、自分がどうやって病室に戻ったのかもわからなかった。

ただ、深夜に医師に引きずられて電撃治療を受けた時、私はいつもと違って一言も叫ばなかった。

瞳は異様なまでに静かで、表情はまるで死人のように無感情だった。

ぼんやりと思い出したのは、かつて康之に告白した時のことだった。

「あなただって少しでも私を好きなら、私は全力で愛する」と言ったあの日。

今の私は疲れ果て、彼の愛が欲しいとはもう思わなかった。ただ、彼から愛を返してほしいだけだった。

康之の望みは果たされず、私は無事に地獄を脱した。

両親からも、「帰ってきた後の君はまるで別人のようだ」と言われた。

女性とは普通に接することができるのに、なぜか男性に対してだけは無意識に拒絶反応を示してしまう。

再び康之と顔を合わせたのは、祖父の盛大な誕生日祝いの席だった。

彼はまた一段と痩せて、疲れの色が目に浮かび、かつて彼を取り囲んでいた女性たちの姿もなかった。どこか陰りがあり、以前よりも一層深みが増したように見えた。

私は祖父たちに強引に紹介された御曹司たちにしばらく絡まれた後、ようやく抜け出して階段の脇で一息つこうとした。

その時、ふと見かけたのは、物陰で煙を吹かしながら一人佇む康之だった。

彼は以前と同じように、私に何の感情も見せなかった。

だが、私の方は冷静でいることができず、生理的な恐怖と逃げ出したい痛みが全身を包み込んだ。

踵を返そうとした瞬間、彼の力強い手に捕まった。

必死に振りほどこうとしたが、返ってきたのは、康之の心をえぐるような笑いだった。

「維、俺には分かってるんだ。君があの場所から何とか逃げ出したのも、俺とまた関わりたいからだろう。でもその考えは捨てるんだな。さもないと、前よりももっとひどい目に遭うだけだぞ」

康之は、私がまた以前のように彼の手を掴んで、この関係を哀れに乞うとでも思っていたのだろう。

だが、あの非人道的な虐待を経験してから、私の中には彼への恐怖以外何も残っていなかった。

「やめて......叩かないで、間違ってた。もう二度と康之を好きにならないから、お願い、叩かないで」

彼の警告が、私の心の奥底に深い恐怖を呼び起こし、反射的に頭を抱えて壁際に蹲った。

目の前には幻覚が現れ、またあの忌々しい医者が迫ってくるのが見えた。

彼は太い電棒を手に、こちらに向かってきた。

「もういい、維、演技はやめろ。こんなことで俺が情けをかけるとでも思ってるのか、無駄だ」

康之は吐き捨てるように言い残して去って行き、私はその場に取り残されたまま、震えながら自分を抱きしめ、心の傷をなめるしかなかった。

涙が静かに頬を伝う。

これが康之、あんたのために流す最後の涙だ。

今回の誕生日パーティーは、実業界の大物たちとの絆を深めるためでもあり、私の婚約発表の場でもあった。

私はもう婚約することになっていて、相手は父が気に入った裕福な商家の御曹司だ。

幼い頃から唯一父の意に逆らったのは、康之を愛したことだった。

ただ彼を愛すればその思いが報われると信じていた。

しかし、待っていたのは無数の痛みと裏切りだった。

これで康之もようやく安心できるだよね。もう二度と彼にまとわりついて、気分を害する者はいなくなる。

私は酒が弱いが、特別な場なので無理して飲み続けた。

どれほど耐えたか分からないが、ようやく口実を見つけてその場を抜け出し、早く部屋に戻って休みたかった。

私の部屋は最上階にあり、この階にはその部屋しかないはずなので、誰も来ないはずだった。

だが、部屋のドアを開けると、わずかにドアが開けっ放しになっているのが目に入った。

気にせずそのまま部屋に入り、ベッドに向かって飛び込むと、突然、強い力で押さえつけられて身動きが取れなくなった。

「維、君の婚約者は、俺と一緒だった時のことを知ってるのか?知らないなら、あの時の映像を送ってやってもいいぞ」

康之の言葉は毒のある刃のように私の心を刺した。

だが、彼が知らないのは、私の心はもう彼の言葉では動じないほど麻痺していたことだった。

「......好きにすれば」

私は必死に歯を食いしばりながら、なんとかその言葉を絞り出した。声が震えているのが自分でも分かった。

「維、まさかこんな根性があるとは思わなかったよ。でも、今日は機嫌がいいから特別に可愛がってやるよ」

康之は、まだ私が彼の気を引こうとしていると思っているらしく、余裕と得意げな表情を浮かべていた。

彼の手が私の腰を不快にまさぐり始めたが、私は強く抵抗した。

揉み合いの中で、私はちょうど良い加減で彼の顔に一発を食らわせた。

「維、君みたいな安い女が何を気取っているんだ?貞節なんて主張するには遅すぎるだろう」

彼は私の服を乱暴に引き裂こうとしたが、私の手首に刻まれた傷跡を見て動きを止めた。

目を覚ました時には、すでに二日後だった。

矯正施設にいた時も何度も自殺を考えた。

あまりにも管理が厳しく、実行する機会がなかった。

施設を出た後は、いつも小さなナイフを持ち歩くようになっていた。

あの夜、もしかしたら自分を守るため、残されたわずかなプライドを守るためだったのかもしれない。

私はほとんど迷わずに手首に深い傷をつけた。

実際、うつ病の診断を受けてからというもの、孤独な病室に閉じ込められる日々と、父からの罵声に耐えていた。

でも、あの絶望的な縁談から逃れられたことを思えば、それも全くの損とは言えなかった。

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